心と事実
りん子的独り言(エラそう)
今日のエントリー、『男は』『女は』と限定して書きますが『概ねそういう傾向がある』というくらいに思って読んでください。
そうじゃない男もいるし女もいる。
いまから書く男女の逆の組み合わせもあるはずで、そんな方にも、なんだか噛み合ないなぁということがあれば、これが原因のひとつかも?と思って読んでみてください。
また私は女なので、どうしても女側からの、女にとって都合のいい意見になってしまうことをお許しください。
時々登場する岩月謙司さんの著書。
信憑性はもちろん、ずいぶん前に読んだので私の解釈や記憶も正確ではないと思うけど。
読んだ本で。
女は心地よいことが大好きで、それを与えてくれる人を好きになり、信頼し、肯定する。
一方男は、肯定されることを必要としていてそれをくれる女をいとしく思い、大事にする。
で、大事にしてもらった女はそれが心地よいものだから、その男をもっと好きになり肯定しようとする。
こんなふうに男女の幸せスパイラルモデルができあがるらしい。
それがうまくいきにくいひとつがセックスなのだそうだ。
そこに男女のセックスに求めるものの違いが書かれてた。
女にとって『心の交流』は心地よいものの重要なポイントだそうで、だからセックスに『心の交流』を求める。
男が求める肯定は『入れさせてくれる』なのだそう。
男は、とにかく挿入させてくれることで受け入れてもらってる肯定されていると満足する。
だから、相手が疲れていようが金銭を介そうが、おかまいない。
入れさせてくれたという『事実』が大事なんだそうです。(極端に書いてますよ〜)
女は心を交流させたいのだから、実はセックスは二の次。
男はとにかく入れたい!!もちろん犯罪になるようなものはしないとしても、多少相手がいやいやででも入れたい。
ね、違うよね。
だとしたら、男女のセックス求めるものが違ってくるのはわかる気がする。
これを読んだとき文章として理解はしたけど、どうもスッキリ納得とまでいかなかった。
人の感覚はそれぞれで全部に共感することは無理だとしても、人類のほぼ半分にあたるの男の気持ちに対して『スッキリ』できないのは、ちょっと残念な気分だった。
それが『どちらとも…』に対するパイパン大好きさんのコメントを読んで、ものすごーくスッキリできたのだ。
耳掃除を面倒だな〜と思いながらする私に、パイパン大好きさんは『好感度が上がる』と評してくださった。
私としては面倒だと思ったわけで、褒めていただいてなんだか申し訳ない気持ちになったけど、どうやらそれは『耳掃除をした』という『事実』が好評を得たらしい。
このコメントを読んで、すごーく納得。(パイパン大好きさん、いつも率直なご意見をありがとうございます)
女(りん子)は面倒と『気持ちよくなってくれて嬉しい』という両方の『心』があることを重要視して、男(パイパン大好きさん)は耳掃除をしたという『事実』で評価している。
これって、心の交流を求める女と挿入して肯定を求める男の話に当てはまるのではないかと思ったら、なんだかすごーくスッキリ納得だったのです。
もちろんその感覚は共感できないけど、ピッタリの事例を目の当たりにさせてもらったので百聞は一見にしかずだったのだ。
おそらく、様々な場面で女は『心』を求め、男は『事実』を求めるのだとしたら、男女の間でよく聞く『なんでわかり合えないの?』の解決のひとつがあると思いません?
なぜかというと、基本人って、自分が求めるものを当然相手にもしますよね。
自分は目玉焼きに醤油をかける人だったら、相手にもまず醤油を差し出す、みたいな(ああ、いい例えじゃないね)
自分が本が好きだったら、ついプレゼントは本を選んでしまうとか。
よく相手を考えれば違う思考も生まれるでしょうけど、日々こなしていく日常は基本的に『自分はこうだから』という基準で無意識に行動していると思う。
だとしたら
『心』がほしいと思う女に対して、『事実』がほしい男は『事実』をあげている。
ということになる?
男は女にメールをする。
一日何往復?
朝『おはよう』夜『おやすみ』?
それとも週に一回?
なんでもいいけど。
男はとにかくメールをしているという『事実』で、あげていることになっている。
だけど『心』がほしい女は、『事実』だけじゃなんだかもらった気がしない。
もらっているはずなのに寂しい。
寂しいと訴えても、男からはあげているという返事しか来ない。
男があげているといっているのだから、寂しいと思う自分はわがままなんじゃないかと思う。
でもそんなことないよね、あげているもの(事実)とほしいもの(心)が違うのだから、女からしたらもらえていないのだ。
だから
なんで私の寂しいをわかってくれないの?
メールしてるじゃん、俺の気持ちわからない?
ということになるのではないでしょうか。
こんなふうに、お互いの『何で満足するか』が明確にわかっていないから、相手のこと好きなのにどうして『何か足りない』『わかってもらえない』のだろうという状態が生まれるのだとしたら。
どうしたら埋められるのかなって考えてみました。
女性の皆さん。
男性は『事実』であげたつもりになっていると知ることは大事ではありませんか。
そして、それを踏まえてお付き合いしたらいいと思うのです。
もちろん、それを甘んじて受け入れるわけじゃないですよ。
女性は『心がほしいのだ』と男性に教えて差し上げるのです。
だって、男性は『事実』をあげることしか知らないのだから。
そしてより確実に質の良い『心』をもらうためには、まず『心』をもらう心地よさを男性に知ってもらうことも必要ですよね。
挿入するだけみたいな『事実』より、たくさん笑って喜んで、時には泣いて仲直りして、上質な『心』のやり取りをする心地よさをいっぱい教えて差し上げる。
そして、「私は『心』をくれないともらった気持ちになりません♪」とお伝え申し上げるのだ。
『おはよう』のメールも『おやすみ』の言葉も嬉しい、だけどそこに『心』を乗っけてくれると女は満たされると。
これが正解じゃないけど、ひとつの例としてね。
『おはよう』より『おはよう。今日は寒いね』、『おやすみ』より『おやすみ。また明日ね』のほうが断然あなたの心が伝わって嬉しいと。
こんなふうに自分がなにでもらった気持ちになれるかを、相手に伝えることが大事だと思う。
これをたくさんしてもらえれば、いつしか『おはよう』も心を感じられるようになると思うけどね(多分、ある程度時間がかかる)
それで、これも大事なことだけど、『事実』で満足してきた男に『心』をくださいというのは、一度言ったからといってもらえ続けるというものではないと思います。
性差だか慣習だか知らないけど、長年『事実』だけだった男に別なものを習慣付けるには、諦めず根気よく何度も折りに触れてお伝え申し上げることも必要です。
そして、それを理解して習慣付けてくれればきっと心が乗っかった言葉やメールをもらえて、はじめてもらえた気持ちになれる。
そうすれば『なんでわかり合えないの?』と思うことも減るような気がしません?
これができれば、逆に、例えば忙しくて『心』をくれないことがあるかもしれなくても『ああ、今日は事実が精一杯なんだな』と優しい気持ちになれるかもしれないよね^^(これも大事な感覚)
良い循環ができあがると思うのです。
ちなみに。
お伝え申し上げ続けていることを『うるさい!!』で一蹴してしまうような質の悪い『心』しかは持っていない男はお付き合いの仕方を考えたほうがいいかもしれませんけど^^
ちゃんと『事実』をくれて(これ重要!!)聞く耳を持っている男あれば、『心』をもらいあげる心地よさを理解してくれる可能性が高いと思うので、こちらも伝える努力を惜しまずいたいと思うのです。
『心』と『事実』
違いを知り、認め、でも諦めない。
そんなふうにパイパン大好きさんのコメントでスッキリさせていただきながら思うのでした。
あ、書いてて、これ男女逆もかなりあるかも?と思ってきました。
ほらロマンティックな男性も多いものね。
男女関わらず『心型』と『事実型』がいるのかな、やっぱり^^
とにかく
いまだに私も『「はい」とか「了解」以外でお返事をください^^』なーんて、時々メールでお伝え申し上げております、ですので、諦めないことが肝心かと思うのでした^^
岩月謙司さんを含め、その手のエントリーもリンク〜^^
『秘訣』
『秘訣の続き』
『女は共感したい生き物である』
今日のエントリー、『男は』『女は』と限定して書きますが『概ねそういう傾向がある』というくらいに思って読んでください。
そうじゃない男もいるし女もいる。
いまから書く男女の逆の組み合わせもあるはずで、そんな方にも、なんだか噛み合ないなぁということがあれば、これが原因のひとつかも?と思って読んでみてください。
また私は女なので、どうしても女側からの、女にとって都合のいい意見になってしまうことをお許しください。
時々登場する岩月謙司さんの著書。
信憑性はもちろん、ずいぶん前に読んだので私の解釈や記憶も正確ではないと思うけど。
読んだ本で。
女は心地よいことが大好きで、それを与えてくれる人を好きになり、信頼し、肯定する。
一方男は、肯定されることを必要としていてそれをくれる女をいとしく思い、大事にする。
で、大事にしてもらった女はそれが心地よいものだから、その男をもっと好きになり肯定しようとする。
こんなふうに男女の幸せスパイラルモデルができあがるらしい。
それがうまくいきにくいひとつがセックスなのだそうだ。
そこに男女のセックスに求めるものの違いが書かれてた。
女にとって『心の交流』は心地よいものの重要なポイントだそうで、だからセックスに『心の交流』を求める。
男が求める肯定は『入れさせてくれる』なのだそう。
男は、とにかく挿入させてくれることで受け入れてもらってる肯定されていると満足する。
だから、相手が疲れていようが金銭を介そうが、おかまいない。
入れさせてくれたという『事実』が大事なんだそうです。(極端に書いてますよ〜)
女は心を交流させたいのだから、実はセックスは二の次。
男はとにかく入れたい!!もちろん犯罪になるようなものはしないとしても、多少相手がいやいやででも入れたい。
ね、違うよね。
だとしたら、男女のセックス求めるものが違ってくるのはわかる気がする。
これを読んだとき文章として理解はしたけど、どうもスッキリ納得とまでいかなかった。
人の感覚はそれぞれで全部に共感することは無理だとしても、人類のほぼ半分にあたるの男の気持ちに対して『スッキリ』できないのは、ちょっと残念な気分だった。
それが『どちらとも…』に対するパイパン大好きさんのコメントを読んで、ものすごーくスッキリできたのだ。
耳掃除を面倒だな〜と思いながらする私に、パイパン大好きさんは『好感度が上がる』と評してくださった。
私としては面倒だと思ったわけで、褒めていただいてなんだか申し訳ない気持ちになったけど、どうやらそれは『耳掃除をした』という『事実』が好評を得たらしい。
このコメントを読んで、すごーく納得。(パイパン大好きさん、いつも率直なご意見をありがとうございます)
女(りん子)は面倒と『気持ちよくなってくれて嬉しい』という両方の『心』があることを重要視して、男(パイパン大好きさん)は耳掃除をしたという『事実』で評価している。
これって、心の交流を求める女と挿入して肯定を求める男の話に当てはまるのではないかと思ったら、なんだかすごーくスッキリ納得だったのです。
もちろんその感覚は共感できないけど、ピッタリの事例を目の当たりにさせてもらったので百聞は一見にしかずだったのだ。
おそらく、様々な場面で女は『心』を求め、男は『事実』を求めるのだとしたら、男女の間でよく聞く『なんでわかり合えないの?』の解決のひとつがあると思いません?
なぜかというと、基本人って、自分が求めるものを当然相手にもしますよね。
自分は目玉焼きに醤油をかける人だったら、相手にもまず醤油を差し出す、みたいな(ああ、いい例えじゃないね)
自分が本が好きだったら、ついプレゼントは本を選んでしまうとか。
よく相手を考えれば違う思考も生まれるでしょうけど、日々こなしていく日常は基本的に『自分はこうだから』という基準で無意識に行動していると思う。
だとしたら
『心』がほしいと思う女に対して、『事実』がほしい男は『事実』をあげている。
ということになる?
男は女にメールをする。
一日何往復?
朝『おはよう』夜『おやすみ』?
それとも週に一回?
なんでもいいけど。
男はとにかくメールをしているという『事実』で、あげていることになっている。
だけど『心』がほしい女は、『事実』だけじゃなんだかもらった気がしない。
もらっているはずなのに寂しい。
寂しいと訴えても、男からはあげているという返事しか来ない。
男があげているといっているのだから、寂しいと思う自分はわがままなんじゃないかと思う。
でもそんなことないよね、あげているもの(事実)とほしいもの(心)が違うのだから、女からしたらもらえていないのだ。
だから
なんで私の寂しいをわかってくれないの?
メールしてるじゃん、俺の気持ちわからない?
ということになるのではないでしょうか。
こんなふうに、お互いの『何で満足するか』が明確にわかっていないから、相手のこと好きなのにどうして『何か足りない』『わかってもらえない』のだろうという状態が生まれるのだとしたら。
どうしたら埋められるのかなって考えてみました。
女性の皆さん。
男性は『事実』であげたつもりになっていると知ることは大事ではありませんか。
そして、それを踏まえてお付き合いしたらいいと思うのです。
もちろん、それを甘んじて受け入れるわけじゃないですよ。
女性は『心がほしいのだ』と男性に教えて差し上げるのです。
だって、男性は『事実』をあげることしか知らないのだから。
そしてより確実に質の良い『心』をもらうためには、まず『心』をもらう心地よさを男性に知ってもらうことも必要ですよね。
挿入するだけみたいな『事実』より、たくさん笑って喜んで、時には泣いて仲直りして、上質な『心』のやり取りをする心地よさをいっぱい教えて差し上げる。
そして、「私は『心』をくれないともらった気持ちになりません♪」とお伝え申し上げるのだ。
『おはよう』のメールも『おやすみ』の言葉も嬉しい、だけどそこに『心』を乗っけてくれると女は満たされると。
これが正解じゃないけど、ひとつの例としてね。
『おはよう』より『おはよう。今日は寒いね』、『おやすみ』より『おやすみ。また明日ね』のほうが断然あなたの心が伝わって嬉しいと。
こんなふうに自分がなにでもらった気持ちになれるかを、相手に伝えることが大事だと思う。
これをたくさんしてもらえれば、いつしか『おはよう』も心を感じられるようになると思うけどね(多分、ある程度時間がかかる)
それで、これも大事なことだけど、『事実』で満足してきた男に『心』をくださいというのは、一度言ったからといってもらえ続けるというものではないと思います。
性差だか慣習だか知らないけど、長年『事実』だけだった男に別なものを習慣付けるには、諦めず根気よく何度も折りに触れてお伝え申し上げることも必要です。
そして、それを理解して習慣付けてくれればきっと心が乗っかった言葉やメールをもらえて、はじめてもらえた気持ちになれる。
そうすれば『なんでわかり合えないの?』と思うことも減るような気がしません?
これができれば、逆に、例えば忙しくて『心』をくれないことがあるかもしれなくても『ああ、今日は事実が精一杯なんだな』と優しい気持ちになれるかもしれないよね^^(これも大事な感覚)
良い循環ができあがると思うのです。
ちなみに。
お伝え申し上げ続けていることを『うるさい!!』で一蹴してしまうような質の悪い『心』しかは持っていない男はお付き合いの仕方を考えたほうがいいかもしれませんけど^^
ちゃんと『事実』をくれて(これ重要!!)聞く耳を持っている男あれば、『心』をもらいあげる心地よさを理解してくれる可能性が高いと思うので、こちらも伝える努力を惜しまずいたいと思うのです。
『心』と『事実』
違いを知り、認め、でも諦めない。
そんなふうにパイパン大好きさんのコメントでスッキリさせていただきながら思うのでした。
あ、書いてて、これ男女逆もかなりあるかも?と思ってきました。
ほらロマンティックな男性も多いものね。
男女関わらず『心型』と『事実型』がいるのかな、やっぱり^^
とにかく
いまだに私も『「はい」とか「了解」以外でお返事をください^^』なーんて、時々メールでお伝え申し上げております、ですので、諦めないことが肝心かと思うのでした^^
岩月謙司さんを含め、その手のエントリーもリンク〜^^
『秘訣』
『秘訣の続き』
『女は共感したい生き物である』