『心と事実』2
りん子的独り言(生意気)
*『りん子的独り言(エラそう)』では主従やSMに対して批判とも取れる書き方をしますが、すべて『満たされず、なにか苦しい思いをしている人』がいるならヒントにしていただきたいと思って書いています。
同じ関係でも『それで満たされている人』には祝福の気持ちです。どうかご了承くださいませ。
『心と事実』はたくさんの反響をいただきました^^
漠然としたことを言語化できるのってすごくすっきりして、わたし自身気持ちよかったです^^
男女の話として
男は事実でもらい与えた気持ちになり、女は心でもらい与えた気持ちになる。
だから、片方は与えたつもりになっていても片方はもらえていないと思い、なんで〜!!ってことになるのでは?
お互い違いを認識すると解決の糸口が見つかるかもね。
というようなことを書きました。
すべての男女に当てはまるわけではないのですけど、そんな傾向があるよねと楽しんでいただけたら嬉しいなと思います。
で、引き続きかなりかたよった大胆な想像をさせていただきたいのですが。
これは『心と事実』のコメント欄でもすこし話題になったけど、りん子的想像として書いてみたいと思います。
もしかして『ご主人様と奴隷』って、男性側の事実で成立せようとしている関係なのかなって思う。
男性(ご主人様)は女性(奴隷さん)に対して『飼っている』という事実のもと『調教』という事実を与え、奴隷さんからは『奉仕』や『性処理』という事実を受け取り『課題クリア』という事実で忠誠を計る。
奴隷に人格はないとか、恋愛感情は持つなとか、奴隷さんの心を制御するようなことも目にするし、それよりも『何をしたか』でデキの良い悪いを感じているご主人様が多いように思います。
忠誠心を求めるから『ご主人様のために』という心を欲しがっているようにも見えるけど、実は奴隷さん側が辛くても喜んでてもあんまり関係ない気がしません?
『ご主人様のために』というラッピングはさせているけど、中身は事実でもらった気持ちになるのがご主人様?
当然ご主人様が主導の関係でしょうから、だとすると事実を与え、事実でもらった気持ちになることで成立させるのが『ご主人様と奴隷』なんじゃないかと想像したのでした。
で、これもすべてに当てはまるわけではないのでうが、この『心と事実』が『ご主人様と奴隷さん』の間で起こると、奴隷さん自身が負のスパイラルに巻き込まれてしまう?と、また頼まれもしないのに想像してしまったので、ご披露させてください。
事実であげたと思っている男性とと心じゃないともらった気がしない女性がご主人様と奴隷さんになったら、普通の恋人同士はつまずく『心と事実』よりも、解決の糸口が見えないような気がします。
もちろんコミュニケーションが上手に取れているカップルもいるのですから、あくまでも『もしも』だと思ってくださいね。
ご主人様は事実を与えている。
もしかしたら、普通の恋人よりもその事実自体少ないかもしれない。
だって、一般的な主従の場合奴隷さんが与える側だものね。
少ない上に事実なのだから、恐らくその奴隷さんはかなり不安になると思うのです。
飼うといってくれているけど、なんだか実感がわかない。
ときどきもらえるメールも、なんだか寂しい。
で、これが普通の恋人なら『寂しいよ〜』と訴えることができて解決に進むかもしれないし、訴えられるだけでも心の負担は違うだろう。
でも、基本『わがままを言っちゃいけない』とされている奴隷さんだったら。
この寂しいをいってはいけないのではないと、まず我慢するよね。
それでも、人間だもの寂しいと我慢が積もれば、どうしたって表に出る。
寂しい理由もわからないまま、意を決して寂しいを伝える。
もしくは、落ち込む態度に出てしまう。
だけど、それはご主人様と奴隷の間では『わがまま』になるのだよね。
だってご主人様からしたら事実をあげているのだもの。
そして『わがままをいうデキの悪い奴隷』という烙印を押される。
奴隷さんは問題解決もできないまま、ただごめんなさいをするしかない。
だって、事実じゃもらえていないことをわからないのだからね、謝るしかない。
一度『ごめんなさい』をした奴隷さんは、それ以降さらに寂しいを伝えることもできず、また我慢する。
そしてまた我慢が積もって、寂しいと思う自分を責め、表に出すことで『ごめんなさい』を増やす。
こんな負のスパイラルを想像してしまったのです。
その『寂しい』は、事実しか(しかも多分少ない)もらえていないから正当だと思えたら、奴隷さん自身どんなにラクでしょう。
そこから、解決のスタートを切れると思いません?
心がないともらえた気がしないと訴えてもいいし。
もしかしたら、恋人とは違うのだから事実で満足するような関係を作ることになるかもしれない。
それだとしても、それがわかっているのといないのでは奴隷さんの負担が全然違うよね。
いずれにしても、その訴えに耳を貸さない人をご主人様にするのはおススメしないけど。
ただでさえ『優劣』らしきものがある主従が多いのだから、奴隷さんが不当な『ごめんなさい』ばかり増やす付き合いはやめたほうがいいよね。(『不当な』ですよ)
『心と事実』のご主人様と奴隷さんヴァージョンは一歩間違うと奴隷さんが負のスパイラルに陥る可能性があるかもしれないですよね。
そうじゃないカップルはたくさんいます。
むしろわたしが直接知っている方々などは心も通わせている方ばかりです。
もっというと、心のほうが立派で事実は劣ってるともいいません^^(わたしは心がいいけれどね)
ただ、時々表面上『事実による負のスパイラル』みたいに見えるブログなどを読んで、主従でも『心と事実』の認識があればラクだろうな〜と思ったのでした。
問題の本質がわかると解決に繋がりますものね。
不当な『ごめんなさい』はいらないよね^^
*『りん子的独り言(エラそう)』では主従やSMに対して批判とも取れる書き方をしますが、すべて『満たされず、なにか苦しい思いをしている人』がいるならヒントにしていただきたいと思って書いています。
同じ関係でも『それで満たされている人』には祝福の気持ちです。どうかご了承くださいませ。
『心と事実』はたくさんの反響をいただきました^^
漠然としたことを言語化できるのってすごくすっきりして、わたし自身気持ちよかったです^^
男女の話として
男は事実でもらい与えた気持ちになり、女は心でもらい与えた気持ちになる。
だから、片方は与えたつもりになっていても片方はもらえていないと思い、なんで〜!!ってことになるのでは?
お互い違いを認識すると解決の糸口が見つかるかもね。
というようなことを書きました。
すべての男女に当てはまるわけではないのですけど、そんな傾向があるよねと楽しんでいただけたら嬉しいなと思います。
で、引き続きかなりかたよった大胆な想像をさせていただきたいのですが。
これは『心と事実』のコメント欄でもすこし話題になったけど、りん子的想像として書いてみたいと思います。
もしかして『ご主人様と奴隷』って、男性側の事実で成立せようとしている関係なのかなって思う。
男性(ご主人様)は女性(奴隷さん)に対して『飼っている』という事実のもと『調教』という事実を与え、奴隷さんからは『奉仕』や『性処理』という事実を受け取り『課題クリア』という事実で忠誠を計る。
奴隷に人格はないとか、恋愛感情は持つなとか、奴隷さんの心を制御するようなことも目にするし、それよりも『何をしたか』でデキの良い悪いを感じているご主人様が多いように思います。
忠誠心を求めるから『ご主人様のために』という心を欲しがっているようにも見えるけど、実は奴隷さん側が辛くても喜んでてもあんまり関係ない気がしません?
『ご主人様のために』というラッピングはさせているけど、中身は事実でもらった気持ちになるのがご主人様?
当然ご主人様が主導の関係でしょうから、だとすると事実を与え、事実でもらった気持ちになることで成立させるのが『ご主人様と奴隷』なんじゃないかと想像したのでした。
で、これもすべてに当てはまるわけではないのでうが、この『心と事実』が『ご主人様と奴隷さん』の間で起こると、奴隷さん自身が負のスパイラルに巻き込まれてしまう?と、また頼まれもしないのに想像してしまったので、ご披露させてください。
事実であげたと思っている男性とと心じゃないともらった気がしない女性がご主人様と奴隷さんになったら、普通の恋人同士はつまずく『心と事実』よりも、解決の糸口が見えないような気がします。
もちろんコミュニケーションが上手に取れているカップルもいるのですから、あくまでも『もしも』だと思ってくださいね。
ご主人様は事実を与えている。
もしかしたら、普通の恋人よりもその事実自体少ないかもしれない。
だって、一般的な主従の場合奴隷さんが与える側だものね。
少ない上に事実なのだから、恐らくその奴隷さんはかなり不安になると思うのです。
飼うといってくれているけど、なんだか実感がわかない。
ときどきもらえるメールも、なんだか寂しい。
で、これが普通の恋人なら『寂しいよ〜』と訴えることができて解決に進むかもしれないし、訴えられるだけでも心の負担は違うだろう。
でも、基本『わがままを言っちゃいけない』とされている奴隷さんだったら。
この寂しいをいってはいけないのではないと、まず我慢するよね。
それでも、人間だもの寂しいと我慢が積もれば、どうしたって表に出る。
寂しい理由もわからないまま、意を決して寂しいを伝える。
もしくは、落ち込む態度に出てしまう。
だけど、それはご主人様と奴隷の間では『わがまま』になるのだよね。
だってご主人様からしたら事実をあげているのだもの。
そして『わがままをいうデキの悪い奴隷』という烙印を押される。
奴隷さんは問題解決もできないまま、ただごめんなさいをするしかない。
だって、事実じゃもらえていないことをわからないのだからね、謝るしかない。
一度『ごめんなさい』をした奴隷さんは、それ以降さらに寂しいを伝えることもできず、また我慢する。
そしてまた我慢が積もって、寂しいと思う自分を責め、表に出すことで『ごめんなさい』を増やす。
こんな負のスパイラルを想像してしまったのです。
その『寂しい』は、事実しか(しかも多分少ない)もらえていないから正当だと思えたら、奴隷さん自身どんなにラクでしょう。
そこから、解決のスタートを切れると思いません?
心がないともらえた気がしないと訴えてもいいし。
もしかしたら、恋人とは違うのだから事実で満足するような関係を作ることになるかもしれない。
それだとしても、それがわかっているのといないのでは奴隷さんの負担が全然違うよね。
いずれにしても、その訴えに耳を貸さない人をご主人様にするのはおススメしないけど。
ただでさえ『優劣』らしきものがある主従が多いのだから、奴隷さんが不当な『ごめんなさい』ばかり増やす付き合いはやめたほうがいいよね。(『不当な』ですよ)
『心と事実』のご主人様と奴隷さんヴァージョンは一歩間違うと奴隷さんが負のスパイラルに陥る可能性があるかもしれないですよね。
そうじゃないカップルはたくさんいます。
むしろわたしが直接知っている方々などは心も通わせている方ばかりです。
もっというと、心のほうが立派で事実は劣ってるともいいません^^(わたしは心がいいけれどね)
ただ、時々表面上『事実による負のスパイラル』みたいに見えるブログなどを読んで、主従でも『心と事実』の認識があればラクだろうな〜と思ったのでした。
問題の本質がわかると解決に繋がりますものね。
不当な『ごめんなさい』はいらないよね^^