天の邪鬼でアブノーマルな那智さん
独特な幸福感
「お願いします。今日は優しく抱かないでください。」
いまあることで那智さんの心は弱っている。
元々弱音を吐く人ではない。
表に出さないかきちんと相談するか、どちらかな人だ。
心を汲み取ってもらおうと思わせぶりにため息をついたりしない人だ。
そんな那智さんの声の微妙な変化に気付いた私から問いかけて、実はちょっと問題を抱えていると打ち明けてくれたのだ。
少しの変化に気付けたこと、もしくは心の変化を見せられるほど、私が信頼に足るのか、どちらにしても嬉しい。
そういう心が弱っている状況、それに私が気付き打ち明けてくれたことは数年の付き合いで、今回で二回だけだ。
それほどに自分の足で立っていられる那智さんは素敵だし、憧れる。
でも、同時に切なくもなる。
「大変だ!どうしよう!!」って弱音を吐けたら、その一瞬は気が紛れるのではないだろうか。
それをほとんどしない那智さん、そんな人が垣間見せる「弱さ」は、ちょっと痛々しい。
「もし良ければ教えてください。」
「じゃあ、会ったときに話すよ。」
ビールで乾杯する前に話しておこうと、弱っている原因を教えてくれる。
一通り聞いて、私が直接力になれることではなく、おそらく1人で考え結論を出す問題とわかって、落ち着く。
まったく問題は解決していないが、私はいつも通りにしているしかないのだ。
不安ではあるが、ある意味落ち着けた。
「離れていることが不自然に思える。」
一緒にいることが自然だというほど、積極的な意味ではないが、その思いはお互いに日々募っている。
それでも、周りを傷つけず、周りも幸福になるように努める、このバランスを保っていられるのは那智さんの力だと思っている。(私も努力してますけど・・あんまり強くない)
だから、那智さんの心が弱っていると、そのバランスが少しずれてしまう。
本当は、私がしっかりして那智さんの支えにならなければいけないのかもしれないが、とにかく今日は涙が出てしかたがない。
那智さんと一緒にいるときの涙は、ほとんど幸せの涙になるのに、今日は悲しい涙だ。
お互い(私だけかな)決定的な言葉を吐いてしまいそうで、それを言わずに回避するための代用の涙だ。
心が弱ってバランスが崩れているときに言うと、それこそ陶酔で終わってしまいそうな言葉。
それと、涙を流せない那智さんの代わりに流す涙だ。
1人で解決するであろう那智さんに私ができることは、痛みを共感すること。
そんな意識して泣いているわけではないけれど、涙が溢れてしかたがない。
大変なのは那智さんなのに「しょうがねーなー」って感じで、私の手を握りベッドへ引っ張っていく。
何かを確認するように裸で抱き合って、頬をくっつけて髪を撫でる。
「お願いします。今日は優しく抱かないでください。」
涙声になってしまわないように、声を殺して吐息まじりでお願いする。
今日、これ以上普通に優しく抱かれたら、歯止めがきかなくなりそう。
でも、結局歯止めをかけるのだから、歯止めがきかないかもしれないと自覚してしまうことは、傷心以外の何物でもない。
それを味わうくらいなら、優しく抱かれたくはない。
いいえ、違うかもしれない。
私たちの愛し方でとことん抱かれて、もうこの人しかいないととどめを刺して、行き着く景色を見てしまいたいのかもしれない。
だから、優しいセックスをしないようにお願いしたのかもしれない。
または、こんな感情もあるだろう。
私は、那智さんに対して切ない感情を持った。
同情に近いものだろう。
「惹かれ合う理由」の「私について(見下しと不安)」や「白旗を上げた日」などで触れたが、私は男の人を甘やかすのが上手い、それは見下す快感を得たいがために甘やかせて相手を下に見るのだ。
これには相手に「同情」する感覚だ。
那智さんに対する「切なさ」や「痛々しさ」が、この同情に似ているのだ。
だから、私に酷いことをして、私をみじめにして、私をはしたなくさせて、那智さんを哀れむ感情の入る余地のないくらい私をおとしめてもらいたかったのではないだろうか。
もし那智さんがこの感情に気付いていても、その場では酷いことはしないだろうということは、冷静な今なら想像できる。
心が弱っていることを伝えた直後に、私を落とす行為をするのは子供っぽいやり方だもの。
八つ当たりに見えてしまう。
時間が経って、後に検証して、実行に移す人だもの。
優しくしないでなんて、私自身も本意がはっきりしないまま訴えた言葉だ。
どう判断するかは、那智さんの自由。
強く強く、息が苦しくなるほど強く抱きしめられ、私は声を上げて泣き、もうくっついて離れなくなってくれないかと願うほど頬をつけ、嗚咽を止めることができない。
そしてこれ以上ないくらい優しく私を抱いた。
もう私は、どうしたら良いかわからずに、優しい腕の中でされるがままになっていた。
那智さんのしてくれることが私の幸福だ。
抱きたいように、抱いてくれれば私の喜びになる。
那智さんに委ねよう、この時やっと悲しい涙ではなくなったのだ。
結局、私のお願い事と反対のことをした那智さん、やっぱり天の邪鬼♪
でも、数時間後「痛くて悲鳴を上げる」ことに発展してしまうのでした。
普通に優しいだけじゃ、飽き足りない那智さんは、やっぱり特殊な愛し方?
私は那智さんの味方です。
根拠はないけど、私がついているから大丈夫。
いままでたくさん助けてもらった那智さんに、根拠ない自信でお返しをする。
大丈夫、上手くいってもいかなくても、私がついているから大丈夫。
「お願いします。今日は優しく抱かないでください。」
いまあることで那智さんの心は弱っている。
元々弱音を吐く人ではない。
表に出さないかきちんと相談するか、どちらかな人だ。
心を汲み取ってもらおうと思わせぶりにため息をついたりしない人だ。
そんな那智さんの声の微妙な変化に気付いた私から問いかけて、実はちょっと問題を抱えていると打ち明けてくれたのだ。
少しの変化に気付けたこと、もしくは心の変化を見せられるほど、私が信頼に足るのか、どちらにしても嬉しい。
そういう心が弱っている状況、それに私が気付き打ち明けてくれたことは数年の付き合いで、今回で二回だけだ。
それほどに自分の足で立っていられる那智さんは素敵だし、憧れる。
でも、同時に切なくもなる。
「大変だ!どうしよう!!」って弱音を吐けたら、その一瞬は気が紛れるのではないだろうか。
それをほとんどしない那智さん、そんな人が垣間見せる「弱さ」は、ちょっと痛々しい。
「もし良ければ教えてください。」
「じゃあ、会ったときに話すよ。」
ビールで乾杯する前に話しておこうと、弱っている原因を教えてくれる。
一通り聞いて、私が直接力になれることではなく、おそらく1人で考え結論を出す問題とわかって、落ち着く。
まったく問題は解決していないが、私はいつも通りにしているしかないのだ。
不安ではあるが、ある意味落ち着けた。
「離れていることが不自然に思える。」
一緒にいることが自然だというほど、積極的な意味ではないが、その思いはお互いに日々募っている。
それでも、周りを傷つけず、周りも幸福になるように努める、このバランスを保っていられるのは那智さんの力だと思っている。(私も努力してますけど・・あんまり強くない)
だから、那智さんの心が弱っていると、そのバランスが少しずれてしまう。
本当は、私がしっかりして那智さんの支えにならなければいけないのかもしれないが、とにかく今日は涙が出てしかたがない。
那智さんと一緒にいるときの涙は、ほとんど幸せの涙になるのに、今日は悲しい涙だ。
お互い(私だけかな)決定的な言葉を吐いてしまいそうで、それを言わずに回避するための代用の涙だ。
心が弱ってバランスが崩れているときに言うと、それこそ陶酔で終わってしまいそうな言葉。
それと、涙を流せない那智さんの代わりに流す涙だ。
1人で解決するであろう那智さんに私ができることは、痛みを共感すること。
そんな意識して泣いているわけではないけれど、涙が溢れてしかたがない。
大変なのは那智さんなのに「しょうがねーなー」って感じで、私の手を握りベッドへ引っ張っていく。
何かを確認するように裸で抱き合って、頬をくっつけて髪を撫でる。
「お願いします。今日は優しく抱かないでください。」
涙声になってしまわないように、声を殺して吐息まじりでお願いする。
今日、これ以上普通に優しく抱かれたら、歯止めがきかなくなりそう。
でも、結局歯止めをかけるのだから、歯止めがきかないかもしれないと自覚してしまうことは、傷心以外の何物でもない。
それを味わうくらいなら、優しく抱かれたくはない。
いいえ、違うかもしれない。
私たちの愛し方でとことん抱かれて、もうこの人しかいないととどめを刺して、行き着く景色を見てしまいたいのかもしれない。
だから、優しいセックスをしないようにお願いしたのかもしれない。
または、こんな感情もあるだろう。
私は、那智さんに対して切ない感情を持った。
同情に近いものだろう。
「惹かれ合う理由」の「私について(見下しと不安)」や「白旗を上げた日」などで触れたが、私は男の人を甘やかすのが上手い、それは見下す快感を得たいがために甘やかせて相手を下に見るのだ。
これには相手に「同情」する感覚だ。
那智さんに対する「切なさ」や「痛々しさ」が、この同情に似ているのだ。
だから、私に酷いことをして、私をみじめにして、私をはしたなくさせて、那智さんを哀れむ感情の入る余地のないくらい私をおとしめてもらいたかったのではないだろうか。
もし那智さんがこの感情に気付いていても、その場では酷いことはしないだろうということは、冷静な今なら想像できる。
心が弱っていることを伝えた直後に、私を落とす行為をするのは子供っぽいやり方だもの。
八つ当たりに見えてしまう。
時間が経って、後に検証して、実行に移す人だもの。
優しくしないでなんて、私自身も本意がはっきりしないまま訴えた言葉だ。
どう判断するかは、那智さんの自由。
強く強く、息が苦しくなるほど強く抱きしめられ、私は声を上げて泣き、もうくっついて離れなくなってくれないかと願うほど頬をつけ、嗚咽を止めることができない。
そしてこれ以上ないくらい優しく私を抱いた。
もう私は、どうしたら良いかわからずに、優しい腕の中でされるがままになっていた。
那智さんのしてくれることが私の幸福だ。
抱きたいように、抱いてくれれば私の喜びになる。
那智さんに委ねよう、この時やっと悲しい涙ではなくなったのだ。
結局、私のお願い事と反対のことをした那智さん、やっぱり天の邪鬼♪
でも、数時間後「痛くて悲鳴を上げる」ことに発展してしまうのでした。
普通に優しいだけじゃ、飽き足りない那智さんは、やっぱり特殊な愛し方?
私は那智さんの味方です。
根拠はないけど、私がついているから大丈夫。
いままでたくさん助けてもらった那智さんに、根拠ない自信でお返しをする。
大丈夫、上手くいってもいかなくても、私がついているから大丈夫。
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