執着
りん子的独り言(生意気)
M女さんのブログを徘徊していると、ご主人様となかなか会えないという方のお話を目にすることがある。
遠距離だったり、お忙しい方だったり、お互いのスケジュール調整が難しかったり。
ブログに寂しい気持ちを書いたり、またご主人様に聞いていただいたりしながら、頑張っている様子を拝見すると、早く会えるといいなと思ってしまいます。
中には、半期に一度や四半期に一度くらい、やっと連絡をもらってお会いできているなんていう方を知ると、大丈夫かな?なんてお節介に思ったり。
コミュニケーションに関しては贅沢すぎるほど取っているわたしだから、感謝しなきゃなと改めて思います。
依存心がとても強いわたしは、わずかな連絡と数ヶ月に一度会うという関係なんてとても耐えられそうにない、ぜったいにできない。
頭の下がる思いでそう思うけど、ふと、いやできると別な思考が生まれた。
ぜったいにできない、でも、できる。
うんとね、正確にいうと、ぜったいにできない、でも、できていた、だ。
がんばって耐え忍んでいる彼女たちとは根本が違うのでしょうけれど、表に現れている状態だけ見れば、わたしもかつて同じような立場で耐え忍んでいたんだ。
『二回目の旅』をしたとき。
ほとんど連絡も取れない人でやっと連絡が取れて3、4ヶ月に一度会うという関係だった。
自分のことをほとんど明かさないその人、わたしのこともほとんど聞かず、ただ『あなたのM性を引き出す』と言われるままに『ご主人様と奴隷』になった。
当時わたしは携帯電話もパソコンも持っておらず、連絡方法といえばその人がプライベートで使っている(らしい)事務所に電話をかけるしかなかった。
ただそこにはいつもいるわけではなく、電話をしてもほとんどいない。
何度もかけて、たまたまいたときに話せる状況だったらラッキーという連絡の取り方だった。
ごくたまに、使っていた伝言ダイヤルに『今日は事務所にいる』などとメッセージが入っているときがあり、そういうときだけは確実に話せた。
それでも、内容といえば『お前はばかだ』とか『会いたいと言ったら会ってやる』みたいな会話を繰り返す程度で、まったく実りのないものだった。
それなのに、わたしは連絡し続けて、伝言ダイヤルのメッセージを確認しまくった。
夜事務所に電話をして、留守電に切り替わったら、切り。
すぐリダイヤルを押して、また留守電で切る。
またすぐリダイヤル。
いま、切った瞬間にドアを開けたかもしれない。
鍵を挿したと同時に留守電に切り替わったのかもしれない。
そんなふうに、無理矢理な妄想にかき立てられるように何度も何度もかけては切り、かけては切りを繰り返す夜も一度や二度ではなかった。
(妄想少女炸裂、痛いよね^^;)
今思えば、数ヶ月に一度会っても写真撮影をしてセックスをするだけで『M性を引き出して』もらえた感じもしないし、同じように数週間に一度やっと電話が繋がっても『ばか』としか言われないのに。
なぜか、わたしは電話をかけまくり、会う日取りを決めていた。
そのときはわけもなく必死で、この人がわたしの『M性を引き出して』くれる唯一の存在だと納得していたけれど。
いろんな経験をして、かつての自分を客観視できるようになって(図らずもM性を引き出してもらって 笑)、あれは『執着』だったんだと思うのだ。
いくつかの『執着』が重なり合った、恐ろしく痛い状況だったんだよね。
『M性を引き出す』と言ってくれて、わたしを支配するご主人様の奴隷になった。
その人と数ヶ月に一度会うだけの関係を続けられたのは、その人が唯一の存在なんかではなくて。
満たされないがための『執着』だったんだよね。
わたしは、依存心と性癖の両方が絡み合ったその大きな塊を満足させるために、とにかく必死だった。
だから、写真撮影とセックスだけの調教が終わり、帰り道にわずかに『安堵』していた気持ちに気づかないふりをしていた。
そして、またすぐ会いたいと『枯渇』し翌日からかけては切りの夜を送ることを、それはご主人様を慕う気持ちと勘違いさせていた。
でも、あの『安堵』と『枯渇』は、ほしいものが手に入っていない証拠だったのだと思う。
人は手に入らないと、より執着するものね。
この『安堵』っていうのが気付きにくいけど、大きなポイントだと思う。
女は、削り取るようにして男性に自分の大事な性を明け渡す。
特にわたしは奴隷と思っていたので、上下関係の幻想の中、相手のことをほとんど知らなくても明け渡すものだと思っていたから、気づかないうちに相当消耗していたんだと思う。
そこから解放された帰り道に胸を撫で下ろすように『安堵』していたんだ。
そして、すぐに繋がることばかりに必死になってしまう。
これは、結局満たされていないが故の『枯渇』。
次、電話が繋がれば依存先として安心させてくれるかもしれない。
次会えば、被虐願望を満たしてくれるかもしれない。
大事なものを消耗して、ほしいものがもらえない。
ほしいものを手に入れたいために執着する。
それが、数ヶ月に一度だけ会う関係にすがりつかせていたのだと思う。
ご主人様にご調教いただき、心も体も満たされたなんて思っていたけど、あれは嘘だ。
唯一の存在と自らに言い聞かせていただけだ。
大きな欲望の塊を満たすのは死活問題だったから、自分に言い聞かせ続けていくことしか生きる道はないと必死だったんだよね。
いま、那智さんと付き合ってその違いを感じて、はじめてあれは不健全な執着だったと思う。
なぜなら、那智さんと会った帰り道、わたしは胸を撫で下ろすような安堵はしていないんだ。
心が充実して、安堵していることはしているけれど。
大好きな那智さんにいつもいつも会いたいと思うけど、それとは別に那智さんに会うとパワーが湧くのだ。
安心して、明日からまた頑張ろうという気持ちになる。
あの、焦燥感に駆られるような必死な枯渇とは違う気持ちで『会いたい』と思える。
その違いを知って、はじめてあれは不健全な『執着』だったんだと思うの。
それと、もうひとつの『執着』は。
わたしが願望を叶えたいと相手を捜していたのは、伝言ダイヤルやツーショットダイヤルというものだった。
まだ、携帯もいまほど普及していなくて、出会いの媒体としては掲示板などと半々くらいだったのではないかしら。(だから、わたしはネットの出会い系というのはまったく経験ないのです)
文字でやり取りを始めたことがないから、これは電話での経験からしか言えないのだけど。
当時わたしは電話をかけるたびに、肉声を聞かせて『マゾ』ですと伝えることの怖さや気分の悪さを常に感じていた。
願望が叶うかもしれないとかけ始めた頃も、テレクラ依存していてかけまくっていた頃でさえ、そう思っていた。
誰にも言えない自分でも持て余しているアブノーマルな性癖を、どこの馬の骨かもわからない男性に伝えることは、とても勇気がいる。
顔も見えないし気軽に話せばなんて思えないほど、きっと厄介な性癖だと自分で思っていたのかもしれない。
そして、なんとか会うことになるのだけど、これは会話を始める以上に、怖い。
危ない人じゃないかという怖さは当然なんだけど。
わたしが『マゾ』だと知られていて対面するというのは、いきなり見ず知らずの人にクローゼットの中を物色されるような気持ち悪さと居たたまれなさと、見透かされているような若干の怒りさえ覚えた。
そんな自分の大事な、なんだろ、性?純情?とにかく大事な何かを知らない男性に晒す恐ろしさ。
晒し期待し諦める、何度もそんなことを繰り返さずにいたいと思うのは、当然のこと。
ラブアフェアを楽しんでいるのではないのだから、こんなことはできればしたくないんだ。
だけど、どうしても叶えずにはいられない。
たまたま電話で繋がった『M性を引き出してくれる』という『ご主人様』、この人で最後にしたいと思うのだ。
だから、必死にすがる。
いま、もらえなくても、次もらえるかもしれないと。
また一から他の人を探し、知らない男性に自分のクローゼットを公開する恐ろしさを味わわないといけないなら、このご主人様がくれるのを待とうと思っていたのだ。
(もちろん、いまだから、そう思えるのですけどね。)
たくさん明け渡しているのに依存先も性癖も満たしてくれない。
自分の性癖を晒す気持ち悪さと徒労感を避けたい。
だから、くれそうな人に執着していたんじゃないかと思う。
人って手に入らないものにより固執してしまうものね、そこに『その人』だからいいという要素はなかったんだね、わたしの場合。
できなけど、できていた。
その『執着』が、数ヶ月に一度の逢瀬でも続けられた要因だと思うのです。
自分のほしいものをちゃんと見極めてそれを満たすにはどうすればいいか、あのときのわたしはわからず悪循環を繰り返していたのですね。
なかなか会えないM女さんのブログを読んで、頑張っている彼女たちとは違うモチベーションで同じようなことをしていたことを思い出したのでした。
あと、もうひとつね、この『執着』には『復讐』の要素もあると思っているのだけど、それはまた別の機会で。
疲れちゃっいました(笑)
女って怖いでしょ〜。
って、わたしだけか!?
M女さんのブログを徘徊していると、ご主人様となかなか会えないという方のお話を目にすることがある。
遠距離だったり、お忙しい方だったり、お互いのスケジュール調整が難しかったり。
ブログに寂しい気持ちを書いたり、またご主人様に聞いていただいたりしながら、頑張っている様子を拝見すると、早く会えるといいなと思ってしまいます。
中には、半期に一度や四半期に一度くらい、やっと連絡をもらってお会いできているなんていう方を知ると、大丈夫かな?なんてお節介に思ったり。
コミュニケーションに関しては贅沢すぎるほど取っているわたしだから、感謝しなきゃなと改めて思います。
依存心がとても強いわたしは、わずかな連絡と数ヶ月に一度会うという関係なんてとても耐えられそうにない、ぜったいにできない。
頭の下がる思いでそう思うけど、ふと、いやできると別な思考が生まれた。
ぜったいにできない、でも、できる。
うんとね、正確にいうと、ぜったいにできない、でも、できていた、だ。
がんばって耐え忍んでいる彼女たちとは根本が違うのでしょうけれど、表に現れている状態だけ見れば、わたしもかつて同じような立場で耐え忍んでいたんだ。
『二回目の旅』をしたとき。
ほとんど連絡も取れない人でやっと連絡が取れて3、4ヶ月に一度会うという関係だった。
自分のことをほとんど明かさないその人、わたしのこともほとんど聞かず、ただ『あなたのM性を引き出す』と言われるままに『ご主人様と奴隷』になった。
当時わたしは携帯電話もパソコンも持っておらず、連絡方法といえばその人がプライベートで使っている(らしい)事務所に電話をかけるしかなかった。
ただそこにはいつもいるわけではなく、電話をしてもほとんどいない。
何度もかけて、たまたまいたときに話せる状況だったらラッキーという連絡の取り方だった。
ごくたまに、使っていた伝言ダイヤルに『今日は事務所にいる』などとメッセージが入っているときがあり、そういうときだけは確実に話せた。
それでも、内容といえば『お前はばかだ』とか『会いたいと言ったら会ってやる』みたいな会話を繰り返す程度で、まったく実りのないものだった。
それなのに、わたしは連絡し続けて、伝言ダイヤルのメッセージを確認しまくった。
夜事務所に電話をして、留守電に切り替わったら、切り。
すぐリダイヤルを押して、また留守電で切る。
またすぐリダイヤル。
いま、切った瞬間にドアを開けたかもしれない。
鍵を挿したと同時に留守電に切り替わったのかもしれない。
そんなふうに、無理矢理な妄想にかき立てられるように何度も何度もかけては切り、かけては切りを繰り返す夜も一度や二度ではなかった。
(妄想少女炸裂、痛いよね^^;)
今思えば、数ヶ月に一度会っても写真撮影をしてセックスをするだけで『M性を引き出して』もらえた感じもしないし、同じように数週間に一度やっと電話が繋がっても『ばか』としか言われないのに。
なぜか、わたしは電話をかけまくり、会う日取りを決めていた。
そのときはわけもなく必死で、この人がわたしの『M性を引き出して』くれる唯一の存在だと納得していたけれど。
いろんな経験をして、かつての自分を客観視できるようになって(図らずもM性を引き出してもらって 笑)、あれは『執着』だったんだと思うのだ。
いくつかの『執着』が重なり合った、恐ろしく痛い状況だったんだよね。
『M性を引き出す』と言ってくれて、わたしを支配するご主人様の奴隷になった。
その人と数ヶ月に一度会うだけの関係を続けられたのは、その人が唯一の存在なんかではなくて。
満たされないがための『執着』だったんだよね。
わたしは、依存心と性癖の両方が絡み合ったその大きな塊を満足させるために、とにかく必死だった。
だから、写真撮影とセックスだけの調教が終わり、帰り道にわずかに『安堵』していた気持ちに気づかないふりをしていた。
そして、またすぐ会いたいと『枯渇』し翌日からかけては切りの夜を送ることを、それはご主人様を慕う気持ちと勘違いさせていた。
でも、あの『安堵』と『枯渇』は、ほしいものが手に入っていない証拠だったのだと思う。
人は手に入らないと、より執着するものね。
この『安堵』っていうのが気付きにくいけど、大きなポイントだと思う。
女は、削り取るようにして男性に自分の大事な性を明け渡す。
特にわたしは奴隷と思っていたので、上下関係の幻想の中、相手のことをほとんど知らなくても明け渡すものだと思っていたから、気づかないうちに相当消耗していたんだと思う。
そこから解放された帰り道に胸を撫で下ろすように『安堵』していたんだ。
そして、すぐに繋がることばかりに必死になってしまう。
これは、結局満たされていないが故の『枯渇』。
次、電話が繋がれば依存先として安心させてくれるかもしれない。
次会えば、被虐願望を満たしてくれるかもしれない。
大事なものを消耗して、ほしいものがもらえない。
ほしいものを手に入れたいために執着する。
それが、数ヶ月に一度だけ会う関係にすがりつかせていたのだと思う。
ご主人様にご調教いただき、心も体も満たされたなんて思っていたけど、あれは嘘だ。
唯一の存在と自らに言い聞かせていただけだ。
大きな欲望の塊を満たすのは死活問題だったから、自分に言い聞かせ続けていくことしか生きる道はないと必死だったんだよね。
いま、那智さんと付き合ってその違いを感じて、はじめてあれは不健全な執着だったと思う。
なぜなら、那智さんと会った帰り道、わたしは胸を撫で下ろすような安堵はしていないんだ。
心が充実して、安堵していることはしているけれど。
大好きな那智さんにいつもいつも会いたいと思うけど、それとは別に那智さんに会うとパワーが湧くのだ。
安心して、明日からまた頑張ろうという気持ちになる。
あの、焦燥感に駆られるような必死な枯渇とは違う気持ちで『会いたい』と思える。
その違いを知って、はじめてあれは不健全な『執着』だったんだと思うの。
それと、もうひとつの『執着』は。
わたしが願望を叶えたいと相手を捜していたのは、伝言ダイヤルやツーショットダイヤルというものだった。
まだ、携帯もいまほど普及していなくて、出会いの媒体としては掲示板などと半々くらいだったのではないかしら。(だから、わたしはネットの出会い系というのはまったく経験ないのです)
文字でやり取りを始めたことがないから、これは電話での経験からしか言えないのだけど。
当時わたしは電話をかけるたびに、肉声を聞かせて『マゾ』ですと伝えることの怖さや気分の悪さを常に感じていた。
願望が叶うかもしれないとかけ始めた頃も、テレクラ依存していてかけまくっていた頃でさえ、そう思っていた。
誰にも言えない自分でも持て余しているアブノーマルな性癖を、どこの馬の骨かもわからない男性に伝えることは、とても勇気がいる。
顔も見えないし気軽に話せばなんて思えないほど、きっと厄介な性癖だと自分で思っていたのかもしれない。
そして、なんとか会うことになるのだけど、これは会話を始める以上に、怖い。
危ない人じゃないかという怖さは当然なんだけど。
わたしが『マゾ』だと知られていて対面するというのは、いきなり見ず知らずの人にクローゼットの中を物色されるような気持ち悪さと居たたまれなさと、見透かされているような若干の怒りさえ覚えた。
そんな自分の大事な、なんだろ、性?純情?とにかく大事な何かを知らない男性に晒す恐ろしさ。
晒し期待し諦める、何度もそんなことを繰り返さずにいたいと思うのは、当然のこと。
ラブアフェアを楽しんでいるのではないのだから、こんなことはできればしたくないんだ。
だけど、どうしても叶えずにはいられない。
たまたま電話で繋がった『M性を引き出してくれる』という『ご主人様』、この人で最後にしたいと思うのだ。
だから、必死にすがる。
いま、もらえなくても、次もらえるかもしれないと。
また一から他の人を探し、知らない男性に自分のクローゼットを公開する恐ろしさを味わわないといけないなら、このご主人様がくれるのを待とうと思っていたのだ。
(もちろん、いまだから、そう思えるのですけどね。)
たくさん明け渡しているのに依存先も性癖も満たしてくれない。
自分の性癖を晒す気持ち悪さと徒労感を避けたい。
だから、くれそうな人に執着していたんじゃないかと思う。
人って手に入らないものにより固執してしまうものね、そこに『その人』だからいいという要素はなかったんだね、わたしの場合。
できなけど、できていた。
その『執着』が、数ヶ月に一度の逢瀬でも続けられた要因だと思うのです。
自分のほしいものをちゃんと見極めてそれを満たすにはどうすればいいか、あのときのわたしはわからず悪循環を繰り返していたのですね。
なかなか会えないM女さんのブログを読んで、頑張っている彼女たちとは違うモチベーションで同じようなことをしていたことを思い出したのでした。
あと、もうひとつね、この『執着』には『復讐』の要素もあると思っているのだけど、それはまた別の機会で。
疲れちゃっいました(笑)
女って怖いでしょ〜。
って、わたしだけか!?
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