幸福を作るツールとしての主従
りん子的独り言(生意気)
主従だから甘えられる。
主従だから甘えちゃいけない。
奴隷だからすべてを委ねる。
奴隷だから依存してはいけない。
両方を別の場所で、もしくはひとりの人の言葉として目にすることがある。
この相反する見解、同一人物からの場合は自己矛盾を孕んだ言葉。
主従は甘えてよくて、甘えてはいけなくて、奴隷は委ねるけど依存してはいけないのか。
最近のわたしは寛容なので(笑)、人によって都合良く解釈が変わろうが、矛盾を孕んでいようが、かまわない。
◯◯の定義なんていうものを論じるほどの気合いもない。
だから、どちらでもかまわないのだけど。
ようは、それが幸福を作るツールであればいいとだけは、思う。
普段、人の上に立つような立場の人の心をほぐすために主従であるほうがやりやすいかもしれないし、快感を得るための免罪符として奴隷的立場であるほうがよいこともあるかもしれないものね。
人によって解釈もバラバラで、(まあ、中には『〜であるべき』な他者の解釈を否定する人もいるかもしれないけど、これだけ多様な解釈が蔓延していることは事実だから、それを基準に言いますけど)、誰かの都合よく運営されているのなら、自分にとって幸福になるためのものであればいいよね。
恋人だって、友情だって、名称はひとつだけど中身はみんな違うもの。
その関係でいることが好ましいから、そう呼んでいるのだものね。
以前、『主従という名称が好きだから』と言っていた方がいらしたけど、そういうことだよね。
その名称であることが好きで、その立場であると都合よく(この都合よいはプラスの意味だよ)、幸福である。
って、だけのことで、よいと思うのだ。
だって、大好きな人は大切にしたいし、大好きな人がうれしそうだとこちらも幸せだもんね。
そこに名称や関係の限定なんてなくていいのだ。
でもね。
どんなに『自分のよい解釈で』『幸福のためのツール』と言い聞かせてみても、誰かが作ったイメージに引きずられてしまうもの。
どこかの誰かが健気な献身を書いていると、そうしないといけないのだろうかと、ためらってしまうもの。
だから、自分の足下をしっかり見て、これがわたしの幸せを作るものなのだと時々唱えよう。
自分だけの幸せを作りましょう。
でもって、他の誰かが気になって『これがわたしの幸せ』だと言い切れない関係は、どんな名称であっても、そもそも幸福ではないのかもしれないよ、とも思うのだ。
「等式」「幸福を作るツールとしての主従」感想です。今までも、同じようなことを言っていると思うけれど、火傷しそうな「熱さ」が無い分私の心に染み込みます。りん子の言うようにどんな関係性でも、幸せのツールにして欲しいですねね。
主従だから甘えられる。
主従だから甘えちゃいけない。
奴隷だからすべてを委ねる。
奴隷だから依存してはいけない。
両方を別の場所で、もしくはひとりの人の言葉として目にすることがある。
この相反する見解、同一人物からの場合は自己矛盾を孕んだ言葉。
主従は甘えてよくて、甘えてはいけなくて、奴隷は委ねるけど依存してはいけないのか。
最近のわたしは寛容なので(笑)、人によって都合良く解釈が変わろうが、矛盾を孕んでいようが、かまわない。
◯◯の定義なんていうものを論じるほどの気合いもない。
だから、どちらでもかまわないのだけど。
ようは、それが幸福を作るツールであればいいとだけは、思う。
普段、人の上に立つような立場の人の心をほぐすために主従であるほうがやりやすいかもしれないし、快感を得るための免罪符として奴隷的立場であるほうがよいこともあるかもしれないものね。
人によって解釈もバラバラで、(まあ、中には『〜であるべき』な他者の解釈を否定する人もいるかもしれないけど、これだけ多様な解釈が蔓延していることは事実だから、それを基準に言いますけど)、誰かの都合よく運営されているのなら、自分にとって幸福になるためのものであればいいよね。
恋人だって、友情だって、名称はひとつだけど中身はみんな違うもの。
その関係でいることが好ましいから、そう呼んでいるのだものね。
以前、『主従という名称が好きだから』と言っていた方がいらしたけど、そういうことだよね。
その名称であることが好きで、その立場であると都合よく(この都合よいはプラスの意味だよ)、幸福である。
って、だけのことで、よいと思うのだ。
だって、大好きな人は大切にしたいし、大好きな人がうれしそうだとこちらも幸せだもんね。
そこに名称や関係の限定なんてなくていいのだ。
でもね。
どんなに『自分のよい解釈で』『幸福のためのツール』と言い聞かせてみても、誰かが作ったイメージに引きずられてしまうもの。
どこかの誰かが健気な献身を書いていると、そうしないといけないのだろうかと、ためらってしまうもの。
だから、自分の足下をしっかり見て、これがわたしの幸せを作るものなのだと時々唱えよう。
自分だけの幸せを作りましょう。
でもって、他の誰かが気になって『これがわたしの幸せ』だと言い切れない関係は、どんな名称であっても、そもそも幸福ではないのかもしれないよ、とも思うのだ。
「等式」「幸福を作るツールとしての主従」感想です。今までも、同じようなことを言っていると思うけれど、火傷しそうな「熱さ」が無い分私の心に染み込みます。りん子の言うようにどんな関係性でも、幸せのツールにして欲しいですねね。
- 関連記事
-
- 空は飛べない 追記アリ 2012/03/16
- だれかに届け 2022/02/21
- 徒然に『女の快感』 2009/11/30
COMMENT
このコメントは管理人のみ閲覧できます
ってされてる側は辛いんですよねー
それをしないでくれてる暁さんはいい男だ←惚気
幸せ循環装置になれば名前はなんでもいいけど
疑問を相手に聞けない関係は危険だと思うのですよ私も。
それをしないでくれてる暁さんはいい男だ←惚気
幸せ循環装置になれば名前はなんでもいいけど
疑問を相手に聞けない関係は危険だと思うのですよ私も。
灯里さん
うんうん、とくに「お任せ」する関係の場合はダブルスタンダードは困るよね。
でも、灯里さんのように、ダブルスタンダードが存在していることを把握している人ならいいけど、案外、ぼんやり誤魔化されてしまっていることも多いような気がするなぁ。
そうすると、力がないほうが苦しくなりそうだよね。
一貫してくれることは、とても大事だと思います。
惚気歓迎(笑)
こんな惚気ブログなので、コメントで惚気ていただいてバランス取れますからー(^-^)
うんうん、とくに「お任せ」する関係の場合はダブルスタンダードは困るよね。
でも、灯里さんのように、ダブルスタンダードが存在していることを把握している人ならいいけど、案外、ぼんやり誤魔化されてしまっていることも多いような気がするなぁ。
そうすると、力がないほうが苦しくなりそうだよね。
一貫してくれることは、とても大事だと思います。
惚気歓迎(笑)
こんな惚気ブログなので、コメントで惚気ていただいてバランス取れますからー(^-^)