卵が先か、鶏が先か
りん子的独り言(生意気)
わたしが『主従』という言葉を耳にしたのはいつだったのか。
はっきり思い出せないのだけど、そのときからいままで描いていた『主従』というものと、SM?主従?界の常識的な主従は、違うものなんじゃないかと感じている。
わたしの認識が間違っていたのかもしれない。
望んでいたものは『奴隷』ではなく、主従という関係に身を置いたことがないので、想像で言わせていただくことと、関係は千差万別ではあるので一般的なイメージで言わせていただくことをお許しください。
また、いつものように、『奴隷願望』という性癖をお持ちの方はわたしのいうことに該当しないです。
わたしのように、従属、同化、依存願望があり、それと奴隷願望と混同してしまって性癖として『奴隷願望』がないのに、恋心や不安定が故に『理不尽な関係』に身を置いて苦しいと思っている方へ。
その苦しさは正当な苦しさで、改善するべきというエールです。
この考えが浮かんだのは『犬気質』でパイパン大好きさんがくださったコメントを読んだことがきっかけだった。
コメントから考えたことを書かせていただきますね。
ちょっと辛口になっちゃうかもしれないけど、パイパン大好きさんに向けてじゃないからね^^
引っ張り出しちゃってごめんなさい。
コメント無理しないでね^^;
パイパン大好きさんは、『わたしは犬気質で甘えん坊の下の子型だ』というエントリーにコメントをくださって。
犬の行動で飼い主の質も見えるから、躾けるべきときは躾けるメリハリが大事と書かれていました。
そして、ご自身は『頑張り屋さんの上の子』が好みと。
そして、最後に下の言葉で締めくくってくださいました。
『私が思うに
飼い主:「忠実に従ってくれるから 可愛いと褒める、、可愛がる」
イ ヌ:「可愛がってくれるから、、従う、忠誠になる、、更に 可愛がってもらう」
両方アリなのでは?
どちらが先かなんって「卵が先か! 鶏が先か!」の議論に近いかもと思います。』
これに対するわたしの意見^^
レスにも書いたけど、基本的に人付き合いは『鶏が先か、卵が先か』の両方ありだと思います。
どちらが先ではなく、どちらから『先』でも良くて、親切にされれば、こちらもそうしたいと思う、こちらが親切にすれば、また親切で返ってくる。
職場でも友人関係でもそういう良い循環に、どちらが先っているのはないはずです。
普通の男女の付き合いに於いても。
これは岩月健司さんの本に書いてあったのだけど。
女性は心地よいことが大好きで心地よく愛情をくれた人のことが大好きになります。
そうするとその男性を肯定し応援したくなるのです。
男性というのは肯定して応援してくれる女性をもっと愛するようになる。
で、女性はもっと男性を肯定する。
こういう良い循環になるそうです。
これも、スタートはどちらからでも成立しますよね。
ということは、概ね人付き合いというものは、パイパン大好きさんのおっしゃるように『どちらが先』はないのでしょうね。
でも、『先』が存在する関係もあると思う。
主と従、主と奴隷。
そこに上下をつけたいなら『先』は存在すると思ってる。
そして、その『先』をするのは主従の『主』であり上下の『上』であるべきなんだ。
『上』に立つ人間が、常に『下』に与え、『下』はそれで安心して慕い付いていく。
こういうものを『主従』と呼ぶのだと思っていたし、いまも思ってる。
だけど、そうじゃない『主従』のほうが多いように感じるのはわたしだけだろうか。
もちろん付き合いはそれぞれだ。
だけどね、M女さんのブログを読んでいたり、こっそりメールで聞かせていただく方のお話を耳にすると、どうしてもM女さんが犠牲になっているように感じられることが多い。
そりゃあね、M女さんだって、誰だっていわけなくて、最初にこの人と思えたから主従関係になっているのでしょうけど。
やっぱりね、『最初』だけじゃダメなんだと思うのです。
女は『傷つく性』を持っている。
だから、常に性的な場面では大切にしてもらわないといけないんだ。
それは別に優しいセックスをしてくれと言っているんじゃなくてね、鞭を打つにも露出をするにも『心の交流』ができていないといけないと思うのです。
その『心の交流』を端折って、一方的に搾取している『上』と主従をしている人が多いと思う。
で、犠牲になったり搾取されたり、その一方的な立場で満たされる人もいると思うので、その方はきっと『奴隷願望』を満たしてらっしゃるのでしょう。(もちろん葛藤もされていると思うけど)
そうじゃなくて、一方的に搾取されて、それで苦しいと思っている方もけっこういるんじゃないかと。
もちろん、たくさん与えてもらっているM女さんもいらっしゃるでしょうから、どれが本物!!とは言えないのだけど、どうもこの『一方的に搾取する』関係が主従の主流な印象を受けるのだ。
でもって、それが『美徳』とされている。
ご主人様のためにってね。
で、これが主流だとするなら、わたしの認識は間違っていると思ったのだ。
だけど、ひとつ納得したことがあって。
『寿司とマヨネーズ』という本のプロローグに。
『ご主人様と奴隷という大人のゲームのような関係を、この上なくマジメに貫き通そうとしていました。』
という一節がある。
わたし、これを読んだときすごく腑に落ちたんだ。
お互い『ご主人様』と『奴隷』という役割を担ってこの上なくマジメに貫いていたのだとすれば、受け取るだけと与えるだけの関係は成り立つ。
ゲームなんだから、理不尽でもルールは存在するわけだ。
こういう一方的な、もしくは『1もらって10差し上げる』ような理不尽なバランス、これを『ゲーム』と捉えるならば、納得ができるのです。
ゲームという言葉を使っているから軽い印象を持たせてしまうとそれは本意ではありません。
奴隷という立場の多くの方は強い気持ちを持ってらっしゃると敬服するほどです。
『奴隷願望』をお持ちの方は、なにがしかの『ルール』があって、そこで一方的に搾取されることで満たされているのかもしれない。
そうじゃなくて、混同しやすいのだけど、依存や従属願望を持っている人は、誰かに従いたいのだけど、一方的に搾取されたいわけじゃないのだよね。
ご主人様のために我慢したいわけじゃないよね。
安心して付いていきたいだけだよね。
そういう女性と上下関係を築きたいならば。
『上』が『先』じゃないといけないんだ。
相手を『下』にして跪かせるのではなく、自分が常に『与える存在』でいることで『上』でいられると思うのだ。
それは、『甘やかしでない、甘えさせ』だったり『大きな安心』だったり『支えているというシグナル』だったり。
そういうことで、『下』は『上』を尊敬して従いたいと思うのです。
わたしと那智さんの間にも『性的な場面で拒否権はない』という決まり事はある。
でも、それはそのほうが『わたしが』幸せだからだ。
でもって、その決まり事をなしにするとわたしが決めても、那智さんとの関係は変わらない。
ルールによって成り立つ関係は、そのルールを解消したら関係自体の解消になっちゃうとするなら、この決まり事とは違うと思うのです。
『命令』や『強制』をしたり、『お前が言うことを聞けば、可愛がる』というような『先にちょうだい』をした時点で、上下が逆転してしまうように感じられるのはわたしだけだろうか。
だから、『上』が『先』であるべきなんだ。
もちろんね、形はそれぞれで『ルール』があるように感じるのはわたしの勝手なイメージです。
そうじゃない主従もあるでしょう。
また、その『ルール』があるから満たされる人もいるはずです。
その方たちは該当していないので、どうか流してください。
だけど、『ルール』に疑問を持ち、それで苦しい思いをしている人がいるのなら。
あなたの望む主従と、それは違うかもしれない。
それで、搾取されることに喜びを感じられないことは正当なことで、そう思う自分を責めちゃいけない。
あなたが持っているものは『奴隷願望』じゃない。
ただ、安心して付いていきたいだけだ。
だから、いま流している涙は、自分を労る正当な涙。
『先』に与えてくれて、さらに安心と尊敬を与え続けてくれる人に従いたい。
そこには、誰も犠牲にすることなく心地よい『上下関係』が生まれるはずだ。
『従う』なんていうルールは作らないでいい、常に見極め、その都度『従う』を更新しつづけるのだ。
何度も更新しつづけ、それでも常に従いたいと思うことが『主従』だと思っていた。
でも、もし、はじめから『下』に課せられたルールの上で成り立っていて。
『上』のほうから『先にちょうだい』をして、『下』が与え。
で、そのルールをなくしたら続かないような関係の『主従』があるなら。
わたしの認識は間違っていたことになる。
で、それが『主従』の主流なら、やっぱりわたしは主従じゃなくていい。
我慢するM女が美徳なら、わたしは悪徳M女でいい。
ただ、那智さんとふたりで幸福を共有したいだけだもの。
だから、そこに上下をつけたいならば、鶏が先か、卵が先か、『先』はある。
常に、『上』が『先』でなきゃいけない。
犬だって、まず食住を与えてもらって、はじめて懐くもんね。
わたしが『主従』という言葉を耳にしたのはいつだったのか。
はっきり思い出せないのだけど、そのときからいままで描いていた『主従』というものと、SM?主従?界の常識的な主従は、違うものなんじゃないかと感じている。
わたしの認識が間違っていたのかもしれない。
望んでいたものは『奴隷』ではなく、主従という関係に身を置いたことがないので、想像で言わせていただくことと、関係は千差万別ではあるので一般的なイメージで言わせていただくことをお許しください。
また、いつものように、『奴隷願望』という性癖をお持ちの方はわたしのいうことに該当しないです。
わたしのように、従属、同化、依存願望があり、それと奴隷願望と混同してしまって性癖として『奴隷願望』がないのに、恋心や不安定が故に『理不尽な関係』に身を置いて苦しいと思っている方へ。
その苦しさは正当な苦しさで、改善するべきというエールです。
この考えが浮かんだのは『犬気質』でパイパン大好きさんがくださったコメントを読んだことがきっかけだった。
コメントから考えたことを書かせていただきますね。
ちょっと辛口になっちゃうかもしれないけど、パイパン大好きさんに向けてじゃないからね^^
引っ張り出しちゃってごめんなさい。
コメント無理しないでね^^;
パイパン大好きさんは、『わたしは犬気質で甘えん坊の下の子型だ』というエントリーにコメントをくださって。
犬の行動で飼い主の質も見えるから、躾けるべきときは躾けるメリハリが大事と書かれていました。
そして、ご自身は『頑張り屋さんの上の子』が好みと。
そして、最後に下の言葉で締めくくってくださいました。
『私が思うに
飼い主:「忠実に従ってくれるから 可愛いと褒める、、可愛がる」
イ ヌ:「可愛がってくれるから、、従う、忠誠になる、、更に 可愛がってもらう」
両方アリなのでは?
どちらが先かなんって「卵が先か! 鶏が先か!」の議論に近いかもと思います。』
これに対するわたしの意見^^
レスにも書いたけど、基本的に人付き合いは『鶏が先か、卵が先か』の両方ありだと思います。
どちらが先ではなく、どちらから『先』でも良くて、親切にされれば、こちらもそうしたいと思う、こちらが親切にすれば、また親切で返ってくる。
職場でも友人関係でもそういう良い循環に、どちらが先っているのはないはずです。
普通の男女の付き合いに於いても。
これは岩月健司さんの本に書いてあったのだけど。
女性は心地よいことが大好きで心地よく愛情をくれた人のことが大好きになります。
そうするとその男性を肯定し応援したくなるのです。
男性というのは肯定して応援してくれる女性をもっと愛するようになる。
で、女性はもっと男性を肯定する。
こういう良い循環になるそうです。
これも、スタートはどちらからでも成立しますよね。
ということは、概ね人付き合いというものは、パイパン大好きさんのおっしゃるように『どちらが先』はないのでしょうね。
でも、『先』が存在する関係もあると思う。
主と従、主と奴隷。
そこに上下をつけたいなら『先』は存在すると思ってる。
そして、その『先』をするのは主従の『主』であり上下の『上』であるべきなんだ。
『上』に立つ人間が、常に『下』に与え、『下』はそれで安心して慕い付いていく。
こういうものを『主従』と呼ぶのだと思っていたし、いまも思ってる。
だけど、そうじゃない『主従』のほうが多いように感じるのはわたしだけだろうか。
もちろん付き合いはそれぞれだ。
だけどね、M女さんのブログを読んでいたり、こっそりメールで聞かせていただく方のお話を耳にすると、どうしてもM女さんが犠牲になっているように感じられることが多い。
そりゃあね、M女さんだって、誰だっていわけなくて、最初にこの人と思えたから主従関係になっているのでしょうけど。
やっぱりね、『最初』だけじゃダメなんだと思うのです。
女は『傷つく性』を持っている。
だから、常に性的な場面では大切にしてもらわないといけないんだ。
それは別に優しいセックスをしてくれと言っているんじゃなくてね、鞭を打つにも露出をするにも『心の交流』ができていないといけないと思うのです。
その『心の交流』を端折って、一方的に搾取している『上』と主従をしている人が多いと思う。
で、犠牲になったり搾取されたり、その一方的な立場で満たされる人もいると思うので、その方はきっと『奴隷願望』を満たしてらっしゃるのでしょう。(もちろん葛藤もされていると思うけど)
そうじゃなくて、一方的に搾取されて、それで苦しいと思っている方もけっこういるんじゃないかと。
もちろん、たくさん与えてもらっているM女さんもいらっしゃるでしょうから、どれが本物!!とは言えないのだけど、どうもこの『一方的に搾取する』関係が主従の主流な印象を受けるのだ。
でもって、それが『美徳』とされている。
ご主人様のためにってね。
で、これが主流だとするなら、わたしの認識は間違っていると思ったのだ。
だけど、ひとつ納得したことがあって。
『寿司とマヨネーズ』という本のプロローグに。
『ご主人様と奴隷という大人のゲームのような関係を、この上なくマジメに貫き通そうとしていました。』
という一節がある。
わたし、これを読んだときすごく腑に落ちたんだ。
お互い『ご主人様』と『奴隷』という役割を担ってこの上なくマジメに貫いていたのだとすれば、受け取るだけと与えるだけの関係は成り立つ。
ゲームなんだから、理不尽でもルールは存在するわけだ。
こういう一方的な、もしくは『1もらって10差し上げる』ような理不尽なバランス、これを『ゲーム』と捉えるならば、納得ができるのです。
ゲームという言葉を使っているから軽い印象を持たせてしまうとそれは本意ではありません。
奴隷という立場の多くの方は強い気持ちを持ってらっしゃると敬服するほどです。
『奴隷願望』をお持ちの方は、なにがしかの『ルール』があって、そこで一方的に搾取されることで満たされているのかもしれない。
そうじゃなくて、混同しやすいのだけど、依存や従属願望を持っている人は、誰かに従いたいのだけど、一方的に搾取されたいわけじゃないのだよね。
ご主人様のために我慢したいわけじゃないよね。
安心して付いていきたいだけだよね。
そういう女性と上下関係を築きたいならば。
『上』が『先』じゃないといけないんだ。
相手を『下』にして跪かせるのではなく、自分が常に『与える存在』でいることで『上』でいられると思うのだ。
それは、『甘やかしでない、甘えさせ』だったり『大きな安心』だったり『支えているというシグナル』だったり。
そういうことで、『下』は『上』を尊敬して従いたいと思うのです。
わたしと那智さんの間にも『性的な場面で拒否権はない』という決まり事はある。
でも、それはそのほうが『わたしが』幸せだからだ。
でもって、その決まり事をなしにするとわたしが決めても、那智さんとの関係は変わらない。
ルールによって成り立つ関係は、そのルールを解消したら関係自体の解消になっちゃうとするなら、この決まり事とは違うと思うのです。
『命令』や『強制』をしたり、『お前が言うことを聞けば、可愛がる』というような『先にちょうだい』をした時点で、上下が逆転してしまうように感じられるのはわたしだけだろうか。
だから、『上』が『先』であるべきなんだ。
もちろんね、形はそれぞれで『ルール』があるように感じるのはわたしの勝手なイメージです。
そうじゃない主従もあるでしょう。
また、その『ルール』があるから満たされる人もいるはずです。
その方たちは該当していないので、どうか流してください。
だけど、『ルール』に疑問を持ち、それで苦しい思いをしている人がいるのなら。
あなたの望む主従と、それは違うかもしれない。
それで、搾取されることに喜びを感じられないことは正当なことで、そう思う自分を責めちゃいけない。
あなたが持っているものは『奴隷願望』じゃない。
ただ、安心して付いていきたいだけだ。
だから、いま流している涙は、自分を労る正当な涙。
『先』に与えてくれて、さらに安心と尊敬を与え続けてくれる人に従いたい。
そこには、誰も犠牲にすることなく心地よい『上下関係』が生まれるはずだ。
『従う』なんていうルールは作らないでいい、常に見極め、その都度『従う』を更新しつづけるのだ。
何度も更新しつづけ、それでも常に従いたいと思うことが『主従』だと思っていた。
でも、もし、はじめから『下』に課せられたルールの上で成り立っていて。
『上』のほうから『先にちょうだい』をして、『下』が与え。
で、そのルールをなくしたら続かないような関係の『主従』があるなら。
わたしの認識は間違っていたことになる。
で、それが『主従』の主流なら、やっぱりわたしは主従じゃなくていい。
我慢するM女が美徳なら、わたしは悪徳M女でいい。
ただ、那智さんとふたりで幸福を共有したいだけだもの。
だから、そこに上下をつけたいならば、鶏が先か、卵が先か、『先』はある。
常に、『上』が『先』でなきゃいけない。
犬だって、まず食住を与えてもらって、はじめて懐くもんね。
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