脳を変える4(総括2)
非日常的な日常
那智さんはわたしとのSM行為において『ゴールは決めていない』。
これは、ゴールを決めることで、わたしが意識してしまわないようにする意味もあるし、ゴールを決めるということはゴールできなかった場合が×になってしまうことを避けたいからという理由からだ。
だから『◯◯ができるように』とか『◯◯になるように』なんて言われたこと、ない。
わたしたちは『調教』をしているわけではないのでできてもできなくてもかまわないのだ。
ただお互いに欲する行為で愛情と快感を感じたいのだからね。
好きな人とキスしたいという気持ちにゴールなんてないものね。
結果的に快感が増すとかできるようになることはあったとしても、それは単なる副産物なのだ。
とはいえ、那智さんの中には『自分のやり方でりん子を幸福にしたい』という明確な欲求があるので、ゴールを示さずとも、漠然とした希望はあると思う。
はじめて会った日の『これがないと生きていかれないだろうの答えを「わかりません」と言ったために、いつか生きていかれないようにしてやろう』というようなものだね。
話しの端々にその希望をわずかに聞かせてもらうことはあっても、『今日のこの行為は、これを得るため』というようなハッキリしたものを示されることは皆無だった。
だからいわゆる『調教』じゃないのね^^
でも、12年かけて『これがないと生きていかれない』状態にしていったように、つねっただけで痴人状態というのも那智さんの中では漠然とした希望だったようだ。
もともと、SM行為はM側の快につなげないと成立しないと考えていた那智さんなので、苦痛=快感を作ることは至極当然のことだったと思うけど、より極端にしたいと思ったのかもしれない。
そこで、わたしの脳にひとつの回路を植え付けることをしてきた。
那智さんは、痛いことをするとき、必ず快感もセットになるようにしてきたそうだ。
痛いことと快感を同時に与えることもあるし、痛いことの後気持ちいいことを続けたり、その逆だったり、とにかく『痛い』だけはしないようにしたらしい。
まあ、日頃、痛いことがあってもいつも最終的には快感のセックスをしているので、同時進行でなくて一日の間に痛い&快感はセットになっているんだけど、おそらく、すこし意識して『痛いの後、気持ちいいこと』(または逆)をしてきたのだ。
それはね。
痛いことの後、必ず快感を得ていれば、脳に『痛いことをすると快感が来る』と植え付けることになる。
それがしっかり植え付けられたら、『痛いことは気持ちいいこと』のうい回路ができあがるだろうということだ。
パブロフの犬のよう。
この回路をつなげることに何年もかけたのだそうだ。
そして、この日、めずらしく、それを試してみようと思ったらしい。
ゴールを決めない『調教』じゃない那智さんのSM行為ではめずらしい意図的に試すことだった。
もちろん、そんなことわたしに話すはずもなく。
多少は精神的高揚もさせてあげようと浴衣緊縛をしたそうだ。
(わたしは浴衣再登場に那智さん自身の意図を計っていたのだけど、違っていたのよ!!)
そして、愛撫など他の刺激も一切加えず洗濯ばさみで挟み、反応を見たのだ。
余談だけど、おもしろいことに、洗濯ばさみを使おうと思ったときに『外した後潰すのはよそう』と決めていたらしい。
洗濯ばさみ=潰すと毎度同じことにしたくない那智さんらしい発想^^
そんなこととは知らず『潰すことを考えたらセーフワードを言いそう』とわたしから弱音が出たので、この偶然もおもしろい。
ただ、そこで『潰さないよ』と約束しないのは那智さんらしいけど、まあ、そこはハッキリさせないほうが自然な反応になると思ったのだろう。
とにかく、そんな脳の回路を通そうと行ってきたことを、めずらしく試す意識でやった洗濯ばさみだったのだけど、思った通りの反応だったから、那智さんとしては大満足だったのだそうだ。
脳でイクなんて言葉をときどき目にするけど、きっとこれとは違うのだろうな。
だってイッてないもん(笑)
脳に勘違いさせる、脳に新しい回路を作る、そんなことだろう。
医学的な脳科学みたいなことと関連つけるつもりはないけど、文学的にいわせていただければ那智さんはわたしの脳にいままでになかった回路を作った。
それが『痛いことは気持ちいい』と錯覚させ体の反応として表に出すことになった。
気分を高揚させてとか那智さんが与えてくれるからという精神に訴えかけるものではなく、体の反応にすることは、じつは揺らぐことのない事実になる。
体の反応にウソはないからね。
その確実性も、目指したところだったのかもしれないな。
ところで、このとき『体の反応』を裏付けるおもしろいことがあった。
洗濯ばさみが終わって電マに移るとき、肩の関節が痛くなってきたので後ろ手に縛った縄を解いてもらって前に縛り直したのだけど、一度縄を解いて解放された肩をほぐすようにゆっくり腕を自然な位置に移動させた。
そのとき凝り固まった関節がピキッと痛みを感じた瞬間に、体がビクンとなってさっきと同じ快感の反応をしてしまったのだ。
条件反射のような反応に我ながらおもしろかった。
鞭や洗濯バサミのSM的要素を含んでいない関節の痛みで快感の反応(笑)
ぜんぜん情緒ないね^^;
<関連エントリー>
ゴールを決めない
ゴールを決めない理由
これがないと生きて行かれない!?
リアル3
非様式美
「等式」感想です。感慨無量だな、私に対しての痛覚の性的快感評価表みたい。いつも思う。本当に正確に私の意志や気持ちを代弁してくれる。ありがとう!
那智さんはわたしとのSM行為において『ゴールは決めていない』。
これは、ゴールを決めることで、わたしが意識してしまわないようにする意味もあるし、ゴールを決めるということはゴールできなかった場合が×になってしまうことを避けたいからという理由からだ。
だから『◯◯ができるように』とか『◯◯になるように』なんて言われたこと、ない。
わたしたちは『調教』をしているわけではないのでできてもできなくてもかまわないのだ。
ただお互いに欲する行為で愛情と快感を感じたいのだからね。
好きな人とキスしたいという気持ちにゴールなんてないものね。
結果的に快感が増すとかできるようになることはあったとしても、それは単なる副産物なのだ。
とはいえ、那智さんの中には『自分のやり方でりん子を幸福にしたい』という明確な欲求があるので、ゴールを示さずとも、漠然とした希望はあると思う。
はじめて会った日の『これがないと生きていかれないだろうの答えを「わかりません」と言ったために、いつか生きていかれないようにしてやろう』というようなものだね。
話しの端々にその希望をわずかに聞かせてもらうことはあっても、『今日のこの行為は、これを得るため』というようなハッキリしたものを示されることは皆無だった。
だからいわゆる『調教』じゃないのね^^
でも、12年かけて『これがないと生きていかれない』状態にしていったように、つねっただけで痴人状態というのも那智さんの中では漠然とした希望だったようだ。
もともと、SM行為はM側の快につなげないと成立しないと考えていた那智さんなので、苦痛=快感を作ることは至極当然のことだったと思うけど、より極端にしたいと思ったのかもしれない。
そこで、わたしの脳にひとつの回路を植え付けることをしてきた。
那智さんは、痛いことをするとき、必ず快感もセットになるようにしてきたそうだ。
痛いことと快感を同時に与えることもあるし、痛いことの後気持ちいいことを続けたり、その逆だったり、とにかく『痛い』だけはしないようにしたらしい。
まあ、日頃、痛いことがあってもいつも最終的には快感のセックスをしているので、同時進行でなくて一日の間に痛い&快感はセットになっているんだけど、おそらく、すこし意識して『痛いの後、気持ちいいこと』(または逆)をしてきたのだ。
それはね。
痛いことの後、必ず快感を得ていれば、脳に『痛いことをすると快感が来る』と植え付けることになる。
それがしっかり植え付けられたら、『痛いことは気持ちいいこと』のうい回路ができあがるだろうということだ。
パブロフの犬のよう。
この回路をつなげることに何年もかけたのだそうだ。
そして、この日、めずらしく、それを試してみようと思ったらしい。
ゴールを決めない『調教』じゃない那智さんのSM行為ではめずらしい意図的に試すことだった。
もちろん、そんなことわたしに話すはずもなく。
多少は精神的高揚もさせてあげようと浴衣緊縛をしたそうだ。
(わたしは浴衣再登場に那智さん自身の意図を計っていたのだけど、違っていたのよ!!)
そして、愛撫など他の刺激も一切加えず洗濯ばさみで挟み、反応を見たのだ。
余談だけど、おもしろいことに、洗濯ばさみを使おうと思ったときに『外した後潰すのはよそう』と決めていたらしい。
洗濯ばさみ=潰すと毎度同じことにしたくない那智さんらしい発想^^
そんなこととは知らず『潰すことを考えたらセーフワードを言いそう』とわたしから弱音が出たので、この偶然もおもしろい。
ただ、そこで『潰さないよ』と約束しないのは那智さんらしいけど、まあ、そこはハッキリさせないほうが自然な反応になると思ったのだろう。
とにかく、そんな脳の回路を通そうと行ってきたことを、めずらしく試す意識でやった洗濯ばさみだったのだけど、思った通りの反応だったから、那智さんとしては大満足だったのだそうだ。
脳でイクなんて言葉をときどき目にするけど、きっとこれとは違うのだろうな。
だってイッてないもん(笑)
脳に勘違いさせる、脳に新しい回路を作る、そんなことだろう。
医学的な脳科学みたいなことと関連つけるつもりはないけど、文学的にいわせていただければ那智さんはわたしの脳にいままでになかった回路を作った。
それが『痛いことは気持ちいい』と錯覚させ体の反応として表に出すことになった。
気分を高揚させてとか那智さんが与えてくれるからという精神に訴えかけるものではなく、体の反応にすることは、じつは揺らぐことのない事実になる。
体の反応にウソはないからね。
その確実性も、目指したところだったのかもしれないな。
ところで、このとき『体の反応』を裏付けるおもしろいことがあった。
洗濯ばさみが終わって電マに移るとき、肩の関節が痛くなってきたので後ろ手に縛った縄を解いてもらって前に縛り直したのだけど、一度縄を解いて解放された肩をほぐすようにゆっくり腕を自然な位置に移動させた。
そのとき凝り固まった関節がピキッと痛みを感じた瞬間に、体がビクンとなってさっきと同じ快感の反応をしてしまったのだ。
条件反射のような反応に我ながらおもしろかった。
鞭や洗濯バサミのSM的要素を含んでいない関節の痛みで快感の反応(笑)
ぜんぜん情緒ないね^^;
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