恩義
独特な幸福感
付き合いが長くなればお互いのいろいろなことがわかってくる。
使いなれたシーツのように肌に馴染み、この口調のときはこんな心境とかこういう日はきっと中華とか^^なんとなくの以心伝心は長く付き合って味わえるものだと思う。
ただ、それと同じようにマイナスなことだって当然ある。
出会った当初のほうがずっと那智さん『すばらしい人』だった(笑)
不安定だったわたしの道しるべで何があっても絶対失敗しない、大げさだけど神様みたいに思ってしまいそうでもあった。
那智さんは『カッコ悪いことを隠さないほうがカッコいい』という人なので『森のクマさん』だってするし、酔っぱらいさんだって何度も経験しているし、間違うこともあるし、そしたらちゃんと謝罪だってする。
当たり前だけど、神様ではない。
長年付き合いっているとそういうマイナス(と言えないかもね、人間味?)面もいろいろ見えてくるものだ。
『りん子にウソをつきたくない』に天の邪鬼さんが発動してしまうことがあることだって知り合って半年のわたしだったら気づかなかったと思う。(『誠実な天の邪鬼』)
完璧な人間なんていない。
むしろ、ちょっとダメなところがあったほうが味がある。
当然、そうだけど、出会った頃と変わらず那智さんを尊敬して、いまでもわたしが心地よく『下』でいられるのには、那智さんが大事なポイントは変わらないでいてくれうこともありけど、ある思考回路が役立っていることもあるからだ。
それは『恩義』。
出会って間もないころ。
ものすごく付き合ってくれてわたしは自分改革をしていたころ。
自分の気持ちを言葉にする。
相手を信じる。
不必要に自分を責めない。
安心と自信を与えてもらって、愛される価値はないという足枷を解いていくことができている中、那智さんにこんな質問をしたことがある。
わたしがどんどんしっかりしてきて、いつか那智さんを論破してしまうときがきたらどうします?
いつか那智さんのことを、いまのように尊敬していつも下でってしていられなくなっちゃうんじゃないか。
すこしずつ自己主張ができるようになって、それはいいことなんだけど、すこし強くなっていく自分が不安になって聞いてみたことがあった。
学生時代にお世話になった先生と同窓会で会ってもさ、ずっと先生と生徒のままじゃない?
たとえば、自分が社長とかになっていて、先生がおじいちゃんになってたとしても、頭上がらないだろ?
先生は一生先生なんだよ。
だから、俺は、ずっとりん子の先生なの(笑)
このときは冗談まじりなトーンで答えてくれたけど、わたしにはこの感覚がとてもしみ込んでいるのだ。(『先生』)
これが恩義の気持ち。
いま、
わたしがきちんと主張できるのは那智さんが自信を持たせてくれたから。
自分ばかりを責めないで公平に対処できるようになったのは、心がまえを教えてくれたから。
仕事も家庭も人間関係も、わたしが豊かな人生を送ることができるのは、那智さんがいてくれたから。
あ、わたし、ちゃんと立ててる、ちゃんと言えたと自信のようなものが溢れるとき、それは那智さんのおかげだと思う気持ち。(もちろん、わたしの実力や努力もあるけどね^^)
これを忘れないでいることが、どんなにトホホな部分を知っても(笑)、どんなにりん子さん立派になったね〜となっても、長年尊敬の念を抱いたまま上下の関係を保つことができるのだ。
それでも人の心は変化するもの。
自分が成長するにつれ、恩義の気持ちが薄れていくことだってあり得る。
じゃあ、なぜ、いまなお那智さんを尊敬し、恩義の気持ちを持ち続けることができるのかというと、ひとつ大事なことがあるんだ。
それはね。
いつも、まず最初に那智さんがわたしに与えてくれていた、ということ。
前エントリーに書いたように、成熟した大人の文化は『強者が弱者に手を差し伸べる』ものだと思っている。
那智さんはわたしとの関係において、それをずっとしてくれるのだ。
上下の上が、まず先に与える。
そうすると、下はそれに感謝し、上に対する尊敬の念を持つようになる。
そして、また上は下に手を差し伸べる、すると下は上をより慕い、最終的には上の喜びは下の喜びへの変わっていく。
この循環を作ってくれたのが上の立場なのだから、その記憶が尊敬の気持ちとなってずっとずっと恩義を感じることができるのだ。
以前『卵が先か、鶏が先か』というエントリーを書いた。
上下を作るなら、それが役割り分担のロールプレイングではなく、スイッチオンオフではなく、心から自然に上下である関係を作りたいなら、やはり上の立場から先に与え続けないと成立しない。
上が先に与え、下はそれを受け取ること恩義を感じていつまでも慕い、より忠誠を尽くせる、このよい循環は上の立場が成熟した大人だから作れるものなんだと思うという結論です。
だから、いつまでも那智さんに恩義の気持ちを持ち、良好な上下でいられるのですね^^
ということで、やっぱりわたしは『先に愛情を示したら、愛してやる』という、先にちょうだいするご主人様には尊敬の念も恩義も感じることはできないだろうなと思うのでした。
「等式」感想です。良い気分で読み出したら、最後の言いたいことはそれですか?(笑)個人的には褒められた雰囲気で終了する方が良いのですが。まあ、タイトルが「恩義」なのでそうでもないのでしょうね。
付き合いが長くなればお互いのいろいろなことがわかってくる。
使いなれたシーツのように肌に馴染み、この口調のときはこんな心境とかこういう日はきっと中華とか^^なんとなくの以心伝心は長く付き合って味わえるものだと思う。
ただ、それと同じようにマイナスなことだって当然ある。
出会った当初のほうがずっと那智さん『すばらしい人』だった(笑)
不安定だったわたしの道しるべで何があっても絶対失敗しない、大げさだけど神様みたいに思ってしまいそうでもあった。
那智さんは『カッコ悪いことを隠さないほうがカッコいい』という人なので『森のクマさん』だってするし、酔っぱらいさんだって何度も経験しているし、間違うこともあるし、そしたらちゃんと謝罪だってする。
当たり前だけど、神様ではない。
長年付き合いっているとそういうマイナス(と言えないかもね、人間味?)面もいろいろ見えてくるものだ。
『りん子にウソをつきたくない』に天の邪鬼さんが発動してしまうことがあることだって知り合って半年のわたしだったら気づかなかったと思う。(『誠実な天の邪鬼』)
完璧な人間なんていない。
むしろ、ちょっとダメなところがあったほうが味がある。
当然、そうだけど、出会った頃と変わらず那智さんを尊敬して、いまでもわたしが心地よく『下』でいられるのには、那智さんが大事なポイントは変わらないでいてくれうこともありけど、ある思考回路が役立っていることもあるからだ。
それは『恩義』。
出会って間もないころ。
ものすごく付き合ってくれてわたしは自分改革をしていたころ。
自分の気持ちを言葉にする。
相手を信じる。
不必要に自分を責めない。
安心と自信を与えてもらって、愛される価値はないという足枷を解いていくことができている中、那智さんにこんな質問をしたことがある。
わたしがどんどんしっかりしてきて、いつか那智さんを論破してしまうときがきたらどうします?
いつか那智さんのことを、いまのように尊敬していつも下でってしていられなくなっちゃうんじゃないか。
すこしずつ自己主張ができるようになって、それはいいことなんだけど、すこし強くなっていく自分が不安になって聞いてみたことがあった。
学生時代にお世話になった先生と同窓会で会ってもさ、ずっと先生と生徒のままじゃない?
たとえば、自分が社長とかになっていて、先生がおじいちゃんになってたとしても、頭上がらないだろ?
先生は一生先生なんだよ。
だから、俺は、ずっとりん子の先生なの(笑)
このときは冗談まじりなトーンで答えてくれたけど、わたしにはこの感覚がとてもしみ込んでいるのだ。(『先生』)
これが恩義の気持ち。
いま、
わたしがきちんと主張できるのは那智さんが自信を持たせてくれたから。
自分ばかりを責めないで公平に対処できるようになったのは、心がまえを教えてくれたから。
仕事も家庭も人間関係も、わたしが豊かな人生を送ることができるのは、那智さんがいてくれたから。
あ、わたし、ちゃんと立ててる、ちゃんと言えたと自信のようなものが溢れるとき、それは那智さんのおかげだと思う気持ち。(もちろん、わたしの実力や努力もあるけどね^^)
これを忘れないでいることが、どんなにトホホな部分を知っても(笑)、どんなにりん子さん立派になったね〜となっても、長年尊敬の念を抱いたまま上下の関係を保つことができるのだ。
それでも人の心は変化するもの。
自分が成長するにつれ、恩義の気持ちが薄れていくことだってあり得る。
じゃあ、なぜ、いまなお那智さんを尊敬し、恩義の気持ちを持ち続けることができるのかというと、ひとつ大事なことがあるんだ。
それはね。
いつも、まず最初に那智さんがわたしに与えてくれていた、ということ。
前エントリーに書いたように、成熟した大人の文化は『強者が弱者に手を差し伸べる』ものだと思っている。
那智さんはわたしとの関係において、それをずっとしてくれるのだ。
上下の上が、まず先に与える。
そうすると、下はそれに感謝し、上に対する尊敬の念を持つようになる。
そして、また上は下に手を差し伸べる、すると下は上をより慕い、最終的には上の喜びは下の喜びへの変わっていく。
この循環を作ってくれたのが上の立場なのだから、その記憶が尊敬の気持ちとなってずっとずっと恩義を感じることができるのだ。
以前『卵が先か、鶏が先か』というエントリーを書いた。
上下を作るなら、それが役割り分担のロールプレイングではなく、スイッチオンオフではなく、心から自然に上下である関係を作りたいなら、やはり上の立場から先に与え続けないと成立しない。
上が先に与え、下はそれを受け取ること恩義を感じていつまでも慕い、より忠誠を尽くせる、このよい循環は上の立場が成熟した大人だから作れるものなんだと思うという結論です。
だから、いつまでも那智さんに恩義の気持ちを持ち、良好な上下でいられるのですね^^
ということで、やっぱりわたしは『先に愛情を示したら、愛してやる』という、先にちょうだいするご主人様には尊敬の念も恩義も感じることはできないだろうなと思うのでした。
「等式」感想です。良い気分で読み出したら、最後の言いたいことはそれですか?(笑)個人的には褒められた雰囲気で終了する方が良いのですが。まあ、タイトルが「恩義」なのでそうでもないのでしょうね。
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