那智さんに足りないもの
独特な幸福感
『女性は共感する心地良さが好き』
じゃあ、男性は?
ということで、那智さんの場合のお話。
ここからはいつものノロケ?
那智さんは共感する心地良さを知っているだろうか。
那智さんは滅多に自分のことを話さない。
聞けばちゃんと答えてくれるから秘密主義ってことでもないし、内容に興味を持てば乗ってくるので無口というものでもないと思う。
でも、進んで自分のことを話す人じゃないの。
『男子たるものピーピーしゃべるな』と育てられたかどうかは定かではないけれど、話さずにいることが自然な振る舞いであるところを見ると、まあ、もともとの性格と併せて『共感の心地良さ』を刷り込まれることなく育っているのだろうなと感じる。
もちろん、心の通った友人もいるのだから(これも少数精鋭みたいですけど)、共感の心地良さを感じていないはずはないのでしょうけれど。
あれだけ、自分のことを話さないのだもの、『共感したい』とアンテナを張ってる女性とのそれは生まれにくいだろうな〜と想像できるのです。
その那智さんに、共感の心地良さを刷り込んだのは、わたし。
高飛車?じゃあ、もうちょっと謙虚に?
その那智さんに、共感の心地良さを刷り込ませていただいたのは、わたし。(あまり変わらないか!?)
わたしは那智さんに歪みも情けない姿もたくさん晒して心を解放してきた。
自分の手の中で安心し切って解されていく女性を見ていたら、恐らく、それに呼応するように良い気分を感じることができているのだと思う。
那智さんは、わたしとの間に感じる感覚を『一体感』と言っているけど、その一体感は那智さんを安心させるのだと思う。
そして、わたしの心を探るための膨大な量のやり取りを通じ、図らずも那智さんの心も曝け出すことになった。
そこでわたしは、那智さんさえ気付かなかった『那智さん』を見つけ、言語化することで更に那智さんに共感の心地良さを感じさせることができているのだと思うのです。
それの一部を時々ブログに披露してるわけですが。
その共感(一体感)する心地良さを知った那智さん。
一度知れば、それはいままでと同じことをしても、はっきりと感じられるものですよね。
ふたりでおいしい物を食べればもっとおいしく感じられるし、肌を合わせればもっと心地良い。
いつのまにか刷り込まれていったのです。
那智さんはいまでも自分のことを進んで話さない。
それは日常の小さな『共感』を生むのは、ちょっと難しいかもしれない。
普通の共感って、双方が手を出して繋ぎ心を通わす行為だとすれば。
わたしたちのそれは、わたしが手を出せばかならず握ってくれるとか、わたし自身が那智さんの掌の上にいる、安心や信頼という大きな土台の部分で共感し合えてるのだと思う。
だからといって、ふたりの関係に優劣を感じることはないの。
なぜかって、わたしも心地良さを感じさせてあげられてると、ちょっと自負しているから。
だから、ためらうことなく下に向いてる手に指を絡めて『繋いで』と言えるし、遠慮することなく掌に載ってコロコロしていられるのだ。
土台の部分で安心という共感を感じてる。
美しいことを書きましたが。
確かにねー、それは間違いないの。
だけどねー、那智さん。
日常の些細な共感も女は嬉しいものなのですよ。
ふたりのやり取りで、わたしがつまずいてしまう事柄がいくつかあって。
そのうちのひとつに『ブログの感想』というのがある。
メールで『面白かった』とひと言伝えてくれることはいい、ありがたいこと。
で、わたしはその面白さを話題に共感したいと思うから、そのあとお話しする時間ができたときに。
「今日のおもしろかったですか〜?」
と再度、話題を持ち出すと。
「面白かったよ、ただ、○○につてはなんで書かなかったの?」
とか
「面白かったよ、ただ、○○のついても書いたほうがわかりやすいんじゃない?」
などと、注文をつけるのだ!!!
それ、いならいから!!
もし、いるにしても、その前に『面白かった』で共感して!!!
那智さんは、ブログに関していち読者の立場で読んでいるらしいので、ストレートに疑問を投げかけるの。
ほら、当事者じゃなければ書く労力や書かなかった舞台裏などを推し量る必要ないでしょ?
だから、注文や難癖というマイナスイメージで言ってるつもりはないらしいのだけど。
それでも、面白かったはひとことで、そのあとすぐ『ただ…』をつけられることは、共感好きの女にとってはとても寂しいことなのだ。
これは、即問題解決に乗り出す男性脳的発想。
もっと『そうそう、あのときのりん子は○○だったよね〜』みたいにしたいのに。
すぐに注文や疑問を投げかける。
しばらく共感し合えたら、注文にも疑問にもお応えしようという気持ちになるものです。
そこのリップサービス、大事です。
うそを言う必要はないけれど、そこで一旦立ち止まり、ご自身に最近刷り込まれた『共感の快感』を思い出していただきたい。
そして、それを小さな出来事ででも、りん子に味わわせてやろうと思っていただきたい。
きっと、わたし気分良く次も書こうって思いますよ。
土台になる大きな共感は、わたしのとって幸福な人生にするとても重要な共感。
でも、それだけじゃなくて、那智さんと小さな共感もしたいな〜と思うわたしは贅沢なのかしら^^;
でも、那智さん、その日常の小さな共感もできるようになったら、いまよりもっとモテますよ、きっと^^
『女性は共感する心地良さが好き』
じゃあ、男性は?
ということで、那智さんの場合のお話。
ここからはいつものノロケ?
那智さんは共感する心地良さを知っているだろうか。
那智さんは滅多に自分のことを話さない。
聞けばちゃんと答えてくれるから秘密主義ってことでもないし、内容に興味を持てば乗ってくるので無口というものでもないと思う。
でも、進んで自分のことを話す人じゃないの。
『男子たるものピーピーしゃべるな』と育てられたかどうかは定かではないけれど、話さずにいることが自然な振る舞いであるところを見ると、まあ、もともとの性格と併せて『共感の心地良さ』を刷り込まれることなく育っているのだろうなと感じる。
もちろん、心の通った友人もいるのだから(これも少数精鋭みたいですけど)、共感の心地良さを感じていないはずはないのでしょうけれど。
あれだけ、自分のことを話さないのだもの、『共感したい』とアンテナを張ってる女性とのそれは生まれにくいだろうな〜と想像できるのです。
その那智さんに、共感の心地良さを刷り込んだのは、わたし。
高飛車?じゃあ、もうちょっと謙虚に?
その那智さんに、共感の心地良さを刷り込ませていただいたのは、わたし。(あまり変わらないか!?)
わたしは那智さんに歪みも情けない姿もたくさん晒して心を解放してきた。
自分の手の中で安心し切って解されていく女性を見ていたら、恐らく、それに呼応するように良い気分を感じることができているのだと思う。
那智さんは、わたしとの間に感じる感覚を『一体感』と言っているけど、その一体感は那智さんを安心させるのだと思う。
そして、わたしの心を探るための膨大な量のやり取りを通じ、図らずも那智さんの心も曝け出すことになった。
そこでわたしは、那智さんさえ気付かなかった『那智さん』を見つけ、言語化することで更に那智さんに共感の心地良さを感じさせることができているのだと思うのです。
それの一部を時々ブログに披露してるわけですが。
その共感(一体感)する心地良さを知った那智さん。
一度知れば、それはいままでと同じことをしても、はっきりと感じられるものですよね。
ふたりでおいしい物を食べればもっとおいしく感じられるし、肌を合わせればもっと心地良い。
いつのまにか刷り込まれていったのです。
那智さんはいまでも自分のことを進んで話さない。
それは日常の小さな『共感』を生むのは、ちょっと難しいかもしれない。
普通の共感って、双方が手を出して繋ぎ心を通わす行為だとすれば。
わたしたちのそれは、わたしが手を出せばかならず握ってくれるとか、わたし自身が那智さんの掌の上にいる、安心や信頼という大きな土台の部分で共感し合えてるのだと思う。
だからといって、ふたりの関係に優劣を感じることはないの。
なぜかって、わたしも心地良さを感じさせてあげられてると、ちょっと自負しているから。
だから、ためらうことなく下に向いてる手に指を絡めて『繋いで』と言えるし、遠慮することなく掌に載ってコロコロしていられるのだ。
土台の部分で安心という共感を感じてる。
美しいことを書きましたが。
確かにねー、それは間違いないの。
だけどねー、那智さん。
日常の些細な共感も女は嬉しいものなのですよ。
ふたりのやり取りで、わたしがつまずいてしまう事柄がいくつかあって。
そのうちのひとつに『ブログの感想』というのがある。
メールで『面白かった』とひと言伝えてくれることはいい、ありがたいこと。
で、わたしはその面白さを話題に共感したいと思うから、そのあとお話しする時間ができたときに。
「今日のおもしろかったですか〜?」
と再度、話題を持ち出すと。
「面白かったよ、ただ、○○につてはなんで書かなかったの?」
とか
「面白かったよ、ただ、○○のついても書いたほうがわかりやすいんじゃない?」
などと、注文をつけるのだ!!!
それ、いならいから!!
もし、いるにしても、その前に『面白かった』で共感して!!!
那智さんは、ブログに関していち読者の立場で読んでいるらしいので、ストレートに疑問を投げかけるの。
ほら、当事者じゃなければ書く労力や書かなかった舞台裏などを推し量る必要ないでしょ?
だから、注文や難癖というマイナスイメージで言ってるつもりはないらしいのだけど。
それでも、面白かったはひとことで、そのあとすぐ『ただ…』をつけられることは、共感好きの女にとってはとても寂しいことなのだ。
これは、即問題解決に乗り出す男性脳的発想。
もっと『そうそう、あのときのりん子は○○だったよね〜』みたいにしたいのに。
すぐに注文や疑問を投げかける。
しばらく共感し合えたら、注文にも疑問にもお応えしようという気持ちになるものです。
そこのリップサービス、大事です。
うそを言う必要はないけれど、そこで一旦立ち止まり、ご自身に最近刷り込まれた『共感の快感』を思い出していただきたい。
そして、それを小さな出来事ででも、りん子に味わわせてやろうと思っていただきたい。
きっと、わたし気分良く次も書こうって思いますよ。
土台になる大きな共感は、わたしのとって幸福な人生にするとても重要な共感。
でも、それだけじゃなくて、那智さんと小さな共感もしたいな〜と思うわたしは贅沢なのかしら^^;
でも、那智さん、その日常の小さな共感もできるようになったら、いまよりもっとモテますよ、きっと^^