溺愛1
非日常的な日常
昨年の冬の終わりくらいから秋口まで、気がつけば半年以上鞭をしていなかった。
乳首を潰したりビンタをしたりはあったので痛いことをしていなかったのではなく、時間と体力を使った本格的な打撃系をしていなかったというのが正解。
だから、ちょうど3月のエントリーを最後に鞭の話が更新されることはなかった(これだって時差があるからね)
何度も書いているけど、ゴムのバラ鞭は本当に痛い。
わたしはマゾかもしれないけど痛いことが即大歓迎というわけではないので、痛いことはいつもいつも怖い。
だから、那智さんがカバンから鞭を取り出す気配のない日はほんのちょっと安堵する。
だけど、だけど、じゃあ、金輪際やらないと言われたら、それは淋しいと思ってしまうだろう。
痛いことがいいのだろうか、痛いことでたどり着く世界がいいのか、わからない。
ただ、それを那智さんがしてくれるからいいのだということだけはハッキリ言える。
とにかく鞭にはいつも複雑な気分にさせられている。
ところで、那智さんは、なぜ鞭をしなかったのだろう。
もちろん流行や気分でなんとなくという部分もあるけど(夏、暑かったしね^^)、那智さんとしては性的にもう1歩踏み込もうという目的があったようなのだ。
たしかに、長い時間かけてわたしは性的にとても変化させてもらった。
体と心はリンクしているから、その両方。
乳首に触れるだけで全身が震えるような、腰を振り求め、気持ちいいと表現することと、それを許す快感。
快感と制御しない精神。
その両方を変化させてもらった。
これももう一歩、さらに深くしようと思ったようなのだ。
ちょうど『20%嫌悪』からの解放のあたりだ。
那智さんはひたすらわたしにセックスの快感を与え続ける時間が増えていった。
その間は細々とSM的行為はしていたけど、多くの時間はおちんぽ様で指で道具でとにかくおまんこを突いた。
否応なく襲う快感に自分でも驚くような声を上げ、快感とは言い難いほどの快感の恐怖には逃げるように腰を振ってしまう。
そんな時間を毎回積み重ねていた。
SM的行為はちょこちょこしているものの主にセックスだけの描写は変化がないし恥ずかしくてできなかったから、しばらく『非日常的な日常』は若干おとなしめだったような気がします(笑)
そんな数ヶ月。
もしかしたら、この先、もう鞭はしないのかもしれない。
あの濃厚で痴人状態になれるのはいまのところ鞭だけだから、わたしはこの先一生あの世界に行くことはないのかもしれない。
幸い(?)わたしは痛みを欲してやまないという心と体には育てられていなかったから、この先ないかもしれないと思うことを静かに受け入れていた。
若い頃徹夜で遊んだ思い出を懐かしみ、老いを受け入れるような気持ちで。
秋も深まり。
那智さんの大きなイベントがひとつ終わろうとしていた頃。
お休みを前に「テンション高いよ〜、今度は鞭をしようね〜」とメールが届いた。
ああああ、鞭をするのですね。
とても怖い。
とても痛いことがわかっているから。
そして、あの痛さの先の痴人の恍惚は必ず感じられるという保証がないから。
人は慣れるもの。
コンスタントに鞭をしていたら快感回路も繋がりやすいかもしれないけど、ずっと間が空いてしまうとせっかく繋がった回路がリセットされてしまうような気がする。
もしかしたら、ただの物凄く痛いだけになってしまう可能性だって充分あるからだ。
だから、とても怖い。
わたしはひとり鞭に対して郷愁の思いを持っていたので、驚きと恐怖と、映画の予告を観てわくわくするようなすこし他人事のプラス感情で那智さんのメールを読んでいた。
宣言を聞いてから諸事情で一度鞭ができる状況にならずにいて、次の会う日。
改めて宣言はされていなかったけど、今日は鞭は決まっているはずだ。
折りに触れて「怖いです」というわたしに
痛いけど、怖くはないだろ?
という。
そう、ものすごく痛いとしても、怖くはないのだ。
なぜなら、那智さんは可愛がろうとしているのだから、もし快感に変換できずにただ痛いだけに終わったとしても、それは那智さんの可愛がりなのだから、怖くはない。
だからね、りん子はどうなってもいいの(笑)
気持ちよくなってもいいし、ならなくてもいいの
この自由はわたしに痛みを受け入れる心構えをさせてくれるし、じつは『那智さん次第』という上下の下の立場の自由でもあるのだ。
わたしはわたしの感覚の変化を那智さんにお預けする、わたしの感覚は那智さんが握っているのだから自由に気持ちよくなっても痛がってもいいのだ、これが下の立場の自由。
この思考回路をつなげてもらってずいぶん気持ちがラクになり鞭の日を迎えるのだった。
<関連エントリー>
性的に一歩踏み込んでいた時期
『苦節』
『20%嫌悪』
「等式」感想です。感じる・感じない・眠れる・眠れないのような、自分で制御でき難い事は開き直る事にしています。眠れないとイライラするなら眠くなるまで起きている、意識しないことにしています。意識するから、思い通りにならない、意識しなければストレスにならない。
精力の減退はこの限りにあらず。(笑)根本的な原因を解決しないと回復しませんね~
昨年の冬の終わりくらいから秋口まで、気がつけば半年以上鞭をしていなかった。
乳首を潰したりビンタをしたりはあったので痛いことをしていなかったのではなく、時間と体力を使った本格的な打撃系をしていなかったというのが正解。
だから、ちょうど3月のエントリーを最後に鞭の話が更新されることはなかった(これだって時差があるからね)
何度も書いているけど、ゴムのバラ鞭は本当に痛い。
わたしはマゾかもしれないけど痛いことが即大歓迎というわけではないので、痛いことはいつもいつも怖い。
だから、那智さんがカバンから鞭を取り出す気配のない日はほんのちょっと安堵する。
だけど、だけど、じゃあ、金輪際やらないと言われたら、それは淋しいと思ってしまうだろう。
痛いことがいいのだろうか、痛いことでたどり着く世界がいいのか、わからない。
ただ、それを那智さんがしてくれるからいいのだということだけはハッキリ言える。
とにかく鞭にはいつも複雑な気分にさせられている。
ところで、那智さんは、なぜ鞭をしなかったのだろう。
もちろん流行や気分でなんとなくという部分もあるけど(夏、暑かったしね^^)、那智さんとしては性的にもう1歩踏み込もうという目的があったようなのだ。
たしかに、長い時間かけてわたしは性的にとても変化させてもらった。
体と心はリンクしているから、その両方。
乳首に触れるだけで全身が震えるような、腰を振り求め、気持ちいいと表現することと、それを許す快感。
快感と制御しない精神。
その両方を変化させてもらった。
これももう一歩、さらに深くしようと思ったようなのだ。
ちょうど『20%嫌悪』からの解放のあたりだ。
那智さんはひたすらわたしにセックスの快感を与え続ける時間が増えていった。
その間は細々とSM的行為はしていたけど、多くの時間はおちんぽ様で指で道具でとにかくおまんこを突いた。
否応なく襲う快感に自分でも驚くような声を上げ、快感とは言い難いほどの快感の恐怖には逃げるように腰を振ってしまう。
そんな時間を毎回積み重ねていた。
SM的行為はちょこちょこしているものの主にセックスだけの描写は変化がないし恥ずかしくてできなかったから、しばらく『非日常的な日常』は若干おとなしめだったような気がします(笑)
そんな数ヶ月。
もしかしたら、この先、もう鞭はしないのかもしれない。
あの濃厚で痴人状態になれるのはいまのところ鞭だけだから、わたしはこの先一生あの世界に行くことはないのかもしれない。
幸い(?)わたしは痛みを欲してやまないという心と体には育てられていなかったから、この先ないかもしれないと思うことを静かに受け入れていた。
若い頃徹夜で遊んだ思い出を懐かしみ、老いを受け入れるような気持ちで。
秋も深まり。
那智さんの大きなイベントがひとつ終わろうとしていた頃。
お休みを前に「テンション高いよ〜、今度は鞭をしようね〜」とメールが届いた。
ああああ、鞭をするのですね。
とても怖い。
とても痛いことがわかっているから。
そして、あの痛さの先の痴人の恍惚は必ず感じられるという保証がないから。
人は慣れるもの。
コンスタントに鞭をしていたら快感回路も繋がりやすいかもしれないけど、ずっと間が空いてしまうとせっかく繋がった回路がリセットされてしまうような気がする。
もしかしたら、ただの物凄く痛いだけになってしまう可能性だって充分あるからだ。
だから、とても怖い。
わたしはひとり鞭に対して郷愁の思いを持っていたので、驚きと恐怖と、映画の予告を観てわくわくするようなすこし他人事のプラス感情で那智さんのメールを読んでいた。
宣言を聞いてから諸事情で一度鞭ができる状況にならずにいて、次の会う日。
改めて宣言はされていなかったけど、今日は鞭は決まっているはずだ。
折りに触れて「怖いです」というわたしに
痛いけど、怖くはないだろ?
という。
そう、ものすごく痛いとしても、怖くはないのだ。
なぜなら、那智さんは可愛がろうとしているのだから、もし快感に変換できずにただ痛いだけに終わったとしても、それは那智さんの可愛がりなのだから、怖くはない。
だからね、りん子はどうなってもいいの(笑)
気持ちよくなってもいいし、ならなくてもいいの
この自由はわたしに痛みを受け入れる心構えをさせてくれるし、じつは『那智さん次第』という上下の下の立場の自由でもあるのだ。
わたしはわたしの感覚の変化を那智さんにお預けする、わたしの感覚は那智さんが握っているのだから自由に気持ちよくなっても痛がってもいいのだ、これが下の立場の自由。
この思考回路をつなげてもらってずいぶん気持ちがラクになり鞭の日を迎えるのだった。
<関連エントリー>
性的に一歩踏み込んでいた時期
『苦節』
『20%嫌悪』
「等式」感想です。感じる・感じない・眠れる・眠れないのような、自分で制御でき難い事は開き直る事にしています。眠れないとイライラするなら眠くなるまで起きている、意識しないことにしています。意識するから、思い通りにならない、意識しなければストレスにならない。
精力の減退はこの限りにあらず。(笑)根本的な原因を解決しないと回復しませんね~
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