徒然に『責任の取り方」
独り言
命令不履行に対する那智さんの責任の取り方。
これをエントリーにするのに10年かかったのは、単に書く気が起きなかったということもあるのだけど、どう書いたらいいかわからなかったということもあった。
あれが那智さんの責任の取り方だということは前から理解していたのだけど、それを書くだけではハードルが高かったのだ。
なぜなら、那智さんにとって自分の排泄物を口にすることは、マゾの?わたしが想像するよりずっとずっと耐え難く、もしかしたら、それが公けになることは屈辱的なことなのではないかと想像できていたからだ。
(わたしたちの間での屈辱ではなくてね)
10年以上経ち、わたしの理解度もより深まり、『下からのコントロール』の話を絡めることで読んでいる方たちにもより伝わりやすいだろうし、よりカッコよく書ける(笑)と思えたから、この時期でのエントリーになった。
読み返してみて、那智さんの意を決する迫力みたいなものをもう少し書けたらよかったなぁと悔やまれるほどに、あのときの那智さんにとってあの行為はいろいろな意味で重大なことだったのだと感じている。
それが感想の「恥ずかしい」に表れている。
これにはふたつの意味が考えられると思う。
ひとつは、単に自分の排泄物を飲み込んだ行為の恥ずかしさ。
最初にも書いたけど、那智さんはマゾではないので(笑)
排泄物を口にすることに何ら思い入れはないわけだし、まして自分のものだということにも拒否感はある。
もともと『自分のできないことはしない』ポリシーだったから、できないことではなかったにしても、【自分のだったらわたしの物のほうがいい】と思っていることでもわかるようにまったく大歓迎ではない事柄だったし、事前準備も含めて自嘲してしまってもおかしくないことだったと思う。
とにかく「マイナス」しかないことをする恥ずかしさ。
もうひとつは、上の立場として、命令を遂行させられなかったこと。
その計画や判断の見誤りが本人にとっては恥ずかしいことだった。
責任を取るためにふたつの恥ずかしさを引き受ける様子は、じつは何とも言えない迫力があった。
その辺りが描けていなかったかなぁと、ちょっと惜しい気持ち。
概ね高評価をいただいていたので(笑)
長い時間を経ても書けてよかったなと思うけど、書くには那智さんはもちろんわたしにも『那智さんの恥ずかしさをすこしでも軽減して差し上げられるか』という意味に於いて、ハードルの高い出来事だったことは間違いないなと思いつつ、徒然です。
ところで、あの責任の取り方を実行したときの那智さんはいまのわたしより5つも年下で立場も関係性もいまのままだ。
そう考えると、ああいう責任の取り方ができることは年齢や関係性ってわけではなくて、那智さんは若い頃からそういう人だったんだな〜とちょっぴり感慨深い思いでもある。
(これでヨッパでなければ…と一部から聞こえてきそうだけど^^;)
と、またすこし『カッコよさ』を上乗せして、エントリーをおしまいにします(笑)
<関連エントリー>
責任の取り方
自分のよりわたしのほうがいい
徒然に『スカトロ総括』
「等式」感想です。私とりん子のお互いの物、立場、責任、約束(義務)、は我々と、我々のまわりの為に存在することです。
命令不履行に対する那智さんの責任の取り方。
これをエントリーにするのに10年かかったのは、単に書く気が起きなかったということもあるのだけど、どう書いたらいいかわからなかったということもあった。
あれが那智さんの責任の取り方だということは前から理解していたのだけど、それを書くだけではハードルが高かったのだ。
なぜなら、那智さんにとって自分の排泄物を口にすることは、マゾの?わたしが想像するよりずっとずっと耐え難く、もしかしたら、それが公けになることは屈辱的なことなのではないかと想像できていたからだ。
(わたしたちの間での屈辱ではなくてね)
10年以上経ち、わたしの理解度もより深まり、『下からのコントロール』の話を絡めることで読んでいる方たちにもより伝わりやすいだろうし、よりカッコよく書ける(笑)と思えたから、この時期でのエントリーになった。
読み返してみて、那智さんの意を決する迫力みたいなものをもう少し書けたらよかったなぁと悔やまれるほどに、あのときの那智さんにとってあの行為はいろいろな意味で重大なことだったのだと感じている。
それが感想の「恥ずかしい」に表れている。
これにはふたつの意味が考えられると思う。
ひとつは、単に自分の排泄物を飲み込んだ行為の恥ずかしさ。
最初にも書いたけど、那智さんはマゾではないので(笑)
排泄物を口にすることに何ら思い入れはないわけだし、まして自分のものだということにも拒否感はある。
もともと『自分のできないことはしない』ポリシーだったから、できないことではなかったにしても、【自分のだったらわたしの物のほうがいい】と思っていることでもわかるようにまったく大歓迎ではない事柄だったし、事前準備も含めて自嘲してしまってもおかしくないことだったと思う。
とにかく「マイナス」しかないことをする恥ずかしさ。
もうひとつは、上の立場として、命令を遂行させられなかったこと。
その計画や判断の見誤りが本人にとっては恥ずかしいことだった。
責任を取るためにふたつの恥ずかしさを引き受ける様子は、じつは何とも言えない迫力があった。
その辺りが描けていなかったかなぁと、ちょっと惜しい気持ち。
概ね高評価をいただいていたので(笑)
長い時間を経ても書けてよかったなと思うけど、書くには那智さんはもちろんわたしにも『那智さんの恥ずかしさをすこしでも軽減して差し上げられるか』という意味に於いて、ハードルの高い出来事だったことは間違いないなと思いつつ、徒然です。
ところで、あの責任の取り方を実行したときの那智さんはいまのわたしより5つも年下で立場も関係性もいまのままだ。
そう考えると、ああいう責任の取り方ができることは年齢や関係性ってわけではなくて、那智さんは若い頃からそういう人だったんだな〜とちょっぴり感慨深い思いでもある。
(これでヨッパでなければ…と一部から聞こえてきそうだけど^^;)
と、またすこし『カッコよさ』を上乗せして、エントリーをおしまいにします(笑)
<関連エントリー>
責任の取り方
自分のよりわたしのほうがいい
徒然に『スカトロ総括』
「等式」感想です。私とりん子のお互いの物、立場、責任、約束(義務)、は我々と、我々のまわりの為に存在することです。
必須条件
独り言
チャットを閉じた大きな理由のひとつはエントリーが書けなくなったこと。
なぜ書けなくなったかを含めてエントリーにした。
じつは直接的な理由ではないけど、もうひとつ書けない理由があった。
それはね、那智さんなの(笑)
那智さんはフォアグラ生産者だと書いている。
開けた口にどんどん、どんどん与えてくれる。
愛情や性行為、日々のやり取りから人生を大きく変えるほどのものまで、とにかくいろいろなものを。
もともと与え好きな人だし、その能力にも長けた人だから、じつはさほど苦にならずに与えられるのだろうけど、ひとつだけ絶対に外せない必須条件があるのだ。
それは『こちらがいつも口を開けていること』。
こちらが口を開ければ与えてくれるけど、一度でも拒否したり吐き出したりしたら次から分量が減り、それが何回かあればいずれくれなくなる。
「なんで拒否すんだ」「俺の与えるものを全部受け止めろ」なんて感情を露わに意義を唱えたりしてくれればわかりやすいのだけど、そうではなくこちらが気づかないうちにすっと消えていってしまうような流れでくれなくなる。
そんなふうにいままでの那智さんを見て想像していた。
で、どうやら、その想像は的中していたようなのだ。
チャットでは、わたしはちょっと一生懸命だった。
楽しいということはもちろんだけど管理人として何か一生懸命になってしまっていた。
特別なにかするわけでもないのに生活の中心がチャットになる瞬間があるほどに、漠然と一生懸命だった。
そうなると、日々那智さんが中心のわたしの心のバランスがすこし変わる。
しつこいくらいに送る文字が減り、「那智さん那智さん」とぶんぶん振っていた尻尾もペタンと落ち着く。
いつでもらぶらぶには変わりないのだけど、チャットに一生懸命なあまり口をあけて『ちょうだい』している時間が減るのだ。
あ、午後の4時間、ひと言もお話しかけてなかったなんてこともあったりして(4時間音沙汰なしが正常か異常かは、おいといて 笑)
ふと、気づくと那智さんはすっといなくなっている。
もちろん話しかければ答えてくれるし会えばいつも通り可愛がってくれるのだけど、何かが違う。
わたしの中心が那智さんでない時間が発生したように、那智さんのわたしに対する集中も格段に落ち着いてしまっているようなのだ。
そうなると、日々のコミュニケーションが薄くなっていく。
いつも通り朝のお電話タイムはあるし険悪な雰囲気なわけではないのよ、だけど深まらない。
でね、思い知るわけ。
ブログはわたしが書いているけれど、那智さんとの日々のコミュニケーションが肥やしになっているのだと。
話題提供に答えてもらい、そこから深める。
他愛ないじゃれあいから真剣な会話まで。
このやり取りがネタになったり活力になったり、エントリーを書くには必要だったのだ。
いつも那智さんに口を開けて『ちょうだい』をしていないといけなくて、いただくものは残さず食べ切らないといけないのだなって。
いけないのだと書くと頑張ってそうしているようだけど、チャットのことで気づくまでは、11年間、ほぼ意識せず無理なくできていたのだから、まあ、わたしは究極のかまってちゃんであることは間違いない^^;
チャットを終えてひと息ついたとき、いつも通り口を開けるわたしにいつも通りたくさんくれる那智さんを感じ、ああ、なるほどなと理解したのだ。
那智さんの名誉のために(笑)
会えば何も変わらず可愛がってくれるし文字だってちゃんと反応してくれていたから、いじけてあげないとかあげたくないとかではないのです。
わたしが何か他のことに一生懸命になったり楽しんでいたら「そっちを楽しみなね」とすっと引いてくれてしまう。
会えるとき可愛がれるとき、いつも通り可愛がってあげるねってだけのことのようだ。
那智さんはそういう人なのだ。
与えることが好きだしその能力だってあるけれど、欲していることが必須な人。
だから、こちらが口を開けないとくれない。
口を閉じたら見事にくれなくなる(笑)
面白いくらいくれなくなった(笑)
那智さんは、肯定して欲しい人だと書いている。
それが確認作業だったり『独占欲』に表れたりしているのだけど、こちらが口を開けて欲することも大きな肯定に感じられるのだろう。
本当はとても与えたいし存在の肯定をしてほしいはずなのに、こちらが欲しないと与えない。
だけど、おそらく、それでも過ごせる人なのだ。
本当は欲しいはずなのに過ごせてしまうのはもどかしくちょっとせつない気もするね。
いままで、そうかなと想像してエントリーに書いてきたけど、本当にそうだった。
だからね、これからもずーっと口を開けていようと思うのだ(笑)
<関連エントリー>
フォアグラ生産者
確認作業
独占欲
徒然に「独占欲」のこと
「等式」感想です。この話を「肯定」と一緒にするのがなかなか憎い。私は存在を肯定されたいだけで、話を「否定」されるとダメなわけではありませんよ!(笑)
りんこ子(^-^)「肯定」=意見の一致ではないので、違う意見はダメ(否定)というわけではありません、ということでした(^-^) 那智さんはイエスマンがほしいのではなくて、存在の肯定がほしいのだと思います。
チャットを閉じた大きな理由のひとつはエントリーが書けなくなったこと。
なぜ書けなくなったかを含めてエントリーにした。
じつは直接的な理由ではないけど、もうひとつ書けない理由があった。
それはね、那智さんなの(笑)
那智さんはフォアグラ生産者だと書いている。
開けた口にどんどん、どんどん与えてくれる。
愛情や性行為、日々のやり取りから人生を大きく変えるほどのものまで、とにかくいろいろなものを。
もともと与え好きな人だし、その能力にも長けた人だから、じつはさほど苦にならずに与えられるのだろうけど、ひとつだけ絶対に外せない必須条件があるのだ。
それは『こちらがいつも口を開けていること』。
こちらが口を開ければ与えてくれるけど、一度でも拒否したり吐き出したりしたら次から分量が減り、それが何回かあればいずれくれなくなる。
「なんで拒否すんだ」「俺の与えるものを全部受け止めろ」なんて感情を露わに意義を唱えたりしてくれればわかりやすいのだけど、そうではなくこちらが気づかないうちにすっと消えていってしまうような流れでくれなくなる。
そんなふうにいままでの那智さんを見て想像していた。
で、どうやら、その想像は的中していたようなのだ。
チャットでは、わたしはちょっと一生懸命だった。
楽しいということはもちろんだけど管理人として何か一生懸命になってしまっていた。
特別なにかするわけでもないのに生活の中心がチャットになる瞬間があるほどに、漠然と一生懸命だった。
そうなると、日々那智さんが中心のわたしの心のバランスがすこし変わる。
しつこいくらいに送る文字が減り、「那智さん那智さん」とぶんぶん振っていた尻尾もペタンと落ち着く。
いつでもらぶらぶには変わりないのだけど、チャットに一生懸命なあまり口をあけて『ちょうだい』している時間が減るのだ。
あ、午後の4時間、ひと言もお話しかけてなかったなんてこともあったりして(4時間音沙汰なしが正常か異常かは、おいといて 笑)
ふと、気づくと那智さんはすっといなくなっている。
もちろん話しかければ答えてくれるし会えばいつも通り可愛がってくれるのだけど、何かが違う。
わたしの中心が那智さんでない時間が発生したように、那智さんのわたしに対する集中も格段に落ち着いてしまっているようなのだ。
そうなると、日々のコミュニケーションが薄くなっていく。
いつも通り朝のお電話タイムはあるし険悪な雰囲気なわけではないのよ、だけど深まらない。
でね、思い知るわけ。
ブログはわたしが書いているけれど、那智さんとの日々のコミュニケーションが肥やしになっているのだと。
話題提供に答えてもらい、そこから深める。
他愛ないじゃれあいから真剣な会話まで。
このやり取りがネタになったり活力になったり、エントリーを書くには必要だったのだ。
いつも那智さんに口を開けて『ちょうだい』をしていないといけなくて、いただくものは残さず食べ切らないといけないのだなって。
いけないのだと書くと頑張ってそうしているようだけど、チャットのことで気づくまでは、11年間、ほぼ意識せず無理なくできていたのだから、まあ、わたしは究極のかまってちゃんであることは間違いない^^;
チャットを終えてひと息ついたとき、いつも通り口を開けるわたしにいつも通りたくさんくれる那智さんを感じ、ああ、なるほどなと理解したのだ。
那智さんの名誉のために(笑)
会えば何も変わらず可愛がってくれるし文字だってちゃんと反応してくれていたから、いじけてあげないとかあげたくないとかではないのです。
わたしが何か他のことに一生懸命になったり楽しんでいたら「そっちを楽しみなね」とすっと引いてくれてしまう。
会えるとき可愛がれるとき、いつも通り可愛がってあげるねってだけのことのようだ。
那智さんはそういう人なのだ。
与えることが好きだしその能力だってあるけれど、欲していることが必須な人。
だから、こちらが口を開けないとくれない。
口を閉じたら見事にくれなくなる(笑)
面白いくらいくれなくなった(笑)
那智さんは、肯定して欲しい人だと書いている。
それが確認作業だったり『独占欲』に表れたりしているのだけど、こちらが口を開けて欲することも大きな肯定に感じられるのだろう。
本当はとても与えたいし存在の肯定をしてほしいはずなのに、こちらが欲しないと与えない。
だけど、おそらく、それでも過ごせる人なのだ。
本当は欲しいはずなのに過ごせてしまうのはもどかしくちょっとせつない気もするね。
いままで、そうかなと想像してエントリーに書いてきたけど、本当にそうだった。
だからね、これからもずーっと口を開けていようと思うのだ(笑)
<関連エントリー>
フォアグラ生産者
確認作業
独占欲
徒然に「独占欲」のこと
「等式」感想です。この話を「肯定」と一緒にするのがなかなか憎い。私は存在を肯定されたいだけで、話を「否定」されるとダメなわけではありませんよ!(笑)
りんこ子(^-^)「肯定」=意見の一致ではないので、違う意見はダメ(否定)というわけではありません、ということでした(^-^) 那智さんはイエスマンがほしいのではなくて、存在の肯定がほしいのだと思います。
7年目のお願い
独特な幸福感
最初に「女の子になっちゃえよ」と言われて号泣してから、数ヶ月に1回ほどの割合で那智さんに『小さい女の子』にしてもらっていた。
日常の何気ない会話とはすこし違うテンション、主に性的な場面で名前をつけたりして『小さい女の子』として抱いてもらっていた。
何回目かのとき、ふと、ああ、もう名前を変えたりする必要はないかもと感じた。
出会った当初の貪欲に欲していた時期を過ぎすこし落ち着いてきて、妙に大人ぶりたかったのかもしれない、いい年した大人が子どもになることに照れを感じ、もう『何か』にならなくても充分甘えて愛されて心を解放できると思えたこともある。
それらが重なって『卒業』ということを伝えたのだ。
それからも日頃は「いい子いい子」って髪を撫でてくれたり【お風呂の泡】で遊んでくれたりもしているし、鞭のときの【猫可愛がり】なんてこともあるけど、当然のごとく、いつもりん子でいつも大人の扱いだった。
基本はそれで充分満足ではあるのだけど、ときどき、あの【すべてを肯定するような甘い時間】がほしくなって「いつか、那智さんがその気になったら、またあのときみたいに子ども扱いしてください」とお願いすることもあった。
とくにモカの後は、すこし異常なほど『女の子』を欲していたので、いろいろな方法でお願いしていた。
でも、じつは、それはあまり叶っていないのだ。
このリクエストになると決まって那智さんはいろいろな設定条件を詰めて話したりして、すんなりと了解してくれない。
まあ、【奴隷】の場合もそうだったけど、那智さんなりに『ごっこ』にしたほうがやりやすいのだろうと思って、その設定条件のお話しを進めるけれど、『いつ』『どのタイミングで』『それはりん子のままの子どもなのか、別に名前をつけての子どもなのか』『どれくらいの時間そうしていたいのか』などなど、条件を設定すればするほど、残念な気持ちになっていくのも確か。
わたしがリクエストしていることだからしかたないことだけど、『その気になったら』とお願いしている時点で細かいことは那智さんがしたいようにしてもらえばいいのだし、このお願いのしかたがふたりにとって最良なこともお互いわかっているのだから、本来、そんな詳細に詰める必要はないんだ。
それなのに次々詳細を選択するように促されると、那智さんはそれほどしたくないのかなと思えてきてだんだん気持ちも萎えていき、最終的にはうやむやに終わることがほとんどだった。
あんなに見事にわたしの心を射抜いた『小さな女の子』だったのだから、いろいろ条件をつけたりしなくても充分その力量はあるはずなのに、どうしてそれをしてくれないのか、すこし不思議だった。
ある会えた日、すこし自分の生きにくさを自覚することがあった。
通常通り抱き合って飲んで楽しんだ帰り道、疲弊したような心を癒すことを意識したかったなと思った。
だから、帰り道に「また、女の子にして可愛がってください」とお願いをしたのだ。
もう何回目かのお願いだ。
そしたら、案の定、『どんなふうにしてほしいのか』と確認をされた。
どんなふうにって、過去に那智さんがしてくれたようなことをしてほしいのだけなのだけど、忘れてしまったのだろうか。
かつてドンピシャで『女の子』をしてくれた人とは思えないような確認だった。
翌日、またその話しになり、過去エントリーを送るからサンプルにしてもらうことにした。
なんとなく、記憶喪失になった那智さんの記憶を取り戻すために必死になっているような気分だった^^;
通話で繋がりながらエントリーを読み返す。
これは、過去最高だったかもな(笑)
ふたりの間に懐かしい気持ちが漂い那智さんの記憶喪失が治ったような期待に胸を膨らませる気持ちでいたのだけど、やはりこの後にも設定条件の提案がなされた。
でも、これっていつするか、りん子からいうほうがいいよな
???あ、まただ。
だって、わたしたちの間では『那智さんがその気になったら』ということがベストの進め方だと理解しているのに、また、そんな水を差すようなことをおっしゃるの?
お互いにとってベストのリクエストをして、過去エントリーまで読んでもらって、それでもなお、まだ、何かハードルを越えないとできないことなのだろうか。
疑念が湧く。
じゃあ、わたしから「いまからしてください」とその場でお願いするのですか?
うん、これに関しては、俺はいつでもできると思うからりん子からいうっていうほうがいいような気がする
いつでもできるなら、なぜ詳細を確認したりタイミングを計ったりするのだろう。
なぜですか?
いままでだって、どんなことでも那智さんがしたければやるし、わたしの反応がイマイチでも続けるのもやめるのも那智さんが好きにしていたのだから、このことだってそれと同じだと思うのですけど?
いや、このことに関しては…
あ、
那智さん、もしかして、拒否されることを避けていませんか?
なんだかんだ言いながらやらないように仕向けているように感じられて、そうか、拒否された経験からそれを避けようとしているのかと思いつく。
ああ、そうかもしれない(笑)
俺、ホントに全部受け止めないとあげなくなるな(笑)
なるほど、それで納得できた。
那智さんはフォアグラ生産者だ。
たくさんたくさん愛情をくれる。
ただ、それには重要な条件がある。
前エントリーで書いたように、こちらが常に口を開け続け、欲していないといけないのだ。
そして、ひとつでも「いらない」と拒否しようものなら、そっとくれなくなる。
(そっとというのもミソなのよ、要求したり、拒否を非難したりしないの)
これは那智さんのかなり偏った性質。
おそらく『小さな女の子』に関しても、この特性が働いたのだろう。
『小さな女の子』はわたしだけではなく那智さんにとっても特殊なことだったのだと思う。
その嗜好はないはずだけどわたしのためにハードルを越えてくれた。
(そして、もしかしたら、その先に密かな快感を得ていたかもしれない、そして、それはあまりおおっぴらにするものではないと感じていたかもしれない。)
いろいろな意味で気合いを入れたものだったのだとしたら、拒否されれば決定的に『あげないもの』と無意識に植え付けることは想像できてしまう。
那智さんはこちらが口を開けないとくれない。
それは存在を肯定されたい欲が強いから、強いからこそ、わたし側からの発信である必要があるのだろう。
強いからこそ、一度だけの『卒業』宣言が致命的になったのだ。
わたしが半分照れて口にした『卒業』の宣言の記憶が無意識の中に残っているから簡単なリクエスト程度ではあげる気持ちが起きないのだ。
たくさん限定条件をつけてハードルを上げて、それでも欲しいという状況を作らないと那智さんにとって心から欲してるにならないのかもしれない。
それくらいしないと拒否された記憶を払拭できないと無意識に行動していたのだ。
那智さん、拒否されないようにしていますよね
話は進む。
どうやらハードルを上げてそれでも欲しいと確認して『卒業』の傷を払拭したいだけではなさそうだ。
ああ、そうか。
那智さんは最後通告をしない人だ。
わたしも割りと、【覆水盆に返らず】な人で「二度と◯◯しない」なんて言い放つことは基本しないでいたいと思っている。
二度とも絶対も終わりも言葉にするときには、それ相応の覚悟をして発するつもりでいる。
那智さんはもっともっとそういう人だから、わたしが『卒業』と宣言したことを最後通告と受け取ったのかもしれない。
だから、わたしからお願いしてもやってくれないのだ。
やりたい気持ちが削がれるようにハードルを上げるのだ。
おそらく「りん子、卒業っていったよな?」と無意識に、わたしの最後通告に対する責任を取らせているのかもしれない。
たぶん、そう。
まったく、もう、厄介な人(笑)
卒業の宣言をしたエントリーは2007年。
もうかれこれ7年間も、ふたりの間で『小さな女の子』プレイのリクエストとうやむやに叶えないをくり返している。
わたしもしつこいけど、那智さんも相当しつこい(笑)
全部受け入れて、なおかつ欲しないとくれなくて、最後通告な発言をしたらくれなくなって、7年間無意識に継続させていた。
那智さん、ホントにしつこくてストイック(笑)
さて、7年間、このやり取りをくり返し、どうやら那智さんの【感情のスタート】も見えてきた感じがする。
バラバラになっていたものが繋がり新しい感情を見つけることができたと思う。
那智さんは肯定が欲しい人だ。
それもかなりなハイレベルの存在の肯定。
だからこそ、一度の拒否が命取り(笑)
(「今日は鞭はもう無理」とかの拒否は問題ないのだけどね、『卒業』という全面拒否のスタンスがいけなかったの)
その記憶を払拭するための設定条件だったのだ。
自分を知るって、なかなかハードだけど人生の醍醐味ですね、那智さん^^
ということで、わたしは7年目の謝罪とお願いをします。
もともと最後通告はしたくないと思っていたのですが、当時はいまより『感情のスタート』を見極める訓練ができていませんでした。
本当は『小さな女の子』にしていただくことは幸せでうれしいことなのに、芽生えはじめたプライドや背徳感や照れる気持ちが『卒業』を宣言させてしまったのです。
本当の気持ちに辿りつく前の感情で『卒業』と言ってしまってごめんなさい。
いまなら、感情のスタートがわかります。
わたしは那智さんに『小さい女の子』にしていただくことが大好きです。
昔より、ずっと自分の快感に正直になれて、那智さんへの信頼も日増しに深くなるいまなら、もう不必要な背徳感や照れは持たずにいられるはずです(恥ずかしい気持ちはあるけれども)
本来なら『卒業』と宣言した責任において『小さな女の子』になることは諦めるべきですし、また、わたしからリクエストすることも筋ではないとわかっていますが、それでも、お願いをします。
いつか那智さんがその気になったときに、また『小さな女の子』にしてください。
それにしても、この那智さんのことを『根に持っていた』って書きたいんだけど、そのマイナスイメージではちょっと合わないんだよね。
何より『りん子フィルター』がその表現を使いたくないのだ。
でも、ボキャブラリーの乏しいわたしには他に適切な言葉が思いつかない(笑)
ヘソ曲げた、も、違うしねぇ。
苦肉の策で『しつこくてストイック』なんて使ってみたけど、日本語的にハズレじゃない、よね^^;
<関連エントリー>
毛布
全肯定1 2
卒業って宣言しちゃったとき
女の子
でも、翌日のエントリーでは気持ち撤回してるのよ^^;
有言不実行
お風呂の泡
お風呂遊び
鞭の猫可愛がり
溺愛3
すべてを肯定するような甘い時間、これをサンプルに送った
辿り着いたセックス^^;2
奴隷ごっこしたとき
ごっこ
その気になったら
「いつか」
覆水盆に返らず
感情のスタート
続・感情のスタート
みんな頑張った!ワールドカップは忘れて。「等式」感想です。今日は私の「痛い」部分の考察です。「拒否の罪と責任」については私は厳しいのかもしれない。だって、「肯定」されたい人なのですから!(笑)今日もかなり冴えているエントリー、比較的、我々のなかでは新しい発見ですがいかがですか?
うーん。今日のエントリーは私の性格の一端を言い表すのに素晴らしいエピソードです。自分でもあまり意識していない部分もありました。(笑)
最初に「女の子になっちゃえよ」と言われて号泣してから、数ヶ月に1回ほどの割合で那智さんに『小さい女の子』にしてもらっていた。
日常の何気ない会話とはすこし違うテンション、主に性的な場面で名前をつけたりして『小さい女の子』として抱いてもらっていた。
何回目かのとき、ふと、ああ、もう名前を変えたりする必要はないかもと感じた。
出会った当初の貪欲に欲していた時期を過ぎすこし落ち着いてきて、妙に大人ぶりたかったのかもしれない、いい年した大人が子どもになることに照れを感じ、もう『何か』にならなくても充分甘えて愛されて心を解放できると思えたこともある。
それらが重なって『卒業』ということを伝えたのだ。
それからも日頃は「いい子いい子」って髪を撫でてくれたり【お風呂の泡】で遊んでくれたりもしているし、鞭のときの【猫可愛がり】なんてこともあるけど、当然のごとく、いつもりん子でいつも大人の扱いだった。
基本はそれで充分満足ではあるのだけど、ときどき、あの【すべてを肯定するような甘い時間】がほしくなって「いつか、那智さんがその気になったら、またあのときみたいに子ども扱いしてください」とお願いすることもあった。
とくにモカの後は、すこし異常なほど『女の子』を欲していたので、いろいろな方法でお願いしていた。
でも、じつは、それはあまり叶っていないのだ。
このリクエストになると決まって那智さんはいろいろな設定条件を詰めて話したりして、すんなりと了解してくれない。
まあ、【奴隷】の場合もそうだったけど、那智さんなりに『ごっこ』にしたほうがやりやすいのだろうと思って、その設定条件のお話しを進めるけれど、『いつ』『どのタイミングで』『それはりん子のままの子どもなのか、別に名前をつけての子どもなのか』『どれくらいの時間そうしていたいのか』などなど、条件を設定すればするほど、残念な気持ちになっていくのも確か。
わたしがリクエストしていることだからしかたないことだけど、『その気になったら』とお願いしている時点で細かいことは那智さんがしたいようにしてもらえばいいのだし、このお願いのしかたがふたりにとって最良なこともお互いわかっているのだから、本来、そんな詳細に詰める必要はないんだ。
それなのに次々詳細を選択するように促されると、那智さんはそれほどしたくないのかなと思えてきてだんだん気持ちも萎えていき、最終的にはうやむやに終わることがほとんどだった。
あんなに見事にわたしの心を射抜いた『小さな女の子』だったのだから、いろいろ条件をつけたりしなくても充分その力量はあるはずなのに、どうしてそれをしてくれないのか、すこし不思議だった。
ある会えた日、すこし自分の生きにくさを自覚することがあった。
通常通り抱き合って飲んで楽しんだ帰り道、疲弊したような心を癒すことを意識したかったなと思った。
だから、帰り道に「また、女の子にして可愛がってください」とお願いをしたのだ。
もう何回目かのお願いだ。
そしたら、案の定、『どんなふうにしてほしいのか』と確認をされた。
どんなふうにって、過去に那智さんがしてくれたようなことをしてほしいのだけなのだけど、忘れてしまったのだろうか。
かつてドンピシャで『女の子』をしてくれた人とは思えないような確認だった。
翌日、またその話しになり、過去エントリーを送るからサンプルにしてもらうことにした。
なんとなく、記憶喪失になった那智さんの記憶を取り戻すために必死になっているような気分だった^^;
通話で繋がりながらエントリーを読み返す。
これは、過去最高だったかもな(笑)
ふたりの間に懐かしい気持ちが漂い那智さんの記憶喪失が治ったような期待に胸を膨らませる気持ちでいたのだけど、やはりこの後にも設定条件の提案がなされた。
でも、これっていつするか、りん子からいうほうがいいよな
???あ、まただ。
だって、わたしたちの間では『那智さんがその気になったら』ということがベストの進め方だと理解しているのに、また、そんな水を差すようなことをおっしゃるの?
お互いにとってベストのリクエストをして、過去エントリーまで読んでもらって、それでもなお、まだ、何かハードルを越えないとできないことなのだろうか。
疑念が湧く。
じゃあ、わたしから「いまからしてください」とその場でお願いするのですか?
うん、これに関しては、俺はいつでもできると思うからりん子からいうっていうほうがいいような気がする
いつでもできるなら、なぜ詳細を確認したりタイミングを計ったりするのだろう。
なぜですか?
いままでだって、どんなことでも那智さんがしたければやるし、わたしの反応がイマイチでも続けるのもやめるのも那智さんが好きにしていたのだから、このことだってそれと同じだと思うのですけど?
いや、このことに関しては…
あ、
那智さん、もしかして、拒否されることを避けていませんか?
なんだかんだ言いながらやらないように仕向けているように感じられて、そうか、拒否された経験からそれを避けようとしているのかと思いつく。
ああ、そうかもしれない(笑)
俺、ホントに全部受け止めないとあげなくなるな(笑)
なるほど、それで納得できた。
那智さんはフォアグラ生産者だ。
たくさんたくさん愛情をくれる。
ただ、それには重要な条件がある。
前エントリーで書いたように、こちらが常に口を開け続け、欲していないといけないのだ。
そして、ひとつでも「いらない」と拒否しようものなら、そっとくれなくなる。
(そっとというのもミソなのよ、要求したり、拒否を非難したりしないの)
これは那智さんのかなり偏った性質。
おそらく『小さな女の子』に関しても、この特性が働いたのだろう。
『小さな女の子』はわたしだけではなく那智さんにとっても特殊なことだったのだと思う。
その嗜好はないはずだけどわたしのためにハードルを越えてくれた。
(そして、もしかしたら、その先に密かな快感を得ていたかもしれない、そして、それはあまりおおっぴらにするものではないと感じていたかもしれない。)
いろいろな意味で気合いを入れたものだったのだとしたら、拒否されれば決定的に『あげないもの』と無意識に植え付けることは想像できてしまう。
那智さんはこちらが口を開けないとくれない。
それは存在を肯定されたい欲が強いから、強いからこそ、わたし側からの発信である必要があるのだろう。
強いからこそ、一度だけの『卒業』宣言が致命的になったのだ。
わたしが半分照れて口にした『卒業』の宣言の記憶が無意識の中に残っているから簡単なリクエスト程度ではあげる気持ちが起きないのだ。
たくさん限定条件をつけてハードルを上げて、それでも欲しいという状況を作らないと那智さんにとって心から欲してるにならないのかもしれない。
それくらいしないと拒否された記憶を払拭できないと無意識に行動していたのだ。
那智さん、拒否されないようにしていますよね
話は進む。
どうやらハードルを上げてそれでも欲しいと確認して『卒業』の傷を払拭したいだけではなさそうだ。
ああ、そうか。
那智さんは最後通告をしない人だ。
わたしも割りと、【覆水盆に返らず】な人で「二度と◯◯しない」なんて言い放つことは基本しないでいたいと思っている。
二度とも絶対も終わりも言葉にするときには、それ相応の覚悟をして発するつもりでいる。
那智さんはもっともっとそういう人だから、わたしが『卒業』と宣言したことを最後通告と受け取ったのかもしれない。
だから、わたしからお願いしてもやってくれないのだ。
やりたい気持ちが削がれるようにハードルを上げるのだ。
おそらく「りん子、卒業っていったよな?」と無意識に、わたしの最後通告に対する責任を取らせているのかもしれない。
たぶん、そう。
まったく、もう、厄介な人(笑)
卒業の宣言をしたエントリーは2007年。
もうかれこれ7年間も、ふたりの間で『小さな女の子』プレイのリクエストとうやむやに叶えないをくり返している。
わたしもしつこいけど、那智さんも相当しつこい(笑)
全部受け入れて、なおかつ欲しないとくれなくて、最後通告な発言をしたらくれなくなって、7年間無意識に継続させていた。
那智さん、ホントにしつこくてストイック(笑)
さて、7年間、このやり取りをくり返し、どうやら那智さんの【感情のスタート】も見えてきた感じがする。
バラバラになっていたものが繋がり新しい感情を見つけることができたと思う。
那智さんは肯定が欲しい人だ。
それもかなりなハイレベルの存在の肯定。
だからこそ、一度の拒否が命取り(笑)
(「今日は鞭はもう無理」とかの拒否は問題ないのだけどね、『卒業』という全面拒否のスタンスがいけなかったの)
その記憶を払拭するための設定条件だったのだ。
自分を知るって、なかなかハードだけど人生の醍醐味ですね、那智さん^^
ということで、わたしは7年目の謝罪とお願いをします。
もともと最後通告はしたくないと思っていたのですが、当時はいまより『感情のスタート』を見極める訓練ができていませんでした。
本当は『小さな女の子』にしていただくことは幸せでうれしいことなのに、芽生えはじめたプライドや背徳感や照れる気持ちが『卒業』を宣言させてしまったのです。
本当の気持ちに辿りつく前の感情で『卒業』と言ってしまってごめんなさい。
いまなら、感情のスタートがわかります。
わたしは那智さんに『小さい女の子』にしていただくことが大好きです。
昔より、ずっと自分の快感に正直になれて、那智さんへの信頼も日増しに深くなるいまなら、もう不必要な背徳感や照れは持たずにいられるはずです(恥ずかしい気持ちはあるけれども)
本来なら『卒業』と宣言した責任において『小さな女の子』になることは諦めるべきですし、また、わたしからリクエストすることも筋ではないとわかっていますが、それでも、お願いをします。
いつか那智さんがその気になったときに、また『小さな女の子』にしてください。
それにしても、この那智さんのことを『根に持っていた』って書きたいんだけど、そのマイナスイメージではちょっと合わないんだよね。
何より『りん子フィルター』がその表現を使いたくないのだ。
でも、ボキャブラリーの乏しいわたしには他に適切な言葉が思いつかない(笑)
ヘソ曲げた、も、違うしねぇ。
苦肉の策で『しつこくてストイック』なんて使ってみたけど、日本語的にハズレじゃない、よね^^;
<関連エントリー>
毛布
全肯定1 2
卒業って宣言しちゃったとき
女の子
でも、翌日のエントリーでは気持ち撤回してるのよ^^;
有言不実行
お風呂の泡
お風呂遊び
鞭の猫可愛がり
溺愛3
すべてを肯定するような甘い時間、これをサンプルに送った
辿り着いたセックス^^;2
奴隷ごっこしたとき
ごっこ
その気になったら
「いつか」
覆水盆に返らず
感情のスタート
続・感情のスタート
みんな頑張った!ワールドカップは忘れて。「等式」感想です。今日は私の「痛い」部分の考察です。「拒否の罪と責任」については私は厳しいのかもしれない。だって、「肯定」されたい人なのですから!(笑)今日もかなり冴えているエントリー、比較的、我々のなかでは新しい発見ですがいかがですか?
うーん。今日のエントリーは私の性格の一端を言い表すのに素晴らしいエピソードです。自分でもあまり意識していない部分もありました。(笑)
狂気の沙汰
140字もどき
いつだったか、那智さんがTwitterで
酔っぱらいのときは勢いで遊んでいるけど、じつは素面のときのほうが全部わかってやるから『狂気』を孕んでいる?
というようなことを書いていた。
酔っぱらいさんでリードを引いてダッシュしたり、お外でおしっこを飲ませたり一見ハチャメチャなことをしているけど(いや、ハチャメチャだけど^^;)、それは酔った勢いに任せて本人もその勢いも含めて遊んでいるところがあるから、行為は派手でも精神状態はさほど特殊なものではないのだろう。
酔っぱらいさんのモチベーションは確認作業だと思っているので、たぶん、好きな女に「俺のこと好き?」と聞くのとそう変わりはないのかと思う。
那智さん自身口が避けても「俺のこと好き?」とは聞かないので(笑)、その分派手めの確認作業をしているのかもしれない^^
それに比べて、那智さんが素面で施すことは、どれも酔いのような何かに任せてというものではなく、平常心、ほとんどすべて客観視して諸々冷静に判断を下して行うわけだ。
排泄物を手に取り塗り、鞭を振るい痣だらけにして、一般道で女にリードを繋げて四つん這いにして歩く。
もちろん安全に配慮したら酔ってやられては困るけれど、それを置いておいても、こんなことを勢いの手を借りず自らわき上がる情熱だけで行うのだ。
勇気も根性もいるし、場合によっては事前準備や事後処理にかなり面倒なこともあったりする。
だから、これらは那智さんにとって『本当にしたいこと』なのだろう。
そして、そんな勇気と根性と面倒を引き受けてでも、うんこや四つん這いなんかをしたいと思う精神状態は、ちょっと大げさにいえば『狂気』だとご自分を省みた言葉だったのだと思う。
酔っぱらいさんのときの『本当にしたいこと』は確認作業。
これは、多くの人の愛情確認を同じ毛色のもの。
素面のときの施すことは、その行為自体が『本当にしたいこと』。
そして、ちょっと特殊な行為だったりするので、多少狂気の沙汰だということだ。
こんなふうに自分を省みることはいくつになっても人生を豊かにしてくれると思う。
きっと10年前の那智さんは、こんな自分の行動や思考は言語化できていなかったはずだ。
那智さん自身、どこまで自覚していたかわからないけど、わたしの存在が那智さんが那智さん自身を知る楽しみを手助けできているかなって思ったりする^^
それにしても、好きな男の冷静な眼差しから滲み出る狂気の色は、恐ろしくも魅力的だ。
<関連エントリー>
確認作業
那智さん大暴走3 4
やりたいことはやる
お外で四つん這い2
成功なの?失敗なの?
以下はスカトロですから、閲覧注意です
塗り塗り、再び
注意報です、お気をつけください
スカトロの景色
スカトロ、もうひとつの景色
徒然に『スカトロ総括』
「等式」感想です。エントリーは文字通りです。自分の願望や欲求を事実として叶えることと、それにより快感をかんじること、達成感を得ることはそれぞれ違う。そして、これらの希望を満たす為にはパートナーの欲望が自分の欲望と同化しないと本当の意味で叶わないような気がする。
いつだったか、那智さんがTwitterで
酔っぱらいのときは勢いで遊んでいるけど、じつは素面のときのほうが全部わかってやるから『狂気』を孕んでいる?
というようなことを書いていた。
酔っぱらいさんでリードを引いてダッシュしたり、お外でおしっこを飲ませたり一見ハチャメチャなことをしているけど(いや、ハチャメチャだけど^^;)、それは酔った勢いに任せて本人もその勢いも含めて遊んでいるところがあるから、行為は派手でも精神状態はさほど特殊なものではないのだろう。
酔っぱらいさんのモチベーションは確認作業だと思っているので、たぶん、好きな女に「俺のこと好き?」と聞くのとそう変わりはないのかと思う。
那智さん自身口が避けても「俺のこと好き?」とは聞かないので(笑)、その分派手めの確認作業をしているのかもしれない^^
それに比べて、那智さんが素面で施すことは、どれも酔いのような何かに任せてというものではなく、平常心、ほとんどすべて客観視して諸々冷静に判断を下して行うわけだ。
排泄物を手に取り塗り、鞭を振るい痣だらけにして、一般道で女にリードを繋げて四つん這いにして歩く。
もちろん安全に配慮したら酔ってやられては困るけれど、それを置いておいても、こんなことを勢いの手を借りず自らわき上がる情熱だけで行うのだ。
勇気も根性もいるし、場合によっては事前準備や事後処理にかなり面倒なこともあったりする。
だから、これらは那智さんにとって『本当にしたいこと』なのだろう。
そして、そんな勇気と根性と面倒を引き受けてでも、うんこや四つん這いなんかをしたいと思う精神状態は、ちょっと大げさにいえば『狂気』だとご自分を省みた言葉だったのだと思う。
酔っぱらいさんのときの『本当にしたいこと』は確認作業。
これは、多くの人の愛情確認を同じ毛色のもの。
素面のときの施すことは、その行為自体が『本当にしたいこと』。
そして、ちょっと特殊な行為だったりするので、多少狂気の沙汰だということだ。
こんなふうに自分を省みることはいくつになっても人生を豊かにしてくれると思う。
きっと10年前の那智さんは、こんな自分の行動や思考は言語化できていなかったはずだ。
那智さん自身、どこまで自覚していたかわからないけど、わたしの存在が那智さんが那智さん自身を知る楽しみを手助けできているかなって思ったりする^^
それにしても、好きな男の冷静な眼差しから滲み出る狂気の色は、恐ろしくも魅力的だ。
<関連エントリー>
確認作業
那智さん大暴走3 4
やりたいことはやる
お外で四つん這い2
成功なの?失敗なの?
以下はスカトロですから、閲覧注意です
塗り塗り、再び
注意報です、お気をつけください
スカトロの景色
スカトロ、もうひとつの景色
徒然に『スカトロ総括』
「等式」感想です。エントリーは文字通りです。自分の願望や欲求を事実として叶えることと、それにより快感をかんじること、達成感を得ることはそれぞれ違う。そして、これらの希望を満たす為にはパートナーの欲望が自分の欲望と同化しないと本当の意味で叶わないような気がする。
勢い+狂気
非日常的な日常
無人の駅のホーム。
午前中から那智さんとお外で遊んで、ほろ酔いでホテルのある街に向かうところ。
無人といっても人口が少ない地域のいうのではなく、最近ときどきあるドアの開閉などをシステム化している(?)路線。
だから、駅員がいないのだ。
とはいえ繁華街ではない場所の駅、昼下がりのこんな時間にはそれほど人が多いわけでもない。
たまたま電車を待つ乗客もホームにいなかったので、いつ終わるかわからない状態の『無人』だった。
今日の那智さんはいつもほど酔っぱらいさんにはなっていない。
先週のお出かけでちょっと飲み過ぎたからか、それともいただいたお食事が焼酎よりワインが合うもので適量で終えられたからか。
那智さんの那智さんらしい行為は、酔っぱらいさんのときには『確認作業』という名のお遊びで、素面のときはある意味『狂気』を孕んでいると思っている。
だって、うんこ食べさせたり一般道で四つん這いで歩かせたりをしたいと思い、素面で実際するのは冷静な狂気がないとできないよね。
で、ちゅうくらいの酔っぱらいさんは、どうやらこのふたつを兼ね備えていた。
勢いで狂気を孕んだことをする(笑)
誰もいないホーム。
酔っぱらいさんのうれしそうな表情と『やりたいことをする』ときの圧のある目で首輪を取り出す。
エスカレーターに視線を送り人が来ないことを確認してつけてもらう。
このまま電車に乗るのかなと思っていると、今度はリード。
うう、初夏の薄着、首を隠すものはない。
さすがに目立つ。
それでも那智さんの手でカチャリとリードを繋げてもらうことはうれしい。
わたしの鞄を手にかけ視線を下を向けた。
わんこ、ですね。
ほんの一瞬ためらうけど、体は自然と従う。
酔っぱらいのお遊びじゃなくて『やらせる目』なんだもん。
もう一度エスカレーターのほうを向き、人の気配を確認するけど、ほとんど脳が情報処理をしてくれない。
ただ、体が動くだけ。
足下に四つん這いになる。
お尻を上げ、頭を那智さんの足に押し当てて。
リードが上に伸びている。
この先を那智さんが握っている。
しあわせ。
改札から視覚障害者のための音声ガイダンスが響く。
エスカレーターが気になるけど、この時点で、もう那智さんに委ねる。
強く優しく撫でる手が胸元に伸びた。
Vネックのシャツの中に難なく入り込む手。
下着の隙間から乳首に触れる。
ああ、気持ちいい。
明るい日差し。
ほんの少し、腰が揺れる。
優しい愛撫は少しだけだった。
摘んだ指が強烈な力で乳首を潰しはじめた。
酔いは勢いを増す。
痛い。
とても痛い。
ホームで誰が来るかもわからない状態で、この痛みは、ただただ痛いだけだ。
幸福とわずかな快感が一瞬にして飛ぶ。
それなのに朦朧としているのは、わたしも少し酔っているからか。
だけど、やっぱり、すごく痛い。
痛くて、どうしようもない。
息を殺し、四つん這いの前足を歪め、必死に痛みを受け入れるけど、かなり厳しい。
声をあげたい。
大声をあげれば、痛みをやり過ごすことができる。
大声をあげ、のたうち回りたい。
そうすれば、いつしか快感に変換してくれる。
でも、ここは駅のホームだ。
たまたまいまは人がいないけど、いつエスカレーターから人が来るかもわからないところで大声を張り上げるわけにはいかない。
理性が消えない。
那智さん、ダメかもしれません
そう?
いっそう力が入る(ような気がした)
無理だ。
那智さん、ごめんなさい、痛すぎます
ホテルなら耐えられる痛さだった。
力加減にしても時間にしても。
だけど、痛みだけの世界に入れない状態では、これが限界だった。
すっと手を引かれ、わんこもおしまいになった。
外は集中できない。
痛いことをするときは、できるだけ痛いことだけに集中したい。
だけど、お外の快楽と幸福が加味されると、なんだか、終わってしまうことが残念な気もする。
甘いお菓子を途中で取り上げられたような残念な気持ちが日常のふとした瞬間に蘇る。
勢いと狂気が半分ずつはすこし怖いくらいに『酷く』なるみたいだ。
<関連エントリー>
やらせる目
飼い主の目、犬の目
「痛すぎます」はわたしたちのセーフティワード
洗濯バサミは嫌い
緊箍呪
「等式」感想です。確かに中途半端な酔いは危険です。だから、危険であることを殊更自覚しないといけませんね!(笑)
無人の駅のホーム。
午前中から那智さんとお外で遊んで、ほろ酔いでホテルのある街に向かうところ。
無人といっても人口が少ない地域のいうのではなく、最近ときどきあるドアの開閉などをシステム化している(?)路線。
だから、駅員がいないのだ。
とはいえ繁華街ではない場所の駅、昼下がりのこんな時間にはそれほど人が多いわけでもない。
たまたま電車を待つ乗客もホームにいなかったので、いつ終わるかわからない状態の『無人』だった。
今日の那智さんはいつもほど酔っぱらいさんにはなっていない。
先週のお出かけでちょっと飲み過ぎたからか、それともいただいたお食事が焼酎よりワインが合うもので適量で終えられたからか。
那智さんの那智さんらしい行為は、酔っぱらいさんのときには『確認作業』という名のお遊びで、素面のときはある意味『狂気』を孕んでいると思っている。
だって、うんこ食べさせたり一般道で四つん這いで歩かせたりをしたいと思い、素面で実際するのは冷静な狂気がないとできないよね。
で、ちゅうくらいの酔っぱらいさんは、どうやらこのふたつを兼ね備えていた。
勢いで狂気を孕んだことをする(笑)
誰もいないホーム。
酔っぱらいさんのうれしそうな表情と『やりたいことをする』ときの圧のある目で首輪を取り出す。
エスカレーターに視線を送り人が来ないことを確認してつけてもらう。
このまま電車に乗るのかなと思っていると、今度はリード。
うう、初夏の薄着、首を隠すものはない。
さすがに目立つ。
それでも那智さんの手でカチャリとリードを繋げてもらうことはうれしい。
わたしの鞄を手にかけ視線を下を向けた。
わんこ、ですね。
ほんの一瞬ためらうけど、体は自然と従う。
酔っぱらいのお遊びじゃなくて『やらせる目』なんだもん。
もう一度エスカレーターのほうを向き、人の気配を確認するけど、ほとんど脳が情報処理をしてくれない。
ただ、体が動くだけ。
足下に四つん這いになる。
お尻を上げ、頭を那智さんの足に押し当てて。
リードが上に伸びている。
この先を那智さんが握っている。
しあわせ。
改札から視覚障害者のための音声ガイダンスが響く。
エスカレーターが気になるけど、この時点で、もう那智さんに委ねる。
強く優しく撫でる手が胸元に伸びた。
Vネックのシャツの中に難なく入り込む手。
下着の隙間から乳首に触れる。
ああ、気持ちいい。
明るい日差し。
ほんの少し、腰が揺れる。
優しい愛撫は少しだけだった。
摘んだ指が強烈な力で乳首を潰しはじめた。
酔いは勢いを増す。
痛い。
とても痛い。
ホームで誰が来るかもわからない状態で、この痛みは、ただただ痛いだけだ。
幸福とわずかな快感が一瞬にして飛ぶ。
それなのに朦朧としているのは、わたしも少し酔っているからか。
だけど、やっぱり、すごく痛い。
痛くて、どうしようもない。
息を殺し、四つん這いの前足を歪め、必死に痛みを受け入れるけど、かなり厳しい。
声をあげたい。
大声をあげれば、痛みをやり過ごすことができる。
大声をあげ、のたうち回りたい。
そうすれば、いつしか快感に変換してくれる。
でも、ここは駅のホームだ。
たまたまいまは人がいないけど、いつエスカレーターから人が来るかもわからないところで大声を張り上げるわけにはいかない。
理性が消えない。
那智さん、ダメかもしれません
そう?
いっそう力が入る(ような気がした)
無理だ。
那智さん、ごめんなさい、痛すぎます
ホテルなら耐えられる痛さだった。
力加減にしても時間にしても。
だけど、痛みだけの世界に入れない状態では、これが限界だった。
すっと手を引かれ、わんこもおしまいになった。
外は集中できない。
痛いことをするときは、できるだけ痛いことだけに集中したい。
だけど、お外の快楽と幸福が加味されると、なんだか、終わってしまうことが残念な気もする。
甘いお菓子を途中で取り上げられたような残念な気持ちが日常のふとした瞬間に蘇る。
勢いと狂気が半分ずつはすこし怖いくらいに『酷く』なるみたいだ。
<関連エントリー>
やらせる目
飼い主の目、犬の目
「痛すぎます」はわたしたちのセーフティワード
洗濯バサミは嫌い
緊箍呪
「等式」感想です。確かに中途半端な酔いは危険です。だから、危険であることを殊更自覚しないといけませんね!(笑)