洗濯バサミは嫌い。
非日常的な日常
「痛すぎます。」
これは、限界を超えたときのセーフティーワードだ。
「痛いです。」「い・・た・・・い。」どんなに訴えてもおしまいにはしてくれない。
「痛すぎます。」と言わない限りは、すべて那智さんが決める。
この「痛すぎます。」を極力使いたくないと思っている。
何度も言っているが、私は、嘘や演技、駆け引きや策略、そんなものと無縁なところで那智さんと付き合っていたい。
「本音は違うんじゃないか。」と探るように思いたくないし、思われたくない。
人間、耐えられない痛みなんてそうそうあるもんじゃない。
だから、「痛すぎます。」は使わない。
演技になりそうな気がするからだ。
そして、私は那智さんの意に添っていたいのだ。
那智さんが大丈夫と判断して、私に与える痛みは、私は耐えられるはずなのだ。
私の限界は那智さんが決める。
そんな私が一度だけ「痛すぎます。」と言ったことがある。
しかし、それは後悔が残り、いまも私の苦い思い出になっている。
痛みには、いろんな種類がある(まだ、未知のものもたくさんあるだろう)。
鞭やスパンキングのような、瞬間的な痛みの連続。
洗濯バサミや乳首を噛むといった、継続する痛み。
この継続する痛みは、嫌い。
瞬間的には鞭の痛みのほうが強いけど、頂点より少し低いところでずっと痛いのは辛い。
しかも、那智さんは洗濯バサミをはずしたあと、さらにギューっとつまんだりするから痛みに顔を歪めるしかない。
この日も那智さんは洗濯バサミを取り出した。
右の乳首、ゆっくりと左の乳首。
最初は大丈夫かもと思うけど、やっぱりいつものように痛みがこみ上げてくる。
その状態で気持ちよくなるように、那智さんは手で私を可愛がる。
時折、洗濯バサミをはじいたりしながら。
今日は、洗濯バサミがお気に入りのようだ。
痛い、気持ちいい、左右に振れる感覚は、ある時を境にまとまって「愛してる」になる。
ふと、那智さんが何かを思い付いたような表情をする。
酷い思い付きをした時の那智さんは、とんでもなく魅力的だ。
仰向けに転がっている私を抱きしめようと覆いかぶさってきたのだ。
本来なら、那智さんの抱擁は私の喜びにだけ繋がるはずだ。
でも、私はいま乳首に洗濯バサミを付けている。
ただでさえ、寝転がっていると、洗濯バサミの重みで乳首が歪み痛いというのに。
さらに那智さんは「抱擁」という甘美な方法で、それを押しつぶそうとしているのだ。
体重がかかる。
引っ張られ潰され、痛さは強烈に増す。
でも、那智さんに抱きしめられることは、痛みを凌駕するほど幸せだ。
もう私は、あなたから1㎜たりとも離れない。
那智さんがくれた抱擁の幸せを逃すまいと、私は私の腕に力を入れる。
結果的に、もっと乳首は押しつぶされる。
そんなことは、どうでもいい。
私は、那智さんにくっついて離れないほうを選んだのだ。
この私からの能動は那智さんの心を刺激してしまったようだった。(ほんとあまのじゃくな人!!)
抱擁から解放されて、脱力する私にさらに追い打ちをかける。
はずした洗濯バサミを、今度はクリトリスに持っていくのだ。
「やめて、ぜったいに痛い!!」
怖がる私を無視して、開き慎重につまむ。
ここでもまだセーフティーワードを口にしてはいない。
クリトリスは内蔵のようだ。
本来は、直接触れてはいけないもののよう。
だから、強い刺激は辛い。
それを、洗濯バサミでつまむ。
痛みはもちろんのこと、それが時間の経過とともに、どれくらい増すのかわからない恐怖も付きまとう。
痛さの我慢は常に怖さとの戦いでもある。
だからこそ、心底信頼している那智さんじゃなきゃだめなんだ。
挟んだクリトリスに優しい刺激を与えてくれる。
洗濯バサミには触らないで、つまんだクリトリスかその周辺を優しく触ってくれている。
痛みと快感を同時に味わわせようとしているのだろう。
意識が混乱して、どこをどう触っているのか、判断できない。
でも、これでも私はいくのだ、腰を振りながら。
振動で洗濯バサミも揺れる。
痛みが増すけど、止められない。
これで終わりかと、怖さとの戦いをおしまいにできるかと、一瞬安堵したのがいけなかったのだ。
那智さんは、ピンクローターを洗濯バサミに当てようとしている。
自分の腰で振動するのは、しかたがない、それにおそらく無意識に加減しているでろう。
無機的な振動は、恐怖以外の何者でもない。
しかも、私は一旦安堵してしまっているのだ。
もう一度、戦いを挑む気力は残っていなかった。
それをはじめた直後に発してしまった。
「痛すぎます。」
願いは届けられ、そこから先に進むことはなかった。
帰宅して、やはり私は後悔するのだ。
今日のは「痛すぎます。」ではない、「恐すぎます。」だ。
私は怖さのあまり、間違えたのだ。
結果的に嘘をついたことになる。
肉体の限界ではない、心の問題だったなら、那智さんは許してはくれず、続けられただろう。
私は、嘘をついてしまったことと、中断させてしまったこと、そして、委ねきっていなかったことをとても後悔した。
「もっと、もっと信頼します。ごめんなさい。」とお手紙を書いた。
私自身の心の宣言。
あれから、鞭も針も経験している。
でも、一度も「痛すぎます。」とは言っていない。
だって、私の限界ほ那智さんが決めるんだもの。
そして、愛し合う者同士が生み出す痛みに、耐えられない痛みなんて、そうそうあるもんじゃない♪
「痛すぎます。」
これは、限界を超えたときのセーフティーワードだ。
「痛いです。」「い・・た・・・い。」どんなに訴えてもおしまいにはしてくれない。
「痛すぎます。」と言わない限りは、すべて那智さんが決める。
この「痛すぎます。」を極力使いたくないと思っている。
何度も言っているが、私は、嘘や演技、駆け引きや策略、そんなものと無縁なところで那智さんと付き合っていたい。
「本音は違うんじゃないか。」と探るように思いたくないし、思われたくない。
人間、耐えられない痛みなんてそうそうあるもんじゃない。
だから、「痛すぎます。」は使わない。
演技になりそうな気がするからだ。
そして、私は那智さんの意に添っていたいのだ。
那智さんが大丈夫と判断して、私に与える痛みは、私は耐えられるはずなのだ。
私の限界は那智さんが決める。
そんな私が一度だけ「痛すぎます。」と言ったことがある。
しかし、それは後悔が残り、いまも私の苦い思い出になっている。
痛みには、いろんな種類がある(まだ、未知のものもたくさんあるだろう)。
鞭やスパンキングのような、瞬間的な痛みの連続。
洗濯バサミや乳首を噛むといった、継続する痛み。
この継続する痛みは、嫌い。
瞬間的には鞭の痛みのほうが強いけど、頂点より少し低いところでずっと痛いのは辛い。
しかも、那智さんは洗濯バサミをはずしたあと、さらにギューっとつまんだりするから痛みに顔を歪めるしかない。
この日も那智さんは洗濯バサミを取り出した。
右の乳首、ゆっくりと左の乳首。
最初は大丈夫かもと思うけど、やっぱりいつものように痛みがこみ上げてくる。
その状態で気持ちよくなるように、那智さんは手で私を可愛がる。
時折、洗濯バサミをはじいたりしながら。
今日は、洗濯バサミがお気に入りのようだ。
痛い、気持ちいい、左右に振れる感覚は、ある時を境にまとまって「愛してる」になる。
ふと、那智さんが何かを思い付いたような表情をする。
酷い思い付きをした時の那智さんは、とんでもなく魅力的だ。
仰向けに転がっている私を抱きしめようと覆いかぶさってきたのだ。
本来なら、那智さんの抱擁は私の喜びにだけ繋がるはずだ。
でも、私はいま乳首に洗濯バサミを付けている。
ただでさえ、寝転がっていると、洗濯バサミの重みで乳首が歪み痛いというのに。
さらに那智さんは「抱擁」という甘美な方法で、それを押しつぶそうとしているのだ。
体重がかかる。
引っ張られ潰され、痛さは強烈に増す。
でも、那智さんに抱きしめられることは、痛みを凌駕するほど幸せだ。
もう私は、あなたから1㎜たりとも離れない。
那智さんがくれた抱擁の幸せを逃すまいと、私は私の腕に力を入れる。
結果的に、もっと乳首は押しつぶされる。
そんなことは、どうでもいい。
私は、那智さんにくっついて離れないほうを選んだのだ。
この私からの能動は那智さんの心を刺激してしまったようだった。(ほんとあまのじゃくな人!!)
抱擁から解放されて、脱力する私にさらに追い打ちをかける。
はずした洗濯バサミを、今度はクリトリスに持っていくのだ。
「やめて、ぜったいに痛い!!」
怖がる私を無視して、開き慎重につまむ。
ここでもまだセーフティーワードを口にしてはいない。
クリトリスは内蔵のようだ。
本来は、直接触れてはいけないもののよう。
だから、強い刺激は辛い。
それを、洗濯バサミでつまむ。
痛みはもちろんのこと、それが時間の経過とともに、どれくらい増すのかわからない恐怖も付きまとう。
痛さの我慢は常に怖さとの戦いでもある。
だからこそ、心底信頼している那智さんじゃなきゃだめなんだ。
挟んだクリトリスに優しい刺激を与えてくれる。
洗濯バサミには触らないで、つまんだクリトリスかその周辺を優しく触ってくれている。
痛みと快感を同時に味わわせようとしているのだろう。
意識が混乱して、どこをどう触っているのか、判断できない。
でも、これでも私はいくのだ、腰を振りながら。
振動で洗濯バサミも揺れる。
痛みが増すけど、止められない。
これで終わりかと、怖さとの戦いをおしまいにできるかと、一瞬安堵したのがいけなかったのだ。
那智さんは、ピンクローターを洗濯バサミに当てようとしている。
自分の腰で振動するのは、しかたがない、それにおそらく無意識に加減しているでろう。
無機的な振動は、恐怖以外の何者でもない。
しかも、私は一旦安堵してしまっているのだ。
もう一度、戦いを挑む気力は残っていなかった。
それをはじめた直後に発してしまった。
「痛すぎます。」
願いは届けられ、そこから先に進むことはなかった。
帰宅して、やはり私は後悔するのだ。
今日のは「痛すぎます。」ではない、「恐すぎます。」だ。
私は怖さのあまり、間違えたのだ。
結果的に嘘をついたことになる。
肉体の限界ではない、心の問題だったなら、那智さんは許してはくれず、続けられただろう。
私は、嘘をついてしまったことと、中断させてしまったこと、そして、委ねきっていなかったことをとても後悔した。
「もっと、もっと信頼します。ごめんなさい。」とお手紙を書いた。
私自身の心の宣言。
あれから、鞭も針も経験している。
でも、一度も「痛すぎます。」とは言っていない。
だって、私の限界ほ那智さんが決めるんだもの。
そして、愛し合う者同士が生み出す痛みに、耐えられない痛みなんて、そうそうあるもんじゃない♪
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