命令の重要性
りん子的独り言(生意気)
前回に惹く続き『下からのコントロール』のお話^^
友達と旅行に行った。
シーズンをすこし外れていたので、どこも空いていてとても快適な旅だった。
もともとの計画には入っていなかったけど、泊まった宿から山へ向かったらダムがあるという、たまたま放水の時期だそうで、これは行ってみようとなった。
友達が運転するレンタカーで山の入口まで行き、そこからダム専用の送迎バスに乗り換える。
行きは、なんとわたしたちだけ、ラッキーだった。
バスといっても観光用のものなので小振りで遊園地の園内を走る壁も窓もないようなバスだった。
両脇に向かい合うようにベンチシートがあるので向かい側の景色を楽しむことができた。
ダムのような大きなものに妙な恐怖と高揚を感じてしまうわたしは友達も驚くほど『ぎゃーぎゃー』ぶり^^;
ひと通り見学して帰りの送迎バスの時間に合わせてバス停に行くと、いつのまに来ていたのだろう、今度は親子連れが一緒になった。
お父さんとお母さんと小学2、3年生のお嬢さん。
わたしたちが先に乗っていたら、後からすこし駆け込むように乗車してきた。
わたしたちは運転手側の前のほうに腰かけていたので、後から来た父親と母親はわたしたちのはす向かい、運転手と反対側の後方に腰かけた。
そのすぐ後を女の子が駆け上がって、ささーっとわたしたちと並びの後方に座った。
こっち、来なさい
母親がいう
娘無視。
こっちに座りなさいって言ってんの
え〜
とか言いながら、そのまま動かず。
ほら、お母さんが言ってるだろ?
父親が言っても、無視。
揺れるから、つかまってなさい
座席の前にあるポールを指している。
ああ、自分たちのほうに来させるのは諦めたのね。
で、危ないからつかまれと。
つかまりなさい
父親も追随。
でも、やっぱりつかまらない。
まあ、行きはそんなに揺れなかったし、もう小学生だし、それくらい判断するよね。
きっと、自分のいうこと聞かないから無意識にムキになっているのだろう。
業を煮やして
もう、パパ、隣り行ってやって
親の隣りに来ないしつかまらないし、危ないからという大義(?)のもと、ママはパパを娘の隣りに移動するように言った。
その言葉通りにわたしたち側にパパが移動し娘の隣りに腰かけて少ししたら、娘はさっと席を立ち、ママの隣りに座ったところでバスが走り出した。
もう、ツッコミどころ満載のこの会話。
友達とわたしはレンタカーに戻ってから、大騒ぎ。
細かく口うるさいことも、無視したことに対する対処も、父親の立ち位置も、とにかく気になるところいっぱい。
あの構図では、結局一番エラいのは娘で、ほぼ同列で母親、父親は一番エラくない立場になってしまうことが理解できないのかなぁ。(母親の役割のお話もあるんだけど、このお話はまた今度^^)
と、まあ、いろいろ思うところはあるけれど、今日のお話は『命令』についてなので、とりあえず置いておく^^
言語には意味があって、それは当然日本語にもある。
日本語の中で、人が人を動かしたいときには、その重要性においてレベルがある。
『〜してくだい』から『〜しなさい』と様々。
中でも一番重要度が高いのは、やっぱり『〜しなさい』の命令する形だよね。
これより確実(?)だと、もう恫喝とか、口ではなく暴力に訴えかけることになっちゃう。
とにかく、言葉において『命令』は重要度が高いのだ。
この親子の場合、おそらくほぼ無意識に母親は娘に常に命令口調でいるのだろう。
そして、娘はそれに対して言う通りにしない。
命令され、無視し、また命令され、をくり返し、自分のタイミングで命令の通りに動く。
これは一見命令を聞いているように見えなくもないけど、実際は母親に従っていない。
だから、娘にとって『命令口調』はもはや命令ではない。
命令は重要なものではなくなっているのだ。
人は無意識に相手の行動を読む。
相手の『提案』を却下できるより、『命令』を却下できてしまうほうが、ずっと相手を軽んじていく。
だからね、『命令』を下すことは重大だし危険なのだ。
わたしたちの上下と主従さんたちの『命令』に違いがあるかわからないけど。
那智さんが滅多に命令をしないのは、その重要性と危険性を理解しているからでもある。
下した命令は覆せない、覆せてしまえるようなことを命令するということは、命令を下した那智さんが軽んじられてしまう。
もちろん『求めさせること』に価値があると思っているから命令はしないのだけど、おそらく、その重要性も理解しているのだろう。
だから、那智さんはとても慎重に命令を下す、だから、滅多に命令しないのだ。
<関連エントリー>
命令しない
許可1 2 3
「等式」感想です。(笑)何時もながら、鋭い視点。命令と言う名の「お願い」と言うフレーズが昔エントリーにあった、そうなっては上下の関係性は終了してしまいます。りん子から「それは、命令ですか?」と言われる、命令と言うのは3割位、「違うよ」と言うと、少し残念そうなりん子がいる。
前回に惹く続き『下からのコントロール』のお話^^
友達と旅行に行った。
シーズンをすこし外れていたので、どこも空いていてとても快適な旅だった。
もともとの計画には入っていなかったけど、泊まった宿から山へ向かったらダムがあるという、たまたま放水の時期だそうで、これは行ってみようとなった。
友達が運転するレンタカーで山の入口まで行き、そこからダム専用の送迎バスに乗り換える。
行きは、なんとわたしたちだけ、ラッキーだった。
バスといっても観光用のものなので小振りで遊園地の園内を走る壁も窓もないようなバスだった。
両脇に向かい合うようにベンチシートがあるので向かい側の景色を楽しむことができた。
ダムのような大きなものに妙な恐怖と高揚を感じてしまうわたしは友達も驚くほど『ぎゃーぎゃー』ぶり^^;
ひと通り見学して帰りの送迎バスの時間に合わせてバス停に行くと、いつのまに来ていたのだろう、今度は親子連れが一緒になった。
お父さんとお母さんと小学2、3年生のお嬢さん。
わたしたちが先に乗っていたら、後からすこし駆け込むように乗車してきた。
わたしたちは運転手側の前のほうに腰かけていたので、後から来た父親と母親はわたしたちのはす向かい、運転手と反対側の後方に腰かけた。
そのすぐ後を女の子が駆け上がって、ささーっとわたしたちと並びの後方に座った。
こっち、来なさい
母親がいう
娘無視。
こっちに座りなさいって言ってんの
え〜
とか言いながら、そのまま動かず。
ほら、お母さんが言ってるだろ?
父親が言っても、無視。
揺れるから、つかまってなさい
座席の前にあるポールを指している。
ああ、自分たちのほうに来させるのは諦めたのね。
で、危ないからつかまれと。
つかまりなさい
父親も追随。
でも、やっぱりつかまらない。
まあ、行きはそんなに揺れなかったし、もう小学生だし、それくらい判断するよね。
きっと、自分のいうこと聞かないから無意識にムキになっているのだろう。
業を煮やして
もう、パパ、隣り行ってやって
親の隣りに来ないしつかまらないし、危ないからという大義(?)のもと、ママはパパを娘の隣りに移動するように言った。
その言葉通りにわたしたち側にパパが移動し娘の隣りに腰かけて少ししたら、娘はさっと席を立ち、ママの隣りに座ったところでバスが走り出した。
もう、ツッコミどころ満載のこの会話。
友達とわたしはレンタカーに戻ってから、大騒ぎ。
細かく口うるさいことも、無視したことに対する対処も、父親の立ち位置も、とにかく気になるところいっぱい。
あの構図では、結局一番エラいのは娘で、ほぼ同列で母親、父親は一番エラくない立場になってしまうことが理解できないのかなぁ。(母親の役割のお話もあるんだけど、このお話はまた今度^^)
と、まあ、いろいろ思うところはあるけれど、今日のお話は『命令』についてなので、とりあえず置いておく^^
言語には意味があって、それは当然日本語にもある。
日本語の中で、人が人を動かしたいときには、その重要性においてレベルがある。
『〜してくだい』から『〜しなさい』と様々。
中でも一番重要度が高いのは、やっぱり『〜しなさい』の命令する形だよね。
これより確実(?)だと、もう恫喝とか、口ではなく暴力に訴えかけることになっちゃう。
とにかく、言葉において『命令』は重要度が高いのだ。
この親子の場合、おそらくほぼ無意識に母親は娘に常に命令口調でいるのだろう。
そして、娘はそれに対して言う通りにしない。
命令され、無視し、また命令され、をくり返し、自分のタイミングで命令の通りに動く。
これは一見命令を聞いているように見えなくもないけど、実際は母親に従っていない。
だから、娘にとって『命令口調』はもはや命令ではない。
命令は重要なものではなくなっているのだ。
人は無意識に相手の行動を読む。
相手の『提案』を却下できるより、『命令』を却下できてしまうほうが、ずっと相手を軽んじていく。
だからね、『命令』を下すことは重大だし危険なのだ。
わたしたちの上下と主従さんたちの『命令』に違いがあるかわからないけど。
那智さんが滅多に命令をしないのは、その重要性と危険性を理解しているからでもある。
下した命令は覆せない、覆せてしまえるようなことを命令するということは、命令を下した那智さんが軽んじられてしまう。
もちろん『求めさせること』に価値があると思っているから命令はしないのだけど、おそらく、その重要性も理解しているのだろう。
だから、那智さんはとても慎重に命令を下す、だから、滅多に命令しないのだ。
<関連エントリー>
命令しない
許可1 2 3
「等式」感想です。(笑)何時もながら、鋭い視点。命令と言う名の「お願い」と言うフレーズが昔エントリーにあった、そうなっては上下の関係性は終了してしまいます。りん子から「それは、命令ですか?」と言われる、命令と言うのは3割位、「違うよ」と言うと、少し残念そうなりん子がいる。
すこし先の未来
独り言
大事なお知らせが後半にあります。
昨年、わたしを含め4人でランチをした。
ひとりはモカちゃんで他のふたりはほぼはじめまして。
ブログを通じて知っていた方たとだったけど、会うのはほぼはじめましてだ。
みんな豊かな感性をお持ちの方ばかりなので、なんとも柔らかい空気のランチになった。
そんな中、うれしくありがたいお話があった。
じつは皆さん、それぞれ『等式』から離れている時期があったという。
まあ、単純に忙しいとか、読み飽きたとか(笑)離れるケースは当然考えられるのだけど、そうではなくてご自分の意思で離れたということ。
『等式』はいろいろな方面の話を書いているし、ときには辛辣な話題もあるし、ひたすらノロケてばかりでもある。
偏っているし、どなたかの『言葉』からネタにさせていただくこともあるし(その人ではなく『言葉』をね^^)、生意気な口調の場合もある。
耳障りのいいことばかりを書いているわけではないので、カチンと来ることも、もしかしたら、その人の抱えている問題や迷いに光を当ててしまう可能性もあるので、読みたくないと感じることがあってもしかたないと理解している。
それでね、うれしかったのは、意識して『離れる』という方法を取ってくれたこと。
人は自分の弱っているところを刺激されると反射的に刺激した対象を攻撃したくなるものなんだけど、彼女たちはそれをせずそっと離れてくれたのだ。
そして、ありがたかったのは、また戻ってきてくれたこと。
おそらくご自分の中で解決することができたら、またそっと戻ってきてくれたのだ。
自分の心の動きを見極め、こちらを傷つけることなく対処してくれる判断がうれしいし、また戻ってきてくれたことがありがたいのです。
そして、こうやって過ぎてから後日談として穏やかに話してくれる感性に感謝の気持ちだった。
ブログを開設して今日で8周年。
日々、那智さんとわたしの記録を続けて、9年目に突入しました。
これまで続けて来られたのは、那智さんがわたしにいつも新鮮な気持ちでいさせてくれることはもちろんですが、たくさんのよい感性を持った読んでくれている人たちのおかげだと思っています。
いろいろなことを書いているブログですが、どうか、ご自分のよい距離を保ちつつお付き合いくださいませ。
で、ここでお知らせです。
『等式』は今年で8周年。
再来年で10周年を迎えます。
そこで、再来年の10周年のときにオフ会を開催いたします!!
(大きい太文字にしちゃった!)
もともと『等式』及びりん子は大人数向きではないと理解していましたから、ずいぶん昔にはミニオフ会を開催してみたりしていました。
でも、10年もやっているんだから、一回くらいオフ会やってもいいんじゃないかと思ったわけです。
いままで何度かミニオフ会やお食事会などの企画をして都合が合わなかったとか、踏ん切りつかなかったなんて方もいらっしゃるはず!!
で、もう、おそらくこれが最初で最後のオフ会のつもりなので、このタイミングで一度告知いたします。
再告知や詳細は来年の6月13日周年エントリーと再来年3月に書きますが、ひとまず
2016年6月11日(土)「夕方か夜」から東京駅近辺にて開催予定です。
もし一度離れることがあっても^^よかったら再来年3月には思い出して戻ってきてほしいなという気持ちもこめて、2年前から告知です^^
また諸々の事情も2年あれば、なんとか万障繰り合わせることも可能でしょ?
お子さんを預ける算段、新幹線代の工面、その準備期間としても2年でもあります。
(よかったら、繰り合わせ方レクチャーいたします←那智さんから伝授)
人見知りとか緊張しちゃうとか、もうそんなこと言ってないでね(笑)
「大人数苦手」、うん、わかる!「ご無沙汰してるから」、それもわかる!!(笑)
でも、2年あれば、なんとかなりそうじゃない?
この2年間は、そういう準備期間もありかな〜と思ってのこんな前から告知でした^^
(お道具や『NUDE』の披露や小冊子配布と会話の時間とメリハリつけるつもりだから、きっとはじめましての人でも大丈夫^^←需要があるかどうかはおいといて^^;)
ということで、ブログ8周年です。
来てくれたすべてのみなさん。
コメントや拍手やメールでお話をしてくれたみなさん。
ありがとうございます^^
そして、那智さん。
わたしがオフ会を企画するなんてすこし前には考えられないようなことでしたね。
オフ会をすることも、すこし先の未来を見据えることも。
今回、わたしがオフ会をやりたいと言い出したこと驚かれていると思いますが、これもあなたが育ててくれた賜物です。
ときどき迷いながら、これからも頼り指導を仰ぎ、やり切る所存にございます^^
どうぞ、ご協力をお願いいたします^^
ということで、どんなに離れていても再来年の3月には、また来てみてくださいね!!
『等式』、8才、ありがとうございました!!
<関連エントリー>
過去の周年エントリーです^^
胸いっぱいの
2周年です
hotに3周年御礼
薬指なう^^
薬指にキスをして
6周年の告白と30万
カウントダウン17
大事なお知らせが後半にあります。
昨年、わたしを含め4人でランチをした。
ひとりはモカちゃんで他のふたりはほぼはじめまして。
ブログを通じて知っていた方たとだったけど、会うのはほぼはじめましてだ。
みんな豊かな感性をお持ちの方ばかりなので、なんとも柔らかい空気のランチになった。
そんな中、うれしくありがたいお話があった。
じつは皆さん、それぞれ『等式』から離れている時期があったという。
まあ、単純に忙しいとか、読み飽きたとか(笑)離れるケースは当然考えられるのだけど、そうではなくてご自分の意思で離れたということ。
『等式』はいろいろな方面の話を書いているし、ときには辛辣な話題もあるし、ひたすらノロケてばかりでもある。
偏っているし、どなたかの『言葉』からネタにさせていただくこともあるし(その人ではなく『言葉』をね^^)、生意気な口調の場合もある。
耳障りのいいことばかりを書いているわけではないので、カチンと来ることも、もしかしたら、その人の抱えている問題や迷いに光を当ててしまう可能性もあるので、読みたくないと感じることがあってもしかたないと理解している。
それでね、うれしかったのは、意識して『離れる』という方法を取ってくれたこと。
人は自分の弱っているところを刺激されると反射的に刺激した対象を攻撃したくなるものなんだけど、彼女たちはそれをせずそっと離れてくれたのだ。
そして、ありがたかったのは、また戻ってきてくれたこと。
おそらくご自分の中で解決することができたら、またそっと戻ってきてくれたのだ。
自分の心の動きを見極め、こちらを傷つけることなく対処してくれる判断がうれしいし、また戻ってきてくれたことがありがたいのです。
そして、こうやって過ぎてから後日談として穏やかに話してくれる感性に感謝の気持ちだった。
ブログを開設して今日で8周年。
日々、那智さんとわたしの記録を続けて、9年目に突入しました。
これまで続けて来られたのは、那智さんがわたしにいつも新鮮な気持ちでいさせてくれることはもちろんですが、たくさんのよい感性を持った読んでくれている人たちのおかげだと思っています。
いろいろなことを書いているブログですが、どうか、ご自分のよい距離を保ちつつお付き合いくださいませ。
で、ここでお知らせです。
『等式』は今年で8周年。
再来年で10周年を迎えます。
そこで、再来年の10周年のときにオフ会を開催いたします!!
(大きい太文字にしちゃった!)
もともと『等式』及びりん子は大人数向きではないと理解していましたから、ずいぶん昔にはミニオフ会を開催してみたりしていました。
でも、10年もやっているんだから、一回くらいオフ会やってもいいんじゃないかと思ったわけです。
いままで何度かミニオフ会やお食事会などの企画をして都合が合わなかったとか、踏ん切りつかなかったなんて方もいらっしゃるはず!!
で、もう、おそらくこれが最初で最後のオフ会のつもりなので、このタイミングで一度告知いたします。
再告知や詳細は来年の6月13日周年エントリーと再来年3月に書きますが、ひとまず
2016年6月11日(土)「夕方か夜」から東京駅近辺にて開催予定です。
もし一度離れることがあっても^^よかったら再来年3月には思い出して戻ってきてほしいなという気持ちもこめて、2年前から告知です^^
また諸々の事情も2年あれば、なんとか万障繰り合わせることも可能でしょ?
お子さんを預ける算段、新幹線代の工面、その準備期間としても2年でもあります。
(よかったら、繰り合わせ方レクチャーいたします←那智さんから伝授)
人見知りとか緊張しちゃうとか、もうそんなこと言ってないでね(笑)
「大人数苦手」、うん、わかる!「ご無沙汰してるから」、それもわかる!!(笑)
でも、2年あれば、なんとかなりそうじゃない?
この2年間は、そういう準備期間もありかな〜と思ってのこんな前から告知でした^^
(お道具や『NUDE』の披露や小冊子配布と会話の時間とメリハリつけるつもりだから、きっとはじめましての人でも大丈夫^^←需要があるかどうかはおいといて^^;)
ということで、ブログ8周年です。
来てくれたすべてのみなさん。
コメントや拍手やメールでお話をしてくれたみなさん。
ありがとうございます^^
そして、那智さん。
わたしがオフ会を企画するなんてすこし前には考えられないようなことでしたね。
オフ会をすることも、すこし先の未来を見据えることも。
今回、わたしがオフ会をやりたいと言い出したこと驚かれていると思いますが、これもあなたが育ててくれた賜物です。
ときどき迷いながら、これからも頼り指導を仰ぎ、やり切る所存にございます^^
どうぞ、ご協力をお願いいたします^^
ということで、どんなに離れていても再来年の3月には、また来てみてくださいね!!
『等式』、8才、ありがとうございました!!
<関連エントリー>
過去の周年エントリーです^^
胸いっぱいの
2周年です
hotに3周年御礼
薬指なう^^
薬指にキスをして
6周年の告白と30万
カウントダウン17
責任の取り方
りん子的独り言(生意気)
前のふたつの『下からのコントロール』を踏まえてのエントリーになるかな〜^^
那智さんと出会ってまだ1年も経たないとき。
もしかしたら、半年も過ぎていなかったかもしれない。
とにかく、もう10年以上前のことだ。
だから、詳細は思い出せない。
とても衝撃的な時間だったのだけど、記憶はトイレにいる那智さんとわたしからスタートしている。
ここは出会った頃の那智さんのお仕事場。
来客用のスペースの他に狭い狭い作業部屋があった。
小さなデスクにはパソコン、資料が保管されているキャビネットや簡易の給湯施設があり、その奥にトイレがある。
この作業部屋でパソコンに向かう那智さんを隣りで眺めて、はじめて味わう安心と、それがまだこの狭い部屋のような切なさを感じていたのが懐かしい。
そのトイレのドアを開け放ち、那智さんがトイレ側、わたしは作業部屋を跨がる辺りで対峙している。
わたしは床にへたり込み首を横に振り「ごめんなさい」と泣き崩れている。
那智さんの手にはテッシュに包まれて『那智さんの排泄物』とマグカップがある。
今日は、それを食べるように指示をされていたのだ。
まだ、出会って半年も経っていない頃。
那智さんにスカトロの嗜好があることは知っていた。
いまではハッキリわかるけど、それは性的興奮としてだけではなく『那智さんのうんこが栄養』になるほどの【支配欲】(肯定されたい欲)であったことは、おそらく当時でも感じていたはずだ。
だから、いつか、その日がやってくることは心のどこかで覚悟はしていたけれど、たしか、この段階では事前の話し合いも慣らしもまったくなされていないまっさらな時期で、わたしとしては青天の霹靂以外の何者でなかった。
どうやら、【はじめて会ったとき】と同じように、那智さんはまず一度経験させることが大事だと思っていたようだ。
徐々に慣らしていくのは当然なんだけど、その前にわけわからない状態であれよあれよという間に一度経験させておけば『できた』という事実が自信になり、不必要なハードルは払拭できると思っているのだ。
(たとえば、スキーを教える場合、初心者用でゆっくりじゃなくて、まずいきなり中級クラスに連れて行くみたいな感じかな^^)
だから、まずひと欠片でも食べたという事実を作ろうとしていたのだろう。
そして、これは想像なんだけど、出会った当初、那智さんはちょっと必死だった(笑)
わたしが那智さんのものであるという証が欲しくて、すこし切ないほどだった。
『誓約書』を書かせたり^^
そんな焦燥感が、こんな早い段階での食糞を強行させたのかもしれない。
この日以降は命令など一切せず『飲む?舐める?』と促し、結果幸福を味わわせ、いまのわたしを作っていくことになるで、この日だけは特別な意味合いだったはずだ。
でも、そんな意図も知らないわたしはいきなりの指示、ほとんど命令に近い指示に、ただただ驚くばかりだった。
それは排泄物への拒否感ではなく、未知の事柄への恐怖に近い拒否反応だった。
無理矢理追いつめられる願望があったはずなのに、追いつめられた末に那智さんの排泄物に対して体としての拒否反応を起こしてしまうことを理性が避けたいと思っていた。
そんなこと、こんなに簡単にできるわけない!!
自分が思い描いていた『調教』のようなものとは違う怒濤の展開に戸惑い、拒否の気持ちが湧くと同時に当時から『那智さんに意に沿っていたい』同化欲があったわたしは拒否することが悲しくて悲しくてしょうがなかった。
そのときの涙だった。
「食べなさい」とは言われていないという記憶だ。
だけど、食べることがあらかじめ決まっていたほど、拒否権なしの命令と同じようなニュアンスだったはずだ。
そんな、いきなり無理です
と拒否をする。
最初はそら豆程度だったものを半分くらいに分けてくれたような記憶もある。
それでも、未知の恐怖と体の反応として那智さんを拒否してしまう危惧から、無理ですと訴える。
何往復か。
強い口調にもならず、極めて真剣に詰める那智さんが次に取った行動にわたしは床にへたり込み泣き崩れたのだ。
いいね、りん子、食べなくていいね?
はい、ごめんなさい、無理です…
そういって首を振るわたしに背を向け、那智さんはマグカップにお水を用意した。
そして、手にしている欠片をその水と一緒に那智さん自身の口に流し込んだのだ。
やめてください!!
那智さん、ごめんなさいーーー!!
わたしができなかったものを那智さんが代わりにやっている姿を見て泣き崩れてしまった、その時間にしたら2、3分の出来事の記憶。
那智さんはわたしの拒否を責めることなどまったくなく、当然お仕置きもなく、謝罪するわたしに「俺の責任」という姿勢だけ示していた。
それ以降は、いまの『求めるわたしを作る』スタンスを通している。
これは那智さんなりの上の立場の責任の取り方だ。
今日は、その那智さんの命令に対する責任の取り方のお話。
そもそも、まず那智さんは滅多に命令はしない。
それは『求めさせる』ほうが好きで、それに価値があると思っているからではあるけれど、それ以外に『命令』に対する重みを理解しているからだ。
人によって『命令』の位置付けはいろいろだろうけど、提案や指示や希望ではなく『命令』とわざわざ位置づけるのだから、那智さんはそれなりの重要度を自覚して発している。
だから、滅多に命令しないし、命令したら、そこに大きな責任が発生するのだ。
その命令に対する責任を追うのは誰?
わたしたちの場合、上下の上の那智さん。
那智さんはわたしができると判断したことしか命令しない。
それが例えば、ちょっと無理することがあったとしても、それでもできると判断したことだけを命令する。(さらいにうと、最終的に幸福を感じられると判断もしていると思う)
それでわたしができなかったら、それは最終的には那智さんの責任であり、わたしの責任ではない。
だから、那智さんはその責任のもとに自分の欠片を流し込んだ。
この行為は命令の重要性と責任の取り方が表れている。
たとえば、それが『提案』や『指示』程度のものだったら、じゃあ、今回はなしねって治めるようにしたかもしれない。
でも、那智さんは命令を下した。
命令は簡単に引き下げてはいけない。
簡単に撤回できてしまえば命令の価値がどんどん下がっていってしまうからだ。
これ『下からのコントロール』なんだ。
だから、那智さんは『指示』や『提案』や『命令』など、使い分けている。
そして、ふたりにとって重要である命令を遂行できず、撤回もしないのであれば、その責任は上が取る。
SMや主従の世界の『お仕置き』は否定はしていないのよ。
そういうプレイもあるし、お仕置きが贖罪になることもあるしね。
だから、このお話は命令に対する責任としてのお仕置きのことを言っています。
で、那智さん的上思考では、命令が遂行できなかった場合、お仕置きは筋違いなのだ。
だって、できなかったのは命令したほうの責任だから。
逆を言えば、責任を取るほうが立場が上だと思っているから。
だから、わたしにお仕置きはしないのだ。
性的場面に例えるのは不適切かもしれないけど、仕事で置き換えてみる^^
上司が与えた仕事で部下がミスをしたら、その尻拭いは誰がするのだろう。
取引先に謝罪に行き、真っ先に頭を下げるのは優れた上司の振る舞いだろう。
ミスをした部下に仕事を任せた責任は上の立場が取ることで、下は安心と信頼を得る。
減給などのペナルティを部下に追わせるとしたら、責任の所在はあやふやになるし、伸び伸びと仕事はできず上司に対する信頼も生まれない。
よね。
わたしたちの上下の場合、下ができないことは上の責任であるということ。
それだけの覚悟で『命令』しているという事実が自分の排泄物を飲み込ませたのだ。
いま振り返っても、那智さんはずっと上下の上でい続けてくれている。
その一端を感じることができた責任の取り方のお話。
まだ出会ってホントに初期の頃、10年も前の懐かしい思い出。
那智さんとはじめて電話で繋がったのは11年前の6月16日。
明日で丸11年、お付き合いも12年目になります。
いまでも変わらず上としての責任を果たし続けてくれる那智さんに感謝の気持ちを込めて、出会った頃のお話を^^
それにしても11年間もずーっと上でいるの大変だと思います。
わたしは昔より成長して手がかからなくなった分、若干賢くなったので(笑)
むしろ、こういう女の上でい続けるほうが大変なんじゃないかなと思ったり。
それでも変わらないでいてくれる那智さんに揺るぎない信頼と忠誠を。
これからもよろしくお願いいたします。
毎年6月13日がブログ周年エントリーで、6月16日が出会った記念エントリーなんですけど、奇数と偶数日で一日置きの更新には合わないから、今年は一日早くUPしてみました^^
来年はいつも通り、更新日をずらすかもしれないけど、その辺りは毎年適当に流してください(笑)
<関連エントリー>
排泄
はじめて会った日のこと
リアル1 2 3
誓約書かせたんだよ〜^^
奴隷誓約書
出会った日記念
今度は5周年
過去の私、未来の私
8年目の発見
その瞬間からひとりで立てるように
36/365
「等式」感想です。全部書けとりん子に言っていますが、この話は恥ずかしい。それ以来「これは、命令ですか?」と、たまに私につめよるりん子がいます、そして滅多に命令しない私なので命令に飢えているりん子がいます。 10年以上経過してからエントリーにしたりん子の配慮?に感謝!(笑)
前のふたつの『下からのコントロール』を踏まえてのエントリーになるかな〜^^
那智さんと出会ってまだ1年も経たないとき。
もしかしたら、半年も過ぎていなかったかもしれない。
とにかく、もう10年以上前のことだ。
だから、詳細は思い出せない。
とても衝撃的な時間だったのだけど、記憶はトイレにいる那智さんとわたしからスタートしている。
ここは出会った頃の那智さんのお仕事場。
来客用のスペースの他に狭い狭い作業部屋があった。
小さなデスクにはパソコン、資料が保管されているキャビネットや簡易の給湯施設があり、その奥にトイレがある。
この作業部屋でパソコンに向かう那智さんを隣りで眺めて、はじめて味わう安心と、それがまだこの狭い部屋のような切なさを感じていたのが懐かしい。
そのトイレのドアを開け放ち、那智さんがトイレ側、わたしは作業部屋を跨がる辺りで対峙している。
わたしは床にへたり込み首を横に振り「ごめんなさい」と泣き崩れている。
那智さんの手にはテッシュに包まれて『那智さんの排泄物』とマグカップがある。
今日は、それを食べるように指示をされていたのだ。
まだ、出会って半年も経っていない頃。
那智さんにスカトロの嗜好があることは知っていた。
いまではハッキリわかるけど、それは性的興奮としてだけではなく『那智さんのうんこが栄養』になるほどの【支配欲】(肯定されたい欲)であったことは、おそらく当時でも感じていたはずだ。
だから、いつか、その日がやってくることは心のどこかで覚悟はしていたけれど、たしか、この段階では事前の話し合いも慣らしもまったくなされていないまっさらな時期で、わたしとしては青天の霹靂以外の何者でなかった。
どうやら、【はじめて会ったとき】と同じように、那智さんはまず一度経験させることが大事だと思っていたようだ。
徐々に慣らしていくのは当然なんだけど、その前にわけわからない状態であれよあれよという間に一度経験させておけば『できた』という事実が自信になり、不必要なハードルは払拭できると思っているのだ。
(たとえば、スキーを教える場合、初心者用でゆっくりじゃなくて、まずいきなり中級クラスに連れて行くみたいな感じかな^^)
だから、まずひと欠片でも食べたという事実を作ろうとしていたのだろう。
そして、これは想像なんだけど、出会った当初、那智さんはちょっと必死だった(笑)
わたしが那智さんのものであるという証が欲しくて、すこし切ないほどだった。
『誓約書』を書かせたり^^
そんな焦燥感が、こんな早い段階での食糞を強行させたのかもしれない。
この日以降は命令など一切せず『飲む?舐める?』と促し、結果幸福を味わわせ、いまのわたしを作っていくことになるで、この日だけは特別な意味合いだったはずだ。
でも、そんな意図も知らないわたしはいきなりの指示、ほとんど命令に近い指示に、ただただ驚くばかりだった。
それは排泄物への拒否感ではなく、未知の事柄への恐怖に近い拒否反応だった。
無理矢理追いつめられる願望があったはずなのに、追いつめられた末に那智さんの排泄物に対して体としての拒否反応を起こしてしまうことを理性が避けたいと思っていた。
そんなこと、こんなに簡単にできるわけない!!
自分が思い描いていた『調教』のようなものとは違う怒濤の展開に戸惑い、拒否の気持ちが湧くと同時に当時から『那智さんに意に沿っていたい』同化欲があったわたしは拒否することが悲しくて悲しくてしょうがなかった。
そのときの涙だった。
「食べなさい」とは言われていないという記憶だ。
だけど、食べることがあらかじめ決まっていたほど、拒否権なしの命令と同じようなニュアンスだったはずだ。
そんな、いきなり無理です
と拒否をする。
最初はそら豆程度だったものを半分くらいに分けてくれたような記憶もある。
それでも、未知の恐怖と体の反応として那智さんを拒否してしまう危惧から、無理ですと訴える。
何往復か。
強い口調にもならず、極めて真剣に詰める那智さんが次に取った行動にわたしは床にへたり込み泣き崩れたのだ。
いいね、りん子、食べなくていいね?
はい、ごめんなさい、無理です…
そういって首を振るわたしに背を向け、那智さんはマグカップにお水を用意した。
そして、手にしている欠片をその水と一緒に那智さん自身の口に流し込んだのだ。
やめてください!!
那智さん、ごめんなさいーーー!!
わたしができなかったものを那智さんが代わりにやっている姿を見て泣き崩れてしまった、その時間にしたら2、3分の出来事の記憶。
那智さんはわたしの拒否を責めることなどまったくなく、当然お仕置きもなく、謝罪するわたしに「俺の責任」という姿勢だけ示していた。
それ以降は、いまの『求めるわたしを作る』スタンスを通している。
これは那智さんなりの上の立場の責任の取り方だ。
今日は、その那智さんの命令に対する責任の取り方のお話。
そもそも、まず那智さんは滅多に命令はしない。
それは『求めさせる』ほうが好きで、それに価値があると思っているからではあるけれど、それ以外に『命令』に対する重みを理解しているからだ。
人によって『命令』の位置付けはいろいろだろうけど、提案や指示や希望ではなく『命令』とわざわざ位置づけるのだから、那智さんはそれなりの重要度を自覚して発している。
だから、滅多に命令しないし、命令したら、そこに大きな責任が発生するのだ。
その命令に対する責任を追うのは誰?
わたしたちの場合、上下の上の那智さん。
那智さんはわたしができると判断したことしか命令しない。
それが例えば、ちょっと無理することがあったとしても、それでもできると判断したことだけを命令する。(さらいにうと、最終的に幸福を感じられると判断もしていると思う)
それでわたしができなかったら、それは最終的には那智さんの責任であり、わたしの責任ではない。
だから、那智さんはその責任のもとに自分の欠片を流し込んだ。
この行為は命令の重要性と責任の取り方が表れている。
たとえば、それが『提案』や『指示』程度のものだったら、じゃあ、今回はなしねって治めるようにしたかもしれない。
でも、那智さんは命令を下した。
命令は簡単に引き下げてはいけない。
簡単に撤回できてしまえば命令の価値がどんどん下がっていってしまうからだ。
これ『下からのコントロール』なんだ。
だから、那智さんは『指示』や『提案』や『命令』など、使い分けている。
そして、ふたりにとって重要である命令を遂行できず、撤回もしないのであれば、その責任は上が取る。
SMや主従の世界の『お仕置き』は否定はしていないのよ。
そういうプレイもあるし、お仕置きが贖罪になることもあるしね。
だから、このお話は命令に対する責任としてのお仕置きのことを言っています。
で、那智さん的上思考では、命令が遂行できなかった場合、お仕置きは筋違いなのだ。
だって、できなかったのは命令したほうの責任だから。
逆を言えば、責任を取るほうが立場が上だと思っているから。
だから、わたしにお仕置きはしないのだ。
性的場面に例えるのは不適切かもしれないけど、仕事で置き換えてみる^^
上司が与えた仕事で部下がミスをしたら、その尻拭いは誰がするのだろう。
取引先に謝罪に行き、真っ先に頭を下げるのは優れた上司の振る舞いだろう。
ミスをした部下に仕事を任せた責任は上の立場が取ることで、下は安心と信頼を得る。
減給などのペナルティを部下に追わせるとしたら、責任の所在はあやふやになるし、伸び伸びと仕事はできず上司に対する信頼も生まれない。
よね。
わたしたちの上下の場合、下ができないことは上の責任であるということ。
それだけの覚悟で『命令』しているという事実が自分の排泄物を飲み込ませたのだ。
いま振り返っても、那智さんはずっと上下の上でい続けてくれている。
その一端を感じることができた責任の取り方のお話。
まだ出会ってホントに初期の頃、10年も前の懐かしい思い出。
那智さんとはじめて電話で繋がったのは11年前の6月16日。
明日で丸11年、お付き合いも12年目になります。
いまでも変わらず上としての責任を果たし続けてくれる那智さんに感謝の気持ちを込めて、出会った頃のお話を^^
それにしても11年間もずーっと上でいるの大変だと思います。
わたしは昔より成長して手がかからなくなった分、若干賢くなったので(笑)
むしろ、こういう女の上でい続けるほうが大変なんじゃないかなと思ったり。
それでも変わらないでいてくれる那智さんに揺るぎない信頼と忠誠を。
これからもよろしくお願いいたします。
毎年6月13日がブログ周年エントリーで、6月16日が出会った記念エントリーなんですけど、奇数と偶数日で一日置きの更新には合わないから、今年は一日早くUPしてみました^^
来年はいつも通り、更新日をずらすかもしれないけど、その辺りは毎年適当に流してください(笑)
<関連エントリー>
排泄
はじめて会った日のこと
リアル1 2 3
誓約書かせたんだよ〜^^
奴隷誓約書
出会った日記念
今度は5周年
過去の私、未来の私
8年目の発見
その瞬間からひとりで立てるように
36/365
「等式」感想です。全部書けとりん子に言っていますが、この話は恥ずかしい。それ以来「これは、命令ですか?」と、たまに私につめよるりん子がいます、そして滅多に命令しない私なので命令に飢えているりん子がいます。 10年以上経過してからエントリーにしたりん子の配慮?に感謝!(笑)
最終報告
独り言
『下からのコントロール』のお話からの流れもあって、出会って間もない頃の大事なエピソードを那智さんとの出会った記念日エントリーにしたけれど、じつは、他にも、ある意味大事な?ネタがあることを憶えてくださっている人はどれくらいいるでしょうか!?
そうです!!
1年前のこのタイミングで、那智さんから『一切れのパン、一年バージョン』命令がスタートした日でもあったのです。
関連エントリーにも貼るけれど『一切れのパン』とは、オナニーを禁止するのではなくて『1回だけはOKにして禁止する』という斬新(?)な禁止遊びのこと。
じつは、全面的に禁止されるほうが苦しいけど(苦しいよね?^^;)、案外気楽なのだ。
だって、禁止されているんだもの、ひたすら身悶え耐えることに没頭すればいいし、それに没頭できることはけっこう幸福だったりもする。
それが『一回』はしていいとなると、解禁日までのいつ行使するかで葛藤するのだ。
いつまで我慢できて、いつならその後なしでやり過ごせるか、ついでにいつなら一番気持ちいいか^^;
理性と本能と打算の戦い(笑)
普通に禁止もありだけど、この『一切れのパン』も那智さんらしい発想力な禁止。
童話『一切れのパン』を彷彿とさせる(させるか?!)ことから、こんな名前をつけた。
それを一年に渡り決行するというものが『一切れのパン、一年バージョン』なのだ。
攻防の末、『一年で42回』と決まり、これを昨年の出会った記念日からスタートされたのが一年前。
そして、晴れて6月15日で終了となったのです!!
さて、わたしは一年間で何回したでしょう!?
って、一年の回数を公表するという羞恥には、あえて、あえて、あえて蓋をする!!
結果は
41回
でした!!
見事、規定内に収まった!!
しかも、さほどの無理もせず!!
いや、自慢するところじゃないのはわかってますけども^^;
我ながら見事な収まり具合にちょっと鼻息荒い。
(と、テンション上げなきゃ書いてられないのだ)
さて、これが多いのか少ないのかはおいといて^^;
せっかくなので、ちょっぴり詳細を。
まずね、最初は正の字を書いていくみたいに決まった印をメモしていったのだけど、これだとひと月何回したかわからなくなるので、早い段階で日付けを書いていくやり方に変えた。
42÷12=3,5と読んでいるから、いちおうの目安がほしかったのね。
で、最初の日付けが『75』。
7月5日ってこと。
すでに印は3つついていたから、これが4回目。
そこから7月〜12月までひと月3〜4回と非常にいいペースをキープしている。
12月末で23回。
2013年はちょっとだけハイペースでも規定内くらいな状況で幕を閉じた(笑)
明けて2014年。
ここで異変が起きる。
1月、2月と各1回ずつしかしていないのだ。
記憶も定からでないので断言できないけど、今年の最初の頃は那智さんのいろいろが重なって、『女の子』の存続の危機なんて言っていた時期だから、やっぱり那智さんとわたしの精神状態は欲情を左右するものなのかもしれないね。
と、折り返しも過ぎ、計らずも回数を貯金できた余裕からか、ここから日付けを書くことをやめてしまっている。
まあ、これからやりますってときに日付けを入力するのは、そもそも『トホホ』なことなので、是が非でもやりたいわけではなかったのだろう。
しかもね、終わってから書くのもイヤなのよね。
わたし、未だに、やっぱりひとりでするの恥ずかしいから、終わったらなかったことにしたいのだよね。
だから、日付けを書く余韻さえいらないの。
(日付けを書いてする被虐は、まあ、ゼロじゃないけども^^;)
そんな気持ちからか、とにかく日付けは210、2月10日で終わっていて、以降はまた元の印に戻っている。
だから、2月中旬で24回。
残り4ヶ月を18回、一ヶ月平均4,5と俄然余裕が出てきたわけだ(笑)
そして、そこからは日付けもなく、印だけが連なっていくのだけど途中『25』『36』と数字が書いてあって、これは、25回と36回の意味。
自分なりに経過観察しているのだね^^;
そして、迎えた6月12日!!
那智さんに締め切り直前の経過報告をした。
那智さんの予想は『30回くらい』!!
わたしには『宣言と報告』が義務付けられているので、那智さんもおおよその予想はつくのだ。
それで30回。
むむむ、実際のほうが多い、しかも10回も…。
那智さんが忙しいときなどは、おそらく『宣言と報告』をしても、さらっと流して記憶に残さないこともあるのだろう。
そして、わたしは、毎度恥ずかしいからパソコンのチャットに送らず、スマホに送ったりして気づく時差を作ったりしているから、実際より少ない印象を持っていたのだと思う。
でね。
わたしとしては、恥ずかしいわけですよ。
那智さんの想像より多くしているって事実が!!
ところが、那智さんとしては少なく想像されるほうが恥ずかしくないとおっしゃるのです。
たとえば、俺が50回って想像していたら、そのほうが恥ずかしくない?ってこと。
わからないでもない。
想像する側とされる側の視点に違いで『りん子の恥ずかしさ』は違ってくるのだろうけど。
『いっぱいする人』と想像されること
想像より『いっぱいしていた』こと
これって、どっちが恥ずかしいのか、ふたりの会話で合意は得られなかったけど^^;
とにかく、スタートから一年後の6月15日、合計41回で規定内にて『一切れのパン、一年バージョン』は無事終了したことをここにご報告いたします^^
はあ、書くほうも恥ずかしいけど、人の回数の話しを聞かされて読むほうも困るよね^^;
でも、なんか貴重な資料とかにならないかな…ならないか^^;
<関連エントリー>
一切れのパン
36/365
こんなこと書いていた時期だから回数控え目?
感性1 2 3
「等式」感想です。りん子へ一年間お疲れ様でした。少なくとも今年一年は好きなだけどうぞ、管理がなくなって寂しいと思うけれど、それは我慢だね。今、ふと思ったのだけれど二人のやるデートはきっと少なく見積もっても月間3回はある、月間合計7回はしている。そう考えるとりん子はHで偉いね♪
『下からのコントロール』のお話からの流れもあって、出会って間もない頃の大事なエピソードを那智さんとの出会った記念日エントリーにしたけれど、じつは、他にも、ある意味大事な?ネタがあることを憶えてくださっている人はどれくらいいるでしょうか!?
そうです!!
1年前のこのタイミングで、那智さんから『一切れのパン、一年バージョン』命令がスタートした日でもあったのです。
関連エントリーにも貼るけれど『一切れのパン』とは、オナニーを禁止するのではなくて『1回だけはOKにして禁止する』という斬新(?)な禁止遊びのこと。
じつは、全面的に禁止されるほうが苦しいけど(苦しいよね?^^;)、案外気楽なのだ。
だって、禁止されているんだもの、ひたすら身悶え耐えることに没頭すればいいし、それに没頭できることはけっこう幸福だったりもする。
それが『一回』はしていいとなると、解禁日までのいつ行使するかで葛藤するのだ。
いつまで我慢できて、いつならその後なしでやり過ごせるか、ついでにいつなら一番気持ちいいか^^;
理性と本能と打算の戦い(笑)
普通に禁止もありだけど、この『一切れのパン』も那智さんらしい発想力な禁止。
童話『一切れのパン』を彷彿とさせる(させるか?!)ことから、こんな名前をつけた。
それを一年に渡り決行するというものが『一切れのパン、一年バージョン』なのだ。
攻防の末、『一年で42回』と決まり、これを昨年の出会った記念日からスタートされたのが一年前。
そして、晴れて6月15日で終了となったのです!!
さて、わたしは一年間で何回したでしょう!?
って、一年の回数を公表するという羞恥には、あえて、あえて、あえて蓋をする!!
結果は
41回
でした!!
見事、規定内に収まった!!
しかも、さほどの無理もせず!!
いや、自慢するところじゃないのはわかってますけども^^;
我ながら見事な収まり具合にちょっと鼻息荒い。
(と、テンション上げなきゃ書いてられないのだ)
さて、これが多いのか少ないのかはおいといて^^;
せっかくなので、ちょっぴり詳細を。
まずね、最初は正の字を書いていくみたいに決まった印をメモしていったのだけど、これだとひと月何回したかわからなくなるので、早い段階で日付けを書いていくやり方に変えた。
42÷12=3,5と読んでいるから、いちおうの目安がほしかったのね。
で、最初の日付けが『75』。
7月5日ってこと。
すでに印は3つついていたから、これが4回目。
そこから7月〜12月までひと月3〜4回と非常にいいペースをキープしている。
12月末で23回。
2013年はちょっとだけハイペースでも規定内くらいな状況で幕を閉じた(笑)
明けて2014年。
ここで異変が起きる。
1月、2月と各1回ずつしかしていないのだ。
記憶も定からでないので断言できないけど、今年の最初の頃は那智さんのいろいろが重なって、『女の子』の存続の危機なんて言っていた時期だから、やっぱり那智さんとわたしの精神状態は欲情を左右するものなのかもしれないね。
と、折り返しも過ぎ、計らずも回数を貯金できた余裕からか、ここから日付けを書くことをやめてしまっている。
まあ、これからやりますってときに日付けを入力するのは、そもそも『トホホ』なことなので、是が非でもやりたいわけではなかったのだろう。
しかもね、終わってから書くのもイヤなのよね。
わたし、未だに、やっぱりひとりでするの恥ずかしいから、終わったらなかったことにしたいのだよね。
だから、日付けを書く余韻さえいらないの。
(日付けを書いてする被虐は、まあ、ゼロじゃないけども^^;)
そんな気持ちからか、とにかく日付けは210、2月10日で終わっていて、以降はまた元の印に戻っている。
だから、2月中旬で24回。
残り4ヶ月を18回、一ヶ月平均4,5と俄然余裕が出てきたわけだ(笑)
そして、そこからは日付けもなく、印だけが連なっていくのだけど途中『25』『36』と数字が書いてあって、これは、25回と36回の意味。
自分なりに経過観察しているのだね^^;
そして、迎えた6月12日!!
那智さんに締め切り直前の経過報告をした。
那智さんの予想は『30回くらい』!!
わたしには『宣言と報告』が義務付けられているので、那智さんもおおよその予想はつくのだ。
それで30回。
むむむ、実際のほうが多い、しかも10回も…。
那智さんが忙しいときなどは、おそらく『宣言と報告』をしても、さらっと流して記憶に残さないこともあるのだろう。
そして、わたしは、毎度恥ずかしいからパソコンのチャットに送らず、スマホに送ったりして気づく時差を作ったりしているから、実際より少ない印象を持っていたのだと思う。
でね。
わたしとしては、恥ずかしいわけですよ。
那智さんの想像より多くしているって事実が!!
ところが、那智さんとしては少なく想像されるほうが恥ずかしくないとおっしゃるのです。
たとえば、俺が50回って想像していたら、そのほうが恥ずかしくない?ってこと。
わからないでもない。
想像する側とされる側の視点に違いで『りん子の恥ずかしさ』は違ってくるのだろうけど。
『いっぱいする人』と想像されること
想像より『いっぱいしていた』こと
これって、どっちが恥ずかしいのか、ふたりの会話で合意は得られなかったけど^^;
とにかく、スタートから一年後の6月15日、合計41回で規定内にて『一切れのパン、一年バージョン』は無事終了したことをここにご報告いたします^^
はあ、書くほうも恥ずかしいけど、人の回数の話しを聞かされて読むほうも困るよね^^;
でも、なんか貴重な資料とかにならないかな…ならないか^^;
<関連エントリー>
一切れのパン
36/365
こんなこと書いていた時期だから回数控え目?
感性1 2 3
「等式」感想です。りん子へ一年間お疲れ様でした。少なくとも今年一年は好きなだけどうぞ、管理がなくなって寂しいと思うけれど、それは我慢だね。今、ふと思ったのだけれど二人のやるデートはきっと少なく見積もっても月間3回はある、月間合計7回はしている。そう考えるとりん子はHで偉いね♪
境い目なし
非日常的な日常
那智さんが用事をすまされてからだったから、通常の朝イチの待ち合わせよりすこし遅めの待ち合わせ。
ホテルのサービスタイムの時間を考慮したらしばらく時間があった。
プチ断食ダイエットの翌日の会う日は、ふたりともちょっぴりタガが外れている(笑)
いつもなら軽くうどんくらいで済ませるものを、前日空腹に耐えながら見てしまったグルメ番組で紹介されていたファーストフード店にどうしても行きたいとわたしが言い出し、早めのランチはジャンクフード。
探し物があったからお付き合いいただいて、しばらくウィンドウショッピング(←キレイな色の和柄の手ぬぐい見てきゃあきゃあ)
今日は時間があるからお散歩ということになっていたけど、とくに行き先は決まっておらず、ショッピングが終わったら、那智さんスマホでマップの画面を開き
じゃあ、これを見て行って^^
なんと、ミステリーツアーを企画してくれた!
時間があるから遠くは行かないよ
でも、近所でもこうして行ったらおもしろいだろ(笑)
行き先を知っている那智さんだけど、地図を見ながら歩くわたしに付き合ってくれながら、どことなく間違ってしまわないように誘導してくれてるものわかる。
地図の反応がイマイチで思った感じになってくれないことと、あまりの『遊んでもらっている』感じに、めずらしくテレてしまって、ちょっと反応がよろしくなかったといま思って反省。
那智さん、素直に大はしゃぎできなくてごめんなさい、また、遊んでくださいね。
到着したのは小さな公園。
暖かな日差しの中池の周りのベンチに腰かけるも池にわたしの苦手なカメがいて怖がってばかり(ごめんなさい!)
だから、せっかく連れて来てもらったけど長居せずに公園を後にした。
また別のショップに立ち寄り、そろそろいい時間になったのでいつものホテルに向かうことにした。
ショップからホテルに向かう道すがらに百貨店がある。
普通なら百貨店を迂回するように一般道を歩くと思うのだけど、那智さん、百貨店に入っていった。
どうやら、ショートカットするおつもり?
正面玄関から入り、ほとんどなんの疑問も持たず、ついていく。
平日のお昼の百貨店。
お客はまばら、でも、ゼロじゃない、店員の数と同じくらいだ。
穏やかな、でも、店員のさりげない視線を感じながら華やかな化粧品売り場やブランドショップを通り抜ける。
もうすぐ反対側の出口。
この先には別の施設があるから、扉の外は一般道ではなく施設に抜ける通路が広場のようになっている。
施設に行く人は比較的多く、もしかしたら百貨店内より人の数は多いかもしれない。
扉の手前、那智さんが立ち止まった。
扉の向こうの人の往来を、当然、自分もそこに行くものだと無意識に思いながら足を進めていたので、一瞬事態が把握できず、思わず半歩先を歩く那智さんにぶつかってしまうほどだった。
体が触れたと同時に、那智さんがわたしのバッグに手をかけているのがわかった。
あ
もしかして?
おすわり
わんこ、ですね。
ものすごくひさしぶりのわんこだ。
漠然と、もうわんこはしないのかなと感じていたから、ああ、不思議な安堵だ。
『SMをしなくなったら』にあるように、那智さんにとってSM的行為とその他の愛情表現に区別がないということは、基本的にやらなくなることはないのだ。
流行があったり、飽きないためにわざとやらなかったりはあっても、好きな女と手を繋ぐ幸福はいつまでもなくならないのと同じように、やらなくなるということはないのだ。
たまたまやってないな〜という状態のまま人生のタイムリミットが来て結果的にやらないということはあったとしてもね^^(やらなくなるとしたら、可愛がる全部ですね^^;)
だから、わんこはやらないかもと漠然と思うと平行して、那智さんのことだから、そのうちやるかもとも感じていたから、その想像が当たった安堵だ。
戸惑い体を硬くする。
百貨店の静かなBGMとまばらな靴音。
コツコツと響く靴音が何人分くらいでどれくらいの距離から聞こえているのか背中越しに計ろうとする。
おすわり(笑)
穏やかに指示。
はい
計るのはやめた。
聞こえているものを無音にすることはできない。
だけど、いま、那智さんの指示に従い、那智さんの足下に四つん這いになることがわたしの幸福のもとになすべきことだと、もう、ほとんど疑いなく思える。
そして、動ける。
バッグを那智さんに持ってもらい。
そのまま体を低くして両手を床につける。
膝の位置をすこし後ろにずらし、お尻をきちんと上げる。
床と体が平行になるように、那智さんお気に入りの四つん這い。
どうか、靴音が遠いままでありますように。
どうか、何かを拾っているみたいに見えますように。
那智さんの手が首筋を撫でる。
恥ずかしさや申し訳なさが依然なくならない状態にも関わらず、ほとんどためらいなく心と体は動けることが、すこし誇らしい。
幸福が恥ずかしさと申し訳なさを凌駕する。
時間にしたら20秒か。
撫でていた手がトントンと合図をして、『あなたのもの』のわんこはおしまい。
那智さん、わんこになれて幸せでした。
ありがとうございます。
会ってから、お買い物やランチ、お散歩、そしてわんこ。
もちろん、精神的な緊張や負担、同じように幸福度合いは違うけど、どれも特別なことではない日常であることが、不思議であり、わたしたちらしいなと、ちょっとうれしい^^
扉を出て、さっき視界にあった景色の中に自分を溶け込ませる。
人々の心を波立たせていないか慎重に、静かに。
内に秘めたわんこの幸福と高揚が那智さんに伝わってほしいと願うように腕を組んだ。
通路を抜け一般道に差しかかる手前の小さな広場のベンチ。
ここで、やる?(笑)
この目はお遊びの目。
いえいえ、人、たくさんいますし^^;
そう言いながらやんわりと歩き続けることを促す。
ベンチ見回す那智さん。
あ、パンツ、見そう(笑)
ミニスカートの女性を見ていう。
もー!!
せっかくわんこの幸福と高揚でほわほわしていて、それを抱えながらホテルに入ってまとわりつきたかったのにー!!
しかも、わたし、そういう冗談ぜんぜんダメなので、しゅーーーんと意気消沈。
那智さんったら、せっかくいい気分だったのにー(笑)
いいの、いいの、それも俺だから(笑)
どれも地続きで、那智さんとわたし^^
そんなふうにしてホテルに向かうのでした^^
<関連エントリー>
わんこ一気にまとめて
わんこ
「等式」感想です。「生きてます」(笑)感想に困るような何気ない雰囲気好きです、「境い目なし」のタイトルも何気なく。待てよ、ふつうはこの出来事が何気ないくないことに気が付きました。(笑)
那智さんが用事をすまされてからだったから、通常の朝イチの待ち合わせよりすこし遅めの待ち合わせ。
ホテルのサービスタイムの時間を考慮したらしばらく時間があった。
プチ断食ダイエットの翌日の会う日は、ふたりともちょっぴりタガが外れている(笑)
いつもなら軽くうどんくらいで済ませるものを、前日空腹に耐えながら見てしまったグルメ番組で紹介されていたファーストフード店にどうしても行きたいとわたしが言い出し、早めのランチはジャンクフード。
探し物があったからお付き合いいただいて、しばらくウィンドウショッピング(←キレイな色の和柄の手ぬぐい見てきゃあきゃあ)
今日は時間があるからお散歩ということになっていたけど、とくに行き先は決まっておらず、ショッピングが終わったら、那智さんスマホでマップの画面を開き
じゃあ、これを見て行って^^
なんと、ミステリーツアーを企画してくれた!
時間があるから遠くは行かないよ
でも、近所でもこうして行ったらおもしろいだろ(笑)
行き先を知っている那智さんだけど、地図を見ながら歩くわたしに付き合ってくれながら、どことなく間違ってしまわないように誘導してくれてるものわかる。
地図の反応がイマイチで思った感じになってくれないことと、あまりの『遊んでもらっている』感じに、めずらしくテレてしまって、ちょっと反応がよろしくなかったといま思って反省。
那智さん、素直に大はしゃぎできなくてごめんなさい、また、遊んでくださいね。
到着したのは小さな公園。
暖かな日差しの中池の周りのベンチに腰かけるも池にわたしの苦手なカメがいて怖がってばかり(ごめんなさい!)
だから、せっかく連れて来てもらったけど長居せずに公園を後にした。
また別のショップに立ち寄り、そろそろいい時間になったのでいつものホテルに向かうことにした。
ショップからホテルに向かう道すがらに百貨店がある。
普通なら百貨店を迂回するように一般道を歩くと思うのだけど、那智さん、百貨店に入っていった。
どうやら、ショートカットするおつもり?
正面玄関から入り、ほとんどなんの疑問も持たず、ついていく。
平日のお昼の百貨店。
お客はまばら、でも、ゼロじゃない、店員の数と同じくらいだ。
穏やかな、でも、店員のさりげない視線を感じながら華やかな化粧品売り場やブランドショップを通り抜ける。
もうすぐ反対側の出口。
この先には別の施設があるから、扉の外は一般道ではなく施設に抜ける通路が広場のようになっている。
施設に行く人は比較的多く、もしかしたら百貨店内より人の数は多いかもしれない。
扉の手前、那智さんが立ち止まった。
扉の向こうの人の往来を、当然、自分もそこに行くものだと無意識に思いながら足を進めていたので、一瞬事態が把握できず、思わず半歩先を歩く那智さんにぶつかってしまうほどだった。
体が触れたと同時に、那智さんがわたしのバッグに手をかけているのがわかった。
あ
もしかして?
おすわり
わんこ、ですね。
ものすごくひさしぶりのわんこだ。
漠然と、もうわんこはしないのかなと感じていたから、ああ、不思議な安堵だ。
『SMをしなくなったら』にあるように、那智さんにとってSM的行為とその他の愛情表現に区別がないということは、基本的にやらなくなることはないのだ。
流行があったり、飽きないためにわざとやらなかったりはあっても、好きな女と手を繋ぐ幸福はいつまでもなくならないのと同じように、やらなくなるということはないのだ。
たまたまやってないな〜という状態のまま人生のタイムリミットが来て結果的にやらないということはあったとしてもね^^(やらなくなるとしたら、可愛がる全部ですね^^;)
だから、わんこはやらないかもと漠然と思うと平行して、那智さんのことだから、そのうちやるかもとも感じていたから、その想像が当たった安堵だ。
戸惑い体を硬くする。
百貨店の静かなBGMとまばらな靴音。
コツコツと響く靴音が何人分くらいでどれくらいの距離から聞こえているのか背中越しに計ろうとする。
おすわり(笑)
穏やかに指示。
はい
計るのはやめた。
聞こえているものを無音にすることはできない。
だけど、いま、那智さんの指示に従い、那智さんの足下に四つん這いになることがわたしの幸福のもとになすべきことだと、もう、ほとんど疑いなく思える。
そして、動ける。
バッグを那智さんに持ってもらい。
そのまま体を低くして両手を床につける。
膝の位置をすこし後ろにずらし、お尻をきちんと上げる。
床と体が平行になるように、那智さんお気に入りの四つん這い。
どうか、靴音が遠いままでありますように。
どうか、何かを拾っているみたいに見えますように。
那智さんの手が首筋を撫でる。
恥ずかしさや申し訳なさが依然なくならない状態にも関わらず、ほとんどためらいなく心と体は動けることが、すこし誇らしい。
幸福が恥ずかしさと申し訳なさを凌駕する。
時間にしたら20秒か。
撫でていた手がトントンと合図をして、『あなたのもの』のわんこはおしまい。
那智さん、わんこになれて幸せでした。
ありがとうございます。
会ってから、お買い物やランチ、お散歩、そしてわんこ。
もちろん、精神的な緊張や負担、同じように幸福度合いは違うけど、どれも特別なことではない日常であることが、不思議であり、わたしたちらしいなと、ちょっとうれしい^^
扉を出て、さっき視界にあった景色の中に自分を溶け込ませる。
人々の心を波立たせていないか慎重に、静かに。
内に秘めたわんこの幸福と高揚が那智さんに伝わってほしいと願うように腕を組んだ。
通路を抜け一般道に差しかかる手前の小さな広場のベンチ。
ここで、やる?(笑)
この目はお遊びの目。
いえいえ、人、たくさんいますし^^;
そう言いながらやんわりと歩き続けることを促す。
ベンチ見回す那智さん。
あ、パンツ、見そう(笑)
ミニスカートの女性を見ていう。
もー!!
せっかくわんこの幸福と高揚でほわほわしていて、それを抱えながらホテルに入ってまとわりつきたかったのにー!!
しかも、わたし、そういう冗談ぜんぜんダメなので、しゅーーーんと意気消沈。
那智さんったら、せっかくいい気分だったのにー(笑)
いいの、いいの、それも俺だから(笑)
どれも地続きで、那智さんとわたし^^
そんなふうにしてホテルに向かうのでした^^
<関連エントリー>
わんこ一気にまとめて
わんこ
「等式」感想です。「生きてます」(笑)感想に困るような何気ない雰囲気好きです、「境い目なし」のタイトルも何気なく。待てよ、ふつうはこの出来事が何気ないくないことに気が付きました。(笑)