毛布
惹かれ合う理由
「父性」、またまた辞書を引いてみる。
「(男性に見られる)父親としての本能的な性質」・・・だから、どんな本能!?って突っ込みたくなってしまいます。
那智さんと知り合って、尊敬する気持ち、わかってもらっている安心感、委ねようと思う信頼を感じてきた私、このころから「父性」という言葉が私のキーワードになっていた。
私の性格的な問題(問題ってほどではないけど、心底幸福になれないこと)は、父から起因していることは、わかっていた。
何度となく那智さんと話し、さらにその時期偶然読んでいた岩月謙司さん(準強制わいせつ罪かなんかで、懲役になってしまいましたが)の本の影響もあり、「父性」が必要なこともわかってきた。
著書によれば、女性の男性選びは父親の愛が重要と言っています。(随分前に読んだし、私の解釈で言っていますので、不確かです。)
女性には「自分を守ってくれて、無償の愛を常に注いでくれる騎士(ナイト)が必要」なんですって。
本来は、子供のころ父親からもらえれば、「自分は愛されるに値する」と自信を持って、父から愛された心地良さを頼りに、父親と同じ尊敬できる人を選ぶことができるんです。
それをもらえていないと、くれなかった父(の悪い部分を持った)と似た男性を選んでしまって、不幸な恋愛を繰り返してしまうのです。
なぜ、悪い部分を敢えて選ぶかっていうと、女の子は父親の愛が欲しいがために、一生懸命父親を好きになろうとします。
だから、お父さんのダメな所も「ダメ」という気持ちを意識の下にしまって、そこを大好きになろうとするのです。
その生きていくために必要だった努力が、癖のように父親と似たタイプを選ばせてしまうのです。
でも、結局、意識の下ではそこは好きな所じゃないから、辛くなったり、ある日突然嫌いになったりしてしまうそうです。
だから、深刻な虐待などで精神的に問題がある場合は、性を超えた愛が必要で(なかなか得られないですよね。娘に対する愛ね)、それほど深刻でない場合では、それに似た愛を得られれば、辛い恋を繰り返すことなく幸福になれるということです(私はこの程度ですんでいるはず、世の中にはもっと深刻な人もいます)。
私の場合は「子供のような父」を一生懸命好きに思うがあまりに「甘えるタイプ、母性本能をくすぐるタイプ」を選んでいたことになるわけです。
長いですね・・・すみません、こんなに長くするつもりなかったのですが・・。
那智さんと話し、同時期に本を読み、私には父性が必要とわかってきていた。
辞書に載っていた父性とは、少し違うけど、私が求めているものは、「条件なしの愛、保護され慈しまれ、正される」こと。
これを、称して父性と呼んでいた。
おそらく、那智さんがこれをくれるであろう最初で最後の候補。
候補が確定になったのは、白旗を挙げてから、それほど経っていない4、5度目のデートの時。
那智さんに抱かれて、一休み(なんか恥ずかしい♪)していたときのこと。
那智さんは、私にマッサージをさせるときは、部屋を薄暗くします。(逆に、それ以外は明るいのね!!)
その日も、そんな流れで薄暗くして、でも、まだ私がくっついていたくて、腕枕してもらいながら甘えていた。
「りん子、小さい子みたい」
何気なく言った(のか、わかりません。確信犯!?)その言葉は、私の心の一番弱いところをギュッと掴んだ。
声を出せずにいると、追い打ちを掛けるように、優しく髪を撫でながら言う。
「いいよ、女の子になっちゃえよ。何歳くらいがいい?」
涙が次から次へと、溢れて止まらない。
那智さんの指は、私の髪を梳いてくれている。
時折「良い子だね」なんて、子守歌のように私を包みながら。
こんなこと、おかしい。
30代の私が、女の子?
でも、もう涙と同じように、止まれない。
「私、良い子ですか?」
「ああ、良い子だよ。」
「私のこと、かわいいですか?」
「私が、一番かわいいと思ってくれますか?」
きっと、端から見たら異様な光景だろう。
次の言葉を口にするのをためらう。
でも、いま言葉にしなければ、私は後悔するだろう。
私は、抜けだしたいのだ。
思い切って聞く。
「お父さんって呼んでもいいですか?」
「いいよ。」
敬語を使いたくなかった。
心から、甘えたかった。
那智さんという父性に抱かれたかった。
そして、もうひとつ、倒錯していることを自覚しながらも、聞いてしまう。
「私のことかわいい?おねえちゃんよりもかわいい?一番好き?」
「おねえちゃんよりも、かわいいし大好きだよ」
号泣。
抱きしめられながら、誰よりも(おねえちゃんよりも)かわいいと言ってもらって、声を上げて泣く。
お父さんからもらえる愛を、なんの疑いもなく全部受け取る女の子。
「私ね、お父さんに、おねえちゃんよりもかわいいって、一度でいいから言ってもらいたかったの。」
どれくらいの時間が経っただろう。
しゃくり上げるほど泣いて、泣いて、私は、はじめての温かい毛布にくるまれて眠る少女になっていた。
これも、この那智さんが行った行為も、正しいことか、それはわからない。
ただ、私は那智さんに出会って、叶うことのないと諦めていたこと、さらに存在さえ知らなかったことを、たくさん教えてもらった。
那智さんが私に対して、発してくれることがすべて幸福に繋がる事実。
「私は那智さんのもの」、所有されたいという性質を持った私は、図らずもいくつかの出来事を越え、演技やスパイスとしてではない支配を可能なものと思えてきていたのだった。
いつも、長くて個人的ですみません。
ここまで読んでくださったかた、お疲れさまでした。
ありがとう。
この「女の子になる」の続編はまだあります。
近親相姦願望とは全く違うことを、いつか上手に説明できればと思っています。
今日は、疲れたからおしまいです〜。
最後に、この当時送ったメールを載せておしまいにします。
「圧倒的な父性の海に抱かれて私は至福を味わう。これを支配というならば私は喜んでその海に身を投じよう」
「父性」、またまた辞書を引いてみる。
「(男性に見られる)父親としての本能的な性質」・・・だから、どんな本能!?って突っ込みたくなってしまいます。
那智さんと知り合って、尊敬する気持ち、わかってもらっている安心感、委ねようと思う信頼を感じてきた私、このころから「父性」という言葉が私のキーワードになっていた。
私の性格的な問題(問題ってほどではないけど、心底幸福になれないこと)は、父から起因していることは、わかっていた。
何度となく那智さんと話し、さらにその時期偶然読んでいた岩月謙司さん(準強制わいせつ罪かなんかで、懲役になってしまいましたが)の本の影響もあり、「父性」が必要なこともわかってきた。
著書によれば、女性の男性選びは父親の愛が重要と言っています。(随分前に読んだし、私の解釈で言っていますので、不確かです。)
女性には「自分を守ってくれて、無償の愛を常に注いでくれる騎士(ナイト)が必要」なんですって。
本来は、子供のころ父親からもらえれば、「自分は愛されるに値する」と自信を持って、父から愛された心地良さを頼りに、父親と同じ尊敬できる人を選ぶことができるんです。
それをもらえていないと、くれなかった父(の悪い部分を持った)と似た男性を選んでしまって、不幸な恋愛を繰り返してしまうのです。
なぜ、悪い部分を敢えて選ぶかっていうと、女の子は父親の愛が欲しいがために、一生懸命父親を好きになろうとします。
だから、お父さんのダメな所も「ダメ」という気持ちを意識の下にしまって、そこを大好きになろうとするのです。
その生きていくために必要だった努力が、癖のように父親と似たタイプを選ばせてしまうのです。
でも、結局、意識の下ではそこは好きな所じゃないから、辛くなったり、ある日突然嫌いになったりしてしまうそうです。
だから、深刻な虐待などで精神的に問題がある場合は、性を超えた愛が必要で(なかなか得られないですよね。娘に対する愛ね)、それほど深刻でない場合では、それに似た愛を得られれば、辛い恋を繰り返すことなく幸福になれるということです(私はこの程度ですんでいるはず、世の中にはもっと深刻な人もいます)。
私の場合は「子供のような父」を一生懸命好きに思うがあまりに「甘えるタイプ、母性本能をくすぐるタイプ」を選んでいたことになるわけです。
長いですね・・・すみません、こんなに長くするつもりなかったのですが・・。
那智さんと話し、同時期に本を読み、私には父性が必要とわかってきていた。
辞書に載っていた父性とは、少し違うけど、私が求めているものは、「条件なしの愛、保護され慈しまれ、正される」こと。
これを、称して父性と呼んでいた。
おそらく、那智さんがこれをくれるであろう最初で最後の候補。
候補が確定になったのは、白旗を挙げてから、それほど経っていない4、5度目のデートの時。
那智さんに抱かれて、一休み(なんか恥ずかしい♪)していたときのこと。
那智さんは、私にマッサージをさせるときは、部屋を薄暗くします。(逆に、それ以外は明るいのね!!)
その日も、そんな流れで薄暗くして、でも、まだ私がくっついていたくて、腕枕してもらいながら甘えていた。
「りん子、小さい子みたい」
何気なく言った(のか、わかりません。確信犯!?)その言葉は、私の心の一番弱いところをギュッと掴んだ。
声を出せずにいると、追い打ちを掛けるように、優しく髪を撫でながら言う。
「いいよ、女の子になっちゃえよ。何歳くらいがいい?」
涙が次から次へと、溢れて止まらない。
那智さんの指は、私の髪を梳いてくれている。
時折「良い子だね」なんて、子守歌のように私を包みながら。
こんなこと、おかしい。
30代の私が、女の子?
でも、もう涙と同じように、止まれない。
「私、良い子ですか?」
「ああ、良い子だよ。」
「私のこと、かわいいですか?」
「私が、一番かわいいと思ってくれますか?」
きっと、端から見たら異様な光景だろう。
次の言葉を口にするのをためらう。
でも、いま言葉にしなければ、私は後悔するだろう。
私は、抜けだしたいのだ。
思い切って聞く。
「お父さんって呼んでもいいですか?」
「いいよ。」
敬語を使いたくなかった。
心から、甘えたかった。
那智さんという父性に抱かれたかった。
そして、もうひとつ、倒錯していることを自覚しながらも、聞いてしまう。
「私のことかわいい?おねえちゃんよりもかわいい?一番好き?」
「おねえちゃんよりも、かわいいし大好きだよ」
号泣。
抱きしめられながら、誰よりも(おねえちゃんよりも)かわいいと言ってもらって、声を上げて泣く。
お父さんからもらえる愛を、なんの疑いもなく全部受け取る女の子。
「私ね、お父さんに、おねえちゃんよりもかわいいって、一度でいいから言ってもらいたかったの。」
どれくらいの時間が経っただろう。
しゃくり上げるほど泣いて、泣いて、私は、はじめての温かい毛布にくるまれて眠る少女になっていた。
これも、この那智さんが行った行為も、正しいことか、それはわからない。
ただ、私は那智さんに出会って、叶うことのないと諦めていたこと、さらに存在さえ知らなかったことを、たくさん教えてもらった。
那智さんが私に対して、発してくれることがすべて幸福に繋がる事実。
「私は那智さんのもの」、所有されたいという性質を持った私は、図らずもいくつかの出来事を越え、演技やスパイスとしてではない支配を可能なものと思えてきていたのだった。
いつも、長くて個人的ですみません。
ここまで読んでくださったかた、お疲れさまでした。
ありがとう。
この「女の子になる」の続編はまだあります。
近親相姦願望とは全く違うことを、いつか上手に説明できればと思っています。
今日は、疲れたからおしまいです〜。
最後に、この当時送ったメールを載せておしまいにします。
「圧倒的な父性の海に抱かれて私は至福を味わう。これを支配というならば私は喜んでその海に身を投じよう」
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