感性2
独特な幸福感
年末の那智さんは忙しい。
まあ、だいたいの人は年末忙しいものではあるけれど、加えて年始に大きなイベントがあるために余計に忙しいのはブログでも何度か書いている。
毎年のことなので心がまえや対処方法もそれなりにできてきているし、なにより『なんとか凌げる』程度にわたし自身成長したみたいなのだ。
とくに、今年は午後半休など織り交ぜながらなんとか会えているので、例年に比べてなんとかなっていた。
小さなことをいちいち聞いてもらうような話題提供はせず、那智さんにいまの集中度合いを聞いて『いま話しておかないといけないもの』『この時期を過ぎてからでいいから話したいこと』『話さないでも済んでしまえそうなこと』優先順位をつけ話題を振る。
ただこの時期はほとんどわたしへの集中は低く、単純作業などでたまに集中が増してもそれほど長く続かずにまた低い集中度合いになるので、ほとんどたいした話題提供はできない。
ほとんど上の空のお返事で、たまに浮上してくれたと思いすこし実のある話をしてもすーっとまたもとの低さに戻っている、この繰り返しだとこちらも「それなら黙っておこうかな」と思うものだ。
わたしは会話にならなくても『繋がっている』だけで充分満足なので、尻つぼみな会話や集中が低く堂々巡りになる会話をするくらいなら、黙って那智さんの気配を聞いていられるだけでいい。
昔より、何が何でも聞いてほしいという寄りかかりをしないでいられる程度に『しっかり者』になれているので、むしろ黙っていたほうが那智さんの負担も減るし精神衛生上いいかもしれないとも思う。
だから、
いま集中はどれくらいですか?
と聞いて
大丈夫だよ〜
と若干上の空気味でお返事をくれると
大丈夫かどうかじゃなくて
話したほうがいいですか?
会話ができるほうがいいですか?
BGMとしてわたしの声があったほうがいいですか?(笑)
などと、なかなか高度な提案をするほどだった。
【朗読奴隷】ならぬBGM奴隷^^
日常レベルのことは那智さんの聞いてもらわなくてもなんとかなる。
そういう状態は那智さんを欲する焦燥感もないし、その焦燥感ゆえ那智さんに当たってしまいそうになるのを堪える大変さもないから、とてもいい。
でも、そんなふうにしっかり者のわたしでいるのは、まだわたしにはちょっと力を入れる必要があるのだろう、なんとなく心が固まってくるのもわかる。
那智さんの声を聞いてふにゃふにゃで、かまってもらってきゃあきゃあな柔らかい心ではしっかり者は務められないのだ。
あと2、3週間、那智さんのお仕事が落ち着いたらいっぱいくっついて甘えてよしよししてもらおう。
そのときにこの固まった心をほぐすことができるかな、ひとりで対処できてしまった事実が、わたしをしっかり者のままにしてしまわないかな。
那智さんの可愛いりん子でいられなくなりそうで、しっかり者の硬い心はラクだけど、ひとりで対処できてしまう自分がすこし残念な気持ちだった。
そんな年末、お仕事のお手伝いにお仕事場におじゃました。
この作業は毎年わたし担当なのだ(笑)
なかなか日程調整ができなかったので、その日一日で作業を終えないと間に合わなかった。
例年、ほとんど一日でできているので問題ないとは思うけど、万が一終わらなかったら那智さんの仕事をひとつ減らして差し上げられなくなる。
そんな気持ちもあって、いっそうしっかり者のわたしのテンションでお仕事場に到着した。
コートを脱ぎ、ちょっとトイレでいちゃいちゃして(しましたよね?)、今日の作業の流れを確認するために会議室へ。
コーヒーをいただいていたら
りん子、これ
と
透明なビニールに金色の模様が入った手提げ袋を差し出す。
見ると中にクマのぬいぐるみが入っている。
真っ白いクマが緑と赤で組み合わせのセーターと帽子を着ている。
うわあああ。
しっかり者テンションの凝り固まったわたしの心は、それを見てギクシャク。
これ、りん子にあげたかったんだ〜
聞けば、このクマのぬいぐるみは毎年クリスマスの時期になると那智さんの知っているショップで売り出すらしい。
2、3年前くらいから、わたしにプレゼントしたいと思い、一緒にそのショップの前を通るたびに「いる?」と聞いてくれていたそうだ。
ところが、わたしが物欲ない女だし^^;
毎年「いいですよ〜」と断っていたのだそうだ。
(じつは、あまり記憶にない^^;)
でも、今年はわたしに確認せずに「買ってもいいな」と思えたそうで、こうやってプレゼントしてくれたのだ。
那智さんとわたしの『プレゼント』はちょっと特殊かもしれない。
お互い『相手がよろこんでくれる』物をあげたいと思うので、こういう事前確認があったりする。
ただ、ここもあうんの呼吸のようなもので、『これはぜったいあげたい!!』というものは、確認しない。
おそらく、これは『あげたい』心をプレゼントしているのだろう、いただくほうも、それがうれしかったりするので、これはこれで成立するのだ。
今回はこのパターン。
あげたいなと思う気持ちが数年間継続したことで、那智さんの中で『ぜったいあげたい』パターンに切り替わったのだろう。
ギクシャクしながら袋から取り出したクマは真っ白でふわふわで、困惑する。
でも『あげたい』という気持ちは、凝り固まった心を柔らかくしてくれる水分のようなものなのだろうか。
困惑は照れているのだと気づかせてくれる。
いろんな色があったけど、白がいいって思ってさ
セーターと帽子も別売りで色を選べるから、これにした
白を選んでくれたこと、セーターと帽子も選んでくれたこと、それがうれしい。
那智さんにとってわたしは白いクマのぬいぐるみをプレゼントする対象で、まだあり続けていると思っていいのだろうか。
涙がポロポロこぼれる。
ああ、しっかり者だとか言っておきながら、こんなふうに那智さんのそばで無垢な気持ちになれることがこんなにもしあわせ。
5年前、クマの【ぬいぐるみ】を買ってもらったときに涙を流したキレイな心をまだ持てている。
ぬいぐるみのように真っ白い心の心地よさを感じられることが、わたしの『女の子』の幸福。
前エントリーは『弱いわたし』。
このときのわたしは『女の子』の心。
このふたつのお話を次でまとめます^^
<関連エントリー>
わたしの『女の子』
ぬいぐるみ
朗読奴隷12
年末の那智さんは忙しい。
まあ、だいたいの人は年末忙しいものではあるけれど、加えて年始に大きなイベントがあるために余計に忙しいのはブログでも何度か書いている。
毎年のことなので心がまえや対処方法もそれなりにできてきているし、なにより『なんとか凌げる』程度にわたし自身成長したみたいなのだ。
とくに、今年は午後半休など織り交ぜながらなんとか会えているので、例年に比べてなんとかなっていた。
小さなことをいちいち聞いてもらうような話題提供はせず、那智さんにいまの集中度合いを聞いて『いま話しておかないといけないもの』『この時期を過ぎてからでいいから話したいこと』『話さないでも済んでしまえそうなこと』優先順位をつけ話題を振る。
ただこの時期はほとんどわたしへの集中は低く、単純作業などでたまに集中が増してもそれほど長く続かずにまた低い集中度合いになるので、ほとんどたいした話題提供はできない。
ほとんど上の空のお返事で、たまに浮上してくれたと思いすこし実のある話をしてもすーっとまたもとの低さに戻っている、この繰り返しだとこちらも「それなら黙っておこうかな」と思うものだ。
わたしは会話にならなくても『繋がっている』だけで充分満足なので、尻つぼみな会話や集中が低く堂々巡りになる会話をするくらいなら、黙って那智さんの気配を聞いていられるだけでいい。
昔より、何が何でも聞いてほしいという寄りかかりをしないでいられる程度に『しっかり者』になれているので、むしろ黙っていたほうが那智さんの負担も減るし精神衛生上いいかもしれないとも思う。
だから、
いま集中はどれくらいですか?
と聞いて
大丈夫だよ〜
と若干上の空気味でお返事をくれると
大丈夫かどうかじゃなくて
話したほうがいいですか?
会話ができるほうがいいですか?
BGMとしてわたしの声があったほうがいいですか?(笑)
などと、なかなか高度な提案をするほどだった。
【朗読奴隷】ならぬBGM奴隷^^
日常レベルのことは那智さんの聞いてもらわなくてもなんとかなる。
そういう状態は那智さんを欲する焦燥感もないし、その焦燥感ゆえ那智さんに当たってしまいそうになるのを堪える大変さもないから、とてもいい。
でも、そんなふうにしっかり者のわたしでいるのは、まだわたしにはちょっと力を入れる必要があるのだろう、なんとなく心が固まってくるのもわかる。
那智さんの声を聞いてふにゃふにゃで、かまってもらってきゃあきゃあな柔らかい心ではしっかり者は務められないのだ。
あと2、3週間、那智さんのお仕事が落ち着いたらいっぱいくっついて甘えてよしよししてもらおう。
そのときにこの固まった心をほぐすことができるかな、ひとりで対処できてしまった事実が、わたしをしっかり者のままにしてしまわないかな。
那智さんの可愛いりん子でいられなくなりそうで、しっかり者の硬い心はラクだけど、ひとりで対処できてしまう自分がすこし残念な気持ちだった。
そんな年末、お仕事のお手伝いにお仕事場におじゃました。
この作業は毎年わたし担当なのだ(笑)
なかなか日程調整ができなかったので、その日一日で作業を終えないと間に合わなかった。
例年、ほとんど一日でできているので問題ないとは思うけど、万が一終わらなかったら那智さんの仕事をひとつ減らして差し上げられなくなる。
そんな気持ちもあって、いっそうしっかり者のわたしのテンションでお仕事場に到着した。
コートを脱ぎ、ちょっとトイレでいちゃいちゃして(しましたよね?)、今日の作業の流れを確認するために会議室へ。
コーヒーをいただいていたら
りん子、これ
と
透明なビニールに金色の模様が入った手提げ袋を差し出す。
見ると中にクマのぬいぐるみが入っている。
真っ白いクマが緑と赤で組み合わせのセーターと帽子を着ている。
うわあああ。
しっかり者テンションの凝り固まったわたしの心は、それを見てギクシャク。
これ、りん子にあげたかったんだ〜
聞けば、このクマのぬいぐるみは毎年クリスマスの時期になると那智さんの知っているショップで売り出すらしい。
2、3年前くらいから、わたしにプレゼントしたいと思い、一緒にそのショップの前を通るたびに「いる?」と聞いてくれていたそうだ。
ところが、わたしが物欲ない女だし^^;
毎年「いいですよ〜」と断っていたのだそうだ。
(じつは、あまり記憶にない^^;)
でも、今年はわたしに確認せずに「買ってもいいな」と思えたそうで、こうやってプレゼントしてくれたのだ。
那智さんとわたしの『プレゼント』はちょっと特殊かもしれない。
お互い『相手がよろこんでくれる』物をあげたいと思うので、こういう事前確認があったりする。
ただ、ここもあうんの呼吸のようなもので、『これはぜったいあげたい!!』というものは、確認しない。
おそらく、これは『あげたい』心をプレゼントしているのだろう、いただくほうも、それがうれしかったりするので、これはこれで成立するのだ。
今回はこのパターン。
あげたいなと思う気持ちが数年間継続したことで、那智さんの中で『ぜったいあげたい』パターンに切り替わったのだろう。
ギクシャクしながら袋から取り出したクマは真っ白でふわふわで、困惑する。
でも『あげたい』という気持ちは、凝り固まった心を柔らかくしてくれる水分のようなものなのだろうか。
困惑は照れているのだと気づかせてくれる。
いろんな色があったけど、白がいいって思ってさ
セーターと帽子も別売りで色を選べるから、これにした
白を選んでくれたこと、セーターと帽子も選んでくれたこと、それがうれしい。
那智さんにとってわたしは白いクマのぬいぐるみをプレゼントする対象で、まだあり続けていると思っていいのだろうか。
涙がポロポロこぼれる。
ああ、しっかり者だとか言っておきながら、こんなふうに那智さんのそばで無垢な気持ちになれることがこんなにもしあわせ。
5年前、クマの【ぬいぐるみ】を買ってもらったときに涙を流したキレイな心をまだ持てている。
ぬいぐるみのように真っ白い心の心地よさを感じられることが、わたしの『女の子』の幸福。
前エントリーは『弱いわたし』。
このときのわたしは『女の子』の心。
このふたつのお話を次でまとめます^^
<関連エントリー>
わたしの『女の子』
ぬいぐるみ
朗読奴隷12
感性3
独特な幸福感
前のふたつのエントリー。
那智さんの前でひさしぶりに弱いわたしの幸福を思い出したときのことと、ぬいぐるみをプレゼントしてもらって『女の子』の幸福を感じたときのこと。
(ここから読んでも通じますが、前のふたつを読んでいただいてからのほうがわかりやすいです)
どちらも幸福なときではあったけれど、このふたつは似ているけど違うのだ。
*以降、弱いとか未熟とかを『子ども的』と総称します。
『女の子』というエントリーに現段階でのわたしの『女の子』を定義している。
わたしの『女の子』は甘えたりわがままいったりメソメソして慰めてもらったりと子どものようになることを指しているのではなく、ふわふわした心の心地よさ、素直で無垢でいられる心地よさを知っている、もしくは、その状態が好きでいる、その心と状態を指している。
だから、甘えるや駄々こねるみたいなものがあるとしたら、ひとつの表現方法というだけで、本来わたしの『女の子』は那智さんに対する態度ではなく、本質はわたしの心にある。
そんな定義。
それに基づくと、ライブハウスが怖くて『びえ〜ん』と泣きついたことは『女の子』ではない。
ぬいぐるみをもらって、そのふわふわに心がときめき素直にそれを感じられたあの心が『女の子』だ。
だから、あのふたつは似て非なるものだったのです。
なぜ、そんなことを書いたかというと、いまわたしの中で『女の子』存続の危機に晒されているから(笑)←大げさな表現使ったから(笑)つけたけど、けっこう本人は真剣です!
子ども的と『女の子』はとても似ている。
弱さや未熟さを感じることは子ども的な部分を刺激し、似たような『女の子』も刺激される気になるからイコールだと思いがちだけど、これは分けて考えている。
なぜなら、子ども的=『女の子』であるとしたら、成長したら『女の子』ではいられなくなってしまうからね。
つまずいて『びえ〜ん』としたところを那智さんに手を差し伸べてもらうことは幸福だ。
だけど、那智さんはわたしが生きやすくなるように育てているわけで、いつまでも弱いままなのは不本意だし、人間の心理は無意識に可愛がられたいがためにいつまでも未熟でいようとしてしまいそうになるけど、じつはあまり後味のよいものでもない。
だから、わたしはある時期から『女の子』を見つめ直し定義付けをした。
子ども的=『女の子』ではないと意識を定着させることは、心地よい『女の子』状態をずっと保つことになり、これまで概ね成功している。
でも、人の心はきっちり線引きできるものではないので、今度は成長してしっかり者になれたときの『女の子』対応が問題になってきたわけ。
子ども的と『女の子』がイコールではないようにしっかり者になることも『女の子』とは無関係のことなのに、どうしても『女の子』状態に水を差すような感じになってしまうのだ。
忙しい時期だから那智さんにかまってほしい気持ちをそっと抑えることができる大人なわたしがふわふわなぬいぐるみを喜ぶことに抵抗感を感じてしまうことは想像できるよね。
いやいや、わたし、もういい年だし^^;
いまさらぬいぐるみできゃーきゃー言えないよね^^;
那智さんに淋しいって言わないでいられるのに、那智さんラブラブーーーって尻尾ぶんぶんするのなんか大げさじゃない?
こんなふうにしっかり者からはなかなか『女の子』は刺激されないのだ、むしろ妨害される。
しっかり者の壁は照れや自尊心やらでふわふわの柔らかい感性を封じ込めてしまうのです。
だからね、ここは思考を整理してきちんと線引きをしようと思ったのです。
子ども的=『女の子』ではない。
これは、ずいぶん区分けできている。
あらたに、しっかり者であることと『女の子』は両立できるということを認識させたいと思っている。
子ども的はわかりやすく『女の子』を感じられる。
でも、子ども的でなくなってしっかり者が登場しても『女の子』がなくなるわけじゃない。
子ども的と『女の子』が同じではないように、しっかり者と『女の子』は別物、両立してわたしという器に同居できると意識したい。
ここをちゃんと意識しないと『女の子』の幸福がどんどん遠ざかってしまいそうだし、『女の子』を感じたいがために成長を止めてしまいそうだものね。
この意識変換を那智さんにお話しした。
どこまで理解してくれたかわからない(笑)
わたしの『女の子』絶滅の危機感は、おそらくあまり那智さんに伝わっていないからだ。
その危機感もひそかに上手に蓋をして可愛いりん子を抽出してお届けしているから、たぶん那智さんにはいつものわたしでいるはずなんだ^^
『女の子』の幸福を感じ、いつまでも那智さんの好きな感性を持ち続けるために協力をお願いします。
那智さんにはわたしの素直さや無垢さに対するアンテナの感度をちょっと上げていただいて、それを拾ったらいつもよりちょっと意識して、その存在を認め肯定してください。
しっかりしてきて手がかからなくなったかもしれないけど、それを『女の子』は別物だと意識してください。
そんなお願いをした。
もちろん協力するけど、これはかなり大変なことだ(笑)
きっと、日頃、とくに最近、わたしに対してほとんど自然でいる那智さんの意識をすこし変えてもらうことはいまの那智さんにはちょっと気合いが必要なことなのだと思う。
自然でいられることがありがたいし、安請け合いしないところが那智さんらしいなと思いつつ、でも、ご協力をお願いした。
今年のわたしの目標は、しっかり者と『女の子』は同居できるという意識改革。
これはきっと可能。
なぜならしっかり者はスキルであって、『女の子』は感性だからだ。
目指せ、大人で無垢!!
同時期に起きたふたつの出来事から今後のわたしの意識の向け方と目標を考えたお話。
(いい年して『無垢』と言ってしまう勇気も意識改革には必要なのだ^^;)
これ二ヶ月後の更新ですけど、那智さん、憶えてくれているかなぁ(笑)
<関連エントリー>
わたしの『女の子』
「等式」感想です。その1、感覚的にアンテナを2本にすれば両立出来るのでは?ここは都合良く インプットとアウトプットを分けましょう。その2、この会話は忘れていたけれど、私がりん子の「女の子」 を褒めたときに喜ぶりん子の感度が良く、もっと誉めてあげられると良いなと思った事は確かです。
だから、りん子の私にたいするお願いは忘れていたけれど、誉めた時の私の快感は残っている。結果的にはりん子は欲しいものを手に入れています!(笑)
前のふたつのエントリー。
那智さんの前でひさしぶりに弱いわたしの幸福を思い出したときのことと、ぬいぐるみをプレゼントしてもらって『女の子』の幸福を感じたときのこと。
(ここから読んでも通じますが、前のふたつを読んでいただいてからのほうがわかりやすいです)
どちらも幸福なときではあったけれど、このふたつは似ているけど違うのだ。
*以降、弱いとか未熟とかを『子ども的』と総称します。
『女の子』というエントリーに現段階でのわたしの『女の子』を定義している。
わたしの『女の子』は甘えたりわがままいったりメソメソして慰めてもらったりと子どものようになることを指しているのではなく、ふわふわした心の心地よさ、素直で無垢でいられる心地よさを知っている、もしくは、その状態が好きでいる、その心と状態を指している。
だから、甘えるや駄々こねるみたいなものがあるとしたら、ひとつの表現方法というだけで、本来わたしの『女の子』は那智さんに対する態度ではなく、本質はわたしの心にある。
そんな定義。
それに基づくと、ライブハウスが怖くて『びえ〜ん』と泣きついたことは『女の子』ではない。
ぬいぐるみをもらって、そのふわふわに心がときめき素直にそれを感じられたあの心が『女の子』だ。
だから、あのふたつは似て非なるものだったのです。
なぜ、そんなことを書いたかというと、いまわたしの中で『女の子』存続の危機に晒されているから(笑)←大げさな表現使ったから(笑)つけたけど、けっこう本人は真剣です!
子ども的と『女の子』はとても似ている。
弱さや未熟さを感じることは子ども的な部分を刺激し、似たような『女の子』も刺激される気になるからイコールだと思いがちだけど、これは分けて考えている。
なぜなら、子ども的=『女の子』であるとしたら、成長したら『女の子』ではいられなくなってしまうからね。
つまずいて『びえ〜ん』としたところを那智さんに手を差し伸べてもらうことは幸福だ。
だけど、那智さんはわたしが生きやすくなるように育てているわけで、いつまでも弱いままなのは不本意だし、人間の心理は無意識に可愛がられたいがためにいつまでも未熟でいようとしてしまいそうになるけど、じつはあまり後味のよいものでもない。
だから、わたしはある時期から『女の子』を見つめ直し定義付けをした。
子ども的=『女の子』ではないと意識を定着させることは、心地よい『女の子』状態をずっと保つことになり、これまで概ね成功している。
でも、人の心はきっちり線引きできるものではないので、今度は成長してしっかり者になれたときの『女の子』対応が問題になってきたわけ。
子ども的と『女の子』がイコールではないようにしっかり者になることも『女の子』とは無関係のことなのに、どうしても『女の子』状態に水を差すような感じになってしまうのだ。
忙しい時期だから那智さんにかまってほしい気持ちをそっと抑えることができる大人なわたしがふわふわなぬいぐるみを喜ぶことに抵抗感を感じてしまうことは想像できるよね。
いやいや、わたし、もういい年だし^^;
いまさらぬいぐるみできゃーきゃー言えないよね^^;
那智さんに淋しいって言わないでいられるのに、那智さんラブラブーーーって尻尾ぶんぶんするのなんか大げさじゃない?
こんなふうにしっかり者からはなかなか『女の子』は刺激されないのだ、むしろ妨害される。
しっかり者の壁は照れや自尊心やらでふわふわの柔らかい感性を封じ込めてしまうのです。
だからね、ここは思考を整理してきちんと線引きをしようと思ったのです。
子ども的=『女の子』ではない。
これは、ずいぶん区分けできている。
あらたに、しっかり者であることと『女の子』は両立できるということを認識させたいと思っている。
子ども的はわかりやすく『女の子』を感じられる。
でも、子ども的でなくなってしっかり者が登場しても『女の子』がなくなるわけじゃない。
子ども的と『女の子』が同じではないように、しっかり者と『女の子』は別物、両立してわたしという器に同居できると意識したい。
ここをちゃんと意識しないと『女の子』の幸福がどんどん遠ざかってしまいそうだし、『女の子』を感じたいがために成長を止めてしまいそうだものね。
この意識変換を那智さんにお話しした。
どこまで理解してくれたかわからない(笑)
わたしの『女の子』絶滅の危機感は、おそらくあまり那智さんに伝わっていないからだ。
その危機感もひそかに上手に蓋をして可愛いりん子を抽出してお届けしているから、たぶん那智さんにはいつものわたしでいるはずなんだ^^
『女の子』の幸福を感じ、いつまでも那智さんの好きな感性を持ち続けるために協力をお願いします。
那智さんにはわたしの素直さや無垢さに対するアンテナの感度をちょっと上げていただいて、それを拾ったらいつもよりちょっと意識して、その存在を認め肯定してください。
しっかりしてきて手がかからなくなったかもしれないけど、それを『女の子』は別物だと意識してください。
そんなお願いをした。
もちろん協力するけど、これはかなり大変なことだ(笑)
きっと、日頃、とくに最近、わたしに対してほとんど自然でいる那智さんの意識をすこし変えてもらうことはいまの那智さんにはちょっと気合いが必要なことなのだと思う。
自然でいられることがありがたいし、安請け合いしないところが那智さんらしいなと思いつつ、でも、ご協力をお願いした。
今年のわたしの目標は、しっかり者と『女の子』は同居できるという意識改革。
これはきっと可能。
なぜならしっかり者はスキルであって、『女の子』は感性だからだ。
目指せ、大人で無垢!!
同時期に起きたふたつの出来事から今後のわたしの意識の向け方と目標を考えたお話。
(いい年して『無垢』と言ってしまう勇気も意識改革には必要なのだ^^;)
これ二ヶ月後の更新ですけど、那智さん、憶えてくれているかなぁ(笑)
<関連エントリー>
わたしの『女の子』
「等式」感想です。その1、感覚的にアンテナを2本にすれば両立出来るのでは?ここは都合良く インプットとアウトプットを分けましょう。その2、この会話は忘れていたけれど、私がりん子の「女の子」 を褒めたときに喜ぶりん子の感度が良く、もっと誉めてあげられると良いなと思った事は確かです。
だから、りん子の私にたいするお願いは忘れていたけれど、誉めた時の私の快感は残っている。結果的にはりん子は欲しいものを手に入れています!(笑)
ゆう。さんのチャット 追記あり
最新エントリーはひとつ下です。
今回チャットルーム閉鎖に当たり、コメントやチャットで交流を持ってくれたゆう。さんが新しくチャットルームを開設してくれました。
おそらく『等式のおしゃべり』で集まった方々がメインになって、また新しいお部屋になると思います。
『ようこそ裏部屋へっ♪♪♪』
月曜日から営業予定です^^
ゆう。さん、ありがとう。
このお知らせは4/23まで上にあげておきますので、ブックマークはお早めに^^
<追記>
ゆう。さんのチャット入室にはパスワードが必要です。
わたしにメールをいただければパスワードをお知らせいたしますので、お手数ですが下記アドレスまでお問い合わせくださいませ。
時間帯によってはすぐお返事できない場合もありますが、かならずお返事いたしますので待っていてくださいね!
hosinohadou@yahoo.co.jp
「等式」感想です。チャットでは大変お世話になりました。昨日は、早い時間からの酔っぱらい失礼しました、しかし、エントリー上での私の飲酒雰囲気が伝わったら楽しかったかもしれません。
今回チャットルーム閉鎖に当たり、コメントやチャットで交流を持ってくれたゆう。さんが新しくチャットルームを開設してくれました。
おそらく『等式のおしゃべり』で集まった方々がメインになって、また新しいお部屋になると思います。
『ようこそ裏部屋へっ♪♪♪』
月曜日から営業予定です^^
ゆう。さん、ありがとう。
このお知らせは4/23まで上にあげておきますので、ブックマークはお早めに^^
<追記>
ゆう。さんのチャット入室にはパスワードが必要です。
わたしにメールをいただければパスワードをお知らせいたしますので、お手数ですが下記アドレスまでお問い合わせくださいませ。
時間帯によってはすぐお返事できない場合もありますが、かならずお返事いたしますので待っていてくださいね!
hosinohadou@yahoo.co.jp
「等式」感想です。チャットでは大変お世話になりました。昨日は、早い時間からの酔っぱらい失礼しました、しかし、エントリー上での私の飲酒雰囲気が伝わったら楽しかったかもしれません。
反応する気概
りん子的独り言(生意気)
生意気カテゴリではないかな〜^^;
那智さんの感想を読んで、急遽エントリー^^
「等式」感想です。(中略)
その2、この会話は忘れていたけれど、私がりん子の「女の子」 を褒めたときに喜ぶりん子の感度が良く、もっと誉めてあげられると良いなと思った事は確かです。
だから、りん子の私にたいするお願いは忘れていたけれど、誉めた時の私の快感は残っている。結果的にはりん子は欲しいものを手に入れています!(笑)
前エントリーの那智さんの感想を読んで、わたしはひそかにガッツポーズ^^
『女は共感したい生き物である』からはじまって、『秘訣』や『心と事実』や、いろいろと、那智さんからほしいものをいただくために画策していたことを経験としてエントリーにもあげてきたけど、実際に功を奏したみたいだからだ。
人を変えることは、とってもむずかしい。
だけど、もし相手からほしいものをもらうなら、そのために知恵を絞っていきたいと思っている、しかもある程度長いスパンで^^
今回、わたしはわたしの『女の子』としっかり者を両立させるための意識改革の協力を那智さんにお願いしたけど、まあ、それ以前から那智さんから『可愛い』をたくさんいただきたいと画策してきてはいた。
(最強の可愛いを見せられたからね!モカちゃん以来『可愛い』はわたしのトラウマなのだ 笑)
それには説明と反応が必要だと理解していた^^
まず、感情を説明する。
もっとこうしてほしいのに!!なんて、その場で感情的になってはダメよ。
いったん、自分の心に留め持ち帰り整理し、自分の希望(これはね『感情のスタート』が大事)に近づけるための計画を立てて、ちゃんと話しができる状態のときに、あらためて話しを切り出すことも大事。
けして感情的になるのではなく、『こういう理由で、こうしてもらえるとうれしい』と希望を伝える。
『こうしてほしい』じゃなくて『こうしてもらえるとうれしい』がポイント。
でもって、この場合とくに男性に対しては、より詳細により具体的に説明するほうが、たぶん良い^^
しつこくならない程度に折りに触れて「こうしてもらえるとうれしい」と伝えて、さらに、実際その希望に近いことをしてくれたら、ちゃんとうれしかったことも伝えるのも大事^^
で、次に大事なことは、反応。
ほしいものを伝えたら、ほしいものをもらえる女になるのだ。
それはほしいものをくれた代わりに『反応』でお返しすることで叶う。
わたしは『女の子』を維持したかった、それには那智さんからもらえる『可愛い』は効果的。
ならば、それをもらったときにちゃんと反応するのだ。
うれしい気持ちをきちんと言葉と表情と仕草を駆使して、素直に。
『可愛い』がほしいのだから、それはそれは『可愛く』、だ(笑)
年齢やプライドなんてかなぐり捨てて、素直にうれしいを表現する、これをぶりっ子というならば、ぶりっ子上等だ(笑)
そうすると、その反応は那智さんの無意識にすり込まれ、いい反応=気持ちいいという快感に繋がるのだ。
なんだか、りん子に可愛いというと反応がよくて、気持ちいい
また、あの反応が見たい
こんなふうに人は気持ちいいことは何度でもやりたくなるもの。
説明と、それによりもらったものに対してきとんと反応をする。
なりたい自分、ほしいものを明確にして、それを手に入れるためにちょっと長期的なスパンで知恵を絞る。
そのためには、こちらもちょっぴり努力が必要なのです^^
人によって、目指すゴールはいろいろだよね。
わたしの場合は『女の子』の存続だったから『可愛い』をもらって、『可愛い』に見合う反応をお返ししているけど、たとえば、クールな関係を維持したいとか、友達みたいな関係になりたいとか、きっといろいろだと思うけど、たぶん、どれも、それに見合った反応を返すことで男の人の無意識に訴えかけ、すり込むことができると予想します^^
まあ、相対する女に言葉に耳を傾ける気持ちのある男性であることもけっこう重要なんだけどね^^;
わたしが『等式』で女の子女の子と言っているけど、その定義は置いておいて、その『女の子』的なものを好きな男に全面的に表現するのは、じつは、かなり勇気のいることだったりする。
だって、大概の男は女に母親も求めているからね、だいたいにおいて怯まれることは想像に容易いからね。
でもって、清水の舞台から飛び降りるつもりで『女の子〜〜』ってしてみて、むき出しのやわな心をさらけ出して、怯まれた日には、なかなかツラいものがある。
だから、つい、大人的な武装をしてしまうのだけど、それをはぎ取りジャンプするのは、けっこう覚悟もいるんだよ^^
那智さんの前で『女の子』なんていって、そりゃあ、しあわせそうだけど(実際しあわせだけど)、これは受け止めてくれる那智さんの度量と、じつはわたしの勇気も必要だったりするのだよ^^
きちんと反応を示すこと。
反応する気概、けっこう大事です^^
<関連エントリー>
『女は共感したい生き物である』
『那智さんに足りないもの』
『秘訣』
『心と事実』
『心ちゃんと事実さん』
「等式」感想です。エントリー中にもありますが、死語になっていそうな「ぶりっ子」私も嫌いではないです。嘘は嫌ですが、誇張した表現方法であれば好きかもしれない!(笑)この方法だと、私がコントロールされても嫌とは言えないですね~
生意気カテゴリではないかな〜^^;
那智さんの感想を読んで、急遽エントリー^^
「等式」感想です。(中略)
その2、この会話は忘れていたけれど、私がりん子の「女の子」 を褒めたときに喜ぶりん子の感度が良く、もっと誉めてあげられると良いなと思った事は確かです。
だから、りん子の私にたいするお願いは忘れていたけれど、誉めた時の私の快感は残っている。結果的にはりん子は欲しいものを手に入れています!(笑)
前エントリーの那智さんの感想を読んで、わたしはひそかにガッツポーズ^^
『女は共感したい生き物である』からはじまって、『秘訣』や『心と事実』や、いろいろと、那智さんからほしいものをいただくために画策していたことを経験としてエントリーにもあげてきたけど、実際に功を奏したみたいだからだ。
人を変えることは、とってもむずかしい。
だけど、もし相手からほしいものをもらうなら、そのために知恵を絞っていきたいと思っている、しかもある程度長いスパンで^^
今回、わたしはわたしの『女の子』としっかり者を両立させるための意識改革の協力を那智さんにお願いしたけど、まあ、それ以前から那智さんから『可愛い』をたくさんいただきたいと画策してきてはいた。
(最強の可愛いを見せられたからね!モカちゃん以来『可愛い』はわたしのトラウマなのだ 笑)
それには説明と反応が必要だと理解していた^^
まず、感情を説明する。
もっとこうしてほしいのに!!なんて、その場で感情的になってはダメよ。
いったん、自分の心に留め持ち帰り整理し、自分の希望(これはね『感情のスタート』が大事)に近づけるための計画を立てて、ちゃんと話しができる状態のときに、あらためて話しを切り出すことも大事。
けして感情的になるのではなく、『こういう理由で、こうしてもらえるとうれしい』と希望を伝える。
『こうしてほしい』じゃなくて『こうしてもらえるとうれしい』がポイント。
でもって、この場合とくに男性に対しては、より詳細により具体的に説明するほうが、たぶん良い^^
しつこくならない程度に折りに触れて「こうしてもらえるとうれしい」と伝えて、さらに、実際その希望に近いことをしてくれたら、ちゃんとうれしかったことも伝えるのも大事^^
で、次に大事なことは、反応。
ほしいものを伝えたら、ほしいものをもらえる女になるのだ。
それはほしいものをくれた代わりに『反応』でお返しすることで叶う。
わたしは『女の子』を維持したかった、それには那智さんからもらえる『可愛い』は効果的。
ならば、それをもらったときにちゃんと反応するのだ。
うれしい気持ちをきちんと言葉と表情と仕草を駆使して、素直に。
『可愛い』がほしいのだから、それはそれは『可愛く』、だ(笑)
年齢やプライドなんてかなぐり捨てて、素直にうれしいを表現する、これをぶりっ子というならば、ぶりっ子上等だ(笑)
そうすると、その反応は那智さんの無意識にすり込まれ、いい反応=気持ちいいという快感に繋がるのだ。
なんだか、りん子に可愛いというと反応がよくて、気持ちいい
また、あの反応が見たい
こんなふうに人は気持ちいいことは何度でもやりたくなるもの。
説明と、それによりもらったものに対してきとんと反応をする。
なりたい自分、ほしいものを明確にして、それを手に入れるためにちょっと長期的なスパンで知恵を絞る。
そのためには、こちらもちょっぴり努力が必要なのです^^
人によって、目指すゴールはいろいろだよね。
わたしの場合は『女の子』の存続だったから『可愛い』をもらって、『可愛い』に見合う反応をお返ししているけど、たとえば、クールな関係を維持したいとか、友達みたいな関係になりたいとか、きっといろいろだと思うけど、たぶん、どれも、それに見合った反応を返すことで男の人の無意識に訴えかけ、すり込むことができると予想します^^
まあ、相対する女に言葉に耳を傾ける気持ちのある男性であることもけっこう重要なんだけどね^^;
わたしが『等式』で女の子女の子と言っているけど、その定義は置いておいて、その『女の子』的なものを好きな男に全面的に表現するのは、じつは、かなり勇気のいることだったりする。
だって、大概の男は女に母親も求めているからね、だいたいにおいて怯まれることは想像に容易いからね。
でもって、清水の舞台から飛び降りるつもりで『女の子〜〜』ってしてみて、むき出しのやわな心をさらけ出して、怯まれた日には、なかなかツラいものがある。
だから、つい、大人的な武装をしてしまうのだけど、それをはぎ取りジャンプするのは、けっこう覚悟もいるんだよ^^
那智さんの前で『女の子』なんていって、そりゃあ、しあわせそうだけど(実際しあわせだけど)、これは受け止めてくれる那智さんの度量と、じつはわたしの勇気も必要だったりするのだよ^^
きちんと反応を示すこと。
反応する気概、けっこう大事です^^
<関連エントリー>
『女は共感したい生き物である』
『那智さんに足りないもの』
『秘訣』
『心と事実』
『心ちゃんと事実さん』
「等式」感想です。エントリー中にもありますが、死語になっていそうな「ぶりっ子」私も嫌いではないです。嘘は嫌ですが、誇張した表現方法であれば好きかもしれない!(笑)この方法だと、私がコントロールされても嫌とは言えないですね~
いつもね、こんなふうにすごしているの^^1
非日常的な日常
『たくさんの手』
これはわたしの妄想だ。
でも、いろいろ紆余曲折で、これは叶わないもの、叶わなくてもいいものだという結論に至った。
『傷つく性癖』を持っていることや『複数もしくは他者』や募集も経て、わたしには那智さんとふたりの時間が、ちょっと切実に『那智さんとのふたりだけの性行為』が精神衛生上必要になっていることを自覚したからだ。
わたしの性格上、他者を交えながら那智さんとふたりの至福の時間も享受するのはなかなか難しいし、他者がいるのだから自分の都合だけで行うわけにはいかない。
そう考えると、叶わなくてもいいものだということになった。
いまだに『おかず』ベスト3には入るけど(笑)
『おかず』であることと叶って幸福なことは、また違ったりするからね^^
ところが、先日変態仲間からあるお話を聞いた。
それは、わたしにとって、ずっと心に秘めていた欲望を駆り立てるものだった。
(詳細は伏せておきます)
ああ、実際、それを体験した人がいるんだ〜。
羨望を感じるけど、反面、叶わないなと諦めの気持ちにもなる。
叶わないのは、諸々すべてクリアして『幸福と快感のもとに叶う』ことね。
シチュエーションとして叶えることは可能かもしれないけど、それで幸福と快感を味わうことは、くり返しになっちゃうけど、わたしの性格の問題で叶うことはないだろうということ。
さらに、わたしの幸福と快感にとても重要なことは『那智さんが望み主導してもらうこと』なので、もうほぼ那智さん頼みなんだ。
でも、那智さんはわたしの性格も傷つく性癖もわかっているし、自分が楽しめないとわたしの幸福にならないこともわかっているから、単に男たちの中に放り込こむことでは叶わないこともわかっているから、簡単には叶わないのだ。
いや、そういう人だからいいのであって、だから、この諦めはマイナスのものではなく、必然的な諦めとか幸福な諦めとか、そんな感じで、いつものようにそっと心の奥にしまった。
ただ、お友達のことを話題提供として那智さんに伝えたというところを振り返ると、やっぱりどこかで諦めきれなかったのかもしれない。
先週はお休みが取れなかったから丸2週間空いている。
明後日、お休みを取ってくれたから、会える。
会いたい気持ちや触れたい欲望が程よく増してきて朝から欲情していた。
欲情を伝えると、那智さんはオナニー禁止を出して遊んでくれた。
欲情と禁止、これはうまいこと快感に向かえばとても気持ちがいい。
ただ、この時点で一日お休みかお昼から半休か決まっていなくて、おのずとどんなふうに過ごすかも決まらなかったので、『一日休みなら今日と明日、半休なら今日だけ』禁止という変則の禁止だった。
それでも、欲情と禁止のギリギリは気持ちいい。
すーーっ。
そんな中、頭から血の気が引くのを感じた。
これ、ときどきわかるんだ。
生理の予兆。
医学的に正解かどうかわからないけど、わたし生理になる前に目眩というか意識が一瞬遠のくというか、血の気が引く感覚を憶えることがあるの。
時間的にはハッキリ言えないけどしばらくすると生理が来るんだ(数時間や1、2日や記憶はいろいろだけど)
このときもその感覚になった。
ああ、生理が来るのかもしれない。
そんな気持ちが頭をかすめる。
それでも欲情は変わらず、那智さんは禁止と煽りと「欲情してよかったね〜」と許容することで可愛がってくれていた。
その可愛がりの途中
◯◯に行く?(笑)
と、先日変態友達から聞いたわたしの『おかず』のことを言ったのだ。
もちろん、欲情を可愛がるひと言だったのだけど、これが引き金になってしまった。
幸福な諦めと共に蓋をしていた欲望がどばどばとわき上がる。
どうして、那智さんはそれを叶えようとしないのに、そんなタラレバをいうの。
必死に抑えているのに。
一気に気持ちがふさぎ込んでいく。
いますぐ、そこにわたしを連れて行き男たちの中に投げ込め。
悪魔のような激情がわたしを押しつぶそうとする。
信じられないかもしれないけど、わたしの中身が別な誰かに乗っ取られてしまったように豹変するの。
モンスターがわたしの中で暴れて、欲情の行き場を探している。
それを『那智さんが叶えてくれない』と責めることと『傷つく性癖』に自分を投げ込むことでなんとかしようとしている。
(那智さんをなじれ、叶えてくれないことを責め立て、わたしを男たちの中へ放り込ませろ)
こんなふうに暴れる。
さっきまでバランスの取れていた欲情が、ほんの小さなきっかけで苦しいほどの怒りに似た焦燥感に変わる。
わたしの欲望は簡単には叶わないのだ。
心の交流のない性行為はわたしを傷つけること、那智さんが主導してくれてはじめて幸福な被虐を味わえること、だから、那智さんを責めることがお門違いなのだ。
全部、頭ではわかっているのに、その頭さえもモンスターに浸食されていく。
だけど、この怒りを那智さんにぶつけるわけにはいかない。
これはモンスターのせいだ。
先週抱いてもらっていないから欲情が溢れているのだ。
そして、もしかしたら生理が来るかもしれない、いま、わたしはそれらに操られている。
一生懸命そう言い聞かせて、それでも『叶えてほしい』ことを那智さんに訴えることでなんとかモンスターを落ち着かせようとする。
◯◯に行くか行かないか
いま、ここで『行かない』とハッキリ決めるか、行くつもりがあるなら『必ず行く』と約束をしてください
わたしは、自ら身を投げ出す場所に行くと約束をしてくれと訴えている。
きっと、モンスターは約束をしてもらうことで安心したいのだ、わたしを急き立てる。
突然強く訴えるわたしに那智さんは答えを見つけようとしてくれている。
どんなシチュエーションならりん子の望みに近いのか
それにはなにが必要か
もう、いいから!!
そんなまどろっこしいこと言ってないで、さっさとこの女を男の中に放り込め!!
モンスターがわたしを指していう。
那智さん、もう、わたしひとりでハプバーにでも行っちゃいましょうか?
いま思っても、バカなことを言っていると思うけど、このときは本当にそう思うのだ。
思うというよりモンスターの欲望を那智さんに八つ当たりをしないように必死に抑えながら代弁すると、こんなことが口をつく。
たくさんの怒りで那智さんを傷つけてはいけないと、それだけを思い、必死でモンスターの暴走を抑えながらモンスターの要求を伝えた。
結局、◯◯に行くことを約束してもらって変態仲間とのすり合せ方を相談して、電話を切った。
そのまま許可をもらってひとりでする。
まるで思春期の男子みたいだ。
情けないと思うけど、これでモンスターが落ち着いてくれることを期待して、祈るように『抜いた』。
これを読んだ人は、どう思うんだろう。
大げさって思うのかな。
なんでもモンスターのせいにしているって思うのかな。
こんなふうに自分の中が目に見えて豹変することってあるのだろうか。
わたしの場合、那智さんに出会う前はおそらく自分に向けていた、そして、いまは那智さんに対してだけ発動している。
わたしのモンスターを解放して快感を増やしたのは那智さんだけど、モンスターがこの人なら叶えてくれると思ってしまって甘えすがっているんだ。
血の気が引くような感覚、欲情、手のひらを返したように暴れるわたしの中身、なかなか理解されないと思うけど、この暴走は苦しいし、那智さんに当たってしまいそうなのを必死で抑えることの、本当に苦しい。
ただ、翌々日、会ったときに『感情的ではなく強く訴えていた』と言ってくれたことは、わたしの救いだ。
那智さんに対して感情的にならずにいられたのなら、それは抑えた甲斐があった。
自分でも、本当に持て余すもの。
いま思い出しても、ホントどうしちゃったのだろうと思う。
でも、これもわたし。
そして、那智さんに会ってモンスターを可愛がってもらったのだ。
<関連エントリー>
たくさんの手
男たちの手12
複数もしくは他者1234
事実が作ったもの
傷つく性癖
モンスター
わたしのこと2『自傷行為』
わたしのこと3『パズル』
女という性2345
「等式」感想です。あの時の強い主張は迫力があった!感情をコントロール出来るようになったりん子をいい子いい子。(笑)
『たくさんの手』
これはわたしの妄想だ。
でも、いろいろ紆余曲折で、これは叶わないもの、叶わなくてもいいものだという結論に至った。
『傷つく性癖』を持っていることや『複数もしくは他者』や募集も経て、わたしには那智さんとふたりの時間が、ちょっと切実に『那智さんとのふたりだけの性行為』が精神衛生上必要になっていることを自覚したからだ。
わたしの性格上、他者を交えながら那智さんとふたりの至福の時間も享受するのはなかなか難しいし、他者がいるのだから自分の都合だけで行うわけにはいかない。
そう考えると、叶わなくてもいいものだということになった。
いまだに『おかず』ベスト3には入るけど(笑)
『おかず』であることと叶って幸福なことは、また違ったりするからね^^
ところが、先日変態仲間からあるお話を聞いた。
それは、わたしにとって、ずっと心に秘めていた欲望を駆り立てるものだった。
(詳細は伏せておきます)
ああ、実際、それを体験した人がいるんだ〜。
羨望を感じるけど、反面、叶わないなと諦めの気持ちにもなる。
叶わないのは、諸々すべてクリアして『幸福と快感のもとに叶う』ことね。
シチュエーションとして叶えることは可能かもしれないけど、それで幸福と快感を味わうことは、くり返しになっちゃうけど、わたしの性格の問題で叶うことはないだろうということ。
さらに、わたしの幸福と快感にとても重要なことは『那智さんが望み主導してもらうこと』なので、もうほぼ那智さん頼みなんだ。
でも、那智さんはわたしの性格も傷つく性癖もわかっているし、自分が楽しめないとわたしの幸福にならないこともわかっているから、単に男たちの中に放り込こむことでは叶わないこともわかっているから、簡単には叶わないのだ。
いや、そういう人だからいいのであって、だから、この諦めはマイナスのものではなく、必然的な諦めとか幸福な諦めとか、そんな感じで、いつものようにそっと心の奥にしまった。
ただ、お友達のことを話題提供として那智さんに伝えたというところを振り返ると、やっぱりどこかで諦めきれなかったのかもしれない。
先週はお休みが取れなかったから丸2週間空いている。
明後日、お休みを取ってくれたから、会える。
会いたい気持ちや触れたい欲望が程よく増してきて朝から欲情していた。
欲情を伝えると、那智さんはオナニー禁止を出して遊んでくれた。
欲情と禁止、これはうまいこと快感に向かえばとても気持ちがいい。
ただ、この時点で一日お休みかお昼から半休か決まっていなくて、おのずとどんなふうに過ごすかも決まらなかったので、『一日休みなら今日と明日、半休なら今日だけ』禁止という変則の禁止だった。
それでも、欲情と禁止のギリギリは気持ちいい。
すーーっ。
そんな中、頭から血の気が引くのを感じた。
これ、ときどきわかるんだ。
生理の予兆。
医学的に正解かどうかわからないけど、わたし生理になる前に目眩というか意識が一瞬遠のくというか、血の気が引く感覚を憶えることがあるの。
時間的にはハッキリ言えないけどしばらくすると生理が来るんだ(数時間や1、2日や記憶はいろいろだけど)
このときもその感覚になった。
ああ、生理が来るのかもしれない。
そんな気持ちが頭をかすめる。
それでも欲情は変わらず、那智さんは禁止と煽りと「欲情してよかったね〜」と許容することで可愛がってくれていた。
その可愛がりの途中
◯◯に行く?(笑)
と、先日変態友達から聞いたわたしの『おかず』のことを言ったのだ。
もちろん、欲情を可愛がるひと言だったのだけど、これが引き金になってしまった。
幸福な諦めと共に蓋をしていた欲望がどばどばとわき上がる。
どうして、那智さんはそれを叶えようとしないのに、そんなタラレバをいうの。
必死に抑えているのに。
一気に気持ちがふさぎ込んでいく。
いますぐ、そこにわたしを連れて行き男たちの中に投げ込め。
悪魔のような激情がわたしを押しつぶそうとする。
信じられないかもしれないけど、わたしの中身が別な誰かに乗っ取られてしまったように豹変するの。
モンスターがわたしの中で暴れて、欲情の行き場を探している。
それを『那智さんが叶えてくれない』と責めることと『傷つく性癖』に自分を投げ込むことでなんとかしようとしている。
(那智さんをなじれ、叶えてくれないことを責め立て、わたしを男たちの中へ放り込ませろ)
こんなふうに暴れる。
さっきまでバランスの取れていた欲情が、ほんの小さなきっかけで苦しいほどの怒りに似た焦燥感に変わる。
わたしの欲望は簡単には叶わないのだ。
心の交流のない性行為はわたしを傷つけること、那智さんが主導してくれてはじめて幸福な被虐を味わえること、だから、那智さんを責めることがお門違いなのだ。
全部、頭ではわかっているのに、その頭さえもモンスターに浸食されていく。
だけど、この怒りを那智さんにぶつけるわけにはいかない。
これはモンスターのせいだ。
先週抱いてもらっていないから欲情が溢れているのだ。
そして、もしかしたら生理が来るかもしれない、いま、わたしはそれらに操られている。
一生懸命そう言い聞かせて、それでも『叶えてほしい』ことを那智さんに訴えることでなんとかモンスターを落ち着かせようとする。
◯◯に行くか行かないか
いま、ここで『行かない』とハッキリ決めるか、行くつもりがあるなら『必ず行く』と約束をしてください
わたしは、自ら身を投げ出す場所に行くと約束をしてくれと訴えている。
きっと、モンスターは約束をしてもらうことで安心したいのだ、わたしを急き立てる。
突然強く訴えるわたしに那智さんは答えを見つけようとしてくれている。
どんなシチュエーションならりん子の望みに近いのか
それにはなにが必要か
もう、いいから!!
そんなまどろっこしいこと言ってないで、さっさとこの女を男の中に放り込め!!
モンスターがわたしを指していう。
那智さん、もう、わたしひとりでハプバーにでも行っちゃいましょうか?
いま思っても、バカなことを言っていると思うけど、このときは本当にそう思うのだ。
思うというよりモンスターの欲望を那智さんに八つ当たりをしないように必死に抑えながら代弁すると、こんなことが口をつく。
たくさんの怒りで那智さんを傷つけてはいけないと、それだけを思い、必死でモンスターの暴走を抑えながらモンスターの要求を伝えた。
結局、◯◯に行くことを約束してもらって変態仲間とのすり合せ方を相談して、電話を切った。
そのまま許可をもらってひとりでする。
まるで思春期の男子みたいだ。
情けないと思うけど、これでモンスターが落ち着いてくれることを期待して、祈るように『抜いた』。
これを読んだ人は、どう思うんだろう。
大げさって思うのかな。
なんでもモンスターのせいにしているって思うのかな。
こんなふうに自分の中が目に見えて豹変することってあるのだろうか。
わたしの場合、那智さんに出会う前はおそらく自分に向けていた、そして、いまは那智さんに対してだけ発動している。
わたしのモンスターを解放して快感を増やしたのは那智さんだけど、モンスターがこの人なら叶えてくれると思ってしまって甘えすがっているんだ。
血の気が引くような感覚、欲情、手のひらを返したように暴れるわたしの中身、なかなか理解されないと思うけど、この暴走は苦しいし、那智さんに当たってしまいそうなのを必死で抑えることの、本当に苦しい。
ただ、翌々日、会ったときに『感情的ではなく強く訴えていた』と言ってくれたことは、わたしの救いだ。
那智さんに対して感情的にならずにいられたのなら、それは抑えた甲斐があった。
自分でも、本当に持て余すもの。
いま思い出しても、ホントどうしちゃったのだろうと思う。
でも、これもわたし。
そして、那智さんに会ってモンスターを可愛がってもらったのだ。
<関連エントリー>
たくさんの手
男たちの手12
複数もしくは他者1234
事実が作ったもの
傷つく性癖
モンスター
わたしのこと2『自傷行為』
わたしのこと3『パズル』
女という性2345
「等式」感想です。あの時の強い主張は迫力があった!感情をコントロール出来るようになったりん子をいい子いい子。(笑)