わたしのこと2『自傷行為』
独特な幸福感
今日も昨日の続きです。
テレクラに依存してると気付いたのはいつ頃だろう。
最初はそんな世界があるんだと、夢が叶うかもしれないと思ってダイヤルを押した。
いやな思いをし、出会いと別れを繰り返し、もうわたしには叶うことではないのかもしれないと諦め出した頃から、それに気付いたように思う。(「惹かれ合う理由」の「旅シリーズ」、お時間のある方は、どうぞ♪)
依存症というと日常生活に支障が出るレベルのことを指すので、わたしのはそこまで深刻ではなかったと思う。
でも、時間があれば電話をかけ、わたしとの会話に夢中になる男性を心の中で小馬鹿にして、電話を切ったあとため息をつくような不毛な行為をやめることができなかったのは、ある種「依存」だったと思う。
あるとき、ふと思った。
これは自傷行為だと。
殊勝なふりをして男に合わせ相手を馬鹿にする行為は、自分のなにかを消耗していると感じた。
大事な大事な「何か」を。
純情?可愛げ?尊厳?よくわからないけど、女として人としてとても大事な「何か」を削り取ってる。
緩やかな自傷行為だと感じたのだ。
単に依存するだけじゃなく、なぜ、わたしはわたしを傷付けるのだろう。
そのときは、わからなかったし、心を覗こうとしなかった。
ただ、わたしは、こうやって少しずつ自分を削っていくんだなと、半ば諦めていた。
また、会話の中でしばしば聞かれる「よく電話するの?」という質問に答えているうちにあることに気付いた。。
大概はウブを装って「ほとんどしたことない」と答えるのだけど、時々、正直に答える気分になることもあって、そういうときにはいつもこう答えていた。
「波がある。かけるときは連続してかけるし、かけないときは全然かけない」と。
その答えを言う度に、自分の状況を再確認することになる。
そうなんだ、波があるみたいなんだ。
依存してるなんていうから年がら年中してるかというとそうでもなくて、波があるの。
その波が周期的なのか、どうかも、自分で把握するつもりなどまったくないから、そんなものか〜とぼんやりと他人事のように気付いた事実を思った。
それから数年して那智さんに出会う。
父性に包まれ、心を素直に伝えることを経験して、わたしはずいぶん安心して生きられるようになった。
基本的に「棘」のないわたしは、那智さんのいう「素直に伝える」ことが比較的うまくできるようで、那智さんもわたしの「メソメソ」にとことん付き合い気持ちを持ち続けてくれたと思う。
(ちなみに、「素直に伝える」とは卑屈にならず反対に八つ当たりなどもせず、心を伝えることです。なんでもぶちまけるのとは違うのね)
悲しいときは悲しいといい。
傷付いたら、素直にいう。
だけど、ときどき、どうしてもそれができなくなってしまうときがあった。
いつもなら、素直に受け取れることが、引っ掛かって反発したくなって、とにかく気持ちが落ち込む。
いつもだって、それはどう?と反対意見をいうことだってあるのだけど、それとは違って、何を言われても反発したくなるの。
わざと那智さんを傷付けるような言葉を選んでしまいそうで、必死に留まる。
全身がささくれ立つようないやな気持ちになり、いつものように、素直になれない自分に余計に落ち込む。
普段上手に飼いならしてるハツカネズミさんが大暴走しているようだ。
助けて、那智さん。
溢れるマイナス感情に自らを責め、落ち込む。
それでも、自分が理不尽な感情に支配されてしまっていることを自覚できてるから、それを那智さんに伝え助けを求めることで、那智さんとしては「しゃーねーなー」と向き合い続けてくれるのだ。
出会って、どれくらいだろう。
数ヶ月か一年少しか。
それほど年数の経たないうち。
何度目かの「ハツカネズミ大暴走」の最中に那智さんが聞いてきた。
「生理中?」
明らかに定期的に訪れる、明らかに普段のわたしとは違うわたしに那智さんが仮説を立てた。
「もしかしたら、その周期が関係してるかもしれないよ。今後も検証の価値はあるかもね。」
驚いた。
わたしは生理が軽いほうで、生理中に体調不良にもならないし、よく「イライラする」と聞くけど全然そうならないのだもの。
那智さんと出会う前はとても不定期で3ヶ月に一度くらいしか来てなかった(おもしろいもので、那智さんと知り合ってからちゃんと毎月来るの。)から、頻度も症状を軽いのだ。
そんなわたしの生理が、影響してるなんて思いもしなかった。
それから、数ヶ月、数年。
にわかに信じ難いことなのだけど、この大暴走はかなりの確率で排卵日から生理前にかけてやってくることがわかった。
「女は子宮でものを考える」という言葉を聞くたび不快に思ってた。
この言葉好きじゃない、女だって脳みそで考えるわ!!と思うもの。
最初は疑心暗鬼だったけど、毎月訪れる「大暴走」を目の当たりにすると、わたしの感情の一部がそれのバイオリズムで上下していると思わざるをえない。
わたしの場合、生理中に変化はなかったけれど、どうやら生理前に異変が起きるらしいのだ。
その那智さんの仮説に信憑性を待たせる材料が漢方の先生のお話だった。
それは、また次回にお話します。
今日も昨日の続きです。
テレクラに依存してると気付いたのはいつ頃だろう。
最初はそんな世界があるんだと、夢が叶うかもしれないと思ってダイヤルを押した。
いやな思いをし、出会いと別れを繰り返し、もうわたしには叶うことではないのかもしれないと諦め出した頃から、それに気付いたように思う。(「惹かれ合う理由」の「旅シリーズ」、お時間のある方は、どうぞ♪)
依存症というと日常生活に支障が出るレベルのことを指すので、わたしのはそこまで深刻ではなかったと思う。
でも、時間があれば電話をかけ、わたしとの会話に夢中になる男性を心の中で小馬鹿にして、電話を切ったあとため息をつくような不毛な行為をやめることができなかったのは、ある種「依存」だったと思う。
あるとき、ふと思った。
これは自傷行為だと。
殊勝なふりをして男に合わせ相手を馬鹿にする行為は、自分のなにかを消耗していると感じた。
大事な大事な「何か」を。
純情?可愛げ?尊厳?よくわからないけど、女として人としてとても大事な「何か」を削り取ってる。
緩やかな自傷行為だと感じたのだ。
単に依存するだけじゃなく、なぜ、わたしはわたしを傷付けるのだろう。
そのときは、わからなかったし、心を覗こうとしなかった。
ただ、わたしは、こうやって少しずつ自分を削っていくんだなと、半ば諦めていた。
また、会話の中でしばしば聞かれる「よく電話するの?」という質問に答えているうちにあることに気付いた。。
大概はウブを装って「ほとんどしたことない」と答えるのだけど、時々、正直に答える気分になることもあって、そういうときにはいつもこう答えていた。
「波がある。かけるときは連続してかけるし、かけないときは全然かけない」と。
その答えを言う度に、自分の状況を再確認することになる。
そうなんだ、波があるみたいなんだ。
依存してるなんていうから年がら年中してるかというとそうでもなくて、波があるの。
その波が周期的なのか、どうかも、自分で把握するつもりなどまったくないから、そんなものか〜とぼんやりと他人事のように気付いた事実を思った。
それから数年して那智さんに出会う。
父性に包まれ、心を素直に伝えることを経験して、わたしはずいぶん安心して生きられるようになった。
基本的に「棘」のないわたしは、那智さんのいう「素直に伝える」ことが比較的うまくできるようで、那智さんもわたしの「メソメソ」にとことん付き合い気持ちを持ち続けてくれたと思う。
(ちなみに、「素直に伝える」とは卑屈にならず反対に八つ当たりなどもせず、心を伝えることです。なんでもぶちまけるのとは違うのね)
悲しいときは悲しいといい。
傷付いたら、素直にいう。
だけど、ときどき、どうしてもそれができなくなってしまうときがあった。
いつもなら、素直に受け取れることが、引っ掛かって反発したくなって、とにかく気持ちが落ち込む。
いつもだって、それはどう?と反対意見をいうことだってあるのだけど、それとは違って、何を言われても反発したくなるの。
わざと那智さんを傷付けるような言葉を選んでしまいそうで、必死に留まる。
全身がささくれ立つようないやな気持ちになり、いつものように、素直になれない自分に余計に落ち込む。
普段上手に飼いならしてるハツカネズミさんが大暴走しているようだ。
助けて、那智さん。
溢れるマイナス感情に自らを責め、落ち込む。
それでも、自分が理不尽な感情に支配されてしまっていることを自覚できてるから、それを那智さんに伝え助けを求めることで、那智さんとしては「しゃーねーなー」と向き合い続けてくれるのだ。
出会って、どれくらいだろう。
数ヶ月か一年少しか。
それほど年数の経たないうち。
何度目かの「ハツカネズミ大暴走」の最中に那智さんが聞いてきた。
「生理中?」
明らかに定期的に訪れる、明らかに普段のわたしとは違うわたしに那智さんが仮説を立てた。
「もしかしたら、その周期が関係してるかもしれないよ。今後も検証の価値はあるかもね。」
驚いた。
わたしは生理が軽いほうで、生理中に体調不良にもならないし、よく「イライラする」と聞くけど全然そうならないのだもの。
那智さんと出会う前はとても不定期で3ヶ月に一度くらいしか来てなかった(おもしろいもので、那智さんと知り合ってからちゃんと毎月来るの。)から、頻度も症状を軽いのだ。
そんなわたしの生理が、影響してるなんて思いもしなかった。
それから、数ヶ月、数年。
にわかに信じ難いことなのだけど、この大暴走はかなりの確率で排卵日から生理前にかけてやってくることがわかった。
「女は子宮でものを考える」という言葉を聞くたび不快に思ってた。
この言葉好きじゃない、女だって脳みそで考えるわ!!と思うもの。
最初は疑心暗鬼だったけど、毎月訪れる「大暴走」を目の当たりにすると、わたしの感情の一部がそれのバイオリズムで上下していると思わざるをえない。
わたしの場合、生理中に変化はなかったけれど、どうやら生理前に異変が起きるらしいのだ。
その那智さんの仮説に信憑性を待たせる材料が漢方の先生のお話だった。
それは、また次回にお話します。
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