女という性5
独特な幸福感
りん子さ、『女の子』と『女』と両方いてさ、ヘソ曲げてるのは『女』のほうなんじゃない?
欲情して落ち込んでいるのを『女の子』を使ってぎゃーぎゃー言わせてるんじゃないか?
飽きるほど『女の子』時間を過ごしたっぷり愛しても、それでも泥水はヒタヒタと満ちていた。
那智さんはこの現実をみせることでかなしいの種類をわたしに実感させようとしていたんだ。
那智さんの見解はこういうこと。
りん子のかなしいの原因は生理のバイオリズムやコミュニケーション不足、また小さなつまづき、それに加えてやはり欲情もある。
で、りん子はかなしくなると、『女の子』がかなしい『女の子』がいなくなっちゃうと全部『女の子』を理由にしているけど、実は欲情している『女』が原因な場合が多いのではないか。
『女』は欲情を叶えてもらえないと『女の子』を隠れ蓑にして、あの手この手で訴える。
ちょっと俺がミスすることを虎視眈々と狙っていて、ミスしたら『それみたことか!!』と『女の子』を全面に出してかなしいことをなんとかしようとしている。
実は『女の子』はそれほど厄介なんじゃなくて、厄介なのは影で操っている『女』なんじゃないか。
だから、りん子は自分のかなしいの原因は『女の子』と『女』と両方あって、そのどちらもかなしいんだと見極めるようになるといい。
とてもすんなり理解できた。
『女の子』を隠れ蓑にして、操って。
その姑息な感覚、無意識だけどたしかにわたしの中にある。
『女の子』というのはわたしたちの付き合いにおいてとても大事なものではあるけれど、使いようによってはとても便利なツールだ。
わたしがかなしいというより『女』が欲情しているというより、『女の子』がかなしくて震えているというほうが、可憐で幼気で手を差し伸べないことがいけないことのように感じさせる力がある(とわたしは感じている)。
わたしの『女』は欲情を、それを使って叶えようとしているのだ。
その姑息な感覚、指摘されたらたしかにある。
もちろんわたしは一人の人間なので明確に『女』と『女の子』を分けられているわけではないしそんなこと那智さんだってそれは百も承知しているけど、敢えて分けるとしたら。
娘を可愛がるようにコミュニケーションで『女の子』が満たされ、セックスをして『女』が満たされる、この両方ないとわたしは満たされない。
で、『女の子』のさみしいやへそ曲がりは比較的素直に表現できて、すんなり解消できるけど、『女』のそれは『女の子』を隠れ蓑にするからどんどん醒めてしまって見つけにくくて手間がかかるということだ。
今日は『女の子』をたくさん満足させて、そこからどうなるか確認しようと思った。
原因まではわからなくても、現象だけでもわかればいいと思っていたんだ。
楽しそうに笑う。
これからははっきり区別できなかったとしても『女』も『女の子』も両方いて、どちらがさみしいのかって考えたらいいんじゃない?
りん子の『女』は『女の子』の後ろに回って『女の子』を焚き付けてるんだよ。
やなヤツだよな〜(笑)
悲しいの原因のひとつは欲情だと、もう何回も何回も那智さんと確認してきた。
今回いろいろなことが重なって、涙を流しクマを抱かないとやり過ごせないほどのマグマとそれを鎮静させてもらう経験をして、認めるしかないと思う。
ずっとわたしを苦しませていたものは『女という性』。
それを落ち着かせるのは、傷つかないセックスだ。
那智さんがそれを叶えてくれている。
心と体を開きセックスをしてもらうことでわたしの情緒は安定する。
『女の子』や『女』や『モンスター』といろいろ名前をつけているけれど、どれも全部ひとりのわたし。
どれが欠けてもわたしじゃない。
便宜上使っているからあまり線引きしたくないけど。
『女の子』は大事にされることで心の快感を得て、『女』はセックスで体の快感を得ているのかもしれない。
心がなきゃダメだけど、心だけじゃダメなんだ。
それならどれもちゃんと認めて満たされるようにしてあげよう、那智さんに手懐けてもらいながら。
この年齢でずいぶん強力な『女という性』をはっきりと認識してしまった。
年を取って自分を知るのって大変だけど、おもしろいなぁ。
う〜ん、那智さん、まだまだよろしくお願いします^^
うぎゃ!!気がつけば5!!
『結局欲情!?』話にお付き合いくださってありがとうございます!!
りん子さ、『女の子』と『女』と両方いてさ、ヘソ曲げてるのは『女』のほうなんじゃない?
欲情して落ち込んでいるのを『女の子』を使ってぎゃーぎゃー言わせてるんじゃないか?
飽きるほど『女の子』時間を過ごしたっぷり愛しても、それでも泥水はヒタヒタと満ちていた。
那智さんはこの現実をみせることでかなしいの種類をわたしに実感させようとしていたんだ。
那智さんの見解はこういうこと。
りん子のかなしいの原因は生理のバイオリズムやコミュニケーション不足、また小さなつまづき、それに加えてやはり欲情もある。
で、りん子はかなしくなると、『女の子』がかなしい『女の子』がいなくなっちゃうと全部『女の子』を理由にしているけど、実は欲情している『女』が原因な場合が多いのではないか。
『女』は欲情を叶えてもらえないと『女の子』を隠れ蓑にして、あの手この手で訴える。
ちょっと俺がミスすることを虎視眈々と狙っていて、ミスしたら『それみたことか!!』と『女の子』を全面に出してかなしいことをなんとかしようとしている。
実は『女の子』はそれほど厄介なんじゃなくて、厄介なのは影で操っている『女』なんじゃないか。
だから、りん子は自分のかなしいの原因は『女の子』と『女』と両方あって、そのどちらもかなしいんだと見極めるようになるといい。
とてもすんなり理解できた。
『女の子』を隠れ蓑にして、操って。
その姑息な感覚、無意識だけどたしかにわたしの中にある。
『女の子』というのはわたしたちの付き合いにおいてとても大事なものではあるけれど、使いようによってはとても便利なツールだ。
わたしがかなしいというより『女』が欲情しているというより、『女の子』がかなしくて震えているというほうが、可憐で幼気で手を差し伸べないことがいけないことのように感じさせる力がある(とわたしは感じている)。
わたしの『女』は欲情を、それを使って叶えようとしているのだ。
その姑息な感覚、指摘されたらたしかにある。
もちろんわたしは一人の人間なので明確に『女』と『女の子』を分けられているわけではないしそんなこと那智さんだってそれは百も承知しているけど、敢えて分けるとしたら。
娘を可愛がるようにコミュニケーションで『女の子』が満たされ、セックスをして『女』が満たされる、この両方ないとわたしは満たされない。
で、『女の子』のさみしいやへそ曲がりは比較的素直に表現できて、すんなり解消できるけど、『女』のそれは『女の子』を隠れ蓑にするからどんどん醒めてしまって見つけにくくて手間がかかるということだ。
今日は『女の子』をたくさん満足させて、そこからどうなるか確認しようと思った。
原因まではわからなくても、現象だけでもわかればいいと思っていたんだ。
楽しそうに笑う。
これからははっきり区別できなかったとしても『女』も『女の子』も両方いて、どちらがさみしいのかって考えたらいいんじゃない?
りん子の『女』は『女の子』の後ろに回って『女の子』を焚き付けてるんだよ。
やなヤツだよな〜(笑)
悲しいの原因のひとつは欲情だと、もう何回も何回も那智さんと確認してきた。
今回いろいろなことが重なって、涙を流しクマを抱かないとやり過ごせないほどのマグマとそれを鎮静させてもらう経験をして、認めるしかないと思う。
ずっとわたしを苦しませていたものは『女という性』。
それを落ち着かせるのは、傷つかないセックスだ。
那智さんがそれを叶えてくれている。
心と体を開きセックスをしてもらうことでわたしの情緒は安定する。
『女の子』や『女』や『モンスター』といろいろ名前をつけているけれど、どれも全部ひとりのわたし。
どれが欠けてもわたしじゃない。
便宜上使っているからあまり線引きしたくないけど。
『女の子』は大事にされることで心の快感を得て、『女』はセックスで体の快感を得ているのかもしれない。
心がなきゃダメだけど、心だけじゃダメなんだ。
それならどれもちゃんと認めて満たされるようにしてあげよう、那智さんに手懐けてもらいながら。
この年齢でずいぶん強力な『女という性』をはっきりと認識してしまった。
年を取って自分を知るのって大変だけど、おもしろいなぁ。
う〜ん、那智さん、まだまだよろしくお願いします^^
うぎゃ!!気がつけば5!!
『結局欲情!?』話にお付き合いくださってありがとうございます!!