ぬいぐるみ
独特な幸福感
お昼間たくさん可愛がってもらって、ホクホク気分で街へ繰り出す。
クリスマス前の街。
イルミネーションで飾られた街路樹を眺めて歩く。
お茶をしながら、ほんの少し切ない話をした。
微笑みながら話せる種類の切ない話。
それが余計に感傷的な気持ちにさせてしまったのかな。
街路樹を眺めながら『那智さんについていく』だけという幸せな散歩。
この幸せ、私にはとっても大きいのだ。
普通人って誰かと歩くとき行く先を判断しながら歩くよね。
私も一緒に歩く人の速度とかなんとなく気にしながら、目的地、道筋、人の流れ、などなどをぼんやりと意識して判断しながら歩く。(あんまり得意ではないのだけどね。よく道間違うし、人にぶつかるし^^;)
だけど那智さんと歩いているときは、それをほとんどしないでいられるのだ。
見極めながら歩くことは苦ではないのだけど、那智さんと歩くときにそれをしないでいられるのは幸せなことなんだ。
那智さんについていくということだけ、私はすればいい。
時々酔っぱらいさんになってしまうこともあるけど、そのときは最悪『置いていけばいい』、自力でなんとかする人だからね(笑)(『基本人格』)
この先回りする必要のない散歩は、私の幸せな柔らかいところをぎゅっと掴むのだ。
切ない話のせいかな。
昼間にいっぱい可愛がってもらったかな。
それとも『ついていくだけ』の散歩のせいかな。
イルミネーションを眺めながら、つい涙目になってしまう。
あれれ、那智さん、私泣きそうですよ。
知ってか知らずか、目の前にある雑貨屋さんに入る。
大小のぬいぐるみ。
色とりどりのクリスマスオーナメント。
キャラクターのマグカップ。
どれもワクワクするようなグッズが並ぶ。
「こういう触り心地のいい素材はいいよね」
何気なく那智さんが触れたぬいぐるみ。
私もさっとだけ触る。
うん、とっても気持ちいい触り心地。
ぽにゃぽにゃしてる。
ぐるっと店内を一周して
「何がいい?なんか買ってあげる」
そう言ってマグカップあたりを手にしてみる那智さん。
さっきからずっと膨らんでいた涙腺がぱちんと弾けてしまった。
ああ、なんでこんなことが嬉しいのだろう。
プレゼントを買ってもらうことを、恐縮せず、額面通り、ただ受け取れるのがこんなにも心地よい。
「那智さん、これがいいです」
急いで来た通路を引き返し、ぽにゃぽにゃクマのぬいぐるみを持っていく。
それだけ那智さんに渡して店を出た。
背後で『プレゼントにしてください』という声を聞きながら。
泣いてしまいそうだったから、とにかく外に出た。
ガードレールに腰掛けたら、やっぱり涙が出てしまった。
まあ、でも支払いをしている横で泣くよりはましだろう。
ああ、かなりやばい人になってる。
うつむいて涙を見せないように、那智さんを待つ。
「はい」
リボンをかけられた袋を渡された。
「ありがとうございます;;」
「行くよ」
歩き出す那智さんについていく。
泣きながら待ち、プレゼントを受け取る。
もうそれだけでかなりやばいけど、もう、やばいついでだ、我慢するのをやめてしまえと思った。
私は好意を当然のように額面通り受け取る『女の子』になりたい。
「那智さん、出してもいいですか?」
「どうぞ〜」
リボンを外し袋からぽにゃぽにゃクマを出す。
気持ちいい。
片手にすっぽり収まるくらいの小さなぬいぐるみを胸に抱えている。
ああ、痛い女だよね。
だけど、ぬいぐるみの触り心地も、額面通り受け取れることも、女の子も気持ちよくて仕方がない。
右手で那智さんの腕を持ち、左手でぬいぐるみを抱える。
ぬいぐるみを可愛がる対象にして自分を可愛がる幼い子のようだ。
「那智さん、なんで私こんなので泣くんでしょうね;;」
「さあな、小さい頃のことがあるからじゃないの?」
あまり我関せずな感じ。
「そうでしょか;;」
さらさらと涙を流しながら、ああ、きっと違うと思っていた。
確かに、私が心底幸せになれなかったのは父が起因していることは間違いじゃない。
特に最初の頃は、それを渇望して那智さんがくれる父性のような愛情をぐんぐんと吸収していた。
それは埋めても埋めてもまだ欲しいと枯れることがなかったから、よほど『父』の影響だったんだなと思っていた。
でも、もう那智さんと出会って7年経つ。
なかなか普通の恋愛だけでは叶わないようなものを埋めてもらっている。
きっともう充分埋まっているはずだ。
それくらい那智さんはくれている。
だから、もうこれからは『生い立ち』や『父』の影響と思うのはやめようって思った。
もちろんはじまりはそうだった。
だけど今は違うんだ。
ただ単に、私は『そういう女』なんだ。
女の子のように。
気持ちよいことが大好きで。
ぬいぐるみを抱きしめるように、抱きしめてもらって。
好意を額面通り受け取れる。
この女の子として存在できる事実があれば穏やかに幸福を感じられる女なだけ、だということだ。
ずいぶん埋めてもらってもまだ涙が流れるのは、私はそれがただ欲しいというだけなんだろう。
そう思えることは、とても気持ちがラクになる。
父のことも、もちろん姉のことも責める気持ちはないつもりだった。
ここで生い立ちを書いたのも、責めるのではなくて自分を客観視して道を開きたいと思ったからだけど。
やっぱり他者を『原因』の対象にすることは、心地よいものではない。
全部自分のせいにすることはよくない。
でも、たくさん埋めてもらって、たくさん自分のこと考えて、もう充分と思えたら『原因』はなくていいよね。
私は、誰が『原因』でもなくて、もちろん自分のせいでもなくて。
ただ、そういう女だということ。
かなり『痛い』かもしれなけど^^;
私は、那智さんについていくだけのお散歩をして、好意を素直に受け取っていい『女の子』になりたい。
それがあるから、また幸福に穏やかに暮らしていける女だ。
それでいいと思う。
7年かかってそう思えた。
とても心地よい。
さらさらと泣きぬいぐるみを抱えながら、那智さんったらまだ『トラウマ』だと思ってる、今度この気持ちをお話ししなくちゃって思っていた。
人が満たされるものはいろいろだろうと思うけど。
私は6歳児がいい。
それで幸せになれる女と、それをさせて満足する男の組み合わせってだけのこと^^
少々痛いけど^^;
『原因』はなく、ただそうだと思えるほうが心地良いです。
注:しつこいけど、解決の糸口になるから原因を探ることは悪くないと思うのですよ。
もう充分と思える日が来るから、それにちゃんと気づくと気持ちがラクになったよってお話です^^
痛いついでに濃いのをリンクします〜♪
『私について(父性とシスターコンプレックス)12』
『毛布』
『お父さん1、2、3、4、5』
『6歳がいい』
『独特な幸福のススメ』
『ピンク1 2 3』
お昼間たくさん可愛がってもらって、ホクホク気分で街へ繰り出す。
クリスマス前の街。
イルミネーションで飾られた街路樹を眺めて歩く。
お茶をしながら、ほんの少し切ない話をした。
微笑みながら話せる種類の切ない話。
それが余計に感傷的な気持ちにさせてしまったのかな。
街路樹を眺めながら『那智さんについていく』だけという幸せな散歩。
この幸せ、私にはとっても大きいのだ。
普通人って誰かと歩くとき行く先を判断しながら歩くよね。
私も一緒に歩く人の速度とかなんとなく気にしながら、目的地、道筋、人の流れ、などなどをぼんやりと意識して判断しながら歩く。(あんまり得意ではないのだけどね。よく道間違うし、人にぶつかるし^^;)
だけど那智さんと歩いているときは、それをほとんどしないでいられるのだ。
見極めながら歩くことは苦ではないのだけど、那智さんと歩くときにそれをしないでいられるのは幸せなことなんだ。
那智さんについていくということだけ、私はすればいい。
時々酔っぱらいさんになってしまうこともあるけど、そのときは最悪『置いていけばいい』、自力でなんとかする人だからね(笑)(『基本人格』)
この先回りする必要のない散歩は、私の幸せな柔らかいところをぎゅっと掴むのだ。
切ない話のせいかな。
昼間にいっぱい可愛がってもらったかな。
それとも『ついていくだけ』の散歩のせいかな。
イルミネーションを眺めながら、つい涙目になってしまう。
あれれ、那智さん、私泣きそうですよ。
知ってか知らずか、目の前にある雑貨屋さんに入る。
大小のぬいぐるみ。
色とりどりのクリスマスオーナメント。
キャラクターのマグカップ。
どれもワクワクするようなグッズが並ぶ。
「こういう触り心地のいい素材はいいよね」
何気なく那智さんが触れたぬいぐるみ。
私もさっとだけ触る。
うん、とっても気持ちいい触り心地。
ぽにゃぽにゃしてる。
ぐるっと店内を一周して
「何がいい?なんか買ってあげる」
そう言ってマグカップあたりを手にしてみる那智さん。
さっきからずっと膨らんでいた涙腺がぱちんと弾けてしまった。
ああ、なんでこんなことが嬉しいのだろう。
プレゼントを買ってもらうことを、恐縮せず、額面通り、ただ受け取れるのがこんなにも心地よい。
「那智さん、これがいいです」
急いで来た通路を引き返し、ぽにゃぽにゃクマのぬいぐるみを持っていく。
それだけ那智さんに渡して店を出た。
背後で『プレゼントにしてください』という声を聞きながら。
泣いてしまいそうだったから、とにかく外に出た。
ガードレールに腰掛けたら、やっぱり涙が出てしまった。
まあ、でも支払いをしている横で泣くよりはましだろう。
ああ、かなりやばい人になってる。
うつむいて涙を見せないように、那智さんを待つ。
「はい」
リボンをかけられた袋を渡された。
「ありがとうございます;;」
「行くよ」
歩き出す那智さんについていく。
泣きながら待ち、プレゼントを受け取る。
もうそれだけでかなりやばいけど、もう、やばいついでだ、我慢するのをやめてしまえと思った。
私は好意を当然のように額面通り受け取る『女の子』になりたい。
「那智さん、出してもいいですか?」
「どうぞ〜」
リボンを外し袋からぽにゃぽにゃクマを出す。
気持ちいい。
片手にすっぽり収まるくらいの小さなぬいぐるみを胸に抱えている。
ああ、痛い女だよね。
だけど、ぬいぐるみの触り心地も、額面通り受け取れることも、女の子も気持ちよくて仕方がない。
右手で那智さんの腕を持ち、左手でぬいぐるみを抱える。
ぬいぐるみを可愛がる対象にして自分を可愛がる幼い子のようだ。
「那智さん、なんで私こんなので泣くんでしょうね;;」
「さあな、小さい頃のことがあるからじゃないの?」
あまり我関せずな感じ。
「そうでしょか;;」
さらさらと涙を流しながら、ああ、きっと違うと思っていた。
確かに、私が心底幸せになれなかったのは父が起因していることは間違いじゃない。
特に最初の頃は、それを渇望して那智さんがくれる父性のような愛情をぐんぐんと吸収していた。
それは埋めても埋めてもまだ欲しいと枯れることがなかったから、よほど『父』の影響だったんだなと思っていた。
でも、もう那智さんと出会って7年経つ。
なかなか普通の恋愛だけでは叶わないようなものを埋めてもらっている。
きっともう充分埋まっているはずだ。
それくらい那智さんはくれている。
だから、もうこれからは『生い立ち』や『父』の影響と思うのはやめようって思った。
もちろんはじまりはそうだった。
だけど今は違うんだ。
ただ単に、私は『そういう女』なんだ。
女の子のように。
気持ちよいことが大好きで。
ぬいぐるみを抱きしめるように、抱きしめてもらって。
好意を額面通り受け取れる。
この女の子として存在できる事実があれば穏やかに幸福を感じられる女なだけ、だということだ。
ずいぶん埋めてもらってもまだ涙が流れるのは、私はそれがただ欲しいというだけなんだろう。
そう思えることは、とても気持ちがラクになる。
父のことも、もちろん姉のことも責める気持ちはないつもりだった。
ここで生い立ちを書いたのも、責めるのではなくて自分を客観視して道を開きたいと思ったからだけど。
やっぱり他者を『原因』の対象にすることは、心地よいものではない。
全部自分のせいにすることはよくない。
でも、たくさん埋めてもらって、たくさん自分のこと考えて、もう充分と思えたら『原因』はなくていいよね。
私は、誰が『原因』でもなくて、もちろん自分のせいでもなくて。
ただ、そういう女だということ。
かなり『痛い』かもしれなけど^^;
私は、那智さんについていくだけのお散歩をして、好意を素直に受け取っていい『女の子』になりたい。
それがあるから、また幸福に穏やかに暮らしていける女だ。
それでいいと思う。
7年かかってそう思えた。
とても心地よい。
さらさらと泣きぬいぐるみを抱えながら、那智さんったらまだ『トラウマ』だと思ってる、今度この気持ちをお話ししなくちゃって思っていた。
人が満たされるものはいろいろだろうと思うけど。
私は6歳児がいい。
それで幸せになれる女と、それをさせて満足する男の組み合わせってだけのこと^^
少々痛いけど^^;
『原因』はなく、ただそうだと思えるほうが心地良いです。
注:しつこいけど、解決の糸口になるから原因を探ることは悪くないと思うのですよ。
もう充分と思える日が来るから、それにちゃんと気づくと気持ちがラクになったよってお話です^^
痛いついでに濃いのをリンクします〜♪
『私について(父性とシスターコンプレックス)12』
『毛布』
『お父さん1、2、3、4、5』
『6歳がいい』
『独特な幸福のススメ』
『ピンク1 2 3』