女という性3
独特な幸福感
どわーっと泥沼に投げ込まれたような落ち込み、これは排卵日頃から生理がはじまる前に起る状態だということとおそらく欲情だということはいままでの経験で理解していた。
でも不思議なもので、欲情といってもハァハァするわけでもないし、オナニー三昧になるわけでもないのだ。
どちらかというと欲情からどんどん離れていくようになる。
べつに抱いてもらわなくても大丈夫かも。
ひとりでする気にもならない。
こんなふうに性に対して醒めた気持ちになっていく。
だからこの落ち込みが欲情から来るものかもしれないということは頭では理解できていても実感しにくい。
それに落ち込みの原因が欲情だなんて、そんな情けないこと無意識に否定しているのだろう。
このときもカレンダーを見れば『ああ、いつものバイオリズム』だということはすぐわけるけど、欲情もセットになっていると予想のひとつには上げるけど、実感できない状態だった。
震災の影響、携帯の盗難、春休み。
お仕事で余裕がなくなりお休みの予定も立たず、なかなかいつものようなコミュニケーションも取れない。
コミュニケーションが取りづらい方たちからしたら恵まれているとは思うものの、それでもやっぱりさみしいものはさみしいと感じてしまう。
でも、そういうとき普段なら素直に『さみしいです』とだけ伝えることができるのに、この落ち込みのときはそれができない。
迷惑をかけてはいけないという『大人』の回路を繋げて、何ヶ所か危うくなりそうなところに蓋をすることを選んでしまうんだ。
素直にさみしいと言えないことを『大人』になることで誤摩化しているみたいだ。
これは一時的に那智さんに迷惑をかけずにいられるけど、例の落ち込みから来る『性に対してどんどん醒めていく』状態が、すべてにおいて醒めた人になっていってしまう。
さみしいに蓋をすると、さみしくないになって。
会いたいに蓋をすると、会わなくても平気かもしれないになる。
素直でいられなくなっていく。
ひとつひとつの気持ちが色分けされているわけではないから、これが蓋をしたせいなのか生理前だからか、さらに実感していない欲情なのか判断できない。
そんな中、追い打ちをかけるように、那智さんがたったひと言小さなミスをした。
(モカちゃん、ごめん、名前出すよ)
このエントリーに関してはミスの内容を説明する必要はないと思うので控えさせてね。
例えるなら、『寝言でモカちゃんの名前を呼んだ』みたいなミス、しかも寝る前にさんざんわたしがモカちゃんの話題を出しておいて、みたいな感じ^^;
那智さんにしたら不可抗力だったのかもしれないけど、わたしにとってさらに『女の子』に蓋をするような出来事だった。
那智さんとわたしの付き合いにおいて『女の子』はとても大事。
ねぇ、その『女の子』をもっともっと愛してください。
無邪気に『だーいすき♪』と言えなくなることは、わたしにとっては恐怖に近い。
そして、それをどうにかわかってほしくて訴え続けることはきっと那智さんにも負担だろうなと思うから、決して心地よい作業ではない。
せっかく、すこし無理をして誕生日の夕飯の時間を捻出してくれたのに『勃起しないで愛してほしい』なんて訴える時間になってしまった。
自分の中で悪い循環が起ってるのは自覚していた。
とにかく次会えるまで、いつ沸騰するかわからない沸々している泥水を起こさないように忍び足で日々をやり過ごす。
これ以上迷惑をかけたくないからとにかくいまは『女の子』封印して可愛くないわたしでいますなんて可愛くないことを伝えて。
とにかく那智さんと触れ合いたい、お父さんが娘を安心させるように。
そしたら『女の子』の蓋も取れて、またいつものわたしに戻る道筋ができるはずだ。
クマを抱いて凌いでから、こんな数週間を過ごした。
生理前だ。
普段よりコミュニケーション不足もあるだろう。
寝言を言ってしまったことも、不可抗力だとしてもつまずくこともわかる。
だけどここに『欲情』という原因は、どうしても見当たらない。
大人の女のわたしではなく『女の子』が拗ねちゃってる。
欲情なんて、どこかに行ってしまったものは、知らない。
この時点でわたしに『欲情』は存在しないものになってしまっていた。
勃起しないで、わたしを可愛がって愛して。
娘を見るようにわたしに微笑みかけて。
能面のような心が、醒めた思いでお父さんを求めていた。
どわーっと泥沼に投げ込まれたような落ち込み、これは排卵日頃から生理がはじまる前に起る状態だということとおそらく欲情だということはいままでの経験で理解していた。
でも不思議なもので、欲情といってもハァハァするわけでもないし、オナニー三昧になるわけでもないのだ。
どちらかというと欲情からどんどん離れていくようになる。
べつに抱いてもらわなくても大丈夫かも。
ひとりでする気にもならない。
こんなふうに性に対して醒めた気持ちになっていく。
だからこの落ち込みが欲情から来るものかもしれないということは頭では理解できていても実感しにくい。
それに落ち込みの原因が欲情だなんて、そんな情けないこと無意識に否定しているのだろう。
このときもカレンダーを見れば『ああ、いつものバイオリズム』だということはすぐわけるけど、欲情もセットになっていると予想のひとつには上げるけど、実感できない状態だった。
震災の影響、携帯の盗難、春休み。
お仕事で余裕がなくなりお休みの予定も立たず、なかなかいつものようなコミュニケーションも取れない。
コミュニケーションが取りづらい方たちからしたら恵まれているとは思うものの、それでもやっぱりさみしいものはさみしいと感じてしまう。
でも、そういうとき普段なら素直に『さみしいです』とだけ伝えることができるのに、この落ち込みのときはそれができない。
迷惑をかけてはいけないという『大人』の回路を繋げて、何ヶ所か危うくなりそうなところに蓋をすることを選んでしまうんだ。
素直にさみしいと言えないことを『大人』になることで誤摩化しているみたいだ。
これは一時的に那智さんに迷惑をかけずにいられるけど、例の落ち込みから来る『性に対してどんどん醒めていく』状態が、すべてにおいて醒めた人になっていってしまう。
さみしいに蓋をすると、さみしくないになって。
会いたいに蓋をすると、会わなくても平気かもしれないになる。
素直でいられなくなっていく。
ひとつひとつの気持ちが色分けされているわけではないから、これが蓋をしたせいなのか生理前だからか、さらに実感していない欲情なのか判断できない。
そんな中、追い打ちをかけるように、那智さんがたったひと言小さなミスをした。
(モカちゃん、ごめん、名前出すよ)
このエントリーに関してはミスの内容を説明する必要はないと思うので控えさせてね。
例えるなら、『寝言でモカちゃんの名前を呼んだ』みたいなミス、しかも寝る前にさんざんわたしがモカちゃんの話題を出しておいて、みたいな感じ^^;
那智さんにしたら不可抗力だったのかもしれないけど、わたしにとってさらに『女の子』に蓋をするような出来事だった。
那智さんとわたしの付き合いにおいて『女の子』はとても大事。
ねぇ、その『女の子』をもっともっと愛してください。
無邪気に『だーいすき♪』と言えなくなることは、わたしにとっては恐怖に近い。
そして、それをどうにかわかってほしくて訴え続けることはきっと那智さんにも負担だろうなと思うから、決して心地よい作業ではない。
せっかく、すこし無理をして誕生日の夕飯の時間を捻出してくれたのに『勃起しないで愛してほしい』なんて訴える時間になってしまった。
自分の中で悪い循環が起ってるのは自覚していた。
とにかく次会えるまで、いつ沸騰するかわからない沸々している泥水を起こさないように忍び足で日々をやり過ごす。
これ以上迷惑をかけたくないからとにかくいまは『女の子』封印して可愛くないわたしでいますなんて可愛くないことを伝えて。
とにかく那智さんと触れ合いたい、お父さんが娘を安心させるように。
そしたら『女の子』の蓋も取れて、またいつものわたしに戻る道筋ができるはずだ。
クマを抱いて凌いでから、こんな数週間を過ごした。
生理前だ。
普段よりコミュニケーション不足もあるだろう。
寝言を言ってしまったことも、不可抗力だとしてもつまずくこともわかる。
だけどここに『欲情』という原因は、どうしても見当たらない。
大人の女のわたしではなく『女の子』が拗ねちゃってる。
欲情なんて、どこかに行ってしまったものは、知らない。
この時点でわたしに『欲情』は存在しないものになってしまっていた。
勃起しないで、わたしを可愛がって愛して。
娘を見るようにわたしに微笑みかけて。
能面のような心が、醒めた思いでお父さんを求めていた。