わたしのこと3『パズル』
独特な幸福感
漢方薬局の先生に看てもらったことは「体質改善」というエントリーで書きました。
ちょうど一年と少し前。
那智さんがお世話になっている先生を紹介してくれたのだ。
病気というほどではないけれど、日常のちょっとした「不快」を取り除き生活の質を向上させる目的だった。
その不快とは、手足の冷えとお通じよすぎでいつも下痢気味(にゃはは、恥ずかしい^^;)。
結果。
わたしは摂取した水分を体内に止めておくことができにくい体質なのだそう。
たしかにお通じだけじゃなくおしっこもとっても頻繁、食事をしててもよく喉が渇く。
夏は異常に汗をかくし、冬の冷えは血管からもれた水分が皮膚の下で冷えるからなのだそうだ。
医学的に正解かどうかは断定できないけど、当てはまることが多く、思わず納得してしまった。
そんな話を聞きながら、診断は思わぬ方向に進んでいった。
これも「体質改善」でも書いたことだけど、再度、ちょっと詳しく書かせてくださいね。
水分を止めることができないわたしは、血液中の水分も血管からもれてしまうらしい。
だから、血液中の水分が減り、先生曰く「血が濃い」のだそうです。
その説明をしながら、先生が聞いてきた。
「よくヒステリックに短気を起こしたりしない?」
いえ、そんなことない。
わたし、メソメソすることはあるけど、ヒステリックでも短気でもない。
どちらかというと、逆で穏やかなほうだよ。
そう思って、「?」マークの表情で先生を見る。
「じゃあ、落ち込んだり、憂鬱になったりは?特に生理前。」
ああ、それならあります。
そのころ、すでに那智さんとの間で「生理前のぐずり」として認識されていたから、すぐ肯定できた。
どうやらわたしは水分がもれて濃い血だけが残り、血の全体量も不足気味なのだそう、そこに生理前に子宮に血液が集まるから、より血液不足で脳が酸欠になるんですって(このあたりの説明はちょっと自信ないです)。
それが危険信号として?防衛本能として?感情面に表れるのだそうです。
これが正しい判断かどうかはわからないし、これだけを信じるつもりもないけれど。
時々起こる困った感情が、謎やただの甘えじゃないのではないかと思えることは、わたしの心をちょっと軽くしてくれた。
症状に変わりはなくても、原因がわかるだけで人って少し楽になりますものね。
それから数ヶ月。(あ、結局お薬飲んでません^^;)
相変わらず、定期的に「大暴走」は訪れる。
その度に自覚しながらも那智さんに泣きつき生意気言って、甘えて泣いている。
那智さんは、そのときのわたしの態度で、向き合ったり流したり、たしなめたりと、付き合ってくれている。
生理が始まるか、思いっきり泣くか、話し合いで治まるか、絶対の解決策は決まっていないのだけど、なにかの形で治まると憑き物が落ちたように、晴れやかな気持ちでいつものようになれるのだ。(だから、薬飲め!!)
そんな自分を振り返って。
もしかしたら、わたしは那智さんに出会う前。
この生理前の「大暴走」のときに、集中してテレクラに電話していたのかなって思った。
あのころのわたしは生理が不定期で年に3、4回しかなかったから、よけいに周期があることに思いがおよばなかったのかもしれない。
他者を攻撃する「棘」を持っている人間だったら、なにかの形で周囲にそれを向け、先生のいう「ヒステリックに短気を起こして」いたかもしれないけれど、わたしには人に向ける「棘」がなかった。
だから、わたしはその棘を自分に向けて、テレクラという自傷行為をして大暴走を治めていたのではないだろうか。(電話の向こうの不特定多数の男性には棘ですね…)
那智さんに出会って、感情の蓋を外し、「棘」を使わず人に心を伝える経験を積んでいる。
悲しいとき、押し黙らずに那智さんに伝えることは、至上命令ってくらいだ(笑)
だから、いつのまにか、生理前の大暴走のときに、わたしは自らを痛めつけるようなことはしなくなった。
那智さんに「寂しい、苦しい、助けて」と訴え自傷することをしないで済んでいる。
素直に伝えろと、わたしを「調教(?)」している那智さんは図らずもわたしのサンドバックになってしまったのだ^^;
「ごめんなさい、悲しいの」と泣きながら、わたしのパンチを受け止めてくれる。
でも、ただ甘えてるだけのようだけど、ここでも「棘」を向けないわたしの性格は役に立ってると思ってるのだ。
感情をぶつけてしまいたくなるときに人はつい「八つ当たり」するところがあると思う。
わたしは那智さんに「ぐずる」けど、落ち込む感情に任せて八つ当たりしてしまうようなことは絶対にしないと踏み止まってるのだ。
棘を向けずに「悲しい」だけをすくい取り那智さんに渡す作業は、大暴走中にはちょっと大変なこと。
だけど、普段棘を向けない性質のわたしは、それができるんじゃないかなって思った。
那智さんに当たるのではなくて、悲しいを伝える努力を惜しまずにいれば、那智さんは「大暴走」に付き合ってくれるのだ。
父性を求めて不安定だったり、血が濃くて大暴走してしまったり、それらを抱えて自分を傷付けていたり、逆に大切な人を苦しめたくないと必死だったり。
ほんと人生って大変。
だけど、パズルのピースをはめていくことを諦めないでいると、いつのまにか視界が広がる。
それが、人から見たら些細な出来事で、根拠のない仮説だったとしても、ピースがはまっていくと気持ちが軽くなる。
それで、即解決とはいかないけれど、闇雲に走るのでなく地図をもらったようで、まだ進もうと意欲も湧く。
そう思うと、人生って大変だけど、悪くない。
年齢を重ねることは、自分を軽くしてくれる。
って、思うのです。
ふぅ。
長かったですねぇ。
もはやSMブログじゃなくなってますね^^;
「わたしブログ」だ^^
長いことお付き合いくださいまして、ありがとうございました
那智さんはまだ出張中。
ネット環境にないはずだから、こんな内容を更新してるなんて知る由もないです。
帰ったら驚くかな〜?
えっと、もうちょっとこんな感じが続く予定です^^;
漢方薬局の先生に看てもらったことは「体質改善」というエントリーで書きました。
ちょうど一年と少し前。
那智さんがお世話になっている先生を紹介してくれたのだ。
病気というほどではないけれど、日常のちょっとした「不快」を取り除き生活の質を向上させる目的だった。
その不快とは、手足の冷えとお通じよすぎでいつも下痢気味(にゃはは、恥ずかしい^^;)。
結果。
わたしは摂取した水分を体内に止めておくことができにくい体質なのだそう。
たしかにお通じだけじゃなくおしっこもとっても頻繁、食事をしててもよく喉が渇く。
夏は異常に汗をかくし、冬の冷えは血管からもれた水分が皮膚の下で冷えるからなのだそうだ。
医学的に正解かどうかは断定できないけど、当てはまることが多く、思わず納得してしまった。
そんな話を聞きながら、診断は思わぬ方向に進んでいった。
これも「体質改善」でも書いたことだけど、再度、ちょっと詳しく書かせてくださいね。
水分を止めることができないわたしは、血液中の水分も血管からもれてしまうらしい。
だから、血液中の水分が減り、先生曰く「血が濃い」のだそうです。
その説明をしながら、先生が聞いてきた。
「よくヒステリックに短気を起こしたりしない?」
いえ、そんなことない。
わたし、メソメソすることはあるけど、ヒステリックでも短気でもない。
どちらかというと、逆で穏やかなほうだよ。
そう思って、「?」マークの表情で先生を見る。
「じゃあ、落ち込んだり、憂鬱になったりは?特に生理前。」
ああ、それならあります。
そのころ、すでに那智さんとの間で「生理前のぐずり」として認識されていたから、すぐ肯定できた。
どうやらわたしは水分がもれて濃い血だけが残り、血の全体量も不足気味なのだそう、そこに生理前に子宮に血液が集まるから、より血液不足で脳が酸欠になるんですって(このあたりの説明はちょっと自信ないです)。
それが危険信号として?防衛本能として?感情面に表れるのだそうです。
これが正しい判断かどうかはわからないし、これだけを信じるつもりもないけれど。
時々起こる困った感情が、謎やただの甘えじゃないのではないかと思えることは、わたしの心をちょっと軽くしてくれた。
症状に変わりはなくても、原因がわかるだけで人って少し楽になりますものね。
それから数ヶ月。(あ、結局お薬飲んでません^^;)
相変わらず、定期的に「大暴走」は訪れる。
その度に自覚しながらも那智さんに泣きつき生意気言って、甘えて泣いている。
那智さんは、そのときのわたしの態度で、向き合ったり流したり、たしなめたりと、付き合ってくれている。
生理が始まるか、思いっきり泣くか、話し合いで治まるか、絶対の解決策は決まっていないのだけど、なにかの形で治まると憑き物が落ちたように、晴れやかな気持ちでいつものようになれるのだ。(だから、薬飲め!!)
そんな自分を振り返って。
もしかしたら、わたしは那智さんに出会う前。
この生理前の「大暴走」のときに、集中してテレクラに電話していたのかなって思った。
あのころのわたしは生理が不定期で年に3、4回しかなかったから、よけいに周期があることに思いがおよばなかったのかもしれない。
他者を攻撃する「棘」を持っている人間だったら、なにかの形で周囲にそれを向け、先生のいう「ヒステリックに短気を起こして」いたかもしれないけれど、わたしには人に向ける「棘」がなかった。
だから、わたしはその棘を自分に向けて、テレクラという自傷行為をして大暴走を治めていたのではないだろうか。(電話の向こうの不特定多数の男性には棘ですね…)
那智さんに出会って、感情の蓋を外し、「棘」を使わず人に心を伝える経験を積んでいる。
悲しいとき、押し黙らずに那智さんに伝えることは、至上命令ってくらいだ(笑)
だから、いつのまにか、生理前の大暴走のときに、わたしは自らを痛めつけるようなことはしなくなった。
那智さんに「寂しい、苦しい、助けて」と訴え自傷することをしないで済んでいる。
素直に伝えろと、わたしを「調教(?)」している那智さんは図らずもわたしのサンドバックになってしまったのだ^^;
「ごめんなさい、悲しいの」と泣きながら、わたしのパンチを受け止めてくれる。
でも、ただ甘えてるだけのようだけど、ここでも「棘」を向けないわたしの性格は役に立ってると思ってるのだ。
感情をぶつけてしまいたくなるときに人はつい「八つ当たり」するところがあると思う。
わたしは那智さんに「ぐずる」けど、落ち込む感情に任せて八つ当たりしてしまうようなことは絶対にしないと踏み止まってるのだ。
棘を向けずに「悲しい」だけをすくい取り那智さんに渡す作業は、大暴走中にはちょっと大変なこと。
だけど、普段棘を向けない性質のわたしは、それができるんじゃないかなって思った。
那智さんに当たるのではなくて、悲しいを伝える努力を惜しまずにいれば、那智さんは「大暴走」に付き合ってくれるのだ。
父性を求めて不安定だったり、血が濃くて大暴走してしまったり、それらを抱えて自分を傷付けていたり、逆に大切な人を苦しめたくないと必死だったり。
ほんと人生って大変。
だけど、パズルのピースをはめていくことを諦めないでいると、いつのまにか視界が広がる。
それが、人から見たら些細な出来事で、根拠のない仮説だったとしても、ピースがはまっていくと気持ちが軽くなる。
それで、即解決とはいかないけれど、闇雲に走るのでなく地図をもらったようで、まだ進もうと意欲も湧く。
そう思うと、人生って大変だけど、悪くない。
年齢を重ねることは、自分を軽くしてくれる。
って、思うのです。
ふぅ。
長かったですねぇ。
もはやSMブログじゃなくなってますね^^;
「わたしブログ」だ^^
長いことお付き合いくださいまして、ありがとうございました
那智さんはまだ出張中。
ネット環境にないはずだから、こんな内容を更新してるなんて知る由もないです。
帰ったら驚くかな〜?
えっと、もうちょっとこんな感じが続く予定です^^;