気遣いの仕方
独り言
4人で飲んだ。
わたしは身体的特徴(ここね、毎度ぼやかしているんだけどね^^;)ゆえ、左側に腰かけるほうがよくて、お店に入った順番などなどから、たまたまの席順で那智さんがはす向かいに座ることになった。
いつも『お隣りがいい〜』なわたしにとってはめずらしく、なかなか新鮮な席順だった。
美味しいお刺身と日本酒とおしゃべりに場も進んだ頃、わたしの向かい側にいた彼女がサワーの入ったグラスを倒してしまった。
まだ2/3は残っていただろうサワーはテーブルやボックス席やご本人や那智さんを濡らした。
ガッと席を立った那智さんに咄嗟にわたしのおしぼりを渡す。
ちょうど、その前になみなみと注いだ日本酒を拭くために店員がおしぼりを多めにくれていたので、その全部を手渡した。
そんなに気にしなくても大丈夫だようというくらい慌てて謝罪する彼女に、そのあと見せた那智さんの様子は身内ながら惚れ惚れするものだった。
さっと立ち上がり水浸しの周囲を手際よく拭い、椅子に転がった氷を両手ですくい店員が持ってきたおしぼりに集める。
手際の良さももちろんだけど、その空気が見事。
彼女に対して『申し訳ない』という思いを抱かせない『普通の笑顔』。
スーツのズボンがそれなりに濡れたにも関わらず、たとえ親愛の情がこもっていたとしても『あちゃ〜』というマイナスの空気を1ミリも出さず。
かといって、彼女に気を使わせまいとするあまり過剰に大丈夫をアピールするわけでもない。
その過不足なく穏やかに速やかに対処する様子に、あらためて、相手に気を使わせないいい男だなって身内贔屓を差し引いても、惚れ惚れした。
後日、そのことを聞いたら
ああいう場合に一番いいのは、できるだけ早く『済んだこと』にしてしまうことなんだよ
終わったことにすれば相手が気を使わないでいられる
なるほど、わたしなどは、相手に気にしていないことを伝えたいがあまり、『大丈夫』をくり返してしまいそうだけど、それはある意味、その事柄を引きずっていることになりかねないのだね。
そういう意図があっての行動に、ちゃんと空気まで伴っていたわけだ。
はす向かいに座れたからこそ、すこし離れてその様子を見ることができた。
もしかしたら、隣りにいたら客観視できなかったかもしれないと思うと、その席順にも感謝だ^^
と、相手に気を使わせない空気の那智さんを褒めてみたけど、わたしの隣りにいたもうひとりの女性は同じ飲み物をさささっとオーダーし直してあげていたし、こぼした彼女は自分の濡れたワンピースが拭いた後の座席を濡らさないように着ていたジャケットをさりげなく敷いて座っていたし、みんなそれぞれさりげなく気遣いのできる人たちだ^^
わたしなんて、那智さんにおしぼり渡しただけで、あとは場が和むかな〜と思って
あれだったら、ワンピース脱いでもいいよ(笑)
と変態ジョークを口走るくらいしかできなかった^^;
いや、露出嗜好がないとぜんぜんジョークにならないわけで、和んだかどうかは不明なんだけどもね^^;
やり方はそれぞれだけど、それぞれの気遣いの仕方があるよね^^
とにかく、那智さんを離れたところで眺めるのも悪くないな〜と感じた夜なのでした^^
4人で飲んだ。
わたしは身体的特徴(ここね、毎度ぼやかしているんだけどね^^;)ゆえ、左側に腰かけるほうがよくて、お店に入った順番などなどから、たまたまの席順で那智さんがはす向かいに座ることになった。
いつも『お隣りがいい〜』なわたしにとってはめずらしく、なかなか新鮮な席順だった。
美味しいお刺身と日本酒とおしゃべりに場も進んだ頃、わたしの向かい側にいた彼女がサワーの入ったグラスを倒してしまった。
まだ2/3は残っていただろうサワーはテーブルやボックス席やご本人や那智さんを濡らした。
ガッと席を立った那智さんに咄嗟にわたしのおしぼりを渡す。
ちょうど、その前になみなみと注いだ日本酒を拭くために店員がおしぼりを多めにくれていたので、その全部を手渡した。
そんなに気にしなくても大丈夫だようというくらい慌てて謝罪する彼女に、そのあと見せた那智さんの様子は身内ながら惚れ惚れするものだった。
さっと立ち上がり水浸しの周囲を手際よく拭い、椅子に転がった氷を両手ですくい店員が持ってきたおしぼりに集める。
手際の良さももちろんだけど、その空気が見事。
彼女に対して『申し訳ない』という思いを抱かせない『普通の笑顔』。
スーツのズボンがそれなりに濡れたにも関わらず、たとえ親愛の情がこもっていたとしても『あちゃ〜』というマイナスの空気を1ミリも出さず。
かといって、彼女に気を使わせまいとするあまり過剰に大丈夫をアピールするわけでもない。
その過不足なく穏やかに速やかに対処する様子に、あらためて、相手に気を使わせないいい男だなって身内贔屓を差し引いても、惚れ惚れした。
後日、そのことを聞いたら
ああいう場合に一番いいのは、できるだけ早く『済んだこと』にしてしまうことなんだよ
終わったことにすれば相手が気を使わないでいられる
なるほど、わたしなどは、相手に気にしていないことを伝えたいがあまり、『大丈夫』をくり返してしまいそうだけど、それはある意味、その事柄を引きずっていることになりかねないのだね。
そういう意図があっての行動に、ちゃんと空気まで伴っていたわけだ。
はす向かいに座れたからこそ、すこし離れてその様子を見ることができた。
もしかしたら、隣りにいたら客観視できなかったかもしれないと思うと、その席順にも感謝だ^^
と、相手に気を使わせない空気の那智さんを褒めてみたけど、わたしの隣りにいたもうひとりの女性は同じ飲み物をさささっとオーダーし直してあげていたし、こぼした彼女は自分の濡れたワンピースが拭いた後の座席を濡らさないように着ていたジャケットをさりげなく敷いて座っていたし、みんなそれぞれさりげなく気遣いのできる人たちだ^^
わたしなんて、那智さんにおしぼり渡しただけで、あとは場が和むかな〜と思って
あれだったら、ワンピース脱いでもいいよ(笑)
と変態ジョークを口走るくらいしかできなかった^^;
いや、露出嗜好がないとぜんぜんジョークにならないわけで、和んだかどうかは不明なんだけどもね^^;
やり方はそれぞれだけど、それぞれの気遣いの仕方があるよね^^
とにかく、那智さんを離れたところで眺めるのも悪くないな〜と感じた夜なのでした^^
誓約
独特な幸福感
まだ明るいうちからビールと日本酒をお刺身と天ぷらでいただいた。
そこから一駅ぶん、隣りのターミナル駅までお散歩。
時間にしたら20分、ほろ酔いの上くらいの酔っぱらい状態に夕方の風が気持ちいい。
途中にある自動車のショールームに冷やかしに入った。
まぶしいくらいの照明にピカピカの新車たちが夢のよう。
那智さんが興味を持つ車のほうに移動するのについていく。
いまはさ、キーを差し込まなくてもピッて反応してエンジンかかるんだよ
なんて話題に
いや、あの差し込んでキーを回すことがいいのではありませんか!?
といちゃもんをつける。
ショールームにいる間じゅう、ぜんぜん車マニアでもなんでもないのに「あのブルルというエンジン音にこそ!!」と力説が楽しい(笑)
今日も一日楽しかった。
前日からすこし甘えたい気持ちを抱えているのがちょっと大変で(欲情ともいうのか…)、朝、せっかく早く出たのに電車が遅れて、結局那智さんをお待たせして、すこし落ち込み気味にスタートしたけれど、那智さんはいつもと変わらず、楽しませてくれた。
那智さんのしたいように可愛がってもらって、那智さんのスケジュール通り進んで、ときどきマッサージの時間をズラしてもらったりして(これは質の良いサービスを提供するためには、むしろ必要な申し出なのだ^^;)、飲みのお店はふたつの候補を上げられた後、わたしの希望を聞かれて、それに決まって、那智さんの決定に従い、意思に沿った一日だった。
ショールームを出るとそろそろターミナル駅。
ふたりして、きっと名残惜しいのだ。
ビールとなんか、あとちょっと〜
那智さんは飲み足りなかったのかもしれない(笑)
「じゃあ」と地下街にある今度お友達とのランチに使いたいな〜と目星をつけていたワイン屋さんを提案してみた。
ランチはもうすこし照明を明るくしていると思うけど、夜の営業だからか抑えた灯りの下で赤ワインとチーズをいただく。
向かい合わせの席がすこしもどかしい。
ここでも、話題は尽きない。
共通の知人のこと、『等式』のこと、いろいろ。
そのうちお子さんの話しになった。
意外に思われるかもしれないけど、那智さんは案外自分のお子さんに対してはクールなところがある。
父性豊かなので要所要所に那智さんイズムを指南しているようではあるけれど、昔からお子さんを溺愛するような感じではない。
お子さんといってももう成人しているけど、10年前から割りとそのスタンスは変わっていない。
このときもお子さんの人生の重要事項のタラレバの話題に、「どうぞ、好きにしたらいいよ〜」と突き放すような答えだった。
疑問に思った。
那智さんはね、面倒見がいいし、とことん関わる人だし、まして自分の子どもなんだから、もうすこし那智さんなりに『こうしたい』と思ってアドバイスしないのですか?
わたしにはとことん関わる。
仕事でも生き方でも、指南して見守って、何かあれば支えて促してくれる。
そのとことん関わることを自分のお子さんにしないことが不思議に思ったのだ。
ん?と一瞬考えて
簡単だよ
とほぼ即答
全部受け取るから、最後まで関わろうと思うんだよ
ああ、わたしのことだ。
ほしいものだけ受け取って、いらないものはいらないとされたら、責任を持とうと思わないよね
胸がぎゅーっとなった。
これがわたしの選んだ道だ。
それが正しいかどうかはわからない。
きっとお子さんが小さい頃はそうしていたのだろう。
だけど、適切に成長すれば自我が生まれ親がくれるものから自分のほしいものだけ選び取り、あとは自分で見つけていく、いつしか親からもらう必要がなくなることが自立というものだから、ここ10年のお子さんに対するスタンスは子育てとしては間違ってはいないだろう。
それとは別の次元の話で。
正しいかどうかはわからない。
是非は問いたくない。
ただ、わたしの人生は那智さんの意思に沿うことだ。
そうやってきた。
30数年、どうしても幸せになり切れなかったわたしを見つけ、とことん関わってくれた那智さんの生き方を尊重し、それについていく、ひたすら。
那智さんがわたしにくれる愛情、教育、幸福、快感、ときどき失言(笑)、ときどき酔っぱらいさん(笑)、靴下の穴も森のクマさんも、全部、全部、受け取る、そして、わたしのものにする。
那智さんの生き方を肯定し、それに沿う人生。
その人生を送る覚悟。
気がつけばわたしはいつの間にか、そんなふうに腹をくくっている。
(覚悟決めさせないで、結果的に覚悟決めるようにするのが那智さんらしい)
わたしがその覚悟を以て見上げていれば、那智さんは注ぎ続けてくれる。
この濃く、深く、ふたりだけの独善的な世界。
わたしによって那智さんの人生に輪郭を持たせることで、わたしの人生も確固たるものになる。
お互いが相手を映す鏡。
わたしが、あなたの人生のそれになる覚悟のようなものを、那智さんの答えで再確認して、切ない自負が胸を締め付ける。
胸が苦しくて、切なくて、清々しくて、涙が零れた。
これが正しいかわからない。
だけど、わたしの人生は那智さんに委ね、『わたし』をかけて那智さんを肯定する。
那智さんが全知全能の神だなんて思っていない。
崇拝なんておこがましくて言えない。
だけど、わたしの人生は那智さんの意思に沿うのだ。
誓いを立てるような涙だった。
すこし酔っていたのかもしれない。
<関連エントリー>
森のクマさん
こういう気持ちです
罪悪感
自己実現だよね^^
『等式』の意味
「等式」感想です。娘が結婚する。若夫婦に対して申し訳ない思いで一杯である。これしか躾が出来なくて、「私が妻が」私が選んだ妻も出来なかった。だから、彼女に対する私の不満は全て自分の責任だと理解している。しかし、この家を出て新しい家族を彼らは築く、私の責任範疇は終了、一瞬で終了した。
まだ明るいうちからビールと日本酒をお刺身と天ぷらでいただいた。
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時間にしたら20分、ほろ酔いの上くらいの酔っぱらい状態に夕方の風が気持ちいい。
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いまはさ、キーを差し込まなくてもピッて反応してエンジンかかるんだよ
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前日からすこし甘えたい気持ちを抱えているのがちょっと大変で(欲情ともいうのか…)、朝、せっかく早く出たのに電車が遅れて、結局那智さんをお待たせして、すこし落ち込み気味にスタートしたけれど、那智さんはいつもと変わらず、楽しませてくれた。
那智さんのしたいように可愛がってもらって、那智さんのスケジュール通り進んで、ときどきマッサージの時間をズラしてもらったりして(これは質の良いサービスを提供するためには、むしろ必要な申し出なのだ^^;)、飲みのお店はふたつの候補を上げられた後、わたしの希望を聞かれて、それに決まって、那智さんの決定に従い、意思に沿った一日だった。
ショールームを出るとそろそろターミナル駅。
ふたりして、きっと名残惜しいのだ。
ビールとなんか、あとちょっと〜
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とほぼ即答
全部受け取るから、最後まで関わろうと思うんだよ
ああ、わたしのことだ。
ほしいものだけ受け取って、いらないものはいらないとされたら、責任を持とうと思わないよね
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それが正しいかどうかはわからない。
きっとお子さんが小さい頃はそうしていたのだろう。
だけど、適切に成長すれば自我が生まれ親がくれるものから自分のほしいものだけ選び取り、あとは自分で見つけていく、いつしか親からもらう必要がなくなることが自立というものだから、ここ10年のお子さんに対するスタンスは子育てとしては間違ってはいないだろう。
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正しいかどうかはわからない。
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ただ、わたしの人生は那智さんの意思に沿うことだ。
そうやってきた。
30数年、どうしても幸せになり切れなかったわたしを見つけ、とことん関わってくれた那智さんの生き方を尊重し、それについていく、ひたすら。
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その人生を送る覚悟。
気がつけばわたしはいつの間にか、そんなふうに腹をくくっている。
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これが正しいかわからない。
だけど、わたしの人生は那智さんに委ね、『わたし』をかけて那智さんを肯定する。
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こういう気持ちです
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自己実現だよね^^
『等式』の意味
「等式」感想です。娘が結婚する。若夫婦に対して申し訳ない思いで一杯である。これしか躾が出来なくて、「私が妻が」私が選んだ妻も出来なかった。だから、彼女に対する私の不満は全て自分の責任だと理解している。しかし、この家を出て新しい家族を彼らは築く、私の責任範疇は終了、一瞬で終了した。
針山
惹かれ合う理由
カテゴリ、悩んだ。
でも、これはわたしにとって那智さんとの関係においても重要なことだと判断したので『惹かれ合う理由』にしました。
ちょっと系統の違うものになるかな。
意外と増えてる『惹かれ合う理由』^^;
小さい頃、よく自分をいろいろな物に当てはめて想像していた。
それもアニメのヒロインや絵本のお姫様ではなくて(それもあったけど)、残酷な目に遭う『物』たち。
母のお裁縫箱の中にある色とりどりの待ち針が刺さった針山。
ガスコンロにかけられしゅんしゅんを勢い良く湯気を吐き出す湯たんぽ。(当時、我が家はカネの湯たんぽを直火にかけていたのだ)
そうそう、窓際にかかっていたてるてる坊主にも。
その『物』だったらと、自分を当てはめるのだ。
あんなに針が刺さって痛いだろうな。
毎日毎日火で炙られたら熱いよね。
てるてる坊主だったら苦しいだろうな。
でも、針山は針を刺されるし、湯たんぽは焼かれるし、てるてる坊主は首を絞めるしかないのだ。
物に痛覚や感情があるわけないとわかっていながらも、痛覚や感情がある自分がそれになっていることを想像していた。
けして、『かわいそう』という客観視した想像ではなく、そんな状態に酔う感じとも違う。
ひたすら、苦痛を与えられる運命にある『物』が自分である想像に付きまとわれていた。
(身売りされるなど不幸の対象に人が加わるのは、たぶん、この後)
痛いよね、辛いよねと胸が締め付けられる思いの中にゾクゾクするようなえも言われぬ感情を持ちながら、母に頼まれて、毎晩、湯たんぽを用意していた。
多かれ少なかれ子どもの想像や行いは性的なものに結びつく傾向があると思うけど、わたしの場合は時代劇の拷問にゾクゾクしたり(これは割りとポピュラー?笑)、仮面ライダーごっこではいつも最後は殺される悪役をやりたがったり、お医者さんごっこではいつも患者役だったり(恥ずかしい!!)、【梅干しを握りつぶして】梅肉で手をぐちゃぐちゃに汚したり、これらはわたしのマゾ的資質だと思っているけど、この『苦痛の物』の想像も、おそらくそれだ。
性欲や従属や『女の子』や当然被虐やわたしを作る要素は様々だけど、苦痛に惹かれることを被虐嗜好というならば、その種だったのではないかと思う。
これが性的なものを結びつくとまったく理解はしていなかったけど、とにかく惹かれて、怖くて目をそらし、また覗き込む、あの絶望と苦痛のゾクゾクは快感と密接した感覚だったからだ。
成長するにつれ、自分の性的興味や性欲を目の当たりにし、モヤモヤしたものはマゾやMと呼ばれる性癖なのだと知っていき、『O孃の物語』や『トパーズ』や『寿司とマヨネーズ』などを読み、支配と服従などの言葉を目にしていくうちに、そうか『相手』がいるものなのだと理解していく。
何度かの旅を経て、わたしの様々な要素が混ざりあった塊を満たすにはその『相手』こそ重要なのだという答えに辿りつくのだ。
そして那智さんに出会った。
いまでは那智さん以外の人から苦痛を味わうなんて怖すぎて考えられないし、あれほどの痛みは愛し恋し信頼している那智さんだから快感に変換できるのだということは揺るぎない事実である。
その人の前でわんわん泣き甘え淫乱になれる安心感や解放感や快感は、痛みから生まれる貴重な産物だと理解している。
そして、愛情の確認にも欠かせないことがらにもなっている。
苦痛は、その貴重なものたちを作り出す重要なツールである。
反面。
那智さんから鞭で打ちまくられて泣き笑いするとき、わたしは安堵の涙を流しているのだ。
針山に湯たんぽに絶望しながら惹かれていたことが、針山にも湯たんぽにもならずに叶っている安堵の涙。
痛いのは痛い、泣くほど痛い(笑)
痛い自分がかわいそう!!
それらの涙とは別の涙。
この涙に触れるとき、わたしは、理由はわからないけど被虐行為に惹かれ、欲しているのだと認識するのだ。
わたしが被虐行為に惹かれていた少女の頃は加虐側の人物像や関係性も苦痛を与えられる理由も存在していなかった。
痛みを与えられることで自分を解放するとか、自分を罰するとか、何かの代償にしているのではなく。
ご主人様が与えてくれる痛みを受け入れるとか、パートナーが与えてくれる痛みだからとか、相手ありきではなく。
痛みと恐怖と絶望をすでに与えられている自分しかいなかった。
ただ苦痛を受ける立場に惹かれていた。
恐ろしいことだし、自分を傷つけることになるとわかっているのに魅了されてしかたなかった。
スタートは純粋に『苦痛の物』になることへの欲求だった。
この『苦痛の物』になることへの欲求は、おそらく、被虐行為で性的興奮を感じると本能的に予感していたのではないかと思う。
理由はわからないし、推測の域を出ないのだけど、針山や湯たんぽに感じいたゾクゾクする感覚は、性的興奮にとても近いからだ。
だから、わたしの被虐のルーツは『快感の予感』だと思い至る。
登場人物も苦痛を与えられる理由もなくただ被虐に惹かれていたのは『快感の予感』があったからではないかと思うのだ。
『快感』と断言はできないんだ。
いまだって痛み=即快感ではないわけだし、ただあれほど惹かれるのだから、そういう予感はあったのではないかなという推測です。
そして、被虐で感じると無意識に予感していた本能からはじまった『マゾ』は適切に与える人(那智さん)がいてはじめて幸福のもとに叶うと知り、その人から与えられるものだけを求めるようになったのだ。
いまでは被虐以外のたくさんのものをくれているので、もう、何事も那智さんじゃないと成立しないのは痛いほどわかっている。
しかし、那智さんであることは絶対的な条件ではあるけれど、じつは後付けの絶対条件なのだ。
よくM女さんのブログで『ご主人様が与えてくださる痛みだから』とか『痛みは罰する手段、解放する手段』というような言葉を目にする。
とても理解できる、わたしだって那智さんがくれるからいいのだし、快感や幸福を味わう手段でもある。
でも、自分の被虐のルーツを思うとき、この無性に『苦痛』に魅了されている根本は『快感を予感』だったのではないかと思うのだ。
でも、だから、だからこそ、わたしは那智さんを求める。
目を逸らしても逸らしても否応なく惹かれ、恐ろしい想像で持て余していた『快感の予感』を肯定し傷つけることなく叶えてくれるのは那智さんしかいないからだ。
情緒もへったくれもない被虐の快感への抗いようもない欲求を情緒たっぷりに叶えてくれる。
じつは、どうしても惹かれてしまっていたものを叶えてくえる後付けの絶対条件だからこそ、わたしは那智さんから離れられないのだ。
『那智さんが与えてくれる痛み』だからではなく『痛みを那智さんが与えてくれる』から那智さんじゃないとダメなのだ。
人によって被虐を求める理由は様々だろう。
わたしもいろいろな要素は折り重なっていまのわたしを作っているとは思うけど、純粋に『被虐のルーツは?』と問われれば『快感の予感』だったのではないかと思うのだ。
被虐で快感の予感していたものを那智さんで叶える。
性的快感の予感からスタートした被虐嗜好は、那智さんという人との間でそれ以外の要素も混ぜ合わせ、那智さんを求める結果になっている。
だから、わたしは那智さんに痛くしてほしい。
那智さん、また『適度に』酷いことしてくださいね(笑)。
続き物ではないけれど、これを踏まえて次からのエントリーを読んでいただくとうれしいです^^
<関連エントリー>
とりあえず、これ
否応なくマゾ
こそっと変態暴露してます
変態ご飯
それっぽいの集めてます
ごっこ遊び
罪作りなテレビ
根性棒
マゾの根っこ
で、ひとまとめで
惹かれ合う理由カテゴリ
「等式」感想です。等式は色々あるから愉しく真摯なのだと思うし、磨崖仏であるような「はちかまどさん」からもコメント頂き途方にくれております。この、エントリーの「針山」は研究宿題にしましょう。後日、発表論文になるかもしれません(笑)
「等式」感想です。りん子、ストンと私の心に落ちたよ(笑)この難しく、恥ずかしいテーマを書いたのは偉いね~♪ しかし、りん子は「痛みや苦しみ」の先は「快」を想像したのではなく、その先には何があるのだろうかと「考え、興味をもった」だけなのではないか?こう、創造するとおどろおどろしく、心の闇に入りそう。お互いに狂った欲望を許容出来て良かったねー。でも、突き詰めると底が無いな、適当な所で満足している俺をりん子は煽りたかったの?(笑)今度のデートはちょっと危険な感じがしない?性的嗜好なんて軽い感じではなく、執着、拘り、情念、何て言うことばが似合いそうで少し怖い。
りん子(^-^)煽ったつもりはありません!!(笑)とくに痛いことに関しては、最近那智さんのペースで新しい領域を見せられていて、それでいっぱいいっぱいなので満足していますから、しばらくはまたその領域をじわじわ知っていくだけで充分です。それだけで何年もかかりそうですし(笑)
カテゴリ、悩んだ。
でも、これはわたしにとって那智さんとの関係においても重要なことだと判断したので『惹かれ合う理由』にしました。
ちょっと系統の違うものになるかな。
意外と増えてる『惹かれ合う理由』^^;
小さい頃、よく自分をいろいろな物に当てはめて想像していた。
それもアニメのヒロインや絵本のお姫様ではなくて(それもあったけど)、残酷な目に遭う『物』たち。
母のお裁縫箱の中にある色とりどりの待ち針が刺さった針山。
ガスコンロにかけられしゅんしゅんを勢い良く湯気を吐き出す湯たんぽ。(当時、我が家はカネの湯たんぽを直火にかけていたのだ)
そうそう、窓際にかかっていたてるてる坊主にも。
その『物』だったらと、自分を当てはめるのだ。
あんなに針が刺さって痛いだろうな。
毎日毎日火で炙られたら熱いよね。
てるてる坊主だったら苦しいだろうな。
でも、針山は針を刺されるし、湯たんぽは焼かれるし、てるてる坊主は首を絞めるしかないのだ。
物に痛覚や感情があるわけないとわかっていながらも、痛覚や感情がある自分がそれになっていることを想像していた。
けして、『かわいそう』という客観視した想像ではなく、そんな状態に酔う感じとも違う。
ひたすら、苦痛を与えられる運命にある『物』が自分である想像に付きまとわれていた。
(身売りされるなど不幸の対象に人が加わるのは、たぶん、この後)
痛いよね、辛いよねと胸が締め付けられる思いの中にゾクゾクするようなえも言われぬ感情を持ちながら、母に頼まれて、毎晩、湯たんぽを用意していた。
多かれ少なかれ子どもの想像や行いは性的なものに結びつく傾向があると思うけど、わたしの場合は時代劇の拷問にゾクゾクしたり(これは割りとポピュラー?笑)、仮面ライダーごっこではいつも最後は殺される悪役をやりたがったり、お医者さんごっこではいつも患者役だったり(恥ずかしい!!)、【梅干しを握りつぶして】梅肉で手をぐちゃぐちゃに汚したり、これらはわたしのマゾ的資質だと思っているけど、この『苦痛の物』の想像も、おそらくそれだ。
性欲や従属や『女の子』や当然被虐やわたしを作る要素は様々だけど、苦痛に惹かれることを被虐嗜好というならば、その種だったのではないかと思う。
これが性的なものを結びつくとまったく理解はしていなかったけど、とにかく惹かれて、怖くて目をそらし、また覗き込む、あの絶望と苦痛のゾクゾクは快感と密接した感覚だったからだ。
成長するにつれ、自分の性的興味や性欲を目の当たりにし、モヤモヤしたものはマゾやMと呼ばれる性癖なのだと知っていき、『O孃の物語』や『トパーズ』や『寿司とマヨネーズ』などを読み、支配と服従などの言葉を目にしていくうちに、そうか『相手』がいるものなのだと理解していく。
何度かの旅を経て、わたしの様々な要素が混ざりあった塊を満たすにはその『相手』こそ重要なのだという答えに辿りつくのだ。
そして那智さんに出会った。
いまでは那智さん以外の人から苦痛を味わうなんて怖すぎて考えられないし、あれほどの痛みは愛し恋し信頼している那智さんだから快感に変換できるのだということは揺るぎない事実である。
その人の前でわんわん泣き甘え淫乱になれる安心感や解放感や快感は、痛みから生まれる貴重な産物だと理解している。
そして、愛情の確認にも欠かせないことがらにもなっている。
苦痛は、その貴重なものたちを作り出す重要なツールである。
反面。
那智さんから鞭で打ちまくられて泣き笑いするとき、わたしは安堵の涙を流しているのだ。
針山に湯たんぽに絶望しながら惹かれていたことが、針山にも湯たんぽにもならずに叶っている安堵の涙。
痛いのは痛い、泣くほど痛い(笑)
痛い自分がかわいそう!!
それらの涙とは別の涙。
この涙に触れるとき、わたしは、理由はわからないけど被虐行為に惹かれ、欲しているのだと認識するのだ。
わたしが被虐行為に惹かれていた少女の頃は加虐側の人物像や関係性も苦痛を与えられる理由も存在していなかった。
痛みを与えられることで自分を解放するとか、自分を罰するとか、何かの代償にしているのではなく。
ご主人様が与えてくれる痛みを受け入れるとか、パートナーが与えてくれる痛みだからとか、相手ありきではなく。
痛みと恐怖と絶望をすでに与えられている自分しかいなかった。
ただ苦痛を受ける立場に惹かれていた。
恐ろしいことだし、自分を傷つけることになるとわかっているのに魅了されてしかたなかった。
スタートは純粋に『苦痛の物』になることへの欲求だった。
この『苦痛の物』になることへの欲求は、おそらく、被虐行為で性的興奮を感じると本能的に予感していたのではないかと思う。
理由はわからないし、推測の域を出ないのだけど、針山や湯たんぽに感じいたゾクゾクする感覚は、性的興奮にとても近いからだ。
だから、わたしの被虐のルーツは『快感の予感』だと思い至る。
登場人物も苦痛を与えられる理由もなくただ被虐に惹かれていたのは『快感の予感』があったからではないかと思うのだ。
『快感』と断言はできないんだ。
いまだって痛み=即快感ではないわけだし、ただあれほど惹かれるのだから、そういう予感はあったのではないかなという推測です。
そして、被虐で感じると無意識に予感していた本能からはじまった『マゾ』は適切に与える人(那智さん)がいてはじめて幸福のもとに叶うと知り、その人から与えられるものだけを求めるようになったのだ。
いまでは被虐以外のたくさんのものをくれているので、もう、何事も那智さんじゃないと成立しないのは痛いほどわかっている。
しかし、那智さんであることは絶対的な条件ではあるけれど、じつは後付けの絶対条件なのだ。
よくM女さんのブログで『ご主人様が与えてくださる痛みだから』とか『痛みは罰する手段、解放する手段』というような言葉を目にする。
とても理解できる、わたしだって那智さんがくれるからいいのだし、快感や幸福を味わう手段でもある。
でも、自分の被虐のルーツを思うとき、この無性に『苦痛』に魅了されている根本は『快感を予感』だったのではないかと思うのだ。
でも、だから、だからこそ、わたしは那智さんを求める。
目を逸らしても逸らしても否応なく惹かれ、恐ろしい想像で持て余していた『快感の予感』を肯定し傷つけることなく叶えてくれるのは那智さんしかいないからだ。
情緒もへったくれもない被虐の快感への抗いようもない欲求を情緒たっぷりに叶えてくれる。
じつは、どうしても惹かれてしまっていたものを叶えてくえる後付けの絶対条件だからこそ、わたしは那智さんから離れられないのだ。
『那智さんが与えてくれる痛み』だからではなく『痛みを那智さんが与えてくれる』から那智さんじゃないとダメなのだ。
人によって被虐を求める理由は様々だろう。
わたしもいろいろな要素は折り重なっていまのわたしを作っているとは思うけど、純粋に『被虐のルーツは?』と問われれば『快感の予感』だったのではないかと思うのだ。
被虐で快感の予感していたものを那智さんで叶える。
性的快感の予感からスタートした被虐嗜好は、那智さんという人との間でそれ以外の要素も混ぜ合わせ、那智さんを求める結果になっている。
だから、わたしは那智さんに痛くしてほしい。
那智さん、また『適度に』酷いことしてくださいね(笑)。
続き物ではないけれど、これを踏まえて次からのエントリーを読んでいただくとうれしいです^^
<関連エントリー>
とりあえず、これ
否応なくマゾ
こそっと変態暴露してます
変態ご飯
それっぽいの集めてます
ごっこ遊び
罪作りなテレビ
根性棒
マゾの根っこ
で、ひとまとめで
惹かれ合う理由カテゴリ
「等式」感想です。等式は色々あるから愉しく真摯なのだと思うし、磨崖仏であるような「はちかまどさん」からもコメント頂き途方にくれております。この、エントリーの「針山」は研究宿題にしましょう。後日、発表論文になるかもしれません(笑)
「等式」感想です。りん子、ストンと私の心に落ちたよ(笑)この難しく、恥ずかしいテーマを書いたのは偉いね~♪ しかし、りん子は「痛みや苦しみ」の先は「快」を想像したのではなく、その先には何があるのだろうかと「考え、興味をもった」だけなのではないか?こう、創造するとおどろおどろしく、心の闇に入りそう。お互いに狂った欲望を許容出来て良かったねー。でも、突き詰めると底が無いな、適当な所で満足している俺をりん子は煽りたかったの?(笑)今度のデートはちょっと危険な感じがしない?性的嗜好なんて軽い感じではなく、執着、拘り、情念、何て言うことばが似合いそうで少し怖い。
りん子(^-^)煽ったつもりはありません!!(笑)とくに痛いことに関しては、最近那智さんのペースで新しい領域を見せられていて、それでいっぱいいっぱいなので満足していますから、しばらくはまたその領域をじわじわ知っていくだけで充分です。それだけで何年もかかりそうですし(笑)
ビンタ3発1
非日常的な日常
続き物ではありませんが、前エントリー『針山』からお読みいただければうれしいです。
もう何度も何度も経験してきた。
『女の性』や『モンスター』やいろいろな言葉で書いているわたしの厄介な塊。
生理のバイオリズム、性的欲求、精神的なダメージ、様々なことが引き金になって気持ちを不安定にし、那智さんに当たってしまいたくなる衝動と戦ってきたけど(実際、ぐずるけど^^;)、最近はどうやら概ね性的欲求が原因だろうと理解してきた。
テレクラに依存していた頃のように自分を傷つけることなくいられているのは那智さんに抱いてもらっているから。
だから、不足すると那智さんに向けちゃうんだけど、要するに、抱かれれば心が穏やかになるのだ。
その最中、本当に自分でも恐ろしいほど凶暴になる。
といっても、表に出るのはせいぜい那智さんにぐずぐずするくらいで治めているけど、内部ではもうひとりのわたしがところかまわず暴れまくっている。
「自分を男の中に投げ込め」と命令したり、いますぐ抱かない那智さんを傷つけろと指令したりするのだ。
あと何日したらお休みで抱いてくれるから、そのときは必ず可愛がってくれるから、安心して待っている、理性や感情ではちゃんと理解できているのに、性欲だけが言うことを聞いてくれない。
抱いてもらえば途端に落ち着く。
これを何度もくり返してきた。
もう何度目か。
一番最近この塊のときわたしはハッキリ自覚していた。
足りない、のだ。
そうはいってもほとんど一週間に一度抱いてもらい、たまには2週間に一度の場合もあるけど、それでもご飯だけでも時間を合わせて会えているのにも関わらず。
昨年秋から那智さんの懸案事項がいくつか重なり、そこから年末年始の忙しい時期に突入して『女の子の存続危機』なんて事態が起こり、なんとか落ち着いた春を迎えたと思ったら、今度は那智さんにとって人生最大級の懸案事項が勃発したりして、とにかく会っていつも通りの時間を過ごしながらも、やはり那智さんのテンションに影響が出るのはしかたのないことだったのかと思う。
最大級の懸案事項の話し合いが大半をしめたり、お昼からのお休みのときには『癒し』を重視したり、お仕事の手伝いにスイッチしたり、抱かれながらもそういう時間が多いと理性や感情は理解していても性欲のヤツだけは、どうにもこうにもダメなのだ。
そりゃあ、10年以上も付き合っていれば、最初のころのようなテンションは続かないよね。
体力と精力も衰えるし、こちらも女としてどんどん劣化していくし、それでも毎週セックスができる事実は尊いと思いつつも、一抹の寂しさも感じるのはたしかだ。
もうあんなふうに那智さんがわたしにあれもこれもしたいと思ってくれることはないのかな。
そうやって穏やかに緩やかに年相応のセックスで互いに満足していくようになっていくものなのだろうと頭ではわかっているけど、わたしの性欲のヤツだけがそう思えずにいるのだ。
去年那智さんが褒めてくれた洋服を着てみたり、よその人の性的な話題を出してみたり、ちょっとぐずってみたり、わざと引いてみたり、自分でも苦笑するほど涙ぐましい努力をしているのだ。
毎週セックスしているにも関わらず(ったく、どんだけ貪欲なんだよ、わたし 笑)
そんな中、那智さんが朝の「おはよう」を送るのを忘れた日があった。
感想は書いてくださっていたから通常のスケジュールで動いているはずなので、ただ単に忘れてしまったのだと推測できる。
人間ミスはあるので、忘れたことを責めるつもりはないのだけど、これが2週連続で起こった。
これもわたし自身はそれなりに理解をしているつもりだ。
そういうこともあると。
ただ、一事が万事性欲モンスターのヤツが急き立てる。
わたしを通して急き立てるものだから、わりと理詰めの性欲でなかなか厄介だ(笑)
那智さんは、昔、わたしが付き合ってきた男性と同じように、いつもわたしがニコニコ隣りにいると当たり前になっていませんか
もっとわたしに一生懸命になれ、そして、たくさんたくさん抱け、ううん、抱くだけじゃない、この女に変態的な性行為をしろ。
モンスターがわたしを通して必死に訴える。
そうだ、わたしは那智さんに抱いてもらうだけではなくて、いっぱいいろいろなことをしてほしいのだ。
セックスも加虐も変態行為も。
みるみると雲が晴れ光が差すように自分の欲の正体が見えてくる。
やっぱり、それかとため息をつきながら、一方で暴れるモンスターを抑え込む。
でも、先週やったよな(笑)
『おはおう』の送り忘れの謝罪や今後についての話しが済み、必要以上にわたしが食い下がるのは性欲のせいだと申告するわたしに対して、『頻度』で傾向と対策を考えようとしてくれる。
『那智さんのよいように』抱いてもらうことが大事なわたしたち、そして、那智さんは必ずわたしの幸せを考えて行動してくれると信じているわたしにとって、これを言うことは適切ではないのはわかっている。
だけど、もう伝えないわけにはいかない、わたしひとりでは抱えきれない。
努めて冷静に言葉を選んで告白した
那智さんがわたしを大切にしてくれていることはわかっています。
そして、忙しい時期や精神的余裕があればたくさん可愛がってくれることもわかっています。
いまは『たまたま』そうなんだって。
だから、これを伝えることはよくないことだとわかっているのですけど、那智さんのおっしゃる『頻度』が問題ではないように感じています
いえ、実際は週一度は大切なことではありますが
前回から今回のことではなくて、昨年から◯や◯、今年に入ってからの◯などが続いていて、那智さんはちゃんと抱いてくれていますけど、それがただセックスだけだったり、時間も短かったり(お仕事スイッチのときとかね^^;)、この数ヶ月間『足りない』のです
わたしにはあなたに抱いてもらうことはもちろん重要なことですが、情熱や行為の分量も重要なのです
涙がボロボロ出てくる。
もう、モンスター、こんなこと言いたくないよ、わたし。
性欲なんてなくなってしまえばいいのに。
わたし、けっこういい人だと思うのよ。
感情的にならないし、優しいし、でも、コイツがあるから手こずるわけで、なくなってしまえば那智さんを困らせないでいいのに。
わたしはただ那智さんの可愛いりん子でいたいだけなのに。
告白を終えたわたしに「よく話してくれたね」と那智さんは労ってくれた。
でも、それ以外に話しを広げることはしなかったから、傷ついていないだろうか、こんなことをいうわたしに引いていないだろうかと不安になってくるので、つい何かしらの言葉がほしくなり、促してみると
これに関して、俺は『聞いた』ことでとどめておくほうがいいだろ?
たしかにそうだ。
『足りない』ことにこれ以上スポットライトを当てることは、那智さんも逆に意識してしまう(意識したら『やらない』を選ぶ天の邪鬼さんだし^^)し、わたしもいらぬ期待を抱かないほうが穏やかだ。
不思議なもので気持ちを伝えるだけでひとまずは満足するもの、モンスターもホッとしたみたいで落ち着いてくれた。
そして、またいつも通り会う日を迎える。
<関連エントリー>
女という性 2 3 4 5
モンスター退治1 2 3 4 5 6
女の子存続の危機!
感性3
癒し重視やお仕事モード
ある日の記録3 4
続き物ではありませんが、前エントリー『針山』からお読みいただければうれしいです。
もう何度も何度も経験してきた。
『女の性』や『モンスター』やいろいろな言葉で書いているわたしの厄介な塊。
生理のバイオリズム、性的欲求、精神的なダメージ、様々なことが引き金になって気持ちを不安定にし、那智さんに当たってしまいたくなる衝動と戦ってきたけど(実際、ぐずるけど^^;)、最近はどうやら概ね性的欲求が原因だろうと理解してきた。
テレクラに依存していた頃のように自分を傷つけることなくいられているのは那智さんに抱いてもらっているから。
だから、不足すると那智さんに向けちゃうんだけど、要するに、抱かれれば心が穏やかになるのだ。
その最中、本当に自分でも恐ろしいほど凶暴になる。
といっても、表に出るのはせいぜい那智さんにぐずぐずするくらいで治めているけど、内部ではもうひとりのわたしがところかまわず暴れまくっている。
「自分を男の中に投げ込め」と命令したり、いますぐ抱かない那智さんを傷つけろと指令したりするのだ。
あと何日したらお休みで抱いてくれるから、そのときは必ず可愛がってくれるから、安心して待っている、理性や感情ではちゃんと理解できているのに、性欲だけが言うことを聞いてくれない。
抱いてもらえば途端に落ち着く。
これを何度もくり返してきた。
もう何度目か。
一番最近この塊のときわたしはハッキリ自覚していた。
足りない、のだ。
そうはいってもほとんど一週間に一度抱いてもらい、たまには2週間に一度の場合もあるけど、それでもご飯だけでも時間を合わせて会えているのにも関わらず。
昨年秋から那智さんの懸案事項がいくつか重なり、そこから年末年始の忙しい時期に突入して『女の子の存続危機』なんて事態が起こり、なんとか落ち着いた春を迎えたと思ったら、今度は那智さんにとって人生最大級の懸案事項が勃発したりして、とにかく会っていつも通りの時間を過ごしながらも、やはり那智さんのテンションに影響が出るのはしかたのないことだったのかと思う。
最大級の懸案事項の話し合いが大半をしめたり、お昼からのお休みのときには『癒し』を重視したり、お仕事の手伝いにスイッチしたり、抱かれながらもそういう時間が多いと理性や感情は理解していても性欲のヤツだけは、どうにもこうにもダメなのだ。
そりゃあ、10年以上も付き合っていれば、最初のころのようなテンションは続かないよね。
体力と精力も衰えるし、こちらも女としてどんどん劣化していくし、それでも毎週セックスができる事実は尊いと思いつつも、一抹の寂しさも感じるのはたしかだ。
もうあんなふうに那智さんがわたしにあれもこれもしたいと思ってくれることはないのかな。
そうやって穏やかに緩やかに年相応のセックスで互いに満足していくようになっていくものなのだろうと頭ではわかっているけど、わたしの性欲のヤツだけがそう思えずにいるのだ。
去年那智さんが褒めてくれた洋服を着てみたり、よその人の性的な話題を出してみたり、ちょっとぐずってみたり、わざと引いてみたり、自分でも苦笑するほど涙ぐましい努力をしているのだ。
毎週セックスしているにも関わらず(ったく、どんだけ貪欲なんだよ、わたし 笑)
そんな中、那智さんが朝の「おはよう」を送るのを忘れた日があった。
感想は書いてくださっていたから通常のスケジュールで動いているはずなので、ただ単に忘れてしまったのだと推測できる。
人間ミスはあるので、忘れたことを責めるつもりはないのだけど、これが2週連続で起こった。
これもわたし自身はそれなりに理解をしているつもりだ。
そういうこともあると。
ただ、一事が万事性欲モンスターのヤツが急き立てる。
わたしを通して急き立てるものだから、わりと理詰めの性欲でなかなか厄介だ(笑)
那智さんは、昔、わたしが付き合ってきた男性と同じように、いつもわたしがニコニコ隣りにいると当たり前になっていませんか
もっとわたしに一生懸命になれ、そして、たくさんたくさん抱け、ううん、抱くだけじゃない、この女に変態的な性行為をしろ。
モンスターがわたしを通して必死に訴える。
そうだ、わたしは那智さんに抱いてもらうだけではなくて、いっぱいいろいろなことをしてほしいのだ。
セックスも加虐も変態行為も。
みるみると雲が晴れ光が差すように自分の欲の正体が見えてくる。
やっぱり、それかとため息をつきながら、一方で暴れるモンスターを抑え込む。
でも、先週やったよな(笑)
『おはおう』の送り忘れの謝罪や今後についての話しが済み、必要以上にわたしが食い下がるのは性欲のせいだと申告するわたしに対して、『頻度』で傾向と対策を考えようとしてくれる。
『那智さんのよいように』抱いてもらうことが大事なわたしたち、そして、那智さんは必ずわたしの幸せを考えて行動してくれると信じているわたしにとって、これを言うことは適切ではないのはわかっている。
だけど、もう伝えないわけにはいかない、わたしひとりでは抱えきれない。
努めて冷静に言葉を選んで告白した
那智さんがわたしを大切にしてくれていることはわかっています。
そして、忙しい時期や精神的余裕があればたくさん可愛がってくれることもわかっています。
いまは『たまたま』そうなんだって。
だから、これを伝えることはよくないことだとわかっているのですけど、那智さんのおっしゃる『頻度』が問題ではないように感じています
いえ、実際は週一度は大切なことではありますが
前回から今回のことではなくて、昨年から◯や◯、今年に入ってからの◯などが続いていて、那智さんはちゃんと抱いてくれていますけど、それがただセックスだけだったり、時間も短かったり(お仕事スイッチのときとかね^^;)、この数ヶ月間『足りない』のです
わたしにはあなたに抱いてもらうことはもちろん重要なことですが、情熱や行為の分量も重要なのです
涙がボロボロ出てくる。
もう、モンスター、こんなこと言いたくないよ、わたし。
性欲なんてなくなってしまえばいいのに。
わたし、けっこういい人だと思うのよ。
感情的にならないし、優しいし、でも、コイツがあるから手こずるわけで、なくなってしまえば那智さんを困らせないでいいのに。
わたしはただ那智さんの可愛いりん子でいたいだけなのに。
告白を終えたわたしに「よく話してくれたね」と那智さんは労ってくれた。
でも、それ以外に話しを広げることはしなかったから、傷ついていないだろうか、こんなことをいうわたしに引いていないだろうかと不安になってくるので、つい何かしらの言葉がほしくなり、促してみると
これに関して、俺は『聞いた』ことでとどめておくほうがいいだろ?
たしかにそうだ。
『足りない』ことにこれ以上スポットライトを当てることは、那智さんも逆に意識してしまう(意識したら『やらない』を選ぶ天の邪鬼さんだし^^)し、わたしもいらぬ期待を抱かないほうが穏やかだ。
不思議なもので気持ちを伝えるだけでひとまずは満足するもの、モンスターもホッとしたみたいで落ち着いてくれた。
そして、またいつも通り会う日を迎える。
<関連エントリー>
女という性 2 3 4 5
モンスター退治1 2 3 4 5 6
女の子存続の危機!
感性3
癒し重視やお仕事モード
ある日の記録3 4
ビンタ3発2
非日常的な日常
前々エントリー『針山』と『ビンタ3発1』からお読みいただければうれしいです。
『足りない』と伝えてから、たしか一回はこのところと変わらないセックスだった。
まあ、お仕事上がってからの午後だったし、夜お気に入りのお店でご飯を食べる予定だったので、そちらに重点が置かれていたからということ、でも、伝えたあとはやっぱり心は軽くなるかな、とくに問題なかった(那智さんはもしかして意識的に普通にしてくれたのかもしれない)
その次の会う日。
この日も午後からだったから、やはり前回と同じテンションだろうと想像していた。
しかも、生理になってしまっていたし。
このところと同じ流れのセックス。
やはり、問題なく幸福を感じる。
途中、覆いかぶさっていた体をわたしごと起こし、包み込むように抱きかかえた。
指で唇をそっと叩く。
口を閉じる合図、ビンタだ。
とんとん、と二度ほど頬に手を当ててから
ばちん、ばちん、ばちん
左頬に3発。
どわっと涙が溢れる。
いやだ、わたし、これだけで泣くなんて。
これはよろこびと安堵の涙だ。
ここまで欲していたのかと、自分のマゾにため息がもれる。
続けて右頬、2発。
痛いし怖いのに、ただただよろこんでいる。
うれしくて、泣いている。
しゃくり上げていたら、頬を叩いた手が乳首に伸びる。
強い力で潰されてしごかれる。
生理で敏感になっている乳首は、それだけで充分に痛い。
ばんばんとベッドを叩きやり過ごそうとしても、いっこうに力は弱くならない
生理で痛いんです!!!!
痛みに途方にくれながら無駄な抵抗の訴え。
なんて幸福な無駄な抵抗だろう。
ツラいのに、わたしはこんなふうに途方に暮れながらツラさを受けたかったのだなと、小さい頃から何度も見てきた自分の深い欲望の塊が徐々にクリアになっていくのを感じていた。
たった数発のビンタだった。
とんでもない痛みでもなく、痴人状態になるほどでもなく、快感にさえなっていない。
ただわずかな時間の痛いことだけだった。
それで涙が出るほどうれしくて、求めていたものをもらえて安堵しているのだ。
当然、那智さんがしてくれないとこうはならない。
だけど、日頃、『那智さんがしたいと思う情熱が一番大事』や『痛みであの世界に行くのがいい』など、じつは、わたし自身『誰か』や『理由』を被虐行為につけ加えることで、美しくラッピングをして正体から目を逸らしてきたのではないだろうか。
那智さんであることは絶対条件だけど、もしかしたら、那智さんであれば、そこに理由なんて必要ないのかもしれない。
サディスティックな欲望や情熱なんてなくても『痛くしたらよろこぶからね〜』くらいの簡単な理由で、ビンタ3発の簡単な行為でも、欲しいのだ。
理由はわからない、でも、どうやら、わたしはただ被虐で感じたい女のようなのだ。
わたしの森にはたくさんの木があって、その中のひとつに被虐があった。
節が凸凹だったり、もしかしたら漆みたいに触るとかぶれる厄介なものだったかもしれないけど、那智さんがキレイにカンナをかけ木材にして、他の従属や『女の子』や日頃のりん子や、たくさんの木を集めて家を建てたのだ。
もとはわたしの森にあったわたしの木だったけど、那智さんがいてはじめて完成した『わたし』、そんなイメージ。
那智さんがいないと完成しないのだけど、被虐の木はたしかに存在していた。
あれほど困惑していたモンスターがビンタ数発で大喜びしているのを実感して『針山』を書かせた。
そんなものを抱えている女と自覚している身として精神だけをすばらしいもの謳う世論(?)に疑問を投げかけたくて『からだ。』を書いた。
(だからね、案外、信憑性あると思うのよ^^)
被虐を求める『理由』や『人物』のラッピングを剥がすことはあまり心地よいものではなかった。
『快感の予感』がルーツだなんて、ブログで見聞きするSMや主従関係の方たちからしたら不出来な女だもの(笑)
那智さんにSMを意識するなと言われていても、やっぱりちょっとは共感し合いたいものだしね(笑)
ただわたしはそういう女だと、もうイヤというほど感じてきたから手放しで容認することにしようと思う。
そして、ただ那智さんがしてくれることを素直に受け取る。
優しい抱擁や激しいセックスや甘い変態行為を。
素直に待っていれば、じゅんぐり、また巡ってくるから(笑)
で、次回は待っていればじゅんぐり巡ってきた日のお話を^^
おわり^^
「等式」感想です。りん子偉いね~(笑)感想キーワードは2つ「被虐で感じたい女」「じゅんぐり」だよね、「○○したい」は「好き嫌い」に近い感情だと思うので叶えてあげたい気もする。愛したいるが大前提にあるが、飽きないもとても大事。
能動的立場の私は毎回違うバリエーションで接待(笑)しているつもりだし、飽きた感覚が微塵もないのでそれが証拠だとも思う。だから、どうしても何が一番大事か考えてしまう。1愛し合うこと2飽きない事3気持ち良い事。深く考えないで書いているが。好きなら単純に叶えてあげたいとも思う。(笑)
りん子(^-^)感想を読む限り、那智さんの中のサディスティックな欲望が少しも感じられない。SMを意識せずにできることの幸福は理解するけど、小さい頃から持っていた性的嗜好までなくなってしまうものなのかと不思議に思うくらいに、ない(笑)これについてはただいまインタビュー中(笑)
前々エントリー『針山』と『ビンタ3発1』からお読みいただければうれしいです。
『足りない』と伝えてから、たしか一回はこのところと変わらないセックスだった。
まあ、お仕事上がってからの午後だったし、夜お気に入りのお店でご飯を食べる予定だったので、そちらに重点が置かれていたからということ、でも、伝えたあとはやっぱり心は軽くなるかな、とくに問題なかった(那智さんはもしかして意識的に普通にしてくれたのかもしれない)
その次の会う日。
この日も午後からだったから、やはり前回と同じテンションだろうと想像していた。
しかも、生理になってしまっていたし。
このところと同じ流れのセックス。
やはり、問題なく幸福を感じる。
途中、覆いかぶさっていた体をわたしごと起こし、包み込むように抱きかかえた。
指で唇をそっと叩く。
口を閉じる合図、ビンタだ。
とんとん、と二度ほど頬に手を当ててから
ばちん、ばちん、ばちん
左頬に3発。
どわっと涙が溢れる。
いやだ、わたし、これだけで泣くなんて。
これはよろこびと安堵の涙だ。
ここまで欲していたのかと、自分のマゾにため息がもれる。
続けて右頬、2発。
痛いし怖いのに、ただただよろこんでいる。
うれしくて、泣いている。
しゃくり上げていたら、頬を叩いた手が乳首に伸びる。
強い力で潰されてしごかれる。
生理で敏感になっている乳首は、それだけで充分に痛い。
ばんばんとベッドを叩きやり過ごそうとしても、いっこうに力は弱くならない
生理で痛いんです!!!!
痛みに途方にくれながら無駄な抵抗の訴え。
なんて幸福な無駄な抵抗だろう。
ツラいのに、わたしはこんなふうに途方に暮れながらツラさを受けたかったのだなと、小さい頃から何度も見てきた自分の深い欲望の塊が徐々にクリアになっていくのを感じていた。
たった数発のビンタだった。
とんでもない痛みでもなく、痴人状態になるほどでもなく、快感にさえなっていない。
ただわずかな時間の痛いことだけだった。
それで涙が出るほどうれしくて、求めていたものをもらえて安堵しているのだ。
当然、那智さんがしてくれないとこうはならない。
だけど、日頃、『那智さんがしたいと思う情熱が一番大事』や『痛みであの世界に行くのがいい』など、じつは、わたし自身『誰か』や『理由』を被虐行為につけ加えることで、美しくラッピングをして正体から目を逸らしてきたのではないだろうか。
那智さんであることは絶対条件だけど、もしかしたら、那智さんであれば、そこに理由なんて必要ないのかもしれない。
サディスティックな欲望や情熱なんてなくても『痛くしたらよろこぶからね〜』くらいの簡単な理由で、ビンタ3発の簡単な行為でも、欲しいのだ。
理由はわからない、でも、どうやら、わたしはただ被虐で感じたい女のようなのだ。
わたしの森にはたくさんの木があって、その中のひとつに被虐があった。
節が凸凹だったり、もしかしたら漆みたいに触るとかぶれる厄介なものだったかもしれないけど、那智さんがキレイにカンナをかけ木材にして、他の従属や『女の子』や日頃のりん子や、たくさんの木を集めて家を建てたのだ。
もとはわたしの森にあったわたしの木だったけど、那智さんがいてはじめて完成した『わたし』、そんなイメージ。
那智さんがいないと完成しないのだけど、被虐の木はたしかに存在していた。
あれほど困惑していたモンスターがビンタ数発で大喜びしているのを実感して『針山』を書かせた。
そんなものを抱えている女と自覚している身として精神だけをすばらしいもの謳う世論(?)に疑問を投げかけたくて『からだ。』を書いた。
(だからね、案外、信憑性あると思うのよ^^)
被虐を求める『理由』や『人物』のラッピングを剥がすことはあまり心地よいものではなかった。
『快感の予感』がルーツだなんて、ブログで見聞きするSMや主従関係の方たちからしたら不出来な女だもの(笑)
那智さんにSMを意識するなと言われていても、やっぱりちょっとは共感し合いたいものだしね(笑)
ただわたしはそういう女だと、もうイヤというほど感じてきたから手放しで容認することにしようと思う。
そして、ただ那智さんがしてくれることを素直に受け取る。
優しい抱擁や激しいセックスや甘い変態行為を。
素直に待っていれば、じゅんぐり、また巡ってくるから(笑)
で、次回は待っていればじゅんぐり巡ってきた日のお話を^^
おわり^^
「等式」感想です。りん子偉いね~(笑)感想キーワードは2つ「被虐で感じたい女」「じゅんぐり」だよね、「○○したい」は「好き嫌い」に近い感情だと思うので叶えてあげたい気もする。愛したいるが大前提にあるが、飽きないもとても大事。
能動的立場の私は毎回違うバリエーションで接待(笑)しているつもりだし、飽きた感覚が微塵もないのでそれが証拠だとも思う。だから、どうしても何が一番大事か考えてしまう。1愛し合うこと2飽きない事3気持ち良い事。深く考えないで書いているが。好きなら単純に叶えてあげたいとも思う。(笑)
りん子(^-^)感想を読む限り、那智さんの中のサディスティックな欲望が少しも感じられない。SMを意識せずにできることの幸福は理解するけど、小さい頃から持っていた性的嗜好までなくなってしまうものなのかと不思議に思うくらいに、ない(笑)これについてはただいまインタビュー中(笑)