針山
惹かれ合う理由
カテゴリ、悩んだ。
でも、これはわたしにとって那智さんとの関係においても重要なことだと判断したので『惹かれ合う理由』にしました。
ちょっと系統の違うものになるかな。
意外と増えてる『惹かれ合う理由』^^;
小さい頃、よく自分をいろいろな物に当てはめて想像していた。
それもアニメのヒロインや絵本のお姫様ではなくて(それもあったけど)、残酷な目に遭う『物』たち。
母のお裁縫箱の中にある色とりどりの待ち針が刺さった針山。
ガスコンロにかけられしゅんしゅんを勢い良く湯気を吐き出す湯たんぽ。(当時、我が家はカネの湯たんぽを直火にかけていたのだ)
そうそう、窓際にかかっていたてるてる坊主にも。
その『物』だったらと、自分を当てはめるのだ。
あんなに針が刺さって痛いだろうな。
毎日毎日火で炙られたら熱いよね。
てるてる坊主だったら苦しいだろうな。
でも、針山は針を刺されるし、湯たんぽは焼かれるし、てるてる坊主は首を絞めるしかないのだ。
物に痛覚や感情があるわけないとわかっていながらも、痛覚や感情がある自分がそれになっていることを想像していた。
けして、『かわいそう』という客観視した想像ではなく、そんな状態に酔う感じとも違う。
ひたすら、苦痛を与えられる運命にある『物』が自分である想像に付きまとわれていた。
(身売りされるなど不幸の対象に人が加わるのは、たぶん、この後)
痛いよね、辛いよねと胸が締め付けられる思いの中にゾクゾクするようなえも言われぬ感情を持ちながら、母に頼まれて、毎晩、湯たんぽを用意していた。
多かれ少なかれ子どもの想像や行いは性的なものに結びつく傾向があると思うけど、わたしの場合は時代劇の拷問にゾクゾクしたり(これは割りとポピュラー?笑)、仮面ライダーごっこではいつも最後は殺される悪役をやりたがったり、お医者さんごっこではいつも患者役だったり(恥ずかしい!!)、【梅干しを握りつぶして】梅肉で手をぐちゃぐちゃに汚したり、これらはわたしのマゾ的資質だと思っているけど、この『苦痛の物』の想像も、おそらくそれだ。
性欲や従属や『女の子』や当然被虐やわたしを作る要素は様々だけど、苦痛に惹かれることを被虐嗜好というならば、その種だったのではないかと思う。
これが性的なものを結びつくとまったく理解はしていなかったけど、とにかく惹かれて、怖くて目をそらし、また覗き込む、あの絶望と苦痛のゾクゾクは快感と密接した感覚だったからだ。
成長するにつれ、自分の性的興味や性欲を目の当たりにし、モヤモヤしたものはマゾやMと呼ばれる性癖なのだと知っていき、『O孃の物語』や『トパーズ』や『寿司とマヨネーズ』などを読み、支配と服従などの言葉を目にしていくうちに、そうか『相手』がいるものなのだと理解していく。
何度かの旅を経て、わたしの様々な要素が混ざりあった塊を満たすにはその『相手』こそ重要なのだという答えに辿りつくのだ。
そして那智さんに出会った。
いまでは那智さん以外の人から苦痛を味わうなんて怖すぎて考えられないし、あれほどの痛みは愛し恋し信頼している那智さんだから快感に変換できるのだということは揺るぎない事実である。
その人の前でわんわん泣き甘え淫乱になれる安心感や解放感や快感は、痛みから生まれる貴重な産物だと理解している。
そして、愛情の確認にも欠かせないことがらにもなっている。
苦痛は、その貴重なものたちを作り出す重要なツールである。
反面。
那智さんから鞭で打ちまくられて泣き笑いするとき、わたしは安堵の涙を流しているのだ。
針山に湯たんぽに絶望しながら惹かれていたことが、針山にも湯たんぽにもならずに叶っている安堵の涙。
痛いのは痛い、泣くほど痛い(笑)
痛い自分がかわいそう!!
それらの涙とは別の涙。
この涙に触れるとき、わたしは、理由はわからないけど被虐行為に惹かれ、欲しているのだと認識するのだ。
わたしが被虐行為に惹かれていた少女の頃は加虐側の人物像や関係性も苦痛を与えられる理由も存在していなかった。
痛みを与えられることで自分を解放するとか、自分を罰するとか、何かの代償にしているのではなく。
ご主人様が与えてくれる痛みを受け入れるとか、パートナーが与えてくれる痛みだからとか、相手ありきではなく。
痛みと恐怖と絶望をすでに与えられている自分しかいなかった。
ただ苦痛を受ける立場に惹かれていた。
恐ろしいことだし、自分を傷つけることになるとわかっているのに魅了されてしかたなかった。
スタートは純粋に『苦痛の物』になることへの欲求だった。
この『苦痛の物』になることへの欲求は、おそらく、被虐行為で性的興奮を感じると本能的に予感していたのではないかと思う。
理由はわからないし、推測の域を出ないのだけど、針山や湯たんぽに感じいたゾクゾクする感覚は、性的興奮にとても近いからだ。
だから、わたしの被虐のルーツは『快感の予感』だと思い至る。
登場人物も苦痛を与えられる理由もなくただ被虐に惹かれていたのは『快感の予感』があったからではないかと思うのだ。
『快感』と断言はできないんだ。
いまだって痛み=即快感ではないわけだし、ただあれほど惹かれるのだから、そういう予感はあったのではないかなという推測です。
そして、被虐で感じると無意識に予感していた本能からはじまった『マゾ』は適切に与える人(那智さん)がいてはじめて幸福のもとに叶うと知り、その人から与えられるものだけを求めるようになったのだ。
いまでは被虐以外のたくさんのものをくれているので、もう、何事も那智さんじゃないと成立しないのは痛いほどわかっている。
しかし、那智さんであることは絶対的な条件ではあるけれど、じつは後付けの絶対条件なのだ。
よくM女さんのブログで『ご主人様が与えてくださる痛みだから』とか『痛みは罰する手段、解放する手段』というような言葉を目にする。
とても理解できる、わたしだって那智さんがくれるからいいのだし、快感や幸福を味わう手段でもある。
でも、自分の被虐のルーツを思うとき、この無性に『苦痛』に魅了されている根本は『快感を予感』だったのではないかと思うのだ。
でも、だから、だからこそ、わたしは那智さんを求める。
目を逸らしても逸らしても否応なく惹かれ、恐ろしい想像で持て余していた『快感の予感』を肯定し傷つけることなく叶えてくれるのは那智さんしかいないからだ。
情緒もへったくれもない被虐の快感への抗いようもない欲求を情緒たっぷりに叶えてくれる。
じつは、どうしても惹かれてしまっていたものを叶えてくえる後付けの絶対条件だからこそ、わたしは那智さんから離れられないのだ。
『那智さんが与えてくれる痛み』だからではなく『痛みを那智さんが与えてくれる』から那智さんじゃないとダメなのだ。
人によって被虐を求める理由は様々だろう。
わたしもいろいろな要素は折り重なっていまのわたしを作っているとは思うけど、純粋に『被虐のルーツは?』と問われれば『快感の予感』だったのではないかと思うのだ。
被虐で快感の予感していたものを那智さんで叶える。
性的快感の予感からスタートした被虐嗜好は、那智さんという人との間でそれ以外の要素も混ぜ合わせ、那智さんを求める結果になっている。
だから、わたしは那智さんに痛くしてほしい。
那智さん、また『適度に』酷いことしてくださいね(笑)。
続き物ではないけれど、これを踏まえて次からのエントリーを読んでいただくとうれしいです^^
<関連エントリー>
とりあえず、これ
否応なくマゾ
こそっと変態暴露してます
変態ご飯
それっぽいの集めてます
ごっこ遊び
罪作りなテレビ
根性棒
マゾの根っこ
で、ひとまとめで
惹かれ合う理由カテゴリ
「等式」感想です。等式は色々あるから愉しく真摯なのだと思うし、磨崖仏であるような「はちかまどさん」からもコメント頂き途方にくれております。この、エントリーの「針山」は研究宿題にしましょう。後日、発表論文になるかもしれません(笑)
「等式」感想です。りん子、ストンと私の心に落ちたよ(笑)この難しく、恥ずかしいテーマを書いたのは偉いね~♪ しかし、りん子は「痛みや苦しみ」の先は「快」を想像したのではなく、その先には何があるのだろうかと「考え、興味をもった」だけなのではないか?こう、創造するとおどろおどろしく、心の闇に入りそう。お互いに狂った欲望を許容出来て良かったねー。でも、突き詰めると底が無いな、適当な所で満足している俺をりん子は煽りたかったの?(笑)今度のデートはちょっと危険な感じがしない?性的嗜好なんて軽い感じではなく、執着、拘り、情念、何て言うことばが似合いそうで少し怖い。
りん子(^-^)煽ったつもりはありません!!(笑)とくに痛いことに関しては、最近那智さんのペースで新しい領域を見せられていて、それでいっぱいいっぱいなので満足していますから、しばらくはまたその領域をじわじわ知っていくだけで充分です。それだけで何年もかかりそうですし(笑)
カテゴリ、悩んだ。
でも、これはわたしにとって那智さんとの関係においても重要なことだと判断したので『惹かれ合う理由』にしました。
ちょっと系統の違うものになるかな。
意外と増えてる『惹かれ合う理由』^^;
小さい頃、よく自分をいろいろな物に当てはめて想像していた。
それもアニメのヒロインや絵本のお姫様ではなくて(それもあったけど)、残酷な目に遭う『物』たち。
母のお裁縫箱の中にある色とりどりの待ち針が刺さった針山。
ガスコンロにかけられしゅんしゅんを勢い良く湯気を吐き出す湯たんぽ。(当時、我が家はカネの湯たんぽを直火にかけていたのだ)
そうそう、窓際にかかっていたてるてる坊主にも。
その『物』だったらと、自分を当てはめるのだ。
あんなに針が刺さって痛いだろうな。
毎日毎日火で炙られたら熱いよね。
てるてる坊主だったら苦しいだろうな。
でも、針山は針を刺されるし、湯たんぽは焼かれるし、てるてる坊主は首を絞めるしかないのだ。
物に痛覚や感情があるわけないとわかっていながらも、痛覚や感情がある自分がそれになっていることを想像していた。
けして、『かわいそう』という客観視した想像ではなく、そんな状態に酔う感じとも違う。
ひたすら、苦痛を与えられる運命にある『物』が自分である想像に付きまとわれていた。
(身売りされるなど不幸の対象に人が加わるのは、たぶん、この後)
痛いよね、辛いよねと胸が締め付けられる思いの中にゾクゾクするようなえも言われぬ感情を持ちながら、母に頼まれて、毎晩、湯たんぽを用意していた。
多かれ少なかれ子どもの想像や行いは性的なものに結びつく傾向があると思うけど、わたしの場合は時代劇の拷問にゾクゾクしたり(これは割りとポピュラー?笑)、仮面ライダーごっこではいつも最後は殺される悪役をやりたがったり、お医者さんごっこではいつも患者役だったり(恥ずかしい!!)、【梅干しを握りつぶして】梅肉で手をぐちゃぐちゃに汚したり、これらはわたしのマゾ的資質だと思っているけど、この『苦痛の物』の想像も、おそらくそれだ。
性欲や従属や『女の子』や当然被虐やわたしを作る要素は様々だけど、苦痛に惹かれることを被虐嗜好というならば、その種だったのではないかと思う。
これが性的なものを結びつくとまったく理解はしていなかったけど、とにかく惹かれて、怖くて目をそらし、また覗き込む、あの絶望と苦痛のゾクゾクは快感と密接した感覚だったからだ。
成長するにつれ、自分の性的興味や性欲を目の当たりにし、モヤモヤしたものはマゾやMと呼ばれる性癖なのだと知っていき、『O孃の物語』や『トパーズ』や『寿司とマヨネーズ』などを読み、支配と服従などの言葉を目にしていくうちに、そうか『相手』がいるものなのだと理解していく。
何度かの旅を経て、わたしの様々な要素が混ざりあった塊を満たすにはその『相手』こそ重要なのだという答えに辿りつくのだ。
そして那智さんに出会った。
いまでは那智さん以外の人から苦痛を味わうなんて怖すぎて考えられないし、あれほどの痛みは愛し恋し信頼している那智さんだから快感に変換できるのだということは揺るぎない事実である。
その人の前でわんわん泣き甘え淫乱になれる安心感や解放感や快感は、痛みから生まれる貴重な産物だと理解している。
そして、愛情の確認にも欠かせないことがらにもなっている。
苦痛は、その貴重なものたちを作り出す重要なツールである。
反面。
那智さんから鞭で打ちまくられて泣き笑いするとき、わたしは安堵の涙を流しているのだ。
針山に湯たんぽに絶望しながら惹かれていたことが、針山にも湯たんぽにもならずに叶っている安堵の涙。
痛いのは痛い、泣くほど痛い(笑)
痛い自分がかわいそう!!
それらの涙とは別の涙。
この涙に触れるとき、わたしは、理由はわからないけど被虐行為に惹かれ、欲しているのだと認識するのだ。
わたしが被虐行為に惹かれていた少女の頃は加虐側の人物像や関係性も苦痛を与えられる理由も存在していなかった。
痛みを与えられることで自分を解放するとか、自分を罰するとか、何かの代償にしているのではなく。
ご主人様が与えてくれる痛みを受け入れるとか、パートナーが与えてくれる痛みだからとか、相手ありきではなく。
痛みと恐怖と絶望をすでに与えられている自分しかいなかった。
ただ苦痛を受ける立場に惹かれていた。
恐ろしいことだし、自分を傷つけることになるとわかっているのに魅了されてしかたなかった。
スタートは純粋に『苦痛の物』になることへの欲求だった。
この『苦痛の物』になることへの欲求は、おそらく、被虐行為で性的興奮を感じると本能的に予感していたのではないかと思う。
理由はわからないし、推測の域を出ないのだけど、針山や湯たんぽに感じいたゾクゾクする感覚は、性的興奮にとても近いからだ。
だから、わたしの被虐のルーツは『快感の予感』だと思い至る。
登場人物も苦痛を与えられる理由もなくただ被虐に惹かれていたのは『快感の予感』があったからではないかと思うのだ。
『快感』と断言はできないんだ。
いまだって痛み=即快感ではないわけだし、ただあれほど惹かれるのだから、そういう予感はあったのではないかなという推測です。
そして、被虐で感じると無意識に予感していた本能からはじまった『マゾ』は適切に与える人(那智さん)がいてはじめて幸福のもとに叶うと知り、その人から与えられるものだけを求めるようになったのだ。
いまでは被虐以外のたくさんのものをくれているので、もう、何事も那智さんじゃないと成立しないのは痛いほどわかっている。
しかし、那智さんであることは絶対的な条件ではあるけれど、じつは後付けの絶対条件なのだ。
よくM女さんのブログで『ご主人様が与えてくださる痛みだから』とか『痛みは罰する手段、解放する手段』というような言葉を目にする。
とても理解できる、わたしだって那智さんがくれるからいいのだし、快感や幸福を味わう手段でもある。
でも、自分の被虐のルーツを思うとき、この無性に『苦痛』に魅了されている根本は『快感を予感』だったのではないかと思うのだ。
でも、だから、だからこそ、わたしは那智さんを求める。
目を逸らしても逸らしても否応なく惹かれ、恐ろしい想像で持て余していた『快感の予感』を肯定し傷つけることなく叶えてくれるのは那智さんしかいないからだ。
情緒もへったくれもない被虐の快感への抗いようもない欲求を情緒たっぷりに叶えてくれる。
じつは、どうしても惹かれてしまっていたものを叶えてくえる後付けの絶対条件だからこそ、わたしは那智さんから離れられないのだ。
『那智さんが与えてくれる痛み』だからではなく『痛みを那智さんが与えてくれる』から那智さんじゃないとダメなのだ。
人によって被虐を求める理由は様々だろう。
わたしもいろいろな要素は折り重なっていまのわたしを作っているとは思うけど、純粋に『被虐のルーツは?』と問われれば『快感の予感』だったのではないかと思うのだ。
被虐で快感の予感していたものを那智さんで叶える。
性的快感の予感からスタートした被虐嗜好は、那智さんという人との間でそれ以外の要素も混ぜ合わせ、那智さんを求める結果になっている。
だから、わたしは那智さんに痛くしてほしい。
那智さん、また『適度に』酷いことしてくださいね(笑)。
続き物ではないけれど、これを踏まえて次からのエントリーを読んでいただくとうれしいです^^
<関連エントリー>
とりあえず、これ
否応なくマゾ
こそっと変態暴露してます
変態ご飯
それっぽいの集めてます
ごっこ遊び
罪作りなテレビ
根性棒
マゾの根っこ
で、ひとまとめで
惹かれ合う理由カテゴリ
「等式」感想です。等式は色々あるから愉しく真摯なのだと思うし、磨崖仏であるような「はちかまどさん」からもコメント頂き途方にくれております。この、エントリーの「針山」は研究宿題にしましょう。後日、発表論文になるかもしれません(笑)
「等式」感想です。りん子、ストンと私の心に落ちたよ(笑)この難しく、恥ずかしいテーマを書いたのは偉いね~♪ しかし、りん子は「痛みや苦しみ」の先は「快」を想像したのではなく、その先には何があるのだろうかと「考え、興味をもった」だけなのではないか?こう、創造するとおどろおどろしく、心の闇に入りそう。お互いに狂った欲望を許容出来て良かったねー。でも、突き詰めると底が無いな、適当な所で満足している俺をりん子は煽りたかったの?(笑)今度のデートはちょっと危険な感じがしない?性的嗜好なんて軽い感じではなく、執着、拘り、情念、何て言うことばが似合いそうで少し怖い。
りん子(^-^)煽ったつもりはありません!!(笑)とくに痛いことに関しては、最近那智さんのペースで新しい領域を見せられていて、それでいっぱいいっぱいなので満足していますから、しばらくはまたその領域をじわじわ知っていくだけで充分です。それだけで何年もかかりそうですし(笑)
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COMMENT
ずいぶん前からであるものの、思い出したようにしか読んでいない不良読者です。
不意に浮上する失礼をお許しを。
何はどうあれ、生まれついたもの(苦痛被虐)は、付き合うしかないと、覚悟を決める事が出来たのも、
その性癖を解き放ってもいいのだと、感じることが出来たのも、
那智さんの存在が大きかったのだとお見受けします。
合理的な説明も出来ず、公にすればマイナス評価を受ける事が、自分の中に核のごとくに存在することは、それだけでも、何故に私に?という疑問を持つでしょう。ましてやマゾを満たすということは、不幸になる可能性が高い。
それを逃げずに、フラットに認め、解き放つことの難しさ。
逆説的な言い方になりますが、りん子さんと那智さんの努力や資質もさることながら、二人が出会った奇跡に乾杯。
神様は、時に、残酷で味なことをやってくれますね。
私も彼に翻弄されている一員(苦痛加虐)。
苦痛被虐が存在することに、欲情は当然ですが、
自分を照らすものがあるというのは、大いなる力。安堵すら覚えます。
ですので、存在理由など何でもいい、
とにかく存在して、解き放て!と言ったら、乱暴すぎるかな。(笑)
不意に浮上する失礼をお許しを。
何はどうあれ、生まれついたもの(苦痛被虐)は、付き合うしかないと、覚悟を決める事が出来たのも、
その性癖を解き放ってもいいのだと、感じることが出来たのも、
那智さんの存在が大きかったのだとお見受けします。
合理的な説明も出来ず、公にすればマイナス評価を受ける事が、自分の中に核のごとくに存在することは、それだけでも、何故に私に?という疑問を持つでしょう。ましてやマゾを満たすということは、不幸になる可能性が高い。
それを逃げずに、フラットに認め、解き放つことの難しさ。
逆説的な言い方になりますが、りん子さんと那智さんの努力や資質もさることながら、二人が出会った奇跡に乾杯。
神様は、時に、残酷で味なことをやってくれますね。
私も彼に翻弄されている一員(苦痛加虐)。
苦痛被虐が存在することに、欲情は当然ですが、
自分を照らすものがあるというのは、大いなる力。安堵すら覚えます。
ですので、存在理由など何でもいい、
とにかく存在して、解き放て!と言ったら、乱暴すぎるかな。(笑)
はちかまどさん
は、は、はちかまどさん!!
おひさしぶりです。
なんでしょ、このラスボス感は!?(笑)
人を作る要素はひとつではないのですが、わたしにとってこの部分はそれなりに大きく厄介なものでした。
ただ、ここだけなんとかすればいいってものじゃなかったので、ホントに那智さんであることはかなり大事ではあります。
そんなに粗悪品ではないつもりだけど、けっこうメンテナンスが面倒みたいなので^^;
被虐と安堵なんてベクトルが違うようなものなのに、わたしは何度も安堵を感じています。
自分のそれに名前がついていたんだって知ったとき。
他にもいるんだって知ったとき。
はじめて縛られたとき。
そして、那智さんに酷いことをされているとき。
加虐側さんからも『安堵』の言葉が出るんだなって思うと、SもMもただの人で、だからこそいいんだよねって感じました^^
存在していいんだ、で、解き放っていいのか〜!?心強いお言葉ありがとうございました。
(すでにだいぶ放っているけど 笑)
は、は、はちかまどさん!!
おひさしぶりです。
なんでしょ、このラスボス感は!?(笑)
人を作る要素はひとつではないのですが、わたしにとってこの部分はそれなりに大きく厄介なものでした。
ただ、ここだけなんとかすればいいってものじゃなかったので、ホントに那智さんであることはかなり大事ではあります。
そんなに粗悪品ではないつもりだけど、けっこうメンテナンスが面倒みたいなので^^;
被虐と安堵なんてベクトルが違うようなものなのに、わたしは何度も安堵を感じています。
自分のそれに名前がついていたんだって知ったとき。
他にもいるんだって知ったとき。
はじめて縛られたとき。
そして、那智さんに酷いことをされているとき。
加虐側さんからも『安堵』の言葉が出るんだなって思うと、SもMもただの人で、だからこそいいんだよねって感じました^^
存在していいんだ、で、解き放っていいのか〜!?心強いお言葉ありがとうございました。
(すでにだいぶ放っているけど 笑)