『等式』の意味
独り言
ブログを変更するにあたってタイトルとHNも変えることにした。
名前って、とても思い入れがあるという一方で、実はただの記号だという感覚もある。
もちろん慣れ親しんだものを手放すのはとても名残惜しい気持ちはあったけど、今回のわたしたちにとっては思い入れを重視するつもりはなかった。
それよりもサクッと決めて作業を開始して、一日でも早くブログを再開するほうを優先した。
だからHNはお気に入りの記号を見つければよかった。
多少悩んだけれど、前回同様、サクッと決めて作業をはじめられた。
タイトルだって考えようによってはただの記号なんだけど、でも、これがとても困った。
前タイトルは自分でいうのもなんだけどものすごく気に入っていて、わたしたちを表すもっとも適した言葉だったと思っているからだ。
大好きだったし、ああ違うな、愛していたな(笑)
あれ以上愛せるタイトルを見つけることは、ホントに難しかった。
タイトルを考え出してかなり最初のころ那智さんはこう言った。
あれより良いものにしようと思うことはやめよう。
違う土俵から考えるようにしたらどうだろう。
薬指はわたしたちを表すもの。
じゃあ、わたしたちの関係を表すもの?
それともわたしに焦点を当てる?
たかがタイトル、されどタイトル^^;
わたしが上げた候補からいろいろ枝葉をつけてふたりであれやこれや考えてみた。
有力候補は『対等で上下』。
これはわたしたちを表している言葉だものね。
だけどふたりともちょっと抵抗があったんだ。
なぜなら、いまのわたしたちは『対等』であることも『上下』であること日常ほとんど意識していなんだ。
ごく自然に対等で上下でいる。
誰かに説明するときには有効な言葉かもしれないけど、どうも一張羅を着せられてちょっと居心地悪いような気持ちになってしまうのだ。
だから、最終的に見つけられなければのキープにしていた。
『対等』を使わずに、ふたりには等しい価値があるという言葉はないだろうか。
でも、なんだか『価値』という言葉も値踏みしているようで、ちょっとイヤ。
そんなとき。
昔読んだ本を思い出した。
キャリアウーマンと売れない漫画家の話だ。
そこに『等式』という言葉が使われていた。
紆余曲折ありながらも。
彼女が家賃を払っているふたりのアパートに帰ってきたら、彼がローズマリーを入れてジャーマンポテトを作っている。
ハーブとじゃがいもの香りが部屋に漂い、彼女は『たしかに等式成り立ってる』と思うのだ。
わたしは那智さんに対等であることを教えてもらった。
那智さんにとって価値のある人間だといことも。
上と下というポジションでいるけれど、ふたりの間に優劣はなく同じ分量与え合えている(はず?)。
形は違えど『=』なのだよね。
これが、理由のひとつ。
もうひとつ。
前エントリーでも書いたけど、わたしは那智さんと出会ってから人との付き合い方が変わった。
不思議なもので、那智さんと付き合うことで自分の波長が合う人との心地よさを感じられるようになった。
そしてその人たちと誠実に付き合いたいと思えるようになった。
少し前。
モカちゃんが自分のブログでちょっとやさぐれていた(笑)
それはわたしたちを連想させなくもない内容だった。
(いきなり名前出しちゃってごめん!!!!)
もともとランチしようねと話していたところだったから早速ランチの日程を決めて彼女に会う約束を取付けた。
昔のわたしだったら真意を聞かず、なんとなく表面だけ取り繕った関係を維持していただろうけれど、今回はちゃんと会って真意を聞こうと行動できたのだ。
仮に『そうだ』と答えてもらっても何も問題ないと思っていた、モカちゃんとの付き合いはそこから、じゃあ、どうやって良好な気持ちで付き合っていかれるか構築できると信じていたからね。
それよりモカちゃんに対して真意を計りかねたまま付き合うことのほうがイヤだった。
(結果は、もちろんふたりにとって良好な関係でいられるものでしたよ^^)
こんなこともあった。
お友達のmineさんとメールをやり取りしていて。
(こっちもごめん!!!いきなり登場!!!)
以前わたしがチラッと言ったことを間違った意味で記憶している?と感じる内容があった。
些細なわたしの思考のことだったんだけど、ちょっと大事なことだった(内容、忘れた^^;)
だから敢えて話題を戻して誤解を解いた。
こんなことも以前のわたしならしなかっただろう。
知ってほしい人にちゃんと知ってほしい。
そのためには、ちょっと遠回りしても気持ちを伝える。
そう思えて、行動できた。
(で、こちらもちゃんとわかってもらえた^^)
これはほんの一例で。
那智さんにたくさんの生き方を教えてもらって、わたしはとても生きやすくなってる。
『たまたま』と思えたり。
適切なときにごめんなさいが言えるようになったり。
『頑張れ』や『ありがとう』の使いどころなんかも指針になっている。
細かいテクニックから生き方の姿勢まで。
気がつけば、プチ那智ができあがっているではないか!!(笑)
ホテルのベッドの上で胡座をかいている那智さんに向かい合い跨がるように抱き合う。
薄暗い中で抱き合いながら、こんなことを言っていた。
俺はりん子を通して自己実現している
心理学の自己実現とは意味合いがことなるかもしれないけれど。
ちょっと大げさだけど、恐らく那智さんはわたしを育てることで自分に輪郭を持たせているのかもしれない。
画家が絵を描くように、音楽家が奏でるように。
だから、わたしはあなた。
そしてきっとあなたはわたし。
血縁関係でさえ『=』なんて難しい、まして元は赤の他人、あり得ないこととは充分承知して、でも、恐らく赤の他人というカテゴリの中ではとても『=』に近いはずだし、何よりわたしたちはそうなりたいと強く思っている。
前タイトルにはかなわないと思うけど^^このふたつの意味を結びつけられたから『等式』に決めた。
こんな感じが『等式』の意味です^^
ところで。
納得で決めたのだけど、でもやっぱりちょっと名残惜しいという気持もなくはなかった、この数日間。
今朝、電話でわたしは『ふたりの間では愛称として薬指と言いたい』とちょっと名残惜しくリクエストした。
ダメだよ、『等式』にしなきゃ
『等式』がかわいそうだろ(笑)
なんて那智さんらしい答えだろう。
那智さんにお気に入りのバッチをつけてもらったような気分だ。
この瞬間から『等式』はわたしの中でとりあえずのものではなくり、大事なタイトルになったのでした^^
<関連エントリー>
那智さん的思考
『たまたま』
『気持ちを乗っける』
『等身大』
今朝の「等式」感想です。りん子の中で今日のエントリーが名付けの時から組み立てられていたのならば「お見それしました」ですね。ああ、上手くまとめられるとかける言葉が見つかりません。確かに全部事実の積み重ねなのですが一気に「等式」に対する愛着がアップするエントリーでした。(笑)
ブログを変更するにあたってタイトルとHNも変えることにした。
名前って、とても思い入れがあるという一方で、実はただの記号だという感覚もある。
もちろん慣れ親しんだものを手放すのはとても名残惜しい気持ちはあったけど、今回のわたしたちにとっては思い入れを重視するつもりはなかった。
それよりもサクッと決めて作業を開始して、一日でも早くブログを再開するほうを優先した。
だからHNはお気に入りの記号を見つければよかった。
多少悩んだけれど、前回同様、サクッと決めて作業をはじめられた。
タイトルだって考えようによってはただの記号なんだけど、でも、これがとても困った。
前タイトルは自分でいうのもなんだけどものすごく気に入っていて、わたしたちを表すもっとも適した言葉だったと思っているからだ。
大好きだったし、ああ違うな、愛していたな(笑)
あれ以上愛せるタイトルを見つけることは、ホントに難しかった。
タイトルを考え出してかなり最初のころ那智さんはこう言った。
あれより良いものにしようと思うことはやめよう。
違う土俵から考えるようにしたらどうだろう。
薬指はわたしたちを表すもの。
じゃあ、わたしたちの関係を表すもの?
それともわたしに焦点を当てる?
たかがタイトル、されどタイトル^^;
わたしが上げた候補からいろいろ枝葉をつけてふたりであれやこれや考えてみた。
有力候補は『対等で上下』。
これはわたしたちを表している言葉だものね。
だけどふたりともちょっと抵抗があったんだ。
なぜなら、いまのわたしたちは『対等』であることも『上下』であること日常ほとんど意識していなんだ。
ごく自然に対等で上下でいる。
誰かに説明するときには有効な言葉かもしれないけど、どうも一張羅を着せられてちょっと居心地悪いような気持ちになってしまうのだ。
だから、最終的に見つけられなければのキープにしていた。
『対等』を使わずに、ふたりには等しい価値があるという言葉はないだろうか。
でも、なんだか『価値』という言葉も値踏みしているようで、ちょっとイヤ。
そんなとき。
昔読んだ本を思い出した。
キャリアウーマンと売れない漫画家の話だ。
そこに『等式』という言葉が使われていた。
紆余曲折ありながらも。
彼女が家賃を払っているふたりのアパートに帰ってきたら、彼がローズマリーを入れてジャーマンポテトを作っている。
ハーブとじゃがいもの香りが部屋に漂い、彼女は『たしかに等式成り立ってる』と思うのだ。
わたしは那智さんに対等であることを教えてもらった。
那智さんにとって価値のある人間だといことも。
上と下というポジションでいるけれど、ふたりの間に優劣はなく同じ分量与え合えている(はず?)。
形は違えど『=』なのだよね。
これが、理由のひとつ。
もうひとつ。
前エントリーでも書いたけど、わたしは那智さんと出会ってから人との付き合い方が変わった。
不思議なもので、那智さんと付き合うことで自分の波長が合う人との心地よさを感じられるようになった。
そしてその人たちと誠実に付き合いたいと思えるようになった。
少し前。
モカちゃんが自分のブログでちょっとやさぐれていた(笑)
それはわたしたちを連想させなくもない内容だった。
(いきなり名前出しちゃってごめん!!!!)
もともとランチしようねと話していたところだったから早速ランチの日程を決めて彼女に会う約束を取付けた。
昔のわたしだったら真意を聞かず、なんとなく表面だけ取り繕った関係を維持していただろうけれど、今回はちゃんと会って真意を聞こうと行動できたのだ。
仮に『そうだ』と答えてもらっても何も問題ないと思っていた、モカちゃんとの付き合いはそこから、じゃあ、どうやって良好な気持ちで付き合っていかれるか構築できると信じていたからね。
それよりモカちゃんに対して真意を計りかねたまま付き合うことのほうがイヤだった。
(結果は、もちろんふたりにとって良好な関係でいられるものでしたよ^^)
こんなこともあった。
お友達のmineさんとメールをやり取りしていて。
(こっちもごめん!!!いきなり登場!!!)
以前わたしがチラッと言ったことを間違った意味で記憶している?と感じる内容があった。
些細なわたしの思考のことだったんだけど、ちょっと大事なことだった(内容、忘れた^^;)
だから敢えて話題を戻して誤解を解いた。
こんなことも以前のわたしならしなかっただろう。
知ってほしい人にちゃんと知ってほしい。
そのためには、ちょっと遠回りしても気持ちを伝える。
そう思えて、行動できた。
(で、こちらもちゃんとわかってもらえた^^)
これはほんの一例で。
那智さんにたくさんの生き方を教えてもらって、わたしはとても生きやすくなってる。
『たまたま』と思えたり。
適切なときにごめんなさいが言えるようになったり。
『頑張れ』や『ありがとう』の使いどころなんかも指針になっている。
細かいテクニックから生き方の姿勢まで。
気がつけば、プチ那智ができあがっているではないか!!(笑)
ホテルのベッドの上で胡座をかいている那智さんに向かい合い跨がるように抱き合う。
薄暗い中で抱き合いながら、こんなことを言っていた。
俺はりん子を通して自己実現している
心理学の自己実現とは意味合いがことなるかもしれないけれど。
ちょっと大げさだけど、恐らく那智さんはわたしを育てることで自分に輪郭を持たせているのかもしれない。
画家が絵を描くように、音楽家が奏でるように。
だから、わたしはあなた。
そしてきっとあなたはわたし。
血縁関係でさえ『=』なんて難しい、まして元は赤の他人、あり得ないこととは充分承知して、でも、恐らく赤の他人というカテゴリの中ではとても『=』に近いはずだし、何よりわたしたちはそうなりたいと強く思っている。
前タイトルにはかなわないと思うけど^^このふたつの意味を結びつけられたから『等式』に決めた。
こんな感じが『等式』の意味です^^
ところで。
納得で決めたのだけど、でもやっぱりちょっと名残惜しいという気持もなくはなかった、この数日間。
今朝、電話でわたしは『ふたりの間では愛称として薬指と言いたい』とちょっと名残惜しくリクエストした。
ダメだよ、『等式』にしなきゃ
『等式』がかわいそうだろ(笑)
なんて那智さんらしい答えだろう。
那智さんにお気に入りのバッチをつけてもらったような気分だ。
この瞬間から『等式』はわたしの中でとりあえずのものではなくり、大事なタイトルになったのでした^^
<関連エントリー>
那智さん的思考
『たまたま』
『気持ちを乗っける』
『等身大』
今朝の「等式」感想です。りん子の中で今日のエントリーが名付けの時から組み立てられていたのならば「お見それしました」ですね。ああ、上手くまとめられるとかける言葉が見つかりません。確かに全部事実の積み重ねなのですが一気に「等式」に対する愛着がアップするエントリーでした。(笑)
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- 肯定女の開き直り(笑) 2008/07/21
- 寄る年波 2017/11/07
- 初エステ1 2019/03/31
COMMENT
読み終わって心がとても暖かい気持ちになりました。
穏やかで落ち着いた二人の心が伝わってくる様でした。
穏やかで落ち着いた二人の心が伝わってくる様でした。
かなさん
かなさんはいつも良いところでコメントくれるね〜と那智さんと話してたよ^^
ありがとう。
自分の幸福が、誰かの心を温かくできるなんて、わたしは幸せものです^^
かなさんはいつも良いところでコメントくれるね〜と那智さんと話してたよ^^
ありがとう。
自分の幸福が、誰かの心を温かくできるなんて、わたしは幸せものです^^
りん子さん独特のエントリー、きましたね(笑)
『対等で上下』っていう言葉もすごく納得な価値観でしたが、どこまでも『=』な関係・またそうでありたいと思えるお相手…そうそういないですよね。
夫婦or飼い主とペットって似てくると言いますが、その域までいけたらどんなにか嬉しいのに…想像してしまいました(*^ω^*)
『対等で上下』っていう言葉もすごく納得な価値観でしたが、どこまでも『=』な関係・またそうでありたいと思えるお相手…そうそういないですよね。
夫婦or飼い主とペットって似てくると言いますが、その域までいけたらどんなにか嬉しいのに…想像してしまいました(*^ω^*)
ライラックさん
他の人と比べられないけど、わたしは『同化』したい願望が強いみたいです。
だから、実際は無理でも、どうにかして『=』に近づきたい^^;
(本当は含まれたい、のかな^^)
人によって求めるものはいろいろでしょうけど、こういう形もひとつかなって思っています。
ほほ^^
これはわたし独特なのね〜、なんだか照れくさいけど、悪い気しないです*^^*
本人、かなり無自覚でしたけど(笑)
他の人と比べられないけど、わたしは『同化』したい願望が強いみたいです。
だから、実際は無理でも、どうにかして『=』に近づきたい^^;
(本当は含まれたい、のかな^^)
人によって求めるものはいろいろでしょうけど、こういう形もひとつかなって思っています。
ほほ^^
これはわたし独特なのね〜、なんだか照れくさいけど、悪い気しないです*^^*
本人、かなり無自覚でしたけど(笑)
私と彼は多分「≒」
を目指している「≠」だとおもう><
私は溶け合いたいけど彼は結果同じだねーって感覚だから「=」にはならないなw
でも私の方が沢山中括弧定義を持っているので、時と場合によっては複雑すぎて相手がギブアップしてしまうけど、ちゃーんと計算して(段階を踏んで)いけば、簡素な二人の式になると思ってます(ΦωΦ)
りん子さん達の様に穏やかな目指せイコールだったらいいなぁって、ほんわか思いました。
を目指している「≠」だとおもう><
私は溶け合いたいけど彼は結果同じだねーって感覚だから「=」にはならないなw
でも私の方が沢山中括弧定義を持っているので、時と場合によっては複雑すぎて相手がギブアップしてしまうけど、ちゃーんと計算して(段階を踏んで)いけば、簡素な二人の式になると思ってます(ΦωΦ)
りん子さん達の様に穏やかな目指せイコールだったらいいなぁって、ほんわか思いました。
薫さん
わたしたちも『=』だんなて、簡単に言えないし『=』が一番素晴らしいなんてこともないです。
ただ互いに『そうありたい』と強く願い性質だということです。
そうありたいと思うことは妥協を許さないから、けっこう面倒なことも多いですよ(笑)
互いが『≒』を目指しているならば、それに向かって擦り合せや努力をしたらいいですよね。
薫さん、複雑なんだね^^
わたしも頭の中であれこれ考えちゃうけど、それを伝えるのって大変だよね。
自分でもこんがらがっちゃったりして^^;
わたしたちも『=』だんなて、簡単に言えないし『=』が一番素晴らしいなんてこともないです。
ただ互いに『そうありたい』と強く願い性質だということです。
そうありたいと思うことは妥協を許さないから、けっこう面倒なことも多いですよ(笑)
互いが『≒』を目指しているならば、それに向かって擦り合せや努力をしたらいいですよね。
薫さん、複雑なんだね^^
わたしも頭の中であれこれ考えちゃうけど、それを伝えるのって大変だよね。
自分でもこんがらがっちゃったりして^^;
言葉 1つ1つが 読んでて気持ち良いです
私自身が 『=』に 憧れて願ってる事だから 余計に言葉にならない あやふやな物を 言葉で表現してもらってる気がします。
私自身が 『=』に 憧れて願ってる事だから 余計に言葉にならない あやふやな物を 言葉で表現してもらってる気がします。
まきさん
過去エントリーへのコメントありがとう!!
『=』なんて、本当はあり得ない話なんだけど、そうありたいと強く思う性質の人間はいるんだよね^^
きっとまきさんも、わたしもそうなんだろうね。
『=』でありたいと思う心が間違った『=』先を選んでしまわないように、安心の『=』先さんに感謝だね^^
過去エントリーへのコメントありがとう!!
『=』なんて、本当はあり得ない話なんだけど、そうありたいと強く思う性質の人間はいるんだよね^^
きっとまきさんも、わたしもそうなんだろうね。
『=』でありたいと思う心が間違った『=』先を選んでしまわないように、安心の『=』先さんに感謝だね^^