誓約
独特な幸福感
まだ明るいうちからビールと日本酒をお刺身と天ぷらでいただいた。
そこから一駅ぶん、隣りのターミナル駅までお散歩。
時間にしたら20分、ほろ酔いの上くらいの酔っぱらい状態に夕方の風が気持ちいい。
途中にある自動車のショールームに冷やかしに入った。
まぶしいくらいの照明にピカピカの新車たちが夢のよう。
那智さんが興味を持つ車のほうに移動するのについていく。
いまはさ、キーを差し込まなくてもピッて反応してエンジンかかるんだよ
なんて話題に
いや、あの差し込んでキーを回すことがいいのではありませんか!?
といちゃもんをつける。
ショールームにいる間じゅう、ぜんぜん車マニアでもなんでもないのに「あのブルルというエンジン音にこそ!!」と力説が楽しい(笑)
今日も一日楽しかった。
前日からすこし甘えたい気持ちを抱えているのがちょっと大変で(欲情ともいうのか…)、朝、せっかく早く出たのに電車が遅れて、結局那智さんをお待たせして、すこし落ち込み気味にスタートしたけれど、那智さんはいつもと変わらず、楽しませてくれた。
那智さんのしたいように可愛がってもらって、那智さんのスケジュール通り進んで、ときどきマッサージの時間をズラしてもらったりして(これは質の良いサービスを提供するためには、むしろ必要な申し出なのだ^^;)、飲みのお店はふたつの候補を上げられた後、わたしの希望を聞かれて、それに決まって、那智さんの決定に従い、意思に沿った一日だった。
ショールームを出るとそろそろターミナル駅。
ふたりして、きっと名残惜しいのだ。
ビールとなんか、あとちょっと〜
那智さんは飲み足りなかったのかもしれない(笑)
「じゃあ」と地下街にある今度お友達とのランチに使いたいな〜と目星をつけていたワイン屋さんを提案してみた。
ランチはもうすこし照明を明るくしていると思うけど、夜の営業だからか抑えた灯りの下で赤ワインとチーズをいただく。
向かい合わせの席がすこしもどかしい。
ここでも、話題は尽きない。
共通の知人のこと、『等式』のこと、いろいろ。
そのうちお子さんの話しになった。
意外に思われるかもしれないけど、那智さんは案外自分のお子さんに対してはクールなところがある。
父性豊かなので要所要所に那智さんイズムを指南しているようではあるけれど、昔からお子さんを溺愛するような感じではない。
お子さんといってももう成人しているけど、10年前から割りとそのスタンスは変わっていない。
このときもお子さんの人生の重要事項のタラレバの話題に、「どうぞ、好きにしたらいいよ〜」と突き放すような答えだった。
疑問に思った。
那智さんはね、面倒見がいいし、とことん関わる人だし、まして自分の子どもなんだから、もうすこし那智さんなりに『こうしたい』と思ってアドバイスしないのですか?
わたしにはとことん関わる。
仕事でも生き方でも、指南して見守って、何かあれば支えて促してくれる。
そのとことん関わることを自分のお子さんにしないことが不思議に思ったのだ。
ん?と一瞬考えて
簡単だよ
とほぼ即答
全部受け取るから、最後まで関わろうと思うんだよ
ああ、わたしのことだ。
ほしいものだけ受け取って、いらないものはいらないとされたら、責任を持とうと思わないよね
胸がぎゅーっとなった。
これがわたしの選んだ道だ。
それが正しいかどうかはわからない。
きっとお子さんが小さい頃はそうしていたのだろう。
だけど、適切に成長すれば自我が生まれ親がくれるものから自分のほしいものだけ選び取り、あとは自分で見つけていく、いつしか親からもらう必要がなくなることが自立というものだから、ここ10年のお子さんに対するスタンスは子育てとしては間違ってはいないだろう。
それとは別の次元の話で。
正しいかどうかはわからない。
是非は問いたくない。
ただ、わたしの人生は那智さんの意思に沿うことだ。
そうやってきた。
30数年、どうしても幸せになり切れなかったわたしを見つけ、とことん関わってくれた那智さんの生き方を尊重し、それについていく、ひたすら。
那智さんがわたしにくれる愛情、教育、幸福、快感、ときどき失言(笑)、ときどき酔っぱらいさん(笑)、靴下の穴も森のクマさんも、全部、全部、受け取る、そして、わたしのものにする。
那智さんの生き方を肯定し、それに沿う人生。
その人生を送る覚悟。
気がつけばわたしはいつの間にか、そんなふうに腹をくくっている。
(覚悟決めさせないで、結果的に覚悟決めるようにするのが那智さんらしい)
わたしがその覚悟を以て見上げていれば、那智さんは注ぎ続けてくれる。
この濃く、深く、ふたりだけの独善的な世界。
わたしによって那智さんの人生に輪郭を持たせることで、わたしの人生も確固たるものになる。
お互いが相手を映す鏡。
わたしが、あなたの人生のそれになる覚悟のようなものを、那智さんの答えで再確認して、切ない自負が胸を締め付ける。
胸が苦しくて、切なくて、清々しくて、涙が零れた。
これが正しいかわからない。
だけど、わたしの人生は那智さんに委ね、『わたし』をかけて那智さんを肯定する。
那智さんが全知全能の神だなんて思っていない。
崇拝なんておこがましくて言えない。
だけど、わたしの人生は那智さんの意思に沿うのだ。
誓いを立てるような涙だった。
すこし酔っていたのかもしれない。
<関連エントリー>
森のクマさん
こういう気持ちです
罪悪感
自己実現だよね^^
『等式』の意味
「等式」感想です。娘が結婚する。若夫婦に対して申し訳ない思いで一杯である。これしか躾が出来なくて、「私が妻が」私が選んだ妻も出来なかった。だから、彼女に対する私の不満は全て自分の責任だと理解している。しかし、この家を出て新しい家族を彼らは築く、私の責任範疇は終了、一瞬で終了した。
まだ明るいうちからビールと日本酒をお刺身と天ぷらでいただいた。
そこから一駅ぶん、隣りのターミナル駅までお散歩。
時間にしたら20分、ほろ酔いの上くらいの酔っぱらい状態に夕方の風が気持ちいい。
途中にある自動車のショールームに冷やかしに入った。
まぶしいくらいの照明にピカピカの新車たちが夢のよう。
那智さんが興味を持つ車のほうに移動するのについていく。
いまはさ、キーを差し込まなくてもピッて反応してエンジンかかるんだよ
なんて話題に
いや、あの差し込んでキーを回すことがいいのではありませんか!?
といちゃもんをつける。
ショールームにいる間じゅう、ぜんぜん車マニアでもなんでもないのに「あのブルルというエンジン音にこそ!!」と力説が楽しい(笑)
今日も一日楽しかった。
前日からすこし甘えたい気持ちを抱えているのがちょっと大変で(欲情ともいうのか…)、朝、せっかく早く出たのに電車が遅れて、結局那智さんをお待たせして、すこし落ち込み気味にスタートしたけれど、那智さんはいつもと変わらず、楽しませてくれた。
那智さんのしたいように可愛がってもらって、那智さんのスケジュール通り進んで、ときどきマッサージの時間をズラしてもらったりして(これは質の良いサービスを提供するためには、むしろ必要な申し出なのだ^^;)、飲みのお店はふたつの候補を上げられた後、わたしの希望を聞かれて、それに決まって、那智さんの決定に従い、意思に沿った一日だった。
ショールームを出るとそろそろターミナル駅。
ふたりして、きっと名残惜しいのだ。
ビールとなんか、あとちょっと〜
那智さんは飲み足りなかったのかもしれない(笑)
「じゃあ」と地下街にある今度お友達とのランチに使いたいな〜と目星をつけていたワイン屋さんを提案してみた。
ランチはもうすこし照明を明るくしていると思うけど、夜の営業だからか抑えた灯りの下で赤ワインとチーズをいただく。
向かい合わせの席がすこしもどかしい。
ここでも、話題は尽きない。
共通の知人のこと、『等式』のこと、いろいろ。
そのうちお子さんの話しになった。
意外に思われるかもしれないけど、那智さんは案外自分のお子さんに対してはクールなところがある。
父性豊かなので要所要所に那智さんイズムを指南しているようではあるけれど、昔からお子さんを溺愛するような感じではない。
お子さんといってももう成人しているけど、10年前から割りとそのスタンスは変わっていない。
このときもお子さんの人生の重要事項のタラレバの話題に、「どうぞ、好きにしたらいいよ〜」と突き放すような答えだった。
疑問に思った。
那智さんはね、面倒見がいいし、とことん関わる人だし、まして自分の子どもなんだから、もうすこし那智さんなりに『こうしたい』と思ってアドバイスしないのですか?
わたしにはとことん関わる。
仕事でも生き方でも、指南して見守って、何かあれば支えて促してくれる。
そのとことん関わることを自分のお子さんにしないことが不思議に思ったのだ。
ん?と一瞬考えて
簡単だよ
とほぼ即答
全部受け取るから、最後まで関わろうと思うんだよ
ああ、わたしのことだ。
ほしいものだけ受け取って、いらないものはいらないとされたら、責任を持とうと思わないよね
胸がぎゅーっとなった。
これがわたしの選んだ道だ。
それが正しいかどうかはわからない。
きっとお子さんが小さい頃はそうしていたのだろう。
だけど、適切に成長すれば自我が生まれ親がくれるものから自分のほしいものだけ選び取り、あとは自分で見つけていく、いつしか親からもらう必要がなくなることが自立というものだから、ここ10年のお子さんに対するスタンスは子育てとしては間違ってはいないだろう。
それとは別の次元の話で。
正しいかどうかはわからない。
是非は問いたくない。
ただ、わたしの人生は那智さんの意思に沿うことだ。
そうやってきた。
30数年、どうしても幸せになり切れなかったわたしを見つけ、とことん関わってくれた那智さんの生き方を尊重し、それについていく、ひたすら。
那智さんがわたしにくれる愛情、教育、幸福、快感、ときどき失言(笑)、ときどき酔っぱらいさん(笑)、靴下の穴も森のクマさんも、全部、全部、受け取る、そして、わたしのものにする。
那智さんの生き方を肯定し、それに沿う人生。
その人生を送る覚悟。
気がつけばわたしはいつの間にか、そんなふうに腹をくくっている。
(覚悟決めさせないで、結果的に覚悟決めるようにするのが那智さんらしい)
わたしがその覚悟を以て見上げていれば、那智さんは注ぎ続けてくれる。
この濃く、深く、ふたりだけの独善的な世界。
わたしによって那智さんの人生に輪郭を持たせることで、わたしの人生も確固たるものになる。
お互いが相手を映す鏡。
わたしが、あなたの人生のそれになる覚悟のようなものを、那智さんの答えで再確認して、切ない自負が胸を締め付ける。
胸が苦しくて、切なくて、清々しくて、涙が零れた。
これが正しいかわからない。
だけど、わたしの人生は那智さんに委ね、『わたし』をかけて那智さんを肯定する。
那智さんが全知全能の神だなんて思っていない。
崇拝なんておこがましくて言えない。
だけど、わたしの人生は那智さんの意思に沿うのだ。
誓いを立てるような涙だった。
すこし酔っていたのかもしれない。
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森のクマさん
こういう気持ちです
罪悪感
自己実現だよね^^
『等式』の意味
「等式」感想です。娘が結婚する。若夫婦に対して申し訳ない思いで一杯である。これしか躾が出来なくて、「私が妻が」私が選んだ妻も出来なかった。だから、彼女に対する私の不満は全て自分の責任だと理解している。しかし、この家を出て新しい家族を彼らは築く、私の責任範疇は終了、一瞬で終了した。