SMのスイッチ
りん子的独り言(生意気)
今日と次回、SM行為における『スイッチ』のお話をふたつ書きます。
でも、じつはスイッチのはっきりした定義は示せていないので、書き終わってからちょっと整理できていないな〜と反省しております。
スイッチを意識して入れる人もいるでしょうし、スイッチが入ることが自然な人もいるでしょう。
とにかく、いつもの自分からSっぽくMっぽく切り替えるものみたいな感じと思っていただければいいかなと思います^^
スイッチ。
日常と非日常。
表と裏。
SモードやMスイッチ。
SMの場面でスイッチの存在、ある人多いんじゃないかな。
そりゃあ、そうだよね。
SMというものは非常識の連続。
女性の顔を踏むし、男性におしっこしている姿を見せなければならない。
よろこんで鞭で打たれるなんて、頭おかしいんじゃないか?(笑)
会社ではときどきドジする課長さんもSモードになったら鬼畜のサディストになるし、家族サービスするお父さんもご主人様スイッチが入れば自分がルールの主になる。
ドジな課長さんのまま命令してもいまいち照れくさい、家族サービスお父さんが女性の顔を踏む非常識に挑むにも、やはりスイッチは必要だ。
これはM側も同じ。
バリバリのキャリアウーマンが男性にひざまずくには、子供を叱りつけているママが自分の放尿姿を見せるにはスイッチがあったほうがいい。
抵抗感をなくし、その世界に入りやすくするためにSMにはスイッチが必要だ。
今回はそのスイッチのお話。
まずは、那智さんにとってのスイッチとは。
このスイッチはわたしと付き合う前に存在していたものなので、かれこれ25年前から10年前にかけてのもの。
当時主流だった団鬼六的世界(?)のSMプレイのスイッチ。
(なんだろ、縄を持つと目つきが変わるとか?笑顔なしの厳しい世界とか?)
いまでこそSMを意識せずわたしとSM行為をして自然と上下でいられているけれど、もともとあまり芝居がかるというか型にはまったというか、そういうことに抵抗があったので性的な場面以外で普通の人同士として付き合っていたかった那智さん。
でも、どうしてもSMの場面では理不尽な要求はするし根拠のない命令をしないといけない、団鬼六的SM世界を成立させるために、Sっぽく切り替えるスイッチを存在させていた。
そして、いつの間にかSM的演出のスイッチを入れることが自然になっていた。
痛いことや恥ずかしいことを根拠なくさせる。
本当は快感に結びつける行為なのにマイナスを与える雰囲気。
ちょっぴりアングラな空気。
それまで普通の男女でいた二人から、非情なサディストといやがりながらも感じる可憐なマゾヒストに変身。
日常と非日常のように区別をつけるスイッチが存在しパートナーの女性とも共有していたことが多かったそうだ。
だから、『常套句 那智さん編』で書いたようなリトマス試験紙を使い、相手の認識などを見極め、どこからどこまでをスイッチの範囲にします?と話を詰めていったわけです。
だから、那智さんにはスイッチが存在していた。
ただ大事なことは、それをパートナーと共有することだったそうです。
行為や付き合い方の希望、それらを確認し合うこの時点までは対等な人同士のやり取りが最初に必要だったのです(だから『常套句』が必要だったわけ)
ホテルにいる間は拒否権なしね。
性的な場面では理不尽な命令をするよ。
おそらく、こんなふうにスイッチの存在を示しスタートを切ったと思う。
でも、そういうコンセンサスって、ちょっと興醒めしません?
こちらとしては本気で怖がりたいし追いつめられたいのにロールプレイしましょうねって言っているようなものだもの。
でも、なぜわざわざ一見興ざめするようなスイッチの確認をするかというと、確認せずはじめることは相手をだましていると感じるからだそうです。
数回喰っておしまいの遊びの女性ならいいのかもしれないけど、出会い系とはいえ性癖を満たすために長くきちんと付き合いたいと思っていたので、確認し『いまからスタートしましょうね』と共有できるようにしていたかったそうです。
昔、お話ししたS男性は「舞台演出を手がけるようなものだ、自分の演出にいかにM女性が酔えるかが大事」と話してくれたけど、SMの醍醐味のひとつは、その『世界を演出』することで、こちら側は『それに乗っかって真剣に反応する』ことだと思うので、演出やスイッチを否定しているのではないのですが。
そのスイッチを内緒にしていることが相手をだましていると感じるのだそうです。
で、何が問題かというと、だましていることは最終的に相手を見下してしまうことになるのですね。
だから、『スイッチ』の確認をしてスタートするか、しないかが問題で、那智さんは公言していたかったのです。
だましている相手に尊敬を抱けないのは当然のことですよね。
SMのスイッチは存在する。
でも、それを付き合う初期の段階でパートナーとコンセンサスを取り共有しないと、スイッチを理解しているほうが理解していない相手を対等と思えなくなっていってしまう。
だから、存在を明らかにしていることが重要。
これが那智さんのスイッチのお話。
そのスイッチがいまはない、そのお話を次回。
だから、那智さんからしたら最初から命令口調のご主人様なんかはあり得ないのだ。
いきなりの命令口調ができてしまうということは、那智さんからしたらM女さんのM女スイッチ(演出)にだまされていることになると理解するわけです。
だとしたら、M女さんからの尊敬は得られないと思いますよね。
で、この思考から考えると、互いにコンセンサスなしでいきなり命令口調と服従口調の組み合わせが成立しているとしたら、それはただのマスターベーションってことになりそう?とわたしは思ったりしています^^
「等式」感想です。りん子の言う通りですね。しかし、時代背景の問題かなぁ、ネットが無い時代にsmについての知識や情報なんて、希にある 興味本意の雑誌の特集か専門誌しかなかったと思う。だから、女性は基本的には今より純粋だったでしょ。殆ど入る情報が無いのに自分の欲望を膨らましイメージしたのですから。ですので、経験者は別にして女性も未経験が多かったと思うし、具体的にどうしたいかなんて断片的にしかイメージできなかったと思う。それを男が色々な意味で補完していた気がする。
続く!(笑)
今は、情報が多く、色々な形のつき合いや行動が模範となりSM的行為ができるのは羨ましいし、良かったねと言う気持ちとフォーマットに近い物があるのでそれに乗るとお互いのコンセンサスの取り方が弱くならないかと少し心配です。
りん子(^-^)昔は女性を縛るなんてとんでもないことだったから思い切りスイッチが必要だった。いまはSMが多少市民権を得て情報もあるから、実はそれほど明確なスイッチは必要ないのかもしれない。
力をこめてスイッチを入れる必要がないのは楽だし願いを形にしやすいけど、反面、コンセンサスを取らず漠然としたままスタートを切ってしまって結局本当にしたいことにたどり着けないという危険性もある。
今日と次回、SM行為における『スイッチ』のお話をふたつ書きます。
でも、じつはスイッチのはっきりした定義は示せていないので、書き終わってからちょっと整理できていないな〜と反省しております。
スイッチを意識して入れる人もいるでしょうし、スイッチが入ることが自然な人もいるでしょう。
とにかく、いつもの自分からSっぽくMっぽく切り替えるものみたいな感じと思っていただければいいかなと思います^^
スイッチ。
日常と非日常。
表と裏。
SモードやMスイッチ。
SMの場面でスイッチの存在、ある人多いんじゃないかな。
そりゃあ、そうだよね。
SMというものは非常識の連続。
女性の顔を踏むし、男性におしっこしている姿を見せなければならない。
よろこんで鞭で打たれるなんて、頭おかしいんじゃないか?(笑)
会社ではときどきドジする課長さんもSモードになったら鬼畜のサディストになるし、家族サービスするお父さんもご主人様スイッチが入れば自分がルールの主になる。
ドジな課長さんのまま命令してもいまいち照れくさい、家族サービスお父さんが女性の顔を踏む非常識に挑むにも、やはりスイッチは必要だ。
これはM側も同じ。
バリバリのキャリアウーマンが男性にひざまずくには、子供を叱りつけているママが自分の放尿姿を見せるにはスイッチがあったほうがいい。
抵抗感をなくし、その世界に入りやすくするためにSMにはスイッチが必要だ。
今回はそのスイッチのお話。
まずは、那智さんにとってのスイッチとは。
このスイッチはわたしと付き合う前に存在していたものなので、かれこれ25年前から10年前にかけてのもの。
当時主流だった団鬼六的世界(?)のSMプレイのスイッチ。
(なんだろ、縄を持つと目つきが変わるとか?笑顔なしの厳しい世界とか?)
いまでこそSMを意識せずわたしとSM行為をして自然と上下でいられているけれど、もともとあまり芝居がかるというか型にはまったというか、そういうことに抵抗があったので性的な場面以外で普通の人同士として付き合っていたかった那智さん。
でも、どうしてもSMの場面では理不尽な要求はするし根拠のない命令をしないといけない、団鬼六的SM世界を成立させるために、Sっぽく切り替えるスイッチを存在させていた。
そして、いつの間にかSM的演出のスイッチを入れることが自然になっていた。
痛いことや恥ずかしいことを根拠なくさせる。
本当は快感に結びつける行為なのにマイナスを与える雰囲気。
ちょっぴりアングラな空気。
それまで普通の男女でいた二人から、非情なサディストといやがりながらも感じる可憐なマゾヒストに変身。
日常と非日常のように区別をつけるスイッチが存在しパートナーの女性とも共有していたことが多かったそうだ。
だから、『常套句 那智さん編』で書いたようなリトマス試験紙を使い、相手の認識などを見極め、どこからどこまでをスイッチの範囲にします?と話を詰めていったわけです。
だから、那智さんにはスイッチが存在していた。
ただ大事なことは、それをパートナーと共有することだったそうです。
行為や付き合い方の希望、それらを確認し合うこの時点までは対等な人同士のやり取りが最初に必要だったのです(だから『常套句』が必要だったわけ)
ホテルにいる間は拒否権なしね。
性的な場面では理不尽な命令をするよ。
おそらく、こんなふうにスイッチの存在を示しスタートを切ったと思う。
でも、そういうコンセンサスって、ちょっと興醒めしません?
こちらとしては本気で怖がりたいし追いつめられたいのにロールプレイしましょうねって言っているようなものだもの。
でも、なぜわざわざ一見興ざめするようなスイッチの確認をするかというと、確認せずはじめることは相手をだましていると感じるからだそうです。
数回喰っておしまいの遊びの女性ならいいのかもしれないけど、出会い系とはいえ性癖を満たすために長くきちんと付き合いたいと思っていたので、確認し『いまからスタートしましょうね』と共有できるようにしていたかったそうです。
昔、お話ししたS男性は「舞台演出を手がけるようなものだ、自分の演出にいかにM女性が酔えるかが大事」と話してくれたけど、SMの醍醐味のひとつは、その『世界を演出』することで、こちら側は『それに乗っかって真剣に反応する』ことだと思うので、演出やスイッチを否定しているのではないのですが。
そのスイッチを内緒にしていることが相手をだましていると感じるのだそうです。
で、何が問題かというと、だましていることは最終的に相手を見下してしまうことになるのですね。
だから、『スイッチ』の確認をしてスタートするか、しないかが問題で、那智さんは公言していたかったのです。
だましている相手に尊敬を抱けないのは当然のことですよね。
SMのスイッチは存在する。
でも、それを付き合う初期の段階でパートナーとコンセンサスを取り共有しないと、スイッチを理解しているほうが理解していない相手を対等と思えなくなっていってしまう。
だから、存在を明らかにしていることが重要。
これが那智さんのスイッチのお話。
そのスイッチがいまはない、そのお話を次回。
だから、那智さんからしたら最初から命令口調のご主人様なんかはあり得ないのだ。
いきなりの命令口調ができてしまうということは、那智さんからしたらM女さんのM女スイッチ(演出)にだまされていることになると理解するわけです。
だとしたら、M女さんからの尊敬は得られないと思いますよね。
で、この思考から考えると、互いにコンセンサスなしでいきなり命令口調と服従口調の組み合わせが成立しているとしたら、それはただのマスターベーションってことになりそう?とわたしは思ったりしています^^
「等式」感想です。りん子の言う通りですね。しかし、時代背景の問題かなぁ、ネットが無い時代にsmについての知識や情報なんて、希にある 興味本意の雑誌の特集か専門誌しかなかったと思う。だから、女性は基本的には今より純粋だったでしょ。殆ど入る情報が無いのに自分の欲望を膨らましイメージしたのですから。ですので、経験者は別にして女性も未経験が多かったと思うし、具体的にどうしたいかなんて断片的にしかイメージできなかったと思う。それを男が色々な意味で補完していた気がする。
続く!(笑)
今は、情報が多く、色々な形のつき合いや行動が模範となりSM的行為ができるのは羨ましいし、良かったねと言う気持ちとフォーマットに近い物があるのでそれに乗るとお互いのコンセンサスの取り方が弱くならないかと少し心配です。
りん子(^-^)昔は女性を縛るなんてとんでもないことだったから思い切りスイッチが必要だった。いまはSMが多少市民権を得て情報もあるから、実はそれほど明確なスイッチは必要ないのかもしれない。
力をこめてスイッチを入れる必要がないのは楽だし願いを形にしやすいけど、反面、コンセンサスを取らず漠然としたままスタートを切ってしまって結局本当にしたいことにたどり着けないという危険性もある。
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