ゴールを決めない
独特な幸福感
去年の6月のエントリー『小学3年生』。
たまたま那智さんが読み返したようで『俺たちなにやってんだろうな〜』と苦笑気味に言った。
居酒屋の入り口でパンツを下げられて、慌てて上げてをただ繰り返す。
『これって、SMっていうのかな?』
言わないような気がします(笑)
先日もお花見に行って、喫煙所でタバコを吸っている那智さんから少し離れて満開の桜の下にある一等席のベンチに座って、桜を見上げスーパー悦に浸っていたら。
そーっと後ろから近づいて、ガシッと肩を掴み後ろに引かれた。
背後の那智さんにもたれ掛かる形になったから倒れずには済んだけど、急に引かれて斜めになる体に、びっくりするわ、ジタバタするわで、大騒ぎ。
こんなことに至ってはもう性的でもなんでもない、やっぱりただの『小学3年生』だ。
わたしが『ものすごいじゃれ合いっこですよね』というと。
『ものすごいというより、めちゃくちゃなじゃれ合いだな』と那智さん。
あ、そっちのほうが言葉が合ってます^^
そうなのですね、わたしたちのしていることは『めちゃくちゃなじゃれ合い』。
この感覚は、鞭でもわんこでも鼻くそでも、どれにでも繋がっている感じがする。
でも、実は、これはわたしにはとてもありがたいことなんだ。
なにがありがたいかって、ただじゃれ合っているわけだからどこに着地してもいいわけなのですよね。
これはゴールが決まっていないということ。
この『ゴールを決めない』ということが、ありがたいのです。
うまくいってもいかなくても。
泣いても怒っても、もちろん喜んでも。
わたしがどんな感情になろうと、ゴールが決まっていないのだからかまわない。
(最終的には『幸せ』が着地点といえば、そうだけど、これはまた別の機会に話します)
無価値感か同化願望か。
とにかくわたしは、褒められたい必要とされたい、相手の希望に添いたいと必死になってしまうところがある。
もちろん、人は褒められたいし必要とされたい生き物だけど、どうもそれが強いらしい。
それで必要以上に無理をしたり、できないことを責めたり、できない故に愛されないのではないかと不安になったりと、頑張る以上の負の感情で苦しくなってしまうのだ。
下手したらウソ付いたり演技をしたりして、無理矢理ゴールしたふりまでしてしまう。
ゴールを決めないでいてくれるのは、その負の感情にならないで済むのですね。
SMでイメージしがちなステップアップや訓練などのゴールが決まっているようなことはなく、そのときふたりが『楽しい』『心地よい』『気持ちいい』ということを軸に動いているように思う(わたしは動かされている?)、これがわたしたちでいうとじゃれ合いっこ。
必要以上に自分を責めてしまうところがあるので、ゴールを決めないじゃれ合いっこは、ありがたい。
唯一、ゴールがあるとするなら。
『那智さんのうんこをおいしそうにむしゃむしゃと食べるりん子』
これに向けて、はっきりと訓練しているということはないかもしれないけど(だって、うんこって計画的に出ないしね)、これがゴールを決めない那智さんの唯一のゴール。
ほしいとか嬉しいというところまでは来て(しまって)いるけど(笑)。
むしゃむしゃとおいしそうにというには、まだほど遠い。
それでも、スカトロNGだった頃に比べたら、那智さんのゴールには着実に近づいているとも言えますね。
これがひとつのゴールだと、ふたりとも認識している唯一のことだと思う。
だから、わたしは、『おえっ』となるととてもとても悲しく、できない自分を責めたくなるし、那智さんごめんなさいと思う。
ゴールを決めているのがこれだけだから大丈夫だけど、これがゴールを目指すことがデフォルトの関係だったら、やはりわたしは苦しくなって、放り投げてしまいそうだ。
行為に於いても関係に於いても、ゴールを作らないでいてくれることはとてもありがたいと思うのです。
でも、どんどんSMというより、じゃれ合いのめちゃくちゃ度合いが増していくだけな感じがするけどね^^;
あ、もうひとつゴールがあった!!
これはちゃんと訓練させられてる!!
でも、恥ずかしくてずっと書かずにいるの。
って、本当はこの訓練していることが本題のはずだったんだけど。
テーマが変わってきちゃったし、やっぱり恥ずかしくて書くのいやになっちゃった。
ということで、こんな生殺し状態でアップします〜^^
あはは、これもじゃれ合いってことで^^
去年の6月のエントリー『小学3年生』。
たまたま那智さんが読み返したようで『俺たちなにやってんだろうな〜』と苦笑気味に言った。
居酒屋の入り口でパンツを下げられて、慌てて上げてをただ繰り返す。
『これって、SMっていうのかな?』
言わないような気がします(笑)
先日もお花見に行って、喫煙所でタバコを吸っている那智さんから少し離れて満開の桜の下にある一等席のベンチに座って、桜を見上げスーパー悦に浸っていたら。
そーっと後ろから近づいて、ガシッと肩を掴み後ろに引かれた。
背後の那智さんにもたれ掛かる形になったから倒れずには済んだけど、急に引かれて斜めになる体に、びっくりするわ、ジタバタするわで、大騒ぎ。
こんなことに至ってはもう性的でもなんでもない、やっぱりただの『小学3年生』だ。
わたしが『ものすごいじゃれ合いっこですよね』というと。
『ものすごいというより、めちゃくちゃなじゃれ合いだな』と那智さん。
あ、そっちのほうが言葉が合ってます^^
そうなのですね、わたしたちのしていることは『めちゃくちゃなじゃれ合い』。
この感覚は、鞭でもわんこでも鼻くそでも、どれにでも繋がっている感じがする。
でも、実は、これはわたしにはとてもありがたいことなんだ。
なにがありがたいかって、ただじゃれ合っているわけだからどこに着地してもいいわけなのですよね。
これはゴールが決まっていないということ。
この『ゴールを決めない』ということが、ありがたいのです。
うまくいってもいかなくても。
泣いても怒っても、もちろん喜んでも。
わたしがどんな感情になろうと、ゴールが決まっていないのだからかまわない。
(最終的には『幸せ』が着地点といえば、そうだけど、これはまた別の機会に話します)
無価値感か同化願望か。
とにかくわたしは、褒められたい必要とされたい、相手の希望に添いたいと必死になってしまうところがある。
もちろん、人は褒められたいし必要とされたい生き物だけど、どうもそれが強いらしい。
それで必要以上に無理をしたり、できないことを責めたり、できない故に愛されないのではないかと不安になったりと、頑張る以上の負の感情で苦しくなってしまうのだ。
下手したらウソ付いたり演技をしたりして、無理矢理ゴールしたふりまでしてしまう。
ゴールを決めないでいてくれるのは、その負の感情にならないで済むのですね。
SMでイメージしがちなステップアップや訓練などのゴールが決まっているようなことはなく、そのときふたりが『楽しい』『心地よい』『気持ちいい』ということを軸に動いているように思う(わたしは動かされている?)、これがわたしたちでいうとじゃれ合いっこ。
必要以上に自分を責めてしまうところがあるので、ゴールを決めないじゃれ合いっこは、ありがたい。
唯一、ゴールがあるとするなら。
『那智さんのうんこをおいしそうにむしゃむしゃと食べるりん子』
これに向けて、はっきりと訓練しているということはないかもしれないけど(だって、うんこって計画的に出ないしね)、これがゴールを決めない那智さんの唯一のゴール。
ほしいとか嬉しいというところまでは来て(しまって)いるけど(笑)。
むしゃむしゃとおいしそうにというには、まだほど遠い。
それでも、スカトロNGだった頃に比べたら、那智さんのゴールには着実に近づいているとも言えますね。
これがひとつのゴールだと、ふたりとも認識している唯一のことだと思う。
だから、わたしは、『おえっ』となるととてもとても悲しく、できない自分を責めたくなるし、那智さんごめんなさいと思う。
ゴールを決めているのがこれだけだから大丈夫だけど、これがゴールを目指すことがデフォルトの関係だったら、やはりわたしは苦しくなって、放り投げてしまいそうだ。
行為に於いても関係に於いても、ゴールを作らないでいてくれることはとてもありがたいと思うのです。
でも、どんどんSMというより、じゃれ合いのめちゃくちゃ度合いが増していくだけな感じがするけどね^^;
あ、もうひとつゴールがあった!!
これはちゃんと訓練させられてる!!
でも、恥ずかしくてずっと書かずにいるの。
って、本当はこの訓練していることが本題のはずだったんだけど。
テーマが変わってきちゃったし、やっぱり恥ずかしくて書くのいやになっちゃった。
ということで、こんな生殺し状態でアップします〜^^
あはは、これもじゃれ合いってことで^^
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