選択肢
独り言
ああ、どうしよう、相変わらずの暴論を思いついてしまった;;
いまから書くことは偏った暴論です。
どうしても、わたしは『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』と、そちら側に立ってしまう癖があるようです。
どんな命も一様に尊いものだし、生まれちゃいけない人なんていないということを理解した上で、卵の側から見てみた感情的なお話です。
また、ニュースやウィキペディア程度の知識しかないクセに書いているので知識不足はごめんなさい。
『新型出生前診断』という言葉を聞いたことはありますか。
専門的にはもっと難しい名前がついているようなのですが、妊娠中に血液検査をすることで赤ちゃんの染色体や遺伝子についてある程度知ることができるというヤツです。
残念ながら何かしらの異常を診断された親にその後の判断を委ねることになるのだけど、なんていうか、これに引っかかってしまったのです。
先日、ニュース番組で取り上げていて、ふたつのケースを紹介していました。
一人目は診断の結果異常がわかり堕胎を選んだ女性。
二組目は同じく異常が見つかっても生むことを選んだ夫婦。
異常が見つかっても生むことを選んだ夫婦には心から拍手を送りたいし、生まれてくる命を祝福したい気持ちはものすごくある。
でも、反面、違う感情も湧いてきてしまうのだ。
堕胎を選んだ女性は画像と音声を処理され誰だかわからないようにして、ひとり苦悩し贖罪の気持ちを話していた。
代わって、生むことを選んだご夫婦は顔を出し、とても良い雰囲気の中、たくさん話し合い苦悩を分かち合って判断した経緯を話していた。
なんだかちょっとひっかかる。
旦那さんが仕事が忙しく実家にも頼れずやむを得なかったと語る最初の女性。
まず、堕胎を選んだ女性がひとりではなく、そばに旦那さんがいて手を握り一緒にカメラの前に立ってくれたらどんなに心強かっただろう。
現代社会で堕胎は基本的に非道徳的なことをされている。
だから、彼女は我が子を堕ろしたこととそれを決断したことと、社会的倫理と自分と周囲と何重もの責めをひとりで背負う。
だから、一緒にカメラの前に立ってくれる、それだけでもひとりで背負う荷を軽減できたら、彼女の傷はほんのすこしだけでも軽くなってくれたのではないだろうか。
堕胎をするという決断を下した人を取材するなら、なぜ夫婦共にテレビ画面に出ないし、出さないのだろう。
出演する側の意向か、制作サイドの演出かはわからない。
でも、いずれにしても、堕胎=負という感情や、それを印象付ける演出があるように感じられてしまう。
ここから暴論ですよ〜。
あのね、医療技術として出生前診断ができて、お金を払えば診断する自由が与えられていて、その中で堕胎の自由が与えられているなら、堕胎を選ぶ精神的自由だってあってしかるべきじゃないかなと思ってしまうのです。
もちろん現代日本には堕胎の自由はある。
だけど、堕胎を母親に決断させる精神的自由はかなり、ないよね。
技術もあって診断する自由まで与えるなら、その先の自由もセットにならないだろうか。
そこから先だけ一個人(特に母親)にすべてを負わせることなく、普通に選択肢のひとつと思えたら、どんなに母親の負担は軽減されるだろう。
(もしかしたら、ご夫婦でたくさん話し合いをされたかもしれないけど、テレビ的には女性ひとりだけ出演している、そこに何かしら意図があるよね)
これは堕胎を推奨しているわけでもないし、画一的な子供ばかりの世の中になってほしいわけでもないのです。
だけど、これだけ選択肢が多そうな世の中になっているのに、精神的にはほとんど選択肢がないように感じる社会が好きじゃないの。
堕胎というだけで女性は傷つくのだ。
ならば、それ以外の倫理や世間体や当事者以外からの不自由な束縛や傷なんてなくなればいいと思う。
堕胎を選ぶ精神的自由。
『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』という想像力を持てていたら、きっと精神的選択肢も増えるような気がする。
精神的選択肢が増えれば、きっと制度的選択肢を増やすことは案外簡単なんじゃないだろうか。
いろんな形の働き方があったり、いろんな形の結婚があったり、いろんな形の子育てがあったり。
クラスの半分くらいが夫婦別製や同性婚やシングルマザーやシングルファーザーだったり。
お隣はお母さんふたり、お向かいさんはお父さんひとり、上の階のご夫婦は里親。
こんなふうにいろいろな形があって、それが当たり前で、どれも選択できたらなんて自由なんだろう。
横道逸れるけど、そんな世の中になったら、政府が憂いでいる少子化に歯止めがかかるんじゃないかなって思うのです。
『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』という想像力、こういうの好きなのです^^
<関連エントリー>
『hotに3周年御礼』
『善意』
『選択肢のひとつ』
『連れションはキライ』
「等式」感想です。?りん子の「暴論」に入る前の文書は理解出来ません。そもそも、出演する、しないも自由だし演出上の意図があっても引っかからなければ問題ない。TV局のその姿勢に問題があるのは十分理解できますがね。私の拙い文書でどこまで伝わるか解りませんが、女性だけに判断を委ねたら
それは一番辛いのではないでしょうか。自分だけで決めるのは。机上論ですがその検査を受けるなら生む、生まないの結果を決めてのぞんだ方が良いと思う。ここからは私の暴論です。
検査結果で生まないと決めているなら、そのまま堕胎、考え思い悩む暇を与えない。正解がないことで、思い悩むのを覚悟して検査を受けるのであればその先を決めておかないのはバカでしょ。最初から検査を受けない自由を選んだら良いと思う。
何か、今日は「感想」と言うよりわたしの意見になってしまいました。
ああ、どうしよう、相変わらずの暴論を思いついてしまった;;
いまから書くことは偏った暴論です。
どうしても、わたしは『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』と、そちら側に立ってしまう癖があるようです。
どんな命も一様に尊いものだし、生まれちゃいけない人なんていないということを理解した上で、卵の側から見てみた感情的なお話です。
また、ニュースやウィキペディア程度の知識しかないクセに書いているので知識不足はごめんなさい。
『新型出生前診断』という言葉を聞いたことはありますか。
専門的にはもっと難しい名前がついているようなのですが、妊娠中に血液検査をすることで赤ちゃんの染色体や遺伝子についてある程度知ることができるというヤツです。
残念ながら何かしらの異常を診断された親にその後の判断を委ねることになるのだけど、なんていうか、これに引っかかってしまったのです。
先日、ニュース番組で取り上げていて、ふたつのケースを紹介していました。
一人目は診断の結果異常がわかり堕胎を選んだ女性。
二組目は同じく異常が見つかっても生むことを選んだ夫婦。
異常が見つかっても生むことを選んだ夫婦には心から拍手を送りたいし、生まれてくる命を祝福したい気持ちはものすごくある。
でも、反面、違う感情も湧いてきてしまうのだ。
堕胎を選んだ女性は画像と音声を処理され誰だかわからないようにして、ひとり苦悩し贖罪の気持ちを話していた。
代わって、生むことを選んだご夫婦は顔を出し、とても良い雰囲気の中、たくさん話し合い苦悩を分かち合って判断した経緯を話していた。
なんだかちょっとひっかかる。
旦那さんが仕事が忙しく実家にも頼れずやむを得なかったと語る最初の女性。
まず、堕胎を選んだ女性がひとりではなく、そばに旦那さんがいて手を握り一緒にカメラの前に立ってくれたらどんなに心強かっただろう。
現代社会で堕胎は基本的に非道徳的なことをされている。
だから、彼女は我が子を堕ろしたこととそれを決断したことと、社会的倫理と自分と周囲と何重もの責めをひとりで背負う。
だから、一緒にカメラの前に立ってくれる、それだけでもひとりで背負う荷を軽減できたら、彼女の傷はほんのすこしだけでも軽くなってくれたのではないだろうか。
堕胎をするという決断を下した人を取材するなら、なぜ夫婦共にテレビ画面に出ないし、出さないのだろう。
出演する側の意向か、制作サイドの演出かはわからない。
でも、いずれにしても、堕胎=負という感情や、それを印象付ける演出があるように感じられてしまう。
ここから暴論ですよ〜。
あのね、医療技術として出生前診断ができて、お金を払えば診断する自由が与えられていて、その中で堕胎の自由が与えられているなら、堕胎を選ぶ精神的自由だってあってしかるべきじゃないかなと思ってしまうのです。
もちろん現代日本には堕胎の自由はある。
だけど、堕胎を母親に決断させる精神的自由はかなり、ないよね。
技術もあって診断する自由まで与えるなら、その先の自由もセットにならないだろうか。
そこから先だけ一個人(特に母親)にすべてを負わせることなく、普通に選択肢のひとつと思えたら、どんなに母親の負担は軽減されるだろう。
(もしかしたら、ご夫婦でたくさん話し合いをされたかもしれないけど、テレビ的には女性ひとりだけ出演している、そこに何かしら意図があるよね)
これは堕胎を推奨しているわけでもないし、画一的な子供ばかりの世の中になってほしいわけでもないのです。
だけど、これだけ選択肢が多そうな世の中になっているのに、精神的にはほとんど選択肢がないように感じる社会が好きじゃないの。
堕胎というだけで女性は傷つくのだ。
ならば、それ以外の倫理や世間体や当事者以外からの不自由な束縛や傷なんてなくなればいいと思う。
堕胎を選ぶ精神的自由。
『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』という想像力を持てていたら、きっと精神的選択肢も増えるような気がする。
精神的選択肢が増えれば、きっと制度的選択肢を増やすことは案外簡単なんじゃないだろうか。
いろんな形の働き方があったり、いろんな形の結婚があったり、いろんな形の子育てがあったり。
クラスの半分くらいが夫婦別製や同性婚やシングルマザーやシングルファーザーだったり。
お隣はお母さんふたり、お向かいさんはお父さんひとり、上の階のご夫婦は里親。
こんなふうにいろいろな形があって、それが当たり前で、どれも選択できたらなんて自由なんだろう。
横道逸れるけど、そんな世の中になったら、政府が憂いでいる少子化に歯止めがかかるんじゃないかなって思うのです。
『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』という想像力、こういうの好きなのです^^
<関連エントリー>
『hotに3周年御礼』
『善意』
『選択肢のひとつ』
『連れションはキライ』
「等式」感想です。?りん子の「暴論」に入る前の文書は理解出来ません。そもそも、出演する、しないも自由だし演出上の意図があっても引っかからなければ問題ない。TV局のその姿勢に問題があるのは十分理解できますがね。私の拙い文書でどこまで伝わるか解りませんが、女性だけに判断を委ねたら
それは一番辛いのではないでしょうか。自分だけで決めるのは。机上論ですがその検査を受けるなら生む、生まないの結果を決めてのぞんだ方が良いと思う。ここからは私の暴論です。
検査結果で生まないと決めているなら、そのまま堕胎、考え思い悩む暇を与えない。正解がないことで、思い悩むのを覚悟して検査を受けるのであればその先を決めておかないのはバカでしょ。最初から検査を受けない自由を選んだら良いと思う。
何か、今日は「感想」と言うよりわたしの意見になってしまいました。
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COMMENT
何も知らないまま、ダウン症児を産んだわたしの意見…
那智さんの意見に一票です。
『正解がない』その通りだと思います。
その家族、その夫婦にとっての正解を考えて決めて行けばいいんですよね。
堕胎に関しては、自分も経験ありますが
やっぱり大っぴらには言えないわけで
それは一つの命を殺してしまったという思考が元。
そんな周りの人にも伝えてません。
堕胎した多くの人も同じだと思います。
だから『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』
には、あてはまりにくい気がしました。
りん子さんは、わたしより辛かったのかな…
『それ以外の倫理や世間体や当事者以外からの不自由な束縛や傷』
わたしには、なかったの。
那智さんの意見に一票です。
『正解がない』その通りだと思います。
その家族、その夫婦にとっての正解を考えて決めて行けばいいんですよね。
堕胎に関しては、自分も経験ありますが
やっぱり大っぴらには言えないわけで
それは一つの命を殺してしまったという思考が元。
そんな周りの人にも伝えてません。
堕胎した多くの人も同じだと思います。
だから『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』
には、あてはまりにくい気がしました。
りん子さんは、わたしより辛かったのかな…
『それ以外の倫理や世間体や当事者以外からの不自由な束縛や傷』
わたしには、なかったの。
《正解がない》。 だからこそ 慎重にそして気を楽に考えてほしいとオモウです。だって
何かしらの障害を持って産まれてくる本人は
…ダメ。書けません けれど事実としてわたしは叫びたいのです
生きづらいです。この世界は(泣)。
何かしらの障害を持って産まれてくる本人は
…ダメ。書けません けれど事実としてわたしは叫びたいのです
生きづらいです。この世界は(泣)。
あこさん
コメント、本当にありがとう。
こういう内容を書いて、それに近いであろう人がフラットな目線でコメントを書いてくれるブログであることがとても光栄に思います。
『等式』はわたしが書いていますが、あこさんのような読んでくれている人も一緒に作ってくれているんだね^^
那智さん、1票もらって恐縮しつつも安堵していました^^
もしかしたら、わたしは善し悪しは別で人目を気にしすぎる人間なのかもしれないね。
それは生まれ持ったものか、それ以外の要因か、わからないけど。
世間体などの不自由な束縛や傷なんてないに越したことないんだから、あこさんのそれがなくてよかったって思うよ^^
結局、その人たちが、その人なりに真剣に考える、これしかないのだね。
コメント、本当にありがとう。
こういう内容を書いて、それに近いであろう人がフラットな目線でコメントを書いてくれるブログであることがとても光栄に思います。
『等式』はわたしが書いていますが、あこさんのような読んでくれている人も一緒に作ってくれているんだね^^
那智さん、1票もらって恐縮しつつも安堵していました^^
もしかしたら、わたしは善し悪しは別で人目を気にしすぎる人間なのかもしれないね。
それは生まれ持ったものか、それ以外の要因か、わからないけど。
世間体などの不自由な束縛や傷なんてないに越したことないんだから、あこさんのそれがなくてよかったって思うよ^^
結局、その人たちが、その人なりに真剣に考える、これしかないのだね。
ゆう。さん
コメント、本当にありがとう。
この前ね「あなたは奴隷じゃないのだから、奴隷にならない限り奴隷の気持ちはわからない」というようなことを言われたの。
もちろん、その通り。
だけど、それを言っちゃうと、そこから先1㎜もその人と近づけないと残念な気持ちになりました。
わたしはゆう。さんではない、だから、わからないことはある。
だけど、わたしの大切なブログにコメントくれる人に1㎜でも近いところで寄り添いたいと思うのです。
コメントレスになってないね^^;
生きづらい世の中、せめてゆう。さんの半径5mだけでも生きやすなってほしいと願います^^
ありがとう^^
コメント、本当にありがとう。
この前ね「あなたは奴隷じゃないのだから、奴隷にならない限り奴隷の気持ちはわからない」というようなことを言われたの。
もちろん、その通り。
だけど、それを言っちゃうと、そこから先1㎜もその人と近づけないと残念な気持ちになりました。
わたしはゆう。さんではない、だから、わからないことはある。
だけど、わたしの大切なブログにコメントくれる人に1㎜でも近いところで寄り添いたいと思うのです。
コメントレスになってないね^^;
生きづらい世の中、せめてゆう。さんの半径5mだけでも生きやすなってほしいと願います^^
ありがとう^^
わたしの可愛い人の誕生日にこのエントリー(笑)
わたしの時代にも羊水検査ってあった。
8ヶ月くらいで受けられて、検査費用有料で…。
医師からじゃなく、病院からこの検査の紹介があった。
8ヶ月って、お腹のあかちゃんの胎動とかしっかりあって、しあわせを感じながらももしかしたら?っていろんな不安を抱える時期でもある。
そんな時期にこんな検査もありますよ。検査結果により堕胎もまだ間に合う時期です。と説明を受ける。
これは正直、母親は揺れるよ。
帰って夫に真剣に相談した。
わたしの気持ちは決まっていたけれど、そのもしかしたら?が現実になったとき、夫はどう考えどう生きるのか?知りたかったから。
結果、もし検査結果が陽性でも、ふたりで子どもを育てるのだから、検査の必要はない。と、夫が決断してくれた。
選択肢はある。
今回のどちらも苦しい選択をするとき、一般的にマイナスを選んだ人は、そのなかでのプラスを選択したはずだと思う。
自分にとっても生まれなかった我が子にとっても。
きれいな口は持てない。
わたしの時代にも羊水検査ってあった。
8ヶ月くらいで受けられて、検査費用有料で…。
医師からじゃなく、病院からこの検査の紹介があった。
8ヶ月って、お腹のあかちゃんの胎動とかしっかりあって、しあわせを感じながらももしかしたら?っていろんな不安を抱える時期でもある。
そんな時期にこんな検査もありますよ。検査結果により堕胎もまだ間に合う時期です。と説明を受ける。
これは正直、母親は揺れるよ。
帰って夫に真剣に相談した。
わたしの気持ちは決まっていたけれど、そのもしかしたら?が現実になったとき、夫はどう考えどう生きるのか?知りたかったから。
結果、もし検査結果が陽性でも、ふたりで子どもを育てるのだから、検査の必要はない。と、夫が決断してくれた。
選択肢はある。
今回のどちらも苦しい選択をするとき、一般的にマイナスを選んだ人は、そのなかでのプラスを選択したはずだと思う。
自分にとっても生まれなかった我が子にとっても。
きれいな口は持てない。
これは、大抵の人が、まさかだいじょうぶだろうけれど、念のため、受けるのだとおもいます。
わかってから、決断を自分がしなくてはならない。もし何かあったら、無理。そう最初に決めたところで、改めて突きつけられるとなかなかすぱっとは決められないものです。
特にたった今は、自分のお腹で幸せに生きているのだという実感があれば。その実感のために、罪悪感があるのは、多分生まれてから、父親になる男性とは立ち位置が違うからでしょうね。
産むと決めてしまえば、部外者は口をだしませんが、こういうことに関して生まない選択をすると、罵倒する人が出ますし、正義を傘にきて名前から住所まで調べ上げるような人も出かねませんから、ネットで炎上事件もある今、安全のため匿名は仕方がないところでしょう。
例えば、命を選別するとしたら。どこで線を引くか。その線のこちら側と反対側との違いが境界線のきわでは大変小さいものになることで、「選民指向が進んで、もし自分のそばに境界線があったら」という本能的な危機感によって、りん子さんのおっしゃる選択の自由に生理的な嫌悪感を持つ人は減らないと思います。
生きている価値がある、ない、というような乱暴な二元論に、こういうことへの決断は見えてしまいがちです。それに生理的な嫌悪感があるのは、人類社会として健全だと私は思いますよ。まあ、それを他人の決断を責める方向に動くのはいいとは思いませんが。
誰だって、悪い人だと思われたくないものです。きっと、群れで過ごしていた本能が今もあるんでしょうね。
わかってから、決断を自分がしなくてはならない。もし何かあったら、無理。そう最初に決めたところで、改めて突きつけられるとなかなかすぱっとは決められないものです。
特にたった今は、自分のお腹で幸せに生きているのだという実感があれば。その実感のために、罪悪感があるのは、多分生まれてから、父親になる男性とは立ち位置が違うからでしょうね。
産むと決めてしまえば、部外者は口をだしませんが、こういうことに関して生まない選択をすると、罵倒する人が出ますし、正義を傘にきて名前から住所まで調べ上げるような人も出かねませんから、ネットで炎上事件もある今、安全のため匿名は仕方がないところでしょう。
例えば、命を選別するとしたら。どこで線を引くか。その線のこちら側と反対側との違いが境界線のきわでは大変小さいものになることで、「選民指向が進んで、もし自分のそばに境界線があったら」という本能的な危機感によって、りん子さんのおっしゃる選択の自由に生理的な嫌悪感を持つ人は減らないと思います。
生きている価値がある、ない、というような乱暴な二元論に、こういうことへの決断は見えてしまいがちです。それに生理的な嫌悪感があるのは、人類社会として健全だと私は思いますよ。まあ、それを他人の決断を責める方向に動くのはいいとは思いませんが。
誰だって、悪い人だと思われたくないものです。きっと、群れで過ごしていた本能が今もあるんでしょうね。
mineさん
わたし、じつはこの検査やその後の判断に対して明確な答えは持っていないんです。
結局個々で決めていくことだし、当事者以外なにもいう権利はないと思うから。
決断を下すって、それは責任を負うという意味だと思うから、mineさんのように旦那さんが決断を下してくれるのはひとつの責任の取り方だよね。
出産、子育てという主に女が背負う部分の大きい大事なことの決断を下し、一緒に責任を負ってくれるのはありがたいし、いい男だね^^
可愛い人、お誕生日おめでとうございます^^
わたし、じつはこの検査やその後の判断に対して明確な答えは持っていないんです。
結局個々で決めていくことだし、当事者以外なにもいう権利はないと思うから。
決断を下すって、それは責任を負うという意味だと思うから、mineさんのように旦那さんが決断を下してくれるのはひとつの責任の取り方だよね。
出産、子育てという主に女が背負う部分の大きい大事なことの決断を下し、一緒に責任を負ってくれるのはありがたいし、いい男だね^^
可愛い人、お誕生日おめでとうございます^^
momoさん
この検査と、その後の判断に関しての善し悪しの答えをわたしは持っていないのです、ごめんなさい。
命に関わることだから自分なりの考えが譲れないということは理解するし、中にはそれ以外の意見を排除してしまう本能のようなものもあるのも理解します。
とてもデリケートなことだものね。
わたしがお伝えしたかったのは、わりと一事が万事、自分と異なる意見を押しつぶそうとする社会的空気があるような気がするので、窮屈だなって思うことでした。
それって足の引っぱり合いみたいで、いつか自分が引っぱられる立場になることもあるわけで、なんだかすきじゃないのです。
善悪をはっきりさせることって一見安心するんだけど、いろんな立場の人のいろんな都合があると思うから、それを許容できる成熟さがあればいいなと、夢物語のようなことを思っています。
とにかく、ひとりでも多くの女性や母が対赤ん坊、対夫、以外のことで傷ついたり責める気持ちを持つことが減るといいなと思います^^
この検査と、その後の判断に関しての善し悪しの答えをわたしは持っていないのです、ごめんなさい。
命に関わることだから自分なりの考えが譲れないということは理解するし、中にはそれ以外の意見を排除してしまう本能のようなものもあるのも理解します。
とてもデリケートなことだものね。
わたしがお伝えしたかったのは、わりと一事が万事、自分と異なる意見を押しつぶそうとする社会的空気があるような気がするので、窮屈だなって思うことでした。
それって足の引っぱり合いみたいで、いつか自分が引っぱられる立場になることもあるわけで、なんだかすきじゃないのです。
善悪をはっきりさせることって一見安心するんだけど、いろんな立場の人のいろんな都合があると思うから、それを許容できる成熟さがあればいいなと、夢物語のようなことを思っています。
とにかく、ひとりでも多くの女性や母が対赤ん坊、対夫、以外のことで傷ついたり責める気持ちを持つことが減るといいなと思います^^
りん子さん、わたしね
産んでよかったのか?って
悩んでいたことがあるの。
離婚する頃のごたごたの最中だった。
こんなにかわいいこの子を
受け入れることの出来ない父親。
この子がいることを理由に、離婚を認めないと言い張る義両親。
わたしには、今後の生活の不安。
でもこの気持ちは、この子の担任の先生に救われました。
小学部の卒業式で
『みんなに出会えて先生は本当に幸せでした』と
涙しながら伝えてくれたの。
一人でも、家族じゃない人が、この子に出会えてよかったと言ってくれる。
とてもありがたかった、産んでよかったんだって思った。
こんな経験をしながらも、わたしは検査結果によっての堕胎を反対しないのは
やっぱりしなくていい苦労なら…という気持ちが拭えきれないからかな。
産んでよかったのか?って
悩んでいたことがあるの。
離婚する頃のごたごたの最中だった。
こんなにかわいいこの子を
受け入れることの出来ない父親。
この子がいることを理由に、離婚を認めないと言い張る義両親。
わたしには、今後の生活の不安。
でもこの気持ちは、この子の担任の先生に救われました。
小学部の卒業式で
『みんなに出会えて先生は本当に幸せでした』と
涙しながら伝えてくれたの。
一人でも、家族じゃない人が、この子に出会えてよかったと言ってくれる。
とてもありがたかった、産んでよかったんだって思った。
こんな経験をしながらも、わたしは検査結果によっての堕胎を反対しないのは
やっぱりしなくていい苦労なら…という気持ちが拭えきれないからかな。
あこさん
わたしね、子どもが小さい頃、親にとっても子どもにとっても必要なのは『身内以外の大人からの愛情』だなって思っていたんだ。
これって親としてもすごくうれしいことだよね。
あこさんのお話しを聞いて、その考えと似ていると感じられて、うれしかった。
素敵な感性の先生に感謝だよ^^
あこさんの意見は、今後あこさんの周囲で悩んでいる人がいたときに貴重な参考になると思います。
そういう機会があったらあこさんの素直な気持ちを伝えられるといいね^^
わたしね、子どもが小さい頃、親にとっても子どもにとっても必要なのは『身内以外の大人からの愛情』だなって思っていたんだ。
これって親としてもすごくうれしいことだよね。
あこさんのお話しを聞いて、その考えと似ていると感じられて、うれしかった。
素敵な感性の先生に感謝だよ^^
あこさんの意見は、今後あこさんの周囲で悩んでいる人がいたときに貴重な参考になると思います。
そういう機会があったらあこさんの素直な気持ちを伝えられるといいね^^