あなたの一部
独特な幸福感
那智さんが幸せだとわたしは嬉しい。
ほんの些細なことでも、気分が「ぱっ」と明るくなるような瞬間が少しでも多ければいいなといつも思ってる。
逆に、お仕事が大変だったり気がかりなことがあるようだと、一分でも一秒でも早くその状態から抜け出してほしいと気を揉んでしまう。
那智さんは、そういう気分の上下をあまり見せる人じゃないし、それでこちらに当たったり機嫌が悪くなったりする人じゃないから、那智さんがご機嫌だろうと窮地 (そんな大げさなことじゃなけど)だろうと、ほとんど被害は及ばないので、それによってわたしが一喜一憂する必要はないのだけど。
一喜一憂することなんて那智さんはわたしに頼みもしてないし、わたしが勝手に喜んだり切なくなったりしてるだけなのだけど。
那智さんが嬉しいとわたしも嬉しいし、那智さんが苦しいとわたしも苦しい。
これは、好きな人を思うというよりも、同化に近いと思う。
わたしは、わたしを「個」ではなくて、那智さんの一部と思うような、とても幼い未熟な感覚だろう。
幼いとわかっていても、そう思ってしまうのはしかたないし、好きな人の幸福を願うのはそんなに悪いことじゃないから、いいよね。
でも、たまに、那智さん以上につらくなってしまって、かえって迷惑かけてしまうこともあったりで、あまり過剰だとほめられたことでもないけれど。
たとえば、こんなこと。
いつもブラックでコーヒーを飲む那智さんに、牛乳たっぷりのカフェオレを出したことがある。
そのときは、それほどリアクションはなかったのだけど、翌日になって電話で「牛乳入れて飲むのも、おいしいね」と感想を言われた。
それで、わたしは「ふふふ」となってしまうのだ。
それは、わたしがほめられたと感じたからではなくて、那智さんが「おいしい」と思ったこととか、コーヒーの味のバリエーションが増えたこととか、そんなことで、わたしの気持ちがホクホクしてしまうの。
きっと単純に「おいしい」と思った那智さん以上に、嬉しい気持ちになってるはず。
人の良い気分をお裾分けしてもらえて、なんてお得な性質でしょう。
その分、大変そうなときは、わたしも一緒に気合い入れちゃうから大変なんだけど^^;
(あ、でも、その気合いっていうのは、「いつもよりいい子でいる!!」みたいな気合いでして、なにかアドバイスするとか、そういう生産的な気合いじゃないです…情けない)
先日も通勤電車が事故で足止めを食らい、出勤時から大変だった那智さん。
そんなこと社会人なら日常茶飯事なのは百も承知なんだけど、「電車遅れてる」と暇つぶしにくれたメールに「電車のばか!!」と無意味な文句をつけるわたし。
だって、那智さん大変だもん。
でも、実は、那智さんを大変にさせてるのは、仕事でもなんでもなくて、わたしかもしれないと思ったりもする。
そのときは、かなりのぐずりの合間だったので、そんなふうに思いながらも。
それでも、自分のことは棚に上げて「不安要素」に悪態をつく^^;
う〜ん、やっぱり「同化」とか「一部」とか、そんな感覚がわたしの喜びなんだな。
ちょっと幼くて気恥ずかしいけど。
でも、そうして一体感の安心を感じさせてもらって、ちょっとずつちょっとずつ木の上の巣から外を覗き、いつか「えいっ」てひとりで飛ぶ勇気を持てるようになるといいな。
いつか書くかな、けっこうぐずってまして、「あなたの一部」なんて可愛らしいこと言えたもんじゃないほどでした。
でも、それにもずっと付き合ってくれた那智さんに感謝の気持ちで、今夜はこれをエントリー。
那智さんが幸せだとわたしは嬉しい。
ほんの些細なことでも、気分が「ぱっ」と明るくなるような瞬間が少しでも多ければいいなといつも思ってる。
逆に、お仕事が大変だったり気がかりなことがあるようだと、一分でも一秒でも早くその状態から抜け出してほしいと気を揉んでしまう。
那智さんは、そういう気分の上下をあまり見せる人じゃないし、それでこちらに当たったり機嫌が悪くなったりする人じゃないから、那智さんがご機嫌だろうと窮地 (そんな大げさなことじゃなけど)だろうと、ほとんど被害は及ばないので、それによってわたしが一喜一憂する必要はないのだけど。
一喜一憂することなんて那智さんはわたしに頼みもしてないし、わたしが勝手に喜んだり切なくなったりしてるだけなのだけど。
那智さんが嬉しいとわたしも嬉しいし、那智さんが苦しいとわたしも苦しい。
これは、好きな人を思うというよりも、同化に近いと思う。
わたしは、わたしを「個」ではなくて、那智さんの一部と思うような、とても幼い未熟な感覚だろう。
幼いとわかっていても、そう思ってしまうのはしかたないし、好きな人の幸福を願うのはそんなに悪いことじゃないから、いいよね。
でも、たまに、那智さん以上につらくなってしまって、かえって迷惑かけてしまうこともあったりで、あまり過剰だとほめられたことでもないけれど。
たとえば、こんなこと。
いつもブラックでコーヒーを飲む那智さんに、牛乳たっぷりのカフェオレを出したことがある。
そのときは、それほどリアクションはなかったのだけど、翌日になって電話で「牛乳入れて飲むのも、おいしいね」と感想を言われた。
それで、わたしは「ふふふ」となってしまうのだ。
それは、わたしがほめられたと感じたからではなくて、那智さんが「おいしい」と思ったこととか、コーヒーの味のバリエーションが増えたこととか、そんなことで、わたしの気持ちがホクホクしてしまうの。
きっと単純に「おいしい」と思った那智さん以上に、嬉しい気持ちになってるはず。
人の良い気分をお裾分けしてもらえて、なんてお得な性質でしょう。
その分、大変そうなときは、わたしも一緒に気合い入れちゃうから大変なんだけど^^;
(あ、でも、その気合いっていうのは、「いつもよりいい子でいる!!」みたいな気合いでして、なにかアドバイスするとか、そういう生産的な気合いじゃないです…情けない)
先日も通勤電車が事故で足止めを食らい、出勤時から大変だった那智さん。
そんなこと社会人なら日常茶飯事なのは百も承知なんだけど、「電車遅れてる」と暇つぶしにくれたメールに「電車のばか!!」と無意味な文句をつけるわたし。
だって、那智さん大変だもん。
でも、実は、那智さんを大変にさせてるのは、仕事でもなんでもなくて、わたしかもしれないと思ったりもする。
そのときは、かなりのぐずりの合間だったので、そんなふうに思いながらも。
それでも、自分のことは棚に上げて「不安要素」に悪態をつく^^;
う〜ん、やっぱり「同化」とか「一部」とか、そんな感覚がわたしの喜びなんだな。
ちょっと幼くて気恥ずかしいけど。
でも、そうして一体感の安心を感じさせてもらって、ちょっとずつちょっとずつ木の上の巣から外を覗き、いつか「えいっ」てひとりで飛ぶ勇気を持てるようになるといいな。
いつか書くかな、けっこうぐずってまして、「あなたの一部」なんて可愛らしいこと言えたもんじゃないほどでした。
でも、それにもずっと付き合ってくれた那智さんに感謝の気持ちで、今夜はこれをエントリー。