善意
りん子的独り言(エラそう)
ちょっと人として正しいことじゃないかもしれない考え方が浮かんでしまった。
そうなると、書かずにはいられない。
これが正解とは思っていないのだけど、そんな考え方もあるかもと思って読んでいただけるとありがたいです。
ちょっと極端なこと書くから、ビクビクです^^;
『壁にならない常に卵の側に』なんてステキなことを書いているけれど、別に私は博愛の天使でも聖人君子でもない。
(『hotに3周年御礼』『連れションはキライ』
普通に意地悪いことも考えるしとても嫉妬深いし、ずるいところだってたくさんある。
那智さんや気の置けない友人には毒だって吐く。
だから那智さんには『性格悪い』と言われるし、ブログを読んでいる友人は『カッコつけちゃって〜』と思っているかもしれない。
そりゃあ、そうよね。
人間なんだもの。
ただ、毒を吐く時に気を付けていることがふたつある。
ひとつは、毒は吐くけど『その事柄』に対してだけで、『その人』に対してはなるべく吐かないようにしている。
罪を憎んで人を憎まずという感じ。
人って、『あの人って○○だよね〜』という話になるといつの間にかその人の全人格否定みたいな感じになっちゃうでしょ?
まあ、見ず知らずの芸能人とかならそれでもいいけど、その場にいない知り合いに対してでも、そういう傾向ってあるよね。
結果『あいつムカつく』になってしまう^^;
私は、これが苦手。
だから、その人の一部に対して毒は吐くけど、その人自身には吐かないようにしている。
それともうひとつ。
これが『壁にならない』の表れなんだけど。
その毒を吐くのは、基本的に友人とふたりだけの時だけにしている。
ふたりだけだと、そこから壁に発展しないから。
3人になれば、気の合ううちはいいけれど、もしかしたらその毒が3人のうちの1人に向かってしまって2対1という構図ができてしまったりすることあるよね。(そうじゃないこともあるでしょけど)
これは、私にとってはもう壁なのだ。
だから、複数の友人がいるところでは毒は吐かない。
例外はあって、私が毒を吐きそれと同感の意見が出たら、すっと引いてそれ以上毒が広がらないようにしてくれる人がいる場合は3、4人いてもする。
那智さんもそう。
だから私は那智さんを交えてお友達と会っても安心して毒を吐けるのです。
あ、その代わり、普段でも私の怒りに共感してほしくても、別の角度からの見方を言われたりしてつまんなーいってことにもなるけど^^;(『那智さんに足りないもの』)
最近は更に、人数が増えればそれだけ『毒(悪意ともいう)』の量が増えて、その毒にやられちゃうということもあるのかなと思ってます。(『チューニング』)
これは、『卵の側』でもなんでもない保身だよね^^;
まあ、とにかく、いろんなことを含めて『壁にならない卵の側に』とステキ(?)なことを言ってます^^;
私自身もこの『卵の側』という定義が漠然としているのだけど、那智さんも疑問に思うらしい。
本人さえ漠然としているのだから、まあ、当然だよね。
かっこいい考え方だと思うけど、かっこいいと言い切れるほどの根拠がないと思っているらしい。
だから、時々この話をしてくる。
りん子は弱い人の味方ってわけでもないんだよな。
はい、弱い人も集団になれば壁になりますからね。
じゃあ、群衆心理みたいなのがいやなの?
う〜ん、それもあるんですけど、それだけじゃないって感じです。
そんな大勢じゃなくても、少数でも1対複数になる構図がいやという感じかな〜。
割と人って、1対複数になりやすいでしょ?
それって単に、いままでのりん子の周辺の人間関係が良くなかっただけじゃない!?
うう、そうかもしれないです^^;
ここから那智さんシミュレーション。
『壁にならない、卵の側に』に正当性があるか確認してくる。
じゃあ、例えば○○さんや○○さんがいて、その人たちが毒を吐くのはいいの?
と、1対複数の構図を作らなそうな共通の友人の例にあげる。
うう、それでも私の苦手な『空気』になるならいやですね、そうなったら、それ以上壁が大きくならないように私は黙るかもしれない。
その場で提示されるシミュレーションにその場で答えているので、一貫性がないかな〜なんて思いながらも思いつくままに答えていく。
じゃあ、○○さんや○○さんと、同じタイプの人が数人いて、(そんなにたくさんいるかなぁ)いたとして^^
その人たちが誰かに対して『毒』じゃなく、『善意』の気持ちからの意見がでていたら、それは壁?
『◎◎さんのここはよくないから、なんとかしてあげよう』みたいな。
そこで、私は思いもよらない意見を言ってしまって、自分でもびっくり。
善意も集団になった時点で善意じゃなくなります。
うわあ、これ一般的に言ったら間違った考え方だよね!?
でも、意外と私の気持ちから外れていないかもという気分にもなる^^;
へぇ〜、また大胆なこと言うね〜。
面白がる那智さん。
口火を切ったら止まらない。
善意って、基本的に個々で生まれるもので、その善意の種類もそれぞれなはずですよね。
それを一括りの『善意』にする時点で、それは個の善意から離れている。
そうなると、それは善意じゃないのではないでしょうか?
こういうのは?
○○地震の被害に遭われた人に募金をしましょうという集団の善意は、善意じゃないの?
またまた思いつくままに。
えっと、例えばクラスとかで『みんなで募金しましょう』ということになれば、ほんとはしたくない人や家庭の事情で募金をできない人にとっては、それは善意じゃないですよね。
募金は個人でするものです。
個人の善意が集まって結果『集団』になるのはいいけれど、最初から『集団』になってするものは善意じゃないというのは、どうでしょう?
う〜ん、確かにそうかも。
『お年寄りには親切にしましょう』というのは教育として必要です。
でも、それを『集団』として強制するのは、善意じゃないと思いますよ。
例えば、ママさん友だちで1人具合が悪くなって『じゃあ、みんなで毎日交代でおかずを届けてあげましょう』ということになったら、確かにいいことだとは思うけど、それって善意かな?
クラスの○○君は九九が覚えられないから、クラスのみんなで残って教えてあげましょうっていうのも、善意かな?
困っている人に手を差し伸べるのに『みんなの意見』とする必要はないと思うのです。
個々の意志で手を差し伸べてあげたい人が、差し伸べたい方法でしてあげることが善意だと思いますよ。
募金とかは、それがたまたま集まっただけで。
だから、那智さんのおっしゃるケースも、私には『壁』かな。
『善意は集団になった時点で善意じゃない』
『善意は個であるもの』
話ながら、かなり偏った意見を言っていると、自分でもヒヤヒヤしてくる。
私の中でもまだそう言い切れるほど熟考されていないので、これが正しいとは言い切れない。
でも、私の苦手な『壁』のイメージに近い気がして、この考え方が浮かんだときは、若干爽快感さえ感じてしまった。
暴論であることは承知の上で、そんな考え方もあるかもよ〜というエントリーでした^^;
うう、どうしましょう。
かっこいいこと書いてますけど全然立派な人じゃないんです〜と書きたかったのだけど。
なんだか、これじゃぁただの偏屈な女になってしまった気がする^^;
ちょっと人として正しいことじゃないかもしれない考え方が浮かんでしまった。
そうなると、書かずにはいられない。
これが正解とは思っていないのだけど、そんな考え方もあるかもと思って読んでいただけるとありがたいです。
ちょっと極端なこと書くから、ビクビクです^^;
『壁にならない常に卵の側に』なんてステキなことを書いているけれど、別に私は博愛の天使でも聖人君子でもない。
(『hotに3周年御礼』『連れションはキライ』
普通に意地悪いことも考えるしとても嫉妬深いし、ずるいところだってたくさんある。
那智さんや気の置けない友人には毒だって吐く。
だから那智さんには『性格悪い』と言われるし、ブログを読んでいる友人は『カッコつけちゃって〜』と思っているかもしれない。
そりゃあ、そうよね。
人間なんだもの。
ただ、毒を吐く時に気を付けていることがふたつある。
ひとつは、毒は吐くけど『その事柄』に対してだけで、『その人』に対してはなるべく吐かないようにしている。
罪を憎んで人を憎まずという感じ。
人って、『あの人って○○だよね〜』という話になるといつの間にかその人の全人格否定みたいな感じになっちゃうでしょ?
まあ、見ず知らずの芸能人とかならそれでもいいけど、その場にいない知り合いに対してでも、そういう傾向ってあるよね。
結果『あいつムカつく』になってしまう^^;
私は、これが苦手。
だから、その人の一部に対して毒は吐くけど、その人自身には吐かないようにしている。
それともうひとつ。
これが『壁にならない』の表れなんだけど。
その毒を吐くのは、基本的に友人とふたりだけの時だけにしている。
ふたりだけだと、そこから壁に発展しないから。
3人になれば、気の合ううちはいいけれど、もしかしたらその毒が3人のうちの1人に向かってしまって2対1という構図ができてしまったりすることあるよね。(そうじゃないこともあるでしょけど)
これは、私にとってはもう壁なのだ。
だから、複数の友人がいるところでは毒は吐かない。
例外はあって、私が毒を吐きそれと同感の意見が出たら、すっと引いてそれ以上毒が広がらないようにしてくれる人がいる場合は3、4人いてもする。
那智さんもそう。
だから私は那智さんを交えてお友達と会っても安心して毒を吐けるのです。
あ、その代わり、普段でも私の怒りに共感してほしくても、別の角度からの見方を言われたりしてつまんなーいってことにもなるけど^^;(『那智さんに足りないもの』)
最近は更に、人数が増えればそれだけ『毒(悪意ともいう)』の量が増えて、その毒にやられちゃうということもあるのかなと思ってます。(『チューニング』)
これは、『卵の側』でもなんでもない保身だよね^^;
まあ、とにかく、いろんなことを含めて『壁にならない卵の側に』とステキ(?)なことを言ってます^^;
私自身もこの『卵の側』という定義が漠然としているのだけど、那智さんも疑問に思うらしい。
本人さえ漠然としているのだから、まあ、当然だよね。
かっこいい考え方だと思うけど、かっこいいと言い切れるほどの根拠がないと思っているらしい。
だから、時々この話をしてくる。
りん子は弱い人の味方ってわけでもないんだよな。
はい、弱い人も集団になれば壁になりますからね。
じゃあ、群衆心理みたいなのがいやなの?
う〜ん、それもあるんですけど、それだけじゃないって感じです。
そんな大勢じゃなくても、少数でも1対複数になる構図がいやという感じかな〜。
割と人って、1対複数になりやすいでしょ?
それって単に、いままでのりん子の周辺の人間関係が良くなかっただけじゃない!?
うう、そうかもしれないです^^;
ここから那智さんシミュレーション。
『壁にならない、卵の側に』に正当性があるか確認してくる。
じゃあ、例えば○○さんや○○さんがいて、その人たちが毒を吐くのはいいの?
と、1対複数の構図を作らなそうな共通の友人の例にあげる。
うう、それでも私の苦手な『空気』になるならいやですね、そうなったら、それ以上壁が大きくならないように私は黙るかもしれない。
その場で提示されるシミュレーションにその場で答えているので、一貫性がないかな〜なんて思いながらも思いつくままに答えていく。
じゃあ、○○さんや○○さんと、同じタイプの人が数人いて、(そんなにたくさんいるかなぁ)いたとして^^
その人たちが誰かに対して『毒』じゃなく、『善意』の気持ちからの意見がでていたら、それは壁?
『◎◎さんのここはよくないから、なんとかしてあげよう』みたいな。
そこで、私は思いもよらない意見を言ってしまって、自分でもびっくり。
善意も集団になった時点で善意じゃなくなります。
うわあ、これ一般的に言ったら間違った考え方だよね!?
でも、意外と私の気持ちから外れていないかもという気分にもなる^^;
へぇ〜、また大胆なこと言うね〜。
面白がる那智さん。
口火を切ったら止まらない。
善意って、基本的に個々で生まれるもので、その善意の種類もそれぞれなはずですよね。
それを一括りの『善意』にする時点で、それは個の善意から離れている。
そうなると、それは善意じゃないのではないでしょうか?
こういうのは?
○○地震の被害に遭われた人に募金をしましょうという集団の善意は、善意じゃないの?
またまた思いつくままに。
えっと、例えばクラスとかで『みんなで募金しましょう』ということになれば、ほんとはしたくない人や家庭の事情で募金をできない人にとっては、それは善意じゃないですよね。
募金は個人でするものです。
個人の善意が集まって結果『集団』になるのはいいけれど、最初から『集団』になってするものは善意じゃないというのは、どうでしょう?
う〜ん、確かにそうかも。
『お年寄りには親切にしましょう』というのは教育として必要です。
でも、それを『集団』として強制するのは、善意じゃないと思いますよ。
例えば、ママさん友だちで1人具合が悪くなって『じゃあ、みんなで毎日交代でおかずを届けてあげましょう』ということになったら、確かにいいことだとは思うけど、それって善意かな?
クラスの○○君は九九が覚えられないから、クラスのみんなで残って教えてあげましょうっていうのも、善意かな?
困っている人に手を差し伸べるのに『みんなの意見』とする必要はないと思うのです。
個々の意志で手を差し伸べてあげたい人が、差し伸べたい方法でしてあげることが善意だと思いますよ。
募金とかは、それがたまたま集まっただけで。
だから、那智さんのおっしゃるケースも、私には『壁』かな。
『善意は集団になった時点で善意じゃない』
『善意は個であるもの』
話ながら、かなり偏った意見を言っていると、自分でもヒヤヒヤしてくる。
私の中でもまだそう言い切れるほど熟考されていないので、これが正しいとは言い切れない。
でも、私の苦手な『壁』のイメージに近い気がして、この考え方が浮かんだときは、若干爽快感さえ感じてしまった。
暴論であることは承知の上で、そんな考え方もあるかもよ〜というエントリーでした^^;
うう、どうしましょう。
かっこいいこと書いてますけど全然立派な人じゃないんです〜と書きたかったのだけど。
なんだか、これじゃぁただの偏屈な女になってしまった気がする^^;
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