相対と絶対(ひと言追記アリ)
りん子的独り言(生意気)
どこかで聞いた話だけど。
男は相対評価が好きで、女は絶対評価が好き
なんだそうだ。
何事も男女でわけてしまうことは少しためらうのだけど、ここは話題提供としてお読みくださいませ。
他者との比較の上に成り立つ相対評価と個人の達成で計る絶対評価。
なるほど。
たとえば、男性はセックスの後の興奮さめやらぬ状態で息を切らせた女性に「いままでの男の中で一番いい」と言われるのと「出会った頃よりずいぶんいいわ」と言われるのであれば、きっと前者のほうがうれしく思う?
対して、フェラチオをしている女性は「いままでの女の中で一番うまい」と言われるよりも「最初の頃よりずいぶんうまくなったね」と言われたほうが素直に喜べる?
男は他者と比べて評価されるとうれしくて、女は自分だけを見て評価してほしいのだそうだ。
本能がそうさせている論もあまり好きじゃないのだけど(笑)
種を植え付けるために他者を蹴落とさないといけなかったオスは相対的に評価されるほうがうれしくて、良い遺伝子をくれるオスをしっかり我が物にしておきたいメスは絶対的でありたいのかもしれないね。
わたしも時々那智さんに過去の女性はどうだったかと比較の材料になるような質問をしてしまうけど、じつは、そこで本当にほしい答えは『他者なんて関係ないりん子だけがいい』という絶対的なものなんだろうなと、いまさら気づく^^;
男女の間において『比較』する評価の仕方はあまり幸福な結果にはならないとは思うけど、まあ、話題提供としてざっくりと納得したお話。
で、それがすべてだとはいわないけど、ここからはそんな話題から思うちょっとまじめなお話。
モカちゃんがいた頃(いきなり名前出した、ごめん、モカちゃん^^そして、今後モカちゃん話題続く予定ですm(_ _)m)
那智さんはふたりを比べないために『できる姉と見習いの妹』というポジションを作った。
最初から違いを作ることで比べることは無意味だと思わせようとしたし、モカちゃんも『できない』ポジションを楽しんでくれていたから、比較による苦しみは最小限に抑えられていたはず。
でも、女がふたり揃うというだけで、どうしようもない嫉妬心が生まれるものだ。
那智さんがモカちゃんを褒める様子を目にするのは、とてもとても嫉妬した、本当に痩せるほど(笑)
(いや、それがお前の望んだ焦がれるだろ!?と自分でも思うけど^^;ついでに、モカちゃんにも多少は複雑な思いはあったと思うけどね、ありがとう)
いまモカが褒められていることをわたしはとっくにできているのに、そのわたしは褒めてもらえない!!と、まったく意味のない嫉妬。
そんなとき、ついモカちゃんと自分を比較して、なんとか『褒めてもらう』を引き出そうと思いめぐらすけど、この思考回路や感触は本当に本当にキライだった。
思いめぐらすだけで自己嫌悪してしまうほどだったので、実際には比較して褒めてもらうという方法を取ることはほとんどしなかったのだけど、その思いをめぐらすだけでも、十分苦痛なものだった。
他者と比べることで起こる優越感は、わたしが避けたい感情のひとつ。
那智さんもそれをしてしまうわたしは好みではないだろうから、ほとんどしないで済んでいたけれど、もしかして相対的に評価してもらっても、わたしのほしいものにはならなかったのではないかと思う。
わたしにとって、自己嫌悪せず、評価してもらっていると素直に受け取れるのは、きっと絶対評価なのだろう。
『りん子だけを見て評価している』ね。
そんな思いがあるから、わたしは奴隷さんが女性の場合の『多頭』というものが女性にとって幸福なものなのか疑念を抱いている。
まあ、性癖や嗜好で多頭を好む女性や納得している奴隷さんはもちろん否定はしないです。
だから個々の事例ではなくて、『多頭』というシステム(?)に対して女性が幸福になれるだろうかと疑っているとご理解ください。
女は絶対評価がうれしいのだとしたら、どうしても他者と比較してしまうようなシステムは幸福になれないんじゃないかなと思う。
競争意識をあおるなんてことは、なおさら。
モカちゃんのときに思いめぐらせた気持ちと似た競争意識が女性の心に芽生えることはあまり幸福ではないような気がするのだ。
女同士の競争は心を疲弊させる、真綿のような心でいられない行為だ。
(なんとなく男性の奴隷さんだと受け入れられるのは、きっと『男=競争』という一般的な観念がわたしにあるからなのかな)
願わくば。
たくさんの奴隷さんとお付き合いしたいご主人様がいるならば、それを彼女たちにも公言して受け入れさせるなら、みんなそれぞれ絶対評価をしてあげてもらえたらいいなと思う。
世界には一夫多妻があるくらいだから、多頭というシステム=つらいではないのかもしれないけど、『男女の相対評価と絶対評価』の話を聞いて、そんなふうに思うのでした。
追記
つきつめると。
『○○だけを見て評価している』ということを絶対評価としたなら、それって、究極の相対評価になる?
う〜ん、まとまってないね、失礼しました^^;
朝の「等式」感想です。
「男は他者と比べて評価されるとうれしくて、女は自分だけを見て評価してほしいのだそうだ。」男は自ら比較し、比較される部分辛い。女性を比較しなくて評価できるのが「楽」で良いなと感じました。モテる男性はこの辺を理解しているのでしょうね。(笑)
りん子(^-^)相対評価はつらいけど簡単。絶対評価は快くできるけど、難しい。というようなことが今日の那智さんの感想です(笑)
どこかで聞いた話だけど。
男は相対評価が好きで、女は絶対評価が好き
なんだそうだ。
何事も男女でわけてしまうことは少しためらうのだけど、ここは話題提供としてお読みくださいませ。
他者との比較の上に成り立つ相対評価と個人の達成で計る絶対評価。
なるほど。
たとえば、男性はセックスの後の興奮さめやらぬ状態で息を切らせた女性に「いままでの男の中で一番いい」と言われるのと「出会った頃よりずいぶんいいわ」と言われるのであれば、きっと前者のほうがうれしく思う?
対して、フェラチオをしている女性は「いままでの女の中で一番うまい」と言われるよりも「最初の頃よりずいぶんうまくなったね」と言われたほうが素直に喜べる?
男は他者と比べて評価されるとうれしくて、女は自分だけを見て評価してほしいのだそうだ。
本能がそうさせている論もあまり好きじゃないのだけど(笑)
種を植え付けるために他者を蹴落とさないといけなかったオスは相対的に評価されるほうがうれしくて、良い遺伝子をくれるオスをしっかり我が物にしておきたいメスは絶対的でありたいのかもしれないね。
わたしも時々那智さんに過去の女性はどうだったかと比較の材料になるような質問をしてしまうけど、じつは、そこで本当にほしい答えは『他者なんて関係ないりん子だけがいい』という絶対的なものなんだろうなと、いまさら気づく^^;
男女の間において『比較』する評価の仕方はあまり幸福な結果にはならないとは思うけど、まあ、話題提供としてざっくりと納得したお話。
で、それがすべてだとはいわないけど、ここからはそんな話題から思うちょっとまじめなお話。
モカちゃんがいた頃(いきなり名前出した、ごめん、モカちゃん^^そして、今後モカちゃん話題続く予定ですm(_ _)m)
那智さんはふたりを比べないために『できる姉と見習いの妹』というポジションを作った。
最初から違いを作ることで比べることは無意味だと思わせようとしたし、モカちゃんも『できない』ポジションを楽しんでくれていたから、比較による苦しみは最小限に抑えられていたはず。
でも、女がふたり揃うというだけで、どうしようもない嫉妬心が生まれるものだ。
那智さんがモカちゃんを褒める様子を目にするのは、とてもとても嫉妬した、本当に痩せるほど(笑)
(いや、それがお前の望んだ焦がれるだろ!?と自分でも思うけど^^;ついでに、モカちゃんにも多少は複雑な思いはあったと思うけどね、ありがとう)
いまモカが褒められていることをわたしはとっくにできているのに、そのわたしは褒めてもらえない!!と、まったく意味のない嫉妬。
そんなとき、ついモカちゃんと自分を比較して、なんとか『褒めてもらう』を引き出そうと思いめぐらすけど、この思考回路や感触は本当に本当にキライだった。
思いめぐらすだけで自己嫌悪してしまうほどだったので、実際には比較して褒めてもらうという方法を取ることはほとんどしなかったのだけど、その思いをめぐらすだけでも、十分苦痛なものだった。
他者と比べることで起こる優越感は、わたしが避けたい感情のひとつ。
那智さんもそれをしてしまうわたしは好みではないだろうから、ほとんどしないで済んでいたけれど、もしかして相対的に評価してもらっても、わたしのほしいものにはならなかったのではないかと思う。
わたしにとって、自己嫌悪せず、評価してもらっていると素直に受け取れるのは、きっと絶対評価なのだろう。
『りん子だけを見て評価している』ね。
そんな思いがあるから、わたしは奴隷さんが女性の場合の『多頭』というものが女性にとって幸福なものなのか疑念を抱いている。
まあ、性癖や嗜好で多頭を好む女性や納得している奴隷さんはもちろん否定はしないです。
だから個々の事例ではなくて、『多頭』というシステム(?)に対して女性が幸福になれるだろうかと疑っているとご理解ください。
女は絶対評価がうれしいのだとしたら、どうしても他者と比較してしまうようなシステムは幸福になれないんじゃないかなと思う。
競争意識をあおるなんてことは、なおさら。
モカちゃんのときに思いめぐらせた気持ちと似た競争意識が女性の心に芽生えることはあまり幸福ではないような気がするのだ。
女同士の競争は心を疲弊させる、真綿のような心でいられない行為だ。
(なんとなく男性の奴隷さんだと受け入れられるのは、きっと『男=競争』という一般的な観念がわたしにあるからなのかな)
願わくば。
たくさんの奴隷さんとお付き合いしたいご主人様がいるならば、それを彼女たちにも公言して受け入れさせるなら、みんなそれぞれ絶対評価をしてあげてもらえたらいいなと思う。
世界には一夫多妻があるくらいだから、多頭というシステム=つらいではないのかもしれないけど、『男女の相対評価と絶対評価』の話を聞いて、そんなふうに思うのでした。
追記
つきつめると。
『○○だけを見て評価している』ということを絶対評価としたなら、それって、究極の相対評価になる?
う〜ん、まとまってないね、失礼しました^^;
朝の「等式」感想です。
「男は他者と比べて評価されるとうれしくて、女は自分だけを見て評価してほしいのだそうだ。」男は自ら比較し、比較される部分辛い。女性を比較しなくて評価できるのが「楽」で良いなと感じました。モテる男性はこの辺を理解しているのでしょうね。(笑)
りん子(^-^)相対評価はつらいけど簡単。絶対評価は快くできるけど、難しい。というようなことが今日の那智さんの感想です(笑)