選択肢のひとつ
りん子的独り言(エラそう)
とてもデリケートな話題なんだけど書こうと思う。
あえて詳細を調べずニュースの記憶だけを頼りに書くことをご了承ください。
なぜなら、その事件そのものを指しているわけでもなく誰かを糾弾したいわけでもなく、痛ましい事件から思うことを書きたいということをご理解ください。
すこし前、小学生の自殺が報じられた。
クラスで孤立して言葉による暴力や給食をひとりで食べたりしていたらしい。
親も学校に再三改善を求め、それなりに対応していたらしいけど、命を救えることはできなかった。
(ごめんなさい、これくらいしか詳細を知らない)
とても心が痛む出来事。
小学生で命を絶つ選択をしたその子の心を思うととても辛いし、残された関係者はどこかで好転できなかったか自責しながら考えるだろうなと、それもやるせない。
こういうことはどこにでもたくさんあることで、その個々に対応の仕方はあるだろうし、わたしも自分の子供が同じような目に遭ったらこんな呑気なこと言っていられないだろう。
即解決の方法はないと思うけど。
だけど。
こういう子が『ひとりでいることは恥ずかしいことでもみじめなことでもなく、劣っていることでもない』って思えていたら、どんなに気持ちがラクだっただろう。
って、思う。
わたしが中学生の頃かな『シカト』という忌み嫌う言葉が使われ出した。
あの頃から集団でいることとひとりでいることに優劣ができた気がする。
もちろん昔から村八分とかあったし、仲間はずれなんていまに始まったことではないよね。
むしろ教育によって『差別』はなくなっているくらいだっただろう。
でも、うまく言えないけど、あの言葉が使われ出した頃から(それがきっかけじゃないけどね)ひとりを作る優越感とひとりでいることの劣等感が育ってきているように感じるのだ。
学生の頃、クラスメイトから呼び出し喰らったことがある。
それまで別の子をシカトしていたのが、その子も含めて急に矛先がわたしに向いたのだ。
そんな人たちの中にいたくないから、わたしのことムカついてもいいからさっさと仲間から外してくれと、せいせいしていたけど、ひとつだけ『明日、お弁当のとき、どうしようかな、ひとりかなぁ』とちょっぴり気がかりだった。
それでもクラスにはひとりで行動している子もいて、クラスでは『○ちゃん、またひとりで本読んでるよ〜』なんていうのんびりした空気もまだ存在していたから、まあなんとかなるなとちょっと余裕はあったと思う。
那智さんはわたしと干支半周くらいの年の差がある。
もともと『ひとりでいること』を許容できる人だったと思うので、那智さんからしたら何をそんな当然のこと?と思っているかもしれない。
でも、その数年の環境の違いは大きいと感じる。
那智さんと同世代の友人が何人かいるけど、一様に『ひとりの劣等感や恐怖感』は薄い。
懐古主義ではないけれど、昔のほうが社会はひとりを許容する余裕があり、異端や変わり者も社会で普通に存在していたと思う。
干支半周でも違いを感じるくらいだ。
恐らくあの頃に比べたら格段に『ひとりでいることの恐怖』は増しているように思う。
わたしは、あまり気の利いた付き合いというのが上手くないらしい。
社交や適度な距離というのが苦手だ。
何度か書いているけれど、『卵の側にいたい』と思うし『個々に一本一本繋がっている』のが好きだ。
若い頃、母親になっても、たくさんの人と仲良しグループになれないな〜とそんな自分に劣等感を覚えたこともあるけれど、あるときから苦手なことをするくらいだったら公園でも幼稚園でも自分の思う礼儀と常識をわきまえていれば、後はひとりでもいいって思うようにした。
もちろん、家族もいたし友達もいたから本当の意味のひとりではないけれど、母親の輪に入らない程度のひとりだけどね^^;
ブログをはじめて、自分の人付き合いのあり方を分析することもできて、尚更、わたしはこれがいいんだって思えている。
大人になれば、ひとりでいる劣等感や恐怖からすこしずつ解放されることもあるのだ。
それが社会全体の空気になれば、小さい子が戦々恐々とならずに済むのになって思う。
ひとりは恥ずかしいことでもみじめなことでもなく、劣っているわけでもない。
もちろんそれだけじゃ解決しないよね。
言葉の暴力やたくさん実害はあるだろう。
だけど、その子も他のクラスメイトも親も先生も、様々な暴力のある中給食の輪に入れようと躍起になるより『ひとり?それもありじゃない!?』って社会全体がそう思えていたら、その子はとっても気持ちがラクだったんじゃないだろうかって思う。
ひとりは選択肢のひとつ。
そう思える社会になればいいのにね。
でもどうしたらそうなれるのかわからないから、ここでつぶやくくらいしかできないのだけどね。
<関連エントリー>
『卵の側』とか『一本一本繋がっている』とか、わたしの好きな付き合い方いろいろ^^
『hotに3周年御礼』
『連れションはキライ』
『ここにいるよ』
『わんこは子守唄』
シカトされたり、ひとりを選んだり^^
『職業選択(前振り1 2 3』
とてもデリケートな話題なんだけど書こうと思う。
あえて詳細を調べずニュースの記憶だけを頼りに書くことをご了承ください。
なぜなら、その事件そのものを指しているわけでもなく誰かを糾弾したいわけでもなく、痛ましい事件から思うことを書きたいということをご理解ください。
すこし前、小学生の自殺が報じられた。
クラスで孤立して言葉による暴力や給食をひとりで食べたりしていたらしい。
親も学校に再三改善を求め、それなりに対応していたらしいけど、命を救えることはできなかった。
(ごめんなさい、これくらいしか詳細を知らない)
とても心が痛む出来事。
小学生で命を絶つ選択をしたその子の心を思うととても辛いし、残された関係者はどこかで好転できなかったか自責しながら考えるだろうなと、それもやるせない。
こういうことはどこにでもたくさんあることで、その個々に対応の仕方はあるだろうし、わたしも自分の子供が同じような目に遭ったらこんな呑気なこと言っていられないだろう。
即解決の方法はないと思うけど。
だけど。
こういう子が『ひとりでいることは恥ずかしいことでもみじめなことでもなく、劣っていることでもない』って思えていたら、どんなに気持ちがラクだっただろう。
って、思う。
わたしが中学生の頃かな『シカト』という忌み嫌う言葉が使われ出した。
あの頃から集団でいることとひとりでいることに優劣ができた気がする。
もちろん昔から村八分とかあったし、仲間はずれなんていまに始まったことではないよね。
むしろ教育によって『差別』はなくなっているくらいだっただろう。
でも、うまく言えないけど、あの言葉が使われ出した頃から(それがきっかけじゃないけどね)ひとりを作る優越感とひとりでいることの劣等感が育ってきているように感じるのだ。
学生の頃、クラスメイトから呼び出し喰らったことがある。
それまで別の子をシカトしていたのが、その子も含めて急に矛先がわたしに向いたのだ。
そんな人たちの中にいたくないから、わたしのことムカついてもいいからさっさと仲間から外してくれと、せいせいしていたけど、ひとつだけ『明日、お弁当のとき、どうしようかな、ひとりかなぁ』とちょっぴり気がかりだった。
それでもクラスにはひとりで行動している子もいて、クラスでは『○ちゃん、またひとりで本読んでるよ〜』なんていうのんびりした空気もまだ存在していたから、まあなんとかなるなとちょっと余裕はあったと思う。
那智さんはわたしと干支半周くらいの年の差がある。
もともと『ひとりでいること』を許容できる人だったと思うので、那智さんからしたら何をそんな当然のこと?と思っているかもしれない。
でも、その数年の環境の違いは大きいと感じる。
那智さんと同世代の友人が何人かいるけど、一様に『ひとりの劣等感や恐怖感』は薄い。
懐古主義ではないけれど、昔のほうが社会はひとりを許容する余裕があり、異端や変わり者も社会で普通に存在していたと思う。
干支半周でも違いを感じるくらいだ。
恐らくあの頃に比べたら格段に『ひとりでいることの恐怖』は増しているように思う。
わたしは、あまり気の利いた付き合いというのが上手くないらしい。
社交や適度な距離というのが苦手だ。
何度か書いているけれど、『卵の側にいたい』と思うし『個々に一本一本繋がっている』のが好きだ。
若い頃、母親になっても、たくさんの人と仲良しグループになれないな〜とそんな自分に劣等感を覚えたこともあるけれど、あるときから苦手なことをするくらいだったら公園でも幼稚園でも自分の思う礼儀と常識をわきまえていれば、後はひとりでもいいって思うようにした。
もちろん、家族もいたし友達もいたから本当の意味のひとりではないけれど、母親の輪に入らない程度のひとりだけどね^^;
ブログをはじめて、自分の人付き合いのあり方を分析することもできて、尚更、わたしはこれがいいんだって思えている。
大人になれば、ひとりでいる劣等感や恐怖からすこしずつ解放されることもあるのだ。
それが社会全体の空気になれば、小さい子が戦々恐々とならずに済むのになって思う。
ひとりは恥ずかしいことでもみじめなことでもなく、劣っているわけでもない。
もちろんそれだけじゃ解決しないよね。
言葉の暴力やたくさん実害はあるだろう。
だけど、その子も他のクラスメイトも親も先生も、様々な暴力のある中給食の輪に入れようと躍起になるより『ひとり?それもありじゃない!?』って社会全体がそう思えていたら、その子はとっても気持ちがラクだったんじゃないだろうかって思う。
ひとりは選択肢のひとつ。
そう思える社会になればいいのにね。
でもどうしたらそうなれるのかわからないから、ここでつぶやくくらいしかできないのだけどね。
<関連エントリー>
『卵の側』とか『一本一本繋がっている』とか、わたしの好きな付き合い方いろいろ^^
『hotに3周年御礼』
『連れションはキライ』
『ここにいるよ』
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シカトされたり、ひとりを選んだり^^
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