外側
独特な幸福感
上手に説明できるか自信がないのだけど、こんな感覚ってあるのかな。
ううん、もしかしたら誰でも日常で感じていることで、上手に説明しなくても理解できる類いのことかもしれない。
そして、もしかしたら、例えば、鼻水が出たらティッシュで鼻をかみひどいようなら病院にいくというような、大人なら簡単に対処できるもので、いちいち話題にするようなことではないのかもしれない。
そうだとしたら、上手に説明できるかななんて心配することなくて、ただ大げさなりん子ってだけですんじゃうんだけど。
ずっと小さいころからわたしの内側に起こる感覚を言葉にしてみたいと思う。
『破滅願望』とか『ハツカネズミさん』とか『わたし』とか、そんな言葉で表してきた。
これを上手に説明したいんだ。
ずっと昔から、ときどき自分の中の何かが膨れ上がるような暴れだすような感覚になる。
非生産的な消費、終わりなく走り続けるハツカネズミ、膨れ上り暴れだすのは肥大する『わたし』という自我。
ぐわーーーーっと体内を走り回り、胸がはち切れんばかりに大きくなっていく。
自分の中の自分のわけのわからない衝動に、居ても立ってもいられなくなるような息苦しさ。
『わたしを』『わたしを』と自己主張して暴れ回る自我。
こんな感覚に襲われることが、ときどきある。
生理の周期や欲求不満(^^:)など、いろいろ理由を探ってきた。
これだという決定打はないのだけど、それらや日常の中の特に反応しやすい種類のストレスもあって、それを刺激されると起きるのだろうと思う。
どんどん膨れ上がっていくのだ。
本を読んでも、お風呂に入ってみても、落ち着いてくれない。
たまにどうしようもないときはひとりの頼れる友人にだけ電話していた。
他愛もない話をして、なんとかガスを抜くのだ。
それでも年中電話ばかりするわけにもいかないから、こういうときはテレクラにかけて紛らわしていた。
(でも、これも結局消耗になるから逆効果なんだよね)
たいがいは、このどこに向けたらいいかわからない焦燥感を表に出すことなく笑顔で日常を過ごしながら、ずっと困惑して、ひとり膝を抱えてやり過ごし、ときどき途方に暮れていた。
最近、この肥大する自我の正体は『子供』なんじゃないかと感じている。
とても、子供っぽいのだ。
自我が『ねえねえ、わたしを見て。わたしと遊んで。わたしと手を繋いで。わたしをかまって!!』と自己主張するような感覚。
いま、こいつが暴れだしそうになってどんどん溢れ出しそうになると、那智さんにメールをする。
『那智さん』でも『あ』でもなんでもいい。
一回じゃダメなんだけど、何回かメールする。
そのうち一回くらいお返事をもらうと、すーっとしぼんでいってくれる。
他者にも迷惑をかけず自分も消耗することなく『子供』を落ち着けることができるのだ。
(那智さんは他者じゃないのか^^;)
こういうとき思う。
那智さんはわたしの外側。
わたしの器だ。
肥大する自我、溢れ出す『わたし』。
わたしの力では抱えきれなくなったとき、那智さんにわたしごと収まらせてもらうのだ。
すっぽりと。
もう暴れるのを抑える必要はない、溢れさせていいんだ。
外側があるから、わたしの皮はただ那智さんの中身の一部になって安心して自我を放出できる。
安心感。
ずっとずっとわたしを途方に暮れさせた肥大する自我。
もちろんいままでだって日常に支障がないようにできていたけど、那智さんが外側になってくれることで安心して穏やかに生活できる。
わたしは那智さんを愛している。
酔っぱらいさんになるし、大事なことを忘れたりもする(笑)
基本自分を曲げない人だからちょっと大変なときもある(笑)
ときどき意図せずわたしを悲しませることだってある。
だけどとてもとても愛している^^
男女や人として愛情は強い結びつきを生むけれど、実はこれだけじゃないものがわたしを那智さんから離れらないようにしていると思う。
それは
あなたがいないとわたしは途方に暮れる。
あなたがとてもとても必要だということ。
だって、わたしの外側だから。
『女の子を抱きしめる』と表現するけど、わたしの場合この溢れるヤツを鎮める気持ちがそれに近いような気がする。
同化願望という言葉を使うけど,わたしの場合この外側がある安心感が同化なんじゃないかと思うのだ。
とても感覚的な話だけど、わたしの同化願望や『女の子』はこの肥大する自我から来ているような気がするのだ。
<関連エントリー>
『破滅願望』
『わたしのこと1「棘と毒」』
『わたしのこと2「自傷行為」』
『「わたし」とお知らせ』
『女の子』
上手に説明できるか自信がないのだけど、こんな感覚ってあるのかな。
ううん、もしかしたら誰でも日常で感じていることで、上手に説明しなくても理解できる類いのことかもしれない。
そして、もしかしたら、例えば、鼻水が出たらティッシュで鼻をかみひどいようなら病院にいくというような、大人なら簡単に対処できるもので、いちいち話題にするようなことではないのかもしれない。
そうだとしたら、上手に説明できるかななんて心配することなくて、ただ大げさなりん子ってだけですんじゃうんだけど。
ずっと小さいころからわたしの内側に起こる感覚を言葉にしてみたいと思う。
『破滅願望』とか『ハツカネズミさん』とか『わたし』とか、そんな言葉で表してきた。
これを上手に説明したいんだ。
ずっと昔から、ときどき自分の中の何かが膨れ上がるような暴れだすような感覚になる。
非生産的な消費、終わりなく走り続けるハツカネズミ、膨れ上り暴れだすのは肥大する『わたし』という自我。
ぐわーーーーっと体内を走り回り、胸がはち切れんばかりに大きくなっていく。
自分の中の自分のわけのわからない衝動に、居ても立ってもいられなくなるような息苦しさ。
『わたしを』『わたしを』と自己主張して暴れ回る自我。
こんな感覚に襲われることが、ときどきある。
生理の周期や欲求不満(^^:)など、いろいろ理由を探ってきた。
これだという決定打はないのだけど、それらや日常の中の特に反応しやすい種類のストレスもあって、それを刺激されると起きるのだろうと思う。
どんどん膨れ上がっていくのだ。
本を読んでも、お風呂に入ってみても、落ち着いてくれない。
たまにどうしようもないときはひとりの頼れる友人にだけ電話していた。
他愛もない話をして、なんとかガスを抜くのだ。
それでも年中電話ばかりするわけにもいかないから、こういうときはテレクラにかけて紛らわしていた。
(でも、これも結局消耗になるから逆効果なんだよね)
たいがいは、このどこに向けたらいいかわからない焦燥感を表に出すことなく笑顔で日常を過ごしながら、ずっと困惑して、ひとり膝を抱えてやり過ごし、ときどき途方に暮れていた。
最近、この肥大する自我の正体は『子供』なんじゃないかと感じている。
とても、子供っぽいのだ。
自我が『ねえねえ、わたしを見て。わたしと遊んで。わたしと手を繋いで。わたしをかまって!!』と自己主張するような感覚。
いま、こいつが暴れだしそうになってどんどん溢れ出しそうになると、那智さんにメールをする。
『那智さん』でも『あ』でもなんでもいい。
一回じゃダメなんだけど、何回かメールする。
そのうち一回くらいお返事をもらうと、すーっとしぼんでいってくれる。
他者にも迷惑をかけず自分も消耗することなく『子供』を落ち着けることができるのだ。
(那智さんは他者じゃないのか^^;)
こういうとき思う。
那智さんはわたしの外側。
わたしの器だ。
肥大する自我、溢れ出す『わたし』。
わたしの力では抱えきれなくなったとき、那智さんにわたしごと収まらせてもらうのだ。
すっぽりと。
もう暴れるのを抑える必要はない、溢れさせていいんだ。
外側があるから、わたしの皮はただ那智さんの中身の一部になって安心して自我を放出できる。
安心感。
ずっとずっとわたしを途方に暮れさせた肥大する自我。
もちろんいままでだって日常に支障がないようにできていたけど、那智さんが外側になってくれることで安心して穏やかに生活できる。
わたしは那智さんを愛している。
酔っぱらいさんになるし、大事なことを忘れたりもする(笑)
基本自分を曲げない人だからちょっと大変なときもある(笑)
ときどき意図せずわたしを悲しませることだってある。
だけどとてもとても愛している^^
男女や人として愛情は強い結びつきを生むけれど、実はこれだけじゃないものがわたしを那智さんから離れらないようにしていると思う。
それは
あなたがいないとわたしは途方に暮れる。
あなたがとてもとても必要だということ。
だって、わたしの外側だから。
『女の子を抱きしめる』と表現するけど、わたしの場合この溢れるヤツを鎮める気持ちがそれに近いような気がする。
同化願望という言葉を使うけど,わたしの場合この外側がある安心感が同化なんじゃないかと思うのだ。
とても感覚的な話だけど、わたしの同化願望や『女の子』はこの肥大する自我から来ているような気がするのだ。
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『破滅願望』
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『わたしのこと2「自傷行為」』
『「わたし」とお知らせ』
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