どうした?の補足
独特な幸福感
『どうした?』の那智さんの感想。
「等式」感想です。(笑) 私がりん子の不快を放置はしない。この場合、状態を理解すればりん子自身が恥ずかしさを感じるに決まっている。いくらりん子がその場にいなくて声だけであっても。とすれば、私がその状態を肯定すれば恥ずかしいのはりん子だけ。別件ですが他人の迷惑にならない範囲でですが、都心の街中で当人達 が恥ずかしがることなんて、他人から見ればとるに足らない事がほとんどではないか。基本的に気が付かない、危なさそうな気配には見て見ぬふり、多少変わっ ていることには関心ないふり、そんな中、稀に好意の言動を受けると限りなく申し訳なく平身低頭お礼する。(笑)
いまひとつ理解できなかった。
別件以降は理解できるので、前半部分。
モカちゃんから『お父さん翻訳機』という称号をいただいた(気に入ってる)わたしとしては理解できないのは許せない。
わからないものは聞く(笑)
するとひとつの感覚の違いとひとつの勘違いを見つけることができた。
聞くって大事^^
今日はその補足エントリー^^
まず。
ひとつは『恥ずかしい』に対する感覚の違い。
この場合の恥ずかしいには客観と主観の2種類あって、ひとつは周りから見て恥ずかしいと思われるかの客観ともうひとつは自分が恥ずかしいと感じるかの主観。
このバランスに違いがあったのです。
想像してみて。
那智のポケットから女の声が漏れてきて、それに向かって話しかけている場合、客観的に見たら那智と声のりん子、どちらを恥ずかしい人と周囲は思うだろうか。
わたしは見えない声の主よりも、見えている那智さんに対して『あの男恥ずかしいな』と思うと想像する。
だから、客観的にいえば、圧倒的に那智さん9、りん子1くらいの割合で那智さんが恥ずかしい。
だって、目の前で見えている人に対して恥ずかしいと思う感情が湧くと思うもん。
でも、わたしの主観でいうと、自分の声が周囲に聞かれていると実感すればするほど恥ずかしいと感じてしまう。
誰からもわたしの姿は見えていないのに!!
那智さんが切り替えちゃったから最終的には10、0でわたしなんだけど、もし切り替えていなくて状況判断だけで計っても、五分五分で恥ずかしいと感じると思う。
だから、トータルで7対3で那智さんのほうが恥ずかしいのだ。
ところが、那智さんは声が聞こえている状態に対して、わたしより多く恥ずかしいと感じるようで、客観的恥ずかしさがヘタすると那智さん4、声のりん子6くらいに、周囲から見えていないにも関わらず声の主であることのほうが恥ずかしいと思われると思っているそうなのです。
で、主観なんて簡単に左右できちゃう那智さんだから、0、10でわたしを恥ずかしくすることができるのですが、同じように切り替えないとしても、まあ、客観と同じ割合くらいの恥ずかしさと想像すると、トータル4、6、もしかしたら3、7くらいでりん子が恥ずかしいと判断するわけですね。
ということで、ポケットから声が漏れている場合、那智さんは『りん子のほうが恥ずかしい』、わたしは『那智さんのほうが恥ずかしい』(切り替えたらわたしが恥ずかしいのだけど)という感覚に違いがあったのです。
だから、感想の最初の部分で那智さんが『りん子のほうが恥ずかしい』というニュアンスが、わたしとしてはまずしっくりこなかったのだけど、これは感覚の違いだと理解しました。
そして、次。
『私がりん子の不快を放置はしない』の意味もいまひとつわからないなぁと思って聞いてみた。
那智さんにとって『恥ずかしい思いをする』=不快という感覚があるのね。
わたしをからかったり恥ずかしがらせたりするけど、それは基本的に『那智さんの手によって』だから楽しいわけで、不可抗力でりん子が『恥ずかしい』=不快な思いをするとわかっているなら、それは回避してあげようと思うのだそうです。
『俺はりん子が不快と思う状況にはしないよ』という気持ちが『私がりん子の不快を放置はしない。』という言葉になったわけです。
(う〜ん、文字制限あるにしても、なかなかこれは導き出せません 笑)
で、那智さんにとって『声の主』のほうが恥ずかしいと思っているのだから、わたしがポケットの中状態を要求しても、『それはりん子が恥ずかしい(不快)だろ?だから、拒否してあげているんだよ』という状況だったのだそうです。
もちろん那智さんも恥ずかしいけど、那智さんの中では『声の主』のほうが恥ずかしいと解釈しているから、どちらかというと『りん子の不快回避』のための優しさからくる拒否だったわけですね。
それなのに、わたしがポケットの中要求を楽しみだしちゃったから、じゃあ、俺切り替えるよ(笑)となったのでした^^;
ということで、あの那智さんの切り替え&わたし恥ずかしがらせ状態は、ただ単に負けず嫌いさんとか天の邪鬼さんとかの那智さんらしい一面と、わたしの不快を回避しようと努めてくれた優しい気持ちと、その優しい気持ちをないがしろにした大きな反動という、じつはちょっぴり複雑な感情が生みだしたものなのでした!
で、切り替えたあとは『那智さんの手によって』な状態なわけで、こうなったら那智さんはわたしを恥ずかしがらせる(=不快?)ことになんのためらいもなく、むしろ楽しんだのですね。
でもって、じゃっかん、わたしの性質として、恥ずかしい=不快=でも、ちょっと『はふはふ』な羞恥系だったりするので、那智さんが思うほど不快ってだけではなかったりする^^;
なかなか人の心は複雑です^^
と、ちょっとわたしがわかりにくい感想だったのでたまには補足エントリーでした。
わたしは那智さんと同化していたいという嗜好が強い。
那智さんがどう感じて、なぜそうしたか。
同化するほど寄り添って、那智さんの意に沿っていたい、意に沿えなくても知っていたい、それがしあわせ。
だから、わからないことは聞く。
相手の気持ちを聞いて理解して、自分の気持ちも伝える。
でもこれって、すきな人のことをすこしでも知りたいと思う、ごく普通の感情と大差ないことだよねとも思う。
とてもシンプルなことだけど、とても大事なこと。
ところで、皆さん、ここまで読めていました?
ツイートにもしたけど、ここまで読めていたらものすごい読解力か、ものすごい那智さんマニア(笑)
<関連エントリー>
『どうした?』
同化していたい
(昔っから、こんなだったなぁ)
『ノロケですよ、覚悟して!』
『あなたの一部』
『決められない女』
『大人だからね』
『外側』
『どうした?』の那智さんの感想。
「等式」感想です。(笑) 私がりん子の不快を放置はしない。この場合、状態を理解すればりん子自身が恥ずかしさを感じるに決まっている。いくらりん子がその場にいなくて声だけであっても。とすれば、私がその状態を肯定すれば恥ずかしいのはりん子だけ。別件ですが他人の迷惑にならない範囲でですが、都心の街中で当人達 が恥ずかしがることなんて、他人から見ればとるに足らない事がほとんどではないか。基本的に気が付かない、危なさそうな気配には見て見ぬふり、多少変わっ ていることには関心ないふり、そんな中、稀に好意の言動を受けると限りなく申し訳なく平身低頭お礼する。(笑)
いまひとつ理解できなかった。
別件以降は理解できるので、前半部分。
モカちゃんから『お父さん翻訳機』という称号をいただいた(気に入ってる)わたしとしては理解できないのは許せない。
わからないものは聞く(笑)
するとひとつの感覚の違いとひとつの勘違いを見つけることができた。
聞くって大事^^
今日はその補足エントリー^^
まず。
ひとつは『恥ずかしい』に対する感覚の違い。
この場合の恥ずかしいには客観と主観の2種類あって、ひとつは周りから見て恥ずかしいと思われるかの客観ともうひとつは自分が恥ずかしいと感じるかの主観。
このバランスに違いがあったのです。
想像してみて。
那智のポケットから女の声が漏れてきて、それに向かって話しかけている場合、客観的に見たら那智と声のりん子、どちらを恥ずかしい人と周囲は思うだろうか。
わたしは見えない声の主よりも、見えている那智さんに対して『あの男恥ずかしいな』と思うと想像する。
だから、客観的にいえば、圧倒的に那智さん9、りん子1くらいの割合で那智さんが恥ずかしい。
だって、目の前で見えている人に対して恥ずかしいと思う感情が湧くと思うもん。
でも、わたしの主観でいうと、自分の声が周囲に聞かれていると実感すればするほど恥ずかしいと感じてしまう。
誰からもわたしの姿は見えていないのに!!
那智さんが切り替えちゃったから最終的には10、0でわたしなんだけど、もし切り替えていなくて状況判断だけで計っても、五分五分で恥ずかしいと感じると思う。
だから、トータルで7対3で那智さんのほうが恥ずかしいのだ。
ところが、那智さんは声が聞こえている状態に対して、わたしより多く恥ずかしいと感じるようで、客観的恥ずかしさがヘタすると那智さん4、声のりん子6くらいに、周囲から見えていないにも関わらず声の主であることのほうが恥ずかしいと思われると思っているそうなのです。
で、主観なんて簡単に左右できちゃう那智さんだから、0、10でわたしを恥ずかしくすることができるのですが、同じように切り替えないとしても、まあ、客観と同じ割合くらいの恥ずかしさと想像すると、トータル4、6、もしかしたら3、7くらいでりん子が恥ずかしいと判断するわけですね。
ということで、ポケットから声が漏れている場合、那智さんは『りん子のほうが恥ずかしい』、わたしは『那智さんのほうが恥ずかしい』(切り替えたらわたしが恥ずかしいのだけど)という感覚に違いがあったのです。
だから、感想の最初の部分で那智さんが『りん子のほうが恥ずかしい』というニュアンスが、わたしとしてはまずしっくりこなかったのだけど、これは感覚の違いだと理解しました。
そして、次。
『私がりん子の不快を放置はしない』の意味もいまひとつわからないなぁと思って聞いてみた。
那智さんにとって『恥ずかしい思いをする』=不快という感覚があるのね。
わたしをからかったり恥ずかしがらせたりするけど、それは基本的に『那智さんの手によって』だから楽しいわけで、不可抗力でりん子が『恥ずかしい』=不快な思いをするとわかっているなら、それは回避してあげようと思うのだそうです。
『俺はりん子が不快と思う状況にはしないよ』という気持ちが『私がりん子の不快を放置はしない。』という言葉になったわけです。
(う〜ん、文字制限あるにしても、なかなかこれは導き出せません 笑)
で、那智さんにとって『声の主』のほうが恥ずかしいと思っているのだから、わたしがポケットの中状態を要求しても、『それはりん子が恥ずかしい(不快)だろ?だから、拒否してあげているんだよ』という状況だったのだそうです。
もちろん那智さんも恥ずかしいけど、那智さんの中では『声の主』のほうが恥ずかしいと解釈しているから、どちらかというと『りん子の不快回避』のための優しさからくる拒否だったわけですね。
それなのに、わたしがポケットの中要求を楽しみだしちゃったから、じゃあ、俺切り替えるよ(笑)となったのでした^^;
ということで、あの那智さんの切り替え&わたし恥ずかしがらせ状態は、ただ単に負けず嫌いさんとか天の邪鬼さんとかの那智さんらしい一面と、わたしの不快を回避しようと努めてくれた優しい気持ちと、その優しい気持ちをないがしろにした大きな反動という、じつはちょっぴり複雑な感情が生みだしたものなのでした!
で、切り替えたあとは『那智さんの手によって』な状態なわけで、こうなったら那智さんはわたしを恥ずかしがらせる(=不快?)ことになんのためらいもなく、むしろ楽しんだのですね。
でもって、じゃっかん、わたしの性質として、恥ずかしい=不快=でも、ちょっと『はふはふ』な羞恥系だったりするので、那智さんが思うほど不快ってだけではなかったりする^^;
なかなか人の心は複雑です^^
と、ちょっとわたしがわかりにくい感想だったのでたまには補足エントリーでした。
わたしは那智さんと同化していたいという嗜好が強い。
那智さんがどう感じて、なぜそうしたか。
同化するほど寄り添って、那智さんの意に沿っていたい、意に沿えなくても知っていたい、それがしあわせ。
だから、わからないことは聞く。
相手の気持ちを聞いて理解して、自分の気持ちも伝える。
でもこれって、すきな人のことをすこしでも知りたいと思う、ごく普通の感情と大差ないことだよねとも思う。
とてもシンプルなことだけど、とても大事なこと。
ところで、皆さん、ここまで読めていました?
ツイートにもしたけど、ここまで読めていたらものすごい読解力か、ものすごい那智さんマニア(笑)
<関連エントリー>
『どうした?』
同化していたい
(昔っから、こんなだったなぁ)
『ノロケですよ、覚悟して!』
『あなたの一部』
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『大人だからね』
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COMMENT
ワカル気がスル (← わたしは那智さんではナイからなンともだけど(笑)。 Φ×Φ( ゆう♂)。
ゆう。さん
わかる!?
それは『どっちが恥ずかしいか』のことだよね。
もしそうなら、人が恥ずかしいと思うことって、いろいろで面白いなぁ^^
わかる!?
それは『どっちが恥ずかしいか』のことだよね。
もしそうなら、人が恥ずかしいと思うことって、いろいろで面白いなぁ^^