アラシのりん子
りん子的独り言(生意気)
ちょっと虫の居所が悪かったのかもしれない。
チラッと覗いたご主人様ブログ、そこで見た『言葉』に日頃感じていた疑問が重なってコメントしてしまった。
飽きるほど見て来たその『言葉』、普段なら気に留めてもやり過ごすようなこと。
批判するつもりはなかったけれど、スルーできずにコメントしてしまったのはきっとわたしの虫の居所のせいなんだと思う。
本来、よそ様にコメントした内容を話題に出すなら相手先に了解を得てブログ名などを紹介することが筋かと思うけど、いままで飽きるほど目にしてきた『言葉』のひとつにたまたまコメントしたということなので、その方ひとり指しているのではなく、そういう『言葉』全体に対する疑問だとご理解いただいてそのブログの詳細を記さないことをご了解ください。
文中のコメントやレス部分はわたしの解釈で要約していることもご了承ください。
ご主人様が奴隷さんを呼び出し性処理をさせて帰したそうだ。
まあ、この手のブログではよくあること。
性処理をしてすこし裸体を晒して画像を撮る。
それだけして帰したと書いてあった。
その行為に対して、これまたよく目にする『言葉』が添えられていた。
『奴隷はご主人様の快楽のために存在している』と。
奴隷さんには何一つ気持ちいいこともご褒美もなく、性処理と画像を撮るというご主人様のためだけに行った行為から、そう書かれているのだろう。
うん、こういうスタンスも腐るほど目にする。
でも、これって実際のところどうなんだろう?
奴隷制度じゃあるまいし、何か弱味を握られて脅されているなんてことじゃない限り、性処理だけをしに来る奴隷さんにも自ら動く理由があるはずだよね。
ご主人様に喜んでもらうことで得る喜びとか性処理だけで帰される被虐的陶酔とか、その理由があるということは奴隷さん側にも何かしらの快楽が発生しているはずだよね。
もしかして、イヤイヤ嫌悪感満載で行っているなら快楽は存在しないかもしれなけど、嫌悪されてるご主人様っていうのもどうかと思うしね(笑)
奴隷さん側に何らかの快楽が発生している時点で『ご主人様のために存在している』だけということはあり得ないんだよね。
『ご主人様の快楽のために存在していることで得られる快楽』があるはずなんだ。
ということは、反対側から見たらご主人様は奴隷さんの快楽のために存在しているといえなくもない。
『ご主人様のために存在している』ということも間違いじゃないし、それを言葉にすることだって個人の自由だから、それはかまわない。
わたしが疑問に思ったのは、そういうことを口にするご主人様方はそれを本気で思っているのだろうかということなんだ。
両方が互いの快楽のために存在していることは理解しながらも敢えてそう書いているのか、それとも本気でそう思っているのか。
そんな疑問を、そのまま投げかけてみた。
そんな不躾な質問にも関わらず丁寧に答えてくださった。
で、そのご主人様は『奴隷側にも快楽があること』は認めてらっしゃいました。
が、ご主人様のコントロール下にあるならば、それは『精神の奴隷』だとおっしゃていました。
『精神の奴隷』がイマイチ漠然としてわからなのだけど^^;
きっと、精神の奴隷だという状態があったとして、その状態である限り『ご主人様のための存在している』ということがおっしゃりたいのかな?と読み取りました。
わたしが聞きたかったのは『奴隷側の快楽の存在』と『それ故、ご主人様も奴隷のために存在しているといえない?』とだったので前者は認めつつも後者は否定ということなんだろうな。
わかっているけど敢えて伏せている、もしくはわかっているけど認めていないということなのかな。
それが好みかどうかは置いといて、ある意味腑に落ちました。
腑に落ちて、それでおしまいにしたかったんだけど!!
それらの回答の文末に、これまた疑問が湧いてしまう『言葉』が書かれていて、わたしったらさらにそこを質問してしまったのだ!!
この辺りから、若干荒らしの様相を呈する、りん子…^^;
だって、『奴隷のしたい調教はしないと常に思ってる』なんておっしゃるんだもの。
たぶん『ご主人様のため』ということを強調したかったのかな。
でも、これに疑問を抱いてしまった。
じゃあ、調教(?)が進んで、その行為を奴隷さんが望んでしまったら、もうそれはしないの?
ということは、最終的にはすることなくなっちゃうし、ご自身のしたいこと全然できないじゃない?
もし常にそう思っているとしたら、奴隷さんのさじ加減で調教内容が変わってきちゃわない?
鞭がイヤなら『鞭をしてほしいです』と言えばしなくなって、アナルがしたければ『お尻は恐いです』と言えばしてもらえるってことになるよね?
饅頭恐いだ。
なんだか奴隷さんが調教内容を決めているみたいじゃない?
奴隷側にも快楽が存在していると認めてらっしゃるなら、こういう展開になっていくこともあり得ると当然想像できそうなんだけど、どうお考えなんだろうとまたコメントしてしまった。
(あ、いま思ったけど『したいこと』と『できるようになる』が違うと考えればいいのか?ということは上手にフェラチオができるようになっても奴隷さんのしたいことじゃないという状況なら、成立するね!!…イヤイくわえてるけどめちゃフェラチオ上手な奴隷^^;)
そんな不躾な質問にも『奴隷側の視点を持つ必要性の有無は置いといて、そもそも奴隷側から物事を見るという思考回路自体存在しない』としっかりとお答えいただけました。
また奴隷さんにとってしたいことになってしまった調教も、ご主人様の『気分』でしたりしなかったりするそうです。(じゃあ、『奴隷のしたい調教はしない』って決めセリフは言葉のあやだったのかな。それだったら質問して悪かったね^^;)
これも好みは置いといて、すっきりされていただいた。
このふたつを見る限り。
この方は奴隷さん側の快感や感情があることを理解しているけど、それらは思考回路の外に追いやっているということになるのかな。
なるほどね、意識していることを思考の外に出す、しかも『気分』で…、これってけっこう大変なことだと思うのだけど、それをしているということなんだね。
その人ひとりに聞いたってご主人様の総意を知れるわけじゃないのだけど、まあブログでコメント欄を設置されているわけだから、わたしなりに失礼にならないように質問をすることはいけないことではないよね。
いきなり不躾に質問されたのだけど一蹴されずにお答えくださって、それには感謝しようと思う。
たまたま虫の居所のせいでコメントしてしまったけれど、そのブログに限らずその手の内容を目にすると疑問に思うことが時々あった。
『奴隷に人格はない』とか『ご主人様のために存在している』とか、奴隷さんの感情や快感がないものと扱うこと、これって本気でそう思ってるのだろうかと訝しく思うのだ。
『寿司とマヨネーズ』という本に『ご主人様と奴隷という大人のゲームをこの上なくまじめに貫いた』と書いてあったけど、それと同じように、わかっているけど敢えて伏せているのであれば多少は理解できる。
ロールプレイングゲームに水を差すような話題をしてしまって申し訳ないと、ちょっとごめんなさい、です。
でも、もし仮に、本気で『奴隷のためはなくて、ご主人様のために存在している』とご主人様が思っているなら、もしくは奴隷さん側の快楽について考えを巡らす想像力さえ持ち合わせていないとしたら、わたしは『小さな子供』を連想してしまうのだ。
以前『mother』というエントリを書いたけど、相手の感情を想像しない想像力欠如、この人は自分のために存在していると疑うことなく思っているというのって、小さな子供のママに対する気持ちと極めて近いと思うはわたしだけかな。
渦中の人はどう思っているのだろう。
そんな思いが過って普段なら絶対スルーする内容なのにコメントしちゃった。
それぞれお好みだと思うのでなんでもいいのだけど、再三に渡ってコメントしてしまって若干荒らしのような状態になってしまったことは、ごめんなさいと思います^^;
やっぱり虫の居所が悪かったんだなぁ。
これから荒しのりん子にならないように虫さんのご機嫌取っておこうと思います^^
おまけ^^
奴隷制度じゃないから、そこに出向く奴隷さんにも何かしらの快楽はある、快楽がないなら嫌悪されているご主人様ということならあり得ると書いたけど、もうひとつパターンがある。
それは『期待』だね。
かつて『あなたのM性を引き出してあげる』と言われて、救いを求めるように呼び出されるままに出かけていったことがあるけど、そのときのわたしのモチベーションは快楽があるから行ったのではなくて、行けば叶うかもしれないという『期待』だったな。
だから快楽もなくてイヤイヤでもなくて『期待』故に性処理に出向くということはあるね。
ただし、この場合は、結局期待ハズレで、遅かれ早かれおしまいになる可能性が高いと思うけどね^^
<関連エントリー>
『mother』
『M女の快感』
『徒然に「M女の快感」』
今朝の「等式」感想です。
荒らし行為に精神的に少し加担してしまいました(笑)あまりにも面白かったので、小学生の絵日記みたいで直ぐに書くことがなくなりそうなブログでした。ある特定のタイプのご主人様=子供・奴隷=何でも望みをかなえてくれる優しいお母さん説に私は異論御座いません。
この「ご主人様」の言う「常に」が余計だったんですよ、それがなければあそこまで書かなかったと思う。(笑)
ちょっと虫の居所が悪かったのかもしれない。
チラッと覗いたご主人様ブログ、そこで見た『言葉』に日頃感じていた疑問が重なってコメントしてしまった。
飽きるほど見て来たその『言葉』、普段なら気に留めてもやり過ごすようなこと。
批判するつもりはなかったけれど、スルーできずにコメントしてしまったのはきっとわたしの虫の居所のせいなんだと思う。
本来、よそ様にコメントした内容を話題に出すなら相手先に了解を得てブログ名などを紹介することが筋かと思うけど、いままで飽きるほど目にしてきた『言葉』のひとつにたまたまコメントしたということなので、その方ひとり指しているのではなく、そういう『言葉』全体に対する疑問だとご理解いただいてそのブログの詳細を記さないことをご了解ください。
文中のコメントやレス部分はわたしの解釈で要約していることもご了承ください。
ご主人様が奴隷さんを呼び出し性処理をさせて帰したそうだ。
まあ、この手のブログではよくあること。
性処理をしてすこし裸体を晒して画像を撮る。
それだけして帰したと書いてあった。
その行為に対して、これまたよく目にする『言葉』が添えられていた。
『奴隷はご主人様の快楽のために存在している』と。
奴隷さんには何一つ気持ちいいこともご褒美もなく、性処理と画像を撮るというご主人様のためだけに行った行為から、そう書かれているのだろう。
うん、こういうスタンスも腐るほど目にする。
でも、これって実際のところどうなんだろう?
奴隷制度じゃあるまいし、何か弱味を握られて脅されているなんてことじゃない限り、性処理だけをしに来る奴隷さんにも自ら動く理由があるはずだよね。
ご主人様に喜んでもらうことで得る喜びとか性処理だけで帰される被虐的陶酔とか、その理由があるということは奴隷さん側にも何かしらの快楽が発生しているはずだよね。
もしかして、イヤイヤ嫌悪感満載で行っているなら快楽は存在しないかもしれなけど、嫌悪されてるご主人様っていうのもどうかと思うしね(笑)
奴隷さん側に何らかの快楽が発生している時点で『ご主人様のために存在している』だけということはあり得ないんだよね。
『ご主人様の快楽のために存在していることで得られる快楽』があるはずなんだ。
ということは、反対側から見たらご主人様は奴隷さんの快楽のために存在しているといえなくもない。
『ご主人様のために存在している』ということも間違いじゃないし、それを言葉にすることだって個人の自由だから、それはかまわない。
わたしが疑問に思ったのは、そういうことを口にするご主人様方はそれを本気で思っているのだろうかということなんだ。
両方が互いの快楽のために存在していることは理解しながらも敢えてそう書いているのか、それとも本気でそう思っているのか。
そんな疑問を、そのまま投げかけてみた。
そんな不躾な質問にも関わらず丁寧に答えてくださった。
で、そのご主人様は『奴隷側にも快楽があること』は認めてらっしゃいました。
が、ご主人様のコントロール下にあるならば、それは『精神の奴隷』だとおっしゃていました。
『精神の奴隷』がイマイチ漠然としてわからなのだけど^^;
きっと、精神の奴隷だという状態があったとして、その状態である限り『ご主人様のための存在している』ということがおっしゃりたいのかな?と読み取りました。
わたしが聞きたかったのは『奴隷側の快楽の存在』と『それ故、ご主人様も奴隷のために存在しているといえない?』とだったので前者は認めつつも後者は否定ということなんだろうな。
わかっているけど敢えて伏せている、もしくはわかっているけど認めていないということなのかな。
それが好みかどうかは置いといて、ある意味腑に落ちました。
腑に落ちて、それでおしまいにしたかったんだけど!!
それらの回答の文末に、これまた疑問が湧いてしまう『言葉』が書かれていて、わたしったらさらにそこを質問してしまったのだ!!
この辺りから、若干荒らしの様相を呈する、りん子…^^;
だって、『奴隷のしたい調教はしないと常に思ってる』なんておっしゃるんだもの。
たぶん『ご主人様のため』ということを強調したかったのかな。
でも、これに疑問を抱いてしまった。
じゃあ、調教(?)が進んで、その行為を奴隷さんが望んでしまったら、もうそれはしないの?
ということは、最終的にはすることなくなっちゃうし、ご自身のしたいこと全然できないじゃない?
もし常にそう思っているとしたら、奴隷さんのさじ加減で調教内容が変わってきちゃわない?
鞭がイヤなら『鞭をしてほしいです』と言えばしなくなって、アナルがしたければ『お尻は恐いです』と言えばしてもらえるってことになるよね?
饅頭恐いだ。
なんだか奴隷さんが調教内容を決めているみたいじゃない?
奴隷側にも快楽が存在していると認めてらっしゃるなら、こういう展開になっていくこともあり得ると当然想像できそうなんだけど、どうお考えなんだろうとまたコメントしてしまった。
(あ、いま思ったけど『したいこと』と『できるようになる』が違うと考えればいいのか?ということは上手にフェラチオができるようになっても奴隷さんのしたいことじゃないという状況なら、成立するね!!…イヤイくわえてるけどめちゃフェラチオ上手な奴隷^^;)
そんな不躾な質問にも『奴隷側の視点を持つ必要性の有無は置いといて、そもそも奴隷側から物事を見るという思考回路自体存在しない』としっかりとお答えいただけました。
また奴隷さんにとってしたいことになってしまった調教も、ご主人様の『気分』でしたりしなかったりするそうです。(じゃあ、『奴隷のしたい調教はしない』って決めセリフは言葉のあやだったのかな。それだったら質問して悪かったね^^;)
これも好みは置いといて、すっきりされていただいた。
このふたつを見る限り。
この方は奴隷さん側の快感や感情があることを理解しているけど、それらは思考回路の外に追いやっているということになるのかな。
なるほどね、意識していることを思考の外に出す、しかも『気分』で…、これってけっこう大変なことだと思うのだけど、それをしているということなんだね。
その人ひとりに聞いたってご主人様の総意を知れるわけじゃないのだけど、まあブログでコメント欄を設置されているわけだから、わたしなりに失礼にならないように質問をすることはいけないことではないよね。
いきなり不躾に質問されたのだけど一蹴されずにお答えくださって、それには感謝しようと思う。
たまたま虫の居所のせいでコメントしてしまったけれど、そのブログに限らずその手の内容を目にすると疑問に思うことが時々あった。
『奴隷に人格はない』とか『ご主人様のために存在している』とか、奴隷さんの感情や快感がないものと扱うこと、これって本気でそう思ってるのだろうかと訝しく思うのだ。
『寿司とマヨネーズ』という本に『ご主人様と奴隷という大人のゲームをこの上なくまじめに貫いた』と書いてあったけど、それと同じように、わかっているけど敢えて伏せているのであれば多少は理解できる。
ロールプレイングゲームに水を差すような話題をしてしまって申し訳ないと、ちょっとごめんなさい、です。
でも、もし仮に、本気で『奴隷のためはなくて、ご主人様のために存在している』とご主人様が思っているなら、もしくは奴隷さん側の快楽について考えを巡らす想像力さえ持ち合わせていないとしたら、わたしは『小さな子供』を連想してしまうのだ。
以前『mother』というエントリを書いたけど、相手の感情を想像しない想像力欠如、この人は自分のために存在していると疑うことなく思っているというのって、小さな子供のママに対する気持ちと極めて近いと思うはわたしだけかな。
渦中の人はどう思っているのだろう。
そんな思いが過って普段なら絶対スルーする内容なのにコメントしちゃった。
それぞれお好みだと思うのでなんでもいいのだけど、再三に渡ってコメントしてしまって若干荒らしのような状態になってしまったことは、ごめんなさいと思います^^;
やっぱり虫の居所が悪かったんだなぁ。
これから荒しのりん子にならないように虫さんのご機嫌取っておこうと思います^^
おまけ^^
奴隷制度じゃないから、そこに出向く奴隷さんにも何かしらの快楽はある、快楽がないなら嫌悪されているご主人様ということならあり得ると書いたけど、もうひとつパターンがある。
それは『期待』だね。
かつて『あなたのM性を引き出してあげる』と言われて、救いを求めるように呼び出されるままに出かけていったことがあるけど、そのときのわたしのモチベーションは快楽があるから行ったのではなくて、行けば叶うかもしれないという『期待』だったな。
だから快楽もなくてイヤイヤでもなくて『期待』故に性処理に出向くということはあるね。
ただし、この場合は、結局期待ハズレで、遅かれ早かれおしまいになる可能性が高いと思うけどね^^
<関連エントリー>
『mother』
『M女の快感』
『徒然に「M女の快感」』
今朝の「等式」感想です。
荒らし行為に精神的に少し加担してしまいました(笑)あまりにも面白かったので、小学生の絵日記みたいで直ぐに書くことがなくなりそうなブログでした。ある特定のタイプのご主人様=子供・奴隷=何でも望みをかなえてくれる優しいお母さん説に私は異論御座いません。
この「ご主人様」の言う「常に」が余計だったんですよ、それがなければあそこまで書かなかったと思う。(笑)
COMMENT
こういう滑稽なブログを読むと疲れるから、わたしは基本ご主人様ブログは読まない(笑)
絶対にエサはある。
どんな些細なものでもね?
それに気づかないで、奴隷に快楽はいらない。なんて言うご主人様に仕える奴隷さんはある意味表向きは下の立場だけど、結局は奴隷さんの思惑で成り立っている捻れ主従なんじゃないかな?
奴隷に快楽は必要ない調教をしてるのに淫乱なんだ〜(笑)
矛盾だらけだね?
それもまた主従…だよね^^?
絶対にエサはある。
どんな些細なものでもね?
それに気づかないで、奴隷に快楽はいらない。なんて言うご主人様に仕える奴隷さんはある意味表向きは下の立場だけど、結局は奴隷さんの思惑で成り立っている捻れ主従なんじゃないかな?
奴隷に快楽は必要ない調教をしてるのに淫乱なんだ〜(笑)
矛盾だらけだね?
それもまた主従…だよね^^?
【俺様の欲望を満足させる為だけの女】というのが、この手のblogに存在する奴隷なのですよ。なので【奴隷のしたい調教はしない】と言うのが成り立つ。とは言っても、奴隷ちゃんがラリってる時期のみ有効なんだけどねw
まぁ〜、世の中、馬鹿がいっぱいなので、生温い目で見守って上げて下さいな。
まぁ〜、世の中、馬鹿がいっぱいなので、生温い目で見守って上げて下さいな。
mineさん
生きていれば様々なことで矛盾は生じるののだから、まあ矛盾のアリなんだろうけど。
恐らく『じゃあ、これからスタートね』と矛盾をはらんだ関係を始めるとしたら、何かしらの暗黙の了解みたいなものが必要で、もしかしたら『主従』というイメージは、その暗黙の了解の役割を果たしているところもあるのかもしれないね。
そうそう、レスだからちょっと規制緩和してしまって推測で書かせていただくけど。
件のご主人様の奴隷さんもブログをされているようで、それには主人様が『時間ある?』とメールして奴隷さんの様子を伺いながら呼び出している様子が書かれていました^^
もしそれが本当なら、そうかぁ、なんだかんだ言っても、奴隷さんの都合考えてくれているんだ!!ってなんだか苦笑だけどホッとしちゃったよ。
実は、ご主人様もいろいろ大変なのかもね^^
それにしても、『快楽は必要ないのに淫乱』、なかなかの矛盾。
この状況をどなたかに説明してほしくなっちゃうよ^^
生きていれば様々なことで矛盾は生じるののだから、まあ矛盾のアリなんだろうけど。
恐らく『じゃあ、これからスタートね』と矛盾をはらんだ関係を始めるとしたら、何かしらの暗黙の了解みたいなものが必要で、もしかしたら『主従』というイメージは、その暗黙の了解の役割を果たしているところもあるのかもしれないね。
そうそう、レスだからちょっと規制緩和してしまって推測で書かせていただくけど。
件のご主人様の奴隷さんもブログをされているようで、それには主人様が『時間ある?』とメールして奴隷さんの様子を伺いながら呼び出している様子が書かれていました^^
もしそれが本当なら、そうかぁ、なんだかんだ言っても、奴隷さんの都合考えてくれているんだ!!ってなんだか苦笑だけどホッとしちゃったよ。
実は、ご主人様もいろいろ大変なのかもね^^
それにしても、『快楽は必要ないのに淫乱』、なかなかの矛盾。
この状況をどなたかに説明してほしくなっちゃうよ^^
MAUさん
うんうん、たしかに、わたしも相手を探しているときに『ご主人様』に『おまえは奴隷だ』と言われると脳内麻薬みたいなものが放出されていたような感じがします。
それが『期待』となって、次また会うという繰り返しだったな。
で、叶わなくておしまい。
たしかに一時のなんとかな感じでした^^
はい、見守ります〜。
あんまり荒らしになっちゃいけないものね♪
うんうん、たしかに、わたしも相手を探しているときに『ご主人様』に『おまえは奴隷だ』と言われると脳内麻薬みたいなものが放出されていたような感じがします。
それが『期待』となって、次また会うという繰り返しだったな。
で、叶わなくておしまい。
たしかに一時のなんとかな感じでした^^
はい、見守ります〜。
あんまり荒らしになっちゃいけないものね♪
ツイッター以来、おひさしぶりです。
お知らせいただきながら訪問できず、すみません。
どれいは御主人様の快楽のために存在している。
それは本当にそうかも知れません。
そういう「約束」が主従なのですから。
でも
その「快楽」の種類が性的快楽だけであれば
わたしなんかは、すぐに飽きちゃいそうです。
みゅーの御主人様は
会ってないときにも御主人様でいてくれて
「俺が(精神的に)支えている」
という「つもり」は、常に持っていてくれるようなのです。
「ひとりの人の心を支える」という覚悟が
主従の主たる、ゆえんというか資格だと考えていて
だから、では従になりましょうと
跪いたというわけです。
もちろん
人の心は重たいもので
常時みゅーを100%背負ったら、いくら御主人様でも潰れてしまうでしょうから
自立はしてないことはないんですが…
なんだろうな…
よくできた上司のように
「ケツを持つ覚悟」みたいな?
御主人様という存在につきものの責任を引き受ける覚悟が
ありやなしや、という部分には、大いにこだわります。
みゅーにとっては一番大事なところかも知れません。
覚悟。
「おまえが笑っていると俺も幸せ」と言ってくれます。
(のろけですな…)
(もちろん会ったときには虐めますが)
相手が幸せだと自分も幸せだというのは
SMにはそぐわない考えかも知れません。
でも
S様の快楽として
幸せなもの、綺麗なものを貶めるという
落差の楽しみがあるのではないか……だからいいじゃん。とも考えます。
普段は幸せに、そしてできるだけ綺麗に保つという甲斐性と自信を
主従の両方が持っている…プライドって言うのかな。
それで(見かけだけでも)人間的に一段グレードが上がったようになって
普段の生活も、その関係を結ぶ前よりも、良い方に変わっていけば
それはとっても快楽…いやこれはメリットというのかな…でも「うまく行く」というのは
幸せであり、幸せはやっぱり快楽ですから。
また
一人の人を変えた、変わった、という
影響を及ぼすというのは、その人の人生を操ることにも近く
支配好きなS様なら、それもまた、快楽につながるんじゃないのかと思うのですよ。
そういった、みゅーが大事だと思うところを全部すっ飛ばして
「主従」といわれても
そうですか、はいはい。こっちには来ないでね。という感じ、です。
まあ、世間の
「夫婦」「恋人同士」にもいろいろあるように
「主従」にもいろいろあって当然で
「夫婦だからこうあるべし」「恋人ってこういうもんでしょ」が
他のカップルにはまったく通じないのと同じで
他の主従には、ウチの主従の常識は通じないのだなあと
しみじみ、思いましたです。
まとまらなくて失礼しました。
お知らせいただきながら訪問できず、すみません。
どれいは御主人様の快楽のために存在している。
それは本当にそうかも知れません。
そういう「約束」が主従なのですから。
でも
その「快楽」の種類が性的快楽だけであれば
わたしなんかは、すぐに飽きちゃいそうです。
みゅーの御主人様は
会ってないときにも御主人様でいてくれて
「俺が(精神的に)支えている」
という「つもり」は、常に持っていてくれるようなのです。
「ひとりの人の心を支える」という覚悟が
主従の主たる、ゆえんというか資格だと考えていて
だから、では従になりましょうと
跪いたというわけです。
もちろん
人の心は重たいもので
常時みゅーを100%背負ったら、いくら御主人様でも潰れてしまうでしょうから
自立はしてないことはないんですが…
なんだろうな…
よくできた上司のように
「ケツを持つ覚悟」みたいな?
御主人様という存在につきものの責任を引き受ける覚悟が
ありやなしや、という部分には、大いにこだわります。
みゅーにとっては一番大事なところかも知れません。
覚悟。
「おまえが笑っていると俺も幸せ」と言ってくれます。
(のろけですな…)
(もちろん会ったときには虐めますが)
相手が幸せだと自分も幸せだというのは
SMにはそぐわない考えかも知れません。
でも
S様の快楽として
幸せなもの、綺麗なものを貶めるという
落差の楽しみがあるのではないか……だからいいじゃん。とも考えます。
普段は幸せに、そしてできるだけ綺麗に保つという甲斐性と自信を
主従の両方が持っている…プライドって言うのかな。
それで(見かけだけでも)人間的に一段グレードが上がったようになって
普段の生活も、その関係を結ぶ前よりも、良い方に変わっていけば
それはとっても快楽…いやこれはメリットというのかな…でも「うまく行く」というのは
幸せであり、幸せはやっぱり快楽ですから。
また
一人の人を変えた、変わった、という
影響を及ぼすというのは、その人の人生を操ることにも近く
支配好きなS様なら、それもまた、快楽につながるんじゃないのかと思うのですよ。
そういった、みゅーが大事だと思うところを全部すっ飛ばして
「主従」といわれても
そうですか、はいはい。こっちには来ないでね。という感じ、です。
まあ、世間の
「夫婦」「恋人同士」にもいろいろあるように
「主従」にもいろいろあって当然で
「夫婦だからこうあるべし」「恋人ってこういうもんでしょ」が
他のカップルにはまったく通じないのと同じで
他の主従には、ウチの主従の常識は通じないのだなあと
しみじみ、思いましたです。
まとまらなくて失礼しました。
みゅーさんっ!!
やった、みゅーさんだ!!
みゅーさんのおっしゃりたいことは。
御主人様の快楽のために存在しているみゅーさんですが、御主人様がみゅーさんに求める快楽が性的快楽だけだったら、みゅーさんは飽きちゃう。
性的な場面で女性を辱める快感を得るためには、落差も快感なわけで、その落差を作ることも楽しむために一人の女性を支え変える、そのための『覚悟』や『責任』を引き受ける、それもある意味快楽になってくれているから、みゅーさんは御主人様のどれいでいたいと思えるというようなことですよね。
ここは一般的な主従観や主従の常識なんてなしにしましょう^^
で、わたしはそのみゅーさんの考え方や、それを実践されているお二人の関係は好きです。
みゅーさんのところでときどき拝見する『俺のために元気でいなさい』みたいな御主人様の言葉ありますよね?
それって口にすることは簡単だけど、継続してその思いとこちらが持っていられるのは、やはり御主人様側の『覚悟』や『責任』さえも快感(遠回りだとしてもね^^)を感じてくれているからなのかな〜と思います^^
ところでうちは主従じゃないけれど、みゅーさんの書かれたことは至極納得できるし、とても近いものを感じます^^
密かに『主従』に淡い憧れを抱いているので、なんだかうずうずしています(笑)
うう、こんな甘甘な女が憧れているなんて口にしたら、他の主従さんからクレームが来そうですけど^^;
やった、みゅーさんだ!!
みゅーさんのおっしゃりたいことは。
御主人様の快楽のために存在しているみゅーさんですが、御主人様がみゅーさんに求める快楽が性的快楽だけだったら、みゅーさんは飽きちゃう。
性的な場面で女性を辱める快感を得るためには、落差も快感なわけで、その落差を作ることも楽しむために一人の女性を支え変える、そのための『覚悟』や『責任』を引き受ける、それもある意味快楽になってくれているから、みゅーさんは御主人様のどれいでいたいと思えるというようなことですよね。
ここは一般的な主従観や主従の常識なんてなしにしましょう^^
で、わたしはそのみゅーさんの考え方や、それを実践されているお二人の関係は好きです。
みゅーさんのところでときどき拝見する『俺のために元気でいなさい』みたいな御主人様の言葉ありますよね?
それって口にすることは簡単だけど、継続してその思いとこちらが持っていられるのは、やはり御主人様側の『覚悟』や『責任』さえも快感(遠回りだとしてもね^^)を感じてくれているからなのかな〜と思います^^
ところでうちは主従じゃないけれど、みゅーさんの書かれたことは至極納得できるし、とても近いものを感じます^^
密かに『主従』に淡い憧れを抱いているので、なんだかうずうずしています(笑)
うう、こんな甘甘な女が憧れているなんて口にしたら、他の主従さんからクレームが来そうですけど^^;
みゅーさまとりん子さんの
やりとりを興味深く拝見しました。
そこにどんな蜜を求めて集い
役割に浸るのか
互いにとって甘美なものがあるから続くので
一方的では瞬時しか
関係は生じえないものですね
その「瞬時」のキーワードが「期待」だったのには
深く納得しました。
やりとりを興味深く拝見しました。
そこにどんな蜜を求めて集い
役割に浸るのか
互いにとって甘美なものがあるから続くので
一方的では瞬時しか
関係は生じえないものですね
その「瞬時」のキーワードが「期待」だったのには
深く納得しました。
智薫さん
『さん』付けを通してくださってありがとうございます^^
はい、みゅーさんのコメントはなかなか鋭いところを突いてくれるので、わたしもいつも楽しんでます。
『期待』に着目してくださいましたね!!うれしい^^
『期待』は、それが叶ってはじめて自分にとって+なことになるのですよね。
期待が一時甘美な思いをさせてくれるけど、それは結局一時なので、やはり続けるには『期待と叶う』がセットになっている必要があると思います。
ただこれはわたしの経験ですが、期待して叶わなくても期待したときの一時の甘美な思いが後を引くのです。
だんだん「叶うまで!!」と無意識に意地になっていたこともありました。(『執着』ってエントリーです←宣伝^^;)
役割に浸ると書いてらっしゃいますが、それを理解して『期待と叶う』の状況を見極められるといいですよね^^
『さん』付けを通してくださってありがとうございます^^
はい、みゅーさんのコメントはなかなか鋭いところを突いてくれるので、わたしもいつも楽しんでます。
『期待』に着目してくださいましたね!!うれしい^^
『期待』は、それが叶ってはじめて自分にとって+なことになるのですよね。
期待が一時甘美な思いをさせてくれるけど、それは結局一時なので、やはり続けるには『期待と叶う』がセットになっている必要があると思います。
ただこれはわたしの経験ですが、期待して叶わなくても期待したときの一時の甘美な思いが後を引くのです。
だんだん「叶うまで!!」と無意識に意地になっていたこともありました。(『執着』ってエントリーです←宣伝^^;)
役割に浸ると書いてらっしゃいますが、それを理解して『期待と叶う』の状況を見極められるといいですよね^^