未経験がいい理由
りん子的独り言(エラそう)
このカテゴリでいいのか?(笑)
未経験の女がいい。
これだけ聞くと情けなさにため息がでる(笑)
芸能人の不倫問題が記事になると大概年長の男と若い女だ。
はじめて高級料理を食べさせて『わあ、こんなのはじめて!!』と喜ぶ姿に鼻の下を伸ばす姿を想像してしまって、この男は同じくらい知識を持った女と料理を肴に会話を楽しむことはできないのだろうかと思う。
きっとこの若い女が様々なことを経験したら、彼はまた新しい『未経験』を見つけるのだろうと情けない気持ちになる。
確かに未熟は魅力だ。
だけど未熟しか相手にしないのは自分自身も成熟していませんと公言しているみたいで、あまりカッコいいとは思えない。
前エントリーの那智さんも下手するとそうなりかねないので、今日はちょっぴりフォローのエントリー^^
前エントリーを書きながらも書いてからも那智さんとは会話を重ねているので、もう少し具体的な心理がわかっていて、まあ、あれはひとつの話題提供くらいに思ってくださいませ。
どうやら那智さんは、快感の経験がある女性が相手だとすこしでも早くその記憶を上書きしたいと思うあまりゆっくり自分のペースで楽しむことができないと想像してしまうから『未経験がいい』という思考回路ができてしまうようだ。
SとMの関係に於いて(那智さんの場合は、たぶん男女のそれもほぼイコール)那智さんは加虐嗜好ではなく、『育てる』ことが好きなのだろう。
おそらく『育てる』から繋がる究極には『あたなによって生きている』という支配欲。
中にはMのほうがペースが早くて『困ったもんだ』と苦笑しながらもそれを喜ぶSもいるかもしれないけど、『育てる』ことがいい那智さんは、あくまで自分が主導していたい。
自分主導の元、自分自身が納得のいくペースで進めたい、そうなると『未経験』のほうが気持ち的に余裕が持てるということになるのだよね。
この辺りまではいわゆる『未熟好き』の年長芸能人と変わりないのだけど、それらとの違いがあるとするならば、『育て好き』嗜好で『あなたなしでは』の支配欲の那智さんは自分が作り上げたものに対してより愛着を持ってくれるところと、飽きないところだと思う。
経験を重ねれば、そりゃあ未経験の良さは失っていく。
でも那智さんが好きなのは『育てる』こと、故に実は未経験というには那智さんにとって魅力ではあれど、関係継続に不可欠な要素でもないのだ。
もし必要不可欠な要素があるとするならば、彼の『育てる』ことに対して『育てられる』ことに喜びを感じる嗜好なのではないかと思う。
ここの一致があれば那智さんはいつまでも愛着を持って育て続けてくれるので、次々未熟に乗り換えるなんてことにならないでいられる。
(じゃあ、育て切ってしまったら、どうするの?に答えはあるのだけど、これはまたいつかの機会に^^)
そして愛着はあれど物事にはどうしても飽きが来るはずなんだけど、飽きずにいてくれることも特徴のひとつ。
『自分もりん子も飽きさせない』。
これは、那智さん、たぶん無意識でもけっこう気にしているんじゃないかと思う。
わたしたちはもう丸8年付き合っている。
会う頻度にも恵まれているので、けっこうな頻度セックスをしている(照)
それでも飽きることがないのは、それが好きだということ以外にも那智さんの進め方もあると思う。
8年付き合っていてもやっていないことは山ほどあるし、間隔が空いているものもたくさんある。
那智さんは、きっと自分が飽きずわたしが慣れないように、緩急をつけて進めてくれているのだと思う。
鞭やわんこやスカトロやけっこう色々やっているように見えるけど^^;、いまでもどれも新鮮でドキドキしているのは、那智さんが飽きさせないようにしてくれているからだとと思う。
『俺を楽しませろ、俺を飽きさせるな』なんて一度も言われたことがない。
おそらく那智さんは『自分もりん子も飽きさせない』という関係継続に関しても自分が主導なのだろう。
それが『育てる』側の責任というものなのかもしれない。
『未経験』という言葉から想像できる(あくまでも『想像できる』)自分主導のペースで進められることがいいと思うことが、那智さんの自分主導の嗜好で責任だとするならば、『未熟がいい』と思ってしまう情けなさがちょっと軽減するのではないでしょうか(笑)
初な女しか相手できない男との違い、説明できたかしら^^
と、いろいろ言ってるけど、経験者も未経験も好きな男とそうじゃない男の前では感じ方もまったく違ってくるので、結局は、経験の有無ではなくて、人間性や関係が大事なんだよね。
まあ、那智さんも、その辺りはわかった上での話題なんだけどね^^
「未経験」2つの感想です。どうしても自分の情けなさ100%になりそうなのですが(笑)SM的な行為とは私は積み上げて行く行為だと思う。そして、私は誰かによって積み上げられた、「積み木」を崩すのではなく、同等の高さかそれ以上に積み上げたい。
積み木の本数が何本あるのか解らないが、その全ての積み木の「棒グラフ」を「私で」埋めなければならないと自分自身に課してしまう。そして全てのグラフを埋めることが出来るだろうか、また、私が関心のある行為だけが積み木になっていればよいが、そうとは限らない。
相手との感性が合うのに、積み木の種類で相手に対し満足を与えることが出来なかったりするのはいかがなものかと。
もっとまとまってからポジティブに感想を書きます。
「芸能人の不倫問題が記事になると大概年長の男と若い女だ。」今日だって観月ありさと・・・。男女の入れ替えに異存はありません。
このカテゴリでいいのか?(笑)
未経験の女がいい。
これだけ聞くと情けなさにため息がでる(笑)
芸能人の不倫問題が記事になると大概年長の男と若い女だ。
はじめて高級料理を食べさせて『わあ、こんなのはじめて!!』と喜ぶ姿に鼻の下を伸ばす姿を想像してしまって、この男は同じくらい知識を持った女と料理を肴に会話を楽しむことはできないのだろうかと思う。
きっとこの若い女が様々なことを経験したら、彼はまた新しい『未経験』を見つけるのだろうと情けない気持ちになる。
確かに未熟は魅力だ。
だけど未熟しか相手にしないのは自分自身も成熟していませんと公言しているみたいで、あまりカッコいいとは思えない。
前エントリーの那智さんも下手するとそうなりかねないので、今日はちょっぴりフォローのエントリー^^
前エントリーを書きながらも書いてからも那智さんとは会話を重ねているので、もう少し具体的な心理がわかっていて、まあ、あれはひとつの話題提供くらいに思ってくださいませ。
どうやら那智さんは、快感の経験がある女性が相手だとすこしでも早くその記憶を上書きしたいと思うあまりゆっくり自分のペースで楽しむことができないと想像してしまうから『未経験がいい』という思考回路ができてしまうようだ。
SとMの関係に於いて(那智さんの場合は、たぶん男女のそれもほぼイコール)那智さんは加虐嗜好ではなく、『育てる』ことが好きなのだろう。
おそらく『育てる』から繋がる究極には『あたなによって生きている』という支配欲。
中にはMのほうがペースが早くて『困ったもんだ』と苦笑しながらもそれを喜ぶSもいるかもしれないけど、『育てる』ことがいい那智さんは、あくまで自分が主導していたい。
自分主導の元、自分自身が納得のいくペースで進めたい、そうなると『未経験』のほうが気持ち的に余裕が持てるということになるのだよね。
この辺りまではいわゆる『未熟好き』の年長芸能人と変わりないのだけど、それらとの違いがあるとするならば、『育て好き』嗜好で『あなたなしでは』の支配欲の那智さんは自分が作り上げたものに対してより愛着を持ってくれるところと、飽きないところだと思う。
経験を重ねれば、そりゃあ未経験の良さは失っていく。
でも那智さんが好きなのは『育てる』こと、故に実は未経験というには那智さんにとって魅力ではあれど、関係継続に不可欠な要素でもないのだ。
もし必要不可欠な要素があるとするならば、彼の『育てる』ことに対して『育てられる』ことに喜びを感じる嗜好なのではないかと思う。
ここの一致があれば那智さんはいつまでも愛着を持って育て続けてくれるので、次々未熟に乗り換えるなんてことにならないでいられる。
(じゃあ、育て切ってしまったら、どうするの?に答えはあるのだけど、これはまたいつかの機会に^^)
そして愛着はあれど物事にはどうしても飽きが来るはずなんだけど、飽きずにいてくれることも特徴のひとつ。
『自分もりん子も飽きさせない』。
これは、那智さん、たぶん無意識でもけっこう気にしているんじゃないかと思う。
わたしたちはもう丸8年付き合っている。
会う頻度にも恵まれているので、けっこうな頻度セックスをしている(照)
それでも飽きることがないのは、それが好きだということ以外にも那智さんの進め方もあると思う。
8年付き合っていてもやっていないことは山ほどあるし、間隔が空いているものもたくさんある。
那智さんは、きっと自分が飽きずわたしが慣れないように、緩急をつけて進めてくれているのだと思う。
鞭やわんこやスカトロやけっこう色々やっているように見えるけど^^;、いまでもどれも新鮮でドキドキしているのは、那智さんが飽きさせないようにしてくれているからだとと思う。
『俺を楽しませろ、俺を飽きさせるな』なんて一度も言われたことがない。
おそらく那智さんは『自分もりん子も飽きさせない』という関係継続に関しても自分が主導なのだろう。
それが『育てる』側の責任というものなのかもしれない。
『未経験』という言葉から想像できる(あくまでも『想像できる』)自分主導のペースで進められることがいいと思うことが、那智さんの自分主導の嗜好で責任だとするならば、『未熟がいい』と思ってしまう情けなさがちょっと軽減するのではないでしょうか(笑)
初な女しか相手できない男との違い、説明できたかしら^^
と、いろいろ言ってるけど、経験者も未経験も好きな男とそうじゃない男の前では感じ方もまったく違ってくるので、結局は、経験の有無ではなくて、人間性や関係が大事なんだよね。
まあ、那智さんも、その辺りはわかった上での話題なんだけどね^^
「未経験」2つの感想です。どうしても自分の情けなさ100%になりそうなのですが(笑)SM的な行為とは私は積み上げて行く行為だと思う。そして、私は誰かによって積み上げられた、「積み木」を崩すのではなく、同等の高さかそれ以上に積み上げたい。
積み木の本数が何本あるのか解らないが、その全ての積み木の「棒グラフ」を「私で」埋めなければならないと自分自身に課してしまう。そして全てのグラフを埋めることが出来るだろうか、また、私が関心のある行為だけが積み木になっていればよいが、そうとは限らない。
相手との感性が合うのに、積み木の種類で相手に対し満足を与えることが出来なかったりするのはいかがなものかと。
もっとまとまってからポジティブに感想を書きます。
「芸能人の不倫問題が記事になると大概年長の男と若い女だ。」今日だって観月ありさと・・・。男女の入れ替えに異存はありません。
鳥かご
非日常的な日常
せいじょういが好き。
抱かれていると強く感じることができるから。
与えられる立場、入れてもらうという関係値。
那智さんの下にいる喜びを形にしたようだから。
覆いかぶさる那智さんの腕は七変化する。
首に回した手のひらが、背ける顔を力強く引き戻す。
二の腕と指先が大きく包み、ふんわりと優しい毛布になる。
顔のすぐ横で自分を支える両腕が動きに合わせてわたしの肩に当たる。
この腕は、鳥かご、もしくは拘束具。
両腕がつかえてわたしはそれ以上、上に動けない。
出られない幸福な那智さんの檻。
だからせいじょういが、好きだ。
決して動くのを横着しているわけじゃあ、ありません(笑)
はあ〜、毎日暑いですね〜^^;
長いことPC前に座っている気がおきませーん^^
今朝の「等式」感想です。○○が好き。では××が嫌いがあるのでしょうか。多少のレパートリーはありますが、そんなに七変化はしていないので気になるところです。(笑)
せいじょういが好き。
抱かれていると強く感じることができるから。
与えられる立場、入れてもらうという関係値。
那智さんの下にいる喜びを形にしたようだから。
覆いかぶさる那智さんの腕は七変化する。
首に回した手のひらが、背ける顔を力強く引き戻す。
二の腕と指先が大きく包み、ふんわりと優しい毛布になる。
顔のすぐ横で自分を支える両腕が動きに合わせてわたしの肩に当たる。
この腕は、鳥かご、もしくは拘束具。
両腕がつかえてわたしはそれ以上、上に動けない。
出られない幸福な那智さんの檻。
だからせいじょういが、好きだ。
決して動くのを横着しているわけじゃあ、ありません(笑)
はあ〜、毎日暑いですね〜^^;
長いことPC前に座っている気がおきませーん^^
今朝の「等式」感想です。○○が好き。では××が嫌いがあるのでしょうか。多少のレパートリーはありますが、そんなに七変化はしていないので気になるところです。(笑)
あこさんと那智くん
独り言
『お食事にご一緒しませんか?』というお誘いにひとりの女性が手を挙げてくださった。
コメントや拍手コメントをくれていたあこさん。
コメントの頻度はそれほど多くはないけれど、時々くださるそれは『お、ここでくれるか!?』というもので書く原動力をくれていた。
新幹線に乗って会いにきてくれるので、他に手を挙げてくださった近郊の方には彼女を優先することを了解いただいて、6月のまだ梅雨入り前、お食事会が実現された。
わたしたちと生活圏が近い人なら『わんこになった百貨店は○○』と話題にすればなんとなくわかってくれるけど、この辺りにあまり馴染みのない方とお会いするとき希望があれば『等式ツアー』をしている(笑)
ここがわんこ、ここでパンツでダッシュして、とお外の名所(?)を案内するのだ。
ほとんど画像を載せないわたしのブログにせめてものリアリティのプレゼント^^
割りとご好評いただいていると思っているので、あこさんにもご提案してみた。
あこさん、予想外のお返事。
それも興味あるけど、他にも見たいところがある。
りん子さんが那智さんが整体に通うのをこっそり見ていたところとかが見たい。
ということなのだ。
不思議^^
どうやら性的な行いよりも、ごく普通に好きな男を見るわたしの目線を見てみたいということのようだ。
わたしの『等式』はいろんなことを書いている。
読む人によって楽しみ方はいろいろなんだなぁと改めて感じる出来事だった。
ということで、ふたりして何ともないオフィス街の一角にある整体院の前をウロウロ(笑)
結局まだ時間もあったので移動して『等式ツアー』も決行^^
でも、気がつけば、ここがどこだという話ではなく、歩きながらもお茶しながらもずっと互いの話しをしたいた。
あこさんは、メールのやり取りの中で『すごい人見知り』と心配なさっていたけれど、会いたいと思う気持ちと読んでくれている人に会える気持ちが揃えば、なんとでもなるものだ^^
そしてわたしは会いたい人にはいろいろ聞きたくなるので、けっこうインタビュアー(あまり優秀とは言えないけど^^;)
わたしの質問に立ち止まり考えながら答えてくれるあこさん。
話は尽きることなく、そろそろ那智さんも合流してお食事会の時間になった。
はじめまして〜。
ちょっぴり緊張しているあこさん?
おもてなしの表情の那智さん。
和やかな雰囲気でお食事会ははじまった。
…
しかし、そのコース、飲み放題のコースだったのだ。
ううん、飲み放題なだけならよくあることだし、問題ない。
那智さんが頼んだものがまずかった!!
何度も頼むことは手間だからという理由で
焼酎のロックをダブルで
このダブルがくせ者だったのだ。
焼酎のロックにダブルという分量があるのかどうかわからない。
ウイスキーなどの比べたらアルコール度数は低いから、まあ、ツーフィンガーではないとしても、アルコールでロックといえば、なんとなく量は想像できるだろう。
広口のウイスキーグラスのようなグラスに氷がたっぷり、その氷の隙間を埋める程度のアルコール。
こんな状態を想像しての『焼酎のロックをダブル』だったわけだ。
で、運ばれてきたそれは、大きめのグラスにぷかぷかと浮く数個の氷、そこに透明の液体がなみなみと。
うーん、焼酎の水割りならぬ、焼酎の焼酎割り状態。
いきなりものすごい量の焼酎を少量の氷で飲めということらしい。
明らかに店側の『何度もオーダーを取る手間を省きました』という意図が感じられる。
いや、那智さんだって、何度も頼むのは手間だから『ダブル』にしたわけで、思い通りといえばそうなんだけど。
店側からそれをされちゃった日には、負けず嫌いさんは挑戦だと受け取る。
ぷかぷか浮かぶ氷を前に、意地でもおかわりしてやろうという回路になってしまったのだ。
気がつけば、なみなみ注がれた焼酎は終わり、那智さんおかわりを頼んでいる。
また、カランカランと音を立てて焼酎ロックのダブル。
もちろん酔って乱れる人ではない。
親しい友人と飲むときは敢えて酔っぱらうこともあるけれど(敢えてなのですよ、友人の皆さま、あれは心を許している表れです 笑)、ご招待した人を前にして乱れるわけではないけれど…。
明らかに酔っている…。
若干揺れ、若干呂律が回っていない。
そして、何より『何かやりそう』ないたずらっ子の目になっているのだ!!
あこさんにまで『那智くんだ〜』と言われてしまう始末。
わたしは、いつただのエロ那智さんと化してしまわないか、もう気が気じゃない。
あこさんには触れてくれるな!!
かといって、わたしに矛先が向いたら、それはそれで大変なことになる。
もうわたしは視線で那智さんを制圧できないものか、必死に見つめてしまっていた。
エロ的行動には出なかったけど、信号待ちでわたしに柔道の技をかけて倒そうとした^^;
でも、これくらいで済むならまだよし(笑)
ただこの酔っぱらいさんを連れてあこさんを新幹線のホームまでお見送りしなければならないのは至難の技だ。
那智さんには、ここでお引き取り願いたい。
でも、こういう場合『那智さん酔っぱらってるから、ここでお帰りください』という方向で話すのは得策ではない、天の邪鬼さんは絶対引かないからね^^;
那智さん、わたし、あこさんとふたりでお話ししたいからわたしだけにお見送りさせてください。
これが正解(笑)
丁重に挨拶して握手して、ことなきを得て、お帰りいただいた。
ふう。
気がつけば、あこさんおもてなしのお食事会が那智くん対策になってしまった^^;
まったく負けず嫌いの天の邪鬼さんは、困ったもの。
でも、そのおかげで新幹線のホームまでの電車の中で、わたしの大事なお話しもできたし、結果オーライとしよう。
翌朝、わたしに足技をかけたことなどすっかり忘れた那智さんは、あこさんをお見送りしなかったことをとてもとても悔やんでいた。
だって、那智さん、新幹線に乗って会いにきてくれることに、わたし以上に恐縮して、なんとかおもてなししたいと張り切っていたからね。
なんだか酔っぱらい那智さんに終始していたみたいだけど、あこさんとの間でも実りある話もできた。
それは
どんなに形がよくても、素材が良くても、好きな男のそれに比べたらバイブは、所詮バイブだ
ってこと。
ね、実りあるでしょ〜(笑)
ちょっと離れているけれど、いろいろな場所でみんなそれぞれ生きている人がいるんだな〜って、深夜2時の空を思う。
あこさん、遠くからありがとうございました^^
<関連エントリー>
那智くん
『朗読奴隷1 2』
『彼の名は「那智くん」』
『基本人格』
今朝の「等式」感想です。あこさんありがとうございました、そしてお見送りできなくてごめんなさい。反省です。しかし、あんな挑戦的な焼酎ロックは初めて見ました。確か3杯飲みましたが、手抜きでなく、かすかな氷が標準なのには驚きました。りん子に操縦されましたが粗相がなく安心しました。(笑)
『お食事にご一緒しませんか?』というお誘いにひとりの女性が手を挙げてくださった。
コメントや拍手コメントをくれていたあこさん。
コメントの頻度はそれほど多くはないけれど、時々くださるそれは『お、ここでくれるか!?』というもので書く原動力をくれていた。
新幹線に乗って会いにきてくれるので、他に手を挙げてくださった近郊の方には彼女を優先することを了解いただいて、6月のまだ梅雨入り前、お食事会が実現された。
わたしたちと生活圏が近い人なら『わんこになった百貨店は○○』と話題にすればなんとなくわかってくれるけど、この辺りにあまり馴染みのない方とお会いするとき希望があれば『等式ツアー』をしている(笑)
ここがわんこ、ここでパンツでダッシュして、とお外の名所(?)を案内するのだ。
ほとんど画像を載せないわたしのブログにせめてものリアリティのプレゼント^^
割りとご好評いただいていると思っているので、あこさんにもご提案してみた。
あこさん、予想外のお返事。
それも興味あるけど、他にも見たいところがある。
りん子さんが那智さんが整体に通うのをこっそり見ていたところとかが見たい。
ということなのだ。
不思議^^
どうやら性的な行いよりも、ごく普通に好きな男を見るわたしの目線を見てみたいということのようだ。
わたしの『等式』はいろんなことを書いている。
読む人によって楽しみ方はいろいろなんだなぁと改めて感じる出来事だった。
ということで、ふたりして何ともないオフィス街の一角にある整体院の前をウロウロ(笑)
結局まだ時間もあったので移動して『等式ツアー』も決行^^
でも、気がつけば、ここがどこだという話ではなく、歩きながらもお茶しながらもずっと互いの話しをしたいた。
あこさんは、メールのやり取りの中で『すごい人見知り』と心配なさっていたけれど、会いたいと思う気持ちと読んでくれている人に会える気持ちが揃えば、なんとでもなるものだ^^
そしてわたしは会いたい人にはいろいろ聞きたくなるので、けっこうインタビュアー(あまり優秀とは言えないけど^^;)
わたしの質問に立ち止まり考えながら答えてくれるあこさん。
話は尽きることなく、そろそろ那智さんも合流してお食事会の時間になった。
はじめまして〜。
ちょっぴり緊張しているあこさん?
おもてなしの表情の那智さん。
和やかな雰囲気でお食事会ははじまった。
…
しかし、そのコース、飲み放題のコースだったのだ。
ううん、飲み放題なだけならよくあることだし、問題ない。
那智さんが頼んだものがまずかった!!
何度も頼むことは手間だからという理由で
焼酎のロックをダブルで
このダブルがくせ者だったのだ。
焼酎のロックにダブルという分量があるのかどうかわからない。
ウイスキーなどの比べたらアルコール度数は低いから、まあ、ツーフィンガーではないとしても、アルコールでロックといえば、なんとなく量は想像できるだろう。
広口のウイスキーグラスのようなグラスに氷がたっぷり、その氷の隙間を埋める程度のアルコール。
こんな状態を想像しての『焼酎のロックをダブル』だったわけだ。
で、運ばれてきたそれは、大きめのグラスにぷかぷかと浮く数個の氷、そこに透明の液体がなみなみと。
うーん、焼酎の水割りならぬ、焼酎の焼酎割り状態。
いきなりものすごい量の焼酎を少量の氷で飲めということらしい。
明らかに店側の『何度もオーダーを取る手間を省きました』という意図が感じられる。
いや、那智さんだって、何度も頼むのは手間だから『ダブル』にしたわけで、思い通りといえばそうなんだけど。
店側からそれをされちゃった日には、負けず嫌いさんは挑戦だと受け取る。
ぷかぷか浮かぶ氷を前に、意地でもおかわりしてやろうという回路になってしまったのだ。
気がつけば、なみなみ注がれた焼酎は終わり、那智さんおかわりを頼んでいる。
また、カランカランと音を立てて焼酎ロックのダブル。
もちろん酔って乱れる人ではない。
親しい友人と飲むときは敢えて酔っぱらうこともあるけれど(敢えてなのですよ、友人の皆さま、あれは心を許している表れです 笑)、ご招待した人を前にして乱れるわけではないけれど…。
明らかに酔っている…。
若干揺れ、若干呂律が回っていない。
そして、何より『何かやりそう』ないたずらっ子の目になっているのだ!!
あこさんにまで『那智くんだ〜』と言われてしまう始末。
わたしは、いつただのエロ那智さんと化してしまわないか、もう気が気じゃない。
あこさんには触れてくれるな!!
かといって、わたしに矛先が向いたら、それはそれで大変なことになる。
もうわたしは視線で那智さんを制圧できないものか、必死に見つめてしまっていた。
エロ的行動には出なかったけど、信号待ちでわたしに柔道の技をかけて倒そうとした^^;
でも、これくらいで済むならまだよし(笑)
ただこの酔っぱらいさんを連れてあこさんを新幹線のホームまでお見送りしなければならないのは至難の技だ。
那智さんには、ここでお引き取り願いたい。
でも、こういう場合『那智さん酔っぱらってるから、ここでお帰りください』という方向で話すのは得策ではない、天の邪鬼さんは絶対引かないからね^^;
那智さん、わたし、あこさんとふたりでお話ししたいからわたしだけにお見送りさせてください。
これが正解(笑)
丁重に挨拶して握手して、ことなきを得て、お帰りいただいた。
ふう。
気がつけば、あこさんおもてなしのお食事会が那智くん対策になってしまった^^;
まったく負けず嫌いの天の邪鬼さんは、困ったもの。
でも、そのおかげで新幹線のホームまでの電車の中で、わたしの大事なお話しもできたし、結果オーライとしよう。
翌朝、わたしに足技をかけたことなどすっかり忘れた那智さんは、あこさんをお見送りしなかったことをとてもとても悔やんでいた。
だって、那智さん、新幹線に乗って会いにきてくれることに、わたし以上に恐縮して、なんとかおもてなししたいと張り切っていたからね。
なんだか酔っぱらい那智さんに終始していたみたいだけど、あこさんとの間でも実りある話もできた。
それは
どんなに形がよくても、素材が良くても、好きな男のそれに比べたらバイブは、所詮バイブだ
ってこと。
ね、実りあるでしょ〜(笑)
ちょっと離れているけれど、いろいろな場所でみんなそれぞれ生きている人がいるんだな〜って、深夜2時の空を思う。
あこさん、遠くからありがとうございました^^
<関連エントリー>
那智くん
『朗読奴隷1 2』
『彼の名は「那智くん」』
『基本人格』
今朝の「等式」感想です。あこさんありがとうございました、そしてお見送りできなくてごめんなさい。反省です。しかし、あんな挑戦的な焼酎ロックは初めて見ました。確か3杯飲みましたが、手抜きでなく、かすかな氷が標準なのには驚きました。りん子に操縦されましたが粗相がなく安心しました。(笑)
丁寧に生きる
りん子独り言(エラそう)
親戚の結婚式に出席した。
いつもはお客様のコース料理を横目で見ながらお仕事しているので、コース料理にわくわく。
披露宴の前の挙式はキリスト教式。
新婦がお父さんにエスコートしてもらってヴァージンロードを歩く。
ぎこちない感じに、なんだかこちらがヒヤヒヤしてしまった。
オルガンの音は心地いいな〜。
外国人の神父さん日本語上手だな〜。
あれこれ関係ないことが頭に浮かんでしまう。
まあ、親戚の結婚式なんてそんなものだ^^
最初の賛美歌312番。
いつくしみ深き〜♪
たぶん結婚式の定番だよね。
何度か参列していれば自然と憶えるほど。
歌い出して。
あれ?やばい、涙、出そう。
なんで??
いきなり泣き出す遠い親戚なんて思われたら恥ずかしい。
声は出さずに歌っているフリだけしてなんとか事なきを得た。
ふう、いったいどうしちゃったんだ、わたし。
ああ、わかった。
この賛美歌のせいだ。
これは姉が結婚するときに歌った賛美歌(というか、これは定番なんだけどね)
もう20年以上前。
姉の結婚はわたしたちの家族の大惨事だった(笑)
結婚を控えて、姉を溺愛する父は死刑執行を待つ囚人のようだったし、シスコンのわたしは無理やり引き裂かれるロミオとジュリエットのよう。
母だけが気丈に振る舞っていたけれど、なんだかぜんぜんおめでたいことという空気になれずにいた。
ある日、式場の打ち合せから帰ってきた姉がわたしたちにある紙を見せた。
受けてきたチャペルセミナーでもらった式次第だった。
そこに書かれていた賛美歌を指して。
これを練習しようと言い出したのだ。
すでにお葬式状態の我が家。
当日、『歌えたほうが楽しい』だろうということらしい。
キリスト教の信者でもない姉がわたしたちの気持ちを少しでも和ませようと賛美歌を憶えてきて教えてくれるというのだ。
結局、何をやってもおめでたいという空気にはならず、メソメソ泣きながら賛美歌の練習する不思議な光景になってしまっていた。
あの微笑ましくもいじらしい記憶が賛美歌を聴いて蘇ったのかもしれない。
『丁寧に生きる』
そんな言葉が浮かぶ。
そんな印象の姉はずっとわたしの憧れだった。
この夏、浴衣を買った。
那智さんとお付き合いが始まった当初に一度、昨年か一昨年にもう一度『浴衣着ないの?』とリクエストをされるたびに断っていた。
着物は似合わないから。
長身で肩が張っていて、よせてあげれば割りと立派な胸になる(笑)わたしの体型は、カンペキに洋服体型。
着物の類いは、まっったく似合わない。
成人式の振り袖姿なんて『売れない演歌歌手』にしか見えなかった。
20才の頃『売れない演歌歌手』姿を目の当たりにして、わたしの着物の苦手意識が芽生えた。
苦手意識はそれだけじゃない。
わたしの姉は着物の類いがとてもとてもよく似合うのだ。
着慣れているというせいもあるかもしれないけど、家族旅行で温泉旅館などに行って見かける湯上がりの浴衣姿だけ見ても、妹のわたしが惚れ惚れするくらい、粋で似合っている。
ただ似合わないだけじゃなくて、もっと似合う人を見てしまっていたので、姉への憧れも相まって苦手意識は、どうにも動かし難いものになっていた。
だから那智さんに『着ないの?』と言われるとき、似合わないからとほんの少し捨て鉢な気持ちで断っていた。
それが今年は着てみようと思った。
着て那智さんをびっくりさせようって。
どうして着ようと思ったのだろう。
きっ、那智さんの存在だ。
たとえ似合わなくても、那智さんは驚いてくれるし、リクエストに応えたいというわたしの『気持ち』を喜んでくれるはずだ。
目的は似合うか似合わないかじゃなくて那智さんに喜んでもらうことだと思えたから、ずっと敬遠していた浴衣を着る気持ちになったのだと思う。
本当はずっと着たかったんだ。
粋で可憐な浴衣。
姉みたいな浴衣姿。
似合わないからと言う理由で避けていたけど、那智さんを喜ばすという理由を後押しにして、わたしは望みを叶えようとしたんだね。
それから那智さんに内緒の浴衣大作戦がはじまった(笑)
体が大きいから膨張色はダメだと思って憧れながらも避けていた白地、店員さんが選んでくれた生成りに近い白はあまり気にならず、黒字に赤の模様の入った正絹の帯が粋に仕上げてくれた。(店員さんが『ショーケンの帯』と説明してくれているのを聞きながら、んん?萩原健一?と頭に『?』なほどの知識のなさ。トホホ)
持ち帰り着付けのきの字もわからないところからスタート。
ネットや知人に聞いて、練習。
調べると、どうやら浴衣でも補正をすると体型カバーにもなるし着崩れも少なく済むらしい。
少しでも苦手意識を減らして、浴衣を楽しめるように何度も何度も練習した。
補正をするということが、どうやらわたしの苦手意識を軽減してくれたようで、那智さんにお見せする日が楽しみでしかたなくなっていた。
内緒の当日。
浴衣を買った呉服屋さんで帯を手直ししてもらって、店員さんに上手に着られていると褒めてもらって。
立ち寄った書店の若い女性の店員さんには『ステキステキ』と一目ボレしてもらって。
那智さんにはとてもとても喜んでもらえた。
いつの間にか浴衣が着付けられるようになっていて、その姿が、ちょっぴり好きになっていた。
丁寧に生きる姉はわたしの憧れだった。
その浴衣姿も、嫉妬するほど憧れた。
それが、どうせ似合わないからというコンプレックスのような気持ちを生んでいた。
だけど、そんなこと楽しくないよね。
憧れをコンプレックスに変形させないで、憧れのままでいたい。
たとえば今回のように『似合う』という尺度ではなくて、『那智さんに喜んでもらいたい』何より自分が『着たい』という原動力で計ればコンプレックスに変形しないのではないだろうか。
角度を変えて物事を見てみると憧れは自分にとって+の作用ともたらしてくれるかもしれない。
わたしよりもっともっと浴衣が似合う人なんてゴマンといる。
きっといまでも姉のほうが、似合っているはずだ。(見たら、また憧れるはず^^;)
だけどわたしはわたしの浴衣姿が好きになっている。
姉のような『丁寧に生きる』感じ、ちょっとはできてるんじゃないかなって、汗だくになって練習したわたしも好きだ^^
ちょっとステキでしょ?
『丁寧に生きる』って。
暑くてね、床が気持ちいいのよ〜とでろーんと寝そべって、カラッと乾いた気持ちいい洗濯物の山を横目に、そんなことを思う夏の日でした(笑)
<関連エントリー>
コンプレックスいろいろ
『私について(父性とシスターコンプレックス1 2)』
『那智マニア』
『コンプレックスの成仏』
今朝の「等式」感想です。
今回はりん子偉かったですよ~(笑)なんと言っても内緒に出来ない性格で「あの~」「その~」「もし、○○だったら」なんて感じで、なにかあるなと匂わさないと気が済まないのに待ち合わせの場所での予想もしない浴衣姿にはびっくりしました。
待ち合わせの直前まで携帯で話をするのが恒例なのですが、姿が見える前に浴衣に携帯は似合わないと理由を付けて携帯を切り、ポーズを取る姿に惚れ直しました。(笑)
親戚の結婚式に出席した。
いつもはお客様のコース料理を横目で見ながらお仕事しているので、コース料理にわくわく。
披露宴の前の挙式はキリスト教式。
新婦がお父さんにエスコートしてもらってヴァージンロードを歩く。
ぎこちない感じに、なんだかこちらがヒヤヒヤしてしまった。
オルガンの音は心地いいな〜。
外国人の神父さん日本語上手だな〜。
あれこれ関係ないことが頭に浮かんでしまう。
まあ、親戚の結婚式なんてそんなものだ^^
最初の賛美歌312番。
いつくしみ深き〜♪
たぶん結婚式の定番だよね。
何度か参列していれば自然と憶えるほど。
歌い出して。
あれ?やばい、涙、出そう。
なんで??
いきなり泣き出す遠い親戚なんて思われたら恥ずかしい。
声は出さずに歌っているフリだけしてなんとか事なきを得た。
ふう、いったいどうしちゃったんだ、わたし。
ああ、わかった。
この賛美歌のせいだ。
これは姉が結婚するときに歌った賛美歌(というか、これは定番なんだけどね)
もう20年以上前。
姉の結婚はわたしたちの家族の大惨事だった(笑)
結婚を控えて、姉を溺愛する父は死刑執行を待つ囚人のようだったし、シスコンのわたしは無理やり引き裂かれるロミオとジュリエットのよう。
母だけが気丈に振る舞っていたけれど、なんだかぜんぜんおめでたいことという空気になれずにいた。
ある日、式場の打ち合せから帰ってきた姉がわたしたちにある紙を見せた。
受けてきたチャペルセミナーでもらった式次第だった。
そこに書かれていた賛美歌を指して。
これを練習しようと言い出したのだ。
すでにお葬式状態の我が家。
当日、『歌えたほうが楽しい』だろうということらしい。
キリスト教の信者でもない姉がわたしたちの気持ちを少しでも和ませようと賛美歌を憶えてきて教えてくれるというのだ。
結局、何をやってもおめでたいという空気にはならず、メソメソ泣きながら賛美歌の練習する不思議な光景になってしまっていた。
あの微笑ましくもいじらしい記憶が賛美歌を聴いて蘇ったのかもしれない。
『丁寧に生きる』
そんな言葉が浮かぶ。
そんな印象の姉はずっとわたしの憧れだった。
この夏、浴衣を買った。
那智さんとお付き合いが始まった当初に一度、昨年か一昨年にもう一度『浴衣着ないの?』とリクエストをされるたびに断っていた。
着物は似合わないから。
長身で肩が張っていて、よせてあげれば割りと立派な胸になる(笑)わたしの体型は、カンペキに洋服体型。
着物の類いは、まっったく似合わない。
成人式の振り袖姿なんて『売れない演歌歌手』にしか見えなかった。
20才の頃『売れない演歌歌手』姿を目の当たりにして、わたしの着物の苦手意識が芽生えた。
苦手意識はそれだけじゃない。
わたしの姉は着物の類いがとてもとてもよく似合うのだ。
着慣れているというせいもあるかもしれないけど、家族旅行で温泉旅館などに行って見かける湯上がりの浴衣姿だけ見ても、妹のわたしが惚れ惚れするくらい、粋で似合っている。
ただ似合わないだけじゃなくて、もっと似合う人を見てしまっていたので、姉への憧れも相まって苦手意識は、どうにも動かし難いものになっていた。
だから那智さんに『着ないの?』と言われるとき、似合わないからとほんの少し捨て鉢な気持ちで断っていた。
それが今年は着てみようと思った。
着て那智さんをびっくりさせようって。
どうして着ようと思ったのだろう。
きっ、那智さんの存在だ。
たとえ似合わなくても、那智さんは驚いてくれるし、リクエストに応えたいというわたしの『気持ち』を喜んでくれるはずだ。
目的は似合うか似合わないかじゃなくて那智さんに喜んでもらうことだと思えたから、ずっと敬遠していた浴衣を着る気持ちになったのだと思う。
本当はずっと着たかったんだ。
粋で可憐な浴衣。
姉みたいな浴衣姿。
似合わないからと言う理由で避けていたけど、那智さんを喜ばすという理由を後押しにして、わたしは望みを叶えようとしたんだね。
それから那智さんに内緒の浴衣大作戦がはじまった(笑)
体が大きいから膨張色はダメだと思って憧れながらも避けていた白地、店員さんが選んでくれた生成りに近い白はあまり気にならず、黒字に赤の模様の入った正絹の帯が粋に仕上げてくれた。(店員さんが『ショーケンの帯』と説明してくれているのを聞きながら、んん?萩原健一?と頭に『?』なほどの知識のなさ。トホホ)
持ち帰り着付けのきの字もわからないところからスタート。
ネットや知人に聞いて、練習。
調べると、どうやら浴衣でも補正をすると体型カバーにもなるし着崩れも少なく済むらしい。
少しでも苦手意識を減らして、浴衣を楽しめるように何度も何度も練習した。
補正をするということが、どうやらわたしの苦手意識を軽減してくれたようで、那智さんにお見せする日が楽しみでしかたなくなっていた。
内緒の当日。
浴衣を買った呉服屋さんで帯を手直ししてもらって、店員さんに上手に着られていると褒めてもらって。
立ち寄った書店の若い女性の店員さんには『ステキステキ』と一目ボレしてもらって。
那智さんにはとてもとても喜んでもらえた。
いつの間にか浴衣が着付けられるようになっていて、その姿が、ちょっぴり好きになっていた。
丁寧に生きる姉はわたしの憧れだった。
その浴衣姿も、嫉妬するほど憧れた。
それが、どうせ似合わないからというコンプレックスのような気持ちを生んでいた。
だけど、そんなこと楽しくないよね。
憧れをコンプレックスに変形させないで、憧れのままでいたい。
たとえば今回のように『似合う』という尺度ではなくて、『那智さんに喜んでもらいたい』何より自分が『着たい』という原動力で計ればコンプレックスに変形しないのではないだろうか。
角度を変えて物事を見てみると憧れは自分にとって+の作用ともたらしてくれるかもしれない。
わたしよりもっともっと浴衣が似合う人なんてゴマンといる。
きっといまでも姉のほうが、似合っているはずだ。(見たら、また憧れるはず^^;)
だけどわたしはわたしの浴衣姿が好きになっている。
姉のような『丁寧に生きる』感じ、ちょっとはできてるんじゃないかなって、汗だくになって練習したわたしも好きだ^^
ちょっとステキでしょ?
『丁寧に生きる』って。
暑くてね、床が気持ちいいのよ〜とでろーんと寝そべって、カラッと乾いた気持ちいい洗濯物の山を横目に、そんなことを思う夏の日でした(笑)
<関連エントリー>
コンプレックスいろいろ
『私について(父性とシスターコンプレックス1 2)』
『那智マニア』
『コンプレックスの成仏』
今朝の「等式」感想です。
今回はりん子偉かったですよ~(笑)なんと言っても内緒に出来ない性格で「あの~」「その~」「もし、○○だったら」なんて感じで、なにかあるなと匂わさないと気が済まないのに待ち合わせの場所での予想もしない浴衣姿にはびっくりしました。
待ち合わせの直前まで携帯で話をするのが恒例なのですが、姿が見える前に浴衣に携帯は似合わないと理由を付けて携帯を切り、ポーズを取る姿に惚れ直しました。(笑)
優しくされた記憶1
独特な幸福感
さっきまで焼けるような日差しが照りつけていたのに、空のはしっこから灰色の雲が広がってきた。
開け放った窓からすーーっとひんやりした風を感じる。
ああ、きっと夕立が来る。
ちょっとわくわくした気持ちで窓から覗くと、灰色が、もっとなんていうか、青みがかった深い深い灰色に変わっていた。
やっぱり夕立。
お買い物に出ようと思っていた。
でももう少し待とう。
夕立が来てからにしよう。
何もわざわざ濡れるようなことしなくてもいいんだけど、わたしはどしゃぶりの雨が大好きなんだ。
その中を歩きたーい^^
しばらくすると、ゴロゴロと低い雷鳴が聞こえてきてさっきより冷たい風も増えた。
ポツポツとアスファルトに水玉模様が付いたと思ったら、あっという間に滝のような雨!!
わーい、わーい、これを待っていたのだ。
Tシャツに半パン、海に行くようなつっかけサンダル。
濡れてもいいような格好でどしゃ降りの夕立に中、お買い物に出た。
両手で傘を持たないと雨の重さでよろけてしまいそうなほどのどしゃ降り。
つっかけサンダルなんて、履いている意味があるんだろうかというくらい、即座にずぶ濡れの足。
ゴロゴロというカミナリにちょっとヒヤヒヤしながら近所のスーパーへ。
とっても大変!!という状態をわざわざ作るあたり、これも性癖か?と苦笑する^^;
お買い物が済んで再び表に出ても、まだどしゃ降りは続いていた。
なかなかしぶとい夕立。
ちょうど近所の小学校の下校時間と重なったようで子供たちが交差点で散り散りになっている。
天気予報を見て親が持たせたのか傘をさしている子がほとんどだけど、中にはそうじゃない子もいて、友達に入れてもらっていたり、ずぶ濡れで駆け足の子もいた。
ども子もきゃあきゃあ浮き足立ってる。
夕立マジックだなぁ(って、わたしもそのマジックにかかってるけど^^;)
信号で止まっていたら、二人組の女の子が来た。
まだ低学年、よくて3年生。
傘を持っている子がまっすぐ傘がない子がわたしと同じ方向のようで、ふたりで信号のところでやんやとおしゃべりしている。
「いいから、大丈夫だから」
どうやら、傘を持っている子が心配しているようで、傘のない子が気を使わせないようにしているみたい。
「いいから、いいから」
バイバイを手を振って傘のない子は信号待ちのわたしの横に並んだ。
小さい子の相合い傘、たいして上手に雨を凌げていたわけでもないみたいで、見るとすでにふたりともけっこう濡れている。
まあ、雨に濡れても死ぬわけじゃないよね。
どしゃ降りの経験だって悪くない。
しかも、すでにけっこう濡れている。
それにこの子の行き先だってわからないものね。
傘、必要ないかな。
一瞬、ためらったけど、ごく普通に声に出してみた。
「わたし、あそこを曲がるけど、傘に入る?」
信号を渡ってどちらの方向に行くかはわからなかったけど、ずぶ濡れの少女に相合い傘の申し出をしてみた。
ちょっと遠慮して迷って、でも彼女は快く申し出を受け入れてくれた。
「わたし、あそこ曲がるけど、あなたのお家は?」
聞けば、途中まで一緒らしい。
「じゃあ、途中までだけど一緒にいこう」
「お家じゃないんだ、ばあばの家」
「そうか〜、じゃあ、いっぱい濡れておばあちゃん驚いちゃうね」
距離にしたら50mもなかったかもしれない。
わたしはまっすぐ、女の子は右に。
「ありがとうございました〜」
可愛い笑顔でおばあちゃんの家に走っていった。
うふふ、いいことした自己満足。
しかも可愛い子と相合い傘。
なんともいい気分だった。
そのときのことを那智さんに話した。
いいこと自慢だ(笑)
そういう話を聞くと、その分野ではりん子にかなわないと思うんだよな〜
那智さんは公共性という言葉を使ったけど、どうやら那智さんはわたしほど一歩が出ないらしいのだ。
だって、どこで別れるかわからないだろ?
最後まで入れてあげるとは限らないし
それなのにしていいものかって思っちゃうんだよね
『最後まで責任を持てないことはしたくない』
あはは、那智さんらしい考え方^^
それもとてもよくわかります。
わたしだって、すでにずぶ濡れでどこまで同じ方向かわからない少女に傘をさす意味はどれくらいあるものか、一瞬ためらったもの。
だけど、わたしなりの明確な動機付けはあるんだ^^
(あ、もちろん、親切にする心地よさとかはあるよ)
それはね、『親切にしてもらった経験』。
あのね、那智さん。
わたしも最後まで付き合えないのわかっていたけど、それはどちらでもよかったのです。
知らない大人に親切にされたという経験っていいかなって思ったのです。
人に親切にされた経験。
一瞬の通りすがりだったからあの子の心にどれだけ残ってくれるかわからないけど、それは人生で味わえたほうがいいと思うのです。
その経験は、自分で自分を大切に思える記録になると思う。
そしていつか自分の実になって、他者に優しくできるかもしれない。
たかが50m相合い傘をしただけで人生が変わるわけないことは充分承知しているけど、わたし自身の動機付けにはなる。
『責任持たないから』としない那智さんと、わたし。
それぞれの親切の表現の仕方があるな〜と思う。
その部分をかなわないと褒めてくれる那智さん。
でも、それを聞きながら、『わたしにそれを教えてくれたのは那智さんなんですけどね〜』とひとり思っていた。
優しくされる。
親切にされる。
大事にされる。
こういう経験は、きっとその人の情緒を育む大きな役割になる。
次回、この経験の代表的なお話を書こうと思っています。
ちょっと『いい人』なエントリーが続いてしまって照れ臭いのですが、今回は次エントリーの前振りなのでした。
タブーな内容のノロケになる予定(まだ未着手^^;)
朝の「等式」感想です。
ふたりでデートしているときに、色々な親切や思いやりを表すことは普通のことかもしれません。デートの最中で気分がよいから、もしくはふたりの存在に社会性をもたせたいと思う私の気持ちもあるのかもしれませんが。
さっきまで焼けるような日差しが照りつけていたのに、空のはしっこから灰色の雲が広がってきた。
開け放った窓からすーーっとひんやりした風を感じる。
ああ、きっと夕立が来る。
ちょっとわくわくした気持ちで窓から覗くと、灰色が、もっとなんていうか、青みがかった深い深い灰色に変わっていた。
やっぱり夕立。
お買い物に出ようと思っていた。
でももう少し待とう。
夕立が来てからにしよう。
何もわざわざ濡れるようなことしなくてもいいんだけど、わたしはどしゃぶりの雨が大好きなんだ。
その中を歩きたーい^^
しばらくすると、ゴロゴロと低い雷鳴が聞こえてきてさっきより冷たい風も増えた。
ポツポツとアスファルトに水玉模様が付いたと思ったら、あっという間に滝のような雨!!
わーい、わーい、これを待っていたのだ。
Tシャツに半パン、海に行くようなつっかけサンダル。
濡れてもいいような格好でどしゃ降りの夕立に中、お買い物に出た。
両手で傘を持たないと雨の重さでよろけてしまいそうなほどのどしゃ降り。
つっかけサンダルなんて、履いている意味があるんだろうかというくらい、即座にずぶ濡れの足。
ゴロゴロというカミナリにちょっとヒヤヒヤしながら近所のスーパーへ。
とっても大変!!という状態をわざわざ作るあたり、これも性癖か?と苦笑する^^;
お買い物が済んで再び表に出ても、まだどしゃ降りは続いていた。
なかなかしぶとい夕立。
ちょうど近所の小学校の下校時間と重なったようで子供たちが交差点で散り散りになっている。
天気予報を見て親が持たせたのか傘をさしている子がほとんどだけど、中にはそうじゃない子もいて、友達に入れてもらっていたり、ずぶ濡れで駆け足の子もいた。
ども子もきゃあきゃあ浮き足立ってる。
夕立マジックだなぁ(って、わたしもそのマジックにかかってるけど^^;)
信号で止まっていたら、二人組の女の子が来た。
まだ低学年、よくて3年生。
傘を持っている子がまっすぐ傘がない子がわたしと同じ方向のようで、ふたりで信号のところでやんやとおしゃべりしている。
「いいから、大丈夫だから」
どうやら、傘を持っている子が心配しているようで、傘のない子が気を使わせないようにしているみたい。
「いいから、いいから」
バイバイを手を振って傘のない子は信号待ちのわたしの横に並んだ。
小さい子の相合い傘、たいして上手に雨を凌げていたわけでもないみたいで、見るとすでにふたりともけっこう濡れている。
まあ、雨に濡れても死ぬわけじゃないよね。
どしゃ降りの経験だって悪くない。
しかも、すでにけっこう濡れている。
それにこの子の行き先だってわからないものね。
傘、必要ないかな。
一瞬、ためらったけど、ごく普通に声に出してみた。
「わたし、あそこを曲がるけど、傘に入る?」
信号を渡ってどちらの方向に行くかはわからなかったけど、ずぶ濡れの少女に相合い傘の申し出をしてみた。
ちょっと遠慮して迷って、でも彼女は快く申し出を受け入れてくれた。
「わたし、あそこ曲がるけど、あなたのお家は?」
聞けば、途中まで一緒らしい。
「じゃあ、途中までだけど一緒にいこう」
「お家じゃないんだ、ばあばの家」
「そうか〜、じゃあ、いっぱい濡れておばあちゃん驚いちゃうね」
距離にしたら50mもなかったかもしれない。
わたしはまっすぐ、女の子は右に。
「ありがとうございました〜」
可愛い笑顔でおばあちゃんの家に走っていった。
うふふ、いいことした自己満足。
しかも可愛い子と相合い傘。
なんともいい気分だった。
そのときのことを那智さんに話した。
いいこと自慢だ(笑)
そういう話を聞くと、その分野ではりん子にかなわないと思うんだよな〜
那智さんは公共性という言葉を使ったけど、どうやら那智さんはわたしほど一歩が出ないらしいのだ。
だって、どこで別れるかわからないだろ?
最後まで入れてあげるとは限らないし
それなのにしていいものかって思っちゃうんだよね
『最後まで責任を持てないことはしたくない』
あはは、那智さんらしい考え方^^
それもとてもよくわかります。
わたしだって、すでにずぶ濡れでどこまで同じ方向かわからない少女に傘をさす意味はどれくらいあるものか、一瞬ためらったもの。
だけど、わたしなりの明確な動機付けはあるんだ^^
(あ、もちろん、親切にする心地よさとかはあるよ)
それはね、『親切にしてもらった経験』。
あのね、那智さん。
わたしも最後まで付き合えないのわかっていたけど、それはどちらでもよかったのです。
知らない大人に親切にされたという経験っていいかなって思ったのです。
人に親切にされた経験。
一瞬の通りすがりだったからあの子の心にどれだけ残ってくれるかわからないけど、それは人生で味わえたほうがいいと思うのです。
その経験は、自分で自分を大切に思える記録になると思う。
そしていつか自分の実になって、他者に優しくできるかもしれない。
たかが50m相合い傘をしただけで人生が変わるわけないことは充分承知しているけど、わたし自身の動機付けにはなる。
『責任持たないから』としない那智さんと、わたし。
それぞれの親切の表現の仕方があるな〜と思う。
その部分をかなわないと褒めてくれる那智さん。
でも、それを聞きながら、『わたしにそれを教えてくれたのは那智さんなんですけどね〜』とひとり思っていた。
優しくされる。
親切にされる。
大事にされる。
こういう経験は、きっとその人の情緒を育む大きな役割になる。
次回、この経験の代表的なお話を書こうと思っています。
ちょっと『いい人』なエントリーが続いてしまって照れ臭いのですが、今回は次エントリーの前振りなのでした。
タブーな内容のノロケになる予定(まだ未着手^^;)
朝の「等式」感想です。
ふたりでデートしているときに、色々な親切や思いやりを表すことは普通のことかもしれません。デートの最中で気分がよいから、もしくはふたりの存在に社会性をもたせたいと思う私の気持ちもあるのかもしれませんが。