徒然に『求めるもの』
りん子的独り言(生意気)
いつも問いかけている
自分の求めるものを見極めて
と。
おそらくそれができている人からしたら極普通の極めて当たり前のことなんだろうな。
何をそんな当たり前のことをいっているのだろう。
自分のことなんだからわからないことないじゃない。
そんなふうに不思議に思うかもしれない。
でもね…わからないのだ(笑)
かつてわたしは自分を困らせる蠢くものが存在していることは知っていた。
熱してはすぐ冷める恋愛を繰り返し、そのうち自分には人を愛する才能がないのだろうと諦めるような気持ちになっていた。
それでも蠢くものを鎮めたくて、性的な興味を持っていたSMや支配の世界に足を踏み入れた。
でも、SM行為だけでは夢中になれなかった。
ご主人様と名乗る人と付き合っても相手を見下したままだった。
好きになった人とSM行為をしても満たされなかった。
おかしいな、わたしの性的嗜好はSMや支配ではないのだろうか。
オナニーのほうがずっと濡れる、昔から憧れていた世界なのに最初は濡れていてもすぐ乾いてしまう自分が不思議だった。
熱しやすく冷めやすい恋愛。
相手が見つからず何度も旅に出るパートナー探し。
わたしは、自分が何を求めているのかわからない人間だったのだ。
だからどう見ても、奴隷さんになりたいんじゃないでしょ!!ただ依存していたいだけでしょ!!という依存体質さんを見ていると、歯がゆくなってしまって、あなたのほしいものはそれじゃないんじゃない?っていつも書いている。
求めるもの見極めてって。
でね、『それだけ』と『それ以外』を書きながら、問いかけるだけでいいのだろうかって思った。
たぶん、最初からちゃんと自分のことがわかっている人からしたら、わかっていることは当然のことだ。
だから『わかるようになる方法』なんて知りようがないよね。
で、わからない人は、実はわかっていないことさえ、わかっていないというケースも多いはずだ。
よくお勉強でもあるよね、難し過ぎて何がわからないかもわからない状態(笑)
こういう人もきっとたくさんいる。
それならね。
かつてわからなくて、いまわかっているという両方経験したわたしだから言えることってないだろうかと思ったのです。
そう思って、ただ自分の求めるものを見極めてと問いかけするだけじゃなくて、もう少し何とかならないかなって考えてみた。
…
でも一生懸命探してみても当然のように魔法の呪文は見つからないのだ(笑)
せいぜいヒントくらいしか思いつかない^^;
やっぱり自分のことは自分で見つけるしかないのかな。
だけど、せめて、思いついたものを書いてみようと思う。
前エントリーで『核』と『嗜好』は違うとチラッと書いた。
自分が何を求めているのかわからない人は、この区別をつけるだけでもちょっと違うんじゃないかって思う。
おそらく、わたしが憧れていたSMは『嗜好』だよね。
で、ずっと蠢いていたものは大きく括ってしまうけど『父性を求める心(=依存?女の子?、かな。ちょっと断言できない)』、これがわたしの『核』だ。
『嗜好』と『核』はとても似ているし近いかもしれないけど、たぶん違う。
『嗜好』は豊かになれるもの、もしくはその欲求。
『核』は、アイデンティティという感覚が近いかもしれない。
自分は『核』を探しているのか、それとも『嗜好』を満たそうとしているのか。
これがわかっていたら見つけ方や心構えも違ってくると思う。
こんなふうに分けて考えるように書いているけど、きっと『嗜好』と『核』は長く深く関わると境目がなくなってくるようにも思う。
もしかして『嗜好』で出会ったSMカップルがいつしかとても大事な『核』になっていくなんてこともあるかもしれないよね。
じゃあ、どうやって『嗜好』と『核』を見極めればいいのか。
これが難しい^^;
たとえば。
『「好み」と「合う」』というエントリーを書いたけど、これも『嗜好(好み)』『核(合う)』に当てはめることができるような気がするよ。
好きという感情はときめく。
ドキドキわくわくして、すこしヒヤヒヤする。
合うは、あまりドキドキはしないかもしれない。
だけど安心する。
ときめきと安心とどちらを選んでいくか、それは自由だ。
ついでにいうと、わたしはときめきと安心両方感じているので必ずどちらかだと言えないけど、そういう考え方という一例ね。
男女限らずね、どんなときどんな人とときめいて、どんな人となら安心した?
何を読んでときめいて、何を読んだら安心した?
こんなふうに、いままで経験したときめきや安心の感情の経験を思い出してみるのもいいかもしれない。
そしたら自分の好みと合うの違いがわかるかも。
そうそう、もうひとつ。
これもまーったく根拠ないのだけど、けっこう核心かもしれない^^
うんと小さい頃の好きな男の人のタイプって、いまの好みと同じ?
わたし、違うんだよね。
小さい頃、テレビやマンガを読んでいいなと思うタイプはみんな優しくて包容力のある人だった。
それがいつしか母性本能をくすぐる可愛い男の子がタイプに変わっていたんだ。
もしかしたら、小さい頃思い描いていたことが本来の『核』なのであって、大人になってできた好みは、それまで生きていく上で何かをねじ曲げた結果かもしれない。
(これ、いつか掘り下げよう^^)
そんなふうに考えてみるのもひとつの方法じゃないかな。
なんとなく『嗜好』と『核』の違いがわかってきたら、どちらを求めていたいかという自分心といまはどちらを埋めることができているかという現状を把握できるといいと思う。
『核』を求めているのに『嗜好』から探していたら見つからないし、『嗜好』を楽しむ気持ちに切り替えないと『核』は邪魔になるかもしれない。
これを把握できていると不必要に傷つくことはないと思うし、傷が深くなければ問題から目を背けずにいられるはず。
自分のことなんだから、自分でわかるのは当然?
そうかもしれない。
だけどここにかつて自分の快不快がわからず、足掻いていた女もいる。
そういう人もいるということ。
でもわからないなら、時間をかけてもわかるようになればいい。
わからないってわかっているだけでも、一歩前進だものね^^
思いつくままに書いてみました。
あんまりヒントににもなっていないかもしれない^^;
そうそう、もうひとつ。
ここを読んで『非日常的な日常』のSM行為や性的なものじゃなく、『独特な幸福感』の特に『父性』に反応した人は、きっと『父性』を求める依存体質さんの可能性は高い^^
これは、かなり手っ取り早い見極め方かも(これもかなりの核心!?)
で、もし反応にたのなら、あなたの求めているものはサディストでもご主人様でもなくてお父さんかもしれないね^^
いつも問いかけている
自分の求めるものを見極めて
と。
おそらくそれができている人からしたら極普通の極めて当たり前のことなんだろうな。
何をそんな当たり前のことをいっているのだろう。
自分のことなんだからわからないことないじゃない。
そんなふうに不思議に思うかもしれない。
でもね…わからないのだ(笑)
かつてわたしは自分を困らせる蠢くものが存在していることは知っていた。
熱してはすぐ冷める恋愛を繰り返し、そのうち自分には人を愛する才能がないのだろうと諦めるような気持ちになっていた。
それでも蠢くものを鎮めたくて、性的な興味を持っていたSMや支配の世界に足を踏み入れた。
でも、SM行為だけでは夢中になれなかった。
ご主人様と名乗る人と付き合っても相手を見下したままだった。
好きになった人とSM行為をしても満たされなかった。
おかしいな、わたしの性的嗜好はSMや支配ではないのだろうか。
オナニーのほうがずっと濡れる、昔から憧れていた世界なのに最初は濡れていてもすぐ乾いてしまう自分が不思議だった。
熱しやすく冷めやすい恋愛。
相手が見つからず何度も旅に出るパートナー探し。
わたしは、自分が何を求めているのかわからない人間だったのだ。
だからどう見ても、奴隷さんになりたいんじゃないでしょ!!ただ依存していたいだけでしょ!!という依存体質さんを見ていると、歯がゆくなってしまって、あなたのほしいものはそれじゃないんじゃない?っていつも書いている。
求めるもの見極めてって。
でね、『それだけ』と『それ以外』を書きながら、問いかけるだけでいいのだろうかって思った。
たぶん、最初からちゃんと自分のことがわかっている人からしたら、わかっていることは当然のことだ。
だから『わかるようになる方法』なんて知りようがないよね。
で、わからない人は、実はわかっていないことさえ、わかっていないというケースも多いはずだ。
よくお勉強でもあるよね、難し過ぎて何がわからないかもわからない状態(笑)
こういう人もきっとたくさんいる。
それならね。
かつてわからなくて、いまわかっているという両方経験したわたしだから言えることってないだろうかと思ったのです。
そう思って、ただ自分の求めるものを見極めてと問いかけするだけじゃなくて、もう少し何とかならないかなって考えてみた。
…
でも一生懸命探してみても当然のように魔法の呪文は見つからないのだ(笑)
せいぜいヒントくらいしか思いつかない^^;
やっぱり自分のことは自分で見つけるしかないのかな。
だけど、せめて、思いついたものを書いてみようと思う。
前エントリーで『核』と『嗜好』は違うとチラッと書いた。
自分が何を求めているのかわからない人は、この区別をつけるだけでもちょっと違うんじゃないかって思う。
おそらく、わたしが憧れていたSMは『嗜好』だよね。
で、ずっと蠢いていたものは大きく括ってしまうけど『父性を求める心(=依存?女の子?、かな。ちょっと断言できない)』、これがわたしの『核』だ。
『嗜好』と『核』はとても似ているし近いかもしれないけど、たぶん違う。
『嗜好』は豊かになれるもの、もしくはその欲求。
『核』は、アイデンティティという感覚が近いかもしれない。
自分は『核』を探しているのか、それとも『嗜好』を満たそうとしているのか。
これがわかっていたら見つけ方や心構えも違ってくると思う。
こんなふうに分けて考えるように書いているけど、きっと『嗜好』と『核』は長く深く関わると境目がなくなってくるようにも思う。
もしかして『嗜好』で出会ったSMカップルがいつしかとても大事な『核』になっていくなんてこともあるかもしれないよね。
じゃあ、どうやって『嗜好』と『核』を見極めればいいのか。
これが難しい^^;
たとえば。
『「好み」と「合う」』というエントリーを書いたけど、これも『嗜好(好み)』『核(合う)』に当てはめることができるような気がするよ。
好きという感情はときめく。
ドキドキわくわくして、すこしヒヤヒヤする。
合うは、あまりドキドキはしないかもしれない。
だけど安心する。
ときめきと安心とどちらを選んでいくか、それは自由だ。
ついでにいうと、わたしはときめきと安心両方感じているので必ずどちらかだと言えないけど、そういう考え方という一例ね。
男女限らずね、どんなときどんな人とときめいて、どんな人となら安心した?
何を読んでときめいて、何を読んだら安心した?
こんなふうに、いままで経験したときめきや安心の感情の経験を思い出してみるのもいいかもしれない。
そしたら自分の好みと合うの違いがわかるかも。
そうそう、もうひとつ。
これもまーったく根拠ないのだけど、けっこう核心かもしれない^^
うんと小さい頃の好きな男の人のタイプって、いまの好みと同じ?
わたし、違うんだよね。
小さい頃、テレビやマンガを読んでいいなと思うタイプはみんな優しくて包容力のある人だった。
それがいつしか母性本能をくすぐる可愛い男の子がタイプに変わっていたんだ。
もしかしたら、小さい頃思い描いていたことが本来の『核』なのであって、大人になってできた好みは、それまで生きていく上で何かをねじ曲げた結果かもしれない。
(これ、いつか掘り下げよう^^)
そんなふうに考えてみるのもひとつの方法じゃないかな。
なんとなく『嗜好』と『核』の違いがわかってきたら、どちらを求めていたいかという自分心といまはどちらを埋めることができているかという現状を把握できるといいと思う。
『核』を求めているのに『嗜好』から探していたら見つからないし、『嗜好』を楽しむ気持ちに切り替えないと『核』は邪魔になるかもしれない。
これを把握できていると不必要に傷つくことはないと思うし、傷が深くなければ問題から目を背けずにいられるはず。
自分のことなんだから、自分でわかるのは当然?
そうかもしれない。
だけどここにかつて自分の快不快がわからず、足掻いていた女もいる。
そういう人もいるということ。
でもわからないなら、時間をかけてもわかるようになればいい。
わからないってわかっているだけでも、一歩前進だものね^^
思いつくままに書いてみました。
あんまりヒントににもなっていないかもしれない^^;
そうそう、もうひとつ。
ここを読んで『非日常的な日常』のSM行為や性的なものじゃなく、『独特な幸福感』の特に『父性』に反応した人は、きっと『父性』を求める依存体質さんの可能性は高い^^
これは、かなり手っ取り早い見極め方かも(これもかなりの核心!?)
で、もし反応にたのなら、あなたの求めているものはサディストでもご主人様でもなくてお父さんかもしれないね^^