アンテナ
独特な幸福感
わたしの方の事情で那智さんと会う約束をキャンセルしないといけない日があった。
こちらの事情といっても、わたしの力の及ばないところでのことなので、申し訳ない気持ちと歯がゆい気持ちでいっぱいだった。
もちろん会えない残念さは、当然のこと。
加えて『ファーストプライオリティ1、2、3』で書いたような寂しさが、ヒタヒタと迫って来てるような感覚もある。
それが、欲情の表し方が正常に働かずに寂しいとかぐずるという形で表れているらしいということが共通認識になってきたから、このヒタヒタと感じるものも、それなのだろう。
犬気質のわたしは、その寂しさで『那智さん好き好き〜』と尻尾が振れないことは、かなりつらい。
そうなってしまうことを恐れていると大袈裟に表現したくなるくらい、つらいのだ。
まして、欲情を認め口にすることだって、とても苦手なこと。
だから、この『ヒタヒタ』と忍び寄る足音に、ううヤバいとちょっとビクビクする。
そこに、会えない残念、申し訳ない気持ち、どうすることもできない歯痒さなどなどが相まって、下手したらどどーーーっと落ち込んでしまいそうな朝の気分だった。
状況説明や謝罪、残念な気持ちと少しの寂しさのメールをいくつか送る。
那智さんからは『了解』やら『はい』やらの、なんとも事務的な返信。
このままじゃあ、落ち込んでしまいそう。
そう思って、ちょっと前向きにジャンプしてみた。
『那智さーん、欲求不満になっちゃいそうです。そしたら困ってしまいます〜。』
キャンセルになった寂しさや欲情から来る寂しさ。
会うはずだった今日一日、思いが募り過ぎて那智さんを困らせやしないかという不安。
それらを、欲求不満という言葉に乗せて素直にメールで訴えてみた。
ひと言返信。
『俺は楽しむ』
そのお返事にぎゅーっと抱きしめられた気分になった。
いいな〜、その言葉。
わたしは、こうやってこの人に何度も手を貸してもらってる。
わたしの欲求不満の困惑を。
『俺は楽しいよ』でも『俺は楽しんでるよ』でもなく。
『俺は楽しむ』と言う。
いや、楽しいことなんて自然発生するほうが正当なんだと思うし、実際自然発生した『楽しい』なんだと思うけど。
多分、違う日だったら『俺は楽しいよ』と書いていたかもしれない。
でも、この日のこのタイミングは『俺は楽しむ』だった。
そこにわたしを救い上げようという前向きな意志の力を感じてしまうのだ。
那智さんとしては寂しい=欲求不満という自説には確信があるから、りん子の寂しいは単に欲求不満。
ということは、それをどうやって遊んでやろうかという『楽しみ』から来た『楽しむ』だと思うのだけど。
敢えて、『楽しむ』と選んだことに。
会えない今日を無駄な一日にしないで、これさえも楽しんでやろうという前向きな気持ちと、それでわたしも引っ張り上げてくれようとする意志が感じられるのです。
那智さんがどこまで深く考えてその言葉を選んだか、それはわからないけど。
(後で確認したら、一応『楽しむ』を敢えて選んだそうです。まあ、こんなにわたしが反応するとまでは思っていなかったでしょうけど)
その意志を感じ取れる言葉選びが、好き。
ずっと、そうだ。
『俺と付き合うことで、りん子が幸せになるように』と那智さんが決めてから、わたしはずっとこの意志の力に支えられているように思う。
わたしの家族のこと、仕事のこと、対人関係、那智さんは深く関わってくる。
他者が見たら、不倫相手にそこまで突っ込む!?と思うかもしれないけど、それは『りん子が幸せになるように』というブレない意志からだ。
その意志に、ずっとずっと救い上げてもらっているな〜とメールのひと言から感じられ、わたしはまた『那智さん、だーい好き』になるのだ。
たかがメールのひと言で?
恋は盲目!?
そうかもしれない^^;
でも、それでその日一日幸福に過ごせれば、決して悪いことじゃないよね。
たかが、メールのひと言。
だけど、そこに前向きな意志の力を込めていると感じさせてくれる那智さん。
それを感じ取るアンテナを張るのだ。
那智さんの意志をちゃんとキャッチできるアンテナ。
多分、わたしのアンテナは、那智さんの電波だけはキャッチできるようにできているのかもしれない。
那智さん仕様のアンテナ。
ただの『都合のいい脳内変換』かもしれないけど^^;
それで、小さな幸せを逃すことなくわたしのものにするのだ。
で、このアンテナのおかげで、ブログのノロケネタも尽きないのかもしれない^^
わたしの方の事情で那智さんと会う約束をキャンセルしないといけない日があった。
こちらの事情といっても、わたしの力の及ばないところでのことなので、申し訳ない気持ちと歯がゆい気持ちでいっぱいだった。
もちろん会えない残念さは、当然のこと。
加えて『ファーストプライオリティ1、2、3』で書いたような寂しさが、ヒタヒタと迫って来てるような感覚もある。
それが、欲情の表し方が正常に働かずに寂しいとかぐずるという形で表れているらしいということが共通認識になってきたから、このヒタヒタと感じるものも、それなのだろう。
犬気質のわたしは、その寂しさで『那智さん好き好き〜』と尻尾が振れないことは、かなりつらい。
そうなってしまうことを恐れていると大袈裟に表現したくなるくらい、つらいのだ。
まして、欲情を認め口にすることだって、とても苦手なこと。
だから、この『ヒタヒタ』と忍び寄る足音に、ううヤバいとちょっとビクビクする。
そこに、会えない残念、申し訳ない気持ち、どうすることもできない歯痒さなどなどが相まって、下手したらどどーーーっと落ち込んでしまいそうな朝の気分だった。
状況説明や謝罪、残念な気持ちと少しの寂しさのメールをいくつか送る。
那智さんからは『了解』やら『はい』やらの、なんとも事務的な返信。
このままじゃあ、落ち込んでしまいそう。
そう思って、ちょっと前向きにジャンプしてみた。
『那智さーん、欲求不満になっちゃいそうです。そしたら困ってしまいます〜。』
キャンセルになった寂しさや欲情から来る寂しさ。
会うはずだった今日一日、思いが募り過ぎて那智さんを困らせやしないかという不安。
それらを、欲求不満という言葉に乗せて素直にメールで訴えてみた。
ひと言返信。
『俺は楽しむ』
そのお返事にぎゅーっと抱きしめられた気分になった。
いいな〜、その言葉。
わたしは、こうやってこの人に何度も手を貸してもらってる。
わたしの欲求不満の困惑を。
『俺は楽しいよ』でも『俺は楽しんでるよ』でもなく。
『俺は楽しむ』と言う。
いや、楽しいことなんて自然発生するほうが正当なんだと思うし、実際自然発生した『楽しい』なんだと思うけど。
多分、違う日だったら『俺は楽しいよ』と書いていたかもしれない。
でも、この日のこのタイミングは『俺は楽しむ』だった。
そこにわたしを救い上げようという前向きな意志の力を感じてしまうのだ。
那智さんとしては寂しい=欲求不満という自説には確信があるから、りん子の寂しいは単に欲求不満。
ということは、それをどうやって遊んでやろうかという『楽しみ』から来た『楽しむ』だと思うのだけど。
敢えて、『楽しむ』と選んだことに。
会えない今日を無駄な一日にしないで、これさえも楽しんでやろうという前向きな気持ちと、それでわたしも引っ張り上げてくれようとする意志が感じられるのです。
那智さんがどこまで深く考えてその言葉を選んだか、それはわからないけど。
(後で確認したら、一応『楽しむ』を敢えて選んだそうです。まあ、こんなにわたしが反応するとまでは思っていなかったでしょうけど)
その意志を感じ取れる言葉選びが、好き。
ずっと、そうだ。
『俺と付き合うことで、りん子が幸せになるように』と那智さんが決めてから、わたしはずっとこの意志の力に支えられているように思う。
わたしの家族のこと、仕事のこと、対人関係、那智さんは深く関わってくる。
他者が見たら、不倫相手にそこまで突っ込む!?と思うかもしれないけど、それは『りん子が幸せになるように』というブレない意志からだ。
その意志に、ずっとずっと救い上げてもらっているな〜とメールのひと言から感じられ、わたしはまた『那智さん、だーい好き』になるのだ。
たかがメールのひと言で?
恋は盲目!?
そうかもしれない^^;
でも、それでその日一日幸福に過ごせれば、決して悪いことじゃないよね。
たかが、メールのひと言。
だけど、そこに前向きな意志の力を込めていると感じさせてくれる那智さん。
それを感じ取るアンテナを張るのだ。
那智さんの意志をちゃんとキャッチできるアンテナ。
多分、わたしのアンテナは、那智さんの電波だけはキャッチできるようにできているのかもしれない。
那智さん仕様のアンテナ。
ただの『都合のいい脳内変換』かもしれないけど^^;
それで、小さな幸せを逃すことなくわたしのものにするのだ。
で、このアンテナのおかげで、ブログのノロケネタも尽きないのかもしれない^^
- 関連記事
-
- ポケット 2013/10/22
- 雪景色4 2012/05/11
- ゲストを招く(りん子の心1) 2007/03/28