チューニング
りん子的独り言(エラそう)
前エントリー『アンテナ』(3/8)を書いていて、またいつものノロケになっちゃったな〜と思いながら、実はわたしにとってとても重要な回路が繋がってもいた。
那智さんの意志を感じ取る『アンテナ』を張ると書いていたけれど、それは那智さんに限ったことじゃないのではないだろうかと思ったのだ。
他の人からしたら些細なことかもしれない。
でも、自分のことをわかっていくのは、生きていく上でとても大事なこと。
それが、わずかに感じていた『生きにくさ』に繋がっているとしたら、尚更だよね。
悲劇のヒロインになるつもりはないのです。
こういう人もいるんだなと思って読んでいただけるとうれしいです。
なぜだかわからないけど。
人の言葉の小さな棘を感じ取ってしまっていた。
冗談と笑って言っていることでも、そこに微かな悪意を感じて途方に暮れることもある。
(ブラックジョークと悪意は違うものなので、ブラックジョークは多いに笑えます)
わたしは、弱いのだろうか、傷つきやすいのだろうか。
いちいち棘が刺さる自分を情けない人間に思っていた。
『アンテナ』を書いていて、もしかしたらアンテナの感度が少し強いのではないかと思ったのだ。
確かに強い精神は持っていないけど^^;、ただ弱いというのではなくて、感度が良すぎるのではないか。
なぜそう思ったかというと。
わたしは自分に向けられるもの以外でも、人の『悪意』にとても敏感みたいなんだ。
女子の輪の中の『冗談』という悪口に敏感だし。
友人でもない、隣のクラスの女の子がシカトされている様子を見つけたり、不良と呼ばれる子たちにちょっかいを出されている男子を見たりしても、正義感や倫理観だけじゃない、別の感情が湧いてしまって苦しくなってしまう。
なんていうのかな、他人事と思えず我がことのようにシンパシーを感じ取ってしまって、苦しい気持ちになってしまっていたんだ。
その男子を庇おうと、その不良たちの前の立ちはだかってしまったこともあるし^^;
女子のシカトに加わらず、結果自分が呼び出されるなんてこともあったし。
ひと事の『悪意』を拾ってしまって、スルーできないのだ。
黙っていればいいのに、それもできず、更に傷つかなくてよい傷まで負ってしまう。
サラリーマンが駅員に怒鳴っていても。
電車で隣に座った男性の貧乏揺すりも。
まったく関係ない他人の発する『負』でさえ、我がことのようでスルーできず、ヒヤヒヤソワソワしてしまう。
自分に関係ない人のことでもいちいち気づいて、いちいち心がささくれ立って刺さってしまうのは、アンテナの感度が良すぎるからではないだろうかと思ったんだ。
那智さんの、メールの一言に込めた小さな意志を感じ取ることができたことは、きっとアンテナのおかげだ。
でも、このアンテナは同じように小さな悪意も拾ってしまうんじゃないかと思ったのです。
もし、そうだとするなら。
わたしは、とても気持ちが楽になる。
だって、それはわたしが『弱い』だけじゃないのだもの。
これは両手を広げて歩いているようなものなんじゃないか。
普通に歩いていれば当たらずに済むナイフも当たってしまう。
拾わなくていい雑音も拾ってしまう。
そりゃあ、痛いよね。
確かに、わたしは決して強くない(えばるな^^)
でも、きっといらない雑音をたくさん拾ってしまっているんだと思うと、なんだか気持が楽になる。
もちろん、人はみんないろんな棘から身を守り、時には立ち向かい、自分の力で生きているのだから、わたしだけが棘刺さってると思っているわけじゃないのですよ。
だけど、他人が他人に向ける『悪意』さえも拾っているということは、わたしのアンテナは少し感度が強いのではないかと思うのだ。
きっと感度強くて、それで苦しくなっているんだと思えれば、自分を責めることなく、それ以上でもそれ以下でもなく、ただ事実としてそれを受け止められるよね。
ああ、なんで傷ついちゃうんだろうって自分を責めるんじゃなくて。
アンテナの奴、拾っちゃな〜と客観視できるほうが、問題解決に一歩近づけると思うのです。
だから、アンテナの存在がわかったことは、わたしにはとても重要なことだった。
ただ、これは単に悲劇なだけじゃなくて、実はとても良い点もある。
それは、小さな幸福を感じ取ることもできるということ。
それのひとつが、『俺は楽しむ』という言葉から、那智さんの意志を見つけることができたことに表れていると思う。
例えば、ひこうき雲を見つけて『なんだか今日幸せかも〜』と上機嫌になったり。
毎日のご飯は幸福だし、露天風呂で夕立なんてスーパーラッキーなプレゼント。
高校生がおばあさんに席を譲ったりしているのを見ると、わたしまで喜んじゃったり。
昔から、低燃費で幸福を感じられる自分を『安上がりな女だな〜』と思っていたけど。
これも、もしアンテナのおかげだとしたら。
なーんだ、悪いばかりじゃないじゃないアンテナ、とも思える。
物事には、いろんな側面があるなと思う。
その両方がわかっていると、混乱せずシンプルに解決する道が見つけられるのではないかしら。
で、多分。
那智さんも、似たようなアンテナを持っているんだ。
だから、わたしと感性が合うと感じている。
じゃあ、なぜ那智さんは弱くないの?
俺は鎧を着けることも学んでいるし、ここは傷を受けるかもしれないと先回りして力を入れることもできる。
同じようなアンテナを持っている人も、そうやってみんな自衛しているんだよ。
うう、すみません、やっぱり、わたしは根性ないのか…。
だけど、わたしはあなたの『意志』をしっかり感じることができた、鎧を着ていないから気持ちのよい綿毛を感じることもできているかもしれない。
なーんて、開き直らずに^^;
わずかに感じていた『生きにくさ』の理由がわかった気がする。
問題の原因がわかれば解決方法に繋がるよね、もういい年した大人なんだけど、これからでも遅くない。
きっと、時には鎧を着て、普段はたくさんの幸福を感じられるようなわたしになれるはず。
だから『アンテナ』の存在を認知できたことは、わたしにはとても大きな収穫だったのだ。
同じように、なぜ棘刺さってばっかりなんだろうと感じる人がいたら、もしかしたらアンテナの感度が良すぎるのかもしれない。
そして、それと繋がったところで『小さな幸福』を見つける感度も強いかもしれないよ。
悪いことばかりじゃないと思いたい。
アンテナの感度が良くても、しっかりと生きている人もいるでしょう。
上手に自分をコントロールして、幸福の感度だけ上げられる人もいるかもしれない。
わたしも、これが『悲劇』だと言っているのではなくて、自分を客観視できたほうが楽になるなと思って書きました。
だから、悲劇のヒロインになってなければいいのだけど^^;
ブログをはじめて。
思考や問題点がクリアになるのを感じる。
言語化することって大事だな〜と思う。
言語化してクリアになったことを那智さんと話し。
那智さんと話して形になったことをまた言語化する。
本当は、こういう作業は自分の内側で行うものなのでしょうけど。
わたしは、それをブログにしちゃっているわけで、実生活で付き合いのある人のほとんどは、わたしのこういう部分を知らないと思う。
『凹む』とか『傷つく』とは無縁な人と思われているはず。
というくらい、ここは内側のわたし^^;
で、そこにスポットを当てて書いているから、なんだか付き合いにくい女像が出来上がってしまっているかもしれない^^;
それでもって、M女さんブログを読んでつらそうなことが書かれていたりすると、これもアンテナがキャッチしまくりで、ついつい吠えちゃうんだな、きっと^^;
だから、我がことのように生意気なこと書いちゃう。
そんなんだから、なんか、やな奴になっている気がしないでもないけど…。
実物は、けっこういい奴なんだよぉと、最後にちょっとフォローを入れてみる^^
みんなアンテナを持っているのでしょう。
わたしは、多分、正も負も両方に対して感度がちょっと良すぎるみたい。
(もっと良くて、何かの才能を開花させたり、逆に苦しさが増している人もいると思う)
存在がわかれば、チューニングの必要性もわかるはず。
で、この年にして、那智さんからチューニング方法を教えてもらっている。
なんだか情けない気もするけど、伸びしろがあるってことで、良しとしていただこうと思っています^^
前エントリー『アンテナ』(3/8)を書いていて、またいつものノロケになっちゃったな〜と思いながら、実はわたしにとってとても重要な回路が繋がってもいた。
那智さんの意志を感じ取る『アンテナ』を張ると書いていたけれど、それは那智さんに限ったことじゃないのではないだろうかと思ったのだ。
他の人からしたら些細なことかもしれない。
でも、自分のことをわかっていくのは、生きていく上でとても大事なこと。
それが、わずかに感じていた『生きにくさ』に繋がっているとしたら、尚更だよね。
悲劇のヒロインになるつもりはないのです。
こういう人もいるんだなと思って読んでいただけるとうれしいです。
なぜだかわからないけど。
人の言葉の小さな棘を感じ取ってしまっていた。
冗談と笑って言っていることでも、そこに微かな悪意を感じて途方に暮れることもある。
(ブラックジョークと悪意は違うものなので、ブラックジョークは多いに笑えます)
わたしは、弱いのだろうか、傷つきやすいのだろうか。
いちいち棘が刺さる自分を情けない人間に思っていた。
『アンテナ』を書いていて、もしかしたらアンテナの感度が少し強いのではないかと思ったのだ。
確かに強い精神は持っていないけど^^;、ただ弱いというのではなくて、感度が良すぎるのではないか。
なぜそう思ったかというと。
わたしは自分に向けられるもの以外でも、人の『悪意』にとても敏感みたいなんだ。
女子の輪の中の『冗談』という悪口に敏感だし。
友人でもない、隣のクラスの女の子がシカトされている様子を見つけたり、不良と呼ばれる子たちにちょっかいを出されている男子を見たりしても、正義感や倫理観だけじゃない、別の感情が湧いてしまって苦しくなってしまう。
なんていうのかな、他人事と思えず我がことのようにシンパシーを感じ取ってしまって、苦しい気持ちになってしまっていたんだ。
その男子を庇おうと、その不良たちの前の立ちはだかってしまったこともあるし^^;
女子のシカトに加わらず、結果自分が呼び出されるなんてこともあったし。
ひと事の『悪意』を拾ってしまって、スルーできないのだ。
黙っていればいいのに、それもできず、更に傷つかなくてよい傷まで負ってしまう。
サラリーマンが駅員に怒鳴っていても。
電車で隣に座った男性の貧乏揺すりも。
まったく関係ない他人の発する『負』でさえ、我がことのようでスルーできず、ヒヤヒヤソワソワしてしまう。
自分に関係ない人のことでもいちいち気づいて、いちいち心がささくれ立って刺さってしまうのは、アンテナの感度が良すぎるからではないだろうかと思ったんだ。
那智さんの、メールの一言に込めた小さな意志を感じ取ることができたことは、きっとアンテナのおかげだ。
でも、このアンテナは同じように小さな悪意も拾ってしまうんじゃないかと思ったのです。
もし、そうだとするなら。
わたしは、とても気持ちが楽になる。
だって、それはわたしが『弱い』だけじゃないのだもの。
これは両手を広げて歩いているようなものなんじゃないか。
普通に歩いていれば当たらずに済むナイフも当たってしまう。
拾わなくていい雑音も拾ってしまう。
そりゃあ、痛いよね。
確かに、わたしは決して強くない(えばるな^^)
でも、きっといらない雑音をたくさん拾ってしまっているんだと思うと、なんだか気持が楽になる。
もちろん、人はみんないろんな棘から身を守り、時には立ち向かい、自分の力で生きているのだから、わたしだけが棘刺さってると思っているわけじゃないのですよ。
だけど、他人が他人に向ける『悪意』さえも拾っているということは、わたしのアンテナは少し感度が強いのではないかと思うのだ。
きっと感度強くて、それで苦しくなっているんだと思えれば、自分を責めることなく、それ以上でもそれ以下でもなく、ただ事実としてそれを受け止められるよね。
ああ、なんで傷ついちゃうんだろうって自分を責めるんじゃなくて。
アンテナの奴、拾っちゃな〜と客観視できるほうが、問題解決に一歩近づけると思うのです。
だから、アンテナの存在がわかったことは、わたしにはとても重要なことだった。
ただ、これは単に悲劇なだけじゃなくて、実はとても良い点もある。
それは、小さな幸福を感じ取ることもできるということ。
それのひとつが、『俺は楽しむ』という言葉から、那智さんの意志を見つけることができたことに表れていると思う。
例えば、ひこうき雲を見つけて『なんだか今日幸せかも〜』と上機嫌になったり。
毎日のご飯は幸福だし、露天風呂で夕立なんてスーパーラッキーなプレゼント。
高校生がおばあさんに席を譲ったりしているのを見ると、わたしまで喜んじゃったり。
昔から、低燃費で幸福を感じられる自分を『安上がりな女だな〜』と思っていたけど。
これも、もしアンテナのおかげだとしたら。
なーんだ、悪いばかりじゃないじゃないアンテナ、とも思える。
物事には、いろんな側面があるなと思う。
その両方がわかっていると、混乱せずシンプルに解決する道が見つけられるのではないかしら。
で、多分。
那智さんも、似たようなアンテナを持っているんだ。
だから、わたしと感性が合うと感じている。
じゃあ、なぜ那智さんは弱くないの?
俺は鎧を着けることも学んでいるし、ここは傷を受けるかもしれないと先回りして力を入れることもできる。
同じようなアンテナを持っている人も、そうやってみんな自衛しているんだよ。
うう、すみません、やっぱり、わたしは根性ないのか…。
だけど、わたしはあなたの『意志』をしっかり感じることができた、鎧を着ていないから気持ちのよい綿毛を感じることもできているかもしれない。
なーんて、開き直らずに^^;
わずかに感じていた『生きにくさ』の理由がわかった気がする。
問題の原因がわかれば解決方法に繋がるよね、もういい年した大人なんだけど、これからでも遅くない。
きっと、時には鎧を着て、普段はたくさんの幸福を感じられるようなわたしになれるはず。
だから『アンテナ』の存在を認知できたことは、わたしにはとても大きな収穫だったのだ。
同じように、なぜ棘刺さってばっかりなんだろうと感じる人がいたら、もしかしたらアンテナの感度が良すぎるのかもしれない。
そして、それと繋がったところで『小さな幸福』を見つける感度も強いかもしれないよ。
悪いことばかりじゃないと思いたい。
アンテナの感度が良くても、しっかりと生きている人もいるでしょう。
上手に自分をコントロールして、幸福の感度だけ上げられる人もいるかもしれない。
わたしも、これが『悲劇』だと言っているのではなくて、自分を客観視できたほうが楽になるなと思って書きました。
だから、悲劇のヒロインになってなければいいのだけど^^;
ブログをはじめて。
思考や問題点がクリアになるのを感じる。
言語化することって大事だな〜と思う。
言語化してクリアになったことを那智さんと話し。
那智さんと話して形になったことをまた言語化する。
本当は、こういう作業は自分の内側で行うものなのでしょうけど。
わたしは、それをブログにしちゃっているわけで、実生活で付き合いのある人のほとんどは、わたしのこういう部分を知らないと思う。
『凹む』とか『傷つく』とは無縁な人と思われているはず。
というくらい、ここは内側のわたし^^;
で、そこにスポットを当てて書いているから、なんだか付き合いにくい女像が出来上がってしまっているかもしれない^^;
それでもって、M女さんブログを読んでつらそうなことが書かれていたりすると、これもアンテナがキャッチしまくりで、ついつい吠えちゃうんだな、きっと^^;
だから、我がことのように生意気なこと書いちゃう。
そんなんだから、なんか、やな奴になっている気がしないでもないけど…。
実物は、けっこういい奴なんだよぉと、最後にちょっとフォローを入れてみる^^
みんなアンテナを持っているのでしょう。
わたしは、多分、正も負も両方に対して感度がちょっと良すぎるみたい。
(もっと良くて、何かの才能を開花させたり、逆に苦しさが増している人もいると思う)
存在がわかれば、チューニングの必要性もわかるはず。
で、この年にして、那智さんからチューニング方法を教えてもらっている。
なんだか情けない気もするけど、伸びしろがあるってことで、良しとしていただこうと思っています^^
- 関連記事
-
- 事実さんとのお付き合い 2010/04/05
- わたしの『女の子』 2011/07/05
- 続・感情のスタート 2012/12/07