全肯定1
独特な幸福感
30女が「女の子」になる。
「惹かれ合う理由」の「毛布」でお話ししたようなこと。
「毛布」の時以来、そうだな~半年に一回くらいの感覚で「女の子」になっていた。
きっかけは、ほとんどが那智さんに抱きしめられながらおっぱいを吸っていたり体臭をクンクン嗅いでいたりしてあまえているときに始まる。(それにしても、これで甘える私って・・・ある意味赤裸々な告白)
ほぼ毎回抱かれるときは、吸ったり嗅いだりの甘えはしているので、「女の子」になるのは那智さんの気分次第ということになる。
そして、半年に一回だから、そんなに頻繁ではない。
半年に一回くらいだから、トータルでも数回だ。
一番はじめ「毛布」のときから、2回目をするまでは、もしかしたら一年間くらいは空いていたかもしれない。
那智さん自身も、その行為の正当性を見極める時間がほしかったようだ。
まこにとって悪いことではないだろう、しかし正しいのか、問題ないのか、確固たる自信を持つにはもう少しお互いの関係に深度が必要だったのだ。
はじめて「女の子」になってから2、3回(これだけで1年半から2年は経過していますよ)は、毎回大号泣で「私のこと一番好き?」というようなことを繰り返していた。
「大好きだよ。いいこいいこ。」ってしてもらって、女の子(推定6歳)になって、もらえなかった父性の揺るぎない愛情で心の穴を埋めていた。
私の父の代わりではない。
私は「近親相姦」には、まったく興味がない。
この背徳は冷める。
もらえなかったものの、代わりだ。
「再生や再構築」といった感じだろうか。
そのうち、「一番好き?」と聞かなくても大丈夫なほど、「私は、那智さん(父性)から愛情をもらうに値する価値がある」と自信が持てるようになってきてからは、号泣はしなくなった。
これは「解放や癒し」だろうか。
それでも、静かに涙を流しながら、髪を撫でてもらう心地よさは代え難い。
このあたりでも、(那智さんは知らないけれど)これはどんな種類の感情で、どんな意味のある行為なのか、不安ではあった。(だって、「変態」っぽいでしょ?)
父の代わりではなく、性的興奮のスパイスでもない(幼児プレイみたいなね!)
この説明がつかないまま、それでも代え難い幸福を半年に一回くらい味わっていた。
あるとき、自分でも不思議なことが起こった。
外は雨が降っていて、薄暗い。
那智さんの事務所に遊びに来ていたときのこと。
パソコンに向かってお仕事をはじめる那智さんの横に椅子を並べて横顔を眺めている。
「最近、字が読みづらくって。」
那智さんは老眼鏡(っていうとおじいさんみたいですけど、まだ40半ばですよ~)をかけて、電気スタンドの明かりをつける。
普段かけない眼鏡をかけて、オレンジ色の温かい灯りに包まれながら、静かにキーボードを打つ那智さんを見ていたら、なんだか急に不思議な気持ちに襲われたのだ。
私のほしかった父性を具現化したものが目の前にある。
ばかみたい、私の心は一気に6歳児だ。
さしずめ、おとうさんのお仕事場に入ってきた女の子という感じ。
本当は、忙しいのだけど、嫌な顔せず隣にいさせてくれるお父さん。
そして、その好意を当然のように受け取る私。
そんな、世界が広がってしまった。
私は大人の女だから、椅子に座れば当然足が床につくけど、そのときの心は6歳。
6歳だから床に足は届かない。
届かない心の足をぶらぶらさせながら「お父さん、お仕事ばかりで、つまんない~。」と言う幸福を味わっていた(ああ、おかしいですよね・・)
その一方で、「そうそう、これがほしかったんだよね。」と、ほしがっていた私もいる。
胸が苦しいほど、切なく、切望していた記憶が蘇り、奇妙なノスタルジーに浸る。
そんな倒錯が沸き上がって止まらない。
それと同時に、涙が流れて、それを抑えることができない。
お仕事をする那智さんを見ながら、泣く私。
かなり「痛い」、歪んでいる!?
それでも、幸せで仕方がない。
見ては泣き、あり得ない状況の涙に恥ずかしくなって目を逸らし、我慢できずにまた見ては泣き。
ひとりで、変な女になっていた。
那智さんは、気にせず仕事を続けている。
恥ずかしいから「泣いてもいいですか?」と、聞いてみると、「どうぞ」と答えてくれる。
しばらくして、思い切って聞いてみる、久しぶりだ。
おかしいとわかっていても、我慢できない。
「お父さんって、呼んでもいいですか?」
沈黙。
ああ、やっぱり、さすがにそれは厳しかったかな~~。
変なお願いをしてしまったと、慌てて「そ、そうですよね、それは無理ですよね・・。」取り繕うと、「いや、黙ってたらどんな反応するか試しただけ、いいよ。」ですって、意地悪(泣)
「・・・お父さん。」
「はあい。」(キーボードカチカチ)
おかしな世界、でも、幸せ。
そのあと、那智さんは、私を机の下にもぐり込ませ、お口を使わせた。
カチカチとキーボードを叩く音だけが、静かに響く部屋で那智さんの足の間に収まって、無心でお口を使う。
もう、6歳でもない、「私」だ。
もっというと、何歳でもない、そして、すべての年齢の「私」になっていた。
無垢な「私」。
すべてを受け入れてほしい。
そう願った私は、こんなお願いもしてみる。
「自分で触ってもいいですか?」(結局欲情ねって、思わないでね)
下着に手を入れて、自分で触る。
こんな私も、肯定してください、そんな願いを込めて。
途中で、くわえるのはやめて、机の下でオナニーをする。
最後のいく瞬間まで、那智さんはずっと仕事を続けている。
最後の瞬間だけ見てもらって、それが、この私への肯定と解釈する。
このときを境に、この行為が、(他者から見たら変態かもしれないけれど)私たちの愛情確認の大事なひとつとして、罪の意識を感じることなく認識されるようになったのだと思う。
「近親相姦願望」でもなく「幼児プレイ」でもない。
この感覚をお伝えしたいので、この話、もう少し続けます。
今日は、疲れたからおしまいです。
今日はまとまってないな~、ごめんなさい。
30女が「女の子」になる。
「惹かれ合う理由」の「毛布」でお話ししたようなこと。
「毛布」の時以来、そうだな~半年に一回くらいの感覚で「女の子」になっていた。
きっかけは、ほとんどが那智さんに抱きしめられながらおっぱいを吸っていたり体臭をクンクン嗅いでいたりしてあまえているときに始まる。(それにしても、これで甘える私って・・・ある意味赤裸々な告白)
ほぼ毎回抱かれるときは、吸ったり嗅いだりの甘えはしているので、「女の子」になるのは那智さんの気分次第ということになる。
そして、半年に一回だから、そんなに頻繁ではない。
半年に一回くらいだから、トータルでも数回だ。
一番はじめ「毛布」のときから、2回目をするまでは、もしかしたら一年間くらいは空いていたかもしれない。
那智さん自身も、その行為の正当性を見極める時間がほしかったようだ。
まこにとって悪いことではないだろう、しかし正しいのか、問題ないのか、確固たる自信を持つにはもう少しお互いの関係に深度が必要だったのだ。
はじめて「女の子」になってから2、3回(これだけで1年半から2年は経過していますよ)は、毎回大号泣で「私のこと一番好き?」というようなことを繰り返していた。
「大好きだよ。いいこいいこ。」ってしてもらって、女の子(推定6歳)になって、もらえなかった父性の揺るぎない愛情で心の穴を埋めていた。
私の父の代わりではない。
私は「近親相姦」には、まったく興味がない。
この背徳は冷める。
もらえなかったものの、代わりだ。
「再生や再構築」といった感じだろうか。
そのうち、「一番好き?」と聞かなくても大丈夫なほど、「私は、那智さん(父性)から愛情をもらうに値する価値がある」と自信が持てるようになってきてからは、号泣はしなくなった。
これは「解放や癒し」だろうか。
それでも、静かに涙を流しながら、髪を撫でてもらう心地よさは代え難い。
このあたりでも、(那智さんは知らないけれど)これはどんな種類の感情で、どんな意味のある行為なのか、不安ではあった。(だって、「変態」っぽいでしょ?)
父の代わりではなく、性的興奮のスパイスでもない(幼児プレイみたいなね!)
この説明がつかないまま、それでも代え難い幸福を半年に一回くらい味わっていた。
あるとき、自分でも不思議なことが起こった。
外は雨が降っていて、薄暗い。
那智さんの事務所に遊びに来ていたときのこと。
パソコンに向かってお仕事をはじめる那智さんの横に椅子を並べて横顔を眺めている。
「最近、字が読みづらくって。」
那智さんは老眼鏡(っていうとおじいさんみたいですけど、まだ40半ばですよ~)をかけて、電気スタンドの明かりをつける。
普段かけない眼鏡をかけて、オレンジ色の温かい灯りに包まれながら、静かにキーボードを打つ那智さんを見ていたら、なんだか急に不思議な気持ちに襲われたのだ。
私のほしかった父性を具現化したものが目の前にある。
ばかみたい、私の心は一気に6歳児だ。
さしずめ、おとうさんのお仕事場に入ってきた女の子という感じ。
本当は、忙しいのだけど、嫌な顔せず隣にいさせてくれるお父さん。
そして、その好意を当然のように受け取る私。
そんな、世界が広がってしまった。
私は大人の女だから、椅子に座れば当然足が床につくけど、そのときの心は6歳。
6歳だから床に足は届かない。
届かない心の足をぶらぶらさせながら「お父さん、お仕事ばかりで、つまんない~。」と言う幸福を味わっていた(ああ、おかしいですよね・・)
その一方で、「そうそう、これがほしかったんだよね。」と、ほしがっていた私もいる。
胸が苦しいほど、切なく、切望していた記憶が蘇り、奇妙なノスタルジーに浸る。
そんな倒錯が沸き上がって止まらない。
それと同時に、涙が流れて、それを抑えることができない。
お仕事をする那智さんを見ながら、泣く私。
かなり「痛い」、歪んでいる!?
それでも、幸せで仕方がない。
見ては泣き、あり得ない状況の涙に恥ずかしくなって目を逸らし、我慢できずにまた見ては泣き。
ひとりで、変な女になっていた。
那智さんは、気にせず仕事を続けている。
恥ずかしいから「泣いてもいいですか?」と、聞いてみると、「どうぞ」と答えてくれる。
しばらくして、思い切って聞いてみる、久しぶりだ。
おかしいとわかっていても、我慢できない。
「お父さんって、呼んでもいいですか?」
沈黙。
ああ、やっぱり、さすがにそれは厳しかったかな~~。
変なお願いをしてしまったと、慌てて「そ、そうですよね、それは無理ですよね・・。」取り繕うと、「いや、黙ってたらどんな反応するか試しただけ、いいよ。」ですって、意地悪(泣)
「・・・お父さん。」
「はあい。」(キーボードカチカチ)
おかしな世界、でも、幸せ。
そのあと、那智さんは、私を机の下にもぐり込ませ、お口を使わせた。
カチカチとキーボードを叩く音だけが、静かに響く部屋で那智さんの足の間に収まって、無心でお口を使う。
もう、6歳でもない、「私」だ。
もっというと、何歳でもない、そして、すべての年齢の「私」になっていた。
無垢な「私」。
すべてを受け入れてほしい。
そう願った私は、こんなお願いもしてみる。
「自分で触ってもいいですか?」(結局欲情ねって、思わないでね)
下着に手を入れて、自分で触る。
こんな私も、肯定してください、そんな願いを込めて。
途中で、くわえるのはやめて、机の下でオナニーをする。
最後のいく瞬間まで、那智さんはずっと仕事を続けている。
最後の瞬間だけ見てもらって、それが、この私への肯定と解釈する。
このときを境に、この行為が、(他者から見たら変態かもしれないけれど)私たちの愛情確認の大事なひとつとして、罪の意識を感じることなく認識されるようになったのだと思う。
「近親相姦願望」でもなく「幼児プレイ」でもない。
この感覚をお伝えしたいので、この話、もう少し続けます。
今日は、疲れたからおしまいです。
今日はまとまってないな~、ごめんなさい。
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