未経験がいい?
りん子的独り言(生意気)
ここ二回ほど那智さんは『淫乱りん子』を想像させるエントリーに対して、それをフォローするような感想をツイッターで書いている。
普段のりん子はそういう女ではない。
りん子を淫乱に育てたのは私だ。
もともと淫乱になることに嫌悪感を抱いていたので、それを作ったのは那智さんだ、だからわたしのせいじゃないと思わせ続けてもらえることは自己嫌悪しないでいられるので、このフォローはありがたいと思っている。
でも、その感想から、フォローだけじゃない那智さんの心も見えてくる。
今朝の「等式」感想です。りん子は元々、はしたなくなかっ た。(もしくは恥ずかしくて表現できなかった・笑)→私がりん子の快感を育て、我慢できなくした。→だから、りん子がはしたなくしても仕方がない。→私の責任である。こんな根拠でりん子がこの手のエントリーを書くことが出来る。
でも、ここで私の身勝手な考えが・・・・。自分が女性に対してスケベにするのは嬉しいけれど、他の誰かによって成長・教育・仕込まれたのはネガティブになってしまう。
勿論、その女性が元々スケベな資質がある場合は除かれますが。1歩間違えば全女性から総攻撃を受けそうな発言ですが男はでなく「私は」女性はではなく「私の好みの女性は」で読んでください、それでも十分怒られそうです。
これが6/29『お願い』に対する感想。
那智さんは、りん子がはしたなくなるのは自分が作ったからだと言葉にすることで彼にとっても+のことにしているけど、これはイコール誰かに作られたものに対して大歓迎に思えないことに繋がっていることも自覚している。
過去の男性と比べられることを排除しようとする思考は自信がないみたいだし、また未熟なものを好むと思えてしまうことも、どちらもあまりカッコいいとは言い難い。
さらにこの思考だと、『経験済みのいい女』を抱くチャンスを自ら逃していることになる。
こんなふうに感想から自分の好ましくない精神状態を垣間見て、ちょっと残念な気持ちになってしまったようだ。
ということで、今日は那智さんのために送るエントリー!!
残念な気持ちを払拭すべく、経験済み仕込み済みを魅力だと思える思考回路を作って差し上げようと思うのだ!!
これから書くことはいくつかの条件があります。
ここに書かれる関係はS(する側)とM(される側)。
故に経験とはSM的行為を伴う性行為で、特にこの場合『何をやったか』ではなく『それにより快感を得たか』で経験値を計るものとします。
また那智さん自身、相手を選ぶときは人間性や相性のほうがずっと優先順位は高く、この『未経験』だということはひとつの要素に過ぎないこともわかっています。
(そんなこと大前提で、ちょっとだけ真剣なお遊びくらいに思ってください)
さて。
那智さんは仮に相手を選ぶ場合、SM行為で快感を得た経験がないM女がいいと思ってしまっている。
『縛られたことがある』だけではいいけれど、『縛られて感じた、喜んだ』経験があると聞くと候補から外してしまいそうになるのだ。
これがとても残念で情けないと思っている。
でも、こう考えるのはどうだろう。
SM行為といっても鞭や蝋燭だけじゃない、細かく挙げていけばいかようにも増やすことができるわけで那智さんが思う『経験済み』のM女だったとしても、やっていないことや快感を得ていないSM行為を探せばあるはず。
縛られたことはあるけど浣腸は未経験とか、鞭は経験したけど痛いだけでダメだった、などなどね。
世界中にあるSM行為を全部経験して、それで全部快感を得たM女なんて、いたとしてもきっと稀だよね。
ということは、那智さんが思う『経験済み』のM女でも視野を広く持てば『未経験』といえる。
『一部経験済みの広い意味では未経験』ということだ。
だから那智さんが気にする『経験の有無』は、実はあってないようなものだといえません?
性癖Mや性格Mや体質Mなんて言葉を使ったことがあるけど、Sが仕込んでいく喜びやMが行為で快感を得るためにM側に必要なのは、それで精神的肉体的に感じることができるというMとしての資質なのではないだろうか。
(良好な関係を作る人間性などが重要なことは大前提ですよ!!)
脈々と流れる地下水脈を想像してみて。
『変態』?『マゾ』?という地下水がある。
掘り起こし水を溢れさせ、豊かになった土壌には花が咲き果実が実る。
掘り起こしたものが『縛り』という穴だったとしたら、このM女は『縛り』の実はなっていることになるけど、まだは手つかずの土地もあるはず。
他の土地を掘り下げ、新しい『露出』という快感を咲かせる。
『地下水脈』があれば、それも可能だろう。
一方、まったく未開拓や掘り起こしたことはあるけど快感を得る事ができなかった人には、その『地下水脈』の有無がわからないわけだ。
掘り起こして何も出て来ない可能性だってある。
それでも地下水を注ぎ込むことからはじめるという方法も考えられなくないけど、性癖や性質というものは他者のの意志でどうにかなるものでもないと思うので、これはかなり非現実的な考え。
ないものを掘り起こす作業は、もしかしたら双方苦い思いをして終ることだってあり得る。
どちらがいいか、悪いかではないけれど。
もしSM行為を楽しむ相手を選ぶということに限定すれば、地下水脈の存在がわかるほうがいいのではないだろうか。
それが『一部経験済みの広い意味で未経験』。
那智さんが無意識に敬遠してしまっている経験済みのM女さん、地下水脈があるのはわかったから、次はどこを掘り起こそうかと考える、もっと掘ったら何が出るか?などなどと思えば、本当はSM行為を楽しみ互いに満足を得るにふさわしい相手ともいえなくない?
経験の有無は実はあまり意味がなく。
一部経験済みは、そこから他を探し掘り当てる人材として適している。
どうでしょう、那智さん、この思考回路^^
これで『未熟がいい』なんてあまりカッコよくない意識変えられないでしょうか^^
この話、まだ次も続きます^^
次は那智さんフォロー。
ここ二回ほど那智さんは『淫乱りん子』を想像させるエントリーに対して、それをフォローするような感想をツイッターで書いている。
普段のりん子はそういう女ではない。
りん子を淫乱に育てたのは私だ。
もともと淫乱になることに嫌悪感を抱いていたので、それを作ったのは那智さんだ、だからわたしのせいじゃないと思わせ続けてもらえることは自己嫌悪しないでいられるので、このフォローはありがたいと思っている。
でも、その感想から、フォローだけじゃない那智さんの心も見えてくる。
今朝の「等式」感想です。りん子は元々、はしたなくなかっ た。(もしくは恥ずかしくて表現できなかった・笑)→私がりん子の快感を育て、我慢できなくした。→だから、りん子がはしたなくしても仕方がない。→私の責任である。こんな根拠でりん子がこの手のエントリーを書くことが出来る。
でも、ここで私の身勝手な考えが・・・・。自分が女性に対してスケベにするのは嬉しいけれど、他の誰かによって成長・教育・仕込まれたのはネガティブになってしまう。
勿論、その女性が元々スケベな資質がある場合は除かれますが。1歩間違えば全女性から総攻撃を受けそうな発言ですが男はでなく「私は」女性はではなく「私の好みの女性は」で読んでください、それでも十分怒られそうです。
これが6/29『お願い』に対する感想。
那智さんは、りん子がはしたなくなるのは自分が作ったからだと言葉にすることで彼にとっても+のことにしているけど、これはイコール誰かに作られたものに対して大歓迎に思えないことに繋がっていることも自覚している。
過去の男性と比べられることを排除しようとする思考は自信がないみたいだし、また未熟なものを好むと思えてしまうことも、どちらもあまりカッコいいとは言い難い。
さらにこの思考だと、『経験済みのいい女』を抱くチャンスを自ら逃していることになる。
こんなふうに感想から自分の好ましくない精神状態を垣間見て、ちょっと残念な気持ちになってしまったようだ。
ということで、今日は那智さんのために送るエントリー!!
残念な気持ちを払拭すべく、経験済み仕込み済みを魅力だと思える思考回路を作って差し上げようと思うのだ!!
これから書くことはいくつかの条件があります。
ここに書かれる関係はS(する側)とM(される側)。
故に経験とはSM的行為を伴う性行為で、特にこの場合『何をやったか』ではなく『それにより快感を得たか』で経験値を計るものとします。
また那智さん自身、相手を選ぶときは人間性や相性のほうがずっと優先順位は高く、この『未経験』だということはひとつの要素に過ぎないこともわかっています。
(そんなこと大前提で、ちょっとだけ真剣なお遊びくらいに思ってください)
さて。
那智さんは仮に相手を選ぶ場合、SM行為で快感を得た経験がないM女がいいと思ってしまっている。
『縛られたことがある』だけではいいけれど、『縛られて感じた、喜んだ』経験があると聞くと候補から外してしまいそうになるのだ。
これがとても残念で情けないと思っている。
でも、こう考えるのはどうだろう。
SM行為といっても鞭や蝋燭だけじゃない、細かく挙げていけばいかようにも増やすことができるわけで那智さんが思う『経験済み』のM女だったとしても、やっていないことや快感を得ていないSM行為を探せばあるはず。
縛られたことはあるけど浣腸は未経験とか、鞭は経験したけど痛いだけでダメだった、などなどね。
世界中にあるSM行為を全部経験して、それで全部快感を得たM女なんて、いたとしてもきっと稀だよね。
ということは、那智さんが思う『経験済み』のM女でも視野を広く持てば『未経験』といえる。
『一部経験済みの広い意味では未経験』ということだ。
だから那智さんが気にする『経験の有無』は、実はあってないようなものだといえません?
性癖Mや性格Mや体質Mなんて言葉を使ったことがあるけど、Sが仕込んでいく喜びやMが行為で快感を得るためにM側に必要なのは、それで精神的肉体的に感じることができるというMとしての資質なのではないだろうか。
(良好な関係を作る人間性などが重要なことは大前提ですよ!!)
脈々と流れる地下水脈を想像してみて。
『変態』?『マゾ』?という地下水がある。
掘り起こし水を溢れさせ、豊かになった土壌には花が咲き果実が実る。
掘り起こしたものが『縛り』という穴だったとしたら、このM女は『縛り』の実はなっていることになるけど、まだは手つかずの土地もあるはず。
他の土地を掘り下げ、新しい『露出』という快感を咲かせる。
『地下水脈』があれば、それも可能だろう。
一方、まったく未開拓や掘り起こしたことはあるけど快感を得る事ができなかった人には、その『地下水脈』の有無がわからないわけだ。
掘り起こして何も出て来ない可能性だってある。
それでも地下水を注ぎ込むことからはじめるという方法も考えられなくないけど、性癖や性質というものは他者のの意志でどうにかなるものでもないと思うので、これはかなり非現実的な考え。
ないものを掘り起こす作業は、もしかしたら双方苦い思いをして終ることだってあり得る。
どちらがいいか、悪いかではないけれど。
もしSM行為を楽しむ相手を選ぶということに限定すれば、地下水脈の存在がわかるほうがいいのではないだろうか。
それが『一部経験済みの広い意味で未経験』。
那智さんが無意識に敬遠してしまっている経験済みのM女さん、地下水脈があるのはわかったから、次はどこを掘り起こそうかと考える、もっと掘ったら何が出るか?などなどと思えば、本当はSM行為を楽しみ互いに満足を得るにふさわしい相手ともいえなくない?
経験の有無は実はあまり意味がなく。
一部経験済みは、そこから他を探し掘り当てる人材として適している。
どうでしょう、那智さん、この思考回路^^
これで『未熟がいい』なんてあまりカッコよくない意識変えられないでしょうか^^
この話、まだ次も続きます^^
次は那智さんフォロー。
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COMMENT
経験もいろいろですよね?
SM行為を受けることにより、精神的にも肉体的にも性的快感を得るようになったM女性。
マゾ的精神のみにひとりの男から被虐の快楽をひたすら打ち込まれ続けたM女性。
それぞれの経験値は全く異質だと思う。
前者のM女性は、素晴らしく開拓された経験豊富な魅力的な女性として、経験豊富なS男性と“未経験分野”をSMを通じ快楽を貪り合えるパートナーになれるでしょうし、未熟さを抱えたS男性にとってもまた良い意味で“未経験”を一緒に楽しみ経験値をあげていく相手になると思う。
でも、後者は完璧な躾と言う性的洗脳に値するだろうから、未経験な行為において、誰であれ開拓できると言うものではないだろうと感じる。
潰しが効かない経験。
りん子さんがこのエントリーで書きたいこととはかけ離れた感想だとは思うけれど、わたしのこのエントリーの「経験」に対して湧き上がったひとつの考えを表明したくなりました^^;
続きも楽しみにしています♪
SM行為を受けることにより、精神的にも肉体的にも性的快感を得るようになったM女性。
マゾ的精神のみにひとりの男から被虐の快楽をひたすら打ち込まれ続けたM女性。
それぞれの経験値は全く異質だと思う。
前者のM女性は、素晴らしく開拓された経験豊富な魅力的な女性として、経験豊富なS男性と“未経験分野”をSMを通じ快楽を貪り合えるパートナーになれるでしょうし、未熟さを抱えたS男性にとってもまた良い意味で“未経験”を一緒に楽しみ経験値をあげていく相手になると思う。
でも、後者は完璧な躾と言う性的洗脳に値するだろうから、未経験な行為において、誰であれ開拓できると言うものではないだろうと感じる。
潰しが効かない経験。
りん子さんがこのエントリーで書きたいこととはかけ離れた感想だとは思うけれど、わたしのこのエントリーの「経験」に対して湧き上がったひとつの考えを表明したくなりました^^;
続きも楽しみにしています♪
mineさん
なるほど。
『経験』という言葉ひとつとっても形はいろいろで、一概に計れるものではないよね。
同じことをしても相手によって感じ方はまるで違うこともあるわけだし。
もっというと同じ相手でも、感じ方は、その時々によって違う。
だから、本当は那智さんのいう『快感の経験』なんて雲を掴むような不確かなもののように思うんだ。
だって、どう感じたかなんて、こちら側の感性や感度やいろいろな要素で違ってくるからね。
あまり『経験』に捕われないほうがいいと思うんだけど。
ああ、わたしもレスになってないね^^;
ただ潰しがきかないというのは、厄介だけど、ちょっと憧れます(笑)
なるほど。
『経験』という言葉ひとつとっても形はいろいろで、一概に計れるものではないよね。
同じことをしても相手によって感じ方はまるで違うこともあるわけだし。
もっというと同じ相手でも、感じ方は、その時々によって違う。
だから、本当は那智さんのいう『快感の経験』なんて雲を掴むような不確かなもののように思うんだ。
だって、どう感じたかなんて、こちら側の感性や感度やいろいろな要素で違ってくるからね。
あまり『経験』に捕われないほうがいいと思うんだけど。
ああ、わたしもレスになってないね^^;
ただ潰しがきかないというのは、厄介だけど、ちょっと憧れます(笑)