夢見る頃をすぎても2『下書き状態』
独特な幸福感
2、3ヶ月前いまから載せるエントリーを上げようと下書きにしていた。
もうタイトルまで考えて^^
『夢見る頃を過ぎても』というタイトルの下書きはある条件をクリアしたらアップしようと、時々那智正しては保存を繰り返していた。
モカちゃんを招いたことが『傷ついたでも楽しかった』というプラマイゼロではくて、『傷ついたし楽しかった、そして前より良くなった』とプラスの出来事と言えるようになる。
これが条件だった。
『プラマイゼロ』ではなくて『プラス』にしたい。
このエントリーにわたしは願いを込めていた。
『夢見る頃を過ぎても』那智さんが好きということに価値がある。
『守ってくれようとしている』だけで充分ではないか。
わたしだっていい年をした大人だ、那智さんと大人の恋愛をするのは当然だ。
そう思えるようになりたい。
そう思えたら、きっとそれは『プラス』なはずだ、と。
だけどこれは那智さんに対して『女の子』を諦めることになるということもわかっていた。
諦めることになるけれどそう思うことで解決させるか、でもやっぱり諦められない『一点の曇りもなく』那智さんを好きと無邪気に無垢に思う気持ち良さを取り戻すまで棚上げするか。
この葛藤が、なかなかエントリーをアップさせてくれなかった。
いまからそれをアップしようと思う。
ということはふたりにとって『プラスになれた』と言えるからだ。(多分ね^^)
そして、こんな前置きをしているということは『夢見る頃を過ぎても』でない形になっているからだ。
もうこのエントリーのように願いを込め自分に言い聞かせる必要がなくなったのだ。
だからお蔵入りになるなずのものなんだけど、これは軌跡、必死にもがいていた軌跡を残そうと思ってアップします。
『女の子』を持ち続けることを諦められずもがいていた。
『女の子』のように無邪気に無垢に那智さんを信じられなくてもいいじゃないかと必死に自分に言い聞かせていた。
そんな葛藤が根底に潜むエントリー。
かなり恥ずかしいのだけどアップします^^(恥ずかしくて一回しか読み直せていないのだけど^^;、あんまり恥ずかしいから一ヶ所だけ那智正しちゃったけど^^;)
人は自分に言い聞かせようとするとこんな文章になるというサンプル(笑)
長いけど、よろしければお付き合いくださいな。
『女の子』再生のお話は、この次から^^
『薬指』のキーワードでもある『女の子』。
あまりちゃんとした定義があるわけではなくて、ただ漠然と象徴として『女の子』と書いている。
無邪気な気持ちだったり
守られる存在への憧れだったり
自覚すると優しい気持ちになれたり
ときには欲情のツールだったりもする
わたし本人もはっきり定義できていないのだから、読んでくれている人もきっとそれぞれの『女の子』定義があるのだろうなと思ってる。
なんでもいいのだ、その存在で優しくなれたり慰められたりするのなら。
自分のことを『よしよし』としたり、誰かに『よしよし』としてほしいときに『女の子』を抱きしめることに慣れていると、効果があるよねなんても思う^^
いろいろ便利な『女の子』だけど、こんな感情も『女の子』があるからこそだろうな思うものがある。
それは、疑うことなくまっすぐに那智さんを信じることができる能力(能力といっていいのか!?)
これは『女の子』だからできる部分も大きいと思うのだ。
もちろん、那智さんだって人の子、わたしだって大人の女。
那智さんが全知全能の神じゃないことだって知っている。
酔っぱらいさんで困っちゃうこともあるし、ハリネズミさんでヒヤヒヤすることだってある。
那智さんの知らない漢字をわたしが知っていることだってある(逆もあるけでどね)
だから、那智さんは完璧な人と崇めるように盲信しているということではないのだけど。
わたしに対してということに於いて疑うことなくまっすぐに信じていられるのだ。
那智さんはわたしを裏切らない。
那智さんはわたしを悲しませない。
那智さんはわたしを必ず守ってくれる。
彼のよくないところもわかった上で、この部分で全面的に信頼できることは、もちろんそれまでの実績もあるけれど、わたしの『女の子』がそうさせてくれているところは大きいと思うのだ。
あのね、けっこう相手を全面的に信頼するって難しいことだと思うんだ。
人って意外と言葉の裏を読もうとしてしまったり、相手より優位に立とうとして素直に感情の授受ができなかたったりする。
だから、これができるのも一種の能力だと思っているのです^^
『女の子』という心を自覚できることは、この能力のひとつかな〜と思うのです。
わたしは那智さんを完璧な人間だとは思っていない。
だけど、絶対にわたしを裏切らず守ってくれると信じている。
小さな娘が何の疑いもなくお父さんのひざの上にいるような気持ちで。
これが『女の子』。
那智さんとわたしの付き合いに於いては、とても重要なキーワードだと思っている。
モカのことを区切りをつけて(ひさしぶりモカちゃん登場、またランチしようね^^)、ここにもいろいろ書き、『那智さん好き』という気持ちは戻ってきてるとも書いた。
実際、不思議なほどに『那智さんを愛している』と静かに強く思えていた。
だけど、実はずっとこの『女の子』の部分が抜け落ちてしまっていたのだ。
渦中、わたしの悲しいを那智さんは救ってくれなかった。
それは他者を交えているのだから、一方的にわたしだけを救うことは無理なことは百も承知で、それでも理性ではなく感情が『救ってくれない』と判断してしまう。
おかしい、わたしがあなたを疑うことなく全面的に信じていれば絶対守ってくれるはずなのに、どうして?とわたしは戸惑いながら自分で降り掛かる火の粉を振り払っている気持ちだった。
それでも、この状態はひとり加える時点でわたしも覚悟をしなければならないものだったのだと、わかっている。
だからここで『女の子』が抜け落ちたとしても、それは那智さんと力を借りて自力再生するのがわたしの役割だった。
だからなんとかなるはずだった。
だけど、詳しく書かないことをお許しいただきたいのだけど、実は那智さんは区切りをつけた後、一度大きな失敗を犯してしまったのだ。(追記:これはこの後詳しく書けます。書ける状態になっているからね)
とても些細なことかもしれないけれど、わたしにはとても重要なことだった。
何度も話し合い、謝罪もしてもらい、何度も悲しいに付き合ってくれて、ずっと変わらずそばにいてくれたから不思議と『那智さん愛してる』はほとんど変わらずにいられたけど、どうしても『女の子』でいられなくなってしまっていた。
那智さんの言葉を精査し信じていいか判断してから、信じるようなごく普通の大人の女として彼を愛してるという状態だった。
いや、これが常識的な男女の付き合いだよね。
だから、これで充分愛し合っているはずなんだ。
だけどわたしたちには全面的に信頼して身を任せる者とそれを守る者という『対等で上下』であることが幸福な関係値なのだから、この『女の子』が抜け落ちてしまうことはとても不幸なことなのだ。
あなたのものと思えない。
『対等で上下』『あなたのもの』こんなふうな特殊な恋愛感情を保ち続けるには、それ相当の積み重ねが必要で、この積み重ねたものが崩れ落ちそうな危うい状態になってしまっていたのだ。
この状態は那智さんにも話していた。
変わらずに何度も話し合い、わたしも自分の気持ちをできるだけ詳細に見極め、伝え、崩れそうなときはそれも伝え聞いてもらっていた。
彼の何気ないひと言で、悲しいがぶり返し、それを責めるような気持ちになる。
積み上げては崩し、また積む直す。
こんな作業を繰り返していた。
那智さんをとても愛している、だけど、わたしは那智さんのものじゃないし、那智さんをまっすぐに全面的に信頼するような気持ちにはなれない。
なんの疑いもなく無邪気に素直に信じる『女の子』はいないまま。
2ヶ月くらい、こんな気持ちと積み上げ作業が続いた。
ある日、また積み上げたものが崩れそうになったときがあった。
いつもなら那智さんに助けてもらうおうとするのだけど、この日は自分の力でなんとかしようと思った。
なぜなら、もう話せることが話し尽くしたという気持ちはある。
そして、この崩れそうになる発端がわたしは作ったのだと自覚していたから、いま那智さんに頼ることは適切ではないと判断したのだ。
(ほら、那智さんったら、甘くないからさ、お〜よしよしとかしてくれないでしょ?けっこう電話だと傷口を広げることになったりしちゃんだ(笑)だから会ったときに顔を見て『よしよし』してもらおうと思ったの^^)
幸い、翌日会う約束をしていたから、わたしはこんなメールを打った。
ここは自分で解決します。
那智さんに頼るのは適切ではないと思うから。
だから、今日はお電話はなしでお願いします。
明日、会ったら『よしよし』してください。
了解。
明日、笑顔でね。
本気の笑顔でね。
たかが一日だったけど、わたしは自分で判断して自分で解決しようと思った。
これは那智さんを信じていないから?
ううん、違う。
もう充分那智さんはわたしを支えてくれていることが痛いほどわかっているから、わたしが安心して自分で解決しようと判断できたのは、いままでの積み重ねと那智さんがいてくれることがわかっているから。
わかっていた。
那智さんはずっと変わっていない。
全力でわたしを守ろうとしてくれて、絶対にわたしを悲しませようなんて思っていないって。
ずっと前からそうだ。
わかっていたんだ。
『守ってくれる』のではなく『守ろうとしてくれる』んだって。
例えば『バイオレンス』のときもそうだけど、結果的に悲しくなってしまうことはいままでだってたくさんあった。
そりゃあ、那智さんはスーパーマンじゃないもの、失敗だってする。
そんなこと何年も前からわかっていたことだ。
だけど、そこまで日々明確に言語化しているわけじゃないから、他者を交えるというセンセーショナルなことを前にして、わたしが過度な思い込みをしてしまっていたんだよね。
那智さんはわたしを守ってくれるって。
だから裏切られたような気持ちになってしまっていたんだ。
那智さんだって普通の人。
失敗だってする。
だけど今回わかったことは、那智さんはどんなときも繋いだ手の力を僅かでもゆるめずにいてくれるということだ。
わたしがどんなに悲しくなっても、彼のスタンスを返ることなく、一歩も怯まずそこにずっといてくれるということだ。
那智さんは、ずっと全力で『守ろうとしてくれていた』のだ。
これはきっと強い。
多少は成長して^^;
大人の女として、『女の子』のように那智さんを信頼し疑うことなくいられている。
水をざっと注げば、そのままの水がコップに溜まるように。
たくさん苦しんだ、傷も負った、一滴も絞り出せないほど話し合った、もちろん絶妙な楽しさも味わった。
それらが大小の様々な石としてわたしの心に積み重なる。
上から那智さんは注ぐ水は、その石で濾過されてもっと純度の高いきれいな水になって、わたしを潤してくれるのだ。
わたしは那智さんを愛している。
まっすぐに疑うことなく信じている。
でも那智さんは失敗もする、だけどいつも絶対全力で守ろうとしてくれる。
ときどき失敗したら、そのときはわたしも一緒に転んで一緒に泣いて、また手を引いてもらう。
そのうち受け身も上手になるだろう(笑)
その後からも『守ろうとしてくれる』と全面的に信頼できることは、強いはずだ。
日頃、自分の心に触れて本当の気持ちを見極めてといっているわたし。
ぜんぜん、見極められてない^^;
無理やり思い込もうとしていることが手に取るようにわかる^^;
とーっても恥ずかしい。
自分にウソをついているとわかっていたからずっとアップできなかったんだよね。
さて、前振りが長くなってしまったけど、次回からこれをアップできる気持ちになれたお話をしますね。
で、これをこの前間違ってアップしちゃったんだ〜^^;
鍵コメや拍手コメントくださった方、ありがとうございます。
2、3ヶ月前いまから載せるエントリーを上げようと下書きにしていた。
もうタイトルまで考えて^^
『夢見る頃を過ぎても』というタイトルの下書きはある条件をクリアしたらアップしようと、時々那智正しては保存を繰り返していた。
モカちゃんを招いたことが『傷ついたでも楽しかった』というプラマイゼロではくて、『傷ついたし楽しかった、そして前より良くなった』とプラスの出来事と言えるようになる。
これが条件だった。
『プラマイゼロ』ではなくて『プラス』にしたい。
このエントリーにわたしは願いを込めていた。
『夢見る頃を過ぎても』那智さんが好きということに価値がある。
『守ってくれようとしている』だけで充分ではないか。
わたしだっていい年をした大人だ、那智さんと大人の恋愛をするのは当然だ。
そう思えるようになりたい。
そう思えたら、きっとそれは『プラス』なはずだ、と。
だけどこれは那智さんに対して『女の子』を諦めることになるということもわかっていた。
諦めることになるけれどそう思うことで解決させるか、でもやっぱり諦められない『一点の曇りもなく』那智さんを好きと無邪気に無垢に思う気持ち良さを取り戻すまで棚上げするか。
この葛藤が、なかなかエントリーをアップさせてくれなかった。
いまからそれをアップしようと思う。
ということはふたりにとって『プラスになれた』と言えるからだ。(多分ね^^)
そして、こんな前置きをしているということは『夢見る頃を過ぎても』でない形になっているからだ。
もうこのエントリーのように願いを込め自分に言い聞かせる必要がなくなったのだ。
だからお蔵入りになるなずのものなんだけど、これは軌跡、必死にもがいていた軌跡を残そうと思ってアップします。
『女の子』を持ち続けることを諦められずもがいていた。
『女の子』のように無邪気に無垢に那智さんを信じられなくてもいいじゃないかと必死に自分に言い聞かせていた。
そんな葛藤が根底に潜むエントリー。
かなり恥ずかしいのだけどアップします^^(恥ずかしくて一回しか読み直せていないのだけど^^;、あんまり恥ずかしいから一ヶ所だけ那智正しちゃったけど^^;)
人は自分に言い聞かせようとするとこんな文章になるというサンプル(笑)
長いけど、よろしければお付き合いくださいな。
『女の子』再生のお話は、この次から^^
『薬指』のキーワードでもある『女の子』。
あまりちゃんとした定義があるわけではなくて、ただ漠然と象徴として『女の子』と書いている。
無邪気な気持ちだったり
守られる存在への憧れだったり
自覚すると優しい気持ちになれたり
ときには欲情のツールだったりもする
わたし本人もはっきり定義できていないのだから、読んでくれている人もきっとそれぞれの『女の子』定義があるのだろうなと思ってる。
なんでもいいのだ、その存在で優しくなれたり慰められたりするのなら。
自分のことを『よしよし』としたり、誰かに『よしよし』としてほしいときに『女の子』を抱きしめることに慣れていると、効果があるよねなんても思う^^
いろいろ便利な『女の子』だけど、こんな感情も『女の子』があるからこそだろうな思うものがある。
それは、疑うことなくまっすぐに那智さんを信じることができる能力(能力といっていいのか!?)
これは『女の子』だからできる部分も大きいと思うのだ。
もちろん、那智さんだって人の子、わたしだって大人の女。
那智さんが全知全能の神じゃないことだって知っている。
酔っぱらいさんで困っちゃうこともあるし、ハリネズミさんでヒヤヒヤすることだってある。
那智さんの知らない漢字をわたしが知っていることだってある(逆もあるけでどね)
だから、那智さんは完璧な人と崇めるように盲信しているということではないのだけど。
わたしに対してということに於いて疑うことなくまっすぐに信じていられるのだ。
那智さんはわたしを裏切らない。
那智さんはわたしを悲しませない。
那智さんはわたしを必ず守ってくれる。
彼のよくないところもわかった上で、この部分で全面的に信頼できることは、もちろんそれまでの実績もあるけれど、わたしの『女の子』がそうさせてくれているところは大きいと思うのだ。
あのね、けっこう相手を全面的に信頼するって難しいことだと思うんだ。
人って意外と言葉の裏を読もうとしてしまったり、相手より優位に立とうとして素直に感情の授受ができなかたったりする。
だから、これができるのも一種の能力だと思っているのです^^
『女の子』という心を自覚できることは、この能力のひとつかな〜と思うのです。
わたしは那智さんを完璧な人間だとは思っていない。
だけど、絶対にわたしを裏切らず守ってくれると信じている。
小さな娘が何の疑いもなくお父さんのひざの上にいるような気持ちで。
これが『女の子』。
那智さんとわたしの付き合いに於いては、とても重要なキーワードだと思っている。
モカのことを区切りをつけて(ひさしぶりモカちゃん登場、またランチしようね^^)、ここにもいろいろ書き、『那智さん好き』という気持ちは戻ってきてるとも書いた。
実際、不思議なほどに『那智さんを愛している』と静かに強く思えていた。
だけど、実はずっとこの『女の子』の部分が抜け落ちてしまっていたのだ。
渦中、わたしの悲しいを那智さんは救ってくれなかった。
それは他者を交えているのだから、一方的にわたしだけを救うことは無理なことは百も承知で、それでも理性ではなく感情が『救ってくれない』と判断してしまう。
おかしい、わたしがあなたを疑うことなく全面的に信じていれば絶対守ってくれるはずなのに、どうして?とわたしは戸惑いながら自分で降り掛かる火の粉を振り払っている気持ちだった。
それでも、この状態はひとり加える時点でわたしも覚悟をしなければならないものだったのだと、わかっている。
だからここで『女の子』が抜け落ちたとしても、それは那智さんと力を借りて自力再生するのがわたしの役割だった。
だからなんとかなるはずだった。
だけど、詳しく書かないことをお許しいただきたいのだけど、実は那智さんは区切りをつけた後、一度大きな失敗を犯してしまったのだ。(追記:これはこの後詳しく書けます。書ける状態になっているからね)
とても些細なことかもしれないけれど、わたしにはとても重要なことだった。
何度も話し合い、謝罪もしてもらい、何度も悲しいに付き合ってくれて、ずっと変わらずそばにいてくれたから不思議と『那智さん愛してる』はほとんど変わらずにいられたけど、どうしても『女の子』でいられなくなってしまっていた。
那智さんの言葉を精査し信じていいか判断してから、信じるようなごく普通の大人の女として彼を愛してるという状態だった。
いや、これが常識的な男女の付き合いだよね。
だから、これで充分愛し合っているはずなんだ。
だけどわたしたちには全面的に信頼して身を任せる者とそれを守る者という『対等で上下』であることが幸福な関係値なのだから、この『女の子』が抜け落ちてしまうことはとても不幸なことなのだ。
あなたのものと思えない。
『対等で上下』『あなたのもの』こんなふうな特殊な恋愛感情を保ち続けるには、それ相当の積み重ねが必要で、この積み重ねたものが崩れ落ちそうな危うい状態になってしまっていたのだ。
この状態は那智さんにも話していた。
変わらずに何度も話し合い、わたしも自分の気持ちをできるだけ詳細に見極め、伝え、崩れそうなときはそれも伝え聞いてもらっていた。
彼の何気ないひと言で、悲しいがぶり返し、それを責めるような気持ちになる。
積み上げては崩し、また積む直す。
こんな作業を繰り返していた。
那智さんをとても愛している、だけど、わたしは那智さんのものじゃないし、那智さんをまっすぐに全面的に信頼するような気持ちにはなれない。
なんの疑いもなく無邪気に素直に信じる『女の子』はいないまま。
2ヶ月くらい、こんな気持ちと積み上げ作業が続いた。
ある日、また積み上げたものが崩れそうになったときがあった。
いつもなら那智さんに助けてもらうおうとするのだけど、この日は自分の力でなんとかしようと思った。
なぜなら、もう話せることが話し尽くしたという気持ちはある。
そして、この崩れそうになる発端がわたしは作ったのだと自覚していたから、いま那智さんに頼ることは適切ではないと判断したのだ。
(ほら、那智さんったら、甘くないからさ、お〜よしよしとかしてくれないでしょ?けっこう電話だと傷口を広げることになったりしちゃんだ(笑)だから会ったときに顔を見て『よしよし』してもらおうと思ったの^^)
幸い、翌日会う約束をしていたから、わたしはこんなメールを打った。
ここは自分で解決します。
那智さんに頼るのは適切ではないと思うから。
だから、今日はお電話はなしでお願いします。
明日、会ったら『よしよし』してください。
了解。
明日、笑顔でね。
本気の笑顔でね。
たかが一日だったけど、わたしは自分で判断して自分で解決しようと思った。
これは那智さんを信じていないから?
ううん、違う。
もう充分那智さんはわたしを支えてくれていることが痛いほどわかっているから、わたしが安心して自分で解決しようと判断できたのは、いままでの積み重ねと那智さんがいてくれることがわかっているから。
わかっていた。
那智さんはずっと変わっていない。
全力でわたしを守ろうとしてくれて、絶対にわたしを悲しませようなんて思っていないって。
ずっと前からそうだ。
わかっていたんだ。
『守ってくれる』のではなく『守ろうとしてくれる』んだって。
例えば『バイオレンス』のときもそうだけど、結果的に悲しくなってしまうことはいままでだってたくさんあった。
そりゃあ、那智さんはスーパーマンじゃないもの、失敗だってする。
そんなこと何年も前からわかっていたことだ。
だけど、そこまで日々明確に言語化しているわけじゃないから、他者を交えるというセンセーショナルなことを前にして、わたしが過度な思い込みをしてしまっていたんだよね。
那智さんはわたしを守ってくれるって。
だから裏切られたような気持ちになってしまっていたんだ。
那智さんだって普通の人。
失敗だってする。
だけど今回わかったことは、那智さんはどんなときも繋いだ手の力を僅かでもゆるめずにいてくれるということだ。
わたしがどんなに悲しくなっても、彼のスタンスを返ることなく、一歩も怯まずそこにずっといてくれるということだ。
那智さんは、ずっと全力で『守ろうとしてくれていた』のだ。
これはきっと強い。
多少は成長して^^;
大人の女として、『女の子』のように那智さんを信頼し疑うことなくいられている。
水をざっと注げば、そのままの水がコップに溜まるように。
たくさん苦しんだ、傷も負った、一滴も絞り出せないほど話し合った、もちろん絶妙な楽しさも味わった。
それらが大小の様々な石としてわたしの心に積み重なる。
上から那智さんは注ぐ水は、その石で濾過されてもっと純度の高いきれいな水になって、わたしを潤してくれるのだ。
わたしは那智さんを愛している。
まっすぐに疑うことなく信じている。
でも那智さんは失敗もする、だけどいつも絶対全力で守ろうとしてくれる。
ときどき失敗したら、そのときはわたしも一緒に転んで一緒に泣いて、また手を引いてもらう。
そのうち受け身も上手になるだろう(笑)
その後からも『守ろうとしてくれる』と全面的に信頼できることは、強いはずだ。
日頃、自分の心に触れて本当の気持ちを見極めてといっているわたし。
ぜんぜん、見極められてない^^;
無理やり思い込もうとしていることが手に取るようにわかる^^;
とーっても恥ずかしい。
自分にウソをついているとわかっていたからずっとアップできなかったんだよね。
さて、前振りが長くなってしまったけど、次回からこれをアップできる気持ちになれたお話をしますね。
で、これをこの前間違ってアップしちゃったんだ〜^^;
鍵コメや拍手コメントくださった方、ありがとうございます。
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