受け身の性1
りん子的独り言(生意気)
わたしのような受け身の側は主導権を握るする側のよいようにが一番の幸福ではあるけれど、する側に『したい』と思わせるのは役割りではあるし、また、してほしいことをしてもらうための努力も可能ではある。
『紅を差す』なんてエントリーにも書いたように案外あれこれやれるもので、長いお付き合いを経て、那智さんとの間で有効なやり方を会得してきている。
ほぼ完全に性的場面で主導していて、飽きないように手を替え品を替えしたいしたい人で、意識したらしないという若干天の邪鬼気味な那智さんにのみ有効かと思うけど、今日はわたしの会得したやり方をいくつか披露(笑)
まず、よく書いているけど、好きな女を喜ばせたい可愛がりたいのだからわたしはうれしいこと気持ちよかったことなどのプラスの感情を惜しみなく表現する。
もちろんウソはよくないけど、プライドや照れ臭さなどは捨ててとにかく素直に素直に大喜びをするのだ。
そうすると、こういうことで喜ぶんだとか、またやってあげようと思ってくれるらしい。
これは大事な基本仕様。
注意点として、うれしいことはたくさん伝えても『またやってほしい』というリクエストあまり頻繁に表現しないほうがいい。
なぜなら、那智さんは自分主導でいたいからだ。
『してほしい』をリクエストされると、まるでわたしの言った通りにしているみたいでつまらないのだろう(笑)
できるだけ、わたしとの性行為を『自然な』心境で行いたいから、りん子にやってほしいって言われたから、それをそのままやるのは那智さんにとっては意識している=不自然になるのだ。
なので、意識したらしないという選択をすることが圧倒的に多くなるのでダメ。
仮にしたとしても、そのままをするのは俺もりん子もつまらないと思うのだろう、そのままというのはなくて、たいがい拍車がかかって大変なことになるから、やっぱりダメ(笑)
天の邪鬼といってしまえば、そうだけど、わたしの『してほしい』をそのままするのはふたりにとって不自然であり、主導権がどちらにあるかが明確なわたしたちにとってはふさわしくないことなのだ。
たまになら問題ないので、そのときは『いつかその気になったら』のひと言をつけて言う。
そして、もうひとつ案外NGなのは『那智さんの感想を聞く』ことだったりする。
完全にする側任せだとする側のテンションに大きく左右されるので、受け身側はつい感想を聞きたくなるもの。
感想が好感触ならまたやってくれるかもしれないと安心できるし、あられもない姿を見せたものとしては、そんな姿も大丈夫と言ってほしい気持ちもあるからだ。
だからつい後日『那智さん、この前のあれはどうでしたか?』とか『またやりたいと思います?』なんて聞いてしまいがちだけど、あるとき、これはよろしくないと気づいた。
どうやら、性行為において、那智さんの心境を聞くことは、おそらく那智さんにとっては『してほしい』と同じように、意識してしまうことに繋がるようだ。
聞かれれば聞かれるほど、その行為を意識してしまって、どんどんやろうという気持ちが遠ざかるのではないかなと想像している。
那智さんが主導権を握っているのだから、受け身のわたしが那智さんの心境をあれこれ聞く必要はないと感じるのだろう。
また、わたしの無意識の安心したい気持ちを読み取って『俺のこと信頼してないの?』という気持ちにもなるのだろう。
長年のやり取りで、たぶん、これもやってはいけないことなのだとあるとき気づいたので、それからは那智さんはどうでした?とは聞かないようにしている。
ただ、ブログに書くためのインタビューや感想を書いてもらうのは大義名分があるから大丈夫みたい^^
これは、わたしの苦肉の策だったりもするのだ(笑)
那智さん曰く。
主導権を握っているものの自負として、俺の心境なんて考えないほどりん子自身が満たされていないといけないんだって。
と、概ね、わたしはわたしの素直な感情だけを伝え、『こうしてほしい』という明らかなリクエストや安心したいがための発言は避ける。
これがわたし側のやるべきこと。
ただ、ごく稀に変化球を駆使したほうがいい場合もある。
次回は、その稀な事例のお話を^^
って思うとね、わたしたち的上下にとってブログは有効なツールだなと改めて思う。
わたしの喜びをこれでもかってほど伝えて(笑)
ブログを書く大義名分のもと那智さんの感想も聞ける(笑)
情報共有にはうってつけだ。
だから、ブログは素直に綴りたい、とも思うのです。
<関連エントリー>
紅を差す
「いつかその気になったら」
「いつか」
「等式」感想です。りん子は受け身だけれど色々な方法で能動的に考えている。行動が受動的だからと言って心まで受動的になる必要はない。そして、いつもニュートラルなお互いの心を大事にしている。関連エントリー「紅を差す」も私が好きな話です。
わたしのような受け身の側は主導権を握るする側のよいようにが一番の幸福ではあるけれど、する側に『したい』と思わせるのは役割りではあるし、また、してほしいことをしてもらうための努力も可能ではある。
『紅を差す』なんてエントリーにも書いたように案外あれこれやれるもので、長いお付き合いを経て、那智さんとの間で有効なやり方を会得してきている。
ほぼ完全に性的場面で主導していて、飽きないように手を替え品を替えしたいしたい人で、意識したらしないという若干天の邪鬼気味な那智さんにのみ有効かと思うけど、今日はわたしの会得したやり方をいくつか披露(笑)
まず、よく書いているけど、好きな女を喜ばせたい可愛がりたいのだからわたしはうれしいこと気持ちよかったことなどのプラスの感情を惜しみなく表現する。
もちろんウソはよくないけど、プライドや照れ臭さなどは捨ててとにかく素直に素直に大喜びをするのだ。
そうすると、こういうことで喜ぶんだとか、またやってあげようと思ってくれるらしい。
これは大事な基本仕様。
注意点として、うれしいことはたくさん伝えても『またやってほしい』というリクエストあまり頻繁に表現しないほうがいい。
なぜなら、那智さんは自分主導でいたいからだ。
『してほしい』をリクエストされると、まるでわたしの言った通りにしているみたいでつまらないのだろう(笑)
できるだけ、わたしとの性行為を『自然な』心境で行いたいから、りん子にやってほしいって言われたから、それをそのままやるのは那智さんにとっては意識している=不自然になるのだ。
なので、意識したらしないという選択をすることが圧倒的に多くなるのでダメ。
仮にしたとしても、そのままをするのは俺もりん子もつまらないと思うのだろう、そのままというのはなくて、たいがい拍車がかかって大変なことになるから、やっぱりダメ(笑)
天の邪鬼といってしまえば、そうだけど、わたしの『してほしい』をそのままするのはふたりにとって不自然であり、主導権がどちらにあるかが明確なわたしたちにとってはふさわしくないことなのだ。
たまになら問題ないので、そのときは『いつかその気になったら』のひと言をつけて言う。
そして、もうひとつ案外NGなのは『那智さんの感想を聞く』ことだったりする。
完全にする側任せだとする側のテンションに大きく左右されるので、受け身側はつい感想を聞きたくなるもの。
感想が好感触ならまたやってくれるかもしれないと安心できるし、あられもない姿を見せたものとしては、そんな姿も大丈夫と言ってほしい気持ちもあるからだ。
だからつい後日『那智さん、この前のあれはどうでしたか?』とか『またやりたいと思います?』なんて聞いてしまいがちだけど、あるとき、これはよろしくないと気づいた。
どうやら、性行為において、那智さんの心境を聞くことは、おそらく那智さんにとっては『してほしい』と同じように、意識してしまうことに繋がるようだ。
聞かれれば聞かれるほど、その行為を意識してしまって、どんどんやろうという気持ちが遠ざかるのではないかなと想像している。
那智さんが主導権を握っているのだから、受け身のわたしが那智さんの心境をあれこれ聞く必要はないと感じるのだろう。
また、わたしの無意識の安心したい気持ちを読み取って『俺のこと信頼してないの?』という気持ちにもなるのだろう。
長年のやり取りで、たぶん、これもやってはいけないことなのだとあるとき気づいたので、それからは那智さんはどうでした?とは聞かないようにしている。
ただ、ブログに書くためのインタビューや感想を書いてもらうのは大義名分があるから大丈夫みたい^^
これは、わたしの苦肉の策だったりもするのだ(笑)
那智さん曰く。
主導権を握っているものの自負として、俺の心境なんて考えないほどりん子自身が満たされていないといけないんだって。
と、概ね、わたしはわたしの素直な感情だけを伝え、『こうしてほしい』という明らかなリクエストや安心したいがための発言は避ける。
これがわたし側のやるべきこと。
ただ、ごく稀に変化球を駆使したほうがいい場合もある。
次回は、その稀な事例のお話を^^
って思うとね、わたしたち的上下にとってブログは有効なツールだなと改めて思う。
わたしの喜びをこれでもかってほど伝えて(笑)
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情報共有にはうってつけだ。
だから、ブログは素直に綴りたい、とも思うのです。
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「いつかその気になったら」
「いつか」
「等式」感想です。りん子は受け身だけれど色々な方法で能動的に考えている。行動が受動的だからと言って心まで受動的になる必要はない。そして、いつもニュートラルなお互いの心を大事にしている。関連エントリー「紅を差す」も私が好きな話です。
受け身の性2
独特な幸福感
『浴衣緊縛』のときのこと。
幼いころから憧れていたシチュエーション。
那智さんもはじめての感情になり、お互いの夢が重なり合うような代え難い時間だった。
那智さんと付き合うことで夢が叶っていると感じる瞬間は何度もあったけど、浴衣緊縛はそのベストいくつかに入るくらいのものだ。
ピロートークで那智さんが話題に出すほどだったので、ふたりとも同じくらい重大で、なおかつ大事にしたいことだと思った。
またやってほしい。
次会うときでもいいほど、すぐやってほしい。
だけど、こんなにもお互いにとって大事なことは、簡単に扱ってはいけないとわたしは慎重に進めようと思った。
基本仕様の『喜びを伝える』は封印して、リクエストも感想も聞くもいつも以上に抑える。
琴線に触れまくりで、またやってほしいと喉から手が出るほど切望するものに対して、まったく頓着しない様子で通すのだ。
まず、ホテルを出るとき、汗まみれの浴衣はわたしが洗濯すると申し出た。
安価なものとはいえ浴衣を取り扱ったことがあるわたしが洗うほうがよかったし、那智さんのお仕事場に洗濯機あるけど、さすがに浴衣干せないし^^;
そして、洗った浴衣は那智さんに持っておいていただくようにお願いした。
わたしから『使ってください』と持っていくのはリクエストと同じでダメだし、那智さんが『持ってきて』というのも期待させるようであまり言いたがらない人だし、なんといっても那智さん手元にないとずっと忘れちゃう危険性もあったからだ(笑)
那智さんが使いたいときに自分の意思で持ってきていただくことが正解だった。
でも、そういう意図をあまり感じさせないようにする必要があった。
なぜなら、受け身のわたしは『リクエスト』も『那智さんの感想』もしてはいけないから、したら那智さんが意識してしまってしばらくやらないに心が傾いてしまうからだ。
何食わぬ顔で
洗ってきますね
で、那智さんに持っておいていただくほうがいいですよね?
と業務連絡風を装った。
そうだね
と軽く了解をしてくれたので持ち帰った。
後日、丁寧に手洗いをした。
晴れた夏の日だったから、すぐ乾き、その日のうちに取り込むことができた。
これなら次回会う日に持っていかれる。
那智さんに委ねるということは、いつ使ってくれるかわからないことになる。
リクエストをすればするほど遠ざかることが予想できたし、ふたりにとって重要であればあるほど、意識してはいけないことも理解していた。
だから、わたしは取るに足らないこととしていないといけないのだ。
次使ってくれるのはどれくらい先だろう。
那智さんのことだから、すぐなんていうのはないはずだ。
それが那智さんの琴線に触れた分だけ、余計にすぐにはしてくれないだろう。
何週間後か何ヶ月後か、もしかしたら何年後かかもしれない。
次のいつかを心待ちする気持ちをこめて、無頓着で通す気概をこめて、丁寧に丁寧に畳んだ。
次に会う日がやってきた。
洗った浴衣を持参してホテルに入ってからほどなくして渡した。
那智さん、これ、洗ってきました
極めてさらりと。
まったく頓着しないように。
本当は『またやってくださいね』と言いたい。
気持ちと言葉はすぐそこまで競り上がる。
とても幸せでしたでも、またやりたいですねでも、那智さんはどうですかでも。
言ってしまえば、きっと気持ちはラクだろう。
だけど、言ってしまえば、ぜったい『すぐ』にはしない。
でも、言わなければ、もしかしたら那智さんの意識下に潜んでしまって、ずっとやってくれなくなるかもしれない。
それでも、わたしはこちらを選ぶのだ。
那智さんは『すぐ』ではなくても、必ずまたやってくれることを信じているから。
そして、この重要なことこそ、那智さんがハッキリ主導したほうが幸福だから。
もしかしたら、次使ってくれるときはおばあちゃんになっているかもね。
おばあちゃんでピンクの浴衣か、それもいいか、きっと那智さんの判断のもとおばあちゃんピンク浴衣も可愛がってくれる。
何年後かわからない、でも、那智さんはまたしてくれる。
わたしの感情は微塵も感じさせてはいけない。
でも、かならず、かならず、そのときはやってくる。
そう腹を括って、感情をぐっと抑えさらりとお渡しした。
果たして、その次に会う日に浴衣は再登場した!!
もう、わたしは歓喜だ(笑)
そこで『脳を変える』出来事が起こったわけです^^
さて、先日、このときの話しが出て、那智さんを驚かせた^^
この浴衣緊縛は那智さんの琴線に触れまくりではあったけど、案の定、そうであるほど『すぐ』にするのは避けようと思っていたそうだ。
(天の邪鬼なのか、わかりやすすぎがイヤなのか 笑)
でも、わたしのあまりの無反応さに、あれ?そんなに無反応ならやっちゃってもいいかな〜と思ったそうだ。
那智さんのやりたい気持ちを優先してもいいと判断したそうだ。
那智さん、やりたいことをすんなりできて、わたしはしてもらえて、ふたりにとって良い結果になったのです^^
作戦成功^^
受け身の性のわたしは、那智さんに『したい』と思ってもらうことは責務であるし、伝え方によってはこちらの希望が叶うこともある。
その中でこちら側も我慢が必要なこともある。
けして、それはウソをつくのではなくて、ふたりにとって希有な大事なことであるほど、慎重に知恵を絞って、ときには我慢も必要なのだ。
これができるようになったのは、いままでずっと那智さんが飽きないように手を替え品を替え変わることなく可愛がってくれるという実績があるからで、わたしも「あ〜、もうすこし言い方変えたほうが正解だった」と過去何度も残念を経験してきたからでもある(笑)
受け身の性の立場も創意工夫が大事なのでした^^
<関連エントリー>
浴衣緊縛1 2 3 4 5 6
脳を変える1 2 3 4
「等式」感想です。りん子上手ですね、私とりん子の「飽きないと、好きなプレイ」のキーワードを考えて、この時は、浴衣のたのしさをもう少し強く与えたい位のテンションだったかもしれません。もっと強く引かれてよ~(笑)とアピールしたかったのですよ。
『浴衣緊縛』のときのこと。
幼いころから憧れていたシチュエーション。
那智さんもはじめての感情になり、お互いの夢が重なり合うような代え難い時間だった。
那智さんと付き合うことで夢が叶っていると感じる瞬間は何度もあったけど、浴衣緊縛はそのベストいくつかに入るくらいのものだ。
ピロートークで那智さんが話題に出すほどだったので、ふたりとも同じくらい重大で、なおかつ大事にしたいことだと思った。
またやってほしい。
次会うときでもいいほど、すぐやってほしい。
だけど、こんなにもお互いにとって大事なことは、簡単に扱ってはいけないとわたしは慎重に進めようと思った。
基本仕様の『喜びを伝える』は封印して、リクエストも感想も聞くもいつも以上に抑える。
琴線に触れまくりで、またやってほしいと喉から手が出るほど切望するものに対して、まったく頓着しない様子で通すのだ。
まず、ホテルを出るとき、汗まみれの浴衣はわたしが洗濯すると申し出た。
安価なものとはいえ浴衣を取り扱ったことがあるわたしが洗うほうがよかったし、那智さんのお仕事場に洗濯機あるけど、さすがに浴衣干せないし^^;
そして、洗った浴衣は那智さんに持っておいていただくようにお願いした。
わたしから『使ってください』と持っていくのはリクエストと同じでダメだし、那智さんが『持ってきて』というのも期待させるようであまり言いたがらない人だし、なんといっても那智さん手元にないとずっと忘れちゃう危険性もあったからだ(笑)
那智さんが使いたいときに自分の意思で持ってきていただくことが正解だった。
でも、そういう意図をあまり感じさせないようにする必要があった。
なぜなら、受け身のわたしは『リクエスト』も『那智さんの感想』もしてはいけないから、したら那智さんが意識してしまってしばらくやらないに心が傾いてしまうからだ。
何食わぬ顔で
洗ってきますね
で、那智さんに持っておいていただくほうがいいですよね?
と業務連絡風を装った。
そうだね
と軽く了解をしてくれたので持ち帰った。
後日、丁寧に手洗いをした。
晴れた夏の日だったから、すぐ乾き、その日のうちに取り込むことができた。
これなら次回会う日に持っていかれる。
那智さんに委ねるということは、いつ使ってくれるかわからないことになる。
リクエストをすればするほど遠ざかることが予想できたし、ふたりにとって重要であればあるほど、意識してはいけないことも理解していた。
だから、わたしは取るに足らないこととしていないといけないのだ。
次使ってくれるのはどれくらい先だろう。
那智さんのことだから、すぐなんていうのはないはずだ。
それが那智さんの琴線に触れた分だけ、余計にすぐにはしてくれないだろう。
何週間後か何ヶ月後か、もしかしたら何年後かかもしれない。
次のいつかを心待ちする気持ちをこめて、無頓着で通す気概をこめて、丁寧に丁寧に畳んだ。
次に会う日がやってきた。
洗った浴衣を持参してホテルに入ってからほどなくして渡した。
那智さん、これ、洗ってきました
極めてさらりと。
まったく頓着しないように。
本当は『またやってくださいね』と言いたい。
気持ちと言葉はすぐそこまで競り上がる。
とても幸せでしたでも、またやりたいですねでも、那智さんはどうですかでも。
言ってしまえば、きっと気持ちはラクだろう。
だけど、言ってしまえば、ぜったい『すぐ』にはしない。
でも、言わなければ、もしかしたら那智さんの意識下に潜んでしまって、ずっとやってくれなくなるかもしれない。
それでも、わたしはこちらを選ぶのだ。
那智さんは『すぐ』ではなくても、必ずまたやってくれることを信じているから。
そして、この重要なことこそ、那智さんがハッキリ主導したほうが幸福だから。
もしかしたら、次使ってくれるときはおばあちゃんになっているかもね。
おばあちゃんでピンクの浴衣か、それもいいか、きっと那智さんの判断のもとおばあちゃんピンク浴衣も可愛がってくれる。
何年後かわからない、でも、那智さんはまたしてくれる。
わたしの感情は微塵も感じさせてはいけない。
でも、かならず、かならず、そのときはやってくる。
そう腹を括って、感情をぐっと抑えさらりとお渡しした。
果たして、その次に会う日に浴衣は再登場した!!
もう、わたしは歓喜だ(笑)
そこで『脳を変える』出来事が起こったわけです^^
さて、先日、このときの話しが出て、那智さんを驚かせた^^
この浴衣緊縛は那智さんの琴線に触れまくりではあったけど、案の定、そうであるほど『すぐ』にするのは避けようと思っていたそうだ。
(天の邪鬼なのか、わかりやすすぎがイヤなのか 笑)
でも、わたしのあまりの無反応さに、あれ?そんなに無反応ならやっちゃってもいいかな〜と思ったそうだ。
那智さんのやりたい気持ちを優先してもいいと判断したそうだ。
那智さん、やりたいことをすんなりできて、わたしはしてもらえて、ふたりにとって良い結果になったのです^^
作戦成功^^
受け身の性のわたしは、那智さんに『したい』と思ってもらうことは責務であるし、伝え方によってはこちらの希望が叶うこともある。
その中でこちら側も我慢が必要なこともある。
けして、それはウソをつくのではなくて、ふたりにとって希有な大事なことであるほど、慎重に知恵を絞って、ときには我慢も必要なのだ。
これができるようになったのは、いままでずっと那智さんが飽きないように手を替え品を替え変わることなく可愛がってくれるという実績があるからで、わたしも「あ〜、もうすこし言い方変えたほうが正解だった」と過去何度も残念を経験してきたからでもある(笑)
受け身の性の立場も創意工夫が大事なのでした^^
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浴衣緊縛1 2 3 4 5 6
脳を変える1 2 3 4
「等式」感想です。りん子上手ですね、私とりん子の「飽きないと、好きなプレイ」のキーワードを考えて、この時は、浴衣のたのしさをもう少し強く与えたい位のテンションだったかもしれません。もっと強く引かれてよ~(笑)とアピールしたかったのですよ。
優しい日本語
独特な幸福感
那智さんの言葉遣いはけしてお上品ではない。
ご飯は『食う』、『屁』は『こく』。
セックス全般を指して『おまんこ』で笑いながら『おせーよ』。
けしてキレイな日本語とは言い難い(笑)
SMに憧れを抱き電話で相手を捜していた頃、丁寧な言葉使いは大事な条件のひとつだった。
もともと男性の乱暴な口調が苦手だったこともあったし、紳士的な言葉なのに追いつめられるという心理状態ににも憧れていたからだ。
だから、テレクラに依存していた頃もパートナー探しも、そこは意外と大事なポイントだったりした。
だから厳密に言えば、那智さんはそのポイントからすこし外れていたはずなんだ。
もちろん、初対面でいきなり馴れ馴れしいなんてことはなかったけど、それでも基本いまと変わらず『おまんこ』で『食う』な人だった。
まあ、それまで憧れていた口調とは違うなんてことは些細なことで、そんなことが気にならないくらい、もっともっと本質的なところからぐいぐいと引き込まれていったのだけど、いまとなってはこの那智さんの言葉使いがわたしは大好きだ。
なぜだろう。
きっと、那智さんは最初からずっと『普通』だからだ。
SMだからってことさら命令口調でもないし、逆に丁寧すぎることもない。
ごく普通の那智さんとして接している。
「女の子になりなさい」でも「女の子になれ」でもなく、「女の子になっちゃえよ」だ。
うんこ「食べろ」でも「食べなさい」でもなく、「食う?」だ(笑)
那智さんの言葉は時々人間味が溢れ、語尾に優しさが表れる。
普通の那智さんは人間味に溢れ、そして、優しい。
それがそのまま言葉になっている。
そのバランスがいまのわたしは絶妙で那智さんらしくて、大好きなのだ。
そして、そのごく普通の言葉使いに胸を高鳴らせ、濡らすのも、またよいのです^^
<関連エントリー>
おせーよ
他人が見たらどうでもいい真剣なやり取り
テレクラに依存していた頃
3回目の旅1 2 3 4
思い出話
思い出話(声は重要♪)
思い出話(ああ、勘違い編)
女の子になっちゃえよ
毛布
「等式」感想です。違いますよね(笑)と言いながら初対面の方にたいしても少し、乱暴な言葉使いをしていました。これは「等式」の那智をご存知な方限定の話です。知らない方へは常識的な言葉使いをしているつもりです。どうしても、読書の方は何でもご存知との固定観念があり、甘えてしまいます。
那智さんの言葉遣いはけしてお上品ではない。
ご飯は『食う』、『屁』は『こく』。
セックス全般を指して『おまんこ』で笑いながら『おせーよ』。
けしてキレイな日本語とは言い難い(笑)
SMに憧れを抱き電話で相手を捜していた頃、丁寧な言葉使いは大事な条件のひとつだった。
もともと男性の乱暴な口調が苦手だったこともあったし、紳士的な言葉なのに追いつめられるという心理状態ににも憧れていたからだ。
だから、テレクラに依存していた頃もパートナー探しも、そこは意外と大事なポイントだったりした。
だから厳密に言えば、那智さんはそのポイントからすこし外れていたはずなんだ。
もちろん、初対面でいきなり馴れ馴れしいなんてことはなかったけど、それでも基本いまと変わらず『おまんこ』で『食う』な人だった。
まあ、それまで憧れていた口調とは違うなんてことは些細なことで、そんなことが気にならないくらい、もっともっと本質的なところからぐいぐいと引き込まれていったのだけど、いまとなってはこの那智さんの言葉使いがわたしは大好きだ。
なぜだろう。
きっと、那智さんは最初からずっと『普通』だからだ。
SMだからってことさら命令口調でもないし、逆に丁寧すぎることもない。
ごく普通の那智さんとして接している。
「女の子になりなさい」でも「女の子になれ」でもなく、「女の子になっちゃえよ」だ。
うんこ「食べろ」でも「食べなさい」でもなく、「食う?」だ(笑)
那智さんの言葉は時々人間味が溢れ、語尾に優しさが表れる。
普通の那智さんは人間味に溢れ、そして、優しい。
それがそのまま言葉になっている。
そのバランスがいまのわたしは絶妙で那智さんらしくて、大好きなのだ。
そして、そのごく普通の言葉使いに胸を高鳴らせ、濡らすのも、またよいのです^^
<関連エントリー>
おせーよ
他人が見たらどうでもいい真剣なやり取り
テレクラに依存していた頃
3回目の旅1 2 3 4
思い出話
思い出話(声は重要♪)
思い出話(ああ、勘違い編)
女の子になっちゃえよ
毛布
「等式」感想です。違いますよね(笑)と言いながら初対面の方にたいしても少し、乱暴な言葉使いをしていました。これは「等式」の那智をご存知な方限定の話です。知らない方へは常識的な言葉使いをしているつもりです。どうしても、読書の方は何でもご存知との固定観念があり、甘えてしまいます。
ひねくれ者1
りん子的独り言(エラそう)
報道番組でいま流行っている『J◯ビジネス』について特集をしていた。
あまり詳細は知らないけど、添い寝したりお散歩したりプロレス技かけたりするんだよね^^;
ごく普通の女子高生がアルバイトをしていて、それなりに稼いでいるようなんだけど、中には危険な目に遭う子もいるし、売春の温床にもなっているらしい。
まあ、それくらい簡単に想像できることだけど、世の親世代はそこまで知らないとか、女子高生自身も危機管理が曖昧だとか伝えている。
こういう番組でありがちな『そこで働く女の子』にスポットを当てることで、どうしたって、考えなしに行動する女子高生の責任な感じになっていた。
いやいや、そうはいっても10数年しか生きていない未成年に責任をおっかぶせることはないよね。
百歩譲って彼女たちにも何%かの責任はあったとしても、圧倒的に、それをビジネスにしている大人や、買う年上の男のほうに重大な責任は生じるわけで、報道するならむしろそっちを多く取材して報道してくださいよと思う。
なぜか人は立場が弱い者の責任にしたがるものだ。
その中で親世代が引率者を伴って、その手のビジネスの実体を取材している場面も流れ、ひとりの男性が『彼女たちより、それを利用する男性の教育がまず必要』と至極まっとうなことを言っていた。
(そうそう!!とわたしは心で拍手^^)
ところが、同席して一緒に見ていた男性が
そんな男はもともとおかしいんだから、いまさら教育しても遅いから、やっぱり女子高生の教育は先だ
と言っていて、思わず脱力。
ときどきフェミ系のものを読むと世の中は『男の性』に対して寛容だと書いてある。
『レイプするくらい元気うんぬん』なんて発言が過去にあったけど、男だからしょうがないとか、性犯罪を犯す男は普通の男とは別物だと切り離して擁護する。
いやいや、あなたと同性の男が女子高生にプロレス技かけられて喜んでいますよ、でもって売春を強要しているケースもありますよ、情けないと思いませんか、それを『同じ男』と思われていることに、もっと腹を立てましょうよって思う。
同席した男性も『そんな男はおかしいから』と排除しているつもりだけど、結局責任を女子高生に持たせる構図を作って、男を擁護しているとたぶん気づいていない。
女子高生を教育するならば、同じように男子高生も教育が必要だよね。
大人になったら未成年をお金で買うことは恥ずかしいことなんだよってね。
頭がおかしくなる前に。
って、ひねくれ者のわたしはまたニュースを見ながら思うのだ。
フェミに偏った側面のあるコラムふたつリンクします。
多少偏りがあると自覚して載せていますので、苦手だと想像できる方は気をつけてね。
たとえば国会議員や最高裁の裁判官の半分が女性だったり(逆に半分が主夫世帯になったり^^)、数字で計れるものではないけど、そういう社会になったら、偏りは『よろしくない』とわたしも思えるようになると思うのです^^
だから、それまでは多少偏っててもいいの(笑)
こういうのとか、こういうのとか
読んじゃうの^^;
「等式」感想です。ビジネスに参加する人とは1オーナー従業員2女性従業員3お客様4傍観者5取り締まる人これらの人が法律に触れずに事を進めれば問題無いこと、それではつまらなく読者の関心を引けないから、誰でも考え付く「売春の温床」何て言葉を使い心地よく問題視しているかもしれない。
りん子(^-^)たとえば男子高校生ビジネスがあって、それを買う女がいるとしたら、どちらにスポットを当てて放映するでしょうか。たらればで、きっと「買う女」ですよね。編集方法やビジネスや法についてではなく、わたしは男性の性に寛容な社会に疑問を投げています。男だけではなく女にも、です。
報道番組でいま流行っている『J◯ビジネス』について特集をしていた。
あまり詳細は知らないけど、添い寝したりお散歩したりプロレス技かけたりするんだよね^^;
ごく普通の女子高生がアルバイトをしていて、それなりに稼いでいるようなんだけど、中には危険な目に遭う子もいるし、売春の温床にもなっているらしい。
まあ、それくらい簡単に想像できることだけど、世の親世代はそこまで知らないとか、女子高生自身も危機管理が曖昧だとか伝えている。
こういう番組でありがちな『そこで働く女の子』にスポットを当てることで、どうしたって、考えなしに行動する女子高生の責任な感じになっていた。
いやいや、そうはいっても10数年しか生きていない未成年に責任をおっかぶせることはないよね。
百歩譲って彼女たちにも何%かの責任はあったとしても、圧倒的に、それをビジネスにしている大人や、買う年上の男のほうに重大な責任は生じるわけで、報道するならむしろそっちを多く取材して報道してくださいよと思う。
なぜか人は立場が弱い者の責任にしたがるものだ。
その中で親世代が引率者を伴って、その手のビジネスの実体を取材している場面も流れ、ひとりの男性が『彼女たちより、それを利用する男性の教育がまず必要』と至極まっとうなことを言っていた。
(そうそう!!とわたしは心で拍手^^)
ところが、同席して一緒に見ていた男性が
そんな男はもともとおかしいんだから、いまさら教育しても遅いから、やっぱり女子高生の教育は先だ
と言っていて、思わず脱力。
ときどきフェミ系のものを読むと世の中は『男の性』に対して寛容だと書いてある。
『レイプするくらい元気うんぬん』なんて発言が過去にあったけど、男だからしょうがないとか、性犯罪を犯す男は普通の男とは別物だと切り離して擁護する。
いやいや、あなたと同性の男が女子高生にプロレス技かけられて喜んでいますよ、でもって売春を強要しているケースもありますよ、情けないと思いませんか、それを『同じ男』と思われていることに、もっと腹を立てましょうよって思う。
同席した男性も『そんな男はおかしいから』と排除しているつもりだけど、結局責任を女子高生に持たせる構図を作って、男を擁護しているとたぶん気づいていない。
女子高生を教育するならば、同じように男子高生も教育が必要だよね。
大人になったら未成年をお金で買うことは恥ずかしいことなんだよってね。
頭がおかしくなる前に。
って、ひねくれ者のわたしはまたニュースを見ながら思うのだ。
フェミに偏った側面のあるコラムふたつリンクします。
多少偏りがあると自覚して載せていますので、苦手だと想像できる方は気をつけてね。
たとえば国会議員や最高裁の裁判官の半分が女性だったり(逆に半分が主夫世帯になったり^^)、数字で計れるものではないけど、そういう社会になったら、偏りは『よろしくない』とわたしも思えるようになると思うのです^^
だから、それまでは多少偏っててもいいの(笑)
こういうのとか、こういうのとか
読んじゃうの^^;
「等式」感想です。ビジネスに参加する人とは1オーナー従業員2女性従業員3お客様4傍観者5取り締まる人これらの人が法律に触れずに事を進めれば問題無いこと、それではつまらなく読者の関心を引けないから、誰でも考え付く「売春の温床」何て言葉を使い心地よく問題視しているかもしれない。
りん子(^-^)たとえば男子高校生ビジネスがあって、それを買う女がいるとしたら、どちらにスポットを当てて放映するでしょうか。たらればで、きっと「買う女」ですよね。編集方法やビジネスや法についてではなく、わたしは男性の性に寛容な社会に疑問を投げています。男だけではなく女にも、です。
ひねくれ者2
りん子的独り言(エラそう)
海外のニュースで、年齢は忘れてしまったけど、80才とかのご高齢のご婦人ふたりが恋人であることを公言したと報じていた。
「自分のしたいことをするのに年齢は関係ない」と同じような見た目のおばあさまふたりが仲睦まじく手を繋ぐ写真は赤の他人のわたしでも幸福を祈りたくなるようなものだった。
Twitterで読んだその記事にはわたしと同様にふたりを祝福するツイートがたくさんあったので、いまどきは高齢の恋にも同性の恋にも寛容な社会になってきたのかな〜とうれしく思った。
たくさんの『ステキですね!』や『恋愛に年齢も性別も関係ない』のツイートたち。
と、そこでひねくれ者が顔を覗かせる。
たしかにステキだ。
そう反応する人たちの気持ちもよーくわかる。
でもね、もしね、年を取った自分の兄弟が同世代の同性の恋人を連れてきたら、同じように恋愛に年齢も性別も関係ない、ステキ!って祝福できるだろうか。
結局のところ、遠い異国のまったく無関係なおばあさまだから『ステキ』なんじゃないだろうか。
昔、ホワイトバンドというキャンペーンがあった。
世界の貧困救済を謳うものだったはずだ。
過去にもエントリーでチラッと書いたけど、当然世界の貧困を救済する意思は素晴らしいものだし、たとえファッションとしてだったとしても募金行動は支持する(やらない善意よりやる偽善^^)
ただ街中でその白いブレスレットをしているおしゃれな若者を見ると、彼は世界の貧困は憂うけど、クラスで孤立していたりしている子に手を差し伸べているだろうかと釈然としない思いになっていた。
人は、事柄が自分から遠ければ遠いほどステキな人になれるのもの。
本当は自分に近い人にほどステキでいないといけないのに、そうしていればステキの輪はどんどん波及するのにって思うのです。
(キリスト教徒じゃないけど、汝隣人を愛せな気持ち^^)
なんとなく、そのツイートたちが無責任な『ステキ』に感じちゃって、わたしは一度立ち止まり、自分で確認してみた。
我が子が同性の恋人を連れてきたら?
お隣りのお年寄りが同性の恋人と暮らしはじめたら?
一瞬『お、おう…』と固唾を飲むな、でも、すぐその後から『おめでとう』って言える、と思っている。
(思っていると書いたのは、世間体とかではなくて、本人生きにくいだろうなと憂う気持ちがあるから、その憂いがちょっと邪魔者^^;)
ひねくれ者は、ひとつのニュースでこんなこと考えるのです。
「等式」感想です。完璧です、(笑)
海外のニュースで、年齢は忘れてしまったけど、80才とかのご高齢のご婦人ふたりが恋人であることを公言したと報じていた。
「自分のしたいことをするのに年齢は関係ない」と同じような見た目のおばあさまふたりが仲睦まじく手を繋ぐ写真は赤の他人のわたしでも幸福を祈りたくなるようなものだった。
Twitterで読んだその記事にはわたしと同様にふたりを祝福するツイートがたくさんあったので、いまどきは高齢の恋にも同性の恋にも寛容な社会になってきたのかな〜とうれしく思った。
たくさんの『ステキですね!』や『恋愛に年齢も性別も関係ない』のツイートたち。
と、そこでひねくれ者が顔を覗かせる。
たしかにステキだ。
そう反応する人たちの気持ちもよーくわかる。
でもね、もしね、年を取った自分の兄弟が同世代の同性の恋人を連れてきたら、同じように恋愛に年齢も性別も関係ない、ステキ!って祝福できるだろうか。
結局のところ、遠い異国のまったく無関係なおばあさまだから『ステキ』なんじゃないだろうか。
昔、ホワイトバンドというキャンペーンがあった。
世界の貧困救済を謳うものだったはずだ。
過去にもエントリーでチラッと書いたけど、当然世界の貧困を救済する意思は素晴らしいものだし、たとえファッションとしてだったとしても募金行動は支持する(やらない善意よりやる偽善^^)
ただ街中でその白いブレスレットをしているおしゃれな若者を見ると、彼は世界の貧困は憂うけど、クラスで孤立していたりしている子に手を差し伸べているだろうかと釈然としない思いになっていた。
人は、事柄が自分から遠ければ遠いほどステキな人になれるのもの。
本当は自分に近い人にほどステキでいないといけないのに、そうしていればステキの輪はどんどん波及するのにって思うのです。
(キリスト教徒じゃないけど、汝隣人を愛せな気持ち^^)
なんとなく、そのツイートたちが無責任な『ステキ』に感じちゃって、わたしは一度立ち止まり、自分で確認してみた。
我が子が同性の恋人を連れてきたら?
お隣りのお年寄りが同性の恋人と暮らしはじめたら?
一瞬『お、おう…』と固唾を飲むな、でも、すぐその後から『おめでとう』って言える、と思っている。
(思っていると書いたのは、世間体とかではなくて、本人生きにくいだろうなと憂う気持ちがあるから、その憂いがちょっと邪魔者^^;)
ひねくれ者は、ひとつのニュースでこんなこと考えるのです。
「等式」感想です。完璧です、(笑)