受け身の性1
りん子的独り言(生意気)
わたしのような受け身の側は主導権を握るする側のよいようにが一番の幸福ではあるけれど、する側に『したい』と思わせるのは役割りではあるし、また、してほしいことをしてもらうための努力も可能ではある。
『紅を差す』なんてエントリーにも書いたように案外あれこれやれるもので、長いお付き合いを経て、那智さんとの間で有効なやり方を会得してきている。
ほぼ完全に性的場面で主導していて、飽きないように手を替え品を替えしたいしたい人で、意識したらしないという若干天の邪鬼気味な那智さんにのみ有効かと思うけど、今日はわたしの会得したやり方をいくつか披露(笑)
まず、よく書いているけど、好きな女を喜ばせたい可愛がりたいのだからわたしはうれしいこと気持ちよかったことなどのプラスの感情を惜しみなく表現する。
もちろんウソはよくないけど、プライドや照れ臭さなどは捨ててとにかく素直に素直に大喜びをするのだ。
そうすると、こういうことで喜ぶんだとか、またやってあげようと思ってくれるらしい。
これは大事な基本仕様。
注意点として、うれしいことはたくさん伝えても『またやってほしい』というリクエストあまり頻繁に表現しないほうがいい。
なぜなら、那智さんは自分主導でいたいからだ。
『してほしい』をリクエストされると、まるでわたしの言った通りにしているみたいでつまらないのだろう(笑)
できるだけ、わたしとの性行為を『自然な』心境で行いたいから、りん子にやってほしいって言われたから、それをそのままやるのは那智さんにとっては意識している=不自然になるのだ。
なので、意識したらしないという選択をすることが圧倒的に多くなるのでダメ。
仮にしたとしても、そのままをするのは俺もりん子もつまらないと思うのだろう、そのままというのはなくて、たいがい拍車がかかって大変なことになるから、やっぱりダメ(笑)
天の邪鬼といってしまえば、そうだけど、わたしの『してほしい』をそのままするのはふたりにとって不自然であり、主導権がどちらにあるかが明確なわたしたちにとってはふさわしくないことなのだ。
たまになら問題ないので、そのときは『いつかその気になったら』のひと言をつけて言う。
そして、もうひとつ案外NGなのは『那智さんの感想を聞く』ことだったりする。
完全にする側任せだとする側のテンションに大きく左右されるので、受け身側はつい感想を聞きたくなるもの。
感想が好感触ならまたやってくれるかもしれないと安心できるし、あられもない姿を見せたものとしては、そんな姿も大丈夫と言ってほしい気持ちもあるからだ。
だからつい後日『那智さん、この前のあれはどうでしたか?』とか『またやりたいと思います?』なんて聞いてしまいがちだけど、あるとき、これはよろしくないと気づいた。
どうやら、性行為において、那智さんの心境を聞くことは、おそらく那智さんにとっては『してほしい』と同じように、意識してしまうことに繋がるようだ。
聞かれれば聞かれるほど、その行為を意識してしまって、どんどんやろうという気持ちが遠ざかるのではないかなと想像している。
那智さんが主導権を握っているのだから、受け身のわたしが那智さんの心境をあれこれ聞く必要はないと感じるのだろう。
また、わたしの無意識の安心したい気持ちを読み取って『俺のこと信頼してないの?』という気持ちにもなるのだろう。
長年のやり取りで、たぶん、これもやってはいけないことなのだとあるとき気づいたので、それからは那智さんはどうでした?とは聞かないようにしている。
ただ、ブログに書くためのインタビューや感想を書いてもらうのは大義名分があるから大丈夫みたい^^
これは、わたしの苦肉の策だったりもするのだ(笑)
那智さん曰く。
主導権を握っているものの自負として、俺の心境なんて考えないほどりん子自身が満たされていないといけないんだって。
と、概ね、わたしはわたしの素直な感情だけを伝え、『こうしてほしい』という明らかなリクエストや安心したいがための発言は避ける。
これがわたし側のやるべきこと。
ただ、ごく稀に変化球を駆使したほうがいい場合もある。
次回は、その稀な事例のお話を^^
って思うとね、わたしたち的上下にとってブログは有効なツールだなと改めて思う。
わたしの喜びをこれでもかってほど伝えて(笑)
ブログを書く大義名分のもと那智さんの感想も聞ける(笑)
情報共有にはうってつけだ。
だから、ブログは素直に綴りたい、とも思うのです。
<関連エントリー>
紅を差す
「いつかその気になったら」
「いつか」
「等式」感想です。りん子は受け身だけれど色々な方法で能動的に考えている。行動が受動的だからと言って心まで受動的になる必要はない。そして、いつもニュートラルなお互いの心を大事にしている。関連エントリー「紅を差す」も私が好きな話です。
わたしのような受け身の側は主導権を握るする側のよいようにが一番の幸福ではあるけれど、する側に『したい』と思わせるのは役割りではあるし、また、してほしいことをしてもらうための努力も可能ではある。
『紅を差す』なんてエントリーにも書いたように案外あれこれやれるもので、長いお付き合いを経て、那智さんとの間で有効なやり方を会得してきている。
ほぼ完全に性的場面で主導していて、飽きないように手を替え品を替えしたいしたい人で、意識したらしないという若干天の邪鬼気味な那智さんにのみ有効かと思うけど、今日はわたしの会得したやり方をいくつか披露(笑)
まず、よく書いているけど、好きな女を喜ばせたい可愛がりたいのだからわたしはうれしいこと気持ちよかったことなどのプラスの感情を惜しみなく表現する。
もちろんウソはよくないけど、プライドや照れ臭さなどは捨ててとにかく素直に素直に大喜びをするのだ。
そうすると、こういうことで喜ぶんだとか、またやってあげようと思ってくれるらしい。
これは大事な基本仕様。
注意点として、うれしいことはたくさん伝えても『またやってほしい』というリクエストあまり頻繁に表現しないほうがいい。
なぜなら、那智さんは自分主導でいたいからだ。
『してほしい』をリクエストされると、まるでわたしの言った通りにしているみたいでつまらないのだろう(笑)
できるだけ、わたしとの性行為を『自然な』心境で行いたいから、りん子にやってほしいって言われたから、それをそのままやるのは那智さんにとっては意識している=不自然になるのだ。
なので、意識したらしないという選択をすることが圧倒的に多くなるのでダメ。
仮にしたとしても、そのままをするのは俺もりん子もつまらないと思うのだろう、そのままというのはなくて、たいがい拍車がかかって大変なことになるから、やっぱりダメ(笑)
天の邪鬼といってしまえば、そうだけど、わたしの『してほしい』をそのままするのはふたりにとって不自然であり、主導権がどちらにあるかが明確なわたしたちにとってはふさわしくないことなのだ。
たまになら問題ないので、そのときは『いつかその気になったら』のひと言をつけて言う。
そして、もうひとつ案外NGなのは『那智さんの感想を聞く』ことだったりする。
完全にする側任せだとする側のテンションに大きく左右されるので、受け身側はつい感想を聞きたくなるもの。
感想が好感触ならまたやってくれるかもしれないと安心できるし、あられもない姿を見せたものとしては、そんな姿も大丈夫と言ってほしい気持ちもあるからだ。
だからつい後日『那智さん、この前のあれはどうでしたか?』とか『またやりたいと思います?』なんて聞いてしまいがちだけど、あるとき、これはよろしくないと気づいた。
どうやら、性行為において、那智さんの心境を聞くことは、おそらく那智さんにとっては『してほしい』と同じように、意識してしまうことに繋がるようだ。
聞かれれば聞かれるほど、その行為を意識してしまって、どんどんやろうという気持ちが遠ざかるのではないかなと想像している。
那智さんが主導権を握っているのだから、受け身のわたしが那智さんの心境をあれこれ聞く必要はないと感じるのだろう。
また、わたしの無意識の安心したい気持ちを読み取って『俺のこと信頼してないの?』という気持ちにもなるのだろう。
長年のやり取りで、たぶん、これもやってはいけないことなのだとあるとき気づいたので、それからは那智さんはどうでした?とは聞かないようにしている。
ただ、ブログに書くためのインタビューや感想を書いてもらうのは大義名分があるから大丈夫みたい^^
これは、わたしの苦肉の策だったりもするのだ(笑)
那智さん曰く。
主導権を握っているものの自負として、俺の心境なんて考えないほどりん子自身が満たされていないといけないんだって。
と、概ね、わたしはわたしの素直な感情だけを伝え、『こうしてほしい』という明らかなリクエストや安心したいがための発言は避ける。
これがわたし側のやるべきこと。
ただ、ごく稀に変化球を駆使したほうがいい場合もある。
次回は、その稀な事例のお話を^^
って思うとね、わたしたち的上下にとってブログは有効なツールだなと改めて思う。
わたしの喜びをこれでもかってほど伝えて(笑)
ブログを書く大義名分のもと那智さんの感想も聞ける(笑)
情報共有にはうってつけだ。
だから、ブログは素直に綴りたい、とも思うのです。
<関連エントリー>
紅を差す
「いつかその気になったら」
「いつか」
「等式」感想です。りん子は受け身だけれど色々な方法で能動的に考えている。行動が受動的だからと言って心まで受動的になる必要はない。そして、いつもニュートラルなお互いの心を大事にしている。関連エントリー「紅を差す」も私が好きな話です。
COMMENT
このコメントは管理人のみ閲覧できます