危機管理能力part3
独特な幸福感
穏やかな昼下がり。
チャットの発言を知らせる音に目を向けると
露出関係するか!
と、なんの脈絡もなく1行。
まるで「夕飯、中華にするか!」というようなテンション。
内容とテンションのギャップに戸惑いつつ
突然、どうされました?
とお返事を返すと
やりたいと思ったから(笑)
◯◯公園で四つ足リード散歩
と目眩がするような提案。
そこから話は最近やりたいと思っている露出になっていく。
四つ足リード散歩でマーキングとか!!(ひえーーー)
おしっこじゃない大のほうでおもらしとか!!(ひえーーーー)
この日は『わんこ』をやりたいが先になったけど、どうやら最近の想像としては『大のおもらし』という恐ろしいものがメインだったよう。
いや、あり得ないです、お外でうんこなんて!!
ここからわたしの危機管理スイッチが入る。
外で排泄…。
おしっこの経験はある、そのときは足をつたい多少靴とアスファルトを濡らした。
ただ夏場が多かったから少量の液体は思いのほか早く蒸発したし、道の端だったからそれほど迷惑にもならなかったと思っている。
でも、うんこだったら、見た目はもちろん匂いだってあるわけだし排泄物だと一目瞭然。
外に出すわけにはいかない。
そういう場合の危機回避。
いろいろ否定や拒否をしたら逆効果(笑)
だから「無理」とか「ダメ」とかは言ってはいけないのだ。
オムツで、ですよね。
こんなふうに望む答えを半ば決まったことのように発言してみるのだ!!
パンツだけでね〜
ああ、回避失敗。
続いての回避作戦は『気持ち的には否定していないんだけど、物理的に問題あり』を示す。
汚れてしまいます!!
恥ずかしいと同等もしくはそれ以上に迷惑がかかることをとにかく避けたい気持ちが強い。
おしっこをおもらししたときの記憶が洋服や道を汚しホテルや通行人に迷惑がかかることを想像して、なんとかそれは回避したいと必死に危機管理能力が働きまくる。
お洋服とか道とか!!
矢継ぎ早に打ち出されるわたしの文字の隙間を縫うように
着替え持参かな
と恐ろしい文字。
ひーーー、着替え!!と、あわあわして、もっともっと『問題あり』を提示しなければと必死になる。
の、次に
公園を
の文字。
それが視界に入りながらも早打ちは止まらない。
わたしのはやわらかいから道も汚しそうです;;
んん?
いま「公園を」と表示されました?
考えていたのだけど
…公園を考えていた…?
あああ、道じゃないのですね、道じゃないのですね!!!!
公園を考えていたけれど、道にしよう!!
ああ、那智さんはやはり外でうんこを漏らす非常識は考えてくれていた。
いや、もちろん公園だって非常識なことはわかっている。
だけど、草むらのほうとかだったり土をかぶせたりして野良犬の糞と同じくらいの非常識に止めておくつもりだった。
だから、那智さんの想像には『公園』しかなかったはずなのだ。
なんだ〜、りん子、道でしたかったんだ〜(笑)
違います、違います!!
おしっこの経験から、最悪を想像して、それを回避する思考が働いたから『道』が登場してしまっただけなのです!!
いや〜、りん子がそういうなら道も考えないとね〜
ああ、わたしの危機管理能力はまたもや那智さんの想像を上回り選択肢を広げて差し上げてしまった…。
那智さんの施すことにわたしはたくさんたくさん翻弄される。
それはこの上ない幸福ではあるけれど、それはかなりギリギリのラインを歩き、ときにはただ痛いだけとか苦しいだけとかのやりすぎ状態になることもある。
(それでも、その先にだいたい幸福にはしてもらえるんだけど、その事実だけ見たら失敗に近いこともあるのね^^;)
そうなると、新たな場面に出くわすとインプットされたそこにまずフラッグが立って、それを基準に危機管理がはじまってしまうのだ。
結果、那智さんの実現可能な計画のほんの少し先を行ってしまい、「りん子、そうしたかったんだね〜」とお楽しみを増やして差し上げてしまうことになる。
那智さんのギリギリの翻弄とわたしの危機管理能力の相乗効果が、なんだか、わたしたちの『やりたいこと』をいつまでも増やし続けてくれているのかもしれない^^;
ところで。
『道』であわあわしているわたしに
まあ、道は難しいね^^
と却下されて、なんていうか、まるでわたしがおねだりしたような空気になってしまったのは、ちょっぴり不本意(笑)
<関連エントリー>
『危機管理能力』
『危機管理能力part2』
おもらしも^^
『お散歩の理由2』
『制服とおもらし3』
『選ばせてあげる5』
『おもらし』
『那智さん大暴走1』
おしっこじゃないほうも…
『一番困ったこと1 2 3』
「等式」感想です。そうそう、最後の下り、「不本意なのです。」これが好きだ。りん子が私の行動を予測したことがいつの間にかりん子の欲望、願望にすりかわる。会話の中で想像し、言葉に出すことで確立した欲情は成長する。
自分自身が困りたいりん子に普通に困らせても面白くない。私が直接困らせるのではなく、りん子自身の欲情を煽ることで困らせる(イコール欲情を満たす)方が私の満足度は高い。
りん子(^-^)感想を読んで手前味噌ですけど、那智さんの楽しみ方ってけっこう高度な気がする。たとえば『命令して行動させる』みたいな羞恥心をあおる行為より、複雑で当たり外れもあったりするわけで。でも、このやり取りこそが領域を広げ飽きないで続けられる要因なのかもしれませんね。
穏やかな昼下がり。
チャットの発言を知らせる音に目を向けると
露出関係するか!
と、なんの脈絡もなく1行。
まるで「夕飯、中華にするか!」というようなテンション。
内容とテンションのギャップに戸惑いつつ
突然、どうされました?
とお返事を返すと
やりたいと思ったから(笑)
◯◯公園で四つ足リード散歩
と目眩がするような提案。
そこから話は最近やりたいと思っている露出になっていく。
四つ足リード散歩でマーキングとか!!(ひえーーー)
おしっこじゃない大のほうでおもらしとか!!(ひえーーーー)
この日は『わんこ』をやりたいが先になったけど、どうやら最近の想像としては『大のおもらし』という恐ろしいものがメインだったよう。
いや、あり得ないです、お外でうんこなんて!!
ここからわたしの危機管理スイッチが入る。
外で排泄…。
おしっこの経験はある、そのときは足をつたい多少靴とアスファルトを濡らした。
ただ夏場が多かったから少量の液体は思いのほか早く蒸発したし、道の端だったからそれほど迷惑にもならなかったと思っている。
でも、うんこだったら、見た目はもちろん匂いだってあるわけだし排泄物だと一目瞭然。
外に出すわけにはいかない。
そういう場合の危機回避。
いろいろ否定や拒否をしたら逆効果(笑)
だから「無理」とか「ダメ」とかは言ってはいけないのだ。
オムツで、ですよね。
こんなふうに望む答えを半ば決まったことのように発言してみるのだ!!
パンツだけでね〜
ああ、回避失敗。
続いての回避作戦は『気持ち的には否定していないんだけど、物理的に問題あり』を示す。
汚れてしまいます!!
恥ずかしいと同等もしくはそれ以上に迷惑がかかることをとにかく避けたい気持ちが強い。
おしっこをおもらししたときの記憶が洋服や道を汚しホテルや通行人に迷惑がかかることを想像して、なんとかそれは回避したいと必死に危機管理能力が働きまくる。
お洋服とか道とか!!
矢継ぎ早に打ち出されるわたしの文字の隙間を縫うように
着替え持参かな
と恐ろしい文字。
ひーーー、着替え!!と、あわあわして、もっともっと『問題あり』を提示しなければと必死になる。
の、次に
公園を
の文字。
それが視界に入りながらも早打ちは止まらない。
わたしのはやわらかいから道も汚しそうです;;
んん?
いま「公園を」と表示されました?
考えていたのだけど
…公園を考えていた…?
あああ、道じゃないのですね、道じゃないのですね!!!!
公園を考えていたけれど、道にしよう!!
ああ、那智さんはやはり外でうんこを漏らす非常識は考えてくれていた。
いや、もちろん公園だって非常識なことはわかっている。
だけど、草むらのほうとかだったり土をかぶせたりして野良犬の糞と同じくらいの非常識に止めておくつもりだった。
だから、那智さんの想像には『公園』しかなかったはずなのだ。
なんだ〜、りん子、道でしたかったんだ〜(笑)
違います、違います!!
おしっこの経験から、最悪を想像して、それを回避する思考が働いたから『道』が登場してしまっただけなのです!!
いや〜、りん子がそういうなら道も考えないとね〜
ああ、わたしの危機管理能力はまたもや那智さんの想像を上回り選択肢を広げて差し上げてしまった…。
那智さんの施すことにわたしはたくさんたくさん翻弄される。
それはこの上ない幸福ではあるけれど、それはかなりギリギリのラインを歩き、ときにはただ痛いだけとか苦しいだけとかのやりすぎ状態になることもある。
(それでも、その先にだいたい幸福にはしてもらえるんだけど、その事実だけ見たら失敗に近いこともあるのね^^;)
そうなると、新たな場面に出くわすとインプットされたそこにまずフラッグが立って、それを基準に危機管理がはじまってしまうのだ。
結果、那智さんの実現可能な計画のほんの少し先を行ってしまい、「りん子、そうしたかったんだね〜」とお楽しみを増やして差し上げてしまうことになる。
那智さんのギリギリの翻弄とわたしの危機管理能力の相乗効果が、なんだか、わたしたちの『やりたいこと』をいつまでも増やし続けてくれているのかもしれない^^;
ところで。
『道』であわあわしているわたしに
まあ、道は難しいね^^
と却下されて、なんていうか、まるでわたしがおねだりしたような空気になってしまったのは、ちょっぴり不本意(笑)
<関連エントリー>
『危機管理能力』
『危機管理能力part2』
おもらしも^^
『お散歩の理由2』
『制服とおもらし3』
『選ばせてあげる5』
『おもらし』
『那智さん大暴走1』
おしっこじゃないほうも…
『一番困ったこと1 2 3』
「等式」感想です。そうそう、最後の下り、「不本意なのです。」これが好きだ。りん子が私の行動を予測したことがいつの間にかりん子の欲望、願望にすりかわる。会話の中で想像し、言葉に出すことで確立した欲情は成長する。
自分自身が困りたいりん子に普通に困らせても面白くない。私が直接困らせるのではなく、りん子自身の欲情を煽ることで困らせる(イコール欲情を満たす)方が私の満足度は高い。
りん子(^-^)感想を読んで手前味噌ですけど、那智さんの楽しみ方ってけっこう高度な気がする。たとえば『命令して行動させる』みたいな羞恥心をあおる行為より、複雑で当たり外れもあったりするわけで。でも、このやり取りこそが領域を広げ飽きないで続けられる要因なのかもしれませんね。
カウントダウン17
独り言
前ブログから『等式』に引越しをしたとき、ブログをはじめたときから変わらず一番上に『はじめまして』が来るように設定した。
(これも2006年にブログ開設するにあたって、読みやすいようにと那智さんが決めてくれたんだよね)
『はじめまして』が常に一番上に来るようにするには日付けを未来にしておく必要がある。
2011年6月のこと。
だから2012年にしてもいいし、2011年7月でもとりあえずはかまわない。
でも、まあ、実際のところ、その日が来たらまた設定し直さないといけないわけで、それなりに遠い未来にしておくほうが賢明ではある。
でもって、ぜんぜん拘りがあるわけではないけど、なんとなく区切りのいい数字のほうが気持ちがいい。
じゃあ、2020年?
いや、そうなると、当時でいうとあと9年ということになるよね。
どれだけ続けられるかわからないけど、一桁の未来って意外とすぐな感じもするし、なんだか終わりを見据えているようで、ちょっと味気ないかなと思えたのでやめた。
そしたら、プラス10ということで2030年。
だから『はじめまして』のエントリーは2030年に設定することにした。
先日、なにかの拍子にその年の話が話題になった。
じゃあ、『等式』は2030年までは続けることに決まりね(笑)
と、決定事項を告げられてしまった!!
いや、いつまで続けるか、じつはわたしもまったく考えていなくてただ漠然と『ずっと』と思っていただけなので、そこで目安を示されても『ずっと』とさほど変わらないのだけど。
はっきりとあと17年!!と決定されると、思わずめまいが…。
最初に書いたような2030年にした気持ちの経緯をお話ししてみるけど
その日付けにしたってことは、そう想像できたからだよね(笑)
と取りつく島もない^^;
ということで『等式』は2030年まで続けることが那智さんの指示により決定いたしました!!
あと17年…。
あうう、それは大変なことだ…。
ああ、でも、そういうことに那智さんが決めたので、そういうことなのだ(笑)
できるか、わたし!?
そのうちネタがなくなって『りん子の献立日記』とかになるかもしれないし、一日置きじゃなくて週イチ更新とかになってしまうかもしれないけど、おそらく「ネタないです〜」「書く気が起きない;;」の愚痴にもちゃんとお付き合いくださる覚悟の上の決定だと思います。
なので、わたしもそれに従い楽しく充実した気持ちで(ここ大事)続けていくことになりました^^
どうなるかわからないけど、とにかく、楽しく続けよう!!
2006年6月13日に『薬指の刺青』をはじめて2011年6月13日に『等式』に引越しして、ぜんぶひっくるめて満7才になりました。
8年目に突入します^^
ひさしぶりに旧タイトルを打ち懐かしく思うと共に『等式』も板についてきたなとうれしく感じます。
旧ブログ時代から読んでくださっている方。
新しく読みはじめてくださった方。
読み続けてくれてありがとう。
全部読んだよって教えてくださる方には感謝で、好みのカテゴリがある方にも感謝。
見に来てくださる方がいるから続けられました。
わたし自身が年を取るように『等式』の内容も変化してきています。
好みはいろいろあると思うけど、それでも
みなさんが読んでくれること
コメントをくれること
拍手を残してくれること
メールで感想を聞かせてくれること
どれも、わたしのパワーになります。
ありがとうございます。
どうか、2030年まで続けるためのパワーをときどきわたしにくださいね^^
那智さん。
いつもわたしにたくさんの楽しい思いや驚きや快感、たまーに「それはいや!!」を与えてくださってありがとうございます。
最近はお忙しい中、感想もお願いしていてとてもうれしいです。
いつも書いてしまうけど、『等式』はわたしが書いていますが那智さんは一緒に作ってくれています。
2030年まで、たくさんの思いを共有して『等式』を一緒に作ってくださいね^^
ああ、そのうち『老女のSM日記』なんてのになって、老体に優しいSMなんてカテゴリ作れるかも!?
なにはともあれ、7周年、ありがとうございました!!
これからもよろしくお願いします^^
で、7周年記念にランキングに登録してみました^^
残り17年に向けての楽しみ第一弾?ということで!!
いつまで続けるかわからないけど、ちょっと楽しんでみようと思いますので、ご協力お願いします♪
クリックしていただけるとよろこびます^^
<関連エントリー>
過去の周年エントリーです^^
『胸いっぱいの』
『2周年です』
『hotに3周年御礼』
『薬指なう^^』
『薬指にキスをして』
『6周年の告白と30万』
「等式」感想です。りん子何時もながら更新お疲れ様。我々は誕生日、クリスマスなどはあまり気にしない。しかし、りん子は「等式開設日」と出会った関係記念日(初めて話した日、初めて会った日)は大事にしてくれる、世の動きにはさほど関心がなくとも、これを尊重されるのは少し恥ずかしいが嬉しい。
りん子(^-^)たしかに、那智さんの感想の通り、誕生日やクリスマスのイベントごとにはあまり関心ないけど、ブログ開始や出会った日などには重点をおきますね。なぜかかなぁ、『ふたり』のことだから、ですかね。
前ブログから『等式』に引越しをしたとき、ブログをはじめたときから変わらず一番上に『はじめまして』が来るように設定した。
(これも2006年にブログ開設するにあたって、読みやすいようにと那智さんが決めてくれたんだよね)
『はじめまして』が常に一番上に来るようにするには日付けを未来にしておく必要がある。
2011年6月のこと。
だから2012年にしてもいいし、2011年7月でもとりあえずはかまわない。
でも、まあ、実際のところ、その日が来たらまた設定し直さないといけないわけで、それなりに遠い未来にしておくほうが賢明ではある。
でもって、ぜんぜん拘りがあるわけではないけど、なんとなく区切りのいい数字のほうが気持ちがいい。
じゃあ、2020年?
いや、そうなると、当時でいうとあと9年ということになるよね。
どれだけ続けられるかわからないけど、一桁の未来って意外とすぐな感じもするし、なんだか終わりを見据えているようで、ちょっと味気ないかなと思えたのでやめた。
そしたら、プラス10ということで2030年。
だから『はじめまして』のエントリーは2030年に設定することにした。
先日、なにかの拍子にその年の話が話題になった。
じゃあ、『等式』は2030年までは続けることに決まりね(笑)
と、決定事項を告げられてしまった!!
いや、いつまで続けるか、じつはわたしもまったく考えていなくてただ漠然と『ずっと』と思っていただけなので、そこで目安を示されても『ずっと』とさほど変わらないのだけど。
はっきりとあと17年!!と決定されると、思わずめまいが…。
最初に書いたような2030年にした気持ちの経緯をお話ししてみるけど
その日付けにしたってことは、そう想像できたからだよね(笑)
と取りつく島もない^^;
ということで『等式』は2030年まで続けることが那智さんの指示により決定いたしました!!
あと17年…。
あうう、それは大変なことだ…。
ああ、でも、そういうことに那智さんが決めたので、そういうことなのだ(笑)
できるか、わたし!?
そのうちネタがなくなって『りん子の献立日記』とかになるかもしれないし、一日置きじゃなくて週イチ更新とかになってしまうかもしれないけど、おそらく「ネタないです〜」「書く気が起きない;;」の愚痴にもちゃんとお付き合いくださる覚悟の上の決定だと思います。
なので、わたしもそれに従い楽しく充実した気持ちで(ここ大事)続けていくことになりました^^
どうなるかわからないけど、とにかく、楽しく続けよう!!
2006年6月13日に『薬指の刺青』をはじめて2011年6月13日に『等式』に引越しして、ぜんぶひっくるめて満7才になりました。
8年目に突入します^^
ひさしぶりに旧タイトルを打ち懐かしく思うと共に『等式』も板についてきたなとうれしく感じます。
旧ブログ時代から読んでくださっている方。
新しく読みはじめてくださった方。
読み続けてくれてありがとう。
全部読んだよって教えてくださる方には感謝で、好みのカテゴリがある方にも感謝。
見に来てくださる方がいるから続けられました。
わたし自身が年を取るように『等式』の内容も変化してきています。
好みはいろいろあると思うけど、それでも
みなさんが読んでくれること
コメントをくれること
拍手を残してくれること
メールで感想を聞かせてくれること
どれも、わたしのパワーになります。
ありがとうございます。
どうか、2030年まで続けるためのパワーをときどきわたしにくださいね^^
那智さん。
いつもわたしにたくさんの楽しい思いや驚きや快感、たまーに「それはいや!!」を与えてくださってありがとうございます。
最近はお忙しい中、感想もお願いしていてとてもうれしいです。
いつも書いてしまうけど、『等式』はわたしが書いていますが那智さんは一緒に作ってくれています。
2030年まで、たくさんの思いを共有して『等式』を一緒に作ってくださいね^^
ああ、そのうち『老女のSM日記』なんてのになって、老体に優しいSMなんてカテゴリ作れるかも!?
なにはともあれ、7周年、ありがとうございました!!
これからもよろしくお願いします^^
で、7周年記念にランキングに登録してみました^^
残り17年に向けての楽しみ第一弾?ということで!!
いつまで続けるかわからないけど、ちょっと楽しんでみようと思いますので、ご協力お願いします♪
クリックしていただけるとよろこびます^^
<関連エントリー>
過去の周年エントリーです^^
『胸いっぱいの』
『2周年です』
『hotに3周年御礼』
『薬指なう^^』
『薬指にキスをして』
『6周年の告白と30万』
「等式」感想です。りん子何時もながら更新お疲れ様。我々は誕生日、クリスマスなどはあまり気にしない。しかし、りん子は「等式開設日」と出会った関係記念日(初めて話した日、初めて会った日)は大事にしてくれる、世の動きにはさほど関心がなくとも、これを尊重されるのは少し恥ずかしいが嬉しい。
りん子(^-^)たしかに、那智さんの感想の通り、誕生日やクリスマスのイベントごとにはあまり関心ないけど、ブログ開始や出会った日などには重点をおきますね。なぜかかなぁ、『ふたり』のことだから、ですかね。
宿命的な贅肉
独り言
年と共に贅肉の付き方が変わってきている。
まだ30代の頃、年上の美容師さんが「年を取ると体重は増えなくてもお腹にお肉がつく^^;」と言っていた。
細身の彼女の細身のデニムとはアンバランスな下腹部が、それを物語っていた。
そのときの彼女と同じくらいの年齢になり、たしかに体重とか関係のない『肉』が下腹部を覆うようになってきて、ああ、わたしもそういう年齢になったのだなと諦めと若干の誇りのような不思議な気持ちになる。
記憶が定かではないけれど、中山可穂さんは小説の中で年上の恋人の下腹部を『宿命的な贅肉』と表現し美しさ(と、おそらく少しの哀愁)の魅力として描いていたし、那智さんも、実はガリガリに痩せているより、ちょっと肉惑的なのもいいと言っているので、このふくらみは大人の特権だと思うようにしている(笑)
ただ、食べ飲み大好き、運動キライ、腹筋って何?な人間なので、放っておくと、ここから先はこの宿命の贅肉の独壇場になりかねないので、多少はこちらがコントロールしよう。
那智さんも下腹部のふくらみはある程度キライじゃないはずで、むしろ、それよりウエストのラインを重視されるので、それならばコイツを凹ませるよりウエストをくびれさせることにした(それはそれで難しいけど^^;)
宿命的な贅肉と上手にお付き合いするのも、大人の証^^
まあ、直接ウエストに大きな影響を与えるわけではないけれど年齢とともに体力も衰えるし、いい季節になってきたし、意識してウォーキングにも出かけるようにしよう。
そんなわけで、桜が散り出した春の日、すこし遠くにある大型インテリア屋まで雑貨を見に繰り出した。
街道沿いの歩道はあまり広くない。
ガードレールの内側をさくさく、大股で歩いているとすこし先に小学2、3年生くらいの男の子が歩いていた。
習い事に行くのだろうか、大きめのカバンを肩に担いで。
それなりの速さで歩いているとはいえ、所詮子供のスピードは早歩きの大人のそれとは違う、あっという間に追いついてしまった。
ちょうどガードレールが途切れるポイントですこし膨らむようにして追い抜いた。
なんともない日常の一幕のはずだったんだけど、それで終わりにならなかったのは、すぐ、その子がものすごい勢いでわたしを追い抜いていったからだった。
遅刻しそうだからとか信号を渡りたいとか、そういう理由ではなくて、明らかに抜かす意思を持った早歩きだった。
あらら、どうしちゃったんだろう?
ほとんど小走りでわたしを追い抜き、その勢いで距離を取ったからまた彼はすこし遠くなった。
しかし、ここは緩やかな上り坂、しかも子供の意思なんてすぐ緩む、距離を取ったことが確認できたらふうっとスピードが落ちる。
で、ハッと気づいたように後ろをチラッと見て、また小走りに近い早歩きを始める。
そんなことを繰り返しているうちに、普通に大股で歩く大人のわたしなんてなんなく追いつくわけだ。
徐々に近づくわたしをチラチラ振り返る少年。
なんだろ?負けず嫌いな子なのなかぁ。
あんまりわかりやすいんでちょっぴり意地悪な気持ちが湧いてきて、わたしもほんのすこし歩幅を大きくしてみた。
あっという間に、もうあと一歩で真後ろというところまできた。
そして、そのままのスピードを保つ、離れも抜かしもしないでプレッシャーを与えてみようか?(笑)
10歩くらいかな。
ふと、自分の小さい頃を思い出す。
子供の頃って、根拠のないマイルール作るよね。
横断歩道の白いところだけ歩くとか、電信柱から電信柱まで息止めるとか、白のビートル見たらラッキーとか(これはマイルールじゃないね、当時流行っていた遊び^^)
それを遂行したからってなんの褒美もペナルティもないのだけどなんだか必死だったし、でも、できてもできなくてもすぐ忘れてしまうもの。
本人にとって重大で他愛ないルール。
この子もいまそれの最中だったりして?
習い事のお教室に行くまでに誰にも抜かされなかったらラッキー。
もしかしたら、今日はみんなの前でピアノの発表をするから願かけをしているかもしれない。
そんなふうに思ったら、プレッシャー与える意地悪も、いずれ抜かしてしまうのもかわいそうになってきてしまった。
でも、明らかに彼の早歩きの持久力は衰えてきている(きっと鬼ごっこの持久力とは違うんだ^^)、このまま後ろをノコノコついていくのはウォーキングに出かけたわたしの本意ではない。
しかたないなぁ。
ちょうど横断歩道があったから、そこを横切り反対側の歩道に行き、なんなく彼を追い越した。
彼は願かけが遂行できたし、わたしもウォーキングの続きができた。
那智さんだったら『社会の厳しさを教えないと(笑)』なんておっしゃるかしら。
でも、大人は自分はほんのすこし無理をして、子供に譲り、なおかつ自分の目的もちゃんと果たすもの、ですよね?(笑)
なんだか、わたし、大人じゃんといい気分でウォーキングを続けた。
さて、インテリアや雑貨大好きのわたしは終止目がハートになりながらいくつか雑貨を買う。
ちょうどお昼時だったから那智さんとお電話でつながりながら、あれもこれも素敵!!でも物を増やすのキライの買い物に関してとても面倒な性格にわたしはあれこれ迷って興奮気味、「必要かどうかじゃなくて、欲しいもので選んだら?」と楽しいお買い物の極意を伝授してくれたりして、そろそろ帰る時間になった。
お昼休憩も終わり那智さんとおしゃべりも終了してシャトルバスの乗り場まで行く。
ここはとても不便な場所にあるから最寄り駅まで無料でシャトルバスが出ているから、帰りはそれで帰るつもりだったのだ。
次のバスまで7、8分というところ。
乗り場に行くと、ひとり白髪まじりのおじさんが先に長椅子に腰かけていた。
そのおじさん、数mある長椅子の先頭から1、5mほどの中途半端な位置にいる。
人を見かけで判断してはいけないことはわかっているのだけど、このおじさん、どう見てもこの家具屋を見に来たようには見えない。
もしかしたら、この辺りに住んでいて便利な足としてこれを利用しているのかな。
わたしはよく酔っぱらいに絡まれるのだけど、それと似た空気も感じられて、ちょっと苦手な気持ちになっていた。
まあ、誰もいないし、平日のお昼でそんなに混まないだろうから、その位置にいるのかなぁと思いつつ、わたしもちょっぴり距離を置いて2番目として腰かけた。
下を向き、スマホでブログチェックしているうちに3番目の人が腰かけたのが視界に入り、それをきっかけにすこしおじさんのほうにズレた。
おじさんも、その動きでもっと前に詰めてくれるかなと、無意識に期待しながら。
まあ、結局動かなかったのだけど、もうあと2、3分でバス来るだろうしちょっとスマホに夢中になってしまっていて、女性の声で我に返った。
おじさん、後ろ座れないから詰めて
西のほうのイントネーションをわずかに感じる声、反射的に顔を上げるとベビーカーを押した若いママだった。
ふと見ると、いつの間にか長椅子いっぱいに人が並び、座れない人も数人いた。
わあ、気づかなかった。
おじさんはその後、ちょっととんちんかんなことをママに言い、2、3やり取りをしてすんなり先頭を詰めた。
わたしは自分が情けなくて、恥ずかしかった。
ここがこれくらい混むことを知らなかった、スマホに夢中になっていて一瞬周囲を意識していなかった、すぐバスは来るから立っていても大した時間じゃない、でも、もし仮に混むと知っていたら、もし座れない人がいるとわかったら、もし、バスまで時間があったら、わたしはそのおじさんに詰めましょうって言えただろうか。
ちょっと苦手なタイプのおじさんだったからというのは言い訳だな、きっとどんな人でも言えなかった。
そして、何より。
そのママさんは、その行為をごく普通の立ち位置でしていた、正義を振りかざすでもなく、一大決心しているわけでもなく、逆に下手に出て媚を売るわけでもなく、普通に。
そのフラットなスタンスで人に接する、言いにくいことを言える。
わたしができないことを普通のテンションでしていた彼女、まるで、わたしまで『詰めようね』って言われているみたいで、情けなかった^^;
人に親切にできるのは大人だ。
だけど、言いにくいことを言う、しかも正義を振りかざすわけでも遜るわけでもなく、普通にできることはもっと大人なのかもしれない。
まあ、人の『善』はいろいろなのでわたしはわたしの『善』をしていくしかないんだけど、その前に少年に対して悦に入っていた自分がちょっと恥ずかしかった^^;
大人もいろいろだ。
ところで、このお話をバスに乗ってから那智さんにチャットでお話したら
俺だったら、最初からじいさんの前に座る(笑)
と、日頃すごーく大人な那智さんの那智さんらしいお答えが返ってきて、やっぱり大人もいろいろだと思うのでした^^
クリックしていただけるとよろこびます^^
「等式」感想です。話としては、子供との競争とベンチでした。大人とはのりん子から問いのような気がしますが、そもそも「大人としての行動」は偉いのか、好きなのか、ねばならないのかが難しい。
過去ならば、周りを意識し、人に迷惑を掛けるような老人はいなかったろう、存在するとしたら呆けているので、優しく教えてあげようとか、私のように、老人より前に座っても、ベンチの座り順は関係なく最初に案内してあげるとかしなたと思う。
しかし、現在の呆けていない老齢者の見識や社会的な存在において価値が下がり、大人の最終としての老人を尊敬する気持ちが無くなった時、「大人」とは何ぞやの疑問が湧き上がるのだと思う。
私は呆けていない老齢者は社会的に常に尊敬できる対象であって欲しいし自分はそうありたいと思う。
人に迷惑を掛けない「恥の文化」を継承したいと思う。と、立派なことを考えるが繁華街でりん子にリードをつけて歩かせる時点で発言する資格はないのかな?暴論にお付き合いいただきありがとうございます。
そして、批判的、断定的な物言いごめんなさい。反省はしているのですがこれくらい書かないとインパクトが無いと思い書いてみました。最初読んだ時はそれほど深く考えませんでしたがとても奥が深く読むことが出来ました。
年と共に贅肉の付き方が変わってきている。
まだ30代の頃、年上の美容師さんが「年を取ると体重は増えなくてもお腹にお肉がつく^^;」と言っていた。
細身の彼女の細身のデニムとはアンバランスな下腹部が、それを物語っていた。
そのときの彼女と同じくらいの年齢になり、たしかに体重とか関係のない『肉』が下腹部を覆うようになってきて、ああ、わたしもそういう年齢になったのだなと諦めと若干の誇りのような不思議な気持ちになる。
記憶が定かではないけれど、中山可穂さんは小説の中で年上の恋人の下腹部を『宿命的な贅肉』と表現し美しさ(と、おそらく少しの哀愁)の魅力として描いていたし、那智さんも、実はガリガリに痩せているより、ちょっと肉惑的なのもいいと言っているので、このふくらみは大人の特権だと思うようにしている(笑)
ただ、食べ飲み大好き、運動キライ、腹筋って何?な人間なので、放っておくと、ここから先はこの宿命の贅肉の独壇場になりかねないので、多少はこちらがコントロールしよう。
那智さんも下腹部のふくらみはある程度キライじゃないはずで、むしろ、それよりウエストのラインを重視されるので、それならばコイツを凹ませるよりウエストをくびれさせることにした(それはそれで難しいけど^^;)
宿命的な贅肉と上手にお付き合いするのも、大人の証^^
まあ、直接ウエストに大きな影響を与えるわけではないけれど年齢とともに体力も衰えるし、いい季節になってきたし、意識してウォーキングにも出かけるようにしよう。
そんなわけで、桜が散り出した春の日、すこし遠くにある大型インテリア屋まで雑貨を見に繰り出した。
街道沿いの歩道はあまり広くない。
ガードレールの内側をさくさく、大股で歩いているとすこし先に小学2、3年生くらいの男の子が歩いていた。
習い事に行くのだろうか、大きめのカバンを肩に担いで。
それなりの速さで歩いているとはいえ、所詮子供のスピードは早歩きの大人のそれとは違う、あっという間に追いついてしまった。
ちょうどガードレールが途切れるポイントですこし膨らむようにして追い抜いた。
なんともない日常の一幕のはずだったんだけど、それで終わりにならなかったのは、すぐ、その子がものすごい勢いでわたしを追い抜いていったからだった。
遅刻しそうだからとか信号を渡りたいとか、そういう理由ではなくて、明らかに抜かす意思を持った早歩きだった。
あらら、どうしちゃったんだろう?
ほとんど小走りでわたしを追い抜き、その勢いで距離を取ったからまた彼はすこし遠くなった。
しかし、ここは緩やかな上り坂、しかも子供の意思なんてすぐ緩む、距離を取ったことが確認できたらふうっとスピードが落ちる。
で、ハッと気づいたように後ろをチラッと見て、また小走りに近い早歩きを始める。
そんなことを繰り返しているうちに、普通に大股で歩く大人のわたしなんてなんなく追いつくわけだ。
徐々に近づくわたしをチラチラ振り返る少年。
なんだろ?負けず嫌いな子なのなかぁ。
あんまりわかりやすいんでちょっぴり意地悪な気持ちが湧いてきて、わたしもほんのすこし歩幅を大きくしてみた。
あっという間に、もうあと一歩で真後ろというところまできた。
そして、そのままのスピードを保つ、離れも抜かしもしないでプレッシャーを与えてみようか?(笑)
10歩くらいかな。
ふと、自分の小さい頃を思い出す。
子供の頃って、根拠のないマイルール作るよね。
横断歩道の白いところだけ歩くとか、電信柱から電信柱まで息止めるとか、白のビートル見たらラッキーとか(これはマイルールじゃないね、当時流行っていた遊び^^)
それを遂行したからってなんの褒美もペナルティもないのだけどなんだか必死だったし、でも、できてもできなくてもすぐ忘れてしまうもの。
本人にとって重大で他愛ないルール。
この子もいまそれの最中だったりして?
習い事のお教室に行くまでに誰にも抜かされなかったらラッキー。
もしかしたら、今日はみんなの前でピアノの発表をするから願かけをしているかもしれない。
そんなふうに思ったら、プレッシャー与える意地悪も、いずれ抜かしてしまうのもかわいそうになってきてしまった。
でも、明らかに彼の早歩きの持久力は衰えてきている(きっと鬼ごっこの持久力とは違うんだ^^)、このまま後ろをノコノコついていくのはウォーキングに出かけたわたしの本意ではない。
しかたないなぁ。
ちょうど横断歩道があったから、そこを横切り反対側の歩道に行き、なんなく彼を追い越した。
彼は願かけが遂行できたし、わたしもウォーキングの続きができた。
那智さんだったら『社会の厳しさを教えないと(笑)』なんておっしゃるかしら。
でも、大人は自分はほんのすこし無理をして、子供に譲り、なおかつ自分の目的もちゃんと果たすもの、ですよね?(笑)
なんだか、わたし、大人じゃんといい気分でウォーキングを続けた。
さて、インテリアや雑貨大好きのわたしは終止目がハートになりながらいくつか雑貨を買う。
ちょうどお昼時だったから那智さんとお電話でつながりながら、あれもこれも素敵!!でも物を増やすのキライの買い物に関してとても面倒な性格にわたしはあれこれ迷って興奮気味、「必要かどうかじゃなくて、欲しいもので選んだら?」と楽しいお買い物の極意を伝授してくれたりして、そろそろ帰る時間になった。
お昼休憩も終わり那智さんとおしゃべりも終了してシャトルバスの乗り場まで行く。
ここはとても不便な場所にあるから最寄り駅まで無料でシャトルバスが出ているから、帰りはそれで帰るつもりだったのだ。
次のバスまで7、8分というところ。
乗り場に行くと、ひとり白髪まじりのおじさんが先に長椅子に腰かけていた。
そのおじさん、数mある長椅子の先頭から1、5mほどの中途半端な位置にいる。
人を見かけで判断してはいけないことはわかっているのだけど、このおじさん、どう見てもこの家具屋を見に来たようには見えない。
もしかしたら、この辺りに住んでいて便利な足としてこれを利用しているのかな。
わたしはよく酔っぱらいに絡まれるのだけど、それと似た空気も感じられて、ちょっと苦手な気持ちになっていた。
まあ、誰もいないし、平日のお昼でそんなに混まないだろうから、その位置にいるのかなぁと思いつつ、わたしもちょっぴり距離を置いて2番目として腰かけた。
下を向き、スマホでブログチェックしているうちに3番目の人が腰かけたのが視界に入り、それをきっかけにすこしおじさんのほうにズレた。
おじさんも、その動きでもっと前に詰めてくれるかなと、無意識に期待しながら。
まあ、結局動かなかったのだけど、もうあと2、3分でバス来るだろうしちょっとスマホに夢中になってしまっていて、女性の声で我に返った。
おじさん、後ろ座れないから詰めて
西のほうのイントネーションをわずかに感じる声、反射的に顔を上げるとベビーカーを押した若いママだった。
ふと見ると、いつの間にか長椅子いっぱいに人が並び、座れない人も数人いた。
わあ、気づかなかった。
おじさんはその後、ちょっととんちんかんなことをママに言い、2、3やり取りをしてすんなり先頭を詰めた。
わたしは自分が情けなくて、恥ずかしかった。
ここがこれくらい混むことを知らなかった、スマホに夢中になっていて一瞬周囲を意識していなかった、すぐバスは来るから立っていても大した時間じゃない、でも、もし仮に混むと知っていたら、もし座れない人がいるとわかったら、もし、バスまで時間があったら、わたしはそのおじさんに詰めましょうって言えただろうか。
ちょっと苦手なタイプのおじさんだったからというのは言い訳だな、きっとどんな人でも言えなかった。
そして、何より。
そのママさんは、その行為をごく普通の立ち位置でしていた、正義を振りかざすでもなく、一大決心しているわけでもなく、逆に下手に出て媚を売るわけでもなく、普通に。
そのフラットなスタンスで人に接する、言いにくいことを言える。
わたしができないことを普通のテンションでしていた彼女、まるで、わたしまで『詰めようね』って言われているみたいで、情けなかった^^;
人に親切にできるのは大人だ。
だけど、言いにくいことを言う、しかも正義を振りかざすわけでも遜るわけでもなく、普通にできることはもっと大人なのかもしれない。
まあ、人の『善』はいろいろなのでわたしはわたしの『善』をしていくしかないんだけど、その前に少年に対して悦に入っていた自分がちょっと恥ずかしかった^^;
大人もいろいろだ。
ところで、このお話をバスに乗ってから那智さんにチャットでお話したら
俺だったら、最初からじいさんの前に座る(笑)
と、日頃すごーく大人な那智さんの那智さんらしいお答えが返ってきて、やっぱり大人もいろいろだと思うのでした^^
クリックしていただけるとよろこびます^^
「等式」感想です。話としては、子供との競争とベンチでした。大人とはのりん子から問いのような気がしますが、そもそも「大人としての行動」は偉いのか、好きなのか、ねばならないのかが難しい。
過去ならば、周りを意識し、人に迷惑を掛けるような老人はいなかったろう、存在するとしたら呆けているので、優しく教えてあげようとか、私のように、老人より前に座っても、ベンチの座り順は関係なく最初に案内してあげるとかしなたと思う。
しかし、現在の呆けていない老齢者の見識や社会的な存在において価値が下がり、大人の最終としての老人を尊敬する気持ちが無くなった時、「大人」とは何ぞやの疑問が湧き上がるのだと思う。
私は呆けていない老齢者は社会的に常に尊敬できる対象であって欲しいし自分はそうありたいと思う。
人に迷惑を掛けない「恥の文化」を継承したいと思う。と、立派なことを考えるが繁華街でりん子にリードをつけて歩かせる時点で発言する資格はないのかな?暴論にお付き合いいただきありがとうございます。
そして、批判的、断定的な物言いごめんなさい。反省はしているのですがこれくらい書かないとインパクトが無いと思い書いてみました。最初読んだ時はそれほど深く考えませんでしたがとても奥が深く読むことが出来ました。
36/365
独特な幸福感
連日アップですが、間違いじゃないですよ^^
自慰って厄介なものだ。
欲情してしまって身悶えするようなときもあれば、睡眠導入剤にしてしまうこともある(体温上がるからいいのだ^^;)
先の予定を考えて、すこし欲情しているからいまのうちに?みたいなガス抜き的自慰もあったりするので、なかなか恥ずかしい。
那智さんからの決まり事としては『つながっているとき』に『宣言と報告』をすること。
『つながっている』というのは朝のおはようメールから夜のおやすみメールまでのこと、だから、真夜中や連絡をもらえない週末などはできないことになるのだけど、それ以外ならいまからする宣言と終了の報告をすれば自由。
もともと自慰をする自分が好きではなかったし情けないと自嘲していたので、宣言と報告は、ものすごく恥ずかしいけど許容してもらっているとも感じられるので、ためらいと安心の両面があった(だから、報告のときにはお礼も加えている)
恥ずかしいから多少自制する気持ちも湧くし、那智さんとしてはそれでもしたいという状態が楽しいのだと思うけど、毎度毎度『我慢できずに』な自慰ばかりではないから、厄介なのだ。
ときには「睡眠導入です」なんて言い訳したりね。
那智さんが【20%嫌悪】もなくなり素直に欲情するわたしを歓迎してくれるようになってからは許容されている安心感は羞恥心を上回りつつあって、ときどき『ガス抜き』程度の自慰でもやってしまえ〜と思う回数が増えてきているように思っていた。
先週から今週にかけて夜を含めて頻繁に会っていた。
だから、この先1週間とすこし会えそうになかったけど、会いたい気持ちと同じくらいに比較的満足していて日々の更新作業やその他諸々を快適にこなす日々をすごしていた。
ちょうど半分をすぎた週末を控えた朝、お電話で那智さんに「なんだか欲情していません(笑)」なんて話したりしていたほどだった。
お昼すぎ、よそのブログをチェックして、そこから遊びでいろいろリンクを辿ってみる。
SMっぽい画像や露出画像などを見て、あれ?ちょっとこのままだと欲情しちゃいそう?という気配を感じてきた。
まあ、放っておいても問題なさそうなんだけど、このまま週末に突入すると欲情してもルールによって我慢しないといけないから、う〜ん、とりあえずガス抜きしておこうかな?なんて頭が働く。
欲情してたまりませんと宣言と報告をするのも恥ずかしいけど、ガス抜きしますというのもなんだか情けなくて困る。
いや、いちいちどういうテンションでするかまでは報告の義務はないから、そんなの何でもいいのだけど、さっき『欲情なんて』な言動をしてしまっていたから余計に困っているのだ。
しかも、そんなことまで許容してもらえる想像が、ほんのちょっとこそばゆかったりして^^;
でも、そこは欲情の予感と打算と報告欲が勝り、いつものように宣言と報告をした。
すこしして、電話が鳴る。
お話しできる状態になったのだ。
うれしくて電話を取るけど、やっぱりさっきのことが恥ずかしくて情けない。
那智さんも「気持ちよかったですか?(笑)」なんて聞いてくる。
だから、咄嗟に
もう那智さん、制限してくださいませんか!?
と、ほざいてしまった!!(笑)
いや、実際制限されたら困るし『一切れのパン』制限で大変なんだけど、この厄介ないろいろな自慰をなくしてしまいたくてほとんど心にもないことをお願いしてしまったのだ。
え〜、いいの〜(笑)
制限してほしかったらしてあげるよ〜
いや、なんていうか、もうなくなってしまえばいいなと思って…
どうしようか〜
…ちょっと待って
まあ、タラレバの話なので、その先発展してもらっても困るのだけどと思いつつ、何やらお仕事集中の『ちょっと待って』だったのでそのまま静かに持っていた。
じゃあ、1年で30回ね(笑)
えっ?!
ひと月2、5回(笑)
えええ!?もう決定なんですか!?
だって、制限してほしいんでしょ?
よかったね〜、管理してあげるよ〜
いや、待ってください、わたし、タラレバで話していたんですよ!!
でも、すぐ否定しなかっただろ?(笑)
あああ、ちょっと待ってって言われたから!!
だって、計算してたんだもん
はうう。
なぜか、わたしのリクエストで『1年で30回』という制限をかけられてしまった!!
ああ、『一切れのパン』ロングバージョンだ。
数を制限されるという大変さは身をもって体験している。
欲望と理性と打算に翻弄される。
それを1年を通して、だ。
年間30回、ひと月平均2、5回。
別にひと月2、5回って決まってるわけじゃないんだよ〜
わかってます、その自由さが不自由なんです。
そこから交渉開始。
ひと月平均2、5回が多いのか少ないのかは置いといて^^;とにかく回数は多いほうがいい。
交渉の末、なんとか年36回にしてもらった。
これでひと月平均3回…(素直に喜んでいいか、わからない^^;)
次は『回』の定義で交渉。
だいたいこういう場合の那智さんの一回は漠然と指が体から離れるまでを指している。
一回イッても続けて、もしくは『ふう』とひと呼吸おいて続けることは一回と考えているようなのだ。
ただ、これははっきり決められていないので、交渉の余地あり。
わたしは基本ひとりでするときは一回イッたらそれで満足なんだけど、ここは保険(笑)
一回というのは一回イクではないですよね
そうだね、何回でもいいよ
じゃあ、その日のうちなら何回でもいいということでいいですよね?
一回は一日ということで
え〜、りん子、一日に時間を空けて何回もしたいの?(笑)
したいとかしたくないとかの問題じゃないんです
選択肢はたくさんあったほうが安心だから、いろいろ可能性を広げているだけです!!
ふ〜ん、そんなにしたんだ〜、じゃあ、一日何回でもいいよ
わたしは一日に何回もオナニーをする女という印象を持たれることと引き換えに安心をひとつ手に入れた。
次は、開始時期だ。
どこで1年と区切るか。
GW明けかな〜
たしかに、目安としてはそれでいいかもしれないけど、ぜったい期間もカウント管理もわたしの仕事になるから、わかりやすいほうがいい。
出会った日にしませんか?
それなら1年後も憶えていられます
ああ、6月何日か?
いいよ
よかった、これでわかりやすい日になった…で、若干の保険も…。
ああ、いいね
それのほうが面白い
6月に入ってから、りん子やけにたくさんするな〜とかわかるからね(笑)
はああああ。
するかしないか別で、し納めできる猶予があったほうが安心しますから!!
けして、したいのではなくて保険ですから!!
はう。
あまりにサクサク決まることを疑問に思って聞いてみたら
だって、俺は自分で制限するならいろいろ熟慮すると思うけどしてくれって言われたからね〜(笑)
結局わたしは制限してとリクエストして、そのクセし納めして結果に一日何回もするという女になってしまった。
照れ隠しに思わず口をついた発言からわずか10分。
驚くほどの急展開で『一切れのパン』ロングバージョン、1年で36回が決まってしまったのだ。
さて。
わたしが那智さんとはじめてお電話で会話をしたのが6月16日。
10年前の今日、雨の降る午前、はじめて会話をした。
その日から丸10年、お付き合いも11年目になります。
毎年、出会った日のエントリーはハートフルな感じのものが多いのだけど、今年はピンとくるネタがないな〜と思っていたら、こんな展開!!
1年間36回の制限スタートが出会って10年記念のエントリーとなりました(笑)
ハートフルなエントリーは書けませんでしたが、これもわたしたちらしいかなと^^;
那智さん。
那智さんと出会って今日で10年です。
「5年もたてば愛情も陳腐化する」と本のセリフで読んだことがある。
愛情は陳腐化しない。
ううん、断定できないな、しないこともある、だ。
10年前の今日あなたと重なったわたしの人生は10年たっても生き生きとした色彩を放っています。
出会ったころの割れた腹筋は影をひそめ、下腹部には宿命的な贅肉をまとい、那智さんとわたしも10年前に比べたら変化してきています(笑)
でも、那智さんを慕い、抱く恋心と愛情は色褪せることはありません。
いまでも初恋のように胸は高鳴り、同時に慣れ親しんだ毛布のように心地よい。
那智さんに出会えてホントによかった。
わたしのことを見つけてくださってありがとうございます。
これからもあなたのかわいい女でいますから、ずっと面倒見てくださいね^^
10年、ちょっと、えへんって思います^^
さーて、1年36回のスタートだーー。
(5/10現在、交渉の末1年42回に変更^^)
記念日用に連日アップしたので次回は明後日です〜^^
クリックしていただけるとよろこびます^^
<関連エントリー>
毎年のハートフル
『今度は5周年』
『過去の私、未来の私』
『8年目の発見』
『その瞬間からひとりで立てるように』
20%嫌悪
『20%嫌悪する』
『一切れのパン』
「等式」感想です。確かに過去、この日のエントリーはハートフルな物が多いですね。しかし、今回位ハートフルなエントリーは無いと思います。それは、読んでいただけている方に対する信頼と親愛の情があるから、あそこまで赤裸々に記せるのだと思う。自分の自慰?(ただのオナニ~でしょ)それの自身の思い記せるのは、幸せかな。読者の皆さん、私も含めりん子がどんなに低姿勢を貫いても勘違いしないで下さい。
連日アップですが、間違いじゃないですよ^^
自慰って厄介なものだ。
欲情してしまって身悶えするようなときもあれば、睡眠導入剤にしてしまうこともある(体温上がるからいいのだ^^;)
先の予定を考えて、すこし欲情しているからいまのうちに?みたいなガス抜き的自慰もあったりするので、なかなか恥ずかしい。
那智さんからの決まり事としては『つながっているとき』に『宣言と報告』をすること。
『つながっている』というのは朝のおはようメールから夜のおやすみメールまでのこと、だから、真夜中や連絡をもらえない週末などはできないことになるのだけど、それ以外ならいまからする宣言と終了の報告をすれば自由。
もともと自慰をする自分が好きではなかったし情けないと自嘲していたので、宣言と報告は、ものすごく恥ずかしいけど許容してもらっているとも感じられるので、ためらいと安心の両面があった(だから、報告のときにはお礼も加えている)
恥ずかしいから多少自制する気持ちも湧くし、那智さんとしてはそれでもしたいという状態が楽しいのだと思うけど、毎度毎度『我慢できずに』な自慰ばかりではないから、厄介なのだ。
ときには「睡眠導入です」なんて言い訳したりね。
那智さんが【20%嫌悪】もなくなり素直に欲情するわたしを歓迎してくれるようになってからは許容されている安心感は羞恥心を上回りつつあって、ときどき『ガス抜き』程度の自慰でもやってしまえ〜と思う回数が増えてきているように思っていた。
先週から今週にかけて夜を含めて頻繁に会っていた。
だから、この先1週間とすこし会えそうになかったけど、会いたい気持ちと同じくらいに比較的満足していて日々の更新作業やその他諸々を快適にこなす日々をすごしていた。
ちょうど半分をすぎた週末を控えた朝、お電話で那智さんに「なんだか欲情していません(笑)」なんて話したりしていたほどだった。
お昼すぎ、よそのブログをチェックして、そこから遊びでいろいろリンクを辿ってみる。
SMっぽい画像や露出画像などを見て、あれ?ちょっとこのままだと欲情しちゃいそう?という気配を感じてきた。
まあ、放っておいても問題なさそうなんだけど、このまま週末に突入すると欲情してもルールによって我慢しないといけないから、う〜ん、とりあえずガス抜きしておこうかな?なんて頭が働く。
欲情してたまりませんと宣言と報告をするのも恥ずかしいけど、ガス抜きしますというのもなんだか情けなくて困る。
いや、いちいちどういうテンションでするかまでは報告の義務はないから、そんなの何でもいいのだけど、さっき『欲情なんて』な言動をしてしまっていたから余計に困っているのだ。
しかも、そんなことまで許容してもらえる想像が、ほんのちょっとこそばゆかったりして^^;
でも、そこは欲情の予感と打算と報告欲が勝り、いつものように宣言と報告をした。
すこしして、電話が鳴る。
お話しできる状態になったのだ。
うれしくて電話を取るけど、やっぱりさっきのことが恥ずかしくて情けない。
那智さんも「気持ちよかったですか?(笑)」なんて聞いてくる。
だから、咄嗟に
もう那智さん、制限してくださいませんか!?
と、ほざいてしまった!!(笑)
いや、実際制限されたら困るし『一切れのパン』制限で大変なんだけど、この厄介ないろいろな自慰をなくしてしまいたくてほとんど心にもないことをお願いしてしまったのだ。
え〜、いいの〜(笑)
制限してほしかったらしてあげるよ〜
いや、なんていうか、もうなくなってしまえばいいなと思って…
どうしようか〜
…ちょっと待って
まあ、タラレバの話なので、その先発展してもらっても困るのだけどと思いつつ、何やらお仕事集中の『ちょっと待って』だったのでそのまま静かに持っていた。
じゃあ、1年で30回ね(笑)
えっ?!
ひと月2、5回(笑)
えええ!?もう決定なんですか!?
だって、制限してほしいんでしょ?
よかったね〜、管理してあげるよ〜
いや、待ってください、わたし、タラレバで話していたんですよ!!
でも、すぐ否定しなかっただろ?(笑)
あああ、ちょっと待ってって言われたから!!
だって、計算してたんだもん
はうう。
なぜか、わたしのリクエストで『1年で30回』という制限をかけられてしまった!!
ああ、『一切れのパン』ロングバージョンだ。
数を制限されるという大変さは身をもって体験している。
欲望と理性と打算に翻弄される。
それを1年を通して、だ。
年間30回、ひと月平均2、5回。
別にひと月2、5回って決まってるわけじゃないんだよ〜
わかってます、その自由さが不自由なんです。
そこから交渉開始。
ひと月平均2、5回が多いのか少ないのかは置いといて^^;とにかく回数は多いほうがいい。
交渉の末、なんとか年36回にしてもらった。
これでひと月平均3回…(素直に喜んでいいか、わからない^^;)
次は『回』の定義で交渉。
だいたいこういう場合の那智さんの一回は漠然と指が体から離れるまでを指している。
一回イッても続けて、もしくは『ふう』とひと呼吸おいて続けることは一回と考えているようなのだ。
ただ、これははっきり決められていないので、交渉の余地あり。
わたしは基本ひとりでするときは一回イッたらそれで満足なんだけど、ここは保険(笑)
一回というのは一回イクではないですよね
そうだね、何回でもいいよ
じゃあ、その日のうちなら何回でもいいということでいいですよね?
一回は一日ということで
え〜、りん子、一日に時間を空けて何回もしたいの?(笑)
したいとかしたくないとかの問題じゃないんです
選択肢はたくさんあったほうが安心だから、いろいろ可能性を広げているだけです!!
ふ〜ん、そんなにしたんだ〜、じゃあ、一日何回でもいいよ
わたしは一日に何回もオナニーをする女という印象を持たれることと引き換えに安心をひとつ手に入れた。
次は、開始時期だ。
どこで1年と区切るか。
GW明けかな〜
たしかに、目安としてはそれでいいかもしれないけど、ぜったい期間もカウント管理もわたしの仕事になるから、わかりやすいほうがいい。
出会った日にしませんか?
それなら1年後も憶えていられます
ああ、6月何日か?
いいよ
よかった、これでわかりやすい日になった…で、若干の保険も…。
ああ、いいね
それのほうが面白い
6月に入ってから、りん子やけにたくさんするな〜とかわかるからね(笑)
はああああ。
するかしないか別で、し納めできる猶予があったほうが安心しますから!!
けして、したいのではなくて保険ですから!!
はう。
あまりにサクサク決まることを疑問に思って聞いてみたら
だって、俺は自分で制限するならいろいろ熟慮すると思うけどしてくれって言われたからね〜(笑)
結局わたしは制限してとリクエストして、そのクセし納めして結果に一日何回もするという女になってしまった。
照れ隠しに思わず口をついた発言からわずか10分。
驚くほどの急展開で『一切れのパン』ロングバージョン、1年で36回が決まってしまったのだ。
さて。
わたしが那智さんとはじめてお電話で会話をしたのが6月16日。
10年前の今日、雨の降る午前、はじめて会話をした。
その日から丸10年、お付き合いも11年目になります。
毎年、出会った日のエントリーはハートフルな感じのものが多いのだけど、今年はピンとくるネタがないな〜と思っていたら、こんな展開!!
1年間36回の制限スタートが出会って10年記念のエントリーとなりました(笑)
ハートフルなエントリーは書けませんでしたが、これもわたしたちらしいかなと^^;
那智さん。
那智さんと出会って今日で10年です。
「5年もたてば愛情も陳腐化する」と本のセリフで読んだことがある。
愛情は陳腐化しない。
ううん、断定できないな、しないこともある、だ。
10年前の今日あなたと重なったわたしの人生は10年たっても生き生きとした色彩を放っています。
出会ったころの割れた腹筋は影をひそめ、下腹部には宿命的な贅肉をまとい、那智さんとわたしも10年前に比べたら変化してきています(笑)
でも、那智さんを慕い、抱く恋心と愛情は色褪せることはありません。
いまでも初恋のように胸は高鳴り、同時に慣れ親しんだ毛布のように心地よい。
那智さんに出会えてホントによかった。
わたしのことを見つけてくださってありがとうございます。
これからもあなたのかわいい女でいますから、ずっと面倒見てくださいね^^
10年、ちょっと、えへんって思います^^
さーて、1年36回のスタートだーー。
(5/10現在、交渉の末1年42回に変更^^)
記念日用に連日アップしたので次回は明後日です〜^^
クリックしていただけるとよろこびます^^
<関連エントリー>
毎年のハートフル
『今度は5周年』
『過去の私、未来の私』
『8年目の発見』
『その瞬間からひとりで立てるように』
20%嫌悪
『20%嫌悪する』
『一切れのパン』
「等式」感想です。確かに過去、この日のエントリーはハートフルな物が多いですね。しかし、今回位ハートフルなエントリーは無いと思います。それは、読んでいただけている方に対する信頼と親愛の情があるから、あそこまで赤裸々に記せるのだと思う。自分の自慰?(ただのオナニ~でしょ)それの自身の思い記せるのは、幸せかな。読者の皆さん、私も含めりん子がどんなに低姿勢を貫いても勘違いしないで下さい。
モンスター退治1
非日常的な日常
2ヶ月前『一切れのパン命令』を発令された。
お仕事場で可愛がっていただいたけど、時間などを含めて量的にはやはりどうしても足りない。
けして、それが不満なのではないけど足りない。
足りないことが予測できた那智さんに『次会うまで一回だけ』という自慰コントロール令を出されちゃったのだ。
自慰禁止や自慰命令というのは時々見かけるけど、自慰一回だけという回数制限はあまり見たことがない。
次会うまで一週間、正確には水曜日から翌週水曜日までの8日間、その間、いつでも好きなときにしていいけど、その一回をしたら後は禁止という命令。
まるで『一切れのパン』のお話のような命令だった。
これが数日間、わたしを翻弄するのだ!!
『禁止』というのと『一回したらその後禁止』というのは似ているけれど、大きく違う。
できないという絶望は、思い切りしたいと悶え針を大きく振ることができる。
那智さんはわたしを『楽しく』苦しめたいだけなので期限なしの禁止令は出さない、翌日か翌々日に会えるとわかっていて出してくれるので、じつは、この大きく針を振り身悶えしてしまえることは苦しいけど、かなり大きな快楽でもあるのだ。
でも、一回はできるときということは、その快楽を得にくい。
なぜなら、あまり激しく針を振ってしまえば『一回』を行使してしまいたくなる。
その後できないことが確定しているのだから、自ら絶望に投身するようなもの。
それを回避するため針を抑えないといけない。
だから、禁止のときのような大きく針を振り身悶えする快感にどっぷり浸かることもできず、かなり生殺し状態なのだ。
生殺し状態の中、『一回』をいつ行使するのか、欲情に身を任せてしまいたくなったり、いやいや、落ち着こうと自分に言い聞かせたりと、なんていうか、本能と理性がわたしの体の中でひしめき合っているようで、とにかく、終止頭を使う命令だった。
欲情と理性と打算の8日間(笑)
命令を出された水曜日、もうそのことで頭がいっぱい。
前日の『足りない』ことと命令され制限されている事実が相乗効果で欲情は増す。
那智さんに欲情していますと何度もメールをしては、「いつでも好きにしていいよ」と自由を与えられ、どんどん身動きできなくなる。
でも、欲情に任せて今日してしまっては、後の7日間があまりにも長い。
そこは理性で押しとどめる。
翌木曜日も、『一回』のことで頭がいっぱい。
いっそのこと那智さんのお仕事場に行って慰めてもらおうかと思うけど、そのためだけに出かけていくという一般的に非常識な行動を一般常識の理性がやはり押しとどめた。
とにかく、とりあえず、今日は我慢しよう。
明日、金曜日になったら、すこしゴールまでの距離も縮まるような気がするから、とりあえず、今日は。
大きく欲情に針を振ってしまいたい気持ちを抑えながら、でも、明日をひとつの糧にしているようなちょっと打算も含めて、この日が苦悩と悶絶で一番欲情を溢れさせる気持ちのいい日だった。
金曜日になると、もう、どうしたらいいのかわからなくなってきてしまった。
こうなると人は本能より打算が働くようなのだ(わたしだけかなぁ)。
この土日は仕事がしっかり入っているし、那智さんとゆっくり繋がれる可能性は低い、そうなるときっと欲情も弱火でコトコトしてくれているだろう。
だとしたら、週明け月曜日にするとなると、火曜日すっきり、会える水曜日もまだけっこうすっきり状態だったりすると、せっかく会える日に欲情が溢れそうになっていないのはもったいない気がしてしまう(それでも会えば、すぐそうなるのですけどね)。
会える日は会える前からがたまらないのだもん^^;
月曜日でそう思うんだから、会う前日にするなんてバカらしい!!
いっそのこと会うまでしないという手もあるけれど(那智さん推奨^^)、わたしって、ホント目先の快楽に弱いのだ。
大きな実りを得るために我慢するというパワーがない。
だから、それは無理。
じゃあ、いつするんですか?
「今でしょ!?」
とCMみたいな気持ちになってしまう(ああ、これ更新される頃には完全に旬を過ぎてるネタだ^^;)
金曜日して土日淡々と過ごし、月火で再び欲情が目覚めてきて会える日が来る。
これが最良のシナリオ、そんなふうに打算が働いてしまう。
結局、欲情と理性と打算がすべて合致したこの日、若干にやっつけ仕事みたいな様相を呈して、約束の一回を遂行したのだった。
『禁止』も期間や何やらでいろいろな感情を引き起こしてくてると思うけど、『一回』というのも複雑で新鮮な感情をくれる。
ただ、やはり人はなかなかひとつの感情に染まることはできないなぁとも思う。
欲情に悶えていてもお腹は空くし、禁止に悶絶しながらも我が子の大事があれば鎮火する。
それでも、それを含めたとしても那智さんのバリエーションに翻弄されるのはうれしい。
一律禁止じゃなくて、こういうバリエーションを示してくれるということは、それだけわたしとのことを考えてくれている証拠でもあるからだ。
良も可も不可も書くわたしは全部書きながら、でも、毎度那智さんったらなかなかやるなぁって思ったりもする^^
しかし、金曜日に致して穏便に過ごした週明けの月曜日、ガス抜き程度の自慰では如何ともし難い欲情が、思いもよらぬ感情を引き出し週明けはモンスター退治に大わらわになるのだった。
クリックしていただけるとよろこびます^^
「等式」感想です。りん子偉いね~この手の赤裸々な話し、中高生の悩める女子に読ませてあげたいな。自慰の回数なんて個人差がかなりある、そして、自慰が好きだからやるのかsexの代用として行うのか、りん子は明らかに後者だろう。(オプションとしてsexしている最中に○○しながら自慰という積極的でプラス思考のそれもあると思いますが)りん子に対して代用行為を強いているのだから、せめて楽しませてあげないと可哀想です。そして、かなり性欲が強いりん子だから真剣に考えるのだろうし、愛し合い、楽しむ気持ちも人一倍てんこ盛りなのだろう。
2ヶ月前『一切れのパン命令』を発令された。
お仕事場で可愛がっていただいたけど、時間などを含めて量的にはやはりどうしても足りない。
けして、それが不満なのではないけど足りない。
足りないことが予測できた那智さんに『次会うまで一回だけ』という自慰コントロール令を出されちゃったのだ。
自慰禁止や自慰命令というのは時々見かけるけど、自慰一回だけという回数制限はあまり見たことがない。
次会うまで一週間、正確には水曜日から翌週水曜日までの8日間、その間、いつでも好きなときにしていいけど、その一回をしたら後は禁止という命令。
まるで『一切れのパン』のお話のような命令だった。
これが数日間、わたしを翻弄するのだ!!
『禁止』というのと『一回したらその後禁止』というのは似ているけれど、大きく違う。
できないという絶望は、思い切りしたいと悶え針を大きく振ることができる。
那智さんはわたしを『楽しく』苦しめたいだけなので期限なしの禁止令は出さない、翌日か翌々日に会えるとわかっていて出してくれるので、じつは、この大きく針を振り身悶えしてしまえることは苦しいけど、かなり大きな快楽でもあるのだ。
でも、一回はできるときということは、その快楽を得にくい。
なぜなら、あまり激しく針を振ってしまえば『一回』を行使してしまいたくなる。
その後できないことが確定しているのだから、自ら絶望に投身するようなもの。
それを回避するため針を抑えないといけない。
だから、禁止のときのような大きく針を振り身悶えする快感にどっぷり浸かることもできず、かなり生殺し状態なのだ。
生殺し状態の中、『一回』をいつ行使するのか、欲情に身を任せてしまいたくなったり、いやいや、落ち着こうと自分に言い聞かせたりと、なんていうか、本能と理性がわたしの体の中でひしめき合っているようで、とにかく、終止頭を使う命令だった。
欲情と理性と打算の8日間(笑)
命令を出された水曜日、もうそのことで頭がいっぱい。
前日の『足りない』ことと命令され制限されている事実が相乗効果で欲情は増す。
那智さんに欲情していますと何度もメールをしては、「いつでも好きにしていいよ」と自由を与えられ、どんどん身動きできなくなる。
でも、欲情に任せて今日してしまっては、後の7日間があまりにも長い。
そこは理性で押しとどめる。
翌木曜日も、『一回』のことで頭がいっぱい。
いっそのこと那智さんのお仕事場に行って慰めてもらおうかと思うけど、そのためだけに出かけていくという一般的に非常識な行動を一般常識の理性がやはり押しとどめた。
とにかく、とりあえず、今日は我慢しよう。
明日、金曜日になったら、すこしゴールまでの距離も縮まるような気がするから、とりあえず、今日は。
大きく欲情に針を振ってしまいたい気持ちを抑えながら、でも、明日をひとつの糧にしているようなちょっと打算も含めて、この日が苦悩と悶絶で一番欲情を溢れさせる気持ちのいい日だった。
金曜日になると、もう、どうしたらいいのかわからなくなってきてしまった。
こうなると人は本能より打算が働くようなのだ(わたしだけかなぁ)。
この土日は仕事がしっかり入っているし、那智さんとゆっくり繋がれる可能性は低い、そうなるときっと欲情も弱火でコトコトしてくれているだろう。
だとしたら、週明け月曜日にするとなると、火曜日すっきり、会える水曜日もまだけっこうすっきり状態だったりすると、せっかく会える日に欲情が溢れそうになっていないのはもったいない気がしてしまう(それでも会えば、すぐそうなるのですけどね)。
会える日は会える前からがたまらないのだもん^^;
月曜日でそう思うんだから、会う前日にするなんてバカらしい!!
いっそのこと会うまでしないという手もあるけれど(那智さん推奨^^)、わたしって、ホント目先の快楽に弱いのだ。
大きな実りを得るために我慢するというパワーがない。
だから、それは無理。
じゃあ、いつするんですか?
「今でしょ!?」
とCMみたいな気持ちになってしまう(ああ、これ更新される頃には完全に旬を過ぎてるネタだ^^;)
金曜日して土日淡々と過ごし、月火で再び欲情が目覚めてきて会える日が来る。
これが最良のシナリオ、そんなふうに打算が働いてしまう。
結局、欲情と理性と打算がすべて合致したこの日、若干にやっつけ仕事みたいな様相を呈して、約束の一回を遂行したのだった。
『禁止』も期間や何やらでいろいろな感情を引き起こしてくてると思うけど、『一回』というのも複雑で新鮮な感情をくれる。
ただ、やはり人はなかなかひとつの感情に染まることはできないなぁとも思う。
欲情に悶えていてもお腹は空くし、禁止に悶絶しながらも我が子の大事があれば鎮火する。
それでも、それを含めたとしても那智さんのバリエーションに翻弄されるのはうれしい。
一律禁止じゃなくて、こういうバリエーションを示してくれるということは、それだけわたしとのことを考えてくれている証拠でもあるからだ。
良も可も不可も書くわたしは全部書きながら、でも、毎度那智さんったらなかなかやるなぁって思ったりもする^^
しかし、金曜日に致して穏便に過ごした週明けの月曜日、ガス抜き程度の自慰では如何ともし難い欲情が、思いもよらぬ感情を引き出し週明けはモンスター退治に大わらわになるのだった。
クリックしていただけるとよろこびます^^
「等式」感想です。りん子偉いね~この手の赤裸々な話し、中高生の悩める女子に読ませてあげたいな。自慰の回数なんて個人差がかなりある、そして、自慰が好きだからやるのかsexの代用として行うのか、りん子は明らかに後者だろう。(オプションとしてsexしている最中に○○しながら自慰という積極的でプラス思考のそれもあると思いますが)りん子に対して代用行為を強いているのだから、せめて楽しませてあげないと可哀想です。そして、かなり性欲が強いりん子だから真剣に考えるのだろうし、愛し合い、楽しむ気持ちも人一倍てんこ盛りなのだろう。