その瞬間からひとりで立てるように
独特な幸福感
『思いっきり依存していい、その代わり俺が死んだらその瞬間からひとりで立てるようにする』
何度か登場しているこのセリフ。
これは知り合って、どれくらいだろう、きっと半年くらいでいわれたのではないかな。
愛される価値がないと自分を肯定できずに、足下がぐらぐら不安定だったわたしに思いっきりよりかかることを教えてくれた。
それはそれは幸せなことだったけど、負担じゃないかとか、もし那智さんがいなくなってしまったらまたもとに戻ってしまうのではないかとか、幸せゆえの幸福な不安に、那智さんの『目指している先』を教えてもらいたいと会話を重ねていたときだったと思う。
うっとりするような気持ちとそんな都合良くできる!?と疑う気持ち、だから『お伽噺』のようだと思った。
もしわたしが先に死んだら。
新しく女性を作るかどうか、それは那智さんの好きにするらしい。
わたしは枕元に化けてでて『わたしほどよくないでしょう?』と目配せしてもいいそうだ。
だけど、那智さんんが先に死んだら、もうわたしは誰ともセックスをしてはいけないそうだ(セックスを伴う恋愛もふくめて)。
ほとんど本気でほとんど冗談(笑)
でも、那智さんとの心と体の交流があまりにも良すぎるので、自由にどうぞと言われても、まあ、まったく積極的に男性とお付き合いしようという気は起こらないと想像できる。
だから禁止しなくても、結果的に『禁止』状態になるのではないかなと思っている。
ただ子供の頃から持っていたマゾ的嗜好は消えてなくならないと思うから、そこはどうしたらいいかな〜とか、たとえば、明日死んでしまったら、ちょっと女としての余生が長すぎて困るな〜なんて、ぼんやりお話ししていた。
まあ、誰とも付き合っちゃいけないというのは大げさなことだよ
俺が言いたいのは、いい男と付き合いえってこと
俺と付き合うことでりん子にとっていい付き合いを学ぶことができただろ?
いまはそれができるようになっているからダメとは言わないと(笑)
(ううん、ホントはそう望んでらっしゃる、おそらく『結果的に禁止』が理想なはず^^で、きっとそうなります、きっと)
そう、わたしは那智さんと付き合うことで自分にウソをつかない付き合いの心地よさを知った。
相手のことを深読みをしないで素直に信じる心地よさを知った。
どうやったら自分にウソをつかないで相手を信じて人間関係を築けるか教えてもらった。
この話は男性がモデルになっているけれど、実際わたしはいま自分にウソをつかず、相手に対して疑わず、消耗しない人お友達付き合いができている。
那智さん、わたし、できるようになりましたよね?
ときどき、相談を受けることがある、もしくはおせっかいでこちらから意見することもある。
アドバイスするわたしはけっこう厳しいと思う。
ブログで『女は共感とか』『女の子』とか書いているからふわふわやさしい相談相手と思われているかもしれないけど、おそらくそういうイメージからしたら厳しいのではないかと思う。
その人の感情のスタートを読み取ろうとして、本来の目的から感情的に視点がブレてしまっていないか見極めて、その目的を達成するためのアドバイスをする。
だから、つい脱線しがちな感情論に『かわいそうに、よしよし』ってあんまりしないんだ。(必要だと思ったらするけど)
相談って、アドバイスを求める場合と共感や慰めがほしい場合とあるけど、だからけっこう後者な場合には冷たいことを言っていると感じる人もいるかもしれない^^;
人に『目的は○○だから、××は論点ズレているよね。○○のためには△△と思うしかないんじゃないかな』なんてきちっと話をするとき。
エラそうにアドバイスしているけど、ふと我が身を振り返ることがある。
もし、那智さんが死んでしまったら。
困難に見舞われたとき、相談相手と同じような立場になったときわたしは論点をズラさず、感情と理論を混同させず、自分を律することができるだろうか。
いまは那智さんがいてくれるから、エラそうにアドバイスもできるし足下を固めていられるだけなんじゃないか。
那智さんが死んでしまったら。
那智さんが生きていたときのように、自分の足で立てるだろうか。
『思いっきり依存していい、その代わり俺が死んだらその瞬間からひとりで立てるようにする』なんてお伽噺、叶うのだろうか。
ううん、叶わない。
依存体質のわたしは那智さんが死んでしまったら泣いて泣いて泣き暮らす。
お友達にかたっぱしからメールして電話して『悲しいよ〜』と泣きつく。
たくさんたくさん付き合いってもらう。
悩み事なんてできたらグラグラだ(それでも『那智さんならどうするか』を必死に考える!!)
ぜんぜん、ひとりで立てない。
だけどわかることがある。
わたしは、もう自分の心にウソはつけない。
どんなに泣いても友達を頼ってメソメソしても、心をごまかすことはしない。
相手の親切を額面とおり受け取り、自分もごまかさない。
那智さんと出会う前のわたしのように自分を消耗させてしまうような依存先はぜったい選ばない。
ひとりで立てないかもしれないけど、ちゃんと「いい付き合い」でいられる人を頼る力はついているはずなんだ。
那智さんがわたしに躾けてくれたことがあるとすれば、信頼できる人に悪意はないと信じることと自分にウソをつかないこと。
那智さんがわたしに教えてくれたことがあるとすれば、そういう関係の心地よさ。
『一瞬にしてひとりで立つ』ことはお伽噺だろう、だけどこの心地よさはきっと『ひとりで立つ』と同じくらいわたしを幸せにしてくれるはずだ。
だから、わたしはもう自分を傷つけるようなことはしない。
お友達をたくさん巻き込んで(笑)
今日は那智さんとはじめてつながった記念の日。
丸9年が経ちました。
バカみたいに濃厚なコミュニケーションの9年は、那智さんと出会う前までの30数年間を埋めてあまりあるほどです。
それでも、9年間、まったく変わることなくわたしを大切にしてくださって、一定の良好な精神状態を保ち続ける那智さんはほんとうにすごい。
そして同じように、わたしがあなたを慕う気持ちもまったく色あせることなく、毎日毎日わたしを幸せにしてくれます。
年月がすべてではないことはわかっています。
だけど、すぐ冷めてしまう恋愛ばかり繰り返していたわたしにとって年月はひとつの大きな充実になります。
たくさんの愛と尊敬と忠誠を込めて。
那智さん、わたしはあなたのもの♪
まだまだ手のかかる女ですが、これからもよろしくお願いいたします^^
お誕生日さえほとんどお祝いし合わないわたしたちだけど、10年目は何かお祝いしましょうか^^
出会った日に合わせるために連続アップになりましたので、次回更新は明後日(6/18)になります〜。
<関連エントリー>
出会った日記念エントリー^^
『今度は5周年』
『過去の私 未来の私』
『8年目の発見』
私とりん子どちらかが亡くなったら「等式」でお相手を募集をするのが良いかもしれないですね。自薦、他薦を募る、ここに全部書いてあるので話が早いでしょ。(笑)別のお話で、記念日と言うと「食事・プレゼント」を想像するので少し書きます。
確かに記念日を殆ど意識しない我々、何年か前から年末に同じホテルで食事はしていて1年の締めくくりみたいになっている程度はあるかもしれない。プレゼント交換はしないけれど、「毎日使う時計はりん子から買って貰った物を使いたい」なんて言う普通じゃ考えられないリクエストをする。
「今度、○○を買う時は俺が買ってあげる」なんて言うこともあったと思う。時計と財布と鞄は私の希望で一定の条件をリクエストして、りん子からプレゼントして貰っている。この辺りの詳細はりん子がいつかエントリーにしてくれるでしょ。
『思いっきり依存していい、その代わり俺が死んだらその瞬間からひとりで立てるようにする』
何度か登場しているこのセリフ。
これは知り合って、どれくらいだろう、きっと半年くらいでいわれたのではないかな。
愛される価値がないと自分を肯定できずに、足下がぐらぐら不安定だったわたしに思いっきりよりかかることを教えてくれた。
それはそれは幸せなことだったけど、負担じゃないかとか、もし那智さんがいなくなってしまったらまたもとに戻ってしまうのではないかとか、幸せゆえの幸福な不安に、那智さんの『目指している先』を教えてもらいたいと会話を重ねていたときだったと思う。
うっとりするような気持ちとそんな都合良くできる!?と疑う気持ち、だから『お伽噺』のようだと思った。
もしわたしが先に死んだら。
新しく女性を作るかどうか、それは那智さんの好きにするらしい。
わたしは枕元に化けてでて『わたしほどよくないでしょう?』と目配せしてもいいそうだ。
だけど、那智さんんが先に死んだら、もうわたしは誰ともセックスをしてはいけないそうだ(セックスを伴う恋愛もふくめて)。
ほとんど本気でほとんど冗談(笑)
でも、那智さんとの心と体の交流があまりにも良すぎるので、自由にどうぞと言われても、まあ、まったく積極的に男性とお付き合いしようという気は起こらないと想像できる。
だから禁止しなくても、結果的に『禁止』状態になるのではないかなと思っている。
ただ子供の頃から持っていたマゾ的嗜好は消えてなくならないと思うから、そこはどうしたらいいかな〜とか、たとえば、明日死んでしまったら、ちょっと女としての余生が長すぎて困るな〜なんて、ぼんやりお話ししていた。
まあ、誰とも付き合っちゃいけないというのは大げさなことだよ
俺が言いたいのは、いい男と付き合いえってこと
俺と付き合うことでりん子にとっていい付き合いを学ぶことができただろ?
いまはそれができるようになっているからダメとは言わないと(笑)
(ううん、ホントはそう望んでらっしゃる、おそらく『結果的に禁止』が理想なはず^^で、きっとそうなります、きっと)
そう、わたしは那智さんと付き合うことで自分にウソをつかない付き合いの心地よさを知った。
相手のことを深読みをしないで素直に信じる心地よさを知った。
どうやったら自分にウソをつかないで相手を信じて人間関係を築けるか教えてもらった。
この話は男性がモデルになっているけれど、実際わたしはいま自分にウソをつかず、相手に対して疑わず、消耗しない人お友達付き合いができている。
那智さん、わたし、できるようになりましたよね?
ときどき、相談を受けることがある、もしくはおせっかいでこちらから意見することもある。
アドバイスするわたしはけっこう厳しいと思う。
ブログで『女は共感とか』『女の子』とか書いているからふわふわやさしい相談相手と思われているかもしれないけど、おそらくそういうイメージからしたら厳しいのではないかと思う。
その人の感情のスタートを読み取ろうとして、本来の目的から感情的に視点がブレてしまっていないか見極めて、その目的を達成するためのアドバイスをする。
だから、つい脱線しがちな感情論に『かわいそうに、よしよし』ってあんまりしないんだ。(必要だと思ったらするけど)
相談って、アドバイスを求める場合と共感や慰めがほしい場合とあるけど、だからけっこう後者な場合には冷たいことを言っていると感じる人もいるかもしれない^^;
人に『目的は○○だから、××は論点ズレているよね。○○のためには△△と思うしかないんじゃないかな』なんてきちっと話をするとき。
エラそうにアドバイスしているけど、ふと我が身を振り返ることがある。
もし、那智さんが死んでしまったら。
困難に見舞われたとき、相談相手と同じような立場になったときわたしは論点をズラさず、感情と理論を混同させず、自分を律することができるだろうか。
いまは那智さんがいてくれるから、エラそうにアドバイスもできるし足下を固めていられるだけなんじゃないか。
那智さんが死んでしまったら。
那智さんが生きていたときのように、自分の足で立てるだろうか。
『思いっきり依存していい、その代わり俺が死んだらその瞬間からひとりで立てるようにする』なんてお伽噺、叶うのだろうか。
ううん、叶わない。
依存体質のわたしは那智さんが死んでしまったら泣いて泣いて泣き暮らす。
お友達にかたっぱしからメールして電話して『悲しいよ〜』と泣きつく。
たくさんたくさん付き合いってもらう。
悩み事なんてできたらグラグラだ(それでも『那智さんならどうするか』を必死に考える!!)
ぜんぜん、ひとりで立てない。
だけどわかることがある。
わたしは、もう自分の心にウソはつけない。
どんなに泣いても友達を頼ってメソメソしても、心をごまかすことはしない。
相手の親切を額面とおり受け取り、自分もごまかさない。
那智さんと出会う前のわたしのように自分を消耗させてしまうような依存先はぜったい選ばない。
ひとりで立てないかもしれないけど、ちゃんと「いい付き合い」でいられる人を頼る力はついているはずなんだ。
那智さんがわたしに躾けてくれたことがあるとすれば、信頼できる人に悪意はないと信じることと自分にウソをつかないこと。
那智さんがわたしに教えてくれたことがあるとすれば、そういう関係の心地よさ。
『一瞬にしてひとりで立つ』ことはお伽噺だろう、だけどこの心地よさはきっと『ひとりで立つ』と同じくらいわたしを幸せにしてくれるはずだ。
だから、わたしはもう自分を傷つけるようなことはしない。
お友達をたくさん巻き込んで(笑)
今日は那智さんとはじめてつながった記念の日。
丸9年が経ちました。
バカみたいに濃厚なコミュニケーションの9年は、那智さんと出会う前までの30数年間を埋めてあまりあるほどです。
それでも、9年間、まったく変わることなくわたしを大切にしてくださって、一定の良好な精神状態を保ち続ける那智さんはほんとうにすごい。
そして同じように、わたしがあなたを慕う気持ちもまったく色あせることなく、毎日毎日わたしを幸せにしてくれます。
年月がすべてではないことはわかっています。
だけど、すぐ冷めてしまう恋愛ばかり繰り返していたわたしにとって年月はひとつの大きな充実になります。
たくさんの愛と尊敬と忠誠を込めて。
那智さん、わたしはあなたのもの♪
まだまだ手のかかる女ですが、これからもよろしくお願いいたします^^
お誕生日さえほとんどお祝いし合わないわたしたちだけど、10年目は何かお祝いしましょうか^^
出会った日に合わせるために連続アップになりましたので、次回更新は明後日(6/18)になります〜。
<関連エントリー>
出会った日記念エントリー^^
『今度は5周年』
『過去の私 未来の私』
『8年目の発見』
私とりん子どちらかが亡くなったら「等式」でお相手を募集をするのが良いかもしれないですね。自薦、他薦を募る、ここに全部書いてあるので話が早いでしょ。(笑)別のお話で、記念日と言うと「食事・プレゼント」を想像するので少し書きます。
確かに記念日を殆ど意識しない我々、何年か前から年末に同じホテルで食事はしていて1年の締めくくりみたいになっている程度はあるかもしれない。プレゼント交換はしないけれど、「毎日使う時計はりん子から買って貰った物を使いたい」なんて言う普通じゃ考えられないリクエストをする。
「今度、○○を買う時は俺が買ってあげる」なんて言うこともあったと思う。時計と財布と鞄は私の希望で一定の条件をリクエストして、りん子からプレゼントして貰っている。この辺りの詳細はりん子がいつかエントリーにしてくれるでしょ。
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COMMENT
もし、死んだら…
この会話がね、死ぬまでつき合うってお互いが思ってるんだなぁってわかるのね。
わたしも同じことを思っているのだけど…
年の差が20近くあるからかな?あんまり話題にはしません(笑)
彼も同じように思ってくれてるといいなぁ。
この会話がね、死ぬまでつき合うってお互いが思ってるんだなぁってわかるのね。
わたしも同じことを思っているのだけど…
年の差が20近くあるからかな?あんまり話題にはしません(笑)
彼も同じように思ってくれてるといいなぁ。
そうだね、この話ができることは、ある意味幸せなのかもしれないね。
あこさんたちは年が離れているとまた違った理由で話題に出しにくいところはあるかもね。
彼もそう思っているのかなって思いました。
あこさん、わたしの泣きつき要員に組み込んでいますから、よろしくお願いですよ(笑)
あこさんたちは年が離れているとまた違った理由で話題に出しにくいところはあるかもね。
彼もそう思っているのかなって思いました。
あこさん、わたしの泣きつき要員に組み込んでいますから、よろしくお願いですよ(笑)