宿命的な贅肉
独り言
年と共に贅肉の付き方が変わってきている。
まだ30代の頃、年上の美容師さんが「年を取ると体重は増えなくてもお腹にお肉がつく^^;」と言っていた。
細身の彼女の細身のデニムとはアンバランスな下腹部が、それを物語っていた。
そのときの彼女と同じくらいの年齢になり、たしかに体重とか関係のない『肉』が下腹部を覆うようになってきて、ああ、わたしもそういう年齢になったのだなと諦めと若干の誇りのような不思議な気持ちになる。
記憶が定かではないけれど、中山可穂さんは小説の中で年上の恋人の下腹部を『宿命的な贅肉』と表現し美しさ(と、おそらく少しの哀愁)の魅力として描いていたし、那智さんも、実はガリガリに痩せているより、ちょっと肉惑的なのもいいと言っているので、このふくらみは大人の特権だと思うようにしている(笑)
ただ、食べ飲み大好き、運動キライ、腹筋って何?な人間なので、放っておくと、ここから先はこの宿命の贅肉の独壇場になりかねないので、多少はこちらがコントロールしよう。
那智さんも下腹部のふくらみはある程度キライじゃないはずで、むしろ、それよりウエストのラインを重視されるので、それならばコイツを凹ませるよりウエストをくびれさせることにした(それはそれで難しいけど^^;)
宿命的な贅肉と上手にお付き合いするのも、大人の証^^
まあ、直接ウエストに大きな影響を与えるわけではないけれど年齢とともに体力も衰えるし、いい季節になってきたし、意識してウォーキングにも出かけるようにしよう。
そんなわけで、桜が散り出した春の日、すこし遠くにある大型インテリア屋まで雑貨を見に繰り出した。
街道沿いの歩道はあまり広くない。
ガードレールの内側をさくさく、大股で歩いているとすこし先に小学2、3年生くらいの男の子が歩いていた。
習い事に行くのだろうか、大きめのカバンを肩に担いで。
それなりの速さで歩いているとはいえ、所詮子供のスピードは早歩きの大人のそれとは違う、あっという間に追いついてしまった。
ちょうどガードレールが途切れるポイントですこし膨らむようにして追い抜いた。
なんともない日常の一幕のはずだったんだけど、それで終わりにならなかったのは、すぐ、その子がものすごい勢いでわたしを追い抜いていったからだった。
遅刻しそうだからとか信号を渡りたいとか、そういう理由ではなくて、明らかに抜かす意思を持った早歩きだった。
あらら、どうしちゃったんだろう?
ほとんど小走りでわたしを追い抜き、その勢いで距離を取ったからまた彼はすこし遠くなった。
しかし、ここは緩やかな上り坂、しかも子供の意思なんてすぐ緩む、距離を取ったことが確認できたらふうっとスピードが落ちる。
で、ハッと気づいたように後ろをチラッと見て、また小走りに近い早歩きを始める。
そんなことを繰り返しているうちに、普通に大股で歩く大人のわたしなんてなんなく追いつくわけだ。
徐々に近づくわたしをチラチラ振り返る少年。
なんだろ?負けず嫌いな子なのなかぁ。
あんまりわかりやすいんでちょっぴり意地悪な気持ちが湧いてきて、わたしもほんのすこし歩幅を大きくしてみた。
あっという間に、もうあと一歩で真後ろというところまできた。
そして、そのままのスピードを保つ、離れも抜かしもしないでプレッシャーを与えてみようか?(笑)
10歩くらいかな。
ふと、自分の小さい頃を思い出す。
子供の頃って、根拠のないマイルール作るよね。
横断歩道の白いところだけ歩くとか、電信柱から電信柱まで息止めるとか、白のビートル見たらラッキーとか(これはマイルールじゃないね、当時流行っていた遊び^^)
それを遂行したからってなんの褒美もペナルティもないのだけどなんだか必死だったし、でも、できてもできなくてもすぐ忘れてしまうもの。
本人にとって重大で他愛ないルール。
この子もいまそれの最中だったりして?
習い事のお教室に行くまでに誰にも抜かされなかったらラッキー。
もしかしたら、今日はみんなの前でピアノの発表をするから願かけをしているかもしれない。
そんなふうに思ったら、プレッシャー与える意地悪も、いずれ抜かしてしまうのもかわいそうになってきてしまった。
でも、明らかに彼の早歩きの持久力は衰えてきている(きっと鬼ごっこの持久力とは違うんだ^^)、このまま後ろをノコノコついていくのはウォーキングに出かけたわたしの本意ではない。
しかたないなぁ。
ちょうど横断歩道があったから、そこを横切り反対側の歩道に行き、なんなく彼を追い越した。
彼は願かけが遂行できたし、わたしもウォーキングの続きができた。
那智さんだったら『社会の厳しさを教えないと(笑)』なんておっしゃるかしら。
でも、大人は自分はほんのすこし無理をして、子供に譲り、なおかつ自分の目的もちゃんと果たすもの、ですよね?(笑)
なんだか、わたし、大人じゃんといい気分でウォーキングを続けた。
さて、インテリアや雑貨大好きのわたしは終止目がハートになりながらいくつか雑貨を買う。
ちょうどお昼時だったから那智さんとお電話でつながりながら、あれもこれも素敵!!でも物を増やすのキライの買い物に関してとても面倒な性格にわたしはあれこれ迷って興奮気味、「必要かどうかじゃなくて、欲しいもので選んだら?」と楽しいお買い物の極意を伝授してくれたりして、そろそろ帰る時間になった。
お昼休憩も終わり那智さんとおしゃべりも終了してシャトルバスの乗り場まで行く。
ここはとても不便な場所にあるから最寄り駅まで無料でシャトルバスが出ているから、帰りはそれで帰るつもりだったのだ。
次のバスまで7、8分というところ。
乗り場に行くと、ひとり白髪まじりのおじさんが先に長椅子に腰かけていた。
そのおじさん、数mある長椅子の先頭から1、5mほどの中途半端な位置にいる。
人を見かけで判断してはいけないことはわかっているのだけど、このおじさん、どう見てもこの家具屋を見に来たようには見えない。
もしかしたら、この辺りに住んでいて便利な足としてこれを利用しているのかな。
わたしはよく酔っぱらいに絡まれるのだけど、それと似た空気も感じられて、ちょっと苦手な気持ちになっていた。
まあ、誰もいないし、平日のお昼でそんなに混まないだろうから、その位置にいるのかなぁと思いつつ、わたしもちょっぴり距離を置いて2番目として腰かけた。
下を向き、スマホでブログチェックしているうちに3番目の人が腰かけたのが視界に入り、それをきっかけにすこしおじさんのほうにズレた。
おじさんも、その動きでもっと前に詰めてくれるかなと、無意識に期待しながら。
まあ、結局動かなかったのだけど、もうあと2、3分でバス来るだろうしちょっとスマホに夢中になってしまっていて、女性の声で我に返った。
おじさん、後ろ座れないから詰めて
西のほうのイントネーションをわずかに感じる声、反射的に顔を上げるとベビーカーを押した若いママだった。
ふと見ると、いつの間にか長椅子いっぱいに人が並び、座れない人も数人いた。
わあ、気づかなかった。
おじさんはその後、ちょっととんちんかんなことをママに言い、2、3やり取りをしてすんなり先頭を詰めた。
わたしは自分が情けなくて、恥ずかしかった。
ここがこれくらい混むことを知らなかった、スマホに夢中になっていて一瞬周囲を意識していなかった、すぐバスは来るから立っていても大した時間じゃない、でも、もし仮に混むと知っていたら、もし座れない人がいるとわかったら、もし、バスまで時間があったら、わたしはそのおじさんに詰めましょうって言えただろうか。
ちょっと苦手なタイプのおじさんだったからというのは言い訳だな、きっとどんな人でも言えなかった。
そして、何より。
そのママさんは、その行為をごく普通の立ち位置でしていた、正義を振りかざすでもなく、一大決心しているわけでもなく、逆に下手に出て媚を売るわけでもなく、普通に。
そのフラットなスタンスで人に接する、言いにくいことを言える。
わたしができないことを普通のテンションでしていた彼女、まるで、わたしまで『詰めようね』って言われているみたいで、情けなかった^^;
人に親切にできるのは大人だ。
だけど、言いにくいことを言う、しかも正義を振りかざすわけでも遜るわけでもなく、普通にできることはもっと大人なのかもしれない。
まあ、人の『善』はいろいろなのでわたしはわたしの『善』をしていくしかないんだけど、その前に少年に対して悦に入っていた自分がちょっと恥ずかしかった^^;
大人もいろいろだ。
ところで、このお話をバスに乗ってから那智さんにチャットでお話したら
俺だったら、最初からじいさんの前に座る(笑)
と、日頃すごーく大人な那智さんの那智さんらしいお答えが返ってきて、やっぱり大人もいろいろだと思うのでした^^
クリックしていただけるとよろこびます^^
「等式」感想です。話としては、子供との競争とベンチでした。大人とはのりん子から問いのような気がしますが、そもそも「大人としての行動」は偉いのか、好きなのか、ねばならないのかが難しい。
過去ならば、周りを意識し、人に迷惑を掛けるような老人はいなかったろう、存在するとしたら呆けているので、優しく教えてあげようとか、私のように、老人より前に座っても、ベンチの座り順は関係なく最初に案内してあげるとかしなたと思う。
しかし、現在の呆けていない老齢者の見識や社会的な存在において価値が下がり、大人の最終としての老人を尊敬する気持ちが無くなった時、「大人」とは何ぞやの疑問が湧き上がるのだと思う。
私は呆けていない老齢者は社会的に常に尊敬できる対象であって欲しいし自分はそうありたいと思う。
人に迷惑を掛けない「恥の文化」を継承したいと思う。と、立派なことを考えるが繁華街でりん子にリードをつけて歩かせる時点で発言する資格はないのかな?暴論にお付き合いいただきありがとうございます。
そして、批判的、断定的な物言いごめんなさい。反省はしているのですがこれくらい書かないとインパクトが無いと思い書いてみました。最初読んだ時はそれほど深く考えませんでしたがとても奥が深く読むことが出来ました。
年と共に贅肉の付き方が変わってきている。
まだ30代の頃、年上の美容師さんが「年を取ると体重は増えなくてもお腹にお肉がつく^^;」と言っていた。
細身の彼女の細身のデニムとはアンバランスな下腹部が、それを物語っていた。
そのときの彼女と同じくらいの年齢になり、たしかに体重とか関係のない『肉』が下腹部を覆うようになってきて、ああ、わたしもそういう年齢になったのだなと諦めと若干の誇りのような不思議な気持ちになる。
記憶が定かではないけれど、中山可穂さんは小説の中で年上の恋人の下腹部を『宿命的な贅肉』と表現し美しさ(と、おそらく少しの哀愁)の魅力として描いていたし、那智さんも、実はガリガリに痩せているより、ちょっと肉惑的なのもいいと言っているので、このふくらみは大人の特権だと思うようにしている(笑)
ただ、食べ飲み大好き、運動キライ、腹筋って何?な人間なので、放っておくと、ここから先はこの宿命の贅肉の独壇場になりかねないので、多少はこちらがコントロールしよう。
那智さんも下腹部のふくらみはある程度キライじゃないはずで、むしろ、それよりウエストのラインを重視されるので、それならばコイツを凹ませるよりウエストをくびれさせることにした(それはそれで難しいけど^^;)
宿命的な贅肉と上手にお付き合いするのも、大人の証^^
まあ、直接ウエストに大きな影響を与えるわけではないけれど年齢とともに体力も衰えるし、いい季節になってきたし、意識してウォーキングにも出かけるようにしよう。
そんなわけで、桜が散り出した春の日、すこし遠くにある大型インテリア屋まで雑貨を見に繰り出した。
街道沿いの歩道はあまり広くない。
ガードレールの内側をさくさく、大股で歩いているとすこし先に小学2、3年生くらいの男の子が歩いていた。
習い事に行くのだろうか、大きめのカバンを肩に担いで。
それなりの速さで歩いているとはいえ、所詮子供のスピードは早歩きの大人のそれとは違う、あっという間に追いついてしまった。
ちょうどガードレールが途切れるポイントですこし膨らむようにして追い抜いた。
なんともない日常の一幕のはずだったんだけど、それで終わりにならなかったのは、すぐ、その子がものすごい勢いでわたしを追い抜いていったからだった。
遅刻しそうだからとか信号を渡りたいとか、そういう理由ではなくて、明らかに抜かす意思を持った早歩きだった。
あらら、どうしちゃったんだろう?
ほとんど小走りでわたしを追い抜き、その勢いで距離を取ったからまた彼はすこし遠くなった。
しかし、ここは緩やかな上り坂、しかも子供の意思なんてすぐ緩む、距離を取ったことが確認できたらふうっとスピードが落ちる。
で、ハッと気づいたように後ろをチラッと見て、また小走りに近い早歩きを始める。
そんなことを繰り返しているうちに、普通に大股で歩く大人のわたしなんてなんなく追いつくわけだ。
徐々に近づくわたしをチラチラ振り返る少年。
なんだろ?負けず嫌いな子なのなかぁ。
あんまりわかりやすいんでちょっぴり意地悪な気持ちが湧いてきて、わたしもほんのすこし歩幅を大きくしてみた。
あっという間に、もうあと一歩で真後ろというところまできた。
そして、そのままのスピードを保つ、離れも抜かしもしないでプレッシャーを与えてみようか?(笑)
10歩くらいかな。
ふと、自分の小さい頃を思い出す。
子供の頃って、根拠のないマイルール作るよね。
横断歩道の白いところだけ歩くとか、電信柱から電信柱まで息止めるとか、白のビートル見たらラッキーとか(これはマイルールじゃないね、当時流行っていた遊び^^)
それを遂行したからってなんの褒美もペナルティもないのだけどなんだか必死だったし、でも、できてもできなくてもすぐ忘れてしまうもの。
本人にとって重大で他愛ないルール。
この子もいまそれの最中だったりして?
習い事のお教室に行くまでに誰にも抜かされなかったらラッキー。
もしかしたら、今日はみんなの前でピアノの発表をするから願かけをしているかもしれない。
そんなふうに思ったら、プレッシャー与える意地悪も、いずれ抜かしてしまうのもかわいそうになってきてしまった。
でも、明らかに彼の早歩きの持久力は衰えてきている(きっと鬼ごっこの持久力とは違うんだ^^)、このまま後ろをノコノコついていくのはウォーキングに出かけたわたしの本意ではない。
しかたないなぁ。
ちょうど横断歩道があったから、そこを横切り反対側の歩道に行き、なんなく彼を追い越した。
彼は願かけが遂行できたし、わたしもウォーキングの続きができた。
那智さんだったら『社会の厳しさを教えないと(笑)』なんておっしゃるかしら。
でも、大人は自分はほんのすこし無理をして、子供に譲り、なおかつ自分の目的もちゃんと果たすもの、ですよね?(笑)
なんだか、わたし、大人じゃんといい気分でウォーキングを続けた。
さて、インテリアや雑貨大好きのわたしは終止目がハートになりながらいくつか雑貨を買う。
ちょうどお昼時だったから那智さんとお電話でつながりながら、あれもこれも素敵!!でも物を増やすのキライの買い物に関してとても面倒な性格にわたしはあれこれ迷って興奮気味、「必要かどうかじゃなくて、欲しいもので選んだら?」と楽しいお買い物の極意を伝授してくれたりして、そろそろ帰る時間になった。
お昼休憩も終わり那智さんとおしゃべりも終了してシャトルバスの乗り場まで行く。
ここはとても不便な場所にあるから最寄り駅まで無料でシャトルバスが出ているから、帰りはそれで帰るつもりだったのだ。
次のバスまで7、8分というところ。
乗り場に行くと、ひとり白髪まじりのおじさんが先に長椅子に腰かけていた。
そのおじさん、数mある長椅子の先頭から1、5mほどの中途半端な位置にいる。
人を見かけで判断してはいけないことはわかっているのだけど、このおじさん、どう見てもこの家具屋を見に来たようには見えない。
もしかしたら、この辺りに住んでいて便利な足としてこれを利用しているのかな。
わたしはよく酔っぱらいに絡まれるのだけど、それと似た空気も感じられて、ちょっと苦手な気持ちになっていた。
まあ、誰もいないし、平日のお昼でそんなに混まないだろうから、その位置にいるのかなぁと思いつつ、わたしもちょっぴり距離を置いて2番目として腰かけた。
下を向き、スマホでブログチェックしているうちに3番目の人が腰かけたのが視界に入り、それをきっかけにすこしおじさんのほうにズレた。
おじさんも、その動きでもっと前に詰めてくれるかなと、無意識に期待しながら。
まあ、結局動かなかったのだけど、もうあと2、3分でバス来るだろうしちょっとスマホに夢中になってしまっていて、女性の声で我に返った。
おじさん、後ろ座れないから詰めて
西のほうのイントネーションをわずかに感じる声、反射的に顔を上げるとベビーカーを押した若いママだった。
ふと見ると、いつの間にか長椅子いっぱいに人が並び、座れない人も数人いた。
わあ、気づかなかった。
おじさんはその後、ちょっととんちんかんなことをママに言い、2、3やり取りをしてすんなり先頭を詰めた。
わたしは自分が情けなくて、恥ずかしかった。
ここがこれくらい混むことを知らなかった、スマホに夢中になっていて一瞬周囲を意識していなかった、すぐバスは来るから立っていても大した時間じゃない、でも、もし仮に混むと知っていたら、もし座れない人がいるとわかったら、もし、バスまで時間があったら、わたしはそのおじさんに詰めましょうって言えただろうか。
ちょっと苦手なタイプのおじさんだったからというのは言い訳だな、きっとどんな人でも言えなかった。
そして、何より。
そのママさんは、その行為をごく普通の立ち位置でしていた、正義を振りかざすでもなく、一大決心しているわけでもなく、逆に下手に出て媚を売るわけでもなく、普通に。
そのフラットなスタンスで人に接する、言いにくいことを言える。
わたしができないことを普通のテンションでしていた彼女、まるで、わたしまで『詰めようね』って言われているみたいで、情けなかった^^;
人に親切にできるのは大人だ。
だけど、言いにくいことを言う、しかも正義を振りかざすわけでも遜るわけでもなく、普通にできることはもっと大人なのかもしれない。
まあ、人の『善』はいろいろなのでわたしはわたしの『善』をしていくしかないんだけど、その前に少年に対して悦に入っていた自分がちょっと恥ずかしかった^^;
大人もいろいろだ。
ところで、このお話をバスに乗ってから那智さんにチャットでお話したら
俺だったら、最初からじいさんの前に座る(笑)
と、日頃すごーく大人な那智さんの那智さんらしいお答えが返ってきて、やっぱり大人もいろいろだと思うのでした^^
クリックしていただけるとよろこびます^^
「等式」感想です。話としては、子供との競争とベンチでした。大人とはのりん子から問いのような気がしますが、そもそも「大人としての行動」は偉いのか、好きなのか、ねばならないのかが難しい。
過去ならば、周りを意識し、人に迷惑を掛けるような老人はいなかったろう、存在するとしたら呆けているので、優しく教えてあげようとか、私のように、老人より前に座っても、ベンチの座り順は関係なく最初に案内してあげるとかしなたと思う。
しかし、現在の呆けていない老齢者の見識や社会的な存在において価値が下がり、大人の最終としての老人を尊敬する気持ちが無くなった時、「大人」とは何ぞやの疑問が湧き上がるのだと思う。
私は呆けていない老齢者は社会的に常に尊敬できる対象であって欲しいし自分はそうありたいと思う。
人に迷惑を掛けない「恥の文化」を継承したいと思う。と、立派なことを考えるが繁華街でりん子にリードをつけて歩かせる時点で発言する資格はないのかな?暴論にお付き合いいただきありがとうございます。
そして、批判的、断定的な物言いごめんなさい。反省はしているのですがこれくらい書かないとインパクトが無いと思い書いてみました。最初読んだ時はそれほど深く考えませんでしたがとても奥が深く読むことが出来ました。
COMMENT
りん子さん私も言えないです。
あーここもう少しズレてくれればなー
と思っても言えない。
だから自分は責めてそうゆう事を
しないように、注意する。
おじいさんに注意したい!けど、出来ないから
反面教師にしてしまう。
ダメな大人って思います。
お腹にお肉・・・これも同じ
察するに、りん子さんろ私、
私の方が少々??年上かも??
しれないと、思うぐらいの年齢(汗)
なので、お肉問題は痛い・・・
主様はなにもおしゃらないですが
私に足を乗せると気持ちイイなどと
おしゃる。それはそれで幸せですが(^^;
りん子さんの画像ではそれとは縁遠く思える
のですが・・・
中山可穂さんの本私も読んでいるので
(まだ1冊ですが・・・)
りん子さんも読まれていらしゃって
嬉しいです。あの世界感引き込まれます。
那智様の最後の最初から前に座る発言
笑ってしまいました。
だぶん主様も同じ事おしゃりそうなので
今度聞いてみようかな(^^)
あーここもう少しズレてくれればなー
と思っても言えない。
だから自分は責めてそうゆう事を
しないように、注意する。
おじいさんに注意したい!けど、出来ないから
反面教師にしてしまう。
ダメな大人って思います。
お腹にお肉・・・これも同じ
察するに、りん子さんろ私、
私の方が少々??年上かも??
しれないと、思うぐらいの年齢(汗)
なので、お肉問題は痛い・・・
主様はなにもおしゃらないですが
私に足を乗せると気持ちイイなどと
おしゃる。それはそれで幸せですが(^^;
りん子さんの画像ではそれとは縁遠く思える
のですが・・・
中山可穂さんの本私も読んでいるので
(まだ1冊ですが・・・)
りん子さんも読まれていらしゃって
嬉しいです。あの世界感引き込まれます。
那智様の最後の最初から前に座る発言
笑ってしまいました。
だぶん主様も同じ事おしゃりそうなので
今度聞いてみようかな(^^)
ここさん
ここさんも言えないタイプですね^^
まあ、言えたほうがいいかなとは思いますが、エントリーの女性のように公平な目線で言えればいいけど、中には正義を振りかざして相手を傷つけるような言い方をする人もいるし、何でも言えることだけが正解ではないと思います。
だから、自分のできる『大人』としての良い行いをするしかないよね^^
お肉問題は切実です(笑)
お肉のつく場所は変わってくるし、年々体力も落ちてくるし^^;
わたしは背が高いので手足が長く見えるからいろいろごまかしてるけど、お肉のつく場所には抗いようがありません(笑)
でもね、世の中的には痩せているほうがプラスになっているけど、けっこう女のお肉、気持ちいいと思うんだ〜、男の人にとって^^
グラビアとかに毒されない、本当の気持ちよさを知っている男性こそ『大人』なのかも!?
そういった意味では、肉惑を良しとしている(はず)の主様と那智さんは大人です(笑)
中山可穂さんを読んでいる人に会えてうれしい^^
何を読んだんだろう〜。
わたしはデビュー作の『猫背の王子』と続編の『天使の骨』が特に好きです♪
あと、『感情教育』と『花伽藍』の中の『燦雨』と…、あー、キリがない(笑)
ここさんも言えないタイプですね^^
まあ、言えたほうがいいかなとは思いますが、エントリーの女性のように公平な目線で言えればいいけど、中には正義を振りかざして相手を傷つけるような言い方をする人もいるし、何でも言えることだけが正解ではないと思います。
だから、自分のできる『大人』としての良い行いをするしかないよね^^
お肉問題は切実です(笑)
お肉のつく場所は変わってくるし、年々体力も落ちてくるし^^;
わたしは背が高いので手足が長く見えるからいろいろごまかしてるけど、お肉のつく場所には抗いようがありません(笑)
でもね、世の中的には痩せているほうがプラスになっているけど、けっこう女のお肉、気持ちいいと思うんだ〜、男の人にとって^^
グラビアとかに毒されない、本当の気持ちよさを知っている男性こそ『大人』なのかも!?
そういった意味では、肉惑を良しとしている(はず)の主様と那智さんは大人です(笑)
中山可穂さんを読んでいる人に会えてうれしい^^
何を読んだんだろう〜。
わたしはデビュー作の『猫背の王子』と続編の『天使の骨』が特に好きです♪
あと、『感情教育』と『花伽藍』の中の『燦雨』と…、あー、キリがない(笑)
あ~…わたしも、きっと無言でそのおじさんの前に座る…と、言うか贅肉対策として、立ってるかな?
もちろん小学生は鬼ごっこ感覚でにやりと勝ち誇り追い抜いていく(大人気ないんです。わたし。)
贅肉って運動するだけじゃ落ちないんですよね?
わたしはデスクワークの仕事をしているとき、休憩時間に45分早歩きでウォーキングしていましたが、全くお腹のお肉に変化なしだったけど、仕事で同じくらい歩くようになったら一気に10kg痩せてしかもお腹もぺったんこになった(驚)
この腹をできるだけ持続したい!もちろん肉感的に(笑)
うふ♪今度のランチでりん子さんのお腹をチラ見しちゃおう(笑)
今年もよろしく♪♪
もちろん小学生は鬼ごっこ感覚でにやりと勝ち誇り追い抜いていく(大人気ないんです。わたし。)
贅肉って運動するだけじゃ落ちないんですよね?
わたしはデスクワークの仕事をしているとき、休憩時間に45分早歩きでウォーキングしていましたが、全くお腹のお肉に変化なしだったけど、仕事で同じくらい歩くようになったら一気に10kg痩せてしかもお腹もぺったんこになった(驚)
この腹をできるだけ持続したい!もちろん肉感的に(笑)
うふ♪今度のランチでりん子さんのお腹をチラ見しちゃおう(笑)
今年もよろしく♪♪
mineさん
あ〜、も〜、ホントにはこの贅肉なんとかしたい!!(笑)
そうなんだよね、この年齢になると単に『痩せている』ことは魅力にならないとは思うんだ。
肉惑的贅肉を目指したいところだけど、どうしたらいいの〜!!
たしかに、カロリー消費がそのまま痩せることにはならないみたいですね。
父の闘病のときは食事制限なんて一切していないのに、どんどん体重落ちたからなぁ。
こんなところでも精神は体に作用するんだね。
ランチのときの洋服を工夫しなければ!!(笑)
mineさん、今年もよろしくね!
あ〜、も〜、ホントにはこの贅肉なんとかしたい!!(笑)
そうなんだよね、この年齢になると単に『痩せている』ことは魅力にならないとは思うんだ。
肉惑的贅肉を目指したいところだけど、どうしたらいいの〜!!
たしかに、カロリー消費がそのまま痩せることにはならないみたいですね。
父の闘病のときは食事制限なんて一切していないのに、どんどん体重落ちたからなぁ。
こんなところでも精神は体に作用するんだね。
ランチのときの洋服を工夫しなければ!!(笑)
mineさん、今年もよろしくね!