『それだけ』と『それ以外も』
りん子的独り言(エラそう)
う〜ん、カテゴリ、悩む^^;
『徒然に「正しくないもの」』を徒然にしたのはわたしなりに答えが出せていなかったから。
健康を害することはよくないなんていう常識は当たり前過ぎて、そんなこと書きたくなかったし。
それがわかった上でどうしても惹かれてしまう心理に蓋をしたくなかったから結論を出せずにいたのだけど、納得のいく答えを見つけられたので、第二弾^^
『徒然に「正しくないもの」』を読んだ朝一番の那智さんの感想。
(多忙のため文章にはできずツイッターにはつぶやきませんでした^^)
りん子は自分を重ねているだろ
だった。
しかも、うらやましいと思って重ねているだろ
はい、正解です^^
で、たぶん、那智さんとわたしの意見違いますよね?
那智さんのいう通り、わたしは映像をテレビで観たときも、そしていまも自分を重ね憧れを抱いている。
で、わたしが羨望し自分たちを重ねていることを那智さんは知っていて、で、知ってくれているというこをわたしは知っていた(ややこし^^)。
でもって、エントリーを書きながら、きっとこれに対するふたりの意見は違うだろうなとも思っていたんだ。
わたしはあの状況に憧れている。
たまたま体が一例になっていたけれど、それが精神的なものや生活習慣だったとしても同じだろう。
身を滅ぼすような歪んだ偏愛。
熱烈に寵愛され、変形していく。
アイテムはなんでもいい、その関係や精神状態に羨望している。
さらに妄想として、それが破滅的であればあるほど惹かれるのだ。
そして、ほんの少し、自分たちと重なるとも思っている。
那智さん曰く『生きていくのが下手』だったわたしに考え方や筋を教え実行するやり方を教え、生きやすくなったこともある意味変形だし、那智さんの指一本で腰が振れ快感に溺れるようになっていったのも変形だ。
わたしは憧れているものに自分を重ねていたから、あの夫婦のその後を見たとき、複雑な気持ちになってしまったのだ。
それに対して那智さんは、たぶん違う意見を持っている。
何年か前、ちょっとまじめな口調でこんなことを話してくれた。
りん子が、たとえばこの先事故かなにかで片腕をなくしても、そうだな顔に火傷を負っても、たぶん変わらず愛していると思う。
実はこのときはあまりピンときてなかったので『ふ〜ん』くらいだった(ごめんなさい!!那智さん^^;)。
特に付き合いはじめて最初の数年はわたし大改造みたいな状態で、考え方も体もどんどん変わっていっていて、
もちろん良い方向に変わっているのだけど、そうなるといま享受している愛情も変わってしまうのではないかと不安になるから(変形を望むのに、変わるの不安の矛盾はお許しください)
だから『那智さん、わたしが○○じゃなくなったらどうします?』などと聞く。
そうすると『いまのりん子も好きだし、違うりん子も好き』と答える。
とても手前味噌な言い方をしてしまうけど^^;
○○だからいまのりん子がいいのではなく、那智さんは『りん子がいい』ということなのだ。
『○○だからってすると、そうじゃなくなったときに好きじゃなくなるみたいだろ?』という。
この気持ちはありがたいのだけど(とってもありがたいです)、反面、熱烈な歪んだ偏愛を密かな憧れとしているわたしには、ある部分では物足りないような気持ちになってしまう。
いまのりん子がいい、1mmも変わらないでと思って。
コレクターが蝶の標本を愛でるように愛して。
そんなふうに思ってくれないことをほんのちょっぴり残念に思っていたのだ。
たとえば事故に遭っての話もこれに繋がるのだろう、だから『ふ〜ん』くらいだったのね。
那智さんは『いまも、それ以外でもりん子がいい』という『それ以外も』というスタンス。
わたしは『○○のりん子がいい、いまのりん子がいい』という『それだけ』という嗜好。
だから、あの夫婦の話を読んで。
体重を減らす道を選びその後も変わらず愛するということが正解と思う那智さんと。
極端な妄想させてもらえれば、そのまま破滅することにさえ憧れてしまうわたし。
こんなふうに那智さんとわたしの意見は違うだろうなと書きながら思っていたのだ。
『女の子』がいなくなってしまって、那智さんのことを真っ白な気持ちで好きと思えないと感じていたときわたしはとても必死だった。
あの幸福な状態にもう戻れないんじゃないか、違う形の幸福を思い描けずとてもとても怖かった。
そんなとき
戻れたらいいけど、戻れなくてもまた違う関係を作ればいい。
俺はりん子と付き合っていきたい。
と那智さんは言い続けてくれた。
これは、『たとえば事故に遭って』のお話をしたときからずっと言い続けてくれたことと同じだよね。
いま『女の子』の存在をわかってもらって気持ちも元に戻っているけれど、もし戻らなかったとしたら、『それだけ』というわたしの嗜好と『それ以外でも』という那智さんのスタンスだったら、どちらが関係を継続させることだできただろう。
『○○だから好き』というそれだけに特化した偏愛は、きっとなかなか他では得難い快感を与えてくれると思う。
だけど長く付き合っていきたいと思うなら。
それだけ、なのか
それ以外も、なのか
那智さんのスタンスほうがいいということだよね。
そして、実は『それ以外』がたくさんあればあるほど、柔軟性を持ち、ときに形を変え、何度も関係を再構築できる強味や愛情に繋がるのだろう。
いまは元に戻ったとは言っても厳密に見ればまるっきり同じなはずはなく、この一年で那智さんとわたしは形は変わったはずだ。
それでもこうやって『プラスになれた』と思える、いまも思えているということは、『○○じゃなきゃダメ』という偏った嗜好のわたしも『それ以外もある』という経験になっているのだと思うの。(思うの…思うの…笑)
わたしはいまでも熱烈な偏愛やそれによる破滅に羨望は持っている。
もうこれは嗜好だから、なかなか0にはならないだろう^^;
それでもなくならないなりに、人と長く関係を構築するという豊かな人生作りを那智さんから学んでいるところなのでした^^
ということで、わたしの答え。
あの夫婦はきっと『それ以外』もあったのだと考えられるなら、常識なんてクソくらえな(笑)計りではなく良い選択だったんだよね、と思える^^
そう思えたから、第二弾エントリーなのでした。
で、これには第三弾もありますの〜^^
ちなみに。
『りん子が好き』という那智さんですが、唯一これがなくなったらダメというのがありまして。
それは羞恥心。
これは羞恥心う含めた、それを感じ取る感性だと思っている。
だから、やっぱりアンテナ磨くのがわたしの役割なのだね^^
<関連エントリー>
『徒然に「正しくないもの」』
『夢見る頃をすぎても1 2 3 4 5』
なくしてはならない羞恥心っぽい話いろいろ^^
『矛盾は辛い』
『羞恥心って?』
『もう、いや!!』
『ついにデビュー!?1 2』
『乳首死守』
う〜ん、カテゴリ、悩む^^;
『徒然に「正しくないもの」』を徒然にしたのはわたしなりに答えが出せていなかったから。
健康を害することはよくないなんていう常識は当たり前過ぎて、そんなこと書きたくなかったし。
それがわかった上でどうしても惹かれてしまう心理に蓋をしたくなかったから結論を出せずにいたのだけど、納得のいく答えを見つけられたので、第二弾^^
『徒然に「正しくないもの」』を読んだ朝一番の那智さんの感想。
(多忙のため文章にはできずツイッターにはつぶやきませんでした^^)
りん子は自分を重ねているだろ
だった。
しかも、うらやましいと思って重ねているだろ
はい、正解です^^
で、たぶん、那智さんとわたしの意見違いますよね?
那智さんのいう通り、わたしは映像をテレビで観たときも、そしていまも自分を重ね憧れを抱いている。
で、わたしが羨望し自分たちを重ねていることを那智さんは知っていて、で、知ってくれているというこをわたしは知っていた(ややこし^^)。
でもって、エントリーを書きながら、きっとこれに対するふたりの意見は違うだろうなとも思っていたんだ。
わたしはあの状況に憧れている。
たまたま体が一例になっていたけれど、それが精神的なものや生活習慣だったとしても同じだろう。
身を滅ぼすような歪んだ偏愛。
熱烈に寵愛され、変形していく。
アイテムはなんでもいい、その関係や精神状態に羨望している。
さらに妄想として、それが破滅的であればあるほど惹かれるのだ。
そして、ほんの少し、自分たちと重なるとも思っている。
那智さん曰く『生きていくのが下手』だったわたしに考え方や筋を教え実行するやり方を教え、生きやすくなったこともある意味変形だし、那智さんの指一本で腰が振れ快感に溺れるようになっていったのも変形だ。
わたしは憧れているものに自分を重ねていたから、あの夫婦のその後を見たとき、複雑な気持ちになってしまったのだ。
それに対して那智さんは、たぶん違う意見を持っている。
何年か前、ちょっとまじめな口調でこんなことを話してくれた。
りん子が、たとえばこの先事故かなにかで片腕をなくしても、そうだな顔に火傷を負っても、たぶん変わらず愛していると思う。
実はこのときはあまりピンときてなかったので『ふ〜ん』くらいだった(ごめんなさい!!那智さん^^;)。
特に付き合いはじめて最初の数年はわたし大改造みたいな状態で、考え方も体もどんどん変わっていっていて、
もちろん良い方向に変わっているのだけど、そうなるといま享受している愛情も変わってしまうのではないかと不安になるから(変形を望むのに、変わるの不安の矛盾はお許しください)
だから『那智さん、わたしが○○じゃなくなったらどうします?』などと聞く。
そうすると『いまのりん子も好きだし、違うりん子も好き』と答える。
とても手前味噌な言い方をしてしまうけど^^;
○○だからいまのりん子がいいのではなく、那智さんは『りん子がいい』ということなのだ。
『○○だからってすると、そうじゃなくなったときに好きじゃなくなるみたいだろ?』という。
この気持ちはありがたいのだけど(とってもありがたいです)、反面、熱烈な歪んだ偏愛を密かな憧れとしているわたしには、ある部分では物足りないような気持ちになってしまう。
いまのりん子がいい、1mmも変わらないでと思って。
コレクターが蝶の標本を愛でるように愛して。
そんなふうに思ってくれないことをほんのちょっぴり残念に思っていたのだ。
たとえば事故に遭っての話もこれに繋がるのだろう、だから『ふ〜ん』くらいだったのね。
那智さんは『いまも、それ以外でもりん子がいい』という『それ以外も』というスタンス。
わたしは『○○のりん子がいい、いまのりん子がいい』という『それだけ』という嗜好。
だから、あの夫婦の話を読んで。
体重を減らす道を選びその後も変わらず愛するということが正解と思う那智さんと。
極端な妄想させてもらえれば、そのまま破滅することにさえ憧れてしまうわたし。
こんなふうに那智さんとわたしの意見は違うだろうなと書きながら思っていたのだ。
『女の子』がいなくなってしまって、那智さんのことを真っ白な気持ちで好きと思えないと感じていたときわたしはとても必死だった。
あの幸福な状態にもう戻れないんじゃないか、違う形の幸福を思い描けずとてもとても怖かった。
そんなとき
戻れたらいいけど、戻れなくてもまた違う関係を作ればいい。
俺はりん子と付き合っていきたい。
と那智さんは言い続けてくれた。
これは、『たとえば事故に遭って』のお話をしたときからずっと言い続けてくれたことと同じだよね。
いま『女の子』の存在をわかってもらって気持ちも元に戻っているけれど、もし戻らなかったとしたら、『それだけ』というわたしの嗜好と『それ以外でも』という那智さんのスタンスだったら、どちらが関係を継続させることだできただろう。
『○○だから好き』というそれだけに特化した偏愛は、きっとなかなか他では得難い快感を与えてくれると思う。
だけど長く付き合っていきたいと思うなら。
それだけ、なのか
それ以外も、なのか
那智さんのスタンスほうがいいということだよね。
そして、実は『それ以外』がたくさんあればあるほど、柔軟性を持ち、ときに形を変え、何度も関係を再構築できる強味や愛情に繋がるのだろう。
いまは元に戻ったとは言っても厳密に見ればまるっきり同じなはずはなく、この一年で那智さんとわたしは形は変わったはずだ。
それでもこうやって『プラスになれた』と思える、いまも思えているということは、『○○じゃなきゃダメ』という偏った嗜好のわたしも『それ以外もある』という経験になっているのだと思うの。(思うの…思うの…笑)
わたしはいまでも熱烈な偏愛やそれによる破滅に羨望は持っている。
もうこれは嗜好だから、なかなか0にはならないだろう^^;
それでもなくならないなりに、人と長く関係を構築するという豊かな人生作りを那智さんから学んでいるところなのでした^^
ということで、わたしの答え。
あの夫婦はきっと『それ以外』もあったのだと考えられるなら、常識なんてクソくらえな(笑)計りではなく良い選択だったんだよね、と思える^^
そう思えたから、第二弾エントリーなのでした。
で、これには第三弾もありますの〜^^
ちなみに。
『りん子が好き』という那智さんですが、唯一これがなくなったらダメというのがありまして。
それは羞恥心。
これは羞恥心う含めた、それを感じ取る感性だと思っている。
だから、やっぱりアンテナ磨くのがわたしの役割なのだね^^
<関連エントリー>
『徒然に「正しくないもの」』
『夢見る頃をすぎても1 2 3 4 5』
なくしてはならない羞恥心っぽい話いろいろ^^
『矛盾は辛い』
『羞恥心って?』
『もう、いや!!』
『ついにデビュー!?1 2』
『乳首死守』
○○萌え
独特な幸福感
那智さんただいま諸事情があって整骨院に通っている。
といってもリラクゼーションに毛が生えたくらいのところなんだけど、とにかく通わないと、なのです。
ランチタイムの半分を使って整骨院に行っている。
この日、ランチデートの後もそうだった(ということはわたしは30分くらいしか一緒にいてない!!)
お食事処を出てお仕事場と駅と左右に別れるのだけど、わたしはだいたい時間が許せばお仕事場の近くまでご一緒する。
ちょっとでも長く一緒にいたいからね。
この日もそのつのりで、ついでにお遣いも頼まれていたので、お仕事場(整骨院)→郵便局→駅と遠回りコースにする予定だった。
でも時間が大丈夫だから問題なし。
少しでも長くいられるとホクホクでお仕事場の近くの整骨院までご一緒する。
整骨院の手前で少し距離を取り、小さく手を振る。
うんとうなずき那智さんはガラスの扉を開け中へ。
那智さんの姿を目で追いながらそそそと整骨院を通り過ぎる。
受付で上着を預け促されて奥に向かう那智さん。
あああ、いい!!!
いいものを見てしまった〜!!!
慣れた様子で受付の女性に上着を預ける笑顔。
何やら言葉を交わしている。
きゃーー、たまらなーい。
那智さんがわたし以外の人に向ける笑顔。
基本フランクな人なのだけど、わたし以外に向ける笑顔はすこーしだけ社交が混ざり優しさが増すの。
でも楽しげなのだ。
これ好きなの〜。
図らずもそれを見ることができたのだ!!
ほら、好きな人がお仕事の電話するのをそばで聞いたりするの、いいでしょ?
あれと同じ感覚。
普段とちょっと違うそのほんの少しよそゆきの優しい笑顔の横顔。
たまらーん。
たまらなくて、ひとり道路ではふはふ悶絶だ。
角を曲がってもまだガラス張りは続くので、ベッドに横たわろうとする様子もわかる。
ただ横になる高さになると見えないようになっていたので、見えなくなるまではふはふ見ていた。
あの他人に向ける笑顔はわたしのおかずだ*^^*
何杯でもいける(笑)
見えなくなって見ていたいくらいの勢いだったけど、かなり怪しい人になりそうなので、しかたなく郵便局へ。
でも我慢できなかった。
結局、お仕事場→郵便局→駅の予定だったけど、郵便局でお遣いを済ませ急いで戻る。
だってね、なんなにいいおかずがあるなら、そりゃあ、我慢できない。
来た道を戻り整骨院の角で待つこと数分。
終わった終わった。
ベッドから起き上がり、今度は上着を受け取る。
にゃーん、その笑顔〜。
たまらーん。
はふはふしているところに角を曲がって那智さん。
まさか、わたしがいるとは思わず『おっ』という表情。(でも、その程度なんだな。たぶんわたしなら戻って来かねないと潜在意識にあるのかも^^;)
「はい」
受領証を渡す。
「ああ、わざわざありがとう。」
受領証をお届けに上がった健気なわたしっぽかったですけど、、実は、那智さんをおかずに戻ってきただけです^^;
お礼を言ってくださって、恐縮です^^;
こちらこそ、ごちそうさまでした。
それにしても、なんであんなに好きな人の他の人に向ける笑顔っていいんだろう。
そういえば、飲み屋で那智さんが店員さんとやり取りするのを見ているのも好きだし、お友達がご一緒にときに同席させてもらって楽しそうな那智さんを眺めるのも好き。
モカちゃんに向ける笑顔なんて、トロけそうなほど好きで、悶絶だっだ(笑)
知らない一面を見る喜び。
でもって、わたしに向けているように錯覚して、でも、わたしじゃないもどかしさ。
うう、焦がれる快感だ^^
ポケットの中の小さなわたし。
リードに繋がれて見上げるわんこ。
だけど那智さんは優しい笑顔で他の人とやり取りしている。
きっと、わたしはポケットの中にいたりリード持っててもらっているってわかっているから萌えなんだろうね。
ということで、わたしは、『那智さんが他の人に向けている笑顔を見る萌え』という長ったらしい名前の萌えなのだ。
<関連エントリー>
過去にはこんな萌えもありました^^
『諭され萌え』
補足^^
『知恵の輪』で那智さんが背中に貼っていた磁気は、この整骨院で貼られたのだそうです。
ちょっとトホホな感じでしたけど、あれは那智さんの意思ではないということを那智さんの名誉のために、補足。
でも、でも、貼り続けたのは、那智さんの意思(笑)
那智さんただいま諸事情があって整骨院に通っている。
といってもリラクゼーションに毛が生えたくらいのところなんだけど、とにかく通わないと、なのです。
ランチタイムの半分を使って整骨院に行っている。
この日、ランチデートの後もそうだった(ということはわたしは30分くらいしか一緒にいてない!!)
お食事処を出てお仕事場と駅と左右に別れるのだけど、わたしはだいたい時間が許せばお仕事場の近くまでご一緒する。
ちょっとでも長く一緒にいたいからね。
この日もそのつのりで、ついでにお遣いも頼まれていたので、お仕事場(整骨院)→郵便局→駅と遠回りコースにする予定だった。
でも時間が大丈夫だから問題なし。
少しでも長くいられるとホクホクでお仕事場の近くの整骨院までご一緒する。
整骨院の手前で少し距離を取り、小さく手を振る。
うんとうなずき那智さんはガラスの扉を開け中へ。
那智さんの姿を目で追いながらそそそと整骨院を通り過ぎる。
受付で上着を預け促されて奥に向かう那智さん。
あああ、いい!!!
いいものを見てしまった〜!!!
慣れた様子で受付の女性に上着を預ける笑顔。
何やら言葉を交わしている。
きゃーー、たまらなーい。
那智さんがわたし以外の人に向ける笑顔。
基本フランクな人なのだけど、わたし以外に向ける笑顔はすこーしだけ社交が混ざり優しさが増すの。
でも楽しげなのだ。
これ好きなの〜。
図らずもそれを見ることができたのだ!!
ほら、好きな人がお仕事の電話するのをそばで聞いたりするの、いいでしょ?
あれと同じ感覚。
普段とちょっと違うそのほんの少しよそゆきの優しい笑顔の横顔。
たまらーん。
たまらなくて、ひとり道路ではふはふ悶絶だ。
角を曲がってもまだガラス張りは続くので、ベッドに横たわろうとする様子もわかる。
ただ横になる高さになると見えないようになっていたので、見えなくなるまではふはふ見ていた。
あの他人に向ける笑顔はわたしのおかずだ*^^*
何杯でもいける(笑)
見えなくなって見ていたいくらいの勢いだったけど、かなり怪しい人になりそうなので、しかたなく郵便局へ。
でも我慢できなかった。
結局、お仕事場→郵便局→駅の予定だったけど、郵便局でお遣いを済ませ急いで戻る。
だってね、なんなにいいおかずがあるなら、そりゃあ、我慢できない。
来た道を戻り整骨院の角で待つこと数分。
終わった終わった。
ベッドから起き上がり、今度は上着を受け取る。
にゃーん、その笑顔〜。
たまらーん。
はふはふしているところに角を曲がって那智さん。
まさか、わたしがいるとは思わず『おっ』という表情。(でも、その程度なんだな。たぶんわたしなら戻って来かねないと潜在意識にあるのかも^^;)
「はい」
受領証を渡す。
「ああ、わざわざありがとう。」
受領証をお届けに上がった健気なわたしっぽかったですけど、、実は、那智さんをおかずに戻ってきただけです^^;
お礼を言ってくださって、恐縮です^^;
こちらこそ、ごちそうさまでした。
それにしても、なんであんなに好きな人の他の人に向ける笑顔っていいんだろう。
そういえば、飲み屋で那智さんが店員さんとやり取りするのを見ているのも好きだし、お友達がご一緒にときに同席させてもらって楽しそうな那智さんを眺めるのも好き。
モカちゃんに向ける笑顔なんて、トロけそうなほど好きで、悶絶だっだ(笑)
知らない一面を見る喜び。
でもって、わたしに向けているように錯覚して、でも、わたしじゃないもどかしさ。
うう、焦がれる快感だ^^
ポケットの中の小さなわたし。
リードに繋がれて見上げるわんこ。
だけど那智さんは優しい笑顔で他の人とやり取りしている。
きっと、わたしはポケットの中にいたりリード持っててもらっているってわかっているから萌えなんだろうね。
ということで、わたしは、『那智さんが他の人に向けている笑顔を見る萌え』という長ったらしい名前の萌えなのだ。
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過去にはこんな萌えもありました^^
『諭され萌え』
補足^^
『知恵の輪』で那智さんが背中に貼っていた磁気は、この整骨院で貼られたのだそうです。
ちょっとトホホな感じでしたけど、あれは那智さんの意思ではないということを那智さんの名誉のために、補足。
でも、でも、貼り続けたのは、那智さんの意思(笑)
『それだけ』と『それ以外も』2
りん子的独り言(生意気)
りん子的独り言(生意気)は主従関係などについて書きますが、それ自体を批判しているのではなく、それで満たされない人がいるならと思って書いています。
同じ立場の方でも幸福を感じられている方には祝福の気持ちです。
こんな気持ちで書いています。『りん子的独り言って』『かつてのわたしに』
『それだけ』か『それ以外も』か。
そもそも『それだけ』と『それ以外も』って何を指しているのだろう。
『「それだけ」か「それ以外も」か』からお読みいただいたほうがわかりやすいです。
自分で書きながらはっきり定義していなかったので、もうちょっと考えてみよう。
これは漠然と嗜好(性的嗜好を含む)を指しているのだと思う。
ちょっと好きなことから、とても大事な嗜好、濃淡はいろいろだろうけど。
たとえばね。
緊縛好きで出会ったカップルが他のことにも興味を持ち『それ以外も』と思えれば、付き合いは広がるし。
SMカップルがなんらかの事情でSMができなくなったとしても、もし人として魅力を感じていて一緒に映画を観るととても楽しいなんて嗜好が一致していたら、違った形で関係は続けることができるかもしれない。
那智さんが最初に『SMを意識するな』と言ったこことも、それ以外もわたしと楽しみたいという気持ちもあったからとも考えられる。
『それだけ』よりも『それ以外』があったほうが柔軟性がある。
いろんなことに興味を持ち、自分もいろんな魅力を持っていたほうが、付き合いを継続させたいなら有効なのではないかなということだな。(今更整理^^;)
で、『それ』を嗜好(性的嗜好)とするとして、感じたことを書きますね。
たまたりん子こ数ヶ月でご主人様に関係を解消させられた奴隷さんを続けて目にすることがあったのだ。
お付き合いの長さや事情はそれぞれでしょうけど、前エントリーを書きながらもしかしたら主従やご主人様と奴隷さんは『それだけ』であることが多いのではないか、そして、もしかしたらその関係にも『それ以外』がたくさんあったら道は違っていたのではないかと想像してしまいました。
もちろん表向きはそうでもふたりにしかわからない『それ以外』もあるかもしれないけど、外側から見れば役割がはっきりしている関係は『それだけ』になりやすいのではないかと想像する。
で、やっぱり、もし、長く関係を継続させたいならば、『それ以外』があったほうが柔軟で強いと思う。
えっと、これは『それだけ』を否定しているのではないですよ(ここ重要^^)
わたし自身『それだけ』の偏愛に憧れているし、その甘美な快楽も想像できる。
その嗜好(性的嗜好)を貫く良さもあるだろう。
ただ長くお付き合いしたいなら、柔軟性に富んでいる『それ以外』もあったほうがいいだろうなと思うという前回の結論からのお話です。
で、実はここからが本題なんだけど^^
『それだけ』は否定しないけど、ただひとつ思うことは、『それだけ』の道を選ぶなら自分の嗜好(性的嗜好)を基準にしたほうが、絶対いいということ。
仮に『それだけ』が短命だったとして、でも自分の性癖や嗜好を満たすためだったら、覚悟はできるし納得することができる。
不必要な傷を負うこともない次また前に進みやすいはずだ。
相手が望んだから。
そうじゃないと付き合えなかったから。
そんなふうに自分の本意ではなく相手に合わせて『それだけ』を選んでしまったら、『それ以外』を求める気持ちや自分の求める『それだけ』は叶えられない。
万が一関係を解消されたとき、その叶えられなかった感情の持って行き場がなく自分を苦しめることになると思う。
あのときああるればよかった。
ご主人様がこうしろといったから。
でも従った私が悪い。
感情の行き場がなく誰かを責めないと収まらないけど、誰も責めることができず、結局自分を責めて苦しんでいる。
たまたま目にした関係を解消された奴隷さんを見ていると、自分の『それだけ』や『それ以外』を押し殺していた故の後悔や自責や怨みが感じられていたたまれなくなる。
永遠なんてなくて、だからどんな関係だっていつか別れが来るよね。
どんな関係だって別れは辛くて悲しい。
だけどそのときに、『それだけ』だった人は、それが自分の望んだものであれば『それだけ』を得られた満足を感じるだろう。
相手に合わせて『それだけ』を選んでいたら、押し殺していた『それ以外』を得られなかった後悔を感じやしないか。
自分の性癖や嗜好を知って選ぶのとそうでないのとでは大きく違うのではないだろうか。
お友達のmineさんはお相手の名前を知らない。
一緒にレストランにも入ったことはないし、手を繋いだこともない。
わたしから見たら『それだけ』以外何者でもない(笑)
だけど、恐らく彼女はそれが満足のはずだ。
もし仮にお別れするようなことがあったとしても(ごめん)彼女は後悔しないだろうしお相手を責めるような気持ちにもならないだろう。
なぜなら、諸々事情はあるだろうけど、『それだけ』を彼女が望み、選んでいるからだ。(きっとお名前を聞けばお相手は答えてくれるはず^^)
牝として飼われることに彼女の性的嗜好は満たされる。
手を繋げないことに焦れ、そんな自分に快感を覚えているのだ。
彼女は、自分の求めるものを理解し、それを選んでいる。
『それだけ』でも満たされるということは、そういうことなのだと思う。
いつも思う。
自分の性癖や嗜好、望みを理解して。
『それだけ』がほしいのか『それ以外』もほしいのか、見極めて。
長くお付き合いがしたいなら『それ以外』をたくさん増やしたほうが有効だ。
そして『それだけ』を選ぶなら、自分の嗜好で選んだほうがいい。
そんなふうに思うのでした^^
そういえば、那智さんとはじめてお話ししてから1、2ヶ月のころだっただろうか。
大きなバケツで受け止めてもらって、父性の存在を知り、とめどなく感情を溢れさせていたころ。
こんなふうに全開の感情放出をしていたら、ぜったい飽きられるだろうし重荷になるだろうって思っていた。
だけど自分の求めていたものの気持ちよさを止めることができず、これは短命に終わるかもしれないと思っていた。
それでも、いま、これがほしいと溢れさせ続けた。
知らなかった父性の幸福を味わえ溢れさせることができたのだ、仮に短命だったとしてもしかたがない。
残念だし辛いだろうけど、後悔しないし満足だし、那智さんを恨むこともないだろうって思っていた。
わたしにとって『父性』は嗜好や性癖ではあるけど、もっと重要な『核』でもある。
嗜好と『核』は違うけど(説明なし!!ごめん^^)それでも、やっぱり自分のほしいものをもらえると、後悔は少ないのではないかと思うのだ。
『それだけ』と『それ以外も』
どちらを選ぶかは人それぞれだけど、本当の自分の求めるものを知っていると後悔せず満足だろうって思うのでした。
<関連エントリー>
『「それだけ」か「それ以外も」か』
『奴隷「が」いいの?』
『否応なくマゾ』
短命でもかまわないと思っていた頃。
『退路を断つ時』
りん子的独り言(生意気)は主従関係などについて書きますが、それ自体を批判しているのではなく、それで満たされない人がいるならと思って書いています。
同じ立場の方でも幸福を感じられている方には祝福の気持ちです。
こんな気持ちで書いています。『りん子的独り言って』『かつてのわたしに』
『それだけ』か『それ以外も』か。
そもそも『それだけ』と『それ以外も』って何を指しているのだろう。
『「それだけ」か「それ以外も」か』からお読みいただいたほうがわかりやすいです。
自分で書きながらはっきり定義していなかったので、もうちょっと考えてみよう。
これは漠然と嗜好(性的嗜好を含む)を指しているのだと思う。
ちょっと好きなことから、とても大事な嗜好、濃淡はいろいろだろうけど。
たとえばね。
緊縛好きで出会ったカップルが他のことにも興味を持ち『それ以外も』と思えれば、付き合いは広がるし。
SMカップルがなんらかの事情でSMができなくなったとしても、もし人として魅力を感じていて一緒に映画を観るととても楽しいなんて嗜好が一致していたら、違った形で関係は続けることができるかもしれない。
那智さんが最初に『SMを意識するな』と言ったこことも、それ以外もわたしと楽しみたいという気持ちもあったからとも考えられる。
『それだけ』よりも『それ以外』があったほうが柔軟性がある。
いろんなことに興味を持ち、自分もいろんな魅力を持っていたほうが、付き合いを継続させたいなら有効なのではないかなということだな。(今更整理^^;)
で、『それ』を嗜好(性的嗜好)とするとして、感じたことを書きますね。
たまたりん子こ数ヶ月でご主人様に関係を解消させられた奴隷さんを続けて目にすることがあったのだ。
お付き合いの長さや事情はそれぞれでしょうけど、前エントリーを書きながらもしかしたら主従やご主人様と奴隷さんは『それだけ』であることが多いのではないか、そして、もしかしたらその関係にも『それ以外』がたくさんあったら道は違っていたのではないかと想像してしまいました。
もちろん表向きはそうでもふたりにしかわからない『それ以外』もあるかもしれないけど、外側から見れば役割がはっきりしている関係は『それだけ』になりやすいのではないかと想像する。
で、やっぱり、もし、長く関係を継続させたいならば、『それ以外』があったほうが柔軟で強いと思う。
えっと、これは『それだけ』を否定しているのではないですよ(ここ重要^^)
わたし自身『それだけ』の偏愛に憧れているし、その甘美な快楽も想像できる。
その嗜好(性的嗜好)を貫く良さもあるだろう。
ただ長くお付き合いしたいなら、柔軟性に富んでいる『それ以外』もあったほうがいいだろうなと思うという前回の結論からのお話です。
で、実はここからが本題なんだけど^^
『それだけ』は否定しないけど、ただひとつ思うことは、『それだけ』の道を選ぶなら自分の嗜好(性的嗜好)を基準にしたほうが、絶対いいということ。
仮に『それだけ』が短命だったとして、でも自分の性癖や嗜好を満たすためだったら、覚悟はできるし納得することができる。
不必要な傷を負うこともない次また前に進みやすいはずだ。
相手が望んだから。
そうじゃないと付き合えなかったから。
そんなふうに自分の本意ではなく相手に合わせて『それだけ』を選んでしまったら、『それ以外』を求める気持ちや自分の求める『それだけ』は叶えられない。
万が一関係を解消されたとき、その叶えられなかった感情の持って行き場がなく自分を苦しめることになると思う。
あのときああるればよかった。
ご主人様がこうしろといったから。
でも従った私が悪い。
感情の行き場がなく誰かを責めないと収まらないけど、誰も責めることができず、結局自分を責めて苦しんでいる。
たまたま目にした関係を解消された奴隷さんを見ていると、自分の『それだけ』や『それ以外』を押し殺していた故の後悔や自責や怨みが感じられていたたまれなくなる。
永遠なんてなくて、だからどんな関係だっていつか別れが来るよね。
どんな関係だって別れは辛くて悲しい。
だけどそのときに、『それだけ』だった人は、それが自分の望んだものであれば『それだけ』を得られた満足を感じるだろう。
相手に合わせて『それだけ』を選んでいたら、押し殺していた『それ以外』を得られなかった後悔を感じやしないか。
自分の性癖や嗜好を知って選ぶのとそうでないのとでは大きく違うのではないだろうか。
お友達のmineさんはお相手の名前を知らない。
一緒にレストランにも入ったことはないし、手を繋いだこともない。
わたしから見たら『それだけ』以外何者でもない(笑)
だけど、恐らく彼女はそれが満足のはずだ。
もし仮にお別れするようなことがあったとしても(ごめん)彼女は後悔しないだろうしお相手を責めるような気持ちにもならないだろう。
なぜなら、諸々事情はあるだろうけど、『それだけ』を彼女が望み、選んでいるからだ。(きっとお名前を聞けばお相手は答えてくれるはず^^)
牝として飼われることに彼女の性的嗜好は満たされる。
手を繋げないことに焦れ、そんな自分に快感を覚えているのだ。
彼女は、自分の求めるものを理解し、それを選んでいる。
『それだけ』でも満たされるということは、そういうことなのだと思う。
いつも思う。
自分の性癖や嗜好、望みを理解して。
『それだけ』がほしいのか『それ以外』もほしいのか、見極めて。
長くお付き合いがしたいなら『それ以外』をたくさん増やしたほうが有効だ。
そして『それだけ』を選ぶなら、自分の嗜好で選んだほうがいい。
そんなふうに思うのでした^^
そういえば、那智さんとはじめてお話ししてから1、2ヶ月のころだっただろうか。
大きなバケツで受け止めてもらって、父性の存在を知り、とめどなく感情を溢れさせていたころ。
こんなふうに全開の感情放出をしていたら、ぜったい飽きられるだろうし重荷になるだろうって思っていた。
だけど自分の求めていたものの気持ちよさを止めることができず、これは短命に終わるかもしれないと思っていた。
それでも、いま、これがほしいと溢れさせ続けた。
知らなかった父性の幸福を味わえ溢れさせることができたのだ、仮に短命だったとしてもしかたがない。
残念だし辛いだろうけど、後悔しないし満足だし、那智さんを恨むこともないだろうって思っていた。
わたしにとって『父性』は嗜好や性癖ではあるけど、もっと重要な『核』でもある。
嗜好と『核』は違うけど(説明なし!!ごめん^^)それでも、やっぱり自分のほしいものをもらえると、後悔は少ないのではないかと思うのだ。
『それだけ』と『それ以外も』
どちらを選ぶかは人それぞれだけど、本当の自分の求めるものを知っていると後悔せず満足だろうって思うのでした。
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『「それだけ」か「それ以外も」か』
『奴隷「が」いいの?』
『否応なくマゾ』
短命でもかまわないと思っていた頃。
『退路を断つ時』
徒然に『求めるもの』
りん子的独り言(生意気)
いつも問いかけている
自分の求めるものを見極めて
と。
おそらくそれができている人からしたら極普通の極めて当たり前のことなんだろうな。
何をそんな当たり前のことをいっているのだろう。
自分のことなんだからわからないことないじゃない。
そんなふうに不思議に思うかもしれない。
でもね…わからないのだ(笑)
かつてわたしは自分を困らせる蠢くものが存在していることは知っていた。
熱してはすぐ冷める恋愛を繰り返し、そのうち自分には人を愛する才能がないのだろうと諦めるような気持ちになっていた。
それでも蠢くものを鎮めたくて、性的な興味を持っていたSMや支配の世界に足を踏み入れた。
でも、SM行為だけでは夢中になれなかった。
ご主人様と名乗る人と付き合っても相手を見下したままだった。
好きになった人とSM行為をしても満たされなかった。
おかしいな、わたしの性的嗜好はSMや支配ではないのだろうか。
オナニーのほうがずっと濡れる、昔から憧れていた世界なのに最初は濡れていてもすぐ乾いてしまう自分が不思議だった。
熱しやすく冷めやすい恋愛。
相手が見つからず何度も旅に出るパートナー探し。
わたしは、自分が何を求めているのかわからない人間だったのだ。
だからどう見ても、奴隷さんになりたいんじゃないでしょ!!ただ依存していたいだけでしょ!!という依存体質さんを見ていると、歯がゆくなってしまって、あなたのほしいものはそれじゃないんじゃない?っていつも書いている。
求めるもの見極めてって。
でね、『それだけ』と『それ以外』を書きながら、問いかけるだけでいいのだろうかって思った。
たぶん、最初からちゃんと自分のことがわかっている人からしたら、わかっていることは当然のことだ。
だから『わかるようになる方法』なんて知りようがないよね。
で、わからない人は、実はわかっていないことさえ、わかっていないというケースも多いはずだ。
よくお勉強でもあるよね、難し過ぎて何がわからないかもわからない状態(笑)
こういう人もきっとたくさんいる。
それならね。
かつてわからなくて、いまわかっているという両方経験したわたしだから言えることってないだろうかと思ったのです。
そう思って、ただ自分の求めるものを見極めてと問いかけするだけじゃなくて、もう少し何とかならないかなって考えてみた。
…
でも一生懸命探してみても当然のように魔法の呪文は見つからないのだ(笑)
せいぜいヒントくらいしか思いつかない^^;
やっぱり自分のことは自分で見つけるしかないのかな。
だけど、せめて、思いついたものを書いてみようと思う。
前エントリーで『核』と『嗜好』は違うとチラッと書いた。
自分が何を求めているのかわからない人は、この区別をつけるだけでもちょっと違うんじゃないかって思う。
おそらく、わたしが憧れていたSMは『嗜好』だよね。
で、ずっと蠢いていたものは大きく括ってしまうけど『父性を求める心(=依存?女の子?、かな。ちょっと断言できない)』、これがわたしの『核』だ。
『嗜好』と『核』はとても似ているし近いかもしれないけど、たぶん違う。
『嗜好』は豊かになれるもの、もしくはその欲求。
『核』は、アイデンティティという感覚が近いかもしれない。
自分は『核』を探しているのか、それとも『嗜好』を満たそうとしているのか。
これがわかっていたら見つけ方や心構えも違ってくると思う。
こんなふうに分けて考えるように書いているけど、きっと『嗜好』と『核』は長く深く関わると境目がなくなってくるようにも思う。
もしかして『嗜好』で出会ったSMカップルがいつしかとても大事な『核』になっていくなんてこともあるかもしれないよね。
じゃあ、どうやって『嗜好』と『核』を見極めればいいのか。
これが難しい^^;
たとえば。
『「好み」と「合う」』というエントリーを書いたけど、これも『嗜好(好み)』『核(合う)』に当てはめることができるような気がするよ。
好きという感情はときめく。
ドキドキわくわくして、すこしヒヤヒヤする。
合うは、あまりドキドキはしないかもしれない。
だけど安心する。
ときめきと安心とどちらを選んでいくか、それは自由だ。
ついでにいうと、わたしはときめきと安心両方感じているので必ずどちらかだと言えないけど、そういう考え方という一例ね。
男女限らずね、どんなときどんな人とときめいて、どんな人となら安心した?
何を読んでときめいて、何を読んだら安心した?
こんなふうに、いままで経験したときめきや安心の感情の経験を思い出してみるのもいいかもしれない。
そしたら自分の好みと合うの違いがわかるかも。
そうそう、もうひとつ。
これもまーったく根拠ないのだけど、けっこう核心かもしれない^^
うんと小さい頃の好きな男の人のタイプって、いまの好みと同じ?
わたし、違うんだよね。
小さい頃、テレビやマンガを読んでいいなと思うタイプはみんな優しくて包容力のある人だった。
それがいつしか母性本能をくすぐる可愛い男の子がタイプに変わっていたんだ。
もしかしたら、小さい頃思い描いていたことが本来の『核』なのであって、大人になってできた好みは、それまで生きていく上で何かをねじ曲げた結果かもしれない。
(これ、いつか掘り下げよう^^)
そんなふうに考えてみるのもひとつの方法じゃないかな。
なんとなく『嗜好』と『核』の違いがわかってきたら、どちらを求めていたいかという自分心といまはどちらを埋めることができているかという現状を把握できるといいと思う。
『核』を求めているのに『嗜好』から探していたら見つからないし、『嗜好』を楽しむ気持ちに切り替えないと『核』は邪魔になるかもしれない。
これを把握できていると不必要に傷つくことはないと思うし、傷が深くなければ問題から目を背けずにいられるはず。
自分のことなんだから、自分でわかるのは当然?
そうかもしれない。
だけどここにかつて自分の快不快がわからず、足掻いていた女もいる。
そういう人もいるということ。
でもわからないなら、時間をかけてもわかるようになればいい。
わからないってわかっているだけでも、一歩前進だものね^^
思いつくままに書いてみました。
あんまりヒントににもなっていないかもしれない^^;
そうそう、もうひとつ。
ここを読んで『非日常的な日常』のSM行為や性的なものじゃなく、『独特な幸福感』の特に『父性』に反応した人は、きっと『父性』を求める依存体質さんの可能性は高い^^
これは、かなり手っ取り早い見極め方かも(これもかなりの核心!?)
で、もし反応にたのなら、あなたの求めているものはサディストでもご主人様でもなくてお父さんかもしれないね^^
いつも問いかけている
自分の求めるものを見極めて
と。
おそらくそれができている人からしたら極普通の極めて当たり前のことなんだろうな。
何をそんな当たり前のことをいっているのだろう。
自分のことなんだからわからないことないじゃない。
そんなふうに不思議に思うかもしれない。
でもね…わからないのだ(笑)
かつてわたしは自分を困らせる蠢くものが存在していることは知っていた。
熱してはすぐ冷める恋愛を繰り返し、そのうち自分には人を愛する才能がないのだろうと諦めるような気持ちになっていた。
それでも蠢くものを鎮めたくて、性的な興味を持っていたSMや支配の世界に足を踏み入れた。
でも、SM行為だけでは夢中になれなかった。
ご主人様と名乗る人と付き合っても相手を見下したままだった。
好きになった人とSM行為をしても満たされなかった。
おかしいな、わたしの性的嗜好はSMや支配ではないのだろうか。
オナニーのほうがずっと濡れる、昔から憧れていた世界なのに最初は濡れていてもすぐ乾いてしまう自分が不思議だった。
熱しやすく冷めやすい恋愛。
相手が見つからず何度も旅に出るパートナー探し。
わたしは、自分が何を求めているのかわからない人間だったのだ。
だからどう見ても、奴隷さんになりたいんじゃないでしょ!!ただ依存していたいだけでしょ!!という依存体質さんを見ていると、歯がゆくなってしまって、あなたのほしいものはそれじゃないんじゃない?っていつも書いている。
求めるもの見極めてって。
でね、『それだけ』と『それ以外』を書きながら、問いかけるだけでいいのだろうかって思った。
たぶん、最初からちゃんと自分のことがわかっている人からしたら、わかっていることは当然のことだ。
だから『わかるようになる方法』なんて知りようがないよね。
で、わからない人は、実はわかっていないことさえ、わかっていないというケースも多いはずだ。
よくお勉強でもあるよね、難し過ぎて何がわからないかもわからない状態(笑)
こういう人もきっとたくさんいる。
それならね。
かつてわからなくて、いまわかっているという両方経験したわたしだから言えることってないだろうかと思ったのです。
そう思って、ただ自分の求めるものを見極めてと問いかけするだけじゃなくて、もう少し何とかならないかなって考えてみた。
…
でも一生懸命探してみても当然のように魔法の呪文は見つからないのだ(笑)
せいぜいヒントくらいしか思いつかない^^;
やっぱり自分のことは自分で見つけるしかないのかな。
だけど、せめて、思いついたものを書いてみようと思う。
前エントリーで『核』と『嗜好』は違うとチラッと書いた。
自分が何を求めているのかわからない人は、この区別をつけるだけでもちょっと違うんじゃないかって思う。
おそらく、わたしが憧れていたSMは『嗜好』だよね。
で、ずっと蠢いていたものは大きく括ってしまうけど『父性を求める心(=依存?女の子?、かな。ちょっと断言できない)』、これがわたしの『核』だ。
『嗜好』と『核』はとても似ているし近いかもしれないけど、たぶん違う。
『嗜好』は豊かになれるもの、もしくはその欲求。
『核』は、アイデンティティという感覚が近いかもしれない。
自分は『核』を探しているのか、それとも『嗜好』を満たそうとしているのか。
これがわかっていたら見つけ方や心構えも違ってくると思う。
こんなふうに分けて考えるように書いているけど、きっと『嗜好』と『核』は長く深く関わると境目がなくなってくるようにも思う。
もしかして『嗜好』で出会ったSMカップルがいつしかとても大事な『核』になっていくなんてこともあるかもしれないよね。
じゃあ、どうやって『嗜好』と『核』を見極めればいいのか。
これが難しい^^;
たとえば。
『「好み」と「合う」』というエントリーを書いたけど、これも『嗜好(好み)』『核(合う)』に当てはめることができるような気がするよ。
好きという感情はときめく。
ドキドキわくわくして、すこしヒヤヒヤする。
合うは、あまりドキドキはしないかもしれない。
だけど安心する。
ときめきと安心とどちらを選んでいくか、それは自由だ。
ついでにいうと、わたしはときめきと安心両方感じているので必ずどちらかだと言えないけど、そういう考え方という一例ね。
男女限らずね、どんなときどんな人とときめいて、どんな人となら安心した?
何を読んでときめいて、何を読んだら安心した?
こんなふうに、いままで経験したときめきや安心の感情の経験を思い出してみるのもいいかもしれない。
そしたら自分の好みと合うの違いがわかるかも。
そうそう、もうひとつ。
これもまーったく根拠ないのだけど、けっこう核心かもしれない^^
うんと小さい頃の好きな男の人のタイプって、いまの好みと同じ?
わたし、違うんだよね。
小さい頃、テレビやマンガを読んでいいなと思うタイプはみんな優しくて包容力のある人だった。
それがいつしか母性本能をくすぐる可愛い男の子がタイプに変わっていたんだ。
もしかしたら、小さい頃思い描いていたことが本来の『核』なのであって、大人になってできた好みは、それまで生きていく上で何かをねじ曲げた結果かもしれない。
(これ、いつか掘り下げよう^^)
そんなふうに考えてみるのもひとつの方法じゃないかな。
なんとなく『嗜好』と『核』の違いがわかってきたら、どちらを求めていたいかという自分心といまはどちらを埋めることができているかという現状を把握できるといいと思う。
『核』を求めているのに『嗜好』から探していたら見つからないし、『嗜好』を楽しむ気持ちに切り替えないと『核』は邪魔になるかもしれない。
これを把握できていると不必要に傷つくことはないと思うし、傷が深くなければ問題から目を背けずにいられるはず。
自分のことなんだから、自分でわかるのは当然?
そうかもしれない。
だけどここにかつて自分の快不快がわからず、足掻いていた女もいる。
そういう人もいるということ。
でもわからないなら、時間をかけてもわかるようになればいい。
わからないってわかっているだけでも、一歩前進だものね^^
思いつくままに書いてみました。
あんまりヒントににもなっていないかもしれない^^;
そうそう、もうひとつ。
ここを読んで『非日常的な日常』のSM行為や性的なものじゃなく、『独特な幸福感』の特に『父性』に反応した人は、きっと『父性』を求める依存体質さんの可能性は高い^^
これは、かなり手っ取り早い見極め方かも(これもかなりの核心!?)
で、もし反応にたのなら、あなたの求めているものはサディストでもご主人様でもなくてお父さんかもしれないね^^
ふたりバーベキュー『わたしの勝ち^^』
独特な幸福感
猛暑が落ち着きやっと爽やかな秋の風が感じられるようになった休日、那智さんとバーベキューをした。
そのときの思い出をいくつか^^
那智さんとお出かけするのは楽しい。
一緒に電車に乗るだけで楽しい。
周りにご迷惑をかけてはいけないからヒソヒソ声でハイテンション。
朝の空いた電車の中、途中で買い込む食材を入れるために持ってきてくれた大きなカバンを開けている。
なぜか、中には尻尾やら麻縄やら。
そこにわんこのお皿まで!!
電車の中で見るものにはあまりにそぐわず、ひゃあひゃあ^^
このお皿はいままでハンバーガーやおしっこやいろいろ入れてくれていたけど、お外で活躍するのははじめてだ。
きゃー、わんこ皿*^^*
これでいただくの?
いやー、無理です!!
と、まず最初に無理です!!と拒否の気持ちに振れるけど、あっという間にわんこになれる喜びのほうが上回っていて、最近それを自覚していて、その事実に困惑する。
きゃー、お皿*^^*
無理無理〜。
でも、喜んじゃってるよぉ、わたし。
電車の中でウキウキ、きゃあきゃあ。
バーベキュー場の最寄り駅のスーパーで足りない食材を補充する。
ふたりでスーパーでお買い物なんて、そりゃあ、もう、わくわくする。
普通のお肉だけじゃなくてスペアリブや手羽先、さんままで購入^^
ふたりじゃ食べきれないくらい。
ビールと那智さんの焼酎。
あんまり酔っ払いさんにならないでほしいわたしと那智さんの焼酎大きさ攻防。
なんとなくビールの量を控えるわたしに、現地で追加したらお仕置き(笑)と脅す那智さん。
他愛ないことがとんでもなく楽しい。
結局保冷バッグとロックアイスを買って、たっぷりビールは冷やして、那智さん用焼酎はロックでということに決定。
この保冷バッグもマチがついているものとそうじゃないもので攻防^^
ケチなわたしはマチなしの安いほう、おそらく『大は小を兼ねる』派の那智さんはマチ付き。
「ロックアイスだって入んないんじゃない!?」
「入りますよ〜」
じゃあ、入れてみようと那智さん。
結局、保冷バッグにロックアイスを入れてみて(すみません、会計前にでも買うつもりだったから許して)ちゃんと納まることを確認して、小さいほうに決定。
「ね、入るでしょ♪」
なんだか上機嫌。
遠足のお菓子を買いにきた諸学制みたいだ、こんな攻防もいちいち楽しい^^
で、そのまま保冷バッグにロックアイスを入れたまま会計をしてしまった。
レジで店員さんがロックアイスを『ピッ』とできずに、保冷バッグから出さないといけないはめに。
大した労力ではないけど、ちょっと手を煩わせてしまっていた。
会計を済ませた食材をカバンに詰めながら、その様子を見た那智さんが
「ほら〜、りん子、そんな中に入れちゃうから〜(笑)」
え〜、那智さん、自分が入れたのに〜!?
那智さんのことだから、店員さんに手間を取らせてわたしが恐縮しちゃうことを『楽しいこと』にしようとしてくれているらしい。
でも、でも、きっとそれだけじゃない。
大と小の攻防で小に決まったから、ちょっとだけからかって意地悪だ(笑)
「ほら〜、りん子、そんな中に入れちゃうから〜、店員さん大変になってるじゃん、すいません(笑)」
「ごめんなさーーい♪わたしがいけませんでーしたーー(笑)」
こういうときはニッコリ笑ってで即座に受け入れる。
必殺『肯定女』だ!!
レジで支払いをしながら那智さんを見る。
「この場合、わたしのお返事のほうが勝ちでしょ〜^^」
「確かに、りん子の勝ち(笑)」
わたしたちの間では先に謝ったほうが一本取れることもあるのだ^^
肯定女は、ときどきちょっと強い^^
こんな会話を楽しみながら、続く〜。
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わんこ皿
『一緒にご飯1 2』
『肯定女』
猛暑が落ち着きやっと爽やかな秋の風が感じられるようになった休日、那智さんとバーベキューをした。
そのときの思い出をいくつか^^
那智さんとお出かけするのは楽しい。
一緒に電車に乗るだけで楽しい。
周りにご迷惑をかけてはいけないからヒソヒソ声でハイテンション。
朝の空いた電車の中、途中で買い込む食材を入れるために持ってきてくれた大きなカバンを開けている。
なぜか、中には尻尾やら麻縄やら。
そこにわんこのお皿まで!!
電車の中で見るものにはあまりにそぐわず、ひゃあひゃあ^^
このお皿はいままでハンバーガーやおしっこやいろいろ入れてくれていたけど、お外で活躍するのははじめてだ。
きゃー、わんこ皿*^^*
これでいただくの?
いやー、無理です!!
と、まず最初に無理です!!と拒否の気持ちに振れるけど、あっという間にわんこになれる喜びのほうが上回っていて、最近それを自覚していて、その事実に困惑する。
きゃー、お皿*^^*
無理無理〜。
でも、喜んじゃってるよぉ、わたし。
電車の中でウキウキ、きゃあきゃあ。
バーベキュー場の最寄り駅のスーパーで足りない食材を補充する。
ふたりでスーパーでお買い物なんて、そりゃあ、もう、わくわくする。
普通のお肉だけじゃなくてスペアリブや手羽先、さんままで購入^^
ふたりじゃ食べきれないくらい。
ビールと那智さんの焼酎。
あんまり酔っ払いさんにならないでほしいわたしと那智さんの焼酎大きさ攻防。
なんとなくビールの量を控えるわたしに、現地で追加したらお仕置き(笑)と脅す那智さん。
他愛ないことがとんでもなく楽しい。
結局保冷バッグとロックアイスを買って、たっぷりビールは冷やして、那智さん用焼酎はロックでということに決定。
この保冷バッグもマチがついているものとそうじゃないもので攻防^^
ケチなわたしはマチなしの安いほう、おそらく『大は小を兼ねる』派の那智さんはマチ付き。
「ロックアイスだって入んないんじゃない!?」
「入りますよ〜」
じゃあ、入れてみようと那智さん。
結局、保冷バッグにロックアイスを入れてみて(すみません、会計前にでも買うつもりだったから許して)ちゃんと納まることを確認して、小さいほうに決定。
「ね、入るでしょ♪」
なんだか上機嫌。
遠足のお菓子を買いにきた諸学制みたいだ、こんな攻防もいちいち楽しい^^
で、そのまま保冷バッグにロックアイスを入れたまま会計をしてしまった。
レジで店員さんがロックアイスを『ピッ』とできずに、保冷バッグから出さないといけないはめに。
大した労力ではないけど、ちょっと手を煩わせてしまっていた。
会計を済ませた食材をカバンに詰めながら、その様子を見た那智さんが
「ほら〜、りん子、そんな中に入れちゃうから〜(笑)」
え〜、那智さん、自分が入れたのに〜!?
那智さんのことだから、店員さんに手間を取らせてわたしが恐縮しちゃうことを『楽しいこと』にしようとしてくれているらしい。
でも、でも、きっとそれだけじゃない。
大と小の攻防で小に決まったから、ちょっとだけからかって意地悪だ(笑)
「ほら〜、りん子、そんな中に入れちゃうから〜、店員さん大変になってるじゃん、すいません(笑)」
「ごめんなさーーい♪わたしがいけませんでーしたーー(笑)」
こういうときはニッコリ笑ってで即座に受け入れる。
必殺『肯定女』だ!!
レジで支払いをしながら那智さんを見る。
「この場合、わたしのお返事のほうが勝ちでしょ〜^^」
「確かに、りん子の勝ち(笑)」
わたしたちの間では先に謝ったほうが一本取れることもあるのだ^^
肯定女は、ときどきちょっと強い^^
こんな会話を楽しみながら、続く〜。
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わんこ皿
『一緒にご飯1 2』
『肯定女』