夢見る頃をすぎても5
独特な幸福感
久しぶりに降りる駅。
わたしが一番遠かったから、いつも一番最後だった。
だからいつも待ち合わせ場所まで走った。
同じように走る。
あの経験が『プラス』になるように。
モカちゃんとの思い出を甘くせつないものだけにするように。
無邪気に無垢に好きと言えるように。
ああ、この床!!
うわあ、この階段〜〜!!
那智さんはいつものように淡々としているけど、わたしはひとり悶絶(笑)
なつかしく。
苦しく。
甘く、せつない。
もちろんホテルも同じ。
3つ空いている部屋の中から使ったことがある部屋を選んだ。
「『今日は3人じゃないんですか?』って聞かれたりして(笑)」
那智さんはいつも通りというでしょうけど、この日、那智さんは恐らくわたしを楽しませることに、自分の楽しみを見いだしてくれていたように思う。
わたしも楽しむ気持ちに焦点を当てるようにしていた。
リクエストに応えてくれたり、ごっこ遊びをしてくれたり(ソープごっこだけど^^;)、髪を洗ってくれたり。
大げさだけど片時も離れず常にどこか触れ合っているような状態だった。
触れ合い、感じ、笑い合い。
心と体が同じくらい柔らかく温かくなったころ。
腕の中で穏やかにホクホクしていたわたしを見て那智さんが何かを感じ取ったように言い出した。
やっぱり欲求不満だったんじゃない?
ふたりの間でわたしが負の感情を持つのは排卵と欲求不満が関わっているということは認めている。
だから今回の悲しいもそれだと言っているのだろうか。
それだけじゃないと思っていたからちょっと否定した気持ちだったけど、そのまま那智さんの話を聞いた。
りん子さ、りん子の中が『わたしをかまえー、わたしだけを見ろー、抱けー、ちんぽ入れろー』って子供みたいに言ってるんじゃない?
それがりん子の中の『女の子』なんじゃない?
那智さんは思いつくままに話す。
俺はいままでりん子の『女の子』っていうのが、いまひとつピンと来てなかった。
だけど今日、それをすごく感じた。
いまりん子の『女の子』はかまってもらって満足しているだろ。
りん子の『女の子』はこうやっていつもちゃんとかまってあげないとヘソを曲げちゃうんだ。
で、たぶん、モカちゃんのことをはじめたとき、最初の段階で俺が『女の子』をケアしてあげなかったからいじけてどこかへ行ってしまった。
だから、いくら俺がりん子を愛してもかまっても『女の子』は満たされなくて悲しかったんじゃないかな。
最初から、その『女の子』をわかってあげていてケアしていたら、あんなに苦しまなかったかもしれない。
暖炉の火でかじかんだ指が緩んでいくようだ。
スルスルと心が解けていくのがわかる。
ウソをつなかい那智さんが、わかったフリなんてしない那智さんが、わかってくれた瞬間だった。
わたしを解放してくれることは、きっとこれだ。
那智さんに『女の子』をわかってもうことだ。
ずっとこの『女の子』に関して、実は那智さんとわたしでは実感のし方が違っているのはわかっていた。
モカちゃんに対する『娘扱い』への嫉妬も、那智さんからしてみたら『俺はりん子を愛しているんだよ?』と理解し難いものだったようだ。
いままでりん子ちゃんなんて名前をつけて娘のように振る舞ったことも、那智さんからしたらひとつのプレイの位置付けだったのだ。
コスプレのようなものだろうか、りん子がリラックスするための便利なツールのひとつということだと思っていた。
わたしが何度も『わたしの中の女の子』という言葉を使っても、どうもピンと来なかったのだ。
りん子はりん子だよね?俺はそのりん子を愛している。ということだ。
たとえば。
味覚。
舌の中で甘さを感じる味覚がある。
もしそれがなくなったらどうだろう。
もちろん命に関わることではないし表向きは何も支障がない、だけどそれがあるとおいしいものをより感じ取れるし、豊かな気持ちになれる。
わたしにとっての『女の子』はこの甘さを感じる舌のようなものだと思う。
洋服のように気分を変えるものではなく、わたしの一部。
わたしという人間の中に、味覚のように常に必要なものとして存在している。
那智さんが『女の子』を意識してプレイ(?)をしていたときは、恐らく気持ちを切り替えて本当の子供の姿を想像していたのだろう。
そのときは特別な時間で『りん子』とは別物の着せ替え人形を抱きしめていた。
わたしは、この味覚を持っているわたしを丸ごと抱きしめてもらわないと抱きしめてもらっているようには感じられなかったのだね。
いまね、とっても腑に落ちた。
いままで別物と考えていた『女の子』がスッとりん子に重なった。
そうか、りん子が『女の子』だったんだよな。
それをわかってあげられなかったから、ヘソ曲げちゃったんだ(笑)
涙があふれる。
わかってもらうということは、こんなにも涙腺を緩ませるものなのだ。
互いの認識の違いを確認し今後の方向性を話し合う、2時間は費やしただろう。
モカちゃんは確かに俺らにとって『子供』だった。(決してモカちゃんが子供じみた人だということではないですよ!!)
俺はりん子を愛していれば大丈夫だと思っていたけど、大人のりん子と『女の子』のりん子と両方愛してあげないといけなかったんだね。
そりゃあ、辛くなるわけだ(笑)
きっとこれがわかれば、大丈夫。
わかってくれたと安堵するわたし、次の言葉で涙がどわっと競り上がり溢れる。
で、たぶん、りん子の『女の子』はモカちゃんよりも、もっと小さい子だったんだよ。
ソファに腰掛ける那智さんの胸におでこをくっつけて、好きな男のワンセンテンスで涙腺決壊してしまう幸福。
わたしはいちおう大人だ(笑)
那智さんの手足となって思慮することはできた。
だけど一方で自分自身も手に負えない暴れる子供がいて、この乖離に引き裂かれそうだった。
たぶん、とてもとても小さな子で、暴れん坊だったんだ。
自分の中の暴れ回る子供の手を必死で握り『那智さん、この子のことわかってわかってわかって!!!』と焦燥していた。
わたしさえ自覚していなかったその小さい様子も指摘してもらった安心は不思議なほど心を落ち着かせてくれる。
もう自分ひとりでその子の手を握りしめなくていいのだ。
やっとその存在を認めてくれて、辛かったことをわかってくれて、大丈夫だと安心させてくれた。
諦めないでよかった。
隅っこのほうでうずくまっていた小さな女の子を心の中で抱きしめるわたしの背中を那智さんの手がずっとずっとトントンと優しく叩いてくれていた。
この日何が違ったのだろう。
あの街に行くことで互いにいままでと違った何か感じるものがあったことも確かだ。
だけど、なんとか抜け出したいと前向きに考えたわたしの気持ちとわかり合えると信じて一歩も引かずにいてくれた那智さんの気持ちが、このタイミングで実を結んだのだと思う。
『女の子』なんていう目に見えない曖昧な存在を一生懸命ふたりで見ようとした。
相手を信じるというとてもシンプルで難解なことを諦めなかった。
人を100%理解し合うなんて所詮無理な話。(無理と思ったら無理だから、無理と思わないということからスタートしなきゃダメというのが那智さんの信念だけど^^;)
だからいまふたりが見えている『女の子』も厳密にいえば同じものではないかもしれない。
だけど1mmでも近づきたいと思い続けると、近づけるんだ。
1mm近づけたという事実。
こんなしんどい作業を那智さんとできる幸福。
これを知り手に入れることができたこと、ふたりにとってプラスだ。
夢見る頃をすぎても。
わたしの中の『女の子』はずっとずっと那智さんの腕の中で夢を見ているのだ^^
あの街から移動してイルミネーションを見に行く。
ライトアップされた並木道、ここは去年のクリスマス時期にも来ている。
クマのぬいぐるみを買ってもらった場所。
もうぬいぐるみを買ってもらって涙を流すような、あの日のような心になれないんじゃないか、この一年間何度も思い出した場所だ。
この日、○○の街でずっと手を繋いでいてもらうためにお道具カバンをキャリーバッグではなく小さい物にしてもらっていた。
お道具を詰め込んだカバンはそれなりに重い。
ときどき『持てよ〜』とわざとわたしに持たせて、持ってもらうことを気遣わせないようにしてくれている。
那智さんのいうことは、疑わずに信じる。
『持てよ』と言われたら持つし、持たないでいいのならいいのだ。
こんなふうに裏を読まず信じられることは気持ちがいい。
そしてこちらに気遣いをさせない那智さんをいい男だなぁと思う。
女の子を認めてもらったわたしは、そうやって那智さんを疑わずホクホクとイルミネーションを歩く。
こんな気持ちでもう一度ここを歩ける喜びを味わいながら。
ホクホクするとキスしたくなる。
「那智さん、キスしたくなっちゃいました」
「どうぞ〜(笑)」
こういうとき、那智さんは大概怯まない。
でも、人多いし、さすがに恥ずかしいよね。
横断歩道。
渡りきれずに歩道の中央分離帯にふたり足止めを食らう。
行く先には携帯に視線を落とした人。
背後からは楽しそうなおしゃべりの声。
信号が変わり車が流れ出した。
「那智さん、キスしたいです」
「どうぞ〜(笑)」
ちょっと膝を曲げる。
右手に重い荷物を持つ那智さんを左から覗き込む。
大人のわたしはためらいながら、『だーいすき』と子供のように無邪気な気持ちでキスをした。
わたしの『女の子』再生のお話はこれでおしまいです。
長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。
今年はあともう一回更新できるかな〜^^
久しぶりに降りる駅。
わたしが一番遠かったから、いつも一番最後だった。
だからいつも待ち合わせ場所まで走った。
同じように走る。
あの経験が『プラス』になるように。
モカちゃんとの思い出を甘くせつないものだけにするように。
無邪気に無垢に好きと言えるように。
ああ、この床!!
うわあ、この階段〜〜!!
那智さんはいつものように淡々としているけど、わたしはひとり悶絶(笑)
なつかしく。
苦しく。
甘く、せつない。
もちろんホテルも同じ。
3つ空いている部屋の中から使ったことがある部屋を選んだ。
「『今日は3人じゃないんですか?』って聞かれたりして(笑)」
那智さんはいつも通りというでしょうけど、この日、那智さんは恐らくわたしを楽しませることに、自分の楽しみを見いだしてくれていたように思う。
わたしも楽しむ気持ちに焦点を当てるようにしていた。
リクエストに応えてくれたり、ごっこ遊びをしてくれたり(ソープごっこだけど^^;)、髪を洗ってくれたり。
大げさだけど片時も離れず常にどこか触れ合っているような状態だった。
触れ合い、感じ、笑い合い。
心と体が同じくらい柔らかく温かくなったころ。
腕の中で穏やかにホクホクしていたわたしを見て那智さんが何かを感じ取ったように言い出した。
やっぱり欲求不満だったんじゃない?
ふたりの間でわたしが負の感情を持つのは排卵と欲求不満が関わっているということは認めている。
だから今回の悲しいもそれだと言っているのだろうか。
それだけじゃないと思っていたからちょっと否定した気持ちだったけど、そのまま那智さんの話を聞いた。
りん子さ、りん子の中が『わたしをかまえー、わたしだけを見ろー、抱けー、ちんぽ入れろー』って子供みたいに言ってるんじゃない?
それがりん子の中の『女の子』なんじゃない?
那智さんは思いつくままに話す。
俺はいままでりん子の『女の子』っていうのが、いまひとつピンと来てなかった。
だけど今日、それをすごく感じた。
いまりん子の『女の子』はかまってもらって満足しているだろ。
りん子の『女の子』はこうやっていつもちゃんとかまってあげないとヘソを曲げちゃうんだ。
で、たぶん、モカちゃんのことをはじめたとき、最初の段階で俺が『女の子』をケアしてあげなかったからいじけてどこかへ行ってしまった。
だから、いくら俺がりん子を愛してもかまっても『女の子』は満たされなくて悲しかったんじゃないかな。
最初から、その『女の子』をわかってあげていてケアしていたら、あんなに苦しまなかったかもしれない。
暖炉の火でかじかんだ指が緩んでいくようだ。
スルスルと心が解けていくのがわかる。
ウソをつなかい那智さんが、わかったフリなんてしない那智さんが、わかってくれた瞬間だった。
わたしを解放してくれることは、きっとこれだ。
那智さんに『女の子』をわかってもうことだ。
ずっとこの『女の子』に関して、実は那智さんとわたしでは実感のし方が違っているのはわかっていた。
モカちゃんに対する『娘扱い』への嫉妬も、那智さんからしてみたら『俺はりん子を愛しているんだよ?』と理解し難いものだったようだ。
いままでりん子ちゃんなんて名前をつけて娘のように振る舞ったことも、那智さんからしたらひとつのプレイの位置付けだったのだ。
コスプレのようなものだろうか、りん子がリラックスするための便利なツールのひとつということだと思っていた。
わたしが何度も『わたしの中の女の子』という言葉を使っても、どうもピンと来なかったのだ。
りん子はりん子だよね?俺はそのりん子を愛している。ということだ。
たとえば。
味覚。
舌の中で甘さを感じる味覚がある。
もしそれがなくなったらどうだろう。
もちろん命に関わることではないし表向きは何も支障がない、だけどそれがあるとおいしいものをより感じ取れるし、豊かな気持ちになれる。
わたしにとっての『女の子』はこの甘さを感じる舌のようなものだと思う。
洋服のように気分を変えるものではなく、わたしの一部。
わたしという人間の中に、味覚のように常に必要なものとして存在している。
那智さんが『女の子』を意識してプレイ(?)をしていたときは、恐らく気持ちを切り替えて本当の子供の姿を想像していたのだろう。
そのときは特別な時間で『りん子』とは別物の着せ替え人形を抱きしめていた。
わたしは、この味覚を持っているわたしを丸ごと抱きしめてもらわないと抱きしめてもらっているようには感じられなかったのだね。
いまね、とっても腑に落ちた。
いままで別物と考えていた『女の子』がスッとりん子に重なった。
そうか、りん子が『女の子』だったんだよな。
それをわかってあげられなかったから、ヘソ曲げちゃったんだ(笑)
涙があふれる。
わかってもらうということは、こんなにも涙腺を緩ませるものなのだ。
互いの認識の違いを確認し今後の方向性を話し合う、2時間は費やしただろう。
モカちゃんは確かに俺らにとって『子供』だった。(決してモカちゃんが子供じみた人だということではないですよ!!)
俺はりん子を愛していれば大丈夫だと思っていたけど、大人のりん子と『女の子』のりん子と両方愛してあげないといけなかったんだね。
そりゃあ、辛くなるわけだ(笑)
きっとこれがわかれば、大丈夫。
わかってくれたと安堵するわたし、次の言葉で涙がどわっと競り上がり溢れる。
で、たぶん、りん子の『女の子』はモカちゃんよりも、もっと小さい子だったんだよ。
ソファに腰掛ける那智さんの胸におでこをくっつけて、好きな男のワンセンテンスで涙腺決壊してしまう幸福。
わたしはいちおう大人だ(笑)
那智さんの手足となって思慮することはできた。
だけど一方で自分自身も手に負えない暴れる子供がいて、この乖離に引き裂かれそうだった。
たぶん、とてもとても小さな子で、暴れん坊だったんだ。
自分の中の暴れ回る子供の手を必死で握り『那智さん、この子のことわかってわかってわかって!!!』と焦燥していた。
わたしさえ自覚していなかったその小さい様子も指摘してもらった安心は不思議なほど心を落ち着かせてくれる。
もう自分ひとりでその子の手を握りしめなくていいのだ。
やっとその存在を認めてくれて、辛かったことをわかってくれて、大丈夫だと安心させてくれた。
諦めないでよかった。
隅っこのほうでうずくまっていた小さな女の子を心の中で抱きしめるわたしの背中を那智さんの手がずっとずっとトントンと優しく叩いてくれていた。
この日何が違ったのだろう。
あの街に行くことで互いにいままでと違った何か感じるものがあったことも確かだ。
だけど、なんとか抜け出したいと前向きに考えたわたしの気持ちとわかり合えると信じて一歩も引かずにいてくれた那智さんの気持ちが、このタイミングで実を結んだのだと思う。
『女の子』なんていう目に見えない曖昧な存在を一生懸命ふたりで見ようとした。
相手を信じるというとてもシンプルで難解なことを諦めなかった。
人を100%理解し合うなんて所詮無理な話。(無理と思ったら無理だから、無理と思わないということからスタートしなきゃダメというのが那智さんの信念だけど^^;)
だからいまふたりが見えている『女の子』も厳密にいえば同じものではないかもしれない。
だけど1mmでも近づきたいと思い続けると、近づけるんだ。
1mm近づけたという事実。
こんなしんどい作業を那智さんとできる幸福。
これを知り手に入れることができたこと、ふたりにとってプラスだ。
夢見る頃をすぎても。
わたしの中の『女の子』はずっとずっと那智さんの腕の中で夢を見ているのだ^^
あの街から移動してイルミネーションを見に行く。
ライトアップされた並木道、ここは去年のクリスマス時期にも来ている。
クマのぬいぐるみを買ってもらった場所。
もうぬいぐるみを買ってもらって涙を流すような、あの日のような心になれないんじゃないか、この一年間何度も思い出した場所だ。
この日、○○の街でずっと手を繋いでいてもらうためにお道具カバンをキャリーバッグではなく小さい物にしてもらっていた。
お道具を詰め込んだカバンはそれなりに重い。
ときどき『持てよ〜』とわざとわたしに持たせて、持ってもらうことを気遣わせないようにしてくれている。
那智さんのいうことは、疑わずに信じる。
『持てよ』と言われたら持つし、持たないでいいのならいいのだ。
こんなふうに裏を読まず信じられることは気持ちがいい。
そしてこちらに気遣いをさせない那智さんをいい男だなぁと思う。
女の子を認めてもらったわたしは、そうやって那智さんを疑わずホクホクとイルミネーションを歩く。
こんな気持ちでもう一度ここを歩ける喜びを味わいながら。
ホクホクするとキスしたくなる。
「那智さん、キスしたくなっちゃいました」
「どうぞ〜(笑)」
こういうとき、那智さんは大概怯まない。
でも、人多いし、さすがに恥ずかしいよね。
横断歩道。
渡りきれずに歩道の中央分離帯にふたり足止めを食らう。
行く先には携帯に視線を落とした人。
背後からは楽しそうなおしゃべりの声。
信号が変わり車が流れ出した。
「那智さん、キスしたいです」
「どうぞ〜(笑)」
ちょっと膝を曲げる。
右手に重い荷物を持つ那智さんを左から覗き込む。
大人のわたしはためらいながら、『だーいすき』と子供のように無邪気な気持ちでキスをした。
わたしの『女の子』再生のお話はこれでおしまいです。
長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。
今年はあともう一回更新できるかな〜^^
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