徒然に『正しくないもの』
独り言
ずいぶん前だけどテレビで興味深いものを見た。
外国の夫婦の話で、その奥さんがとてもとても太っているのだ。
200キロだか300キロの体重で、自分で歩くことも立ち上がることもできない。
もう太っているという段階ではないという感じだった。
その妻が生命の危険があるということでダイエットして、たしか100キロ代まで落としていまは普通の生活ができているという『ダイエット成功話』だった。
番組ではなぜそうなったか、またどのような生活を送っていたのか、当時の映像と共に紹介してそれがとても興味を引いた。
元々食べることが大好きで、ちょっと太り気味くらいの女性だったのだそうだ。
で、太った女性が好みの男性と出会いと結婚するのだけど、その夫になった男性が太ることを推奨したらしいのだ。
太ったほうがきれいだ、かわいい。
もっと食べて、と。
食べることが好きで、尚かつ褒められるのだ。
女性の体重はどんどん増えていく。
で、その様子を夫が撮影した映像がちょっとだけ番組で流れていた。
すでに歩けないほどの体重の妻をベッドに座らせカメラを回す。(手製でつり革とか作っていた)
太り過ぎというレベルを遥かに越えた肉の襞が重なる塊。
わざとなのか、合うものもなく作らなかったのか、常にカメラに映る妻は裸だ。
でも肉の襞が胸や下半身を覆い隠していてテレビの画面に映しても支障がないようで、そのまま映っていた。
言葉は悪いが、その体は悲惨な状態に見えた。
カメラが寄ると妻はカメラに視線を送る。
夫が『なんて美しいんだ』と感嘆の声を上げる。
手を頬に当てポーズを作って恍惚の表情でそれに答える。
自力では立ち上がることもできない女性をベッドの脇から夫が両手を広げて手招きをして呼んでいる。
ベッドの上で大きな体を懸命にずらし座った状態で旦那さんに近づいていく、その距離4、50センチだろうか。
ゆさゆさよちよちと、数センチずつ。
必死の思いでベッドの脇まで体をずらし、夫の元へ。
両手を広げた夫がこれ以上ないほどの愛情を込めた抱擁をする。
妻のほうが大きいから夫が包まれているようだけど、妻は夫に慈しまれ抱きしめられているようだった。
その女性の輝きに目を奪われてしまった。
カメラに視線を送る妻は頬は艶やかに紅潮し瞳はうっとりと半開き、夫を誘惑するような視線を送っている。
夫に近づこうとよちよちと体をずらす姿は愛らしさまで感じられ、そこに流れる空気は互いを愛する蜜月の甘いものだった。
魅力的だと思った。
妻がとてもきれいなんだ。
きれいという定義からは正反対の体なのに。
女は愛されきれいだと言われ続けるとこんなにも美しく幸せに満ち溢れた表情をするのか。
人として正しいとはいえない生活と歪んだ偏愛。
それなのに、とても美しくて幸せそうな姿に軽くショックを受けたことを憶えている。
妻の体に異変が起きこのままでは命の危険があると診断され手術とダイエットを決意するのだけど、わたしはこのとき複雑な気持ちになってしまった。
もちろん命は大事だ。
こんな不健全な生活は正しくない。
手術をしてダイエットをしてある程度体重を減らしても夫は愛してくれるだろう。
だけど、きっと、あの蜜月の甘い幸福は味わえなくなるはずだ。
あの熱烈な欲情と慈しみの視線を夫から注がれることはないだろう。
そう感じたとしたら、不謹慎だけど長く生きることや正しい生活の意義を疑ってしまいそうになってしまった。
ダイエットに成功して100キロ代まで体重を戻した妻。
現在の2人も紹介されていた。
ポーチでお茶をする2人。
『妻が生きていてくれてよかった』と夫はいい、『彼はいまも愛してくれている』と妻はいう。
穏やかな空気がそこには流れているように感じられた。
でも、でも、わたしには、あのカメラに映っていた肉の襞に埋もれていた妻のほうがずっとずっと美しく輝いて見えた。
今日のエントリーに結論はないです。
人として正しくないものの中にふたりだけの深い幸福があるかもしれない。
身を滅ぼすような歪んだ偏愛、それは他では得難い快楽かもしれない。
たしか那智さんと付き合い出した初期の頃に観たテレビだった。
SM行為をして父性に依存しずぶずぶと那智さんの愛情に埋もれている自分、それを『人として正しい!?』と戒める気持ちを持っていた自分、いろいろな自分を重ねてしまった記憶がある。
女の幸せなんてひと口に語ることはできないけど。
正解ってあるのだろうかと疑問を持ってしまった映像だった。
ずいぶん前だけどテレビで興味深いものを見た。
外国の夫婦の話で、その奥さんがとてもとても太っているのだ。
200キロだか300キロの体重で、自分で歩くことも立ち上がることもできない。
もう太っているという段階ではないという感じだった。
その妻が生命の危険があるということでダイエットして、たしか100キロ代まで落としていまは普通の生活ができているという『ダイエット成功話』だった。
番組ではなぜそうなったか、またどのような生活を送っていたのか、当時の映像と共に紹介してそれがとても興味を引いた。
元々食べることが大好きで、ちょっと太り気味くらいの女性だったのだそうだ。
で、太った女性が好みの男性と出会いと結婚するのだけど、その夫になった男性が太ることを推奨したらしいのだ。
太ったほうがきれいだ、かわいい。
もっと食べて、と。
食べることが好きで、尚かつ褒められるのだ。
女性の体重はどんどん増えていく。
で、その様子を夫が撮影した映像がちょっとだけ番組で流れていた。
すでに歩けないほどの体重の妻をベッドに座らせカメラを回す。(手製でつり革とか作っていた)
太り過ぎというレベルを遥かに越えた肉の襞が重なる塊。
わざとなのか、合うものもなく作らなかったのか、常にカメラに映る妻は裸だ。
でも肉の襞が胸や下半身を覆い隠していてテレビの画面に映しても支障がないようで、そのまま映っていた。
言葉は悪いが、その体は悲惨な状態に見えた。
カメラが寄ると妻はカメラに視線を送る。
夫が『なんて美しいんだ』と感嘆の声を上げる。
手を頬に当てポーズを作って恍惚の表情でそれに答える。
自力では立ち上がることもできない女性をベッドの脇から夫が両手を広げて手招きをして呼んでいる。
ベッドの上で大きな体を懸命にずらし座った状態で旦那さんに近づいていく、その距離4、50センチだろうか。
ゆさゆさよちよちと、数センチずつ。
必死の思いでベッドの脇まで体をずらし、夫の元へ。
両手を広げた夫がこれ以上ないほどの愛情を込めた抱擁をする。
妻のほうが大きいから夫が包まれているようだけど、妻は夫に慈しまれ抱きしめられているようだった。
その女性の輝きに目を奪われてしまった。
カメラに視線を送る妻は頬は艶やかに紅潮し瞳はうっとりと半開き、夫を誘惑するような視線を送っている。
夫に近づこうとよちよちと体をずらす姿は愛らしさまで感じられ、そこに流れる空気は互いを愛する蜜月の甘いものだった。
魅力的だと思った。
妻がとてもきれいなんだ。
きれいという定義からは正反対の体なのに。
女は愛されきれいだと言われ続けるとこんなにも美しく幸せに満ち溢れた表情をするのか。
人として正しいとはいえない生活と歪んだ偏愛。
それなのに、とても美しくて幸せそうな姿に軽くショックを受けたことを憶えている。
妻の体に異変が起きこのままでは命の危険があると診断され手術とダイエットを決意するのだけど、わたしはこのとき複雑な気持ちになってしまった。
もちろん命は大事だ。
こんな不健全な生活は正しくない。
手術をしてダイエットをしてある程度体重を減らしても夫は愛してくれるだろう。
だけど、きっと、あの蜜月の甘い幸福は味わえなくなるはずだ。
あの熱烈な欲情と慈しみの視線を夫から注がれることはないだろう。
そう感じたとしたら、不謹慎だけど長く生きることや正しい生活の意義を疑ってしまいそうになってしまった。
ダイエットに成功して100キロ代まで体重を戻した妻。
現在の2人も紹介されていた。
ポーチでお茶をする2人。
『妻が生きていてくれてよかった』と夫はいい、『彼はいまも愛してくれている』と妻はいう。
穏やかな空気がそこには流れているように感じられた。
でも、でも、わたしには、あのカメラに映っていた肉の襞に埋もれていた妻のほうがずっとずっと美しく輝いて見えた。
今日のエントリーに結論はないです。
人として正しくないものの中にふたりだけの深い幸福があるかもしれない。
身を滅ぼすような歪んだ偏愛、それは他では得難い快楽かもしれない。
たしか那智さんと付き合い出した初期の頃に観たテレビだった。
SM行為をして父性に依存しずぶずぶと那智さんの愛情に埋もれている自分、それを『人として正しい!?』と戒める気持ちを持っていた自分、いろいろな自分を重ねてしまった記憶がある。
女の幸せなんてひと口に語ることはできないけど。
正解ってあるのだろうかと疑問を持ってしまった映像だった。