奴隷『が』いいの?
りん子的独り言(生意気)
にこねこさんの『例えば「複数プレイ」』を読んで。
でも、話は「複数」から逸れちゃいます。
(すみません、逸れちゃいますからスルーしていただいてもかまいません<にこねこさん)
いつものように。
わたしのような女性を軸にしています。
『無価値感』が故に誰かに従属していたく、その従属を『奴隷願望』に置き換えてしまっている女性。
ですから、本当に『奴隷願望』があって、奴隷という立場で幸福を感じている方を当てはめてはいません。
それぞれ、自身の嗜好に合った立場を得られている方は、いつも祝福の気持ちです。
わたしは『心の交流のないセックスは女を傷つける』と、思っています。
(『秘訣』、『秘訣の続き』を読んでみてね)
セックスといっても挿入だけを言っているんじゃなくて『性』ね。
だから、テレクラ依存していたときのわたしは『自傷行為』をしていたと思ってる。
女の『性』を大切にしないことは、その人の傷になるのです。
だから、『知らない人』を交えた複数プレイは女性を傷つける可能性が高い思ってます。
じゃあ、わたしがゲストを招いたときは?(○さんやすみれさんのとき)
すみれさんとは心の交流があったし。
○さんとは事前のやり取りがあり、なんと言っても那智さんとわたしには交流があるから大丈夫だった(わたしの傷を那智さんが引き受けちゃって那智さんが傷ついちゃうし^^)。
じゃあ、他の複数プレイを楽しんでらっしゃる方は?
これはわたしの考えなんですけど。
心の交流と言っても、何が何でも大恋愛じゃなきゃいけないものでもないと思うのです。
(これは『もうひとつの秘訣』に書いてあります)
例えば『性的嗜好が一致している』ということも、心の交流と言えると思う。
だって、互いの嗜好を伝え、擦り合わせ、良い立ち位置を決めるには、それなりに労力が必要ですよね。
また、嗜好が一致している相手は大切にしようと思うはず。
その労力と大切にしようと思うことが、心の交流を生むと思うのです。
ということで、誰も傷つかない複数プレイには性的嗜好の一致を含めた『心の交流』が必要なんだと思う。
心の交流が生まれない見ず知らずの人とセックスは傷になる可能性が高い。
特に、『奴隷』のような自分で選べない(ように見える)立場の人は、傷になりやすいんじゃないかな。
『奴隷』という立場での複数は傷つきやすい。
ここまで『複数』で思考を巡らせて、ここからりん子的話に枝分かれします^^;
そもそも『奴隷』という立場自体、傷つくものなんじゃないだろうか。
しつこいようですが、『奴隷』嗜好をお持ちの方は、おそらくお相手と嗜好が一致しているはずですからそこで交流が生まれ、傷つくケースには当てはまらないと思います。
また、便宜上『奴隷』という言葉を使っていて、実際は二人にしかわからない関係を築いていらっしゃる方もこれとは違うと思います。
『奴隷願望』って一括りにしやすいのだけど、実は、従属していたいから、愛されたいから、自己否定感から、誤って『奴隷』を選んでしまっている人もいるんじゃないだろうか。
かつてのわたしのようにね。
なぜ、『奴隷』という立場の人は傷つく場合が多いと感じるかというと。
だって、そもそも『奴隷』がほしいと思う人って、基本的に『好き勝手にできる女』がほしいわけですよね。
ということは、『これをしたら相手はどう思うか』なんて考えたくないわけです。
相手の気持ちを慮ってこちらが譲歩するなんて一般的なやり取りはせず、一方的に享受する関係を望んでいるわけだから、奴隷と心の交流なんていらないですよね。
そういう心の交流を端折りたい人が『奴隷』を求めているとしたら、はなから心の交流なんて望めないじゃないかと思うのです。
ときどきご主人様とお食事をしたりプレゼントをもらったり幸せそうな『奴隷』さんをお見かけすると、そういう心の交流を持った『奴隷』さんもいてよかったって思います。(でも、それって奴隷なのか?とも思うけど)
それとか、もし、『奴隷』になる前に、奴隷にしたい、なりたいという性的嗜好を一致させる作業をとことんやっているのであれば、それも交流といえるでしょう。
だけど、このふたつのケースはそれほど多くないんじゃないでしょうか。
多くは、面倒なことを端折って女性を思い通りにしたいという男性が『奴隷』をほしいと思うんじゃないかな。
だから、わたしのような『奴隷願望はないけど従属していたい』女性が、そういう男性の奴隷になってしまうと、けっこうしんどいのだ。
(ことが終わって、帰り道でホッとしたりするのよ。好きな人とのセックスが終わってホッとしてるって、おかしいよね)
でも、仮に心の交流をしてくれないと薄々気づいても、一旦『奴隷』になってしまうと物申せる空気はなくなるし、従えば褒められるしで、褒められれば認められた気分になるし、なかなか慎重に考えて異議申し立てすることなんてできにくくなるものです。
だから、まず『奴隷』を選ぶ段階で、自分の心と向き合うことが大事なんだと思う。
わたしは。
奴隷『が』いいのか。
奴隷『でも』いいのか。
偏った見方を承知で言わせていただくけど、だいたい奴隷になれっていう時点で心の交流を求めていない男性だと思っていいんじゃないだろうか。
ということは、あなたを傷つける可能性が高い人だということ。
『奴隷』という名前を持ち出した時点で、まず相手を疑ってみるのも悪くないと思うのだ。
この人は。
奴隷がほしいだけなのか。
わたしがいいのか。
『心の交流のないセックスは女性を傷つける』
奴隷『が』いいのか。
それとも。
愛されたいから。
認めてほしいから。
支えてほしいから。
虐めてほしいから。
強いものに憧れいてるから。
奴隷『でも』いいのか。
もし心に抱えた何かを埋めるために、『奴隷』を選んでしまっているのだとしたら。
奴隷がほしいという男性をパートナーに選んだら、それは傷になるかもしれない。
そうだとしたら、それは『奴隷』にならなくても手に入れることができるはず。
だから、自分の心に触って本当は何を求めているのか知ることが大切だと思うのです。
で、気づいたらいつでも軌道那智正できると思いたい。
いちおうSMカテゴリーに属しているブログで、どうして「奴隷『が』いいの?」なんてこと言っちゃうんでしょうね、わたし。
傷つくセックスと傷つかないセックスがあることや奴隷願望の矛盾を身を以て経験しちゃったからね。
黙っていられない性分みたいです^^;
いつも、女の子が傷つきませんようにって思います。
にこねこさんの『例えば「複数プレイ」』を読んで。
でも、話は「複数」から逸れちゃいます。
(すみません、逸れちゃいますからスルーしていただいてもかまいません<にこねこさん)
いつものように。
わたしのような女性を軸にしています。
『無価値感』が故に誰かに従属していたく、その従属を『奴隷願望』に置き換えてしまっている女性。
ですから、本当に『奴隷願望』があって、奴隷という立場で幸福を感じている方を当てはめてはいません。
それぞれ、自身の嗜好に合った立場を得られている方は、いつも祝福の気持ちです。
わたしは『心の交流のないセックスは女を傷つける』と、思っています。
(『秘訣』、『秘訣の続き』を読んでみてね)
セックスといっても挿入だけを言っているんじゃなくて『性』ね。
だから、テレクラ依存していたときのわたしは『自傷行為』をしていたと思ってる。
女の『性』を大切にしないことは、その人の傷になるのです。
だから、『知らない人』を交えた複数プレイは女性を傷つける可能性が高い思ってます。
じゃあ、わたしがゲストを招いたときは?(○さんやすみれさんのとき)
すみれさんとは心の交流があったし。
○さんとは事前のやり取りがあり、なんと言っても那智さんとわたしには交流があるから大丈夫だった(わたしの傷を那智さんが引き受けちゃって那智さんが傷ついちゃうし^^)。
じゃあ、他の複数プレイを楽しんでらっしゃる方は?
これはわたしの考えなんですけど。
心の交流と言っても、何が何でも大恋愛じゃなきゃいけないものでもないと思うのです。
(これは『もうひとつの秘訣』に書いてあります)
例えば『性的嗜好が一致している』ということも、心の交流と言えると思う。
だって、互いの嗜好を伝え、擦り合わせ、良い立ち位置を決めるには、それなりに労力が必要ですよね。
また、嗜好が一致している相手は大切にしようと思うはず。
その労力と大切にしようと思うことが、心の交流を生むと思うのです。
ということで、誰も傷つかない複数プレイには性的嗜好の一致を含めた『心の交流』が必要なんだと思う。
心の交流が生まれない見ず知らずの人とセックスは傷になる可能性が高い。
特に、『奴隷』のような自分で選べない(ように見える)立場の人は、傷になりやすいんじゃないかな。
『奴隷』という立場での複数は傷つきやすい。
ここまで『複数』で思考を巡らせて、ここからりん子的話に枝分かれします^^;
そもそも『奴隷』という立場自体、傷つくものなんじゃないだろうか。
しつこいようですが、『奴隷』嗜好をお持ちの方は、おそらくお相手と嗜好が一致しているはずですからそこで交流が生まれ、傷つくケースには当てはまらないと思います。
また、便宜上『奴隷』という言葉を使っていて、実際は二人にしかわからない関係を築いていらっしゃる方もこれとは違うと思います。
『奴隷願望』って一括りにしやすいのだけど、実は、従属していたいから、愛されたいから、自己否定感から、誤って『奴隷』を選んでしまっている人もいるんじゃないだろうか。
かつてのわたしのようにね。
なぜ、『奴隷』という立場の人は傷つく場合が多いと感じるかというと。
だって、そもそも『奴隷』がほしいと思う人って、基本的に『好き勝手にできる女』がほしいわけですよね。
ということは、『これをしたら相手はどう思うか』なんて考えたくないわけです。
相手の気持ちを慮ってこちらが譲歩するなんて一般的なやり取りはせず、一方的に享受する関係を望んでいるわけだから、奴隷と心の交流なんていらないですよね。
そういう心の交流を端折りたい人が『奴隷』を求めているとしたら、はなから心の交流なんて望めないじゃないかと思うのです。
ときどきご主人様とお食事をしたりプレゼントをもらったり幸せそうな『奴隷』さんをお見かけすると、そういう心の交流を持った『奴隷』さんもいてよかったって思います。(でも、それって奴隷なのか?とも思うけど)
それとか、もし、『奴隷』になる前に、奴隷にしたい、なりたいという性的嗜好を一致させる作業をとことんやっているのであれば、それも交流といえるでしょう。
だけど、このふたつのケースはそれほど多くないんじゃないでしょうか。
多くは、面倒なことを端折って女性を思い通りにしたいという男性が『奴隷』をほしいと思うんじゃないかな。
だから、わたしのような『奴隷願望はないけど従属していたい』女性が、そういう男性の奴隷になってしまうと、けっこうしんどいのだ。
(ことが終わって、帰り道でホッとしたりするのよ。好きな人とのセックスが終わってホッとしてるって、おかしいよね)
でも、仮に心の交流をしてくれないと薄々気づいても、一旦『奴隷』になってしまうと物申せる空気はなくなるし、従えば褒められるしで、褒められれば認められた気分になるし、なかなか慎重に考えて異議申し立てすることなんてできにくくなるものです。
だから、まず『奴隷』を選ぶ段階で、自分の心と向き合うことが大事なんだと思う。
わたしは。
奴隷『が』いいのか。
奴隷『でも』いいのか。
偏った見方を承知で言わせていただくけど、だいたい奴隷になれっていう時点で心の交流を求めていない男性だと思っていいんじゃないだろうか。
ということは、あなたを傷つける可能性が高い人だということ。
『奴隷』という名前を持ち出した時点で、まず相手を疑ってみるのも悪くないと思うのだ。
この人は。
奴隷がほしいだけなのか。
わたしがいいのか。
『心の交流のないセックスは女性を傷つける』
奴隷『が』いいのか。
それとも。
愛されたいから。
認めてほしいから。
支えてほしいから。
虐めてほしいから。
強いものに憧れいてるから。
奴隷『でも』いいのか。
もし心に抱えた何かを埋めるために、『奴隷』を選んでしまっているのだとしたら。
奴隷がほしいという男性をパートナーに選んだら、それは傷になるかもしれない。
そうだとしたら、それは『奴隷』にならなくても手に入れることができるはず。
だから、自分の心に触って本当は何を求めているのか知ることが大切だと思うのです。
で、気づいたらいつでも軌道那智正できると思いたい。
いちおうSMカテゴリーに属しているブログで、どうして「奴隷『が』いいの?」なんてこと言っちゃうんでしょうね、わたし。
傷つくセックスと傷つかないセックスがあることや奴隷願望の矛盾を身を以て経験しちゃったからね。
黙っていられない性分みたいです^^;
いつも、女の子が傷つきませんようにって思います。
COMMENT
これはこれは・・・
私の日記と確かに似てます。
パクったわけではないですよ(笑)
私の日記と確かに似てます。
パクったわけではないですよ(笑)
ね、似てますよね^^
同じことを言葉にしている人を見つけてうれしかったです。
パクリだなんて思っていませんけど、仮に、万が一、仮に(しつこく 笑)パクリだったとしても、それは問題ではないですよね。
それより、同じものにシンパシーを感じる人がいるというほうが、ずっとうれしいです^^
同じことを言葉にしている人を見つけてうれしかったです。
パクリだなんて思っていませんけど、仮に、万が一、仮に(しつこく 笑)パクリだったとしても、それは問題ではないですよね。
それより、同じものにシンパシーを感じる人がいるというほうが、ずっとうれしいです^^
はじめまして*
ずっと同じことを思っていたので、こんなにぴったりくる文章に出会えてすごく嬉しいです。
私とご主人様は、おそらくこの文中にある"便宜上奴隷という言葉を使っている"者だと思います。
ご主人様の性癖がSMで、ある意味ご主人様から逃れられなくなっているので、不自然かもしれませんが私は奴隷と呼ばれる事を気に入っています。
ただ、りん子さんの仰る通り、私にも多くの奴隷さんがあまり幸せでないように見えてなりません。
その辛いのが好きなんだって言われてしまえば何も言えませんけど、どうしても辛さを自分の中で正当化させようとしているように感じてしまいます。
傷ついたり、辛い思いをする人が減るように、私も願っています。
ずっと同じことを思っていたので、こんなにぴったりくる文章に出会えてすごく嬉しいです。
私とご主人様は、おそらくこの文中にある"便宜上奴隷という言葉を使っている"者だと思います。
ご主人様の性癖がSMで、ある意味ご主人様から逃れられなくなっているので、不自然かもしれませんが私は奴隷と呼ばれる事を気に入っています。
ただ、りん子さんの仰る通り、私にも多くの奴隷さんがあまり幸せでないように見えてなりません。
その辛いのが好きなんだって言われてしまえば何も言えませんけど、どうしても辛さを自分の中で正当化させようとしているように感じてしまいます。
傷ついたり、辛い思いをする人が減るように、私も願っています。
はじめまして、ようこそおいでくださいました♪
りか*さんのブログは以前から拝見しておりまして、コメントしたいお話もあって機会をうかがっていたので、先にお越しいただいてうれしいけど、悔しいです(笑)
過去エントリーのしかもちょっと気合いを入れないと書けなかったものにコメントいただけるのは、とてもありがたいことです。
りか*さんもわかってらっしゃると思いますが、どんな名称でもかまわないのですよね。
本人が望み、満たされているなら。
端から見ると、本当は違うものを求めているのではないかなと苦しそうに見える方がいると、その言葉に囚われすぎないでほしいって思ってしまいます。
りか*さんたちは、その名称が落ち着けているわけですし、また、わたしたちはそのような名称ではないけど、上下ではある。
いろんな形があっていいですよね^^
ところで、はじめましての方に来ていただくと、すごーくうれしい反面、ちょっと恐縮してしまうところがあります。
『等式』は、ホントにいろいろなジャンルの話題を書いているので、エントリーによって好き嫌いが分かれると思うのです。
ですから、どうか、りか*さんのお気に入りを見つけていただけるとうれしいです。
りか*さんのブログは以前から拝見しておりまして、コメントしたいお話もあって機会をうかがっていたので、先にお越しいただいてうれしいけど、悔しいです(笑)
過去エントリーのしかもちょっと気合いを入れないと書けなかったものにコメントいただけるのは、とてもありがたいことです。
りか*さんもわかってらっしゃると思いますが、どんな名称でもかまわないのですよね。
本人が望み、満たされているなら。
端から見ると、本当は違うものを求めているのではないかなと苦しそうに見える方がいると、その言葉に囚われすぎないでほしいって思ってしまいます。
りか*さんたちは、その名称が落ち着けているわけですし、また、わたしたちはそのような名称ではないけど、上下ではある。
いろんな形があっていいですよね^^
ところで、はじめましての方に来ていただくと、すごーくうれしい反面、ちょっと恐縮してしまうところがあります。
『等式』は、ホントにいろいろなジャンルの話題を書いているので、エントリーによって好き嫌いが分かれると思うのです。
ですから、どうか、りか*さんのお気に入りを見つけていただけるとうれしいです。